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『あなたは「りっぱな」主の兵士です!』

2012.6.24(SUN)
新城教会主任牧師 滝元順
テモテ人への手紙 第二 2章1節〜6節

『そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。また、競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです。』


 ハレルヤ!みなさんおはようございます。今日はみなさんの前でメッセージを取り次がせていただけます特権を、心から感謝いたします。
 大変暑くなってきまして、じめじめしていますのでお体を大事にしていただきたいと思います。六月も終わりになり、もうすぐ七月になるのですが、六月の後半から七月にかけては、新城教会では一つの記念の時期でもあります。
 特に今年で二十年になるのですが、一九九二年の六月から七月にかけて、主がこの地域で霊的戦いを開いて下さり、地域のためにとりなして祈ることを教えていただいたからです。
 以来、教会あげてこの地域のために祈ってまいりました。そして二十年、戦いのテンションは下がるどころか、さらに盛り上がって地域のための祈りが為されています。それはまさに主の働き以外の、なにものでもないと思うのです。今日も午後から、地域のとりなしプログラムが組まれております。

 今でも忘れることが出来ません。昨日のように覚えています。九十二年七月九日の早朝のことでしたが、朝の六時頃、主が「地域に出て行って、街のために祈りなさい!」と語られました。これはその場所にいた者でないと、なかなかうまく説明できないのですが、預言的に、主が私たちを押し出してくださいました。
 それに先立ち一週間くらい、ずっと徹夜祈祷に導かれ、毎晩、スタッフたちが集まって祈っているただ中に、そんなことが起こりました。以来二十年、主が様々なことを示してくださり、今まで働きが継続されてきたことを、心から感謝します。

 私は先週、大変忙しく、いろいろな場所で奉仕をさせていただきました。先週の日曜日は京都の在日大韓京都南部教会において奉仕をさせていただきました。
 在日大韓教会というのは、大変伝統のある教会で、格式があって、静かな礼拝を守っています。なんで私がそんな教会に招かれるのかわかりませんが、韓国リバイバルミッションがなかったら、そういうことはなかっただろうと思います。
 霊的戦いが開かれて二十年経って、「働きが拡がったな」と感謝しているのですが、先週一週間の奉仕の模様を紹介します。

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 これは京都南教会の李先生です。大変イー先生でした。若くて情熱のあるすばらしい先生でした。

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 この教会は結婚式場かと思うほど立派な教会堂でした。熱く燃えた集会になりました。

 月曜日には横浜に移動し、横浜地区のアッセンブリー教団の婦人大会に初めて招かれました。そこには多くの先生方、ご婦人たちが集まりました。ここで霊的戦いセミナーをさせていただきました。聖霊に燃える集会となりました。本当に感謝でした。
 会場となった教会は「シティ・ビジョン・グローリー・チャーチ」です。日本語に直すと「街の幻・栄光教会」です。その教会の先生は増田先生です。

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私の良き友人であり同労者です。その教会の先生方は地域のとりなしに関して、また、霊的戦いに対して目が開かれていて、真剣に戦っておられます。
 「こういうすばらしい先生もおられるんだ!」と励まされました。また、「二十年経って、こんなに変わったんだ」と感謝しました。火・水と横浜で奉仕をして、木・金・土と日光に行き、三日間の断食祈祷聖会がありました。
 「先生は断食しなくてもいいですよ」と言われたので、食べて元気に語りました。断食したらメッセージができなくなっちゃうので、少し食べました。でも聖会には百人くらいが集まって、「これが日本の教会の集会か!」と思うくらい、熱い集会でした。

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日本も徐々に変わってきたな!という感じです。講師が良かったのかもしれません。そんなこといって、高ぶっちゃいけませんが。みんなリバイバルを求めて、真剣に祈っていました。

 これは、皆様がいつもとりなして祈ってくださっている結果です。新城でのとりなしの祈りが、こうして地方で行われる集会に結果として反映されるのです。不思議なものです。
 そして、私たちが他の場所で勝ち取って来た勝利が、教会の勝利になるのです。

 実は、私は今週、スペインに行きます。マドリッドに行くんですが、なんで行くのかというと、私が有名だからでもなんでもないのです。神様の働きはグローバルです。本当に不思議です。この教会にはいくつも不思議なことが起こっています。
 十数年前、新城教会に一人のペルー人男性が来ました。どこに住んでいた人かというと、ここからちょっと山に入って行くと、東栄町がありますが、そこに大きな養鶏場がありまして、その養鶏場で鶏を飼っていた青年でした。
 彼は新城教会でクリスチャンになって洗礼を受けたらしいのです。私が洗礼を授けたらしいのですが、海外の方々はその時多くいらっしゃって、あんまり覚えていないのですが、その人は東栄町に住んでいて、時々、愛知県民の森祈祷会に来て一緒に祈っていた覚えがあります。でも、知らないうちに帰国されました。

