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『収穫の時が来ました〜パート2〜』

2012.7.29(SUN)
新城教会主任牧師 滝元順
使徒の働き8章1節〜8節

『サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。』


 ハレルヤ!おはようございます。今日は共に礼拝が守れますことを、心から感謝しています。
 本当に暑い日が続きますけれど、みなさん大丈夫でしょうか?熱中症で亡くなる方が多くいるみたいです。ぜひとも水分をよく取っていただき、自分で守るべきところは守り、主に委ねていきたいと思います。「私はあまり汗をかかない」という人はどのくらいおられますか?汗をかかない人は危ないそうです。
 熱中するのはイエス様だけにして、この夏の熱中症からは守られますように祈っていきたいと思います。

 先週は、サマーフェスティバルがありまして、四百名も集まったということを聞いて感謝です。青年会の方々が一生懸命がんばりましたね。特に先々週の義人君のアピールは良かったです。彼のアピールでぐっと来て、友人を誘ってくれたんじゃないかと思うのですが、でも祈りによって勝利されたと思います。
 また、先週は子どもキャンプもありまして、子どもたちが楽しい一日を過ごしました。新城教会のホームページを見ますと、写真が載っていますから、ご覧になっていただきたいと思います。

 この礼拝がインターネットで中継されていまして、三十名前後の方々がこうしている間にも礼拝に出ておられます。今は世界中を繋いで、主は御言葉を伝えようと願っておられます。

 先々週、私は「収穫の時が来ました」というタイトルでお話をさせていただきましたが、霊的戦いが始まって二十年が満ち、二十一年目になるのですが、何か今、主が「収穫の時」を備えておられると感じています。そして、同時に今はたいへん重要な時期ではないか、と感じています。
 先々週私がこの所で語ったみ言葉は、マルコの四章二十六節からでした。

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」』

 「神の国」とは、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに芽を出して育っていくとイエス様は語られました。
 私たちは毎日、朝起きて、また夜が来ての繰り返しです。自分の身の周りに起こることはあまり多くはないのですが、見えない世界で主がなされている事柄は実に多いのです。

 先週は雅也先生が「リアルな信仰を持とう」というメッセージをされました。彼はよく準備をして、いろんな情報を集めてメッセージをしていました。歴史を見ると「歴史のただ中で神の国は拡げられた」と知るのです。私たちが信じている聖書の言葉、そして言葉を語られた主イエスは、真に生きておられ、共におられる神であることを確信し、信仰を持つものです。
 教会に来て、イエス・キリストと出会ったということは、それは何よりもすばらしいことです。そう言われても、はっきりしないところがあるかもしれませんが、死んでからのお楽しみです。永遠の命に入り、「本当にイエス様が神だった」とはっきり分かる日が来るはずです。その時はどんなに嬉しい事でしょうか。日本の八百万の神々の中で、「私は本物を掴んでいたんだ」と心から叫び、感謝するはずです。
 それと共に、「生きている時、もっともっと伝道すべきだった」と反省するのかもしれません。いろいろな機会を通して福音を伝える事は重要です。
 夏はそういう意味で、教会にはいろんなイベントがあり、福音が伝えられることは感謝です。
 新城教会の歴史、それは六十年そこそこですけれど、そんな中でも主が、夜は寝て、朝は起きて、そうこうしているうちにいろいろと育てて下さいました。

 日曜日にしか教会に来られない方も多くおられますが、教会は日曜日だけの営業ではなく、三百六十五日営業中です。そしてそこには毎日のようにドラマがあり、神の国は拡がっています。
 昨日は、プレイズ・ミュージック・スクールがありました、若者たちが熱心に次世代の賛美奉仕者を目指して学んでいました。

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 いつもは、理性があるのか?というような子どもたちが、目を点にして真剣に学び練習している姿は、滑稽で不思議な光景です。主が彼らを直接育ててくださっていると感じます。

 また先週は結婚式もありました。名古屋に出張して司式しましたが、今まで見た花婿の中で一番姿勢が良かったです。なぜなら、新郎は愛知県警の警察官だからです。昨日、結婚式に来ていたのは、刑事ばかりで、なんかおもしろい結婚式でした。いろんなことが教会では毎日、展開されています。神の国は、休むことなく、実を結んでいるのです。

