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『収穫の時が来ました!!』

2012.7.15(SUN)
新城教会主任牧師 滝元順
マルコの福音書 4章26節〜29節

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」』


 ハレルヤ!おはようございます。今日はみなさんの前で奉仕をさせていただけます恵みを、心から感謝いたします。
 今も大変すばらしいピアノ演奏を聴きましたけれど、神の国を悪魔が攻めても絶対にゆるぐことはない、と力強く賛美されていました。主が私たちを守ってくださっていることを、心から感謝します。
 先週で新城教会に霊的戦いが始められて、二十一年目に入りました。本当に主に感謝しているのですが、この二十年間、様々なことがありましたけれど、主は私たちを守り、支えて下さいました。

 実は、霊的戦いが始まったのが一九九二年「七月九日」だったのですが、何をきっかけに始まったかというと、中高生の集会である「レッツプレイズ」を機に、地域のとりなしと、霊的戦いを始めてくださいました。
 それまで中高生の為の特別集会をやっても、クリスチャンでない人たちはほんの数名しか来ませんでした。いくら種を蒔いても、ほんの数名しか来ない時期が長く続いていました。
 しかし主が預言的に、「新城の中学、高校をよく見なさい。近くに、悪霊の働く拠点がいっぱいある。そこから人々に覆いをかけ、福音の光が輝かないように暗闇の力が働いている。まずは背後で働いている悪霊が打ち破られるように祈ってから、チラシ配布をしなさい。それから集会を持ちなさい。」と語ってくださいました。
 私はあまりピンとこなかったのですが、「まぁいいや、とりあえずやってみよう」ということでやってみました。
 それでレッツプレイズという集会をしたのですが、集会が始まっても誰も来ませんでした。「やっぱりな・・・」と思いました。私は牧師の息子で、あまり信仰を持つのが得意じゃありません。父は先週も「信仰」というメッセージを語っていましたけれど、「私は彼のような信仰を持つことはできない。しかし現実も知らなけりゃいけない」と思っていました。

 けれども集会が始まって二十分くらい経過したでしょうか。突然、どっと中高生たちがやって来ました。なんと普段では数名しか来ないのが、その日は新しい学生たちが八十人ほど来ました。びっくりしました。
 それでも私は、「こういうこともたまには起こりえる」と思いました。私は理工系の出身ですから実験が好きです。だから同じ条件で、もう一回レッツプレイズをやりました。多分、元に戻ると思っていたのですが、次は、なんと百名も新しい学生たちが集まったのです。
 そして二十年間、レッツプレイズという集会は、毎回、人の手によらずに学生たちが集まるのです。先週もありましたが、中高生が何人集まったかと思いますか?ここに写真がありますので、ちょっとお見せしたいと思います。

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 二百名以上集まりました。本当に汗臭いのやら、やかましいのやら、大変な集会でした。今回は、井草聖二君という二十三歳の若きスーパー・ギタリストが来てくれました。彼は牧師の息子ですが、すばらしい演奏を聞かせてくれました。
 集められた半分以上がクリスチャンでない子どもたちです。そこで私はメッセージを語らせていただきました。
 私はいろんな所で奉仕をさせていただきますが、年間を通して、もっとも辛い現場、それがレッツプレイズです。なぜかというと、彼らはあまりメッセージを聞く気がないからです。雰囲気は学校の教室と同じです。
 しかし、今回はみんな真剣にメッセージを聞いていました。「新城教会で起こったもっとも恐ろしい話」というタイトルで話しをしたのですが、恐い話なんかをするとよく聞きます。でも最後には「私はイエス様を信じます!」と二百人が大きな声で叫んで、御言葉の剣をもらって帰って行きました。
 これは、主が新城教会に霊的戦いを始めてくださり、その火が消えていない証拠です。

 私たちの信仰生活は、やはり先週も語られた様に、「信仰」が基本です。信じて前に進んで行く姿勢が大切です。
 グアテマラで日照りが続いたそうです。先週も雨乞いの祈りが語られていましたけれど、水がないのは大変です。日本は逆に水が多すぎて大雨で大変です。しかし世界を見れば、水がなくて困っている国って結構多いんですね。
 グアテマラで日照りが続いて、困ってしまったそうです。人々は教会に集まって祈ったそうです。その時に主が預言を与えてくださったというのです。現代でも神は私たちに語ってくださいます。みなさんは預言を信じますか?偽預言もあるので気をつけなければいけませんけれど、主が語ってくださる時があるのです。
 その時、「牧師の家の庭を掘れ。そうしたら水が出る。」と語られたそうです。ここ掘れワンワンじゃあるまいし、本当かな?と思った人もいましたが、とにかく困っていましたから教会のメンバーたちは、牧師の家の庭を掘ったそうです。
 しかし、五メートル掘っても、七メートル掘っても、水は出て来なかったそうです。そうしたらみんな文句を言い始めたそうです。「何が預言だ、水なんて出ないじゃないか」と。多くの人が不信仰になって、帰ったそうです。
 やがて掘って行ったら、なんと岩盤に突き当たってしまったそうです。するとみんな、ぼろくそに言ったそうです。「だいたいなんで牧師の家の庭なんだ。信徒の家の庭だっていいじゃないか。牧師が自分の為に井戸を掘らせる策略だ」と言って怒ってほとんどの人が帰ったそうです。
 しかし、岩盤に突き当たっても、諦めない人たちがいたそうです。彼らが岩盤と思われる周りを掘ったら、それはただの大きな石だったのです。まわりを掘っていったら、なんと水脈にぶつかり、水が湧き上がったというのです。
 「牧師の家の庭から水が出た!」ということで、地域の人たちはみんな水をもらいに来たそうです。それで、その村に大きなリバイバルが起こったというのです。
 村人が水をもらいに来た時、クリスチャンたちはその横で御言葉を読んでいたそうです。
 『「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」』
 この、ヨハネの福音書の言葉を聞かせたそうです。それで、みんなイエス・キリストを信じ、村にリバイバルが起こったという話を聞いたことがあります。

