分け隔てのない神の愛
ーアルゼンチン宣教レポートー

四元雅也

 神様の恵みにより、6月15日から29日まで地球の裏側、サッカーとタンゴ、イグアスの滝で有名なアルゼンチンに行くことが出来ました。1980年代後半からアルゼンチンでは、キリスト教プロテスタント信仰が台頭し、クリスチャンが増えています。今回は、昨年まで新城教会におられたアルセ宣教師ご家族の母教会を訪ね、アルゼンチンのリバイバル視察と、奉仕のための宣教旅行でした。
 1982年のフォークランド紛争敗戦以来、経済が低迷しているためアルゼンチンでは、失業率が増加し、アル中、麻薬、売春等さまざまな社会問題を抱えています。そのような中、教会が人々の心の必要を受け持つ場所として社会に貢献し、社会もその功績を認めて援助さえもしていることを見ることができました。私たちが滞在したメンドーサという町のプエブロ・ヌエボ(新しい民)教会でも、麻薬やアルコールの中毒者を更生させることを目的とした、サドックというプログラムが持たれていました。この奉仕は、単に中毒症状を治療するだけでなく、彼らが社会復帰するために必要な技能養成や、精神面のトレーニングにまで及ぶもので、そのための施設を近々買い取る予定だということでした。そこには、さまざまな事情から酒や麻薬に手を染め、社会的にも疎外され生き場所を持たないでいた、10代から壮年ほどの男女約30人ほどが、夜9時頃から12時過ぎまで毎晩集まって、互いに励まし合いながら社会復帰を目指していました。彼らが更生するためには、行政でも様々な試みがなされましたが、効果を上げることが出来ず、教会の働きに委ねられている状況でした。私もその集会に招いていただいたのですが、彼らは輝いた顔で、イエス・キリストを信じる信仰によって中毒から解放されたと、口々に神様との出会いを話してくれました。傷ついて罪の中に沈んでいた彼らを変えたのは、紛れもなくイエス・キリストの愛と十字架の福音だったのです。教会では、そのような経歴を持った人たちに対して何の差別もありません。神様に等しく愛され、必要とされた人として互いに受け入れ合い、一緒に礼拝を捧げている姿に、人を分け隔てなく愛しておられる神様の愛を感じて感動しました。
 日本とアルゼンチンという、地球の真反対に位置する遠い両国でも、イエス・キリストを中心に見るとき、互いに何の隔たりもない、神様によって造られ、愛されている者たちだということを実感した旅でした。
   

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