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『あなたの敵を愛しなさい

2013.5.26 (日)
新城教会牧師 滝元明
マタイの福音書 5章43〜48節

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いがうけられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全であるように、完全でありなさい。』


 ハレルヤ!おはようございます。今日もこうして健康で、みなさんの前に立つことができて心から感謝です。
 私は四月、風邪を引いたのか、鼻炎かで、すごく咳が出て、非常に苦しい時でしたが、ロンブラウンさんと一緒に二週間近く、日本中を回って来ました。
 ある時私の娘がフェイスブックに「父がコホンコホンやってますので、祈ってください」と出したそうです。そうしましたら、五百人の方が応答してくださり「祈ってますよ」と言ってくださいました。この小さい者のために、日本中で五百人の方が祈ってくれました。感謝です。
 この間も東北の方に行きましたら「先生、咳は大丈夫ですか?」と言われましたが、すっかり直りました。今日は元気に立つことができることを感謝をしています。

 私がここでメッセージをするのは、二ヶ月ぶりだと思います。前回は三月十日にメッセージをしたと思います。その時には第一コリント十三章から、愛について御言葉を学びました。裁いてはなりませんとか、人のした悪を思ってはいけないなどを話しました。今日は「幸せになる道」について、聖書から学んでみたいと思います。

 最近、私も老人の部類ですけれど、良い知らせがありました。五月二十二日にテレビで三浦雄一郎さんという人が、エベレストの山頂に立ったことで、老人たちには励ましとなりましたね。私も心から無事登ることができるように祈っておりましたが、八八四六メートルという頂上に八十歳で登り、日本の老人たちは大いに励まされたと思います。
 あの方は「世界最高です!エベレスト山頂は最高に幸せです!」と言いました。本当におめでたいことだと思いますが、「世界最高です!」と言ったけれど、みなさんにとって、最高の幸せはなんでしょうか?
 その時に私も考えました。私の幸せとは何かといったら、幸せを与えてくださるイエス様を信じていることです。今日イエス様の中にあるということが、一番大きな幸せだと思います。

 五月には、ここでPP聖会がありましたが、その中で私もすごく恵まれました。特に恵まれたことは甲子園ミッションの映像を見たことでした。

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一時間半くらいのビデオだったと思いますが、その中にはもう天に帰られた田中政男先生が司会をしていました。もっと生きていたら良かったなぁと思いますが、たいへん良い顔で司会をしていました。
 甲子園ミッションの三日目の晩でしたが、献金のお奨めの為に鈴木留蔵さんという方が出ていました。甲子園の映像は、みなさんも見たことがあるかと思いますが、その時、田中政男先生がこう紹介しました。「みなさん。鈴木留蔵さんは今、歳が八十四歳です。けれども六十歳くらいに見えます」と言いました。私も励まされました。私は今年の九月二十日で八十四歳になりますから。

 一九九八年に東京の日本武道館で集会した時も、留蔵さんが証しをしてくださいました。これが日本武道館でやった時の写真です。

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 あの集会で留蔵さんが言ったことを、私は忘れることができません。「みなさん、宝を天に積めと書いてありますから、みなさん宝を天に積みましょう。」
 あの方は何年か前に病気になって死にそうになって、天国の夢を見たそうです。夢か実際に天国に行ったのかどうかは分かりませんが、天国の門があって道が金でてきているすばらしい所だったそうです。その時に「わぁ!すばらしい!入れてください」と言ったら、天の使いがこう言ったそうです。「今は入れてあげられない。」なぜ入れてあげられないかというと、「今入ってしまったら、あなたの持っている財産は他の目的に使われてしまうから、もう少し生かしてあげるから、天に宝を積んでから帰っていらっしゃい」と言われたそうです。
 東京ミッションは十日間の集会でした。「私は毎日一万円ずつ献金しようと思いました。しかし神様はおっしゃいました。『それじゃ駄目だ。一日十万円ずつ出しなさい』と言われました」と話しました。そして、小切手を出して、「今日は百万円の小切手を出します。みなさんも一番良い捧げ物をしなさい。」と献金のおすすめをされました。
 今までいろいろとミッションをやって来ましたが、あの日の集会が一番多くの献金が献げられたと思います。留蔵さんは言いました。「天に宝を積みなさい。」