 まず私たちは信仰を持って、前に進んで行く態度が大切です。ある時には岩盤に突き当たるように見えるかもしれません。しかし主は語られたことを必ず、成し遂げてくださるのです。
 私は堅く信じます。一九九二年に聖霊が注がれ、霊的戦いが始まったあの日、「日本にリバイバルを起こしますよ!新城にリバイバルを起こしますよ!あなた方は真剣に、街のためにとりなし祈りなさい」と語ってくださいました。
 それから二十年が満ち、二十一年目に入りました。今日は二十一年目の最初の礼拝です。みなさんで主に期待しましょう!

 神の国の働きは、固く信仰を持って諦めずに掘り続ける態度と共に、その背後で、神は何をしてくださるのかについて、今日は学んでいきたいと願っています。マルコの福音書四章二十六節から二十九節にそのことが記されています。

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」』

 一方では「神の国は人手によらず、予想もつかない方法で拡がっていく」のです。それはちょうど地に種を蒔くようなもので、種を蒔くと芽を出して、初めに苗になって、穂になって、穂の中に実が入って、やがて収穫に至るプロセスを例にして、イエス様は神の国について説明されたのです。種が蒔かれた時、種はどこにあるのかわからないのですが、撒かれた種は芽を出して姿を現します。

 今は日本は雨期ですね。私はいつも日本という国は気候で損していると思います。私は先々週、スペインに行きました。「スペインはいいな。スペインに移住したい・・・」と思うくらい気候がいいです。一年中温暖で、今の季節は四十度くらいまで日中は温度が上がるのですが、日陰に入ると涼しいのです。朝晩は涼しくて、寒いくらいです。また夏は日が長いです。夜が明けるのは七時くらいですが、日没は夜の十時半くらいです。
 私たちはバレンシアという街にも行ったのですが、そこでは十一時くらいになってやっと暗くなりました。写真を少し見せたいと思います。

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 国土は広いし、気持ちのいい空。日本のどんよりした空と比べるといい感じですね。
 しかし、今日本は雨期ですが、雨期がなかったら作物は育たないんですね。教会の前も田んぼですが、田植えがされても雨が降らないと水不足でお米が出来ないのです。
 時には信仰生活も雨期のような期間とか、岩盤にぶち当たってしまうような時もあるかもしれないけれど、それも必要な時であり収穫に向けて、主は準備してくださっているのです。
 「人手によらず実をならせる」とありますけれど、私たちが信仰と共に進んでいく中で、一方では神が人手によらず準備をされているのです。

 私の家内の実家は種屋です。先日、家内はミニ・トマトの苗を買って来て育てています。私はそういうのはあまり好きじゃないんですが、やっぱり家内は蛙の子は蛙で、プランターに苗を植えました。
 私は「邪魔だな〜」なんて思っていましたが、全然関心ないうちに、だんだん大きくなりました。「あれ?いつの間にこんなに大きくなった?」すると、花が咲いたりします。私はトマトがなる前に白い花が咲くなんて知りませんでした。「こんな白い花が咲くのか!」と今年初めて知りました。ある人がすいかを見て「相当、太い木になるんだろう」と言ったそうですが、知らないということは恐ろしいです。
 でも、花がついたと思ったら、やがて実がつくのです。そして知らないうちに、そのトマトが赤く実っていました。ちょっと楽しみになりました。「明後日くらいには食べ頃かな。もう一日おいた方がいいかな」と思って、二日後、取ろうとするとないのです。あれ?どうしたかな?それは孫の語架が食べたのです。
 作物もあっという間に実を実らせます。誰も常に手を加えているわけではないのに、知らないうちに成長します。神の国も同様です。

