真理にふれたら

西村 浩司さん

 10年程前から、家内が新城教会へ行くようになりました。子どもたちも信仰を持ち始めましたが、特に、反対はしませんでした。
 一方、私は宗教に全く関心がありませんでした。しかし、誘われて教会へも行き、クリスチャンたちの清楚な交流にふれていました。家内たちも何かあると神様に祈り、落ち込んでもすぐに明るさを取り戻す、確かに以前とは違う事がわかります。そんな彼らを見る内に少しずつでしたが、私の内側も変化していました。
 ある朝、家内が私に言いました。「お父さん。昨夜、夢なのか幻なのかはわからないけど、眩しく輝く方が枕元に立たれてね、どこからか『偽りの神々を礼拝してはならない』と言う声がしたの。」家内は同じものを2回見たと淡々と話しました。何故か私にはそれがただの夢とは思えず、誰に勧められたのでもなく、今がその時だと確信し、その日の内に牧師先生とともに仏壇、神棚を焼却処分しました。
 家内はよく祈り、強い信仰を持っていましたが、洗礼は私と一緒に受けると決めていました。しかし、この事があった9ヶ月後です。急に家内が決心しました。「牧師先生、私洗礼を受けます。」牧師先生は、「ご主人は?」と言われました。すかさず私も言いました。「私も受けます。」後から聞くと家内はその日、自分だけでも受けようと決心していたようです。しかし、同じタイミングで私の心も決まっており、次の週夫婦揃って洗礼を受けました。
 家内とともに手を取って祈る日も増えていきました。12時前に帰宅した事がない程、酒なしでは一日が終わらなかった生活も変えられていきました。何よりクリスチャンになって一番良かったと思うのは、冠婚葬祭の素晴らしさです。簡潔な中にも、真理の流れている事が、参列者に感動となって伝わります。一昨年、私の父を天国に送りましたが、葬式にご参列くださった方の多くからそんな感想を頂きました。
 人生には、ごまかしや、まやかし事が多くありますが、真理は動かず、変わりません。全くの無神論者の私のような者を、強要する事は人にはできませんが、どこまでも色あせない真理は、何故かその目に止まり、心惹かれるものです。「真理はあなた方を自由にします」という言葉が聖書にありますが、私を覆って固まっていた物が真理にふれて、一枚一枚はがれ落ちたような気がします。
 前は分からなかったのが、今はよく分かります。イエス・キリストは真理です。



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