HOME > メッセージバックナンバー > 2012年バックナンバー > 1月 > メッセージ2012年1月29日

『新しい年に期待せよ!パート4』

2012.1.29(SUN)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇127篇

『主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。』


   ハレルヤ!みなさんおはようございます。今日はこうしてみなさんの前で奉仕させていただけますことを、心から感謝致します。一月最後の週となりましたけれど、今日のメッセージのタイトルも「新しい年に期待せよ!シリーズ」「パート4」です。このまま一年間、進んで行こうかとも思いますけれど、そうしますと新しい年ではなくなってしまいますので、今回くらいで打ち止めかと思っていますが、毎回タイトルは同じですが、主題の御言葉は違います。

 みなさんにお祈りしていただきまして、無事にペルーでの働きを終えて帰ることができまして、心から感謝をしています。ペルーへ行く前後も大変忙しくて、韓国から帰って来て、一日こちらで奉仕をさせていただいて、すぐに東京集会に行ってペルーへ行きました。
韓国から帰って来ましたら、家内が風邪を引いておりまして、咳をして熱が出て大変だと言っていました。「移ってたまるもんか!」と思っていたのですが、日曜日になったら、私も咳が出て、喉が痛くて、あれあれという間にペルーに行ったのですが、すっかり風邪を引いておりました。向こうに着きましたら、鼻は出るは、咳は出るは、熱はあるは、時差はあるはで死にそうでした。けれども守られて、十日間くらいの旅でしたが、祝福されて帰ることができました。心から感謝します。
 みなさんの祈りによって、キリストの体の支えによって、無事に奉仕ができるのだと思いました。「俺は健康だから大丈夫だ!」なんて、時々高ぶった思いを持ったりしてしまうのですが、やはり人間は弱いものです。風邪を引くこともあります。
 今、インフルエンザが流行っているみたいですけれど、私たちは地を這う生き物を支配できる権威があるはずですから、私は、インフルエンザのウイルスやばい菌も支配できるはずだ、と信じています。今日は風邪のウイルスさえも支配する礼拝になったらいいなと祈っています。

 先週の日曜日はペルーのリマで、新城教会で救われて帰国し、信仰を守っておられる方々を集めて礼拝を持ちました。メッセージに入る前、少し写真をお見せしたいと思います。

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 これはペルーのリマの景色です。ペルーは現在、経済的にすごく発展しています。ペルーは経済が好調で、訪れる度に変わっています。

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 先週の日曜日は、「日秘文化会館」という場所を借りて礼拝を持ちました。毎年、この場所に集るのですが、新城教会で救われたなつかしい方々が集まってこられます。

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 本当に大勢の方が来られました。

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 この方は八時間かけて、トゥルヒーヨという街からバスで来られました。感動しました。十年前に新城教会でクリスチャンになって帰国されたそうです。申し訳ないのですが、私は覚えがないのですが、新城教会で洗礼を受けて帰国してすでに十年になるというのです。私たちが来るということで、夜行バスで八時間もかけて来られて、二時間くらいの集会に出て、また八時間かけて戻って行かれました。本当に感動しました。愛知県の片田舎で伝道していることが、こうして実を結んでいる事に感謝します。みなさんの祈りが、世界に拡がっているということです。

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 これは全員の集合写真です。新城教会のキリストの体として、ペルーでも機能しているのを見て嬉しく思いました。

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 私にちょっと似ていますが、下田宣教師夫妻です。今、ペルーで働いています。彼はリバイバル聖書神学校を卒業して、その後ペルーに宣教師として遣わされました。
 本当に人生は不思議なものだと思います。新城教会にインターナショナルの働きが始まったのは、今から二十年以上前です。ユニーの前でチラシ配布をしていた時、二人のペルー人の方々に案内して、ちょうどクリスマスの時期、教会に来られました。
二十年前、この近所には外国人はほとんどいない時代でした。ちょっと珍しさもあって、教会にお招きしたら、大勢のペルーの方々が日本で働いているという現実を知りました。それをきっかけに、ペルーの方々が教会に来られるようになりました。
 私たちはスペイン語なんて全然できません。それでも少しくらいスペイン語をということで、スペイン語の賛美歌を一生懸命練習して歌ったりしました。彼らは日本語ができない、私たちはスペイン語ができないと言う状況でした。そうしたらその中に一人、英語ができる人がいたので、英語からスペイン語に通訳してもらって、コミュニケーションするようになりました。
 通訳があるようになって、さらに大勢、教会に来られました。そうしたら皆、「この教会はカトリック教会ですね」というのです。「いや、プロテスタント教会ですよ」と言うと「いやいや、カトリック教会だと聞きましたよ」と言うのです。
なぜかというと、通訳の人がカトリックだったので、すべてカトリック用語で通訳していたのです。それで多くの人が集まったこともあったのですが、それに気づいた頃、また新しい通訳が与えられ、今は牧師も与えられています。
やがて、リバイバル聖書神学校が出来て、本国、ペルーにまで宣教が拡がりました。不思議なことだと思います。
 きっかけは、ちょっとした事から神の業は現されるのだと思います。それをたぐり寄せて行くと、世界規模に拡がるということではないかと思います。