 彼には日本で二人の子どもが生まれましたが、ペルーに帰ってからもう一人の子どもが生まれました。しかしその子は大きな障害を持った子どもでした。ペルー中の病院を訪ねても「これはどうにもなりません」ということでした。
 そのような障害をもつ子どもたちのケアと薬がスペインで手に入るということがわかり、特殊な病気だったので政府が援助してくれて、一家は奇跡的にスペインに移住しました。
 彼は新城教会でクリスチャンになり、スペインに行っても信仰をずっと保っていました。やがて彼はスペインで牧師になり、伝道者となったのです。彼はなかなかパワフルで、いろんな所に招かれ、特に、ヨーロッパを巡回する伝道者となりました。スペイン語圏の人たちが、ヨーロッパには大勢住んでいるのですが、そこで用いられるようになりました。彼の名前はホルヘ君と言います。

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 このご夫妻、はじめは東栄町で鶏を飼っていた人たちでしたが、今はスペインで伝道者となって、大きな集会を導いています。
 彼はスペインで教会を開拓し始めました。五年前も彼の所に行ったことがあるのですが、彼は「どうしても霊的戦いをやっていかないと、スペインは変わらない」と言うのです。それで、「なんとか新城教会と結んで、一緒にやりたい」と五年前も言っていました。「でも遠いし、それはなかなか難しいな・・・」と思っていたのですが、今年になって、また彼からメールが来ました。「なんとか新城教会と一緒にやらせてください」と言うのです。それで私とフェルナンド先生が今回、行くことになりました。本当に神様の働きはすごいと思います。
 今回、彼が霊的戦いセミナーを主催するのですが、

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ポスターもすごいですね。戦争そのもののデザインです。スペインにまで霊的戦いが拡がってしまいました。

 日本の片田舎で何気なく働きをしているようですが、主が御業を現して下さっています。主は一人一人に訪れ、与えられた使命が実現していくのです。
 こうして考えてみると、二十年間、私たちは目の前に与えられた戦いを、ただがむしゃらに戦っただけですが、主自ら働いて下さったことがわかります。私たちは別に、スペインに教会を作りたいなんて思っていませんでしたが、ここで救われた人が不思議な方法で遣わされ、今では共に霊的戦いをしているのです。
 私がそこで奉仕をさせていただくなんて、これっぽっちも思っていなかったし、思いもよらないことでした。
 今では、世界とアジア諸国に仕えるように導かれています。まさしく主は私たちと共に働いておられることがわかります。
 この場所での祈りが、天において大きな領域を勝ち取っています。

 今日、みなさんと共に学びたい聖書箇所は、テモテへの手紙第二、二章です。テモテへの手紙は、使徒パウロが、自分の弟子であるテモテに書き送ったものです。特にこの第二の手紙は、パウロの獄中書簡最後のものであり、殉教を前にした彼の絶筆のような手紙ではなかったかと言われます。
 パウロは彼を後継者として励まし、伝えたいことを余すことなく述べているわけです。最初に二章一節を見ると、『そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。』と励ましています。
 時々、私たちもいろんなことがあって弱くなることがあります。人生の中にはいろんなことがありますから、「もうだめだ・・・」と元気を失うこともあります。しかし、ここでパウロは『キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい』と励ましています。私たちは「キリスト・イエスの恵み」によって、強められるのです。
 今日も、礼拝において、主の恵みが満ちています。この恵みによって強くなることができるのです。

 そして二節には、『多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。』と述べられています。
 パウロも一心に福音宣教のために、迫害のただ中で戦い続け、ローマまで行きました。けれどもパウロは自分に委ねられたものをテモテに手渡し、さらにその働きが拡大するように励ましています。テモテに『他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい』と勧めています。神の働きは、人から人へと委ねられ、拡大するのです。
 イエス様が天にお帰りになり、二千年くらい経ちましたが、人から人へと委ねられ、神の恵み、聖霊の力によってここまで伝達されてきたわけです。
 そして私たちも、次の世代に働きを委ねていくことを常に意識しなければならないのです。

 私も今年で六十一才になります。次の世代の勇士たちがさらに育っていくことを祈っています。すでに神の恵みの中、そのようなことが起こっていることを心から感謝します。
 先週の土曜日も、この教会でプレイズ・ミュージック・スクールが開講されていました。
 私は若い頃、グロリアシンガースというバンドを組んで、全国の教会を廻って奉仕した時代がありました。その頃は、ギターとかベースとかドラムとか、そういう楽器を使うと、「教会にはふさわしくない」と批判された時代でした。
 ですから、私たちがバンドを始めた頃、「彼らは悪魔の音楽を始めた」とか言われました。けれども、今では日本中の教会でギターとかベースとかドラム、キーボードが使われ主を賛美しています。それらを使っていない教会を見つける方が難しいくらいまで変わりました。
 先週の韓国教会も、午前中は少し静かめな礼拝でしたが、午後からはバンドが入って元気な賛美の礼拝をしていました。
 私が若い頃言われていたことは、どうなっちゃったのかなと思います。それは聖書の概念から出た意見というよりも、当時の文化的な習慣的な要素と関わりがあったことだと思います。
 でも、本当にあの時にいろいろと言われましたが、がんばってバンド活動を続けて良かったなと思います。それが次の世代に受け継がれ、今ではさらに若い人たちがそれを受け取ってくださっているからです。

