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『山を動かす信仰』

2012.3.18(SUN)
新城教会副牧師 公畑フェルナンド
マルコによる福音書11章23節

『まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。』


  ハレルヤ!感謝します。先ほどのさおり姉妹の演奏はとても素晴らしかったです。私にとってとても懐かしい賛美でした。三十五、六年前にイエス様を信じましたが、今日演奏してくださった賛美は、とても懐かしい賛美でした。本当に感謝します。

 一年前にもここでメッセージを語らせていただきましたが、一年後のこの時、みなさんの前で御言葉を取り次ぐことのできるこの恵みを感謝いたします。私たち、またインターナショナルミニストリーに対してのお祈りを感謝します。

 一月には順先生と一緒にペルーに行って来ました。主な目的としては、順先生が招かれた霊的セミナーに行くことでしたけれども、本当に素晴らしい時でした。そして、ワッチョにある教会にも良い祝福の時でした。そして、その後で、新城にしばらくの間礼拝を守っていた兄弟姉妹の中で、今ペルーに帰っている方たちがいらっしゃいますが、その方たちと一緒に礼拝を持つことができました。そして、その方たちが向こうで元気に暮らしているのを見て、とても嬉しく思いました。こちらで信仰を持った人たちがあちらに帰ってもしっかりと信仰を持っているということを見ることができて本当に嬉しかったです。
 牧師としていろいろな兄弟姉妹にいろいろな問題について助けたりアドバイスをするんですけれども、そんな問題を抱えていた兄弟姉妹たちが向こうに帰って信仰にしっかり立っていることを見るというのは本当に喜びでした。今日、蒔いた小さな種が明日には大きな実になっているということはとても素晴らしいことです。

 今日お話しするのは、神様がこの教会に対して与えてくださったものです。そのタイトルが「山を動かす信仰」です。多くの方々はもうこの「山を動かす信仰」ということについて聞かれた方も多いと思いますが、私たちは毎日大きな問題を持っている者です。

 みなさんに質問したいと思いますが、人生の中に今日問題を抱えておられる方というのは、どれくらいいらっしゃいますか?手を上げなくても結構ですけれども。
 もし、あなたがその問題の山を持っているのであれば、このメッセージはあなたのためのメッセージです。今日、あなたは神様からの答えを持って帰ります。

 多くの人たちは牧師にいろいろな相談をします。そして、多くの方々が私たちにこうあって欲しいと願います。例えば、建築家であったり、弁護士であったり、借金している人の所に行く集金人であったり、医者であったり、心理学者であったり、精神科医であって欲しいと願います。私たちもその全てになりたいと願いますが、現実はそうはなれません。私たちは牧師であって、神の御言葉を実践する人に与えられる祝福を教えたいと願っている者なのです。

 今日は一つのテーマを教えたいと思います。それはあなたの人生を永遠に変えることができるものだと私は信じています。あなたが抱えている人生の問題について、全く動く様子のない山のようなその問題、その山はイエス様の名前によって動かなければなりません。あなたが持っているその問題の山を私は知りません。たぶん離婚の危機にある夫婦関係のことかもしれませんし、ちゃんと機能していない夫婦関係かもしれません。もう駄目だと思っているかもしれません。また、経済的な問題かもしれませんし、借金かもしれません。また、身体的な問題かもしれません。もしかすると、あなたは最近お医者さんから良くない知らせを聞かれたかもしれません。不治の病にかかっていると言われたかもしれませんし、遺伝的な病気で死ななければならないと言われたかもしれません。

 しかし、今朝、私が言いたいことは、あなたの前にある山が、どんなものであっても、あなたに信じる信仰があるならば、その山は動いていかなければなりません。多くの場合、私たちはその山のために祈っています。その山のために泣きます。主に心から叫び求めます。
 しかし、時にはその山のために祈り続ける必要はありません。私たちはイエス様が「その山に対してこうしなさい」と言われたことを行動に移すことが必要なのです。イエス様は私たちにその山に対して何をするべきだと言っているでしょうか。もう一度マルコ十一章二十三節を読みたいと思います。

『まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。』

 この御言葉の中に「言う」という言葉が、日本語だと二回、スペイン語だと三回言われていることを見ることができます。もし、あなたが聖書を良く読んでおられるなら、聖書の短い間に同じ言葉や文章が出て来る時には、それは神様が特別強調して言っておられるということをご存じなはずです。
 しかし、ここに出てくるのは、短い文章中ではなくて、たった一つの節の中に、日本語だと二回、スペイン語だと三回出てくるのです。ですから、ここには神の子であるイエス様が与えてくださっている鍵があります。
 それでは、その山を動かすための鍵とはなんでしょうか。それは「言う」ことです。あなたがその問題の山に向かってすべきことは、言うことなのです。あなたがその山に何をすればいいのでしょうか。言葉を発すること、また、命じることなのです。
 神様に祈ったならば、もう祈る必要はありません。次は、山に向かって命じなければなりません。もしあなたが恐れを持っているのであれば、恐れに対してこう言わなければなりません。「イエスの御名によって出て行け」と。「私の家から出て行け」と。「ここにいる権威はおまえにはない」と言わなければなりません。
 なぜなら、聖書の中には、神の子から来るもので恐れはないと書いてあるからです。もし病気を持っていらっしゃる方がいらっしゃるなら、病気に対して「どうして私の体にいるのか。誰が聖霊の宮である体に触れていいと許したのか。イエスの名によって私の体から出て行け」と言わなければなりません。
 ですから私たちはすでにイエス様が言われたように、山に対して権威を行使していかなければなりません。山に向かって命じなければならないのです。
 神の国は、神の御言葉を神様のように言う人たちのために動きます。驚かれるかもしれませんが、このことを言いたいと思います。神様は、あなたが流した涙の多さでは動きません。私たちがどれだけ多くの苦しみを受けたかということに対して神様は動きません。神様が働く時というのは、あなたの内に信仰を見られた時、その状況に対して前に出て行く姿勢を見られた時、そしてその山に対してあなたが命じた時に、神様は動かれます。
 あなたはその山に対して、「イエスの名前によって退け」と命じなければなりません。そのときあなたは一人ではなく神の御子の権威と共に命じているのです。
 神の言葉をあなたが発する時、信仰の言葉を発する時に、イエス様の権威があなたを助けます。イエス様の力が、イエス様の血潮があなたを守ります。すべて、神の国があなたのために動くのです。そして、悪魔は震え出します。なぜなら自分の最後が近いことがわかるからです。

 もう一度、御言葉に戻りたいと思いますが、ある日イエス様が移動中に、いちじくの木を見られて、そのいちじくの実を望まれたという記事が出てきます。しかし、そのいちじくの木には実がなっていませんでした。しかし、本当はイエス様がそのいちじくの実を食べたかったのではないのです。それでは、何をしたかったのでしょう。
彼は弟子たちにあることを教えたかったのです。それでは何をしましたか。イエス様はそのいちじくの木に向かって、言葉を言いました。ご自分の聖書でマルコ十一章十四節を開いてみてください。

『イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。』

 ここに、『弟子たちはこれを聞いていた。』と書いてあります。たぶん弟子たちはお互いに見合って困惑したでしょう。なぜなら、イエス様は木に向かって話していたからです。そして弟子たちがいちじくの木を見ると、そのいちじくは変わらず緑で、枝に葉が茂っていました。ですから、弟子たちはこう思ったと思います。「何も変わってないじゃないか。イエス様は頭がおかしくなったんじゃないか」と。
 しかし、次の日、またその道を通ると、イエス様が呪われたいちじくの木が枯れていました。ですから、弟子たちは驚きました。「イエス様!あなたの呪われたいちじくが枯れています!」と。イエス様は「なぜあなたたちは驚くのだ」と言いました。イエス様が言葉を言われる時、またあなたが神の言葉を言う時、その問題は根からやっつけられるのです。奥底から、枯れてしまうのです。それが再生できる枝だけではなくて、根から枯れるのです。