 また、意外な展開の中、神の国は拡がると先々も週もお話ししました。何週間か前、私はスペインに行きましたが、なぜ行ったかについてお話させていただきました。
 それは意外や意外、ここから一時間くらい山奥に入った東栄町にいた一組のペルー人カップルが救われ、やがてご主人がスペインで牧師になり、今回、マドリードで霊的戦いセミナーを開催した、とお話させていただきました。東栄町とスペインはどうこじつけようとしても、こじつかない場所ですが、神様の働きはすごいです。どんな場所でも、こじつけてしまうというか、どんな所も結んでしまわれます。
 先ほど読んだ使徒の働き八章の御言葉は、前後を読んで行くとどのようなシチュエーションで起こったのかがわかります。
 私は八章八節の御言葉が大好きです。使徒の働き八章八節、

『それでその町に大きな喜びが起こった。』

 サマリヤのある街にリバイバルが起こり、大きな喜びがその街から湧き上がったと記されているからです。私はやがてこの御言葉が引用され、「それで新城に大きな喜びが起こった」と歴史に記される日が来たらいいなと祈っています。
 ここには「それで」とありますから、「なんらかの条件が満たされる時」大きなリバイバルに結びつくことを表しています。

 世界の街々の声を聞き、分析する機械があったら、喜びの声よりも悲しみの方がよっぽど多いことでしょう。先ほども「泣かなくていいんだよ」という賛美を聞きました。泣き声の方が多い世界に私たちは住んでいます。街に喜びはごくわずかかもしれません。ほとんど、どこの国に行っても、どんな街に行っても、「嘆きと悲しみと涙」があります。世界を回りますと、文化・習慣はそれぞれ違うのですが、国々、街々に起こっている事件は同じです。

 八章の前後を読んでみると、エルサレムに聖霊が注がれ、リバイバルが起こったことがわかります。三千人が一度にクリスチャンになり、その後、五千人がクリスチャンになりました。このまま行けばイエス様を十字架につけた街エルサレムは福音化してしまうかもしれない、という勢いだったのです。
 しかし、事はそのようにうまくは進んでいかず、重要な弟子の一人、ステパノが迫害で殺されてしまうのです。そのことによって勢いづいた迫害者たちが、教会を迫害する為に立ち上がったのです。
 特に、その先陣を切っていたのがサウロという人物でした。しかし、最終的には大逆転で、このサウロはパウロと変えられ、キリスト教の発展に最も力を尽くした人物となったのですが、なにしろ迫害によって弟子たちは散らされてしまったのです。けれども、その追いやられた先でリバイバルが起こったのです。

 ここには、ピリポという人物が出て来ます。彼も迫害によって追いやられた人物でした。しかし、予期しない迫害によって、サマリヤの街に下ったのですが、そこで大きなリバイバルが起こったのです。
 サマリヤはどこかというと、

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 このピンクの所の真ん中から下が「ユダヤ」と言います。そしてその上の方が「サマリヤ」という地方です。そして、その上の黄緑の所が「ガリラヤ」といいます。
 イエス様の宣教の中心は、ガリラヤ地方とユダヤでした。サマリヤ地方には、ちょっと違った人種の人たちが住んでいて、ユダヤ人とサマリヤ人は対立していました。
 しかしサマリヤの街々も、福音に触れる機会はちらほらあったわけです。聖書には良きサマリヤ人の話だとか、サマリヤの女のストーリーなんかも出て来ます。イエス様もサマリヤに行かれたのです。しかし全体的には、福音を積極的に受け入れるような人たちではなかったようです。
 けれどもエルサレムにリバイバルが起こり、迫害が起こり、散らされた人たちによって、今までは福音を受け入れない街々にも福音が拡がったのです。

 特にこのピリポという人物が下って行ったサマリヤの街でどんなことが起こったのでしょうか。使徒の働き八章六節〜八節、

『群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。』

と記録されているのです。
 ピリポは散らされましたが、散らされるただ中でも福音を伝えることを決して止めませんでした。迫害にあってもめげずに福音を伝えていったのです。そんな時、神も共に働き、悪霊が追い出され、奇跡が起こったのです。そして、その街にリバイバルが起こったのです。ここにリバイバルの秘訣があります。

 まず第一に街に福音を宣べ伝え続けることです。どんなに迫害があってもめげないで福音を語ることです。
 それと共に、やはり、不思議としるしが起きないと人々は福音に耳を傾けません。
 み言葉が語られ、悪霊が追い出され、不思議としるしの三つがかみ合った時、『それでその町に大きな喜びが起こった』という、大リバイバルに繋がったのです。
 やがて新城市にそのことが起こるように、私たちは真剣に祈っています。

