「幸せ」
橋本夕子さん

 私は小学校の頃、毎週公園で行われていた子どもの集会に行っていました。その中で先生が「みんなの祝福のためにお祈りします・・・」と聞いた私は、幼かったので「祝福」って何だろう?と考えました。国語辞典で「祝福」という言葉を調べたことを今でも覚えています。祝福=幸せになること、では、「幸せ」とは何だろうと思い、調べてみると「祝福されること」と書かれていました。一体何が幸せなのだろうか?と幼いながらも追求し始めました。「嬉しいこともあれば、悲しいこともあったら、やっぱり嬉しい時が幸せ?」と思いましたが、幸せな時を継続することは難しいと思っていました。
 ある時、「イエス様の名前でお祈りしたら神様は願い事を聞いてくれる」と聞き、痛い時、欲しい物がある時、寂しい時・・・様々な時に、「神様。・・・・・・して下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」とお祈りするようになりました。神様が本当にいるならば、私の小さな願い事にも答えて下さると思って祈ってみました。そして、お祈りすると本当に祈りが聞かれたので驚きました。それまでの私は一年に何度か近くの神社に行き、手を合わせて拝んでいましたが、「拝まないと罰が当たる」ということで拝んでいただけで、何も変わらない日々でした。
 しかし、教会に行くようになり、イエス・キリストが十字架で私のすべての罪を赦して下さることを知り、お祈りした時から私の心に何とも言えない平安を得ました。私の行く所どこにでもおられ守って下さる神様に、いつでも何でも祈ることができ、心に平安をいただくことができる毎日、これが「幸せ」だと握りしめ、イエス・キリストを信じました。色々なことがありますが、神様と共にあり、いつも平安で幸せな日々が与えられています。

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