 イエス様は、マルコの三章、四章、五章を通して、神の国の法則について話されました。以前そのことについてお話しましたので、そちらを参照していただきたいのですが、御言葉の種を良い地に蒔きさえすれば、知らないうちに三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶと語られました。そして、良い地に撒かれた種の結果がどこに記されているかというと、マルコ五章二十節、二十一節に記されています。
 五章の最初にゲラサで一人の悪霊に支配されていた男が解放されました。そうしたら、デカポリスという当時ヘレニズム文化の影響を受けた街が連合都市を作っていたのですが、連合都市全体に、イエス様は入っていかなかったのに、福音が浸透していったのです。マルコ五章二十節、

『そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。』

 イエス様は街々に入ることができず、帰ってくれと言われて、元の街に戻って行ったのですが、二十一節を見ると、

『イエスが舟でまた向こう岸へ渡られると、大ぜいの人の群れがみもとに集まった。イエスは岸べにとどまっておられた。』

とあります。イエス様が留守の間に、なんとイエス様の宣教の本拠地、ガリラヤの街々にも収穫の時が来ていたのです。人々はイエス様の留守の間に興味を持って、福音に耳を傾ける為に、港に大勢集まっていたのです。
 これは、「種が蒔かれると、人の手によらずに実を結ぶ」という、預言の成就であったわけです。

 今、私たちも日本のリバイバルの為の働きをさせていただいていますけれど、困難があって、なかなか打ち破ることができない岩盤があったり、雨期があったりと、大変です。
 しかし一方では、主が人手によらずにリバイバルを準備しておられるということを知らなければならないのです。

 私は二週間前、スペインに行きました。マドリードという街に行きました。先週はスペインから帰って来てすぐ、伊勢原という街の教会で奉仕させていただきました。また今週は、アメリカのワシントン州タコマで奉仕をします。二つの韓国教会と、ここでも奉仕をしてくださった竹内先生の教会でセミナーや聖会を持たせていただくことになっています。いろいろな場所に、主が道を開いてくださっている事を感謝します。
 スペインに行ったのは、本当に不思議な神の導きがあったからです。前回もそれについて、ちょっとお話しさせていただきました。
 新城教会自体の働きは六十年くらい経つのですが、そんな中で偶然かのように思われる事象の中に、人手によらない神の偉大な働きがあるのを見て、御言葉の確かさと、もう一度信仰を持って立ち上がる勇気を与えられるわけです。
 今回私たちを招いてくれたのはホルヘ先生という、今はスペイン人ですが、元々はペルー人の方でした。彼はかつてどこに住んでいた人かというと、今から十年以上前、新城教会に来ていた人でした。彼は新城教会で救われ、リバイバルされ、変えられた人です。
 今彼はスペインで伝道者をしていて、また牧会もしています。彼から「私たちの教会に来て奉仕をしてください!」と頼まれたので、今回行ったのですが、そこに行って「神様の働きは不思議だな・・・」とつくづく思いました。
 ホルヘ先生は昨年教会を始めたのですが、その教会の主催で、マドリードにあるスペイン人の教会とか、また、スペインは移民の国で南米の方々も多いのですが、南米系の教会の牧師やリーダーたちに呼びかけ「霊的戦いセミナー」を開催しました。彼が人を集めて、私とフェルナンド先生が奉仕しました。
 ホルヘ先生は、新城で救われて牧師になりましたから、今回の集会はいわば「新城教会主催」でした。ホルヘの教会の兄弟姉妹が、本当にきびきびと動いて、一生懸命に奉仕をしていて、たいへん感動しました。「不思議な光景だな〜」と。

 彼は日本で二年間過ごしていましたが、当時はあんまりいい人物ではなかったのです。彼は、ここから一時間くらい入った山の中、東栄町で働いていました。東栄町は、新城市の北側の所にある山深い町です。彼は町のはずれにある養鶏場で働いていました。それもビザがなく、不法就労だったのです。
 ある日突然、彼はいなくなりました。「あれ?どうしちゃった?」と聞くと、「彼は不法就労で捕まって、本国に送り返された」というのです。

 彼は強制的に帰国させられてしまったのです。しかし、そこにも神のみ手がありました。
 彼がペルーに帰ってから一人の男の子が生まれました。しかしその子の身体には大きな障害がありました。
 彼の名前はアロン君と言います。立つことも歩くこともできないのです。脳の病気で、放っておくと死んでしまう重篤な病です。ペルーではどうにも治療ができないということでした。しかしスペインには薬があって、医療費も国が補助してくれるということがわかり、彼はスペインに移住したのです。
 私たちはそんなことは知らず、彼が帰国した後は、二度と会うことはないと思っていました。

 しかし数年後、彼から便りが来ました。「今、私はスペインにいます。スペインで伝道者になりました」と連絡が来たのです。
 神様は時にはあまり良くないように見えることすら使い、ご自分の栄光を現されるのです。アロン君は、まだまだ大変な状況にあるのですが、ご夫妻はそれをものともせず、真剣に主に仕えています。

