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『傷んだ葦を折ることもなく

2012.11.25 (SUN)
新城教会副牧師 滝元開
イザヤ書42章1節〜9節

『見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。天を造り出し、これを引き延べ、地とその産物を押し広め、その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」』



 ハレルヤ!主の御名を賛美いたします。今日はこうして大切な礼拝においてみ言葉を取り次ぐ機会が与えられたことを心から感謝します。

 今日は「傷んだ葦を折ることもなく」というタイトルでみ言葉を語りたいと思います。「葦」というのは湿地帯に生えている植物です。その葦が傷んでしまい折れそうであっても、それを折ることのないお方、そのお方こそがイエス様であるということについてお話ししたいと思っています。イザヤ書四十二章三節をもう一度お読みします。

『彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。』

 これはイエス様ご自身について語られた旧約聖書の預言の言葉ですが、マタイの福音書十二章二十節にも。

『彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。』

と、同じように書かれています

 私たちの日々の生活の中には様々な戦いがあり、心が折れてしまいそうな時、また、希望の炎が消えてしまいそうな時があります。しかし、イエス様はそんな中でも私たちの心を折ることなく、また消えてしまいそうなその灯火も消すことのないお方であるというのです。私たちは、今一度、そのお方に今日も目を留めて、歩んでいきたいと心から願います。

 みなさまのお祈りに支えられまして、先週は被災地でのザワメキの賛美の働きさせていただきました。今回は被災地の沿岸部の四カ所でザワメキの賛美集会をさせていただいたんですけれども、行く先々でイエス様のご臨在があって本当に祝福されました。「みなさんの大きな祈りのゆえに今日があるんだな」ということを毎日感じながら一つ一つの集会にあたることができて本当に感謝でした。心から感謝します。

 最初に行ったのは宮城県の南三陸町という所でした。その地も被災されて大変な所なんですが、私たちは初めて行きました。一年と八ヶ月経っていますので随分復興も進んでいますが、私たちが見て感じる所では、他の街や今まで見た場所よりも少し復旧が遅いのかなと思うような所がたくさんありました。道路を通るとあちらこちらに潰れた車が山積みになっていたり、またある所には船が重なるように無造作に置かれていたりして、このような所で生活し働いているのは大変なことだなと思いました。
 私たちは南三陸に昼に着きましたので、お昼ご飯を食べなければいけなかったんですが、手前で食べておけばお店がたくさんあったんですけれども、沿岸部まで来てしまいました。沿岸部ですとお店も流されてしまっていますので、これは断食で集会に臨まなければいけないのかなと思っていたのですが、走っていたら観光バスが一台止まっていました。
 それはバスのラーメン屋さんでした。座席にみなさん座って、そこでラーメンを食べるという感じでした。「いらっしゃいませ」と入って行くと、バスの横にもう一つバスがあって、そっちに向かって「お客さん四名来られました!」と伝えて、それで私たちがメニューをお願いすると、隣のバスからラーメンが運ばれて来て、それを食べるという仕組みで、意外とおいしかっですね。そんな昼食から始まったんですが、すべてが主に導かれたことを心から感謝します。

 写真を少しだけ紹介させていただきたいと思います。

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 最初に行ったのが、南三陸町の仮設住宅に隣接している体育館の中でのコンサートでした。だいたい三十人くらいの方々が来てくださったんですけれども、主にお年寄りの方々でした。その横の仮設住宅から来てくださったんですけれども、金曜日の午後三時からで多くの方はお仕事で出かけられている時間でしたので、おじいちゃんおばあちゃんが来てくださってとても良い時でした。
 一人のおばあちゃんは三十分前から来てくださって、一生懸命その津波の日のことをお話ししてくださいました。「本当に大変だった」と、その南三陸は海からの津波と川を上って行った津波が逆流して戻って来て、それがぶつかって噴水のようになるんだというのです。「そんな中で私は助かった」ということをおばあちゃんが涙ながらに話すのです。涙を貯めながら「本当に怖かったんだよ」と言うのです。そして一生懸命逃げて行って、ある人に連れられて逃げて行ったんですけれども、ある高台まで行ったら、その人は「ここでいいだろう」と、言ってくれたそうなんですけれども、「ここじゃ駄目だ。もっと上に行かなきゃ」と言って、走って行って、「だから私は助けられたんだ」と、おばあちゃんは話してくれました。
 クリスチャンじゃない方ばかりのザワメキの賛美の集会でしたので、どのような感想をみなさん持ってくれるかと思ったんですけれども、みなさんすごく喜んでくださって「いや〜、本当に心癒やされた」と言って帰って行ってくれました。

