土台となる価値観の変換

新城教会牧師 滝元 順

  先日、広島県呉市を訪れる機会がありました。呉は昔から軍港として栄えた地であり、戦争を体験された方々にとっては、色々と複雑な思い出のある場所かもしれません。なぜなら、第二次大戦中、ここで多くの兵器が製造され、同時に、多くの若者達がこの港からアジア諸国に出兵し、帰らぬ人となったからです。私はその場に立ち、戦後生まれ育った者の一人として複雑な思いがしました。もしも自分がその頃に生まれていたならば、きっと戦争に参加していたでしょうし、帰らぬ人となっていてもおかしくありません。その戦争を通して、多くの人々が傷つき倒れ、戦後50年以上経った今でもアジア諸国の中には、日本に対する憎しみや複雑な反日感情も存続しています。そんな過ちは二度と犯したくないと日 本国民ならば誰もが願っています。
 現在、当時使用されていた港湾施設は、海上自衛隊によって使用されており、戦後の平和憲法の元、それは侵略行為のためではなく、国を防衛するためではありますが、多くの艦船や潜水艦が停泊しています。しかし、風景としては昔と何も変わっていないのを見ると、当時を知っておられる方ならば少なからず戸惑いもあることでしょう。
 人は価値観の土台が変わらない限り、色々なことを経験し、反省したとしても、形は変わっても結局、元の体制に戻ってしまう危険性を秘めています。敗戦により、日本の帝国主義支配は終わりを告げましたが、徐々に経済戦争の波が押し寄せ、近年においては多くの企業戦士が諸国に進出し、そんな中、日本はエコノミック・アニマルなどという、不名誉な呼び名まで頂戴するようになりました。
 日本の現状を見るとき、昔と何ら変わらない価値観と視点の上に国が築かれているような気がします。神を認めず、進化論があたかも真理であるかのように教育の中で教えられている以上、なかなか「強いものに価値がある」という価値観は変化しないように思います。なぜならば、進化論は「自然淘汰」において進化のプロセスを説明しているからです。結局、それは弱い者は滅び、強いものだけが生き残る「弱肉強食」の論理だからです。
 現在、日本の全ての領域が揺さぶられ、今年のテーマは「崩壊」であると言われます。今、創造者なる神は日本の持っている価値観を砕き、新しい「神の価値観」を与えようとしているように感じます。今こそ真の神を求め、今まで人間が築いてきた視点ではなく、創造者が定めた視点へと転換する必要性を感じます。
「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。聖書」

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