おりにかなった助け


滝元 明 牧師
 私たちの大祭司(イエス)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。    ヘブル4章15〜16節

天地の創造主、偉大な神ご自身が今から二千年ほど前、罪と苦しみと悲しみの中にある私たち人類を救うために、神の栄光の御姿を捨てて、人間の肉体をとり、この世に来てくださいました。この方が主イエス・キリスト様でした。主イエスは貧しい大工の息子として生まれ、人々からさげすまれ、のけ者にされ、十字架の上に苦しみを受け、死んでくださいました。主イエスは「悲しみの人で病を知っており、人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちの痛みをにない、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれ、彼への懲らしめが私たちに平安をもたらす(イザヤ書53章)」とあります。
 この主イエスこそ、あなたの悲しみ、苦しみ、痛み、さげすみ、すべてをご存じで、助けることのできる神様なのです。しかも、心へりくだり、優しい救い主なのです。あなたもこのお方に、大胆に遠慮せずにあなたの苦しみ、問題をうち明けお祈りしてみませんか。必ず祈りに答えてくださいます。「イエス様、私を助けてください。」と声を出してお祈りしてください。


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