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 そして、その次の日は塩釜市で行いました。仙台市の隣の塩釜の一つの教会を会場にさせていただいて集会を行ったんですけれども、今回の被災を通して、世界中のいろんな宣教団体、ボランティア団体が、現地に入って一生懸命復興を助けて来たわけですが、その多くがこの十二月で引き上げられるそうなんですね。ですからあと少しだということで、現地の人たちは「これからが勝負だ」「いつまでも頼っていられないのでがんばっていきます」と口々におっしゃるとともに、「やっぱりさみしくなった」とおっしゃっていました。
 でも、そのような中でも特に被災された方々の心というのは、二〇一一年三月十一日以来、ある意味、「時が止まっているようだ」というのです。「同じように悲しみは打ち寄せてくるし、大変な中にある。そのような中でこれから前に進んで行くためにまた是非助け続けて欲しい」とおっしゃっていました。次の写真もまた同じ教会の写真です。

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 これは韓国系の教会です。

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 この中で真ん中に立っておられるのが、シーサイドバイブルチャペルの内藤先生です。この方は新城教会出身の牧師先生です。先生もすごく元気に励んでおられました。是非みなさまにもよろしくということでした。忘れずに祈り続けていく必要があるなということを感じました。

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 そして、次の日は気仙沼市に行きました。気仙沼にはこの教会からも行ってゴスペルのみなさんが賛美してくださったり、集会をしてくださったりした場所です。この先生は嶺岸先生ですが、本当に元気で前向きにがんばっておられます。特に、この教会では被災後に多くの方々がイエス様を信じて救われるという御業が起こされており、先生もすごく喜んでおられました。

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 このような形で集会をしましたけれども、これはクリスチャンの方だけでなく、ノンクリスチャンの方々もこの中にいらっしゃいました。みなさんと喜び歌いつつ踊りつつ賛美したりするんですけれども、そんな中で新しい方々も喜んでくださいました。

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 これは集会後の写真なんですが、私が知る限りでも、この中で四名は津波の後にイエス様を信じた方々です。本当にイエス様はすごいなと思うのは、津波の後にイエス様を信じた方々は、被災して大変な中、神頼みでも何でもいいやと教会に来たのではなく、本当に主に触れられて、心のどん底から変えられているというそんな姿を見させていただいたことでした。本当に感謝でした。

 次は、岩手県の大船渡という所に行きました。

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 ここはとても小さな仮設住宅で、普段私たちは交わることのないような教会の先生が窓口となってこの場所を紹介してくれました。とてもアットホームな集会で、みなさんクリスチャンではない方なんですけれども、私たちが来るということで、漬け物や煮物を用意して待っていてくださり、「お昼を一緒に食べましょう」と、とても心温まる良い時でした。

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 これが大船渡のおばあちゃんたちと、またその街のボランティアの方もいらっしゃいます。一番右の方がその街の牧師先生。「大船渡には牧師は私ただ一人です」とおっしゃっていました。私たちはその教会に、仮設住宅に行く前にお邪魔させていただいたんですけれども、そこで教会の週報を拝見させていただいたら、礼拝の出席人数が四名と書かれていました。四名で一生懸命、信仰の火を灯し続けているという教会の先生なんですけど、すごく元気に、また明るく、前向きにがんばっておられるのです。
 でも、被災した時には全国からいろいろな方々が来られていて、今は四名ですけれども、当時は毎日七十名以上の人がいたそうです。どこに行っても人で、会堂でも寝泊まりしながら復旧にあたっておられて、多い時は駐車場にテントを張って、大変な中でがんばってきたというような先生です。

