いのちのパン
滝元順

新城教会主任牧師
滝元順

人生街道

 自分の意志で生まれた人間は一人もいません。人生はふっと気がつくと、交通渋滞のひどい街道を走っているトラックを運転しているようなものです。道中、荷台には、次々と重い荷物が意に反して積み込まれ、それらは下ろされることなくどんどん増え続けるのです。エンジンは積み荷の重さのため奇妙なうなり声をあげ、常にオーバーヒート気味です。道は徐々に舗装道路から砂利道、そして、砂ぼこりに煙るラフロード、ついには片側が絶壁の細い道へと入っていきます。しばらくすると一緒に走ってきた仲間のトラックが、一台また一台とコースから外れ、その積み荷と共に谷底へ消えて行くのです。かすかな悲鳴を残しながら・・。「次は自分の番かもしれない!」常に不安を持ちながら、目的地もわからずただひた走る。人生を運転に例えてみるとこんな感じかもしれません。
 また、ある人は人生を砂時計に例えました。それも上の部分が隠された砂時計で、砂がいつ無くなるのかはわからないのです。毎秒毎秒、赤い砂を落とし続け、ある日突然、その赤い砂は尽き、砂時計は砕けるのです。
 進化論が言うように、人が全くの偶然によって発生し、やがてシャボン玉のように消えてゆく存在ならば、人生ほど空しいものはありません。いくら道中で成功しても、死によって消え去るものならば、人生の目的は何処にあるのでしょうか。
 宇宙に創造者なる神が存在するか否かは、私たちの人生観、世界観を全く異色に塗り替えてしまうはずです。聖書はハッキリと、「人は神によって創造された」と断言しています。創造主がおられるのならば、これは当然の宣言です。そして、我々が神によって創造されたのならば、究極的に人生は、「神のため」に存在するのです。そして人が創造主なる神を意識し始めるとき、人生の目的と使命は、神ご自身によって直接示されるのです。
 イエスさまは言われました。「わたしが道であり、真理であり、命なのです。」・・・イエス・キリストを知って走る人生街道は、目的地のはっきりした喜びの道となるのです。

今月の祈り(声を出して祈りましょう)
イエスさま。私に人生の目的と使命をお与え下さい。アーメン

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