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 これは、ヌエボ・パライソという地区です。下田先生夫妻が宣教している場所の一つですが、これは二年前に撮った写真です。始め私がここを訪れた時はたいへん劣悪な環境でした。リマは首都ですが、アンデスの方から仕事がなくて経済的に大変な人たちが下りて来るのです。そして、住む所がないので、適当に空いた土地に、自分たちの小屋を建てて部落を作るわけです。電気もない、水もない、何もない場所に住み着くわけです。だんだん人が集まり集落として固まってくると、電気が引かれたりするのです。それでも一軒一軒に電気を引くことはできないので、みんな電柱に上って勝手に電気を自分の家に引いてきます。盗電というやつです。盗電が当然の場所です。

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 この場所に教会があって、いつも私は奉仕をするのですが、今年行ったら、かなりこの村は変わっていました。真ん中に公園ができて、すべり台があって、ブランコがあって、みんなの服もきれいになって、道が舗装されたり、なんかパライソにはふさわしくない光景になってきたのです。教会ができて、毎年のように子供たちを集めてこの村が変えられるように、霊的戦いの祈りをしていたのですが、感謝な事にだいぶ変わりました。それで下田先生はこの場所を現地の牧師に任せて、他の場所でも奉仕しています。

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 今回はジョー先生も一緒に行って奉仕してくれました。ジョー先生と私はアメリカで合流して一緒に行ったのですが、ジョー先生はスペイン語も日本語もできないので、ちょっと寂しい思いをさせたのですが、いろいろと奉仕をしてくださいました。フェルナンド先生は、日本語からスペイン語、英語からスペイン語、そして自分もメッセージをして、すごく大変でしたが、がんばってくれました。

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 今回はワチョという街で、霊的戦いの集会があるということで、みなさんにお祈りをお願いしたのですが、ワチョという街は、霊能者、霊媒師が本当に多いのです。周囲には何千人という霊媒師が住んで居て、毎年、霊媒師全国大会が開かれるのです。彼らは街の真ん中にあるスタジアムを借りて大会をするのです。この街の教会はまだまだ小さいのですが、同じ会場を借りて、そこで戦いの集会をしたいというのです。去年、そういうことを言っていたのですが、私は無理だろうと思っていたのですが、本当にやるというのです。それで街の教会は一生懸命準備していました。

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 これはラジオ局なんですが、ラジオ局といっても見てください。本当に放送は聞こえるのかい?というような感じのところですが、ラジオで集会の案内をしたりして、挑戦的な集会を準備していました。

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 今、ペルーは真夏です。こんな木が生い茂っていて、下が木陰になっています。「神様ってすばらしいな。こうやって暑い場所には木陰を与えて下さるんだ、枝が横に伸びる木を創って下さったんだな。愛の神様だな」と感じました。この木の下に行きますと、ほっとする感じでした。

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 これは街のFM局です。私たちはラジオでメッセージをしたりしました。畑の真ん中にあるラジオ局は、時間なんか関係ないのです。好きなだけやれ、というような感じで、結構楽しかったです。

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ここを会場として借りたのですが、一日、朝から晩まで借りても二万円という破格の値段で借りられたそうです。

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 私は講師なのでメッセージ中、写真を撮ることができませんでした。毎年霊能者たちが集まって、魔術をやる場所を勝ち取ろういう集会でした。

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 ステージなんか作って、なかなか大々的な集会でした。みんな、一生懸命準備していました。感動しました。

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 日本人から言えば時間がルーズというのですが、それが向こうの文化です。「夜七時から集会が始まります」というと、だいたいみなさんが集まるのが何時だと思いますか?全員集まるのは九時くらいです。開始もだいたい一時間から一時間半遅れます。最後になるとだいたい席がいっぱいになる感じです。

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 この写真は八時くらいしょうか。そのくらい、ゆったりしているのです。日本だったらどうでしょうか。十時半に礼拝がスタートなら、ピッタリに司会者が立ちます。向こうは決してそういうことはありません。それでも同じ二十四時間を生きているんだと、不思議に思いました。「郷にいれば郷に従え」というやつです。いらいらしてはいけないのです。「朝九時にお迎えに上がりますから」と言ったら、絶対に信用してはいけないのです。だいたい十時かなと思わないといけないのです。それでも私は九時半くらいに出て行ってしまうのです。これが日本人の悲しいところです。素晴らしい集会でした。写真を見たら伝わって来るでしょう。熱い集会でした。