 霊的戦いの働きも、同じように次の世代が受け取って、更に拡大させなければいけません。
 実はリバイバル聖書神学校で、九月から新しい企画が始まります。是非とも祈っていただきたいと思いますが、それはたぶん日本では初めてだと思います。もしかしたら、世界でも初めてかもしれません。それは「霊的戦い専門学校」を始めるからです。
 興味のある方は、ぜひ受講していただきたいと思います。新城で二十年前、霊的戦いを始めてくださった主は、二十年の間で様々な領域を開いてくださいました。それを、次の世代に託すために、また、日本中の教会が受け取るために、やはりそれを専門的に学ぶことが必要ではないかとずっと祈っていました。しかしなかなか忙しくて、いつから始めていいのかわかりませんでした。しかしこの度、リバイバルミッションの実行委員会の中で、それを始めることを決定しました。とは言っても、私がやるしかないのですが。是非とも祈っていただきたいと思います。
 今回も、私はいろいろな場所でその事を宣伝したのですが、「専門学校ならば入りたい!」と多くの方が言われました。もしかしたら、大勢集まるのかな・・・。集まらないのか、わかりませんが、皆が一途に聖霊に燃え、神の国の拡大のために働くようになったらいいと思います。

 三節には、『キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください』とパウロは励ましています。「キリスト・イエスのりっぱな兵士として」と、ただの兵士ではなくて、「りっぱな」という言葉がついています。
 ですから、今日はタイトルを「あなたは、りっぱな主の兵士です」としました。テモテには、「あなたはキリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください」と勧めています。
 イエス・キリストを信じるなら、皆、イエス様の弟子であり、皆が主の兵士です。しかしそんな中でも、「りっぱな兵士」と呼ばれるような者にならなければならないと、教えられるわけです。

 しかし、パウロが告げているように『私と苦しみをともにしてください』とあります。ある意味、日本の宣教もそうですが、世界中のキリスト教宣教は、苦しみと共に前進してきたといっても過言ではありません。
 キリスト教の歴史は、迫害と共に拡大してきました。これは本当に不思議なことです。世界宗教を見ると、権力者がある国を征服し、征服者の持ち込んだ宗教を押しつけ、拡大したものが多いです。イスラムはまさしくそうです。仏教もそうです。
 しかし純粋なキリスト教信仰は、迫害のただ中で拡大したのです。それは本当に不思議だと思うのです。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と、主は語られましたが、まさに、キリスト教信仰は、迫害されてもなお前進して来たのです。それは神の働き以外の、何ものでもないのです。

 ある意味で、私たちがイエス・キリストを信じるのは、「苦しみを共にする」という領域もあります。
 今日は感謝なことに、七名の方々がバプテスマを受けられます。うち、六名がクリスチャンホームの子どもたちです。これは次の世代に委ねる意味においても、大変嬉しいことです。若い時代に、イエス・キリストについて理解し、主の兵士となるために、自らの意思でバプテスマを受けるのは重要なことです。
 これは親の意向ではなく、子どもたちが自らイエス・キリストを信じてバプテスマを受けるわけです。

 しかしもう一人、Sさんがバプテスマを受けられます。心から感謝します。実は、Sさんは以前、洗礼を受けようとバプテスマ・クラスまで終了したのですが、その後、ちょっと迫害がありました。
 この地域の方ですから、やはりクリスチャンになるといろいろと大変なことがあります。きっと後から証をしてくださると思いますから、バプテスマの時には来ていただきたいと思います。彼にはいろんな問題がありましたけれど、この教会に来ていやされ、解放され、自由となったのです。それは誰の目にも明らかでした。
 しばらくしたら、ご家族の方々が菓子折を持って私の所に来られました。「どうもありがとうございました。主人は教会に行ってたいへんよくなりました。ありがとうございました」と言って、お礼のお菓子を貰ってしまいました。
 「良かったな」と思ったら、次に出た言葉はこうでした。「つきましては、良くなりましたから、これで教会との関係はおしまいにさせていただきます」と言うのです。
 「そんなことは言わないで、これからは家族で教会に来てください」と言うと、「いや、そんなわけにはいきません。我が家は代々仏教で、家族の中からクリスチャンなんか出たら、大変なことになります。教会に行って良くなったことは認めます。感謝しています。しかし、病院でも病気が治ってから、続けて行く人はいないじゃないですか。だから、治ったら教会もおしまいです。」
 そう言われたので、私はこう言い返しました。「病院でも定期検診がありますよ。教会の定期検診は、毎週日曜日です」と言うと、「何を言うんですか。これでおしまいです。」と言われて、ちょっと大変でした。

