不登校という泥沼から

有川 展洋さん
 私は6人兄弟の末っ子で両親に可愛がられて育ちました。冗談を言ってはみんなを笑わせるのが好きで、成績もまあまあでした。でも、特別な問題もなく送っていた学校生活が、中学三年になった頃の私に対するいじめをきっかけに逆転しました。自分でも何と言って説明したらいいのかわからない反発心や劣等感、辛さや怒りが心の中で交錯し、まるでヒューズが飛んでしまったかのような無気力状態に陥ってしまいました。学校へもピタッと行かなくなり、1学期の間、家に閉じこもっていました。しかし、家族の説得で登校を始め、何とか高校にも入ることが出来ました。ところが、高校でもまた同じ心境になり、何をするわけでもなく家に閉じこもっていました。その間、先生は何度も足を運んで下さり、このままでは進級できないという気持ちも手伝って、2ヶ月程で学校に戻りました。その後、私のために追試をし、親身になって下さった先生のお陰で進級もできました。しかし、今度こそ立ち直ろうと必死の思いで新学年を迎えたはずが、3日目から突然無気力状態に突入し登校しなくなりました。なぜだかわからず、自分ではどうすることもできませんでした。とうとう高校を中退せざるを得ませんでした。
 それからというもの、「自分なんかダメだ」「どんなに頑張ってもダメだ」と悶々とした最低の日々を送っていました。そんな生活が一年続いた頃でした。クリスチャンの母と、私も幼い頃から通っていた教会に、韓国の青年たちが2週間滞在するということを知り、何となく行ってみることにしました。韓国の青年たちも皆クリスチャンで、日本のクリスチャンとの交流と、宣教のためにやって来ていました。
 彼らはとても明るく、言葉は通じなくても、彼らと接しているとあたたかい愛に包まれるのを感じました。知らない間に、自分の疲れ傷ついた心が癒されていくようでした。
 あれ程までに私を縛っていた「無気力にさせる何か」がどこへ消えてしまったのか、私は足繁く教会を訪れるようになりました。そして韓国の青年たちの持つ深い愛が、イエス・キリストから与えられるものだとわかるのにそんなに時間はかかりませんでした。
 どうしようもない泥沼から引き出され、私を愛し喜んでくださるイエス様を信じてからは、うれしくてうれしくて、過去の事など気になりません。むしろ不登校があったからこそイエス様に出会えた、「自分は幸せ者だなぁ」と、いつも思っています。


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