津島市在住 熊田竜郎さん

 私が聖書を繙いたのはミッションスクールに通っていた高校時代にさかのぼります。その当時は私にとって新たな価値観を持つ先生・仲間に触れながらも、 礼拝および聖書の授業の時間は、単なる一つの行事としてしか捉えられず、よもや信仰を持つことなど夢にも思っていませんでした。さらに「科学」を学び始めると同時に「論理的に説明できないこと」には益々無関心となり、自分への過信を強めていきました。しかし、その傲慢さが徐々に私の目前に大きな壁を作り、大きな絶望感とともに「科学」に対する自分自身の限界を感じるまでに至りました。ある日曜日の朝、母が毎月送ってきていた「小冊子の御言葉」にふと目がとまりました。その後不思議に昔無視を決め込んでいた礼拝に出たいと思い、この新城教会に導かれました。当初は半信半疑の思いでいる私を多くの方々に温かく迎え入れていただき洗礼を受けることができました。
 洗礼後はまさに日々が「恵み」で満たされています。最大の恵みは「生涯の伴侶を与えられたこと」です。現在の職は私としては納得して歩んできた「道」 でしたが、共有してもらう人には荷が重すぎるものと考えてきました。ところが主の導きで妻と出会い、自分の考えがいかに浅はかなものと痛感しました。主は私にとって考えつきもしなかった大きな祝福を与えてくださる方だと確信しました。これからは「隣人を愛して」主の愛に応えていきたいと思います。
 そして仕事の面においても接し方が変えられました。「科学」は真理を科学的な手法で見いだす学問です。その根本である「真理」=「神」は唯一だと思います。今はその唯一の「真理」を追求していく学問ができる喜びの中にあります。 
 今振り返って思うに、主に触れる機会をいただきながら無視を決め込む、人として最も大きな罪を犯してきました。しかし、そのような私を愛で受け止めていただき、新たな希望を持って生きる道を与えてくださった主に心から感謝いたします。

バックナンバー

戻る
戻る