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 今回、スペインのクリスチャン新聞の記者も来て、セミナーを取材してくれました。きっと今頃、新聞に載っていると思います。記者はセミナーに大変感動して、「スペインでこの働きは大変重要だ。来年はぜひ一緒にやりましょう!」と言われました。
 ホルヘ先生は以前は作業服を着て、鶏を飼っていた男でしたが、今は牧師になりました。彼は教会を始めて一年だというのです。

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 しかしすでに、こんなに多くの人々が集まっています。これは全員ありません。すごく恵まれた教会になっていました。
 一粒の麦が良い地に蒔かれると、やがて三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶとありますが、新城で蒔かれた種が、まさかスペインで実を結んでいるとは、夢にも思いませんでした。
 また、どう考えても、東栄町とスペインは結ばれません。しかし神様の働きは、私たちが思いもよらないところで実を結び、前進して行くのです。

 「良い地に種が蒔かれる」とは、マルコの五章九節、十節にあるように、地域から悪霊が追い出されることです。五章九節〜十節を見ると、

『それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。』

 イエス様がゲラサに行って、デカポリスを支配しているレギオンを打ち破った時、霊的土地改良がなされ、一粒麦であった墓場に住んでいた男が、三十倍、六十倍、百倍の実を結んだのです。
 これは、霊的戦いが、神の国拡大に最も重要であることを意味します。悪しき力が打ち砕かれる時、神が自らが働いて、人の手によらず地に実を実らせて下さるのです。
 今から二十年前、霊的戦いによって蒔かれた一粒の麦が、二転・三転しながら、思いもよらないスペインで実を結んでいる姿を見て、本当に感動しました。

 私たちは「全日本リバイバルミッション」という働きをしていますから、国内に教会を作ることはありません。なぜなら、「あんたたちは自分たちの教会を作りたかったからミッションをやったんでしょ」と言われてしまうからです。全日本リバイバルミッションの働きは、あくまで、地域教会をサポートする働きです。ですから新城教会は国内に枝教会を作ることはありません。
 しかし今回、スペインに行きましたら、彼は五年前にも言っていましたが、「新城教会と一緒に、足並みを揃えて教会形成をしていきたい」と言いました。
 五年前は、「そうだね。そういう時期が来たらいいね」といって、ちょっとかわしておいたのですが、彼は、五年間ずっと祈ってきたというのです。「新城教会と一緒に霊的戦いをスペインに広げるために、私たちの教会を用いてください」と祈ってきたというのです。五年間、彼のビジョンは変わりませんでした。彼の奥さんのビジョンも変わりませんでした。それは主の働きだと思いました。
 どちらが枝でどっちが幹かは分かりませんが、スペインの教会と共に戦うことは重要じゃないかなと感じました。いわば、「スペインに新城教会ができた」というような感じではないでしょうか。国内には枝教会はありませんが、スペインなら大丈夫だと思います。この教会は「カサ・デ・ディオス(神の家)」と言います。すでに多くの兄弟姉妹が集っておられます。彼らの為に、ぜひ祈っていただきたいです。
 「私たちを覚えるために、新城教会に記念品を持って行ってください」と言ってキーホルダーをもらいました。後ろに置いておきますので、先着順三十名で差し上げたいと思います。受け取った方は「絶対に祈る」ということですね。

 今回、スペインがサッカーのユーロカップで優勝しちゃったのです。それでちょっと大変でした。先々週の日曜日が決勝戦でした。「決勝戦が日曜日」だと、スペインが勝った時点で多くの教会が夕方の礼拝をキャンセルしました。なぜなら、誰も教会に来ないというのです。私もマドリードの一つの教会で日曜日の夕方奉仕をすることになっていたのですが、そこからキャンセルの電話がかかってきたらしいです。そのおかげで、バレンシアというマドリードから四百キロくらい離れた教会で奉仕をさせていただきました。
 スペインの教会はあまり大きくありません。なぜならカトリックがすごく強くて、福音的な教会はあまり大きくありません。でもみんな霊に燃えていました。

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 これはバレンシアの教会です。熱い集会でした。
 新城の片田舎で起こった霊的戦いが、こうして世界に拡がっていくのは不思議なことだと思いませんか?それはみなさんがいつも、祈っている祈りの答えです。新城でのとりなしの祈りが、大きな扉を開いているのです。
 新城って誰も知らない街ですけれど、これからリバイバルにおいて有名になるといいなと思います。

 しかし昨日二時頃、NHKに新城教会の方が出ていました。それは誰かといいますと、山崎ランサム・ドリアさんです。彼女はなんと、外国人弁論大会で「日本一」になったのです。彼女が何ヶ月か前、私の所に来て、弁論大会に出たいから祈ってくれといいました。でも予選があって、最後まで勝ち残るのはなかなか難しいと言っていました。しかし「神様の栄光のために優勝しますように!」と祈りました。でも優勝は難しいだろうと思っていたら、なんと彼女は優勝しました。外務大臣賞です。
 そして彼女のスピーチは、新城について語っていました。あれでだいぶ新城が有名になったんじゃないかと思います。「田舎はいい」というメッセージでした。
 知らないうちに、いろんな所に神様が働きを進めておられると感じるわけです。