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 この山はゲルジム山といって、そこには偶像の神々が祭ってありました。また、八章には魔術師が登場しますが、サマリヤは、霊的に強い圧迫を受けていた地域でした。
 しかし、そんな街にリバイバルが起こったのです。この記録は、この日本に適用できる、また希望を抱かせる、励ましの記録であると私は信じています。

 みなさんに祈っていただきまして、私は先週、アメリカのワシントン州タコマという街で四日間集会をさせていただきました。今回はタコマのJIBCと言う竹内正臣先生の教会での奉仕でした。先生は新城教会で過去二回、素晴らしいメッセージを語り、奉仕して下さった先生です。その先生の教会で四日間奉仕をさせていただきました。またその間に、二つの韓国の教会でも奉仕させていただきました。たいへん忙しい毎日でしたが、祝福されました。
 タコマは涼しかったです。飛行機の中で「温度は十九度」とアナウンスがありました。「間違っているんじゃないか・・・」と思ったのですが、本当に十九度から二十数度くらいで、涼しかったです。
 五十年以上タコマに住んでいるという日本人のおばあちゃんに会ったのですが、「五十何年ここに住んでいるけど、蚊に刺されたことがない」と言っていました。蚊がいないなんていいなと思いました。日本は蚊がいっぱいです。我が家の入り口には毎日、蚊が家の中に入れてくれと待っています。日本はちょっと大変です。

 今回私が行ったのはタコマという街でしたが、その横はシアトルという街です。シアトルはシアトル・マリナーズの本拠地です。

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 でも、先週、イチローがマリナーズから消えてしまいました。彼はこの頃振るわないですね。毎年、豊川稲荷なんか拝んでいるからいけないんじゃないか、と個人的には思っていますが。
 シアトルは大きな街です。ここに行ってとりなしをしたり、韓国教会でも奉仕させていただきました。
 私はこの街に行って不思議だなぁと思いました。実は私はこの街がなかったら、生まれていないからです。
 なぜなら、私の両親はシアトルから戦後来た宣教師によって、クリスチャンになりました。父も母もクリスチャンになって、教会で出会って結婚しました。それで、私が生まれました。
 ここのシアトルの教会が宣教師を日本に送らなかったら、私はこの地上に生まれなかったのです。「いや〜、この街があったから生まれたのか」と思って、なんとなく感慨深かったです。

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 写真の一番左が竹内先生です。たいへん熱く、賢い先生です。私は世界のいろんな所を回っていますが、竹内先生くらいオン・ファイヤーで霊に燃えた先生はあまり見たことがありません。それと、先生は霊的戦いに関して本当に深く理解されていて、もしかしたら私たち以上に、本気で霊的戦いを扱っておられます。すばらしい先生です。
 いつ頃から、先生はこのように変えられたのかと思うのですが、先生は三重県出身の方です。アメリカでクリスチャンになりました。それで教会を始めたのですが、今はタコマに立派な会堂が建っています。しかし教会堂を建てるとき、多くの戦いがありました。アメリカの法律は結構うるさくて、いろんな妨害があって会堂が使えず、私たちも真剣に祈っていました。しかし今回、新会堂が使えるようになり、お邪魔させていただきました。

 なぜ、竹内先生と私は出会ったのかというと、実は、写真の右端におられるおばあちゃんの紹介でした。この方が私を竹内先生に紹介し、引き合わせて下さったのです。それで私は竹内先生の教会で奉仕出来るようになりました。
 右端の方は新城教会にも、何度も来てくださいました。ご存じの方も多いと思いますが、綾子ビラップスさんといいます。左の方はご主人のロッドさんです。もうお二人とも八十歳を越えておられます。しかし今回、二日間、集会に来てくださいました。
 綾子先生はちょっと体を悪くされていたので、心配していましたが、今回お目にかかったらお元気でした。本当に嬉しかったです。
 この写真は四人が並んでいますが、これは本当に信じられない写真です。神様の働きは、後から振り返るとわかるのです。「すごい」と思うのです。
 私たちは聖書の中に『神はすべてのことを相働かせて益としてくださる』とありますし、『神の国は、夜は寝て朝は起きてそうこうしているうちに前進する』とあるから、その情報だけで十分なはずですが、なかなかみ言葉を信じられません。
 残念ながら人間は、経験が伴わないとなかなか合理的に物事を取り扱うことができない存在です。そうかといって、経験だけで生きていってもおかしな方向に行ってしまいます。キリスト教の歴史を見てみても、合理主義と経験主義の狭間で揺れ動いた歴史でもあります。しかしどっちに偏ってもいけないわけです。