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 本当に皆、真剣に主を求めていました。

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 みんなで踊って、本当に楽しい集会となりました。

 本大会は、金・土の二日間でした。日曜日は先ほどお見せした、帰国者の集会を終えて、もう一つ集会がありました。下田先生たちは現在、リマ郊外のインマヌエル地区で伝道をしています。地区の名前はいいです。「主が共におられる」という意味の場所です。でも、「どこに主がおられるんだ?」というような、殺伐とした場所です。ここリマの中でもかなり貧しい地域ですが、そこで彼らは伝道を始めました。
 なかなか、簡単にできることじゃないと思います。日本人がこういう場所に入って、スペイン語でみんなを集めて教会形成をするのは相当大変だと思うのですが、彼はそれをやっているのです。彼には根性があります。昔、彼は東京農大の相撲部のキャプテンでした。時津風部屋か何かに入ることが決定していたのが、けがで入れなかったという元相撲取りです。彼は、リバイバル聖書神学校で霊的戦いを学んだので、何しろ、地域をとりなしして、一人一人を霊的に解放する祈りから始めています。
 一年くらい前から始めたのですが、去年私はここに行って、「この場所に教会を建てたいので祈ってください」と言われたのを覚えています。私と雅也先生が行って祈って来ました。こんな場所です。

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 小屋が建っているような場所で、水も電気も下水も何もない所に人々が住み着いています。同じ場所に十年住んだら「土地はあなたの物になる」のです。土地のない方はペルーに行って、十年同じ場所で我慢してください。そうしたら自分の土地になるからです。好きなだけ自分で土地を確保して住めばいいのです。
 やがて、大勢の人たちが住むと、今度は部落全員でデモをするのです。政府に対して「ここに水を!ここに電気を!」とデモをかけると、政府が「しょうがねぇな」と言って、徐々にそこが都市化していくそうです。街というのはこういう風にできるのか、と知りました。

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 これが「マイホーム」です。

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 ここが「教会を建てたい」と去年言っていた場所です。ここに教会を建てる権利をもらったそうです。そして、今年は教会を建てました。

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 こんな感じです。夜だったので、うまく写真に写りませんでしたが、自分たちで会堂を建てたそうです。小屋みたいなものなのですが、もうすでにこの地域の人々が七十人くらい、集まっているのです。

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 今回、私たちが来るということで、その地区の人たちが一番いい服を着て出迎えてくれました。「なんだ。みんないい服着てるじゃん」と思って、「この人たちは上流階級の人かな」と思ったくらいです。私たちが来たということで精一杯、敬意を表し一張羅を着て礼拝に来られたのです。下田先生がびっくりしていました。「こんなの初めて見た。みんないい服を持ってるんだ!」と驚いていました。すごい衣装でしょ。

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 子供たちが真剣に賛美をして本当に恵まれました。

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 大人たちも一番いい服を着て、集会に来てくださいました。今回の集会、どこも良かったのですが、日曜日の夜の集会が私にとっては最高でした。スケジュールもほとんど終わった最後の集会だったので、私も疲れていて、次の日は日本に帰れるから、ちょっと嬉しくて「集会は適当でいいか」なんてちょっと思っていたのですが、この場所の集まりを主が祝福してくださいました。ある意味で貧しい、人の目から見離されたような場所に、主は目を向けておられるのだと実感しました。

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 その時、私が主から頂いた御言葉が、今日みなさんと一緒に読んだ詩篇一二七篇でした。もう一つ、写真をお見せしたいと思います。

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 リマには、ピラミッドがたくさんあります。ちょっとこれを覚えておいて下さい。写真は後からにしまして、御言葉を学んでいきたいと思います。詩篇一二七篇を読んでみたいと思います。

『主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。』

 まさにこのインマヌエル地区は、これから街を作ろうという、街作りの原点のような場所です。街を作る、家庭を作る、人生を建て上げる、国を作る、すべて、なんでも原点があります。そこから始まっていくわけですが、私たちが本当に良い家庭を作りたかったなら、すばらしい街を建てたいなら、また、国を作りたかったなら、その原則は同じです。どうしたらいいのか。そのことがここに書かれているわけです。

『あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。』

私たちの人生の土台、街の土台、家庭の土台も含めて、主が家を建てる、主が街を守るという、「主が私たちの中心となる」ことが一番大切であるということです。
 今回、私は、インマヌエルでメッセージをさせていただいたのですが、始めは他のメッセージを語ろうと思っていたのですが、語る前に、主が、詩篇一二七篇から語るように変更されました。それで、「どうしたらすばらしい街ができるのか」というテーマで語らせていただきました。
 その集会は本当に良かったです。聖霊様が強く働いてくださって、最後に招きをしたらみんな前に出て来て、主を求めて一緒に祈りました。
そんな会衆のただ中に、見るからに政治家っぽいというか、「この人は絶対にこの地域の人じゃないな」というような人物がいました。どういう人だろうか、とちょっと気になりました。でも、私は精一杯メッセージを語って、最後に招きをしたら、その人も前に出て来て主を信じたのです。背の高い人でした。
 どういう人かと聞くと、その人は、リマ市役所の人でした。そして、その地域の開発担当の人だったのです。そこに人が住み着き始めたので、どうやってこれから街を作ったらいいのかということで、この貧しい地域に入って調査する人だったわけです。その人には権力があって、その人の一存で、電気は来るは、水は来るは、なんでも来るという人だったのですが、その人がその集会の中にいたのです。その人はクリスチャンではありませんでした。私たちが日本から来るということで、誰かが集会に誘ったみたいです。
 なんとその夜、地域の開発担当者が詩篇一二七篇からのメッセージを聞いて感動したのです。
彼は「イエス・キリストの名前でこの街を作りたい!」と決断して、クリスチャンになる決断をしたのです。按手して祈ったら聖霊様に触れられてぶっ倒れて、しばらくは起き上がれませんでした。彼はたいへん喜んで、「これからこの教会に毎週来ます!」と言って帰ったのです。
 下田先生は「やったー!大物をゲットした!」と言って喜んでいました。神様はどこで、どのように働かれるのかわからないです。

