進化論か創造論か?


滝元 順 牧師


 日本では多くの人が進化論を何の疑いもなく信じています。国全体が持つ進化論的世界観が、現在の多くの問題の原因となっているように感じます。進化論は生物の進化過程を「自然淘汰」によって説明します。それは強い種族のみが子孫を残し、弱い種族は姿を消したという説です。現代社会においては熾烈な競争があります。競争が科学の進歩に大きく貢献したことも事実です。しかし、自然淘汰によって自己保存を論ずる進化論が、歯止めの利かない競争社会を生み出しているような気がします。
 聖書は神がすべてを確かな目的を持って創造したという「創造論」に立っています。同時に、世界に不必要な存在はなく、すべてが補完し合い成り立っていると教えています。飛行機を構成する数え切れない程の部品の素材はすべて手を離せば落ちる物質ばかりです。しかし、飛行機は大空を飛びます。なぜでしょうか。翼があるから、エンジンがあるから、いや、パイロットがいるからでしょうか。確かに全てが必要です。しかしながら、飛行機が空を飛ぶ根本的理由は「人間の知恵」が飛行機に込められているからです。同様に、社会を構成する一人一人は大切な存在で、その人にしか出来ない役割を神は用意されています。しかし、それだけでは不十分です。社会全体に「神の知恵」が必要なのです。神の知恵が社会に導入される時、人類は本当の意味で飛び立つことが出来ます。その為には、進化論から創造論への転換が必要です。

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