 しかし聖書は「初めにことばありき」ですから、神の約束の言葉が最初にあって、神を実体験しながら、またみ言葉が真実であると信仰によって位置づけられる繰り返しの中、神の国は進んで行くのではないかと思います。

 四人が並んだ写真ですが、一秒でも狂ったらこの写真はありえません。竹内先生とも会わなかったでしょうし、タコマの教会で霊的戦いセミナーも開かれなかったのです。アメリカにはたくさんの日本人教会がありますが、霊的戦いを本気で取り扱っている教会は、竹内先生の教会以外知りません。タコマはそもそも、日本人が少ない地域だそうですが、六十名以上の方々が教会に集っており、皆さん聖霊に満たされていて熱いのです。この教会を、主は大きな働きのために、将来、用いられるのではないかと、今回は強く感じました。

 アメリカにある日本人教会全般に言えることですが、教会に来られている方々は、様々な背景を持っておられます。タコマ付近で日本人の奥さんでご主人がアメリカ人というカップルは、だいたいご主人は軍人さんです。どうして結婚したか聞くと、日本でアメリカ軍の基地がある所で出会って、結婚してアメリカに来たという人たちが多いわけです。
 そんな中で、いろんな問題が起き、アメリカ中の街に散らされて、やっとこの街にたどり着いたという方もおられます。個人の解放の祈りなんかをしますと、「本当に人生は大変だ・・・」と思います。そして、「本当に苦労されて来られたのですね。お気の毒でした・・・」と言わざるを得ない場合も多いのです。
 しかし、そんな様々なつらい事柄さえも通し、神はご自分の計画を実現されるお方です。つらい体験の中、人は徐々に変えられ、神の御心に結びつくということを知らされます。

 さて、綾子ビラップス先生と私はなぜ出会ったかというと、これは何回も話しているので、すでに聞いた人は大勢いるかと思うのですが、実は今から三十年くらい前に綾子先生とお会いしました。
 新城教会の会堂ができたのは一九八〇年です。うまくできたでしょう?今でも「新会堂」と呼んでいますが、三十二年も経っているのです。地震が来ると多少不安もあるのですが、この会堂は一九八〇年に建ちました。
 その時、建築委員の人たちが一生懸命祈って、また教会員も祈って、「一番いい設計図を与えてください」という祈りの中で与えられたのがこの会堂です。だから、三十二年経った今でも本当にいい感じです。
 会堂を造ったら、続いて教育館を造りたかったのです。でも教育館を造るのは、たいへん難しいのです。会堂は礼拝用の施設ですから、案外簡単ですが、教育館は、教会の未来とも関わっていて、将来どんな風に教会がなるのかというビジョンがないと造ることができないのです。日本にはなかなか参考となるような教会がなく、どうしようかと祈っていた時、「そうだ。キリスト教最進国といったらアメリカだ。アメリカの教会を視察に行こう!」ということになったのです。
 それで、当時、数名の建築委員がおりましたが、私もそのメンバーの一人でした。アメリカの大教会、中ぐらいの教会、また小さな教会、歴史を経てどのように変わって行くのか、また、どんな施設が必要かを研究に行きました。

 しかしその時、大きな妨害がありました。今から考えると「あの時は本当に大きな霊的戦いだった」とわかるのですが、時々、神が何か大きな働きを開始される前後には、やっぱり霊的戦いがあるのではないかと思います。
 このピリポがサマリヤの街に行く前も、仲間であるステパノが殉教したり、激しい迫害があったりと戦いがありました。
 同様に考えてみれば、新城教会の短い歴史の中でも、新しい扉が開かれる前には、常に戦いがあったことがわかります。