 その時に、街を建てるにおいても、家庭を作るにおいても、イエス・キリストを中心としなかったら、その働きはむなしいと語りました。
 朝早く起きて働く、つらい思いをして糧を得るなど、人はいろんなことをするわけですけれど、その中に、主の守りと主ご自身の働きがなかったら、何をしてもむなしいのです。

 私たちの神はどういう神かというと、それは世界で一番強い神様です。この間一冊の本を読んだら、「少なくとも二つの条件を備えていなかったら、本物の神ではない」とありました。
 第一に「力強い」という条件を備えていなかったら神ではないというのです。この日本には八百万の神々といいまして、八百万くらい神がいるようです。世界の神々と合わせたら、世界中にどれだけ神がいるのかわかりません。けれども、どうせ信じるならば、最も強い神様を信じなければなりません、と話しました。みなさん、私たちの神様はどうでしょうか。世界で最も強い神です。

 歴史を見ると、いろいろと強い神が出て来ました。しかしある時、その強い神様が他の強い神様に負けて、姿を消すのです。
 旧約聖書はエジプトの時代を扱っていますけれど、エジプトにはかつてエジプト神話にまつわる神々がいっぱいいて、それが、世界で一番強い神でした。しかし、やがてエジプトも他国に占領されて、その神々も姿を消したわけです。歴史を見ますと、様々な神が出現していますがやがて、姿を消しています。
 日本の神様はどうでしょうか。日本神道を掲げて「大東亜共栄圏」と言って世界に出て行きましたけれど、結局、日本は負けたわけです。ということはどうでしょうか。負けたような神様を信じてみても、なんの効果もないということです。昔は強そうだったけれど、今は弱いならば、これは駄目だということです。

 そうして見ると、今世界で一番強い神様といったら、イエス様です。何しろ、イエス・キリストがこの世界で、一番強い神です。なぜなら世界の三分の一がキリスト教圏だからです。
しかし近頃、もう一人、世界には強い神がいます。それはイスラムの神です。今、世界を二分しているのが、キリスト教の神とイスラムの神です。
イスラムはどんどん勢力を伸ばしています。キリスト教を追い越すくらいに、力を付けて来たとも言われます。一説によれば、世界には現在、十一億人くらいのイスラム教徒がいて、どこの国でもイスラム教徒が増えているのです。南米に行ってもイスラム教徒が増えています。今イスラム教が本格的に入っていないのは、韓国と日本だけだそうです。中国にもイスラムが増えて来ました。この調子でいくと、イスラムの神が世界で一番強くなるかもしれません。困ったものです。
 それじゃぁ、イスラムに変わった方がいいのではないか、と思ってはいけません。神の条件は強いだけではいけないのです。神様は「強い」という条件ともう一つ「良い」という条件が必要だというのです。良い方か否か。「こいつは強いけど、悪いやつだ」といったら、つきあってはいけないのです。「強くて優しい、良い方」と言ったら信用出来ますが、強いけど悪いやつだったら駄目なわけです。
 イスラムの神はどうですか?この頃、力をつけているかもしれませんが、強いけれど悪いのです。イスラム教徒の家に生まれて、途中でクリスチャンになったらどうなるのか。イスラム法では殺されるのです。殺されてしまうのです。宗教を変えただけで、殺すような神、それは決していい神ではありません。
 イスラムの教典をコーランというのですが、コーランを焼いたら大変なことになります。死刑になるのです。クリスチャンを止めて、聖書を焼いて死刑になったなんて聞いたことないですよね。でも、コーランを焼いたら死刑なのです。

 今から十数年前に新城教会で一人、イスラム教徒がクリスチャンになりました。そして洗礼を受けました。洗礼の日、忘れることができません。彼はコーランを持って来て、我々の目の前で石油をかけて焼いてしまったのです。その頃私たちは何の知識もなかったので「やれやれ。イェー!」なんて言って喜んでいたのですが、あれは本当に恐ろしいことなのです。焼いたことがわかったら、死刑なのです。

 クリスチャンを止めると言って、今日家に帰って聖書を焼いたって別に死刑にはならないです。しかしイスラムは、そんなことをしたら即死刑です。ということは、どういう存在ですか。悪い奴です。強そうに見えても悪い奴は駄目なわけです。