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 次の写真は、これは気仙沼の一本の幹線道路なんですけれども、海はこの右手に一キロほど離れた所にあると思うんですが、左手の船はその時に打ち上げられて、今なおそのままあります。船の下にはぺっちゃんこになった車がそのまま置いてあるというような現状、本当に心が痛む町の姿があるというような状況でした。
 気仙沼から大船渡に行く途中に、陸前高田という街があるんですけれども、本当に大きな被害を受けました。そこは街ごと津波に持っていかれたような状況で、海のすぐ近くにある大きな県営団地は、五階建てなんですが四階まで津波でぶち抜かれてしまっていました。五階だけガラスが残っていて、他はカーテンが風にあおられて揺れているというような、寂しい姿でした。
 このような中で東北の方々が一生懸命がんばっておられますので、是非引き続きお祈りいただいて、あの地の救いのために、復興のために、そしてこの大きな悲しみの後にイエス様ご自身が大いなる御業を現してくださるようにと祈り続けていくことが必要であると今回も感じさせていただきました。

 先ほどもお話ししましたが、気仙沼で津波の後にイエス様を信じた方々にお会いする機会が与えられて、神様の御業はすばらしいと思いました。賛美の中で、お二人のご夫妻が本当に恵まれて賛美されていて、また涙をぽろぽろ流しておられるのです。終わったら、そのご主人が私の所に来て、その時も涙を流しながら、「どうしてか分からないんですよ。涙が出てしょうがないんです」と、聖霊様に触れられている姿を見ました。
 そして、その人たちがどのようにしてイエス様に出会ったかということを、お話ししてくださいました。彼は一つの冊子を見せてくださったのですが、「気仙沼の大津波はこれだ!」というものでした。そこには衝撃的な写真が載せられていました。

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 これは気仙沼の街が出している出版物なんですけれども、これが表紙です。気仙沼のメインストリートが一瞬でこのような状況になってしまった。写真は津波後一週間経ったものですが、津波の前はこの姿だったというのです。

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 愛する街が変わり果ててしまった。「これが気仙沼なんですよ」とその方が話してくださいました。
 そして、次の写真をもう一枚見せてくださったんですけれども、

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これは気仙沼のある地域に、津波が押し寄せて来た時のものです。二〇一一年三月十一日十五時三十八分と書かれています。先ほど写真で幹線道路に大きな船が止まっているのを見ましたけれども、この写真の左上にある船がそれです。今もそこにそのままあるのです。ですから、街が本当に津波で飲まれてしまったのです。
 そして、その夫妻が「この中に私たちの家が写っています」というのです。どれかというと、左隅に漂っている白い壁の家です。「これが私たちの家なんですよ」とおっしゃられました。
 ご主人は、消防団の班長さんでした。被災後に、写真の手前、人が津波の光景を見ている所にテントを張って、二ヶ月間もそこで寝泊まりしながら、来る日も来る日も遺体を回収していたそうです。「毎晩毎晩、寝袋の中で僕は泣いていました」とおっしゃっていました。

 そんな中で、どうしてイエス様を信じたかというと、救援活動のボランティアの人たちの中に、クリスチャンの人が随分たくさん来られていたそうです。
 また、いろんなキリスト教系の団体が、いろんな救援物資をたくさん持って来てくれたそうです。「どうしてこんなに無償の愛を示してくれるのか」と、すごく感動したというのです。そんな中で、ある一人のクリスチャンのボランティアの方に出会って、その方といろんなお話するようになって、イエス様について聞き始めたというのです。日系ブラジル人の方で、名古屋の方だったそうです。
 イエス様のことを聞き始めて、一つの小さな冊子をもらって、その中にこう書いてあったというのです。「この世の神は助けてくれない」と書かれていたそうです。彼は「その通りだ」と思ったそうです。「本当の神様だったら私たちを助けてくれるはずなのに、この世の神は助けてくれない。」と思って、イエス様を求めようと思ったのです。