 私たちはアメリカに「視察に行きたい」という、ただそれだけのことでした。しかしその頃、私たちが属していた団体のボスはアメリカから来た宣教師でした。彼の宣教によって両親が救われたので、私は本当に感謝していますが、その宣教師はちょっぴり変わった人でした。
 その時私たちに「俺のアメリカに勝手に行くな!」と言ったのです。「俺のアメリカに勝手に行くな」ってどういう意味かと思ったのですが、なにしろ、「行くのをやめろ!」と言いました。「自分で金出すのだからいいじゃん」と言ったのですが、理由もなく、「絶対に行くな!」と大反対しました。
 それで、みんなは「諦めよう」と言いました。また、建築委員のメンバーの奥さんが突然病気になって入院したりと、様々な問題が続けて起き、諦めようと思いました。
 しかし、その時、何か知らないけれど、「困難だけど、絶対に行くべきだ!」と思い、反対を押し切ってアメリカに行きました。
 ロサンジェルスに行って大きな教会を見て、「教会というのは、こんなにも大きいものか・・・」とびっくりしました。教育館もすごい施設で、「あんまり参考にならん。大きすぎる・・・」と思ったのですが、でも、様々な将来に対するビジョンをもらって帰ってきました。
 帰りはハワイに立ち寄りました。ハワイでちょっぴり骨休みという感じで、飛行機の都合上、一日ハワイに寄って帰って来ました。

 綾子さんとどこで出会ったのかというと、ホノルル空港から飛行機が飛び立って、太平洋上、離陸後二時間経って彼女と出会いました。私が座っていた座席と通路をはさんで、左斜め後ろに綾子さんが座っていたのです。
 二時間後くらいに、「もしもし、あなたはクリスチャンですか?」と私に声をかけられたのです。それで「はい、そうです」と答えたことにより、会話が始まって、その出会いから、最終的にはジョー先生にも出会いました。
 今回、うちの姪っ子の耶恵がピアスと結婚することになったのですが、私が綾子先生とあの飛行機の上で会わなかったら、耶恵はずっと独身だったかもしれません。耶恵がタコマの私の集会に来たので、このことを話して「おまえ良かったな」と話したのですが、人生は本当にわからないものです。

 実は、綾子先生がこの飛行機に乗る前にも、大きな戦いがあったというのです。彼女は短期宣教師として、日本に行くことが決まっていたそうです。その前日、アメリカ本土からハワイに電話がかかってきました。それも病院から電話がかかってきたというのです。
 「あなたの息子さんが入院しています。そして危篤状態です。お母さん。すぐに帰って来てください」という電話だったそうです。綾子先生はたいへん動揺されたそうです。
 さてここで、お母さん方に質問です。あなたが綾子さんと同じ立場で、自分の息子が死にかけているから病院に来てくださいと言われたら、病院に行くか、それとも日本に行くか、どちらを選ばれますか?
 絶対に日本に行くなんて問答無用です。即刻日本行きをキャンセルして、自分の息子の所に飛んでいくでしょう。息子は死にかけているわけですから。

 でも、綾子先生はすごいですね。すぐに神の前に出て祈ったそうです。「神様、どっちを選んだらいいのでしょうか」と。普通じゃ、祈れない祈りです。神の前に出て祈ったというのです。
 そうしたら、神様の声をあざやかに聞いたというのです。「あなたは明日、日本に行きなさい。あなたの息子の命はわたしに任せておきなさい。明日、日本に行く飛行機の中で、一人の日本人男性と出会うでしょう。その出会いは大きなことです。よく祈って準備し、飛行機に乗りなさい」と語られたそうです。
 具体的な事を主から直接語られたのです。私もそのくらい、具体的に主から語ってもらいたいなといつも思うのですが、「危篤だから帰って来い」と病院から言われているさ中で、彼女は神の声を聞いたそうです。
 「日本に行きなさい。あなたは飛行機の上で神の人と出会うでしょう」ということだったそうです。
 彼女はそれで一大決断したそうです。キャンセルせずに、ホノルル国際空港から日本行きの大韓空港に乗りました。それはチケットが一番安かったからです。そして、それに私たちも乗っていたのです。

 綾子先生は緊張して飛行機に乗ったそうです。「この飛行機に、神の人が乗っている。その人との出会いは大きな出会いだ」と言われたから、どんなにすごい人が乗っているんだろうかと緊張して乗ったようです。
 しかし、座席に座って周りを見回してみても、神の人らしき人物は誰一人いませんでした。特に自分の右斜め前の青年。白いパンツを履いて、ハワイで買ったと思われる青いアロハを着て、サングラスをかけて、ちょっとパンチパーマ風のヘアースタイル、そういう男が座っていたそうです。だからその男については、始めから問題外だったそうです。