 日本の神々は、力もないし悪い。ろくでもないですね。仏教の神はどうでしょうか。虫一匹殺せないような弱さです。そして、「救われたい」と言ったら、「あんたが自分で考えて」というようでは話にならんのです。
 どうせ信じるなら、強い神で良い神様です。そうなると、これは世界にイエス様以外にないわけです。みなさん、私たちは間違いないわけです。時代の中でどんなに迫害されても、キリスト教だけはそれをくぐり抜けて生き残り、最も強いのです。そして良いお方です。

 しかし南米で「キリスト教の神様は良い方です」と言うと「えっ?本当?」というのです。向こうでクリスチャンになるとは、どういうことかというと、ほとんどの人たちがローマ・カトリック教徒なのです。カトリックは日本の仏教徒みたいなものです。クリスチャンになるというのは、カトリック信仰を捨てて、聖書に戻るということです。だからキリスト教とは言っても「カトリック」が良い物なのか、悪い物かを話さなければならないのです。
 私はそのことについても話しました。人々は南米において一番強いのはキリスト教だと思っているわけです。でも、一番勢力を持っているのはキリスト教とは言っても、ローマ・カトリックです。カトリックは歴史の中で何を行ったかについて話しました。国々にカトリックが入って何が起こりましたか?
 日本も十六世紀にカトリックが入ったわけですが、豊臣秀吉が追い出したので良かったのか悪かったのか。私は良かったと思います。なぜなら南米は、カトリック宣教師により、当時住んでいたインディオは皆殺しにされたからです。そしてカトリック宣教師によって奴隷たちがアフリカから連れて来られたわけです。そしてポルトガルとスペインが入って来て、南米は占領されてしまいました。スペインやポルトガルは、南米にどういう人たちを連れて来たのかというと、本国から犯罪人を連れて来たのです。自分の国では手に負えない、泥棒や人殺し、凶悪犯たちを連れて来て、南米大陸に解き放ったわけです。だから国がおかしくなったわけです。

 そこで、「カトリックは何をしましたか?ペルーで良い事をしていないですから、よく考えてください。しかし、私たちが宣べ伝えている福音は、ただイエス・キリストです。」マリアでもなく、聖人でもない。「イエス・キリスト」です、と語りました。
イエス様はとことん良いお方でした。彼は政治活動をしませんでした。デモ隊を組織したわけでもありません。軍隊を組織したわけでもなく、王様になろうとしたわけでもありません。ただ、貧しい人たちの中に入り、悪霊を追い出し、病をいやし、愛を表したお方がイエス様です。「神の一人子、イエス様だけを見てください。彼は強いだけでなく、本当に良いお方です」と話しました。「イエス・キリストを中心として、街を作らなければならない!」と話しました。

 私たちも同じです。宗教のキリスト教ではいけません。なぜなら、プロテスタントもあんまり良い事をしていないからです。異教徒を殺したり、ユダヤ人たちを迫害したり、多くの悪いことをしています。政治と権力が宗教と絡むとろくな事はありません。私たちが信じているのは、まさしくインマヌエル、主が共におられる、イエス・キリストです。彼を中心として人生を築き上げていくならば、決して間違いはないのです。
 詩篇一二七篇二節に、

『あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。』

私たちの神はいつ働かれるのか、それは私たちが眠っている間に働いてくださるというのです。韓国に行きますと、朝早くから早天祈祷会がいあります。また、徹夜祈祷会もあります。私たちも県民の森で徹夜祈祷会をするのですが、もちろん早天も徹夜祈祷会も大切ですが、なんと神様が働いてくださるのは、私たちが活動していない眠っている間だというのです。
 今日、家に帰って眠る時は、楽しみにしてください。眠っている間に主は働いてくださるからです。インマヌエル地域の人たちは、時間を惜しんでみんな働いています。なんとか一旗上げようという人たちばかりですが、イエス・キリストを土台として人生を建て上げていくならば、寝ている間にも主は働いてくださると話をしました。マルコの福音書四章二十六節~二十九節、

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」』

 自然界の法則も、種を蒔いて実を結ぶまでのプロセスにおいて、我々が気づかないうちに種は成長します。神の国も同じだというのです。夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに種は芽を出して育っていくように、神の国も同じだというのです。イエス・キリストを中心として人生、家庭を作るならば、夜は寝て、朝は起きて、そうこうしているうちに拡がっていくのです。『主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。』とあります。私たちが主を愛しているならば、夜寝ている間に、主は必要な物を備えてくださるのです。
 今年、私たちは主に期待し、夜寝ている間に私たちのすべてを準備してくださると信じます。そんな一年にさせていただきたいと願っています。

 私は、その地域で話をしました。夜寝ている間にも神様は働いてくださると。そのためには何が必要か。「偶像をこの地域に絶対に入れてはいけません!」と話しました。「偶像が入ったら、主が寝ている間に働こうとする時、対抗してその働きを止めさせてしまいます。みなさんの家に、絶対、偶像を入れちゃいけません!」と話しました。
 そこには、多くの人が住み着いていますけれど、やはり人々は偶像を持ちこんでいます。それはマリア像だったり、キリスト像だったり、聖人像だったりと、カトリックの偶像がいっぱいあるです。「偶像を捨てる運動をこの地域で起こしましょう!」と話しました。
 フェルナンド先生が「順先生、すごいストレートな事を語るからちょっと心配した」と言っていましたけれど、偶像を全部なくしてイエス様を中心とした街作りをしたら、必ず、夜寝ている間に主がすべて備えてくださいます。