 私はスペインに行く前に、大変忙しかったので、スペインでどういう奉仕をしていいのかわかりませんでした。スペインで奉仕をする為には、スペイン人の文化や歴史を知らないと奉仕できません。日本人としては難しい面もあるわけです。文化が全然違いますから。やはりいろいろと勉強しないといけないわけです。霊的戦いといっても、スペインと日本では違うわけです。「みなさん、悪霊は神社と関係しています!」なんて言っても「神社って何?寺って何?」というよう事です。
 ということは、スペインの霊的状態を見抜いて話さなければいけないわけです。こう見えても、少しは勉強してから海外に行きます。しかし今回は時間もなかったので、資料だけ用意して、飛行機の中で勉強していくことにしました。
 いろいろと資料を持って飛行機に乗ったのですが、あまりにも疲れていたので、ちょっと寝たつもりが、起きたらマドリードに着いていました。でも今回、祈りながらいろいろと勉強している中、主が「スペインはたいへん重要な場所だ!!」と教えてくださいました。
 そして、なぜ、新城教会の霊的戦いがこのスペインに及んだのかの理由を、主が教えてくださいました。私が祈っている時、ある意味で預言的に御言葉を与えてくださいました。
 その御言葉は「第二列王記二章十九節〜二十二節」でした。これはエリシャという預言者が、エリコという街で行った奇跡が記されている箇所です。

 エリコという街はイスラエルがカナンに入国する前、最初に出会った敵の街でした。この街を奪い取ったことによって、カナンの地が征服されたのです。エリコの街を落とすことが出来なければ、いくらエジプトから脱出したとしても、カナンの地に帰ることはできなかったのです。カナン征服の為に最も重要な街がエリコでした。ヨシュアはその町を征服しました。その後、その町は呪われ、荒れていました。しかしその街に、後になって預言者エリシャが訪れました。
 エリコがどんな状況になっていたかと言いますと、第二列王記二章十九節〜二十二節、

『この町の人々がエリシャに言った。「あなたさまもご覧のとおり、この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」すると、エリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」こうして、水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。』

 エリコという街は水が悪くて、人々は苦しんでいたみたいです。水が悪ければ作物もできないし、人々の健康にも悪影響を与えるし、新しい命が宿っても流産してしまうほどでした。その町では死んでしまう人が多かったというのです。湧き上がっている水は、源から悪い水が出ていたからです。
 しかしエリシャが町に行って、主からの「戦術」をいただいたのです。それがどんな戦術だったかと言うと、「新しい皿に塩を盛って、それを水の源に投げ込め!その時に水が良くなる」と語られたわけです。エリシャがこのことを実行したら、なんと水が良くなり、その街に流産や死が起こらなくなったのです。「そして今日に至っている」というのです。
 今でもエリコという街は残っています。そこに行きますと大変質のいい水が、こんこんと湧き出ています。これはエリシャが行った預言的行為によって、水がいやされたからです。

 実は、今回、「水の源に塩を投げ込む」という御言葉と共に、スペインで主が私に語りかけて下さいました。奉仕する前に「これを預言的にスペインの教会の人たちに告げなさい」と語ってくださいました。
 ですから私は開口一番、「スペインのみなさん。私は今日、皆さんに神からの預言的な言葉があります。よく聞いてください!」と言いました。
 スペインと日本は、地理的には一番遠くに位置するのかもしれません。ちょっと地図を見てください。

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 スペインはどこかというと一番左の端です。アフリカの上です。日本は右の端ですが見えません。お互い地球の後ろ側です。スペインはイベリア半島にあります。ジブラルタル海峡を挟んで、イベリア半島は位置します。マドリードはイベリア半島の中でも中心に位置します。

 イベリア半島の小さな国が歴史的に果たした役割について学んでみると、そこに住んでいた人々によって、世界の歴史が全く変わったといっても過言ではありません。
 スペインと呼ばれているこの場所は、古くは先住民が住んでいた場所でした。しかしそこにいろいろな民族が流入し、やがてキリスト教が伝えられるわけです。
 しかし七世紀、アラビア半島で一つの大きな勢力が誕生しました。それが何かというと、ご存じのように「イスラム」です。ムハンマドが始めたイスラムが、たったの二十年間で、アラビア半島一帯を制圧しました。それは破竹の勢いでした。イスラムの勢力はヨーロッパにも入って行きました。イスラムがどこから入っていったかというと、アフリカからイベリア半島へと入ったのです。西ゴート王国と呼ばれたイベリア半島にあった国は、ウマイヤ朝の攻撃にあい、イスラム化してしまうわけです。
 しかしイスラム化したイベリア半島を、実に八百年にも渡ってスペインの人たちは戦い、イスラムを半島から追い出したのです。それを「レコンキスタ」と呼ぶのですが、ついに、イベリア半島からイスラムを追い出すことに成功したのです。
 その結果、ヨーロッパがイスラム化しなくて済んだのです。もしも、レコンキスタがなく、イスラムがピレネー山脈を越えてどんどんヨーロッパ大陸深く入って行ったなら、現在、ヨーロッパ全土がイスラム化しているのかもしれません。そうしたらどうでしょうか。アメリカ合衆国も生まれなかったと思われます。また、南米の国々もできなかったと思います。日本だって、どういう歴史を辿っていたのか全く見当がつきません。
 八世紀から十五世紀の八百年間、彼らは熾烈な戦いをイスラムと繰り広げたのです。その戦いによって「世界がイスラム化から守られた」という歴史があるわけです。

