いのちのパン
滝元順

新城教会主任牧師
滝元順

悪霊にだまされてはいけません!!

 日本人が拝んでいる神々は、金属、石、木、紙といった無機質なもので、自らの手で造ったものばかりです。自作の神を礼拝の対象としているのですから、落ち着いて考えてみたらおかしなことです。例えば、あなたの息子さんが、川から大きな石を拾ってきて、その表面に「父」と書いて家の中に持ち込み、父親を無視して毎朝その石に向かい、「お父さん、おはようございます・・・」と語りかけるようになったらいかがでしょうか。あなたは迷わず、息子を病院に連れて行くことでしょう。ある意味で、ほとんどの日本人が同じことを行っているのです。しかし不思議なことに、誰も「あなたの精神は大丈夫ですか?」と聞く人はいないのです。なぜでしょうか。それは、日本人は手で造った神々に、素材以上の感覚を覚えているからです。
 ここでよく知っていただきたいことがあります。「真の神とは、物の中に宿るような小さな存在ではない」ということです。
 先に述べたように、日本人が神として拝んでいるものは、素材的には無機質な石、木、金属といった命のないものです。しかし日本人が感じ取っているのは、その背後に関わっている「霊」を、持ち前の霊的感性によって捕らえているのです。したがって、それらを拝んでも、別に何ら問題があるとは考えないのです。日本人の間には、背後に何らかの霊的存在が潜んでいることを認める、「暗黙の了解」があるのです。しかしそれが、本物の神であるのか、悪霊であるのかについては、ほとんど考えもせずに、無防備に関わっているのです。聖書は、物体の中に霊が宿るような感覚を人に植え付け、神のような顔をして人をだましている、「悪霊」の存在について教えています。悪霊と関わるならば、結果として、思いがけない不幸が人生を襲います。そして、さらに恐ろしいのは、一度侵入した悪霊は、家系を住処とし、増殖し続けるという事実です。家系に不幸が連続して起こるのは、まさにそのためなのです。
 日本ほど、携帯電話が一般に普及している国もないのかもしれません。この文明の利器を、もしも、江戸時代の人々に使わせたらどんな反応をするでしょうか。たぶん、小さな電話機本体の中に「何者かが住んでいる!」と信じるでしょう。まさか、全く別の場所から電波を使って、誰かが話しているなどとは、夢にも思わないはずです。そのように信じ切った人を、携帯電話によって支配するのはたやすいことです。「俺は、この物体の中に住んでいる神だ!ひれ伏して拝め!」と伝えたら、きっと携帯電話を礼拝するようになるでしょう。その人が、「携帯電話の中には誰もいない、誰かが電波を使って外部から操作しているだけだ」と気づくまで支配は続くのです。
 悪霊が人をだます手口も、まさに同じです。物体の中に神が住んでいるかのような偽りを人に信じ込ませ、自分の思いどおりに人を操るのです。あなたがいままでに石や木、さらには仏壇などの手で造った神々に、何らかの霊感を覚えたならば、それは神でも、先祖でもなく、「悪霊」であり、「死の霊」なのです。それらに願い祈る結果は、恐ろしい「破壊と死」です。悪霊に騙されてはいけません!
 このだましごとから解放できる方は、イエス・キリスト以外にはありません。

声に出して祈って下さい。
イエス様、私の目を開き、悪霊のだましごとを見破らせてください。お願いいたします。
アーメン

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