 また、奥様も別の所であるクリスチャンの方と接したというのです。先ほどの、津波によって流された家の写真を見てください。

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 左隅の白い家が彼らの家ですけれども、その下に赤い屋根の家があります。津波の後に知ったそうですけれども、その家はクリスチャンの家だったというのです。被災後にその方とお話していると、物に対する価値観がまったく違ったというのです。
 津波の後、何が起こったかというと、流されてしまって二階が残っていたりすると、泥棒が入ったというのです。そしていろんな家財道具を盗んで行ったそうです。泥棒が入るのは普通の出来事だったそうです。けれども、でもそのクリスチャンの方は、「うちには別に持って行かれる物は何もないので、もし必要だったら家から毛布を持って行ってもらってもいいですよ」と言ってくれたそうなんです。それで、「クリスチャンの方が持つ価値観って別物だな」と思ったそうなんですね。それが奥様のことです。
 ある時ご主人は、「教会に行こう」と決心したそうです。その日系ブラジル人の方が帰られるということで、「じゃぁ私は教会に行こう」と、奥さんにある時言ったそうです。「僕はこれから教会に行こうと思うけど」と言ったら、「そういうことなら私も行く!」と言われて、ご主人もびっくりしたそうです。それぞれ教会とは全く縁のない生活をしてきたのにも関わらず、奥様も「私も行く」と言ってくださって、一緒に来て、そして初めて訪れた教会が嶺岸先生の教会だったそうです。
 嶺岸先生がイエス様の話をしたその日に受け入れて、「イエス様を救い主としてこれからクリスチャンとしてやっていきます」と決心し、最近洗礼を受けられたという事でした。先ほどの集合写真の中にそのお二人が出ています。

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 私のお隣の方がそのご主人で、その隣の方が奥様です。この方たちがイエス様を信じてこれからがんばっていくとおっしゃっていました。
 そのご主人が忘れられないことをおっしゃいました。津波で全部流されて、家財道具がすべてなくなった。特に白い家の二階の部分には、そこが寝室で、百万円したタンスがあったり、宝石があったり、大切にしていた物がたくさんありました。それらは全てなくなったけど、イエス様に出会って、「失った物より得た物の方が大きい」とはっきりおっしゃったのです。本当にすべてを失った方が、「いろんな物を失って、何もかもなくなっちゃったけど、失った物より得た物の方がずっと大きいんだ。イエス様すばらしい」と涙されているのです。
 このお二人の救いの中に、神様はなにか大きなことを始めようとされているんだなと、リバイバルの幕が開く瞬間を垣間見たようなそんな気持ちになりました。創世記一章に天地創造のことが書かれています。創世記一章一節〜四節、

『初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。』

 ある意味、この津波の中で神様ご自身が暗闇に対して『光があれ』という宣言をなさったのではないかと思います。このお二人のご夫妻のイエス様との出会いの中で、私が感じたことなんですが、イエス様ご自身は「光があれ」という宣言を通して、光と闇を区別するということを天地創造の中でなさったわけですけれども、それ程までに大きな力を持って主はこの方々に、また、この日本にも臨んでおられるのではないかと感じました。

 第二コリント人への手紙四章のみ言葉は、すばらしい救いの光が投ぜられているけれども、それを見させなくするサタンの力があると書かれています。サタンが福音に覆いをかけて光を見させないでいるというのです。イエス様の救いがある、しかし、それを止めているサタンの覆いがあるのです。
 ですから、私たちは祈って戦って、この覆いが取りのけられ、イエス様のすばらしさがこの地に現されるために励むものです。それが霊的戦いであり、また、とりなしの祈りであると思います。この中にも天地創造と同じ「光があれ」という言葉が引用されています。第二コリント人への手紙四章六節、

