神を恐れよ

新城教会牧師 滝元 明

 主を恐れることは知識の初めである。     箴言1章7節

この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。
創世記20章11節 

 上記の御言葉は、ユダヤ人の父と呼ばれているアブラハムがゲラルの王アビメレクに語った言葉です。
 さて最近、日本の新聞、テレビのニュースはあまりにも悲しい事件が多すぎます。毎日のように少年犯罪、殺人、不倫、セクハラ、離婚、さらに政治家の汚職が報道されています。K.S.D.を巡る汚職、司法の世界にも、地検次席の捜査情報漏洩事件とか、さらに驚くことに、官房機密費と外交機密費を外務省の室長が横領していた等、どうしてこのような事件が起こるのでしょうか。それは、神に対する正当な恐れがないからです。大人がこのようなことを行なっていて、子どもに善良な子どもになれと言っても無理な話ではありませんか。日本の多くの人々は、「誰も見ていないから」と考えます。しかし、聖書に教えてある天地の創造主である神は、全てを見ておられる神であり、罪を憎み義を愛する神さまです。
 私が初めてキリスト教会の門をくぐったのは、1949年2月13日19才の日曜日のことでした。その日私がそこでわかったことは、あまりにも自分が汚いということでした。教会に来ていた若い人々の目は美しく、顔も輝いて見えました。それと反対に自分の惨めな姿がわかったのです。小学校の頃、他人の家の柿や桃を盗んだこと、学生の頃カンニングしたこと、東京に勉強にでてからも、農場のトマトや西瓜やジャガイモを盗んだことが思い出されて苦しくなりました。それまでは「見つからなければ良い」と思っていました。が、次の日曜日、2月20日私は心から自分の罪を悔い改めて、主イエス・キリストを信じ新しく生まれ変わることができました。盗んだ人々のところには心からお詫びに行きました。
 あの日以来、私の人生は「誰も見ていないから」ではなく、「いつも見ておられる神」の前に生きることが出来るようになりました。酒、タバコも飲まなくても良くなり、盗むこともしなくなりました。神と共に生きることが出来るようになりました。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」  第二 コリント5章17節

 今の日本の人々に必要なことは、生きておられる真の神を信じ、主イエス・キリストによって罪赦され、神を恐れて、互いに愛し合って生きることではないでしょうか。

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