 私たちはイエス様が行われたことについて学ばなければいけません。私たちはその山に対して言葉を発しなければならないのです。もし、あなたが自分の山に対して言葉を発しないなら、その問題の山が逆にあなたに言葉を言ってきます。朝も、昼も、夜も、また夢の中でさえ、その問題はあなたに言葉を言ってきます。その山は静かにしていません。そして、ますますその声は大きくなってあなたを悩ませることになります。

 あなたはその山を自慢しなくていいのです。なぜかというと、時々人は問題を持っているといろんな人に「私はこんな問題があるのだよ」と話したがります。しかし、他の人にその問題を話すのではなくて、あなたはその問題の山に向かって言わなければなりません。「去れ」と命令をしなければなりません。イエス様の名前によって動けと命じなければなりません。
 もちろん祈る時があります。しかし、同様に、その問題に対して言葉を発すべき時があります。もしあなたに長い間抱えている問題があるなら、もう祈らないでください。そうではなくて、命じ始めてください。宣言してください。その山に向かって言ってください。そうするなら、イエスの名前によってその山は動かなければならないのです。
 ですから、今が言葉を発する時です。もし、私たちが信仰の人ならば、口を閉ざしていてはいけません。信仰が私たちの口から出なければなりません。例えば、祝福の言葉を言わなければなりません。まだ見ないことも私たちは宣言し始めなければなりません。そうすることによって、私たちは後になって、今見えないことも見ることができるようになります。
 多くの人たちはこの先、五年間の自分の人生はどういうものになるのだろうかと心配します。多くの人たちは占い師に会いに行ったり、手相を見てもらったり、お茶の葉占いとか、たばこ占いとか、そのようなものを信じています。
 あなたはこの先、五年間の自分の人生について知りたいと思いますか。それでは、今、私が言ってあげましょう。今日、あなたが言っていることがこの先、五年間のあなたの人生になります。今日、どんな言葉をあなたは言っていますか?病気になることですか?貧しくなることですか?不安ですか?それともこれから来る年は良い年になると言っていますか?二〇一二年、私にとってより良い年になると言っていますか?
 今年は、私は病気にならないと宣言してください。人は悪いことを宣言していながら、良い人生にしたいと願っています。しかし、あなたは悪いことを宣言していれば、良い人生を送れると考えてはいけません。もし、良い人生を送りたいのならば、正しく話す必要があります。ですから、病気に対して宣言し始めなければいけません。あなたの夫婦関係について宣言し始めなければなりません。あなたの経済的な必要についても宣言し始めなければなりません。アーメンですか?

 ダビデとゴリアテのお話をよくご存じかと思いますが、特に子供たちはサンデースクールでよくその話を聞くと思います。ゴリアテは大男であって、イスラエルの民を毎日なぶっていました。聖書によると、ダビデの兄弟たちは戦士で、戦いに出ていました。そして、ダビデの父が兄弟たちに食糧を持って行くようにダビデを送りました。そしてダビデが野営地についた時、何を見ましたか?そこにいた戦士たちが皆、戦いに対して疑いの念を抱いていました。みんなその大男について話をしていました。しかし、ダビデはそれを止めて言いました。「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか?生ける神の陣をなぶるとは。」この様にあなたが人と違う風に話す時に人々は黙ります。

 姉妹たち、みなさんは男性よりもよく話すのですから、この戦いにもっと簡単に勝つことができると私は思っています。ですから、一つお願いがあります。言うべきでないことを言わないでください。神の言葉を言ってください。旦那さんの将来について、子供の将来について、旦那さんの仕事について、教会について、街について、あなたの山を打ち負かす言葉を発してください。姉妹たち、旦那さんについて不平不満を言わないでください。不平ではなくて、逆に祝福を宣言してください。子供たちについてもそのように言ってください。あなたの家族の将来についても宣言し始めてください。アーメンですか?男性だけアーメンと言っているように聞こえますが。