 しかし、飛行機が飛び立った頃から、その青年がバックの中から何を出すかと思ったら、「バイブル」を取出したというのです。それは意外な光景だったそうです。それでも信用できなかったそうです。しかし、その男は聖書を一時間、二時間とずっと読み続けていたのです。
 神様が「あなたは飛行機の上で神の人と出会いますよ!」と言われたのは、「まさかこの人じゃないでしょうね?」と、斜め前の男を観察し、神様に問いかけながら祈り続けていたそうです。
 二時間くらいした時、ついに「そうだ、その人だ、この男に話しかけろ」と答えが来たそうです。それで、「もしもし、あなたはクリスチャンですか?」と声をかけてきた次第でした。

 綾子先生が声をかけた人物、それは他でもない私でした。意外も意外ですが、その後、その出会いは大きく前進したのです。
 その時、機上で話した話はごく普通の話でした。ただ別れる時に、私は名刺を出して「もしも時間があったら、新城にも来てください」といって差し上げただけでした。まさか新城に来るとは思わなかったのですが、その後、綾子先生が新城に来られたのです。そんなきっかけから始まりました。

 綾子先生は当時ハワイに住んでおられました。私は「ハワイに拠点ができた」とたいへん嬉しかったです。「ぜひ、遊びに来てください」と言われましたから、「やった!ハワイに行って遊ぼう!」と思っていました。
 しかししばらくしたら、綾子先生から手紙をもらいました。
 「私はハワイでの働きを終えて、ワシントン州タコマという街にやってまいりました。雨が多い街です」とか書いてありました。そして「まだ、どこの教会に行くのかは決まっておりません。お祈りください」というような内容の手紙だったように思います。

 私はその手紙をもらって、がっかりしました。やっとハワイに拠点ができたと思って喜んでいたら、タコマに行ってしまって、「残念だ」と思いました。そんな不純な思いでした。

 しかし、そこにも神の計画があったのです。綾子先生のすごいのは、「何事も祈りによって決める」ということです。
 アメリカに行きますと教会だらけです。日本はかわいそうです。街に一つぐらいしか教会がありません。「他に選択の余地がない」という感じです。そこしか行けません。アメリカにはいくらでも教会があるのです。でっかい教会から、ちっちゃい教会まで、お試しコースというか、スーパーの味見コーナーみたいなものです。「どの教会がいいかな・・・」という感じです。
 大きな教会に行けば楽です。いろんな施設が整っていて快適です。でも小さい所に行くとそういうわけにはいかないので、アメリカでは、人々は大きな施設の整った教会に行く傾向があるわけです。
 でも綾子先生は、周りに教会だらけでしたが、どこに行ったらいいのかを祈りながら、一つ一つの教会を回ったのです。礼拝に出て、「神様、この教会に集うべきですか?」と祈ると、「いや、ここじゃない」と主が言われると、次の教会に行ったそうです。
 いろいろと巡っていると、ある日一つの古めかしい建物の、あまりぱっとしない教会があったそうです。そこに行ったそうです。古いベンチで、古い建物でした。そこに座って、「神様、この教会はどうでしょうか?」と聞くと、「あなたはこの教会に、これからずっと集いなさい」と語られたそうです。それでその教会に行くようになったそうです。

 その教会に副牧師がいました。彼は特にいい加減そうに見える男で、片手には常にコーヒーカップを持っていました。それが誰かというと、あのジョー・ハイト先生です。
 しかし今となればどうでしょうか?ヤキマのジョー先生は有名です。霊的戦いに目覚め、私たちとは切っても切れない関係になって、今度は親戚にまでなってしまい、ついに運命共同体です。
 そして綾子先生が竹内先生に私を紹介し、タコマで霊的戦いが始まったのです。今回も、竹内先生の教会を見て感動しました。スペインでもそうでしたが、今回も本当に神の働きはすぐには結果が出ないかもしれないけれど、夜は寝て、朝起き、そうこうしているうちに、二転、三転、四転、五転するようですが、神の国の種が芽を出して育って行くのです。

 今日、みなさま方も教会に座っておられますけれど、そのような神の国の拡大の一コマにおられるのです。
 今回のタコマでの写真を少しお見せしたいと思います。

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 また、いろんな集会の風景です。

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 これは韓国教会での集会の様子です。このように奉仕できたのは、神の不思議な、絶対に考えられないような出会いの中で与えてくださいました。
 真理ちゃんのお父さんとお母さん、中村先生ご夫妻も来てくださいました。

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 私たちは何気なく出会いますけれど、神の与えてくださる出会いは、将来を開くのです。私たちが毎日の生活の中、常に神の前に忠実であり、一つ一つのことを祈りによって聖霊様によって、決めていかなければいけないのです。

