崩壊が起こらない内に

新城教会牧師 滝元 順

ユダヤ人の小話に、『一人の男が摩天楼の頂上から足を滑らし落ちた。男が落ちる途中、ある人が中途の窓から顔を出して、「いかがですか?」と声をかけた。するとその男は、「今のところ大丈夫です」と答えた。』と言うのがあります。なんだか、日本の現状を見ると、まさにそんな感じがします。今のところ何とか大丈夫かもしれませんが、やがて日本の行き着くところは「崩壊」の二文字であるような気がしてなりません。どのようにしたらこの状況から抜け出すことが出来るのか、国民は真剣に考えなくてはならない時期に来ているように思います。
 「困ったときの神頼み」ということざが示しているように、日本人の宗教観の根底には、「宗教は自己実現の手段」という概念があります。オウム事件以前、日本は新新宗教ブームに沸いていました。しかし、事件後、国民は宗教に対する恐れを抱き、宗教的な事柄から身を退きました。そんな変わり身の早さにも、日本人の宗教観が現れているように思います。しかし現在、日本は何にも頼ることの出来ないような状況下にあります。長年誇りとし、頼ってきた経済は崩壊し、政治も混迷を深め、教育界にも問題が山積みです。それに加え、数年来続いている一連の自然界の変化や、大地震の恐怖も常に身の回りにあります。そんな中、神頼みにも戻れず、まさに、神にも見放されたと言わんばかりです。日本の教育においては、進化論が長年に渡って、あたかも真理のように教えられてきました。進化論は「自然淘汰の原理」を基本に理論を展開する無神論です。結果的に、進化論は国民の心に、生き残る手段としての自己中心的価値観を植え付けてしまいました。
 現在起こっている事柄は、創造者なる神からの日本国民への強いメッセージです。本来、人類を創造した神が存在するならば、「神を利用する」のでなく、「神に従い、神に仕える」のが最も重要な事柄のはずです。イエス・キリストに対する信仰の基本は、神を利用するのではなく、神に仕えることです。それも、強制的に奴隷のように神に縛られるのではなく、神が人類を愛されているように、神を愛するがゆえに仕えて行くことです。
 今こそ、根本的な価値観と世界観の改革が必要です。崩壊が起こる前に。
バックナンバー
戻る
戻る