 Sさんが住んでおられる地域はたいへん古い地域です。その地域からもう一家族がクリスチャンになりました。そのご家族は両親と一緒に生活していたのですが、若夫婦一家がクリスチャンになったということで、両親が怒って、実家から追い出されてしまいました。Sさんも同じ地域の方です。
 これは大変だと思って、私たちはそれからその地域のために集中的に祈るようになりました。
 まさにイエス・キリストを信じると、「苦しみを共にしてください」というような、迫害があったり、苦しいことがあるのかもしれません。しかしそもそも、キリスト教信仰とは、戦いの中で信仰を守っていくことなのです。

 以前にもお話したことがあるのですが、イエス様が弟子たちを信仰告白に導かれたのはどこであったかというと、ピリポ・カイザリアという地方に連れて行って、信仰告白に導きました。

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 下の方の水色の所が死海。その上の水色の所がガリラヤ湖です。イエス様が活動されていた中心はガリラヤ湖周辺だったのですが、ピリポ・カイザリアは、そこからさらに北上した地域です。そこまで弟子たちを連れて行って、信仰告白を導きました。
 イスラエル旅行に行かれた方はわかると思いますが、だいたいホテルは、このガリラヤ湖周辺ですが、ピリポ・カイザリアツアーは必ずツアーに組み込まれていて、バスで二時間くらいかかります。バスでも「遠いな〜」という感じです。それはヘルモン山の麓でして、泉が湧き出ています。

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ここからガリラヤ湖が始まります。すごい量の水が沸き出ているのですが、わざわざイエス様はここまで弟子たちを連れて行って、「あなたはわたしのことを誰だと思いますか?」と質問しているのです。
 その場所がどこかというと、イスラエル旅行に行くとガイドさんは、このほら穴の前に連れて行って、「イエス様が弟子たちを信仰告白に導いたのは、このあたりです」と説明してくれます。
 そのことがマタイの十六章に記されています。マタイ十六章十五節〜十六節、

『イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」』

 弟子たちはそのように告白したのですが、この洞穴は、かつてはどんな状況だったかというと、イエス様時代はこんな光景でした。

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 今は洞穴しか残ってないのですが、
かつてはこんなでした。

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 実はイエス様が活動しておられたガリラヤ付近は、ユダヤ人の文化でしたが、一歩外に出ると、イエス様がお生まれになる前四百年間は、ギリシャの大王、アレキサンダーが各地を征服して、その時代のことを「ヘレニズム時代」と呼びます。ギリシャ風の文化を地域に植え付けたのです。
 ピリポ・カイザリアも、まさにそのような街でした。人々はギリシャ的な文化を受け入れて生活していました。
 ピリポ・カイザリアにはギリシャ神殿が建っていて、地域の人たちはこぞってこの神殿に礼拝に行きました。偶像礼拝がたいへん盛んでした。
 イエス様は偶像礼拝が最も盛んな地域に弟子たちを連れて行って、「わたしのことを誰だと思いますか?」と問われたのです。
 この地域のほとんどの人々は「このギリシャ神殿の神が救ってくれる」と考えていました。しかし、イエス様はそこにあえて弟子たちをそこへ連れて行って、「わたしのことを誰だと思う?」と聞いたのです。このような異教の神殿の面前で、イエス様に対しての信仰を告白させたのです。
 ペテロが代表して答えました。「あなたは、生ける神の御子キリストです!」と。「あなたこそ救い主です!」と答えたのです。

 みなさん、私たちの信仰告白も同じです。日本で、特にこの地域で、「あなたは神の御子キリストです」と宣言するのは、なかなか大変ですけれど、信仰告白の原点は、異教の神々が祭られている神殿の面前で、「あなたは神の御子キリストです!」と宣言することなのです。それが私たちの信仰告白の原点になければならないのです。

 日本において信仰を持っていくのは、なかなかしんどいと思っている方もおられるかもしれませんが、日本において福音に接し、信仰告白をするのは、最も聖書の原点に近い形で信仰告白しているのです。キリスト教国に生まれた人たちよりも、私たちの方がある意味、イエス様の持っておられた信仰告白の概念に近いのではないかと思います。
 ですから、多少戦いがあっても、パウロが『キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください』と語っているように、大胆に主の御名を告白していきたいと願います。
 力強く信仰告白した弟子たちに対して、イエス様は、マタイ十六章十七節〜十九節の言葉を語られました。

『するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」』

 先ほどの写真をもう一度見ていただきたいと思います。

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 これを見たらわかります。イエス様は、『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です』と語られました。
 ほとんどの人たちがギリシャ神話の神々を神として信じているただ中で、ナザレのイエスという人物に対し、「神の御子であり、キリストである」と告白したことは、驚くべきことです。それは普通ではないのです。
 その理解は、他でもない、「神ご自身が示してくださった」のです。「天にいます父があなたに示したのです」とイエス様は語られました。

 今日、ここにおられますお一人一人、日本の異教文化のただ中で「イエスさまが私の救い主!」と分かったのは、他でもない、「天の父なる神様が、あなたに示した」のです。
 「私は神様のことを、本当にわかっているのかな・・・」なんて時々心配になるかもしれませんが、すでに教会に来て、イエス・キリストに興味を持ち、イエス・キリストを救い主として信じた課程で、天の父なる神の導きがあったのです。導かれなかったならば、決してこういうことはありえないのです。

 イエス様は敵の面前で言われました。『わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません』と。「岩」とは、真の救いの岩、イエス・キリストを意味します。
 カトリックとプロテスタントの信仰告白の根本的違いは、この「岩」の扱いにあります。カトリック教会では、岩とはペテロとしています。ペテロの上に教会が建てられたと考えています。ですから、バチカンに行きますと、「聖ピエトロ寺院」という、ペテロの教会があります。「岩はペテロ、それが教会の礎石だ」と主張しているわけです。
 でも、私たちはそうは信じていません。ペテロによって人は救われません。イエス・キリストによって救われるのです。ですから、「岩」とは、「イエス・キリスト」でありキリストこそ「救いの岩」です。

 『この岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』とイエス様は語られたわけですが、今の写真を見ながら、この言葉を読むとよく理解できます。
 人々は、ぞろぞろと神殿の門をくぐって、洞窟の中になだれ込んで行きました。その時、イエス様は「ハデスの門だ」と言われたのです。
 「ハデス」とは、「悪魔、悪霊どもの住処」と神学事典を開きますと説明されています。ハデス、悪魔・悪霊どもの住処は、あのゲートに入ると落ち込むのです。それは「偶像礼拝がハデスへの門」ということです。
 人々はギリシャ神殿のゲートを通って、奥に入って行ったのですが、それがすなわち、「ハデスへ続く道」なのです。偶像礼拝が「悪魔・悪霊どもの住処に落ち込んでいく門」であると告げているのです。

 『わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません』というのは、教会とは、ハデスに落ち込んでしまった、悪魔・悪霊どもの奴隷となった人々を救出するために存在なのです。

 『この岩の上にわたしの教会を建てます』というのは、何を意味するのかというと、「イエス・キリストの上」という意味もありますが、同時にこれをよく見てください。

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 この背景にあるのは大岩です。イエス様の時代の人たちも、日本も同じです。日本の宗教の原点に「巨石信仰」があります。人々は大きな岩を神としていたのです。
 ピリポ・カイザリヤでは、カナン時代から大岩が神として拝まれていました。そこにギリシャやローマが自分たちの神を持ち込み、もともとあったカナン人の神とドッキングして、こういう状況が出来ていたわけです。
 この近所の神社も同じです。すぐ近くに「石座神社」という神社があります。それは大岩が神体です。それはもともと縄文人が拝んでいた神ですが、その後、稲作系の民族が入って来て、その神を支配し、神社としたのです。だから、石座神社という名前が残っているのです。
 全く昔も今も宗教的環境はあまり変わっていないのです。悪魔の働きは同じです。
 「岩の上にわたしの教会を建てます」というのは、このような偽りの神々を踏みつける形で、敵の力を打ち破るポジションとして、教会は建てられるという意味を含んでいると私は考えています。
 教会とは、そもそも、ハデスの門前に建てられ、そこに落ち込んでいる人たちを救出する軍事基地として建てられたのです。

 「教会」という言葉は、誰が作ったのかは知りませんが、漢字で書くと会衆を教えると書きます。漢字はおもしろいです。漢字を見ればだいたい意味がわかります。海外の方にとって日本語の難しさは、やはり漢字だと思うのですが、漢字を見たら意味がわかります。
 「教会」とは、「会衆を教える」と表記するわけです。昔は日本に教会はなかったわけですから、ある時、そういう言葉が作られたのです。
 英語では、「チャーチ」、ギリシャ語では、「エクレシア」ですが、それを日本語に置き換える時、誰かが礼拝に出たと思うのです。そうしたら、会衆が集まっていて、牧師が話をしている様子をみて、「なんだ。学校と同じじゃないか。先生がいて、会衆がいて、教えを聞いている。会衆を教える場所だ。そうだ『教会』にしよう」となったわけです。
 だから、「教会」という用語から受けるイメージは、クラス・ルームのようなイメージです。だから日本人は、「教会か。日曜日にまで勉強なんかしたくない」と思うわけです。しかし聖書の教える教会の原点は、クラスルームではないのです。