 しかし、その反面、スペイン人によって悪い影響も世界に出て行きました。当時のイスラムは、世界の最先端技術を持っていた人たちでした。スペインがイスラムとの戦いの中で、イスラムから最先端科学技術を手に入れたのです。
 以後、十五世紀から十七世紀、どういう時代が展開していったかというと、「大航海時代」と呼ばれる、イベリア半島にあるスペイン、ポルトガルの人たちが、海を渡って世界中に出て、世界を植民地化したのです。
 南米から来た方々もいらっしゃいますけれど、十五世紀から十七世紀の大航海時代がなかったら、南米の国々はできなかったはずです。南米から来られた方々はほとんど生まれていないでしょう。南米の歴史も全く変わりました。

 そして、この大航海時代は日本にも大きな影響を与えました。日本でいくら伝道しても人々が救われない現実がありますけれど、どこに原因があるのかといったら、これは一五四九年にローマ・カトリックが入った事に原因しています。豊臣秀吉、やがては徳川家康がなぜ、カトリックを真剣に迫害したのかと言えば、スペイン、ポルトガルの植民地政策を恐れたからです。それでキリスト教を徹底的に迫害したわけです。
 当時の世界の様子を見たら、まずはローマ・カトリックの宣教師が布教に入り、その後は必ず、スペイン、ポルトガルが入って、植民地化されていました。そのことを彼らはよく知っていたのです。それで「カトリックだけは絶対に入れない!」という、キリシタン迫害はいわば、国防の水際作戦でした。その結果、「五人組」とか「寺請け」という制度ができ、キリスト教を完全にシャットアウトする組織と環境が日本に出来上がってしまったのです。

 また、新城教会の周辺は設楽が原といいますが、「設楽が原の戦い」では一万六千人が鉄砲で死んだといわれます。鉄砲はどこから入ったかというと、実はこれはイベリア半島のポルトガルから持ち込まれたものです。
 当時はポルトガルとスペインは同じでした。ポルトガルから鉄砲が種子島に入ったのですが、それは偶然に舟が漂着したのではなく、わざと種子島を選んで持って来たわけです。種子島では砂鉄が取れて、鍛冶屋がすぐれた技術を持っていました。そこにポルトガルは目を付け、鉄砲のサンプルを置いたのです。日本人はそれをすぐにコピーしました。しかし、火薬を作るとか、鉄砲の細かい細工ができなかったのです。すると「もしもおまえたちがキリシタンになったら、その技術を教えてやろう」とポルトガルは言ったのです。それで多くの大名たちがキリシタンへと改宗していきました。
 やがて鉄砲は大阪の堺などで大量に生産されるようになり、その鉄砲で設楽が原では一万六千人の人たちが犠牲となったのです。その原因がどこにあったのかといったら、スペイン、ポルトガルにあるのです。
 もしも、レコンキスタであの半島の人たちが敗北していたら、大航海時代はなかったはずです。なぜなら航海で最も重要なものは船の方向を決める「羅針盤」です。羅針盤を作ったのはイスラムの人たちなのです。それをレコンキスタでスペインは手にいれて大航海時代につながったのです。そのため、日本も影響を受け、世界中が変わったわけです。

 世界の歴史が最も大きく塗り替えられたのは、どこの人たちによってかといったら、実は、イベリア半島の人たちによって変えられたのです。良い意味においてはヨーロッパは彼らの働きによって、イスラム化しませんでした。しかし、大航海時代の植民政策によって、世界の歴史に大きな変化をもたらし、新城教会の目と鼻の先で起きた「設楽が原の戦い」の大量殺にもつながっているのです。それらすべての源流は、「スペインにある」と言っても過言ではありません。そのことを主から教えられ、「ここが水の源だ!」と語ってくださいました。「新しい皿に塩を盛って、水の源に投げ込みなさい!」と語ってくださいました。