 人生も同じです。人生の中に、イエス・キリスト以外の神々を絶対に入れないことです。偶像があったら神の働きを止める側に働くのです。
 偶像とはただの像ですけれど、あれは悪霊を呼び出す道具なのです。みなさんも携帯電話を持っておられると思いますが、携帯電話を持っていたら電話がかかってきます。電話がかかってくるのが嫌ならば、携帯電話を解約したらいいのです。

 同じです。偶像は、悪魔、悪霊どもが人に持たせる霊的携帯電話のようなものです。多くの人が、財布の中に守り札とかそういう類を持っていますけれど、なにげなく持っていますが、あれは悪霊に持たされた携帯電話です。持っているだけで、悪霊からのコールがあるわけです。
 ということは、偶像を持っていたらどうでしょうか。神様がいくら私たちに良い物を与えようと思っても、水の泡になるのです。どんなに朝早く起きても、どんなに苦労しても、夜遅くまで働いても、偶像によって全て壊されてしまうわけです。偶像を私たちの家の中から取り除くことはたいへん重要です。まだ家族全員がクリスチャンじゃなくて「家にはたくさん偶像があります」という方は、早く偶像がなくなるように祈って下さい。しかし、自分に関わる偶像はすべて取り除くことが、新しい年、幸せに暮らす秘訣です。そして、三節からは何と書かれているかというと、

『見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。』

 今日も子供たちがここにいますけれども、子供たちは本当に重要な存在です。インマヌエルもヌエボ・パライソという村も、子供たちがいっぱいいるのです。走り回っているのです。すごい野性味たっぷりです。でも、大人たちは「子供たちよ、早く大きくなってくれ。早く大きくなって労働力になってくれ。」と考えているのですが、実は、彼らは家を守るために重要な存在だと詩篇は告げています。
 今日、新城教会にも多くの子供たちがいます。子供たちは神が備えた特別な世代です。彼らが機能する時『幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。』というのです。
 昔の街は城壁で守られていました。そこにはいくつか門があり、門から生活に必要な物資が供給され、人々は往来しました。しかし一方、戦争の時は必ずその門をめぐって攻防戦となりました。門を勝ち取ったら、街を勝ち取ったことになり、門を守るならば、街全体を守ることになりました。なぜならば門がすべての入り口になっていたからです。
 私たちの人生も同じです。人生にも門があるわけです。ある場所を守るならば全体が守られるけれど、ある場所が崩れると全てが駄目になるのです。そんな場所に誰を配備しなければならないかといったら、若者たち、特に子供たちだというのです。詩篇八篇を見ますと、こんな言葉があります。詩篇八篇一節~二節、

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』

 実は、キリストの体全体が守られるために、誰がその守りのために配備に就かなければならないのか。それが子供たちだというのです。
 一九九二年に聖霊が注がれた時、いち早く激しく聖霊が注がれたのが子供たちでした。彼らの霊的な目が開かれ、甲子園ミッションのとりなし手として用いられました。子供たちが主の勇士として立ち上がるように、今年は特に、キリストの体の中で子供たちに聖霊の油が注がれるように、祈りたいと思います。子供たちが主の勇士となるならば、家は守られます。街は守られます。国は守られますと告げているわけです。

 私はこのような貧しい村に行った時には必ず、一つの祈りをします。それは子供たちを集めて、子供たちが霊的戦いの剣をもらい、霊の目が開かれて、そこで戦うことができるように祈ります。そうしたら、未来は子供たちの手にありますから、彼らが門で敵と語るわけです。その時、決して恥を見ることがないのです。

 私は、この頃、主に祈っていることがあります。この新城教会にも子供たちが大勢になって来たのですが、今、いろいろな教会でチャーチスクールが始まっていますが、私はあんまりそういう分野には重荷がありません。やっぱりリバイバルのために、全力で働いて行きたいと思っているのですが、ただ一つ、将来主が導かれたら、クリスチャンホームの子供たちが学校に行く前に、託児所というか幼稚園というかなんと言うのかわかりませんが、教会で霊的戦いの勇士を作り上げて、霊的戦いのゲリラのようにして学校に送り込むなら、社会は変わると信じます。そういう養成所を作りたいと考えています。
 みなさん祈ってくださいね。この頃、多くのクリスチャンホームの子供たちが普通の保育所に行っていると思いますが、学校に行く前に、彼らが門で敵と語る時に恥を見ることがないに勇士に仕立て上げられ、社会に送り込まれて行ったら、相当リバイバルが進むのではないかと思うのです。
 この教会には保育士の免許を持っている人たちが大勢いますから、そういう人たちが働いてくれたらいいなと個人的には思っています。これが主から来たビジョンならば、きっと実現すると思います。