 教会は、大きな「家族」という意味もあります。しかしクラスルーム、家族という概念をさらに越えて、教会とは「戦いのために召し出された者たちの群れ」という意味です。
 旧約聖書の概念と新約聖書に描かれている教会の概念をドッキングさせると、「戦いのために呼び出された者たちの群れ」。まさにイエス様が「教会」について語られた時、異教の神殿の面前で「ハデスの門も、打ち勝つことはできない」と語られたように、教会は戦いのための基地として建てられたのです。
 エペソ三章七節〜十一節の言葉を私はよく引用させていただいておりますが、これはパウロが聖霊によって大きな奥義を知らされたのだと思います。

『私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。』

 神様は万物を創造されましたが、どれだけのアイテムを創造されたのかわからないくらい多くを創造されました。宇宙を眺めれば、どれだけ星があるのかわかりません。また生物も多種多様です。「魚」と一口に言っても、いっぱい種類があります。顕微鏡で水中を覗けば、その中にも小さな宇宙があるくらいです。
 あんなに多くを神様は造られましたが、そんなに造って、何をやりたかったのかなと思います。万物を創造された神が、世々隠していた奥義とは何でしょうか。
 それは何か。先ほど読んだ三章十節に記されています。『これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるため』とあります。それが、『神の永遠のご計画によること』であったのです。

 「天にある支配と権威とに対して教会を通して、神の豊かな知恵を示す」というのは、どういう意味でしょうか。「天にある支配と権威」とは、「悪魔と悪霊どもの組織」を指します。教会がその領域に対して、神の知恵を宣言するのです。
 神様が万物を創造した時、一番造りたかったのは教会です。では教会を造って、何をさせたかったのか。それは天にある支配と権威に対抗させたかったのです。これが教会の姿です。
 ということは、教会に属する一人一人は皆、「主の兵士」です。
 今日、教会に属しているということは、ただ単に大きなファミリーに属していること以上に、神の軍隊の一員であることに心に留めなければなりません。
 私は「神の軍隊の兵士の一員だ」と認識することは、信仰生活の中でたいへん重要です。

 教会に来て、いろいろな問題があったり、苦しみがあると「神様どうにかしてください。なんとかしてください~」と一生懸命祈ります。
 その時、すぐに祈りが聞かれる時もありますし、そうでもない時もあります。いろいろとあって、「信仰生活も大変だな~」と思うことがあるかもしれません。
 しかし私たちが神の軍隊の兵士の一員という認識を持つ時、様々な問題は消えていくと思うのです。

 日本には現在、徴兵制はありません。しかしお隣の国、韓国に行きますと、男性は十八歳から徴兵検査を受けるのです。そして、三十歳までに二年半くらい軍隊に入隊しなければならないのです。
 日本の若者と韓国の若者を比べると、やはり韓国の若者はしっかりしています。韓国には、引きこもりというような問題はあまりないと聞きました。その理由は、徴兵制があるからではないかと言われます。
 日本では十八歳くらいになると、「さぁ、これから遊ぶぞ~」と考えています。でも韓国に行くと、十八歳が近づくとみんな緊張するのです。なぜならば徴兵があるからです。
 どんなに裕福な家庭に生まれても、貧乏な家庭に生まれても、高校を出た男性は必ず徴兵されなければならないのです。
 その時期になると、やはり若者たちは緊張するのです。今まで優雅に遊んでいた生活を全て捨てて、軍隊に入るのです。軍隊の二年半の体験は、韓国人男性の中心的話題になると言われます。それはなかなか大変な体験だと思います。
 今日、この会衆の中で「私は旧日本軍の兵士だった」という方はあまり多くないと思いますが、その時代も同じだったと思われます。当時は「自分のことなんか構っちゃおれん」というか、軍隊がすべてでした。韓国では今でもそうなのです。若者たちは二年半、軍隊で鍛えられるわけです。時には敵の最前線まで出されるのです。今、韓国は北朝鮮とは休戦状態ですから、戦争が終わったわけではありません。ですから、常に小競り合いがあるわけです。若い兵士たちは、北との最前線に出され、敵の銃口が見えるくらいの位置にまで連れ出されます。
 軍隊に入ると、目的はただ一つです。それは敵と戦うことを訓練されるのです。しかしそれに集中する時、何があるかというと、衣・食・住の全ては国によってフル・サポートされるのです。 
 また、ちょっとでも健康に悪いところがあったら戦えませんから、最高の医療も提供されます。前線に出て戦えるように、完全にサポートしてくれるのです。
 兵隊というのは、戦いが目的で、それが最初で最後の目的です。そのことに集中する時、国がすべてをサポートするのです。何の心配もないのです。
 朝起きれば、朝ご飯はできているし、昼になれば食事もでてくる、すべてが整えられ、除隊した時にはなんと、通帳には貯金まで貯まっているのです。