 「新しい皿」とは、「霊的戦い」であり、「塩」とは聖書においては「聖める」という意味がありますが、「霊的戦いと共に聖めの働きをマドリードで展開しなさい」と語ってくださいました。それで私はスペインの教会に、そのことを語らせていただきました。みんな真剣にその言葉を聞いていました。エンラセというテレビ局があるのですが、そのテレビ局の社長が、「その言葉をテレビ番組にしてスペイン中に紹介したい」と言われました。本当にこれは重要なことだと思いました。
 第二列王記二章二十節〜二十二節、

『すると、エリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」こうして、水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。』

 「水の源に行って塩を投げ込め!」と語られたのですが、実は、「マドリード」という街で今回集会を行いましたが、「マドリード」という街の名はどこからきたかといいますと、元々はアラビア語で「アル・マジュリート」というこの言葉がなまって「マドリード」となったのです。「アル・マジュリート」というアラビア語の意味を調べると、なんと「水の源」です。

 神が預言的な地名をスペインのマドリードに与えたと思います。全く予想もしていませんでしたけれど、新城教会でリバイバルされた人がそこに行き、教会を始め、霊的戦いの為に働くようになった背景にも、主が人の手によらずに働きを進めておられたからです。主の御名をあがめ、神の偉大な計画を心から賛美しました。

 ホルヘ先生の教会に行ったら、どこかで見たことのある一人の日本人の青年がいました。実は新城教会のM君でした。なぜ彼がここにいるかというと、彼は外務省に働いていて、現在、スペイン大使館で働いているからです。
 スペインから私に招きが来た時、ちょうど彼からメールが来ました。「このたび、スペインに赴任しますが、いい教会はありませんか?」と書いてありました。私はホルヘの教会がどんな感じかわからなかったから、とりあえずホルヘの電話番号をメールしました。「彼は日本語も少しできると思うから聞いてみて」とメールしました。
 彼は忙しいですから、まさかホルヘの教会に真面目に通っているとは思いませんでした。しかし彼はこの教会の重要なメンバーになっていました。本当に不思議なものです。
 彼は世界中の大使館で働いています。彼はここに来る前にはイラクに二年いたというのです。世界中回っていろんな教会に行くわけです。でも、どこに行ってもしっくりいかなかったそうです。
 でも、私から電話番号をもらってホルヘの教会に行ったら、「あれ?ここ、新城教会と同じ雰囲気だ」と感じたそうです。初めて安らぎを感じたというのです。それはそうでしょう。ホルヘ先生は新城教会で救われ、リバイバルしたのですから。神様はグローバルに不思議なことをなされます。

 実は先ほど語ったように、このホルヘ先生はかつて山深い、東栄町の鶏屋さんに働いていました。彼はよく、県民の森祈祷会に来て祈っていました。それをよく覚えています。また、「順先生の家で、朝ご飯食べさせてもらった」と言うのですが、私には記憶がないのです。でも「食べさせておいて良かったな・・・」と思うのですが、彼は東栄町というど田舎町に住んでいました。しかしその背後にも、時代を超えた、神のすごい計画があったのです。

 実は新城教会のすぐ近くに「夏目」という地域があります。教会を挟む道路の向こう側です。そこから五十年ほど前、一人の青年が救われました。その人の名前を「中村一夫」と言います。彼は当時、教会の隣にある菅谷床屋さんに、散髪に行っていたらしいのです。菅谷さんのおじいさんが現役の頃で、彼はすでに天に帰られましたが、菅谷さんが中村さんの頭を刈りながら、「あんた暗い顔をしているね。悩みでもあるの。教会に行った方がいいよ」と言って、当時はまだクリスチャンじゃなかった菅谷さんが教会に行くように勧めました。それで中村さんは、新城教会に来たのです。そしてクリスチャンになりました(菅谷床屋さんも、やがてクリスチャンになりました)。

 彼はおとなしい性格の青年でしたけれど、ある時、こう言いました。「私は開拓伝道に出たいです。」「どこに行きたいのですか?」と聞くと、「東栄町に行きたい」と言いました。
 「東栄町?そんな田舎はやめたほうがいい」とみんな反対しました。しかし彼は結婚してまもなく、東栄町に伝道に行き、自分で働きながらやがて教会堂も建てました。しかしこんな田舎で教会を建てても、うまく行くはずがありません。案の定、行き詰ってしまいました。いくら伝道しても、思うように人が救われなかったからです。

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 中村先生とはこの方です。覚えていますか?ある時、父や、田中先生が中村先生を呼んでこう言いました。「中村先生、東栄町は諦めた方がいい。十分頑張ったと思うよ」と。
 それを聞いて、彼も止めた方がいいと思ったそうです。しかしある日、先生は山に登って、もう一度町を眼下に眺めながら、神に祈ったそうです。
 「主よ。私は今後、どうしたらいいですか」と。すると、「もしもおまえがここで伝道をやめたら、きっと以後、ここで伝道する人は誰もいないだろう。ここに留まって伝道しなさい」と語られたというのです。それで、彼は「困難だけど、私は東栄町で伝道し続けます」と言って、東栄町で伝道を続けました。