『「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。』

と書かれています。「光が、やみの中から輝き出よ。」ですから、天地創造で声を発してくださった神様が、私たち一人一人の救いのためにも「光があれ」というみ声を発してくださったゆえに私たちはここにあるわけです。あの街々に対しても、この国に対しても、イエス様ご自身は、すでにみ声を発しておられるのではないかと強く感じました。

 そして、もう一つ中で感じたのは、このみ言葉です。ローマ人への手紙十章十三節〜十七節、

『「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。』

 津波に遭われて大きな悲しみの中で、二ヶ月間テント生活しながら復旧の働きを続けている中で、クリスチャンと出会って、初めてイエス様の事を教えてくださったというのです。「津波がなかったら、私たち夫婦はイエス様とは全く無縁の人間だった」というのです。
 彼は、ロックが好きで矢沢永吉が大好きだったというのです。ちょっとだけ名残がヘアスタイルにありましたけれども、「矢沢ー!!」ってやって、肩で風切るタイプのおじさんでした。だから「私はイエス様とは全く無縁の人間でそういった生き方をしてきたけど、あのボランティアの方がイエス様のことを教えてくれたから、イエス様と出会えたんだ」とおっしゃっていました。

 伝えることの大切さ、私たち一人一人は、イエス様にあって救われて永遠のいのちをいただき、神の子とされているという素晴らしい特権をいただいていますけれども、その恵みを私たちだけのものにするのではなく、この恵みを周囲の方々に語り続けていかなければいけないと教えられます。
また、私たちが見た東北の状況は、今この日本全体に対しても同じだと思います。イエス様が東北と同じことを日本全体で始めておられるのではないかと思っています。ある意味、日本の現状は、教会の人数が多くなるわけでもない、また、町からは信仰の灯火が今にも消えてしまうのではないかと思うような現状であるのにも関わらず、イエス様はそのような灯火を消すことなく、「わたしはいつまでもあなた方と共にいるよ」と励まし続けてくださっています。これがイエス様なのです。
イザヤ書四十二章三節〜四節、

『彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。』

 イエス様ご自身が私たちに対して「くじけることなく、そしてついには“島々”(この日本は島国なので)に主の勝利の公義を打ち立ててくださる方であることを信じていきたいと思います。

そしてイザヤ書四十二章八節、

『わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。』

と書かれています。「わたしは主だ。これがわたしの名だ。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」と、これが主のみ言葉なのです。イエス様はこの日本に起こった大きな悲しみの出来事の中で、この国は本当に折れてしまい消えてしまうのではないかというような中にありますけど、主は、私たちを守り、励まし、この栄光を刻んだ像どもに与えはしないと約束されたお方なのです。
 今まで東北の地に、世界中から、いろんな意味での支援が、現実的にも、さらに霊的な面でも集中して来たと思います。しかし、これからは、いよいよ「自分たちで戦って行かなければならない。今までは大きな助けがあったけれども、これからが勝負です」とおっしゃっておられます。主は「いたんだ葦を折ることもないし、くすぶる燈心を消さない方」なので、東北も、そして、この日本も、主の御言葉に立って前進し続けて行きたいと願います。
 主は確かにみ声を発せられ、光と闇を区別される働きをしてくださっているわけですけれども、そんな中で主が語っておられるみ言葉は、『わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。』という約束のみ言葉です。世界中から集中した祈りによって始まった主の業がなされていきますけれども、それと同時にまた再び偶像礼拝に戻ろうとする力が働き、私たちの愛する同胞を、再び罪の中に引き戻そうとする暗闇の力が働いています。けれども、イエス様のご計画はそのような中でも「わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしないんだ」と宣言しておられると信じます。