 今年の年頭に語られたメッセージの中、今年のテーマとなっている御言葉があります。多分、信弘先生が語ったと思いますが、マタイの福音書二十五章のタラントの例えから語ってくれました。マタイ二十五章二十節〜二十一節、

『すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。「ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。」その主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」』

 神様は私たちに「タラント」を与えて下さっています。それは聖霊による能力です。それを忠実に神の前で働き、増やして行く時、小さなことに忠実なら、神は将来、大きなことを任せてくださるというのです。
 それは、なにか大きい物をもらいたいからではなく、そのテーマは「忠実さ」です。五タラント、二タラント、一タラントと出て来ますけれど、神から委ねられた賜物を忠実に管理するか否かが、将来を決めるのです。そして将来とは、神の国の拡大です。
 私たち一人一人には、神からの責任分担があるのです。その責任分担を忠実に果たしていくことが重要です。
 前回もお話させていただいたのですが、スペインに私が行けたのも、東栄町で伝道されていた中村先生が忠実に働いた結果でした。彼の働きはあまり大きな働きのようには見えませんでした。しかし忠実に働いた結果が、後の日につながっていくわけです。
 綾子先生との出会いもそうです。あの時、私たちも戦いに負けて「今回はアメリカに行くのをやめよう」と、中止していたら、現在の展開はなかったのです。
 綾子先生も「子どもが危篤だからアメリカ本土に戻ろう!」と帰っていたら、もちろん、一般論からしたら絶対帰るのが普通だとは思いますし、そういう時に帰るな、と言っているわけではありません。しかし、神が何を語られているかを捕らえるか否かです。
 そこには神に対しての忠実さが必要だと思うのです。その時に主は、御心を現してくださるということではないかと思います。第一コリント九章二十三節〜二十七節、

『私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。』

 ここでパウロは私たちの信仰生活を競技場で走る選手のように、また、ボクシングの選手のように、スポーツ選手になぞらえているわけです。
 今は折しもロンドン・オリンピックが開催されていて、テレビをつければ競技場面ばかりです。オリンピックの選手たちは、金メダルを目標に競技をしているわけです。金メダルなのか、銀メダルなのか、銅メダルなのかで、後の人生が変わります。一般人の我々にとってみれば、金も銀も銅も実力的には同じじゃないかと思うのですが、選手たちにとっては相当な違いです。
 私は今回、タコマの教会にお邪魔したら二〇〇九年の背泳の世界選手権で金メダルを取った選手に出会いました。彼は今回のロンドン・オリンピックの選考試合で、残念なことに〇・〇五秒差で敗れたというのです。彼は日本において有名です。しかし竹内先生の教会で洗礼を受けました。人生は本当にわかりません。彼が今ロンドンに行っていたら、人気者になったかもしれません。しかしイエス様を信じることはできなかったかもしれません。彼は〇・〇五秒の差で救われたのです。
 オリンピックとは、ギリシャの神々への奉納競技ですから、私は彼に、「次回は主への礼拝としてオリンピックに出場し、炎のランナーのようになって下さい」と励ましました。
 銀という字は金の横に良いと書きます。金より良いのが銀のようです。銅はどうですか?金と同じと書いて銅です。金も銀も銅も同じじゃないか、と私は思うのですが、オリンピック選手たちはただ「金メダル」だけを目指して、真剣に節制し鍛錬するのです。
 
 競技場で走り、泳ぐ人たちは、賞を受ける為に、何もかも捨てて人生をかけるわけです。

 パウロは「あなた方も神の国を勝ち取るために、競技者と同じようになれ」と告げています。目標をしっかりと定めて「空を打つ拳闘をするな」というのです。ボクシングは敵を倒すために、顔面にパンチをヒットさせなければ勝利できません。私たちも悪魔・悪霊どもの顔面に確実にパンチをヒットさせ、彼らをノックアウトし、街を勝ち取り、大きな喜びがわき上がるために、「あなた方は真剣に働きなさい!」と主は語られています。

 私たちはリバイバルの働きのただ中に置かれているわけですが、オリンピック選手のように、この一事にかけて働いていきたいと思います。私たちの人生、一度しかありません。誰でもやがて死んでしまいます。真の評価は、神の前に出るときに現わされます。そこで真の表彰台に上るわけです。
 「あなたは五タラントを、もう五タラントに増やしましたね。」「二タラントをもう二タラント増やしましたね。」と、そこで真の評価が決まるわけです。
 一タラント持っていた人はそれを隠しておいて、おしかりを受けたことが記されています。そうなりたくないですよね。
 「一タラント」とは、わずかだと思うかもしれませんが、「一タラント=六千デナリ」とあります。「一デナリは一日の給金」とありますから、一日一万円稼ぐならば、一タラントは六千万円になります。五タラントといったら相当額です。三億円くらいです。三億円くらいでも、神の前にはわずかだと言われます。神様の働きは相当大きいはずです。また一人一人に相当なタラントが与えられているということです。