 すると、その町の農協で働く、一人のおじさんがクリスチャンになりました。その方はこの人です。

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 内藤竜一さんといいます。東栄町の方です。しかし彼はクリスチャンになりましたが、新城に家を建て、新城教会の教会員として長く過ごされました。この会堂を建てる時も、一生懸命がんばってくれました。彼は中村先生の伝道の、最初の実だったのです。
 内藤さんが東栄町に住んでいた頃、農協で参与の仕事をしていました。田舎ですから産業もないので、「この町に何か産業を芽生えさせないといけない」ということで、彼は何をしたかといったら、養鶏場を誘致したのです。
 内藤さんが養鶏場を作った時、将来、それがどのように用いられるのかは知りませんでした。しかしその養鶏場に、やがて二人のペルー人カップルが来たわけです。それがホルヘ先生夫妻でした。
 ホルヘ夫妻は東栄町で教会に行きたいと思ったのです。それで、まず最初に、中村先生の教会に行ったそうです。すると中村先生は「うちの教会は小さいし、スペイン語もないから、新城教会に行きなさい」と言われたというのです。それで彼らは新城に来て、リバイバルされ、今ではスペインに教会ができ、霊的戦いが始まったのです。
 なんとも信じられないことですが、巡り巡って、神様の働きはすごいと感動します。

 私は中村先生や内藤さんのことなんて、全く記憶にも眼中になかったのですが、今回、スペインに行って祈っている時、突然、思い出したのです。何か中村先生と内藤さんが天国から、「俺たちのことも忘れないでくれ〜!」と主の前で叫んでいるような気がしたのです。
 彼らが東栄町で働いていた時、鶏小屋を建てた時、それが将来、どう用いられるかなんて、全く考えてもいなかったはずです。
 でも、神の大きな戦略の中で、彼らはその時代に与えられた使命を忠実にやりとげた、ということではないでしょうか。その時はわからなかったけれど、後に大きな神の働きに結びついたのです。

 時々私たちは、人の前で大きな働きをしたり、結果が出る働きを求めます。誰も評価してくれないような働きには目を向けません。しかし神の評価は、天国に行ったら全く違うと思います。
 何十万人の前でメッセージを語るよりも、東栄町から逃げ出さず、決してあきらめることなく、教会にはあまり人は来なかったかもしれないけれど、「忠実に働き通した」ことの方が、主から大きな評価を受けるのかもしれません。今回私はスペインに行き、神の働きはすごいと感動しました。
 そして、第一コリント二章九節の言葉が思い浮かびました。

『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」 』

 みなさんも、それぞれの場所で、それぞれの働きをされていると思いますが、それは突き詰めれば、神の国の働きです。「神の国の働きは、人手によらず実を実らせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

 今は収穫の時が来ているのではないかと思います。日本に長いこと種が蒔かれ、下ごしらえがなされ、それぞれの時代に、それぞれの器が忠実に奉仕をした結果、収穫の時が日本に来ているのではないかと思います。
 その時代に生かされることを心から感謝し、私たちも主の前に忠実に働くことが大切です。しかし同時に、収穫に至るまでには、種、苗、穂、穂の中に実が入る、そして、鎌が入るという、連続したプロセスの中で一つの季節を迎えるということを、忘れてはならないのです。

 今日ここにおられるお一人一人、神の建てられた教会、キリストを頭にしたキリストのからだに属しています。それぞれに役割がありますから、主がその場その場で尊く用いてくださることを祈りたいと思います。しかしその評価は、天国に帰ってから知らされるものだと思います。

 新城教会に主が二十年前に霊的戦いを始めてくださり、今やこのように一つの実を見るまでになったということを、心から感謝すると共に、水の源に塩を投げ込む働きを、世界中で行う教会に成長させていただきたいです。
 かつてスペインの人たちが世界に出て行って大きな影響を与えました。けれども今度は、世界を主の元に戻すためのレコンキスタがなされることを、心から願います。そして新城教会も、スペインに塩を投げ込み、祈り続ける必要があるのではないかと思います。

 今日は主の偉大な計画の一ページに生かされていることを心から感謝し、今から感謝と共に聖餐式を持ちたいと思います。いつものみなさんの祈りが、このような実に結びついていることを、心から感謝したいと思います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。あなたは人手によらずに働きを進めてくださる方ですから感謝します。見たことも聞いたことも思ったこともないことを行ってくださり、感謝します。
 主よ、どうか今、私たちが委ねられた働きを忠実に行うことができますように。私たちの教会を用いてください。
 日本のリバイバル、世界のリバイバルのために、主がお用いくださいますように。今日のこの時を心から感謝をいたします。今からの聖餐式、どうか御言葉と聖霊によって、このパンとぶどうのジュースにより、あなたと一つとなるために、この時を用いてくださいますようお願いをいたします。
 私たちのすべての罪を赦し、聖め、与えられた使命を果たす者として整えてください。イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。