いのちのパン
滝元順

新城教会主任牧師
滝元順

必ず「不幸」になる秘訣

 私は仕事柄、よく旅をします。今年の夏は北海道と沖縄の教会で奉仕しました。日本は狭いように見えても広く、北と南では気候も文化も習慣もかなり違います。北海道にはアイヌ民族と呼ばれる人々が住んでいます。彼らは古来から独自の文化の中で生活していましたが、幕府の同化政策により、現代ではその文化や習慣も薄らいでいます。また、沖縄は琉球特有の習慣が今でも多く残っており、本州とはかなり違った文化を形成しています。
 北海道に行ったとき、あるアイヌ民族博物館に立ち寄りました。そこではアイヌの血を受け継ぐ人たちが、受付や案内をしていました。その人達としばらく会話したとき、一人のアイヌ系の女性が、「私たちアイヌが、どれだけ差別され傷つけられたかを知っていますか?」と質問され、自分が幼い頃から受けた差別や嫌がらせについて涙ながらに訴えられ、かえす言葉もありませんでした。また、沖縄においても第二次大戦で受けた傷の深さと、今なお続く基地問題など、様々な痛みがあることを感じました。全国を旅して、「ここには問題がない」と言える場所はありません。そして、その根底に「差別」があるのです。
 「すべての国民が基本的人権を亨有し、法の下の平等」を保障している日本国憲法と、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とした世界人権宣言を基本理念としている国にもかかわらず、なぜ差別が絶えないのでしょうか。日本にある差別の種類を数えるなら、文化や人種の差別はもとより、部落差別、在日外国人、障害者、女性等への差別など、数えたらいとまがありません。歴史を見ても差別は強い憎しみを生じさせ、出口のない戦いへと人類を引きずり込んできました。私は差別の根底に、創造主なる神を認めない、「進化論」が深く関わっているように感じます。なぜなら進化論は、「自然淘汰」を基本としているからです。それは強い者だけが生き残る、弱肉強食の世界であり、自然に差別と憎しみにつながるからです。聖書はこの点に関して、「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」と勧めています。「互いに人を自分よりまさっている」と認めることが出来るなら差別意識は消え、違う領域に属する人から祝福を受けるのです。また、差別から生ずる憎しみに関しては、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」と憎しみの背後に「霊的存在」が関わっていることを教え、怒りの処理についても教えています。
 「差別と憎しみ」ここには「不幸の秘訣」があります。しかし、人が神に立ち返り、聖書の教えを基準とするとき、人生は変えられるのです。日本に現在求められているのは、「変革」よりもむしろ「新しい創造」です。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。新約聖書」

今月の祈り:声を出して共に祈りましょう。
「日本が差別と憎しみのない国となりますように。また、私の中からも、差別と憎しみを取り去ってください。悪魔の力から日本を解放してください。イエス様の名によって祈ります。アーメン」

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