 私たちの信仰も同じではないかと思います。教会とはどういうものか。教会は、ハデスに落ち込んでいる魂を救い出す、神の軍隊の基地です。一人一人が主の兵士であると認識するならば、それが神の創造の目的でもあり、神が最も熱意を持っておられることですから、これを意識すると、衣・食・住、経済から健康に至るまで、何から何まで、フルサポートして下さると思うのです。
 案外その辺のところが、日本の教会はぼけているのではないかと思います。

 私は前にも話したことがあるのですが、沖縄のアメリカ軍基地で働いている兵隊さんたちの教会に奉仕に行くことがあります。初めて行った時、ちょっと緊張しました。東洋で最大の軍事基地である嘉手納基地があるのですが、そこに行きました。ゲートでいろいろとチェックを受けて、泊まる所も基地の中、食事もその中で、教会は兵隊さんたちが来るという設定でした。
 食堂に連れて行ってもらったら、横で戦闘機が試運転していて、すごい爆音でした。そんな横で飯を食べました。それはすごい世界でした。
 夜の集会で講壇に立ったら、来ている人たちの半分以上が私服ではなく、迷彩服を着ていました。
 私はそこでなにを語ったかというと、「私たちの戦いは血肉に対する戦いではない。霊的戦いだ」と話しました。
 戦争は、地上戦から始まると大きな犠牲と被害が出ます。敵がいっぱいいますから、地上軍が直接そこに入って行くと敵は活き活きしていて、ぼこぼこにされます。そうならない為には、最初に空軍が出て行って、爆撃して、敵をやっつけてから地上の兵隊たちが入って行くと、人的被害はなく勝利することができると話しました。それは信仰の世界でも同じだと。私は、「まず、空中の権威を持つ支配者、悪しき力を打ち破る霊的戦い、空中戦の後に宣教の働きをしたら、多くの領域を勝ち取ることができる」と話をしたら、みんな「ハレルヤ〜!!」と言って狂喜しました。
 集会は今日のように静かじゃなかったですよ。なぜなら、そこは空軍基地の兵隊たちだったからです。みんな空軍の兵士たちだから、そのことをよく理解していたのです。空中戦によって制空権を勝ち取らなかったら、戦争には勝てないということをよく理解している人たちでした。ゆえに、霊的戦いをよく理解してくれました。

 聖会が終わってから、いろんな方とお話をしたのですが、一人の体格のいい兵士と話をしました。彼は迷彩服に身を固めていました。私はいろいろと質問をしました。
 「あなたは空軍の兵士ですか?」「そうです!」「あなたは実際の戦争にも行ったことがありますか?」と聞くと、「ありますとも」と答え、「どんな戦争に行ったのですか?」と聞くと、「イラクにも行きましたよ。アフガニスタンにも行きましたよ。」そんな話を聞きました。
 「すげー。相当、いのちは危なかったでしょうね?」と聞きました。すると、「いや、それほどでもなかったですよ」と答えました。勇敢な人だなと思って、「あなたはどんな戦闘機に乗っているのですか?」と聞くと、「いや、私は空軍ですが、戦闘機には乗っていません。」と言いました。「何をしているんですか?」と聞くと、「私は厨房で、ひたすらにんじんを切っています」と答えました。彼は軍服を着ていましたが、コックさんでした。
 彼は、後方で兵士たちのために、にんじんを切って食事を用意する係でした。しかし彼の働きは、たいへん重要です。腹が減っては戦はできませんから。

 教会も同じだと思うのです。教会は敵の面前に建てられ、ハデスに落ち込んでいく人たちを助ける神の軍隊の基地ですが、そこにいる人たちには様々な仕事があるわけです。
 最前線に出て行く仕事もあれば、基地の中には、学校も、病院も、銀行も、スーパーも、娯楽施設も、なんでもそろっています。しかし、全体の目的は、敵と戦うということです。教会も同じで、教会はキリストを頭とする各器官によって構成されています。それぞれが結びあわされ、神の軍隊を形成し、見えない敵である悪しき力を打ち破るのです。その結果として、魂を救い出す場所なのです。

 私たちが、神の軍隊の兵士であることを意識し、認識する時、神様は、「おっ!おまえたちの教会は、奥義を理解したな。すべてをサポートしよう!」ということになるのではないでしょうか。
 やはり神様の真の目的を理解しないと、フルサポートしてくれないのではないかと思います。
 パウロは晩年になって、自分の一番弟子であったテモテに対して、『あなたはキリストのりっぱな兵士になりなさい』と励ましました。私たちも神の軍隊の兵士であることを認識すると共に、「りっぱな兵士」として、神の国の戦いに勤しんでいきたいと願っています。

