子育てはなぜ難しいのか

新城教会牧師 滝元 順

 現代は、価値観の多様化と共に、何を基準にして子どもを教育したらよいのか皆目見当がつかない時代です。教育界も親たちもこのことに対して混迷を深めています。なぜ、子育てが難しい時代なのでしょう。
 その理由の一つに情報の氾濫が挙げられるのではないでしょうか。現代は一昔前とは比べものにならないほど短期間に子ども達は様々な角度から情報を吸収します。以前なら、一つのことを理解するまでに、ある程度の時間がかかったのが、現代の子ども達においては、親の助けを借りずとも、瞬間的に情報を入手してしまいます。その為、親が子どもに教えるという受け皿を用意する暇がないのです。肉体的には幼児期のはずの子どもが、すでに情報量的には青年期に突入していたりします。その為、両親の役割が果たされないまま、子ども達は成長するという側面があるのではないでしょうか。
 もう一つ、子ども達があこがれる世界の中に危険があり、子ども達を歪めているように感じます。それは子ども達が陶酔している人気テレビ番組やゲームの中に、オカルト的要素が多く含まれているからです。気を付けて情報を見極めないと、それは子ども達の人生に致命的な影響を与える恐れがあります。現在、子ども達の間に、理解しがたい精神的問題が発生していますが、その多くが、この領域から発生しているように私は感じます。
 しばらく前のことになりますが、人気アニメ番組、ポケットモンスターを見ていた子ども達が次々と泡を吹いて倒れた事件がありました。調査では、光の作用によって引き起ったとされましたが、何とも歯切れの悪い結論であったことは否めません。事件後、私はあるアニメ・プロダクションの方々とお話しする機会がありましたが、あのような手法はアニメ番組の中では一般的に使われていることで、ポケモンに限った手法ではないとのことでした。全国的にポケモンの番組を見ていた子ども達に、同様の現象が起こった背景には、何らかのオカルト的要素が含まれていた事も考えられますし、現代は、良きにつけ悪しきにつけ、同時に、全体的影響を受けるという、神からの警告のように感じます。
 キリスト教の土台は今から約二千年前に全て完成し、現代においてもその中に何の矛盾を見いだすことはありません。その土台が形成された時代と現代とを比べると、社会構造には多くの相違点があります。現代社会において常識である情報の伝達が、当時では数ヶ月、もしくは数年かかっていたかもしれません。印刷技術もありませんでしたから、聖書がすべての人々の手にあったわけではありませんでした。しかしながら、現在私たちの持っている信仰の基礎が、すべてその時点で完成されたことは驚くべき事実です。イエス・キリストを主として信じた者たちが、情報が不足している中にあっても、方向性を見失わずして完成に向かった秘訣は何でしょうか。それは、彼らが神の知恵によって支配されていたからでした。
 現代は当時とは正反対に、情報が多すぎて情報をどのように整理し正しく捕らえたらよいのか難しい時代です。必要な情報を正しく引き出し受け止めるためには、さらなる神の知恵が必要なのです。イエス・キリストに対する信仰は、子どもにも親にも神からの知恵を与えます。



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