 今年は、ザワメキで多くの教会を巡ることを主が導いてくださって、沢山の教会で賛美を捧げる機会が与えられました。いろいろな教会を巡る中で、甲子園ミッションから約二十年の年月を経て、ザワメキの賛美集会も「二十年ぶりです」という教会に幾つかお邪魔させていただきました。
 そうすると信徒の方も、また牧師先生も、「久しぶりに力いっぱい歌いました」とおっしゃってくださいます。私たちの新城教会は本当に恵まれていて、恵みの環境の中で今日も力いっぱい大声を張り上げて主に賛美するというのが当然のように、私たちは毎週この恵みを味わう中にありますけれども、ザワメキの賛美集会の中で一緒に賛美すると「久しぶりに歌った~」と多くの方が喜んでくださったのです。
 甲子園ミッションの時に、この日本全土の教会に燃え立たせてくださった主の炎を、主はもう一度燃え立たせて、その消えかかり、くすぶる燈心を消すことなく、もう一度燃え立たせ主の業を始めようとされているんだなと、強く感じた二〇一二年でした。

 また、多くの涙を見ました。それも、どんな涙かというと、賛美の中で牧師先生方が流される涙でした。牧師先生方がザワメキを受け止めて、「賛美集会しましょう」と、一生懸命賛美してくださるのです。
 主が働いてくり、牧師先生たちがぽろぽろ涙されて主に賛美を捧げる姿をいろんな所で見ていく中に、「イエス様はこの涙を忘れることのないお方である」ということをすごく感じました。イエス様にすべてを捧げて、人生を捧げて、この日本の宣教のために、日本を愛して、遣わされた街を愛して、その街のために戦うんだと奮闘しておられる、その先生方が、イエス様の前に賛美を捧げて、イエス様との交わりの中で、もう一度イエス様の愛に触れられている姿を見たとき、「主はこの涙を見ておられる」ということを感じました。
 しかも、はらはら泣いているというより、むしろ号泣されているのです。関東のある教会に行ったら、そこは女性の先生だったんですが、もう八十過ぎの先生なんですね。その時は老人ホームでのザワメキ集会でした。私たちが先に会場に着いて準備していると、先生が来られたので、すぐにご挨拶しようと思い、「先生!お久しぶりです!」と言おうと思ったら、先生は私たちの前をさっと通り過ぎるのです。八十六歳になったと言っておられましたが、どこに行ったかと言ったら、酸素吸入のある所に座って、突然、鼻に酸素をいれて座られたのです。それが終わってやっと来たかと思ったら、「私の教会は老人クラブみたいな教会になっちゃって。あの頃は燃えていたんだけどね」とおっしゃるのです。集会が始まったんですけれども、その先生が集会が始まった途端わんわん泣くのです。タオルを持ち出して泣いて、主の前に泣きじゃくって、そして集会が終わった後は、「私もまだまだがんばるからねー」と、元気に立ち上がって行かれました。その姿に、神様は消えそうな灯火の中に、もう一度新しいことを始めようとしておられるのではないかと感じました。