 家に帰ったら、ぜひともテモテへの手紙第一、第二を読むといいと思います。すべて読むと、パウロの思いが伝わってくると思います。
 最後に一つ学んで終わりにしたいと思います。テモテに対してパウロが一章でこんな風に述べています。テモテへの手紙第二 一章三節〜六節、

『私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。』

 テモテは神様のために働いていたのですが、彼は、おばあちゃんのロイス、また、お母さんのユニケと同じ熱い思いを持っていました。それはおばあちゃんからしたら、孫のテモテに受け継がれていた信仰であったのです。
 私たちがイエス・キリストを信じ、自分の代だけで終わりではなく、次の代、新しい世代にも、その流れが受け継がれるのです。そして、与えられた賜物も受け継がれるのです。ということは、信仰には責任が伴うということです。
 私たちが純粋な聖い信仰を持っているのならば、次の世代も同じようになりますが、世の中と同化したり、神の前に正しくないと、それも次の世代にも引き継がれてしまうのです。
 だから、私たちは次の世代のためにも、純粋で聖い、ロイスとユニケが持っていたような信仰を持ちたいと願います。

 でも、この箇所を見ると、三代目のテモテは信仰が少し弱くなっていたと思われます。だから、パウロは「強くなれ」と励ましているのだと思います。その中で『私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください』と勧められています。
 誰にでも神から分与された賜物があるのです。しかし、それが燃えている人と燃えていない人がいるみたいです。放っておくと、このような時代の中に生きていると、賜物の火が消えていくのです。しかしそれを「もう一度聖霊によって燃え上がらせてください」と、パウロは勧めています。与えられた賜物の火が決して消えることがないように、燃え上がるように祈らなければなりません。

 今日、ここにおられるお一人一人、すでに賜物が与えられていますけれど、次の世代のためにも、純粋な信仰と賜物が聖霊の火によって燃え上がることを祈り、「あなたは主のりっぱな兵士です!」と呼ばれる者となるなら、新しい世代も同じように信仰を受け継ぐことができると信じます。

 六月、七月になりますと、二十年前のあの夏の熱い戦いを思い出します。特に設楽が原の戦いというテーマを中心として、主が霊的戦いを始めてくださいました。
 この地域は、一五七五年、大きな戦いがあって、数時間の戦闘で一万六千人が死んだという、近代戦にもないような大規模な戦闘でした。こんなことは、他の国にも起こったことがないというのです。設楽が原の戦いは、数時間で一万六千人が鉄砲で死にました。世界で同様な戦死者が出た戦いは、以後、三百年間もの間起きなかったと言われます。それほどの大量破壊兵器が実戦で使われ、「世界の戦争の戦略と戦術が、この戦いから変わった」とも言われます。
 「ここから侵入した死の力が街を覆っているから、街を勝ち取るために、神の軍隊として、霊的戦いの勇士として立ち上がりなさい」と二十年前に主が語ってくださいました。
 あの時、私は若かったのですが、主が聖霊を注いで戦いに押し出してくださいました。それからの二十年を振り返ると、本当に多くの奇跡を見させていただきました。
 けれども、これからさらに、ここに属する一人一人が、霊的戦いが始まったのをただ歴史の一コマとするのではなく、さらに燃え立たせ、この地を勝ち取るために、日本を勝ち取るために、世界を勝ち取るために、燃えていきたいと願っています。

 今日は、そのような決意を確認する礼拝となればいいと思っています。最後、みなさんでご一緒に、お祈りしたいと思います。私たちの中に与えられた神の賜物を再び聖霊の油注ぎによって、燃え立たせていただき、主の勇士として働いていくことができますように祈りましょう。「今私は主の兵士であることを宣言します!」と、しばらくの間、お祈りしたいと思います。
 今日は神の軍隊に入隊にする気持ちで、聖餐式を受け取りたいと思います。一言お祈りします。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。この地域に霊的戦いを始めてくださり、二十年が経過しました。あなたの守りの中で、今まで支えられたことを心から感謝します。
 主よ、教会は、神の軍隊の軍事基地です。私たちは兵士として加えられていることを心から感謝します。
 ハデスに落ち込んでいる人たちを救い出すために、私たちを用いてください。また、福音を閉ざしている暗闇を打ち破るために、私たちを用いてください。
 今日、イエス様の十字架の死を記念して行われる聖餐式を通して、もう一度私たちが主の軍隊の兵士であることを確認すると共に、りっぱな兵士となることができますよう、油を注いで、賜物を燃え立たせてください。尊きイエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。
アーメン。