 ダビデがゴリアテの前に出て行った時、ゴリアテは彼が小さいのを見て馬鹿にしました。しかし、ダビデは何をしたでしょうか。第一サムエル記 十七章四十六節、

『きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。』

 この話をよく知っている思います。皆さんはダビデが石を取って、石撃ちでゴリアテを撃ち殺したということはよくご存じだと思います。しかし、この四十六節、私たちは何も気にしないで通ってしまいます。その大男、ゴリアテを打ち負かす前に、ダビデはこの言葉をゴリアテに発したのです。もし、あなたがあなたの大男、巨人を倒したいのならば、あなたの山を打ち負かしたいなら、あなたの問題を打ち負かしたいなら、まず初めにその山に向かって話さなければなりません。

 天地創造のことを思い出してください。最初に「地は形もなく何もなかった」と書いてあります。神様はそこにいましたか?はい。そこに神様はいました。神様がいるということだけでは、何も変化はありませんでした。地は形がなく何もなかったと書いてある通りです。しかし、いつそこに変化が起きましたか?神様が言葉を発した時に変化が始まったのです。神様が「光よあれ」と言われた時に光が出来ました。神様が次々に言葉によって命令すると、そのようになりました。創世記の一章を読んでいただけるとわかると思いますが、そこには「神が仰せられた」、「神が仰せられた」と書いてあります。
 ですから、今、あなたが同じことをしなければならないのです。あなたの周りがまるで「形がなく何もない」状態であっても、イエス様の名前によって平安があるようにと宣言し始めなければならないのです。イエス様の名前によって祝福があるようにと宣言しなければならないのです。その貧しさが家庭から出ていくようにと宣言しなければならないのです。そして、繁栄が来るようにと宣言し始めなければならないのです。自分の体の健康、家族の健康が来るようにと命令しなければならないのです。もし、その変化が欲しいなら、それを始めるべきです。神様はあなたに目的を持っておられます。どんな問題の山もあなたをその神様の目的から遠ざけることはできません。
 しかし、そのためには、私たちは言葉を発する必要があります。宣言する必要があります。イエス様の名によって命ずる必要があります。
 この朝、みなさんにお願いします。どうぞその場に立ち上がってください。たぶんあなたは人生の中に問題の山を持っていると思います。今日この瞬間、この場所で、その山に向かって宣言をする時にしましょう。イエス様の名前によって「去れ」と命じてください。横にいる方は気にしないで、私たちの声を上げて、その山に対して命じましょう。イエス様の名前によって去るように命じましょう。それではしばらく、今からお祈りしたいと思います。その問題が自分の中から去っていくようにお祈りしましょう。
 
 主よ、今朝の御言葉を感謝します。私たちがその山に向かって命じなければならないということを教えてくださったことを感謝します。この朝、私たちはイエス様の名前の権威によって、それに命じます。そして私たちの問題に対して立ち向かいます。イエス様の名前によって、私たちの前に立ちはだかるその問題よ、今、動け!夫婦の問題、イエス様の名前によって、動け!イエス様の名前によって、私たちの家族の中にある、家庭の中にある問題よ、出て行け!私たちの子供たちの問題よ、イエス様の名前によって出て行け!この教会の中にある全ての問題よ、イエス様の名前によって出て行け!
 そして、今、イエス様の名前によって、私たちの家庭に祝福を宣言します。夫婦関係を祝福します。子供たちを祝福します。この教会を祝福します。教会の牧師やリーダーたちを祝福します。私たちの家族の経済的な領域についても祝福します。新城を祝福します。日本を祝福します。この日本にリバイバルを与えてください。地震と津波によって苦しみを受けた東北のために特別あなたの祝福を宣言します。それらの人たちの健康を宣言します。その人たちの回復を宣言します。この国に対して救いを宣言します。
 もしこの中に病気で苦しんでいる方がいらっしゃるなら、主よ、イエス様の名前によって、病気よ、その人から出て行け!イエス様の名前によって病気よ、出て行け!そして、上からの健康を宣言します。イエス様の力が私たち一人一人の人生を包むことを宣言します。イエス様の名前によって勝利者であることを宣言します。神様、感謝します。イエス様の名前によってお祈りします。アーメン。