戦場のクリスマス
新城教会牧師 滝元 順
 1925年に来日し、日仏学院長、聖心女子大教授などをつとめ、日本を愛し東京で生涯を閉じたカンドウ(1897ー1955)神父は、若いころフランス兵として第一次世界大戦に従軍しました。そして、戦場に咲く一輪のかぐわしいバラの花のような忘れえない事件が起こったのは、凍るようなクリスマスの夜でした。凍傷を防ぐため、からになった鮭缶に炭火をいれて靴に結びつけ、彼らはドイツ軍の塹壕へ手榴弾を投げていました。そのとき誰かが、ため息まじりにつぶやきました。「いまごろ故郷の教会では賛美歌を歌っているだろうなあ」「よし、俺達も歌おう」暗い中からはずんだ声が聞こえました。やがて彼の小隊の塹壕から小さなささやきのような賛美歌がわいてきました。それは野火のようにフランス軍の前線塹壕全体に広がり、大合唱へと変わったのです。すると、ドイツ軍の塹壕から投げこまれる手榴弾がだんだんと少なくなり、とうとうなんの爆発音も、苦痛にゆがむうなり声も聞こえなくなり、その夜は遅くまでフランス語とドイツ語の賛美歌が、交互に合唱されて続けられたのでした。
 クリスマスのイメージに「平和」があります。なぜ人々はクリスマスに平和を感じるのでしょうか。それには理由があります。初めの人類アダムとエバが神に背いて以来、何千年にも渡って神と人類の間には平和がありませんでした。しかし、イエス様の誕生は神と人との間に、再び平和をもたらす架け橋であったからです。同時に、人類は罪によって、悪魔の支配下に捕らわれてしまっていました。イエス様の誕生は人類を悪魔の支配下から神の支配下に勝ち取る勝利の瞬間であったのです。
 人生には多くの問題がありますが、問題の背後には悪魔の力が潜んでいます。そして、悪魔の力に人類は無力です。近代装備によって武装された最強の軍隊を差し向けてみても勝利することは出来ないのです。しかし、イエス・キリストの誕生は、人類が敗北し続けていた悪魔の力に勝利を与える為であったのです。
 さて、今のあなたの戦場は何処ですか。戦場のただ中でも、イエス・キリストの所に来るならば、その場に平和が訪れるのです。


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