み言葉を基準に

米丸 美咲さん

 四人兄弟の末っ子の私は、幼い頃、クリスチャンだった18才違いの姉に連れられて教会に行っていました。だから、イエス様の事はある程度知っていました。でも、引っ越しして姉と離れたために教会へ行けなくなりました。父に猛反対されていたからでした。父は、姉と長い間口を利かなかったり、姉のことを悪く言っていました。それでも私は父が間違っていると思っていましたので、高校生になると、また、教会へ行くようになりました。そして昨年そんなに姉を迫害していた父が、イエス様を信じて天国に召されました。あんなにキリスト教を嫌っていた父さえも救って、変えてくださったことにとても感動し、私もクリスチャンになりました。
 クリスチャンになって一番の変化は、良い事と悪い事の区別ができるようになったことです。今までは、人の悪口も平気だったけど、悪い事なんだとはっきりわかるようになりました。何をするにも、これは良い事か、悪い事なのかを聖書のみ言葉と比べて考えるようになりました。み言葉を学ぶようになって、考え方が変わりました。
 また、何か問題が起きた時も、まず、始めにイエス様に祈ることをしています。今は、友達や親族の救いのために、日本のリバイバルのために、そして高校卒業後の進路のためにもお祈りしています。



何でも祈る

滝元 与世夫さん

 僕の家族は、全員クリスチャンだ。だから、毎週日曜日には家族で礼拝に行って、一日中教会にいるし、他の曜日のいろいろな集会も参加している。友達から「日曜日遊べないなんて嫌じゃないか?」と言われたことがあるけど、生まれる前からクリスチャンホームだったことに僕は一度も、「いやだなあ」と思ったことがない。教会は毎週、日曜の午後も何かやってるから、むしろ教会へ行かない方がつまらないかも知れない。それに全国いろいろな所に行く機会が多いから、うらやましがられるときもある。
 今、ドラムを習っている。教会で、父がドラム、母がピアニストをしている影響もあるけど、僕も賛美を演奏するために何か楽器がやりたかった。もう1人のドラマーの人に教えてもらっているけど、すごくおもしろい。母は、僕が父と大変仲が良いのを、時々ひがんでいるけど、自分でも父や母の事まあまあ尊敬してるのかなと思う。
 聖書は時々読むのを忘れる日もあるけど、祈りは毎日している。何かある時は、ユースプレイヤー(中高生の祈り会)や、家庭集会とかでクリスチャンの友達などと互いに祈り合う。僕とクリスチャンじゃない友達との違いはほとんどないけど、あるとすればこの“何でも祈る”って事だと思う。祈る相手はイエス様という僕が信じている神様だ。



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