いのちのパン
滝元順

新城教会主任牧師
滝元順

心が癒されるために

 ニューヨークのある町工場に、ゴムでつくった中年男の人形があって、「腹が立ったときに殴れ!」と書いてあったそうです。この人形は工場主をモデルにしたもので、低賃金と苛酷な労働でいつもイライラしている少年工たちの腹いせのために、工場主自身が発案したものでした。ゴム人形は、毎朝毎晩のようになぐられ、すでに変形していたそうです。しかし、そのおかげか、工場主自身の方はいたって元気であったそうです。
 人には受けた傷を誰かに転嫁して癒されようとする機能があるのかもしれません。毎日のように報道され、社会問題としてクローズアップされている「虐待」も、虐待する側のほとんどに、過去、虐待された経験があると言われます。悲しい現実ですが、心に受けた傷がどこかで完全に癒されないと、犠牲者はあとを絶ちません。聖書に次のような言葉があります。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。イザヤ書53章」…これは、イエスさまの働きについて預言された、聖書の重要な一節であり、人類が受けるすべての傷を、神の子に転嫁することにより、完全に癒される道が備えられた事を意味しています。神は人類を創造した方であり、心の傷を新しい創造の力によって癒すことの出来る唯一のお方です。
 さて、どのようにしたら、心の傷が癒されるのでしょうか。傷の後ろには必ず、相手に対する憎しみがあります。心の傷と憎しみとはコインの表裏のように常に一体です。ですから、心の傷の癒しのためには、憎しみからの解放が不可欠です。神は言葉の中にエネルギーを与えました。呪いの言葉によって人は傷を受け、赦しの宣言によって心は癒されるのです。あなたを過去に傷つけた人を「赦します!」と宣言するのは、心の癒しにつながるのです。感情的には辛い部分があったとしても、ご自分の癒しのために実行してみて下さい。不思議な創造主なる神の力が働きます。
 次のように声を出して祈ってみましょう。「今まで赦すことの出来なかった○○さんを、イエス様の名によって赦します。私の心を癒して下さい!(アーメン)」

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