いのちのパン
滝元順
新城教会主任牧師
滝元順
人類は本来、祝福されている

 

彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。          創世記5章2節                                    
 先日、一週間ほどアメリカの教会での働きの為に訪米しました。日本とアメリカを比べると、文化や生活面で大きな違いがあります。アメリカ人の生活は日本人と比べると、たいへん合理的です。銀行もファーストフードのようにドライブスルーで済ませますし、ガソリンスタンドのほとんどが、24時間セルフサービスで、窓ふきサービスなど一切ありません。しかしながら、生活や文化面での違いはあっても、これはすべての国に共通することでもありますが、国が抱えている問題はなんら変わらないという事実です。神は元々、人類を祝福して創造されたはずであるのに、人類はどこで間違ったのでしょうか。
 エジプトから脱出したイスラエルは、新天地カナン入国を前にして、創造主はモーセを通して次のように語られました。

『見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。                                                       申命記11章26−28節』

 ここで、祝福とのろいの分かれ道について教えています。「のろいの道の選択」とはどこにあるのでしょうか。それが、「ほかの神々に従って行く」ことであると聖書は教えています。どこの国においても、創造主から離れ、人間が手で作った神々や自分の力のみに頼って生きるとき、のろいの道を選択することになります。しかし、創造主なる唯一の神に従うとき、本来人類に与えられている祝福が回復するのです。
 あなたの前に神が現れて、「あなたに、祝福とのろいの二つの道が用意されているけれど、どちらを選びますか?」と問われたら、どちらを選択しますか?
 
 

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