 一人一人、神様から任されたタラントを、五タラントをプラス五タラントに、二タラントの人はさらに二タラント儲け、一タラントの人はもう一タラント増しましょう。これは神の国の拡大です。そのためにタラントを費やしていかなければならないのです。

 今週は私にとって、ちょっと思い出のある週です。一九九二年の七月は霊的戦いが始まった週でしたが、いろいろ苦しい戦いもありました。今週は霊的戦いセミナーがありますので、お時間のある方は是非とも出ていただきたいと思います。「二度とあの年を通過したくない」という感じもあります。
 私たちも疲れてしまって、「もうだめだ・・・」と思っていた時でした。七月三十一日のことでした。午後二時くらい。名古屋に行って、あまりにも暑かったので、車の中で休んでいました。そして空をぱっと見ると、西の空に、私ははっきりと十字架を見たのです。雲の中から光り輝く十字架が出て、すっと消えていきました。それを二回見ました。あまりにもあっけに取られて、私は声が出ませんでした。すぐにみんなには言いませんでした。

 帰り道に、今、司会をした雅也先生が、「順先生、今日なんか見なかった?」と言いました。なぜかと聞くと、「空を見て、目が点になっとったもん」と言ったのですが、その時、十字架を見たのです。
 私は、「本当にイエス様は生きているのかな?私はもうこれで終わりかもしれないな・・・」なんて、いろんな複雑な思いがあった時、「わたしはもうすでに、十字架によって勝利を勝ち取った!生きている!」と、私の目の前に光る十字架を見せて下さったのです。
 その時私は「私の主は生きておられる!」と、「この方のために一生を捧げていこう!私に与えられたタラントは、百パーセント主に捧げて働いていこう!」と決意したのです。あれから二十年が経ちました。

 振り返ると、夜は寝て、朝は起きて、そうこうしているうちに神の国が前進していることを体験させていただいています。これからも前進していくに違いありません。
 そして、今は収穫の時が来ています。私たちが「今」という時を忠実に生きる時、大いなるリバイバルを日本に起こしてくださると、私は堅く信じます。ここで「アーメン」と言ってくれないと…。アーメンですか?「アーメン!」「あぁ、良かった。本当にアーメンですね。」私たちは日々、時を悟って歩んでいきたいと思います。

 最後に一つのみ言葉を紹介して終わりたいと思います。第一歴代誌十二章三十二節の言葉です。これはダビデがサウロと戦っていて、まさにイスラエルの歴史が変わろうとしていた時でした。

『イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。』

 時代が変わろうとしていた時、「どっちに付いた方が得かな?」というような人たちも多くいたのですが、イッサカル族の中で二百人が「時を悟った」というのです。今、何をすべきかということを、悟ってダビデに従ったのです。
 私たちも、「時を悟る」ということが、すごく重要だと思います。今、主が、この時代にあって、クリスチャンたちに、「あなたは時を悟りなさい!」と語っていると思います。主から時を悟らせていただき、主の戦いを戦い続けさせていただきたいと願っています。
 最後に一言お祈りさせていただいて、今日の礼拝のメッセージに代えさせていただきます。祈ります。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝いたします。あなたが今まで神の国を拡大してくださったことを、心から感謝します。これからも日本において、戦いを前進させ、時を知らせてくださる方であることを心から感謝します。
 どうかお一人一人が与えられたタラントをしっかりと握り、神の国の拡大のために用いてくださいますようにお願いいたします。
 今日、ここにいるそれぞれが様々な背景から来られましたけれど、散らされた者たちを通して、街にリバイバルを起こして下さることを、心から感謝いたします。
 主よ、神の時を悟って歩む者とさせてください。今からの聖餐式の一時を祝福してください。パンとジュースを聖霊によって、み言葉によって、主とお交わりする一時とさせていただきます。
 あなたと一つとなって、御心を悟り、今週も歩むことができますように。感謝を持って、イエス様の御名を通して祈りをお捧げいたします。アーメン。