 四国のある教会に行ったら、「今回、ザワメキに来てもらいたいんだけれども、私はもうまもなく天に召されると思う」というのです。その先生は、私たちが二十五年くらい前にやっていたグロリアシンガースで行ったことのある教会でした。その時もその先生は「私はまもなく天に召されると思う」とおっしゃっておられたのですが、今回もそうおっしゃっているのです。
 電話をしたら、「私はもうまもなく召されるから、なんとか召される前に、教会員にザワメキのことを知らせたいんだ」とおっしゃるのです。特に甲子園時代に燃えてくださっていた教会で、「でもあの時燃えていた信徒たちはみんな天国に帰りました」と言うのです。「だから後は、私が死ぬ前にみなさんに、なんとかしてこのザワメキの賛美に触れてもらって、そして天に帰りますから」と、いつもの口癖のようにおっしゃっておられるので、そこに行くまでは、きっとまだ元気におられるのかと思っていたら、その教会に訪れたら本当に青ざめた顔をして出て来ました。
 今度こそは本当だなと思って、その先生の奥さんに聞きました。「先生、お会いする度に天に帰るとおっしゃっていますけど、いつから言っているのですか」と聞いたら、「結婚した当時からよ」とおっしゃるのです。結婚したばかりかと思ったら、結婚してもう五十年経ったと言うのですが、「五十年、死ぬ死ぬと言ってまだ生きている」とおっしゃっていました。でも、その先生が賛美の中で一番前の席でわんわん泣いているのです。
 イエス様に対する愛の中で、イエス様のすばらしさにもう一度触れられて、先生は次の日は朝から車を飛ばして、私たちよりずっと元気にその街を走り回っておられました。神様はそのくすぶる燈心を消すことなく公義を打ち立てるという業を、必ずこの国に為してくださると堅く信じています。

 あと一つ、そこの教会の先生は関東の先生なんですが、その先生はすごく霊的な先生なんですね。ザワメキが行くことが決まって、ある朝、主の前にお祈りして、キリスト教のちょっとした雑誌を見ていたら、突然目の前に幻が現れたというのです。
 どういった幻かといったら、それは地から天に向かって雨が降るという、不思議な幻だったというのです。普通雨は天から地に降って来ますけれども、地から天に向かって降っていく幻が目の前に現れたというのです。地から天に向かってカーテンのように雨が降っていたそうです。
 先生は主に「主よ、これは何ですか」と言ったら、主が語られたのは、「この雨は、あなた方が捧げている祈りと賛美だよ」とおっしゃったというのです。そのとき先生が確信したのは、天に賛美と祈りが満たされる時に主はそれに答えられ、地に癒やしと回復と救いとリバイバルの雨を降らせてくださると、そのことを示されたと語ってくださっていました。その時に先生が開かれた聖書のみ言葉は、ホセア書二章二十一節、

『その日、わたしは答える。--主の御告げ--わたしは天に答え、天は地に答える。』

 「わたしは天に答え、天は地に答える。」私たちが一生懸命主の御前に捧げて祈り、そして捧げた賛美を、それが雨のように天に上って行くわけですけれども、そうすると今度は天が私たちに答えてくださって、救いと癒やしと回復とリバイバルの大きな雨を降らせてくださる。そのことを主は始めようとされているんだと、先生はおっしゃってました。その先生はジェントルマンで、賛美の中で眼鏡を取ってすっと涙を拭いておられる姿がとても印象的だったんですけれども、神様はその涙を忘れることのないお方なので、必ずそのリバイバルの御業がなされると信じています。

 気仙沼の教会に神様が新しいことを始めておられて、流されてしまった教会の跡地は、今は祈りのセンターになっていて、「ここで一生懸命、世界の宣教のために、これからのこの街のために祈っていきます」とおっしゃっていました。
 集会が終わった後に、峰岸先生ご夫妻と十九歳の娘さんと一緒にそこに行きました。そしてその津波の時のすさまじさをずっと説明してくださいました。
 そして先生が「一曲歌って欲しい」とおっしゃいました。そこに来る前に、先生が私に「娘の一番好きな歌は『光のある間に』という賛美なんですよ」とおっしゃっていました。ですので、その祈りのセンターに入って、私はギターを抱えて、「光のある間に」を歌えばいいかなと思って、あれは歌のコードがDコードなのでギターでDコードを弾きながら、先生のお話しを聞いていました。
 そうしたら、先生が突然「光のある間に♪」と歌い始めたのです。そして、みんなで歌い始めて、主の前に大声で歌い始めたら、その娘さんが言いました。「私は『光のある間に』が世界で一番好きな曲だ」と言うのです。そして歌い始めたら、彼女がぽろぽろ泣くのです。「うわ~、生だ!生だ!」と言いながら泣いておられるのです。うちの教会の若いみなさんも一生懸命歌って踊って賛美してくださいますけれども、十九歳の少女がザワメキを聞いて泣いているのは初めて見ました。彼女は「今どきの娘」なんです。
 これから教会が新しい場所に移転して、土地まで与えられたそうです。七百八十坪の土地が国道沿いに与えられたということで、そこにも行ったんですが、「お父さん、いつ建てたいの?」とか言っているのです。「来年には建てたい」と言ったら、「えーっ?どんだけー!?」とか言ってるんですよ。だから本当に「今どきの娘」なんですけど、その子が『光のある間に』を聞いて、涙を流して、「光のある間に福音を伝えよう」と歌っている姿の中に、何か大きな主の計画があるように感じました。あの歌は、一九九八年の東京ミッションのテーマ曲ですけれども、今はあの時よりもずっとずっと時の終わりを感じる、そのような時に来ているのではないかと思います。そのみ言葉は、ヨハネの福音書十二章三十五節〜三十六節に書かれています。

『イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」』

 光がある間にイエス様を信じましょうという言葉です。今はイエス様が帰って来られるのが間近ですが、まだ今は光が投ぜられている時なので、この光のある間に福音を伝えなければならない、短い時代のただ中に私たちは生かされているのです。

 闇はどんどん深くなって、いつどこで何が起こるかもしれない時代に私たちは生かされています。先週は私たちの隣町で立てこもりの事件があり、みなさんもびっくりされたと思います。「こんな身近な中でも、こんなことが起こるんだな」と感じられたと思います。闇がこの地を覆うような時代にありますけれども、そのような時だからこそ、私たちはこの光を掲げて歩んで行きたいと心から願っています。
 『わたしの栄誉を刻んだ像に与えはしない』というのがイエス様のみ言葉なので、必ずこの地に主の業がなされることを信じて、そのために私たちはその光なるイエス様を伝える者にならせていただきたいと心から願っています。

 これからクリスマスのシーズンが来ますけれども、この機会を十分に生かして用いさせていただかなければいけないと思うのです。今しかその光に出会うことができない方がたくさんいるわけですので、その人々に対して、私たちに与えられた救いの光を届けていきたいと心から願っています。

 いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない主が、私たち一人一人を愛し、またこの日本を愛し、日本に対する神様の大きな計画を持っておられることを信じて、この光なるイエス様を本当にこの地で輝かせ続けていきたいと心から願います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたのすばらしい御名をあがめて心から感謝します。今日こうして私たちがあなたの御前に出て、あなたを礼拝し、あなたを賛美して、あなたのすばらしさを誉めたたえる、このような大きな恵みの中にあることを覚えて心から感謝します。
 この日本が大きな苦しみと悲しみを経て、今ここにありますが、主はいたんだ葦をおることなく、くすぶる燈心を消すことなく私たちを支え続けてくださっているお方であることを信じて心から感謝します。
 そして、「わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない」と語られた主が、この地にあなたの栄光を現してくださるお方であることを信じて心から感謝します。もう一度イエス様、「光があれ」と、この天地万物を創造された主よ、あなたがその時に発してくださったその宣言をもう一度この街に対して宣言してください。この街の人々が、すべての人々が、光を見ることができるように。「光があれ」という宣言によって、光と闇が区別されたように、どうぞあなたご自身の御業をこの地にも現してください。
 またあの東日本の地にもあなたご自身の御業をなしてください。あなたが大きな傷みの中で、すでに大きな御声を発してくださっていることを信じて心から感謝します。主よ、どうぞ、東北に対して持っておられる計画を、主が成し遂げてくださいますように。そのために私たち一人一人、それぞれの場所であなたの光を掲げ続けて歩み続けて行くことができるように助けてください。
 今日のこの時を心から感謝します。栄光を主にお返しし、尊き主イエス・キリストの御名によってこの祈りを、父なる神様の御前にお捧げいたします。アーメン。