友達はいますか?
滝元 順 牧師
 ある社会学者が、人は相手を三段階で評価していると言いました。それは「人間、機械、風景」の順序です。「人間」とは、その人にとって人間としてのつき合いを持っている集団を指します。「機械」とは、その人にとってなくてはならない存在ですが、機械でも代行できる集団です。たとえば、銀行のカウンターに座っている人はなくてはならない存在ですが、ATMでも同様の役目を果たします。そして、風景」とは、町を歩いている見知らぬ人たちのような集団です。それらは人間であっても、ただ街の景観の一部として評価しているというのです。さて、そのように考えると、私たちは果たしてどのぐらいの友人を持っているでしょうか。突き詰めて行くと案外少ないのかもしれません。
 ある時、暴走族グループに入っている一人の少年を訪ねたことがあります。その風貌と言葉遣いに多少とまどいを感じながら接したのですが、別れ際に、「君には何人ぐらい友達がいるの?」と質問してみました。すると彼は、「俺には、連れは多くても友達はいないよ」と寂しそうな顔つきで答えました。絶対に裏切らない、どんな状況の中でも支えてくれる友達が人には必要です。
 さて、教会は、赤ちゃんからお年寄りまで多国籍で、しかも、あかの他人ばかりが集まっていますが、皆同じレベルで、裏表なく人間づきあいの出来る所です。なぜならば、聖書にあるように、全ての人が尊い存在で、神から愛されている存在のだということに、お互い、気づくからです。

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