 しかし、今回私はペルーに行って、一つのことを祈らされました。それは特に、「子供たちを苦しめる悪霊を打ち破る祈りをしなさい」という事でした。そんなテーマがペルーに行く前からずっと私の心の中を巡っていました。今日は時間がないので、来週そのことについて語りたいと思うのですが、少し、その概要をお話ししたいと思います。みなさんにもう一度、映像を見せたいと思います。

 創世記十一章のところを前にもお読みしましたが、『全地は一つのことば、一つの話しことばであった。』とあります。昔は一つの場所に人は住んでいたけれど、街を建て、塔を建てたことによって世界中に散らされたと、前回お話したのですが、ちょっと図を見せたいと思います。

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 実は、聖書の記述と考古学の成果を比べてみると、矛盾していません。聖書の記述を裏付ける発見が考古学の分野で多くなされています。バベルの塔が建てられたのがどの辺かというと、今のイラク付近だと言われます。そこに世界最古の文明があったと言われます。みなさんご存じのように、それは「メソポタミア文明」と呼ばれています。メソポタミア文明はBC3500年、今から五千五百年くらい前に栄えたと言われます。その地域にバベルの塔があって、人類はそこから世界に散らされたというのです。
次にできた文明が「エジプト文明」です。これは大体、BC3000年ごろと言われますから、今から五千年くらい前です。この前私はネパールに行きましたけれども、次に形成された文明は「インダス文明」であると言われます。これはBC2600年ごろです。いろんな年代解釈がありますから一概には言えないですが、その後「黄河文明」と呼ばれる中国文明ができたわけです。
 このメソポタミアを中心にして、バベルの塔から遠くなれば遠くなるほど、文明形成の年代が新しくなるのです。こうして見ると、聖書の記述を裏付けています。日本人もこの流れの中で形成のされたのです。

 しかし今から十年くらい前、世界の考古学の常識を変えるような出来事がありました。その新聞記事をお見せしたいと思います。

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 「アメリカ大陸最古級の遺構か」と、四千八百年前の遺跡が発見されたのです。それを日本人が発見したのですが、先ほどの地図を見てみましょう。

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 年代がエジプト、インダス、黄河、段々と時代が新しくなるのですが、なんと、四千八百年前、紀元前二八〇〇年、ほとんどエジプト文明と同じ時代に、地球の反対側ペルーで文明が栄えていたというのです。
 「文明」と「文化」は違うのです。文化とはカルチャーといいます。カルチャーというのは、英語の「耕す」という「Cultivate」という言葉から出ているので、人々が耕している内に同じ考えがまとまるというものですが、「文明」とは「Civilization」、これは「Civilian」、軍隊なのです。文明はパワー、力なのです。権力の構造体が神殿を中心にして街を作ったというのが、古代文明です。
なんとエジプトと同じ時期に、ペルーのカラルという場所で大きな文明が栄えていたというのがわかって、今までの「四大文明」と言う定説が崩れてしまったのです。
 聖書は『神が人々を世界に散らした』と告げています。神がどういう方法を使ったのかは分かりませんが、同時に、人々を散らしたようなことも起こった証拠ではないかと思うのです。
エジプトに行きますと、最も有名なのがピラミッドです。そのピラミッドの原点が、バベルにあったと思われます。次の写真を見ましょう。

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 これはイラクのウルという場所にあるピラミッドです。これがバベルの塔の原型ではないかと言われています。これは時代的には少し新しいものですが、バベルの塔の時代から継続してピラミッドが造られたのです。次に、

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エジプトで一番古い、サッカラのピラミッドは階段状のピラミッドです。

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これはアメリカのイリノイ州、カホキヤという場所ですが、ここにもインディアンが造った階段状のピラミッドがあります。

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これはメキシコ。ここにも階段状のピラミッドがあります。

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そしてペルー、カラルにはこのような階段状の五千年前の古いピラミッドがあります。

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階段があります。それが何かといいますと、頂上が神殿だったのです。

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 なぜ神様がバベルの塔創りを「やめてください!」と中止させ、人類をばらばらにしてしまったのか。やはり一つのことが絡んでいたのではないかと思われます。
 実は、頂上の神殿で行われていたことが何であったかというと、生け贄を捧げる行為でした。その生け贄が何かというと、人間を生け贄として悪霊に捧げていたのです。そして特別な生け贄として、子供を犠牲として生贄としていたのです。
 聖書を見ると、アダムとエバが罪を犯して、その後、何が起こったかというと、カインとアベルが捧げ物の件で喧嘩して、アベルが殺されるのです。それは親のアダムとエバにとって、本当に辛いことだったと思われます。悪魔の策略の原点には、「子供を犠牲にして親を悲しませる」という策略があるような気がします。
 バベルの塔で何が行われていたかについては、聖書には詳しく記されていないのですが、このように考古学によって調べてみると、ピラミッドの頂上で何がなされていたのかで、バベルの塔の目的も予測できると思うのです。
特に、ペルーで最も盛んになされていたのが「人身御供」といって、人の血を流して生贄として悪霊に捧げる行為でした。その取り引きを通して、権力者がなんらかの恩恵を受けるというのが、当時のハイテクであったのです。重要な時には、子供を殺して悪霊に捧げるという悪しき行為がなされていたわけです。
 神がバベルの塔での行為に対して「やめてください。こんなことしちゃいけません!」と言葉をばらばらにし、世界中に散らした根源に、そのような行為があったのではないかと、私は推測します。
人類は愚かなことに、散らされてもなお、同じ行為を繰り返していたと思われます。それは子供たちを犠牲にする行為でした。その時の親の心境は、どんな心境だったのかと思います。

