父の死
島尻さとみ

 いよいよ明日は旅立ちの日、希望に満ちていました。神への献身を決意し、沖縄から愛知県に学びのために準備をしていました。その前日3月31日早朝電話があり、「父の容態が急変しているので、すぐに来て欲しい。」との事。父は一年前から老人ホームに入所していて、週末は家に外泊して、日曜日は教会で礼拝して夕方には老人ホームに戻る生活をしていました。何よりも家族と共に食事をすることを楽しみにしていました。電話を受けて、老人ホームに着いた時にはすでに亡くなった父の姿でした。あまりに突然の事で、私は神様に「連れていかないで返して下さい。」と激しく泣き叫んでいました。朝、職員が起こしに行くとすでに息がなく、誰一人として臨終に立ち会うことなく天に召されたのです。顔がとてもやすらかで、寝ているようで今にも起きてきそうな感じでした。長年糖尿病に悩まされ、心筋梗塞で亡くなりました。昨日までは、冗談を言っては笑ったり話したり変わったことはなかったと職員の話を聞いて、余計悲しくて、ただ泣くばかりでした。そんな時に「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1章21節)の聖書の御言葉が心に響いて、平安に満たされ、慰められました。父は7年前に洗礼を受けて、クリスチャンでしたので、葬儀はキリスト教で、執り行いました。
 それから一ヶ月間、母と私の二人で過ごす時が与えられて、父の遺品を整理したり、思い出話をしては、共に泣いたり笑ったり、不思議と、母の心の中に変化が出てきました。つらかった事や苦労した事よりも、父との楽しかった思い出しか思い出されないと言うのです。神様のあわれみだと思いました。母は熱心な沖縄の先祖崇拝者で、ユタを信じていました。キリスト教も否定はしないのですが、真の神、唯一の神、イエス・キリストがわからずにいました。死んだら終わりだと思っていた母ですが、父の死を通して人は死んだらどこに行くのだろうと、キリスト教に心を開いて、毎週教会へ行くようになり、自ら「私もお父ちゃんと同じ天国に行きたい。」と言って、イエス・キリストの十字架が自分の罪の身代わりであったことがはっきりわかり、イエス様が三日目によみがえって今も生きて働いている神であることを受け入れて、口で告白し、6月に洗礼を受けクリスチャンになりました。ハレルヤ。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このこと事を信じますか。」(ヨハネの福音書11章25節〜26節)

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