死の恐怖からの解放

新城教会牧師 上條 実

『一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』    聖書

私たちはいつか死ぬ。この世に生を受けた者は必ず死ぬ。誰もが必ずむかえる「死」。その「死」についてほとんどの人が直視していない。死を語ることすらタブーとされている。死んだらどうなるのか?死んだら天国に行くことが出来るだろうか?など死に対して、誰にも話すことができずにいる。ではあなたは死に対して考えたことがあるだろうか?数年前の事、あるお年寄りが亡くなっていく最期の状況を聞いた。その老人は死の直前までタンスの取っ手を堅く握りしめ「恐い!どこか暗い所に落ちて行くようだ」「恐い!助けてくれ!」と絶叫しながらこの世を去って行ったというのである。私には、まるで地獄に落ちていく悲痛な叫びのように聞こえた。また50年以上前、ある家に嫁いで来たおばあさんと話した事がある。彼女はその家で祭られていた神を、一日も欠かさず熱心に信仰してきた。しかし死を考えると恐くて恐くてたまらず、「死んだらどうなるか教えてほしい。今のままで本当に大丈夫だろうか?」「今信仰している宗教で大丈夫だろうか?」と誰にも言う事ができずに苦しんでいた。私は新城教会の牧師であり、また牧師の中でも特別結婚や葬式などの担当をさせて頂いているため、多くのイエス・キリストを神として信じたお年寄りの最期に立ちあってきた。クリスチャンのお年寄りは決して強い人間ではない。いやむしろ弱さを認めておられる方であるかも知れない。しかし私は彼らの最期を見て、声を大にして言いたい。「クリスチャンは死ぬことは恐くない」また「死ぬことは永遠への喜びの始めである」と。先日もクリスチャンのおばあさんのために、病院へ御見舞いへ行った。その時おばあさんは目を輝かせながら「私は天国に行けるから、死ぬ事は全く恐くない」と大胆に語ってくれた。またあるおじいさんは、病院中に響きわたるような声で「私はイエス様に救って頂いたから、天国に行ける」と喜びの涙を流しながら語ってくれた。なぜそんなに平安に過ごすことができるのだろうか?それは十字架にかかり、葬られ、よみがえって下さったイエス・キリストを自分の「神」として信じたからである。先程の50年以上他の神を信仰して来たおばあさんも、イエス・キリストを信じて今は心から喜んでいる。ぜひあなたもイエス・キリストを自分の神として信じて頂きたい。必ず「死の恐怖」から解放される事ができる。

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