 そもそもアダムとエバの罪の結果として最初に表れたことが、彼らの子、アベルが死んで、兄のカインが凶暴な者となって放浪者になった歴史です。親のアダムとエバはそれを見て、どのくらい悲しかったかわからないです。
 子供を苦しめ、親もまた苦しめるというセットが、環太平洋にあるのではないかと思わされました。バベルの塔の最終着駅というのが、現在ある歴史的な資料からすると、ペルーのカラルとなります。
今回、ワチョで集会をやったそのすぐ近くにカラルの遺跡があります。あのワチョになぜ大勢の霊能者が今でもいるのか。それは元々、その場所が霊能者たちの住処であったからです。カラルの文明の時代から、神殿に仕える大勢の霊能者がその地域に住んでいたからでした。だから今でも、その地域の人たちはその子孫ですから、同じことをやっているわけです。
 私たちがペルーに導かれたということも、何か大きな目的があるのではないかと思わされました。バベルの塔の終着駅で戦うためかもしれない、と思いました。今まで、悪魔が子供を犠牲にして、親を苦しめる策略を全世界で展開してきたけれど、それを打ち破り勝利するために、私たちは遣わされたのかもしれないと思いました。今回のワチョのセミナーでは、そのことをお話して、地域の教会に共に戦い、祈って下さいと励ましました。そして、それを勝ち取る祈りをしました。

 ペルーでは、そういうたぐいの事件が後を絶たないそうです。一ヶ月くらい前も、一人のシングルマザーが、霊能者の所に行ったそうです。「私は金持ちになりたい。どうしたらいいですか。」すると、「おまえに子供がいるだろう。子供を悪霊に捧げたら幸せになれる。」と言われ、何をしたと思いますか。自分の八歳の女の子を縛り付けて吊して殺して、その血を悪霊に捧げるような事件が起こったのです。そんな事件が時々起きるというのです。

子供たちが苦しめられ、親も共に苦しむというようセットが創世の初めから、今まで続いている気がします。
 今回、主がこのような領域に祈りをおいて、子供たちが主の勇士となるために祈ってきなさいと語られたように思います。

 私たちは、新しい年に期待するわけですが、新城教会の子供たちが皆、祝福され、親・子という関係は、いくら親が歳をとっても子供が年をとっても変わらないわけですから、子供たちに問題があって、年老いた親が苦しむような悲しいテーマを打ち破らなければなりません。

 しかしイエス様の十字架は、そのテーマに楔を打ち込んでくださったのではないかと思います。父なる神様が、子なるイエス様をこの地上に送ってくださり、父なる神は「子が十字架にかかり苦しむ姿を見ることができない!」という苦しみを受けてくださいました。十字架を通して「これが初めで最後。親子でセットで苦しみを受けるテーマからあなた方は解放されるのですよ。これが十字架の勝利ですよ!」と語られているのではないかと思います。

 来週はまた、そのことに触れることができたらいいなと思っています。この日本において、親子セットで解放されて、『門で敵と語る時にも決して恥を見ない』という、すばらしい家庭が、街が、国ができたらすばらしいと思います。そのために私たちは新しい年に期待して、キリストの体が守られていくためにも、子供たちが主の勇士となるように祈りましょう。また、親という立場は何歳になっても親子関係を切ることはできないわけですから、親と子という関係の中で、主が大きな勝利を与えてくださるよう、祈り続けたいと思っています。

 最後に私たちは、十字架の血潮をいただいて、勝利を宣言したいと思います。イエス様が十字架にかかって血を流してくださったのは、父なる神の目から見たら、辛いことだったと思います。しかし、そのことが歴史の初めから今に至るまで、悪魔が持っている子供を犠牲にさせ、親を悲しませるというようなテーマを打ち破る、初めで最後の犠牲であったと信じます。私たちの街、私たちの家庭、人生を完全に守ってくださるようにも祈りましょう。一言お祈りいたします。

 ハレルヤ。父なる神様、御名をあがめて、心から感謝します。あなたが御子イエス様を、この地上に送ってくださったことによって、親子関係の中で苦しむことから解放され、永遠に主の元で生きることができるように、永遠のいのちさえも整えてくださったことを感謝します。『主が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい』とありますが、今日、私たちの人生の中心に、世界で最も強く良いお方である、あなたをお招きします。どうか私たちの人生を導いてください。今からの聖餐式の時、父なる神様、あなたの心を思いながら、私たちは聖餐にあずかります。イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。