 鈴木留蔵さんは九十七歳まで生きました。ですから私も、これからどういう人生が待っているか知りませんが、とにかく死ぬまでは生きてがんばっていきたいと思っています。みなさんも覚えて祈ってください。

 今日はみなさんと一緒に学んでいきたいことがあります。人生は幸福を求めています。幸福を求めているのは、クリスチャンだけではありません。どんな宗教の人でも幸福になりたいし、すべての人が幸せになりたいと願っているわけです。
 みなさん、幸福とは一体なんでしょうか?定義したら、いろいろとあると思います。

 以前に聞いた話ですが、寺の坊さんのところに色紙を持って行って、「幸せになる秘訣を色紙に書いてください」と頼んだそうです。そうしたら坊さんはこう書いたそうです。「じじい死ね。ばばあ死ね。親死ね。子ども死ね。」と書いたそうです。
「こんな事が何で幸せなんですか?」と聞いたら、「じじい、ばばあが死んで、次に父母が死んで、その次に、子どもたちが死ぬことが幸せだ」と。子どもや孫が先に死なないで、この順序で死んだら幸せだと言うことです。また、エベレスト山頂に立ったら「世界最高!」と言います。実際、何が幸せなのでしょうか。
 ところで、今日の賛美、すばらしい歌詞でしたね。「幸せも捕まえたら、砂のように漏れていってしまう。」しっかりとした幸せを捕まえなければなりません。

 聖書の中には、本当の幸せについて具体的に教えています。みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
 先ほど読んだ聖書の御言葉を、もう一度読んでみたいと思います。マタイの福音書五章四十三〜四十八節、

『「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』

 この世の中で一番大きな問題は、対人関係だと思います。良い友だちばかりに囲まれていたら幸せです。しかし、世の中は良い人ばかりじゃなく、味方ばかりではなく、敵もいます。しかし聖書の中には、幸せになる一つの秘訣について『自分の敵を愛しなさい。迫害する者のために祈りなさい』とあります。
 もしもクリスチャンが、本当にこの御言葉を自分の物にすることができたら、幸せだと思います。敵があっても、その人を愛するとは、素晴らしいことではないでしょうか。
 この御言葉を考えていた時に、敵を愛するというのは言葉では易しいですが、実際は難しいかもしれません。しかし、「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈ってあげなさい。」もしこのことをしっかりと持つことができたら、これからの人生にいろんな敵があるかもしれないけれど、勝利することができるわけです。
 聖書の中には私たちが幸せになるように、いろいろと教えています。主は私たちの幸せを願っておられます。不幸になる事は願っていません。旧約聖書を見ると、「こうしたら幸せになるよ。こうしちゃいけないよ」と、ある意味で掟も与えられているわけです。
 レビ記十九章十四〜十八節を見ると、こういう言葉があります。これを一つでも自分のものとしてください。

『あなたは耳の聞こえない者を侮ってはならない。目の見えない者の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなさい。私は主である。』

 みなさん、これすばらしいじゃないですか。今日ここには耳の聞こえない聾唖の方が来ていらっしゃいますが、『耳の聞こえない者を侮ってはならない』とは、身体に障害のある人たちを思いやり、馬鹿にしてはいけないということです。それから『目の見えない者の前につまずく物を置いてはならない。』
 これは幸せになるために、神が人におっしゃっていることです。それから十五節を見ると、

『不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しく裁かなければならない。』

 正しく裁判しなさい。そして十六節には、

『人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。』

 『人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない』とありますが、今の時代というのは、恐ろしい時代です。何が恐ろしいかというと、私たちの生活がすぐに分かるからです。
 前にも話したことがあると思いますが、私は去年の十二月に埼玉県の天野先生の教会に行きました。そうしましたら、スタッフの方たちが「先生。食事に行きましょう」ということで付いて行きました。何を食べさせてくれるのかと聞くと「豆腐の料理」と言うのです。私はさほど豆腐は好きではないので、イオンに行ったらとんかつ屋があったので「とんかつの方がいい」と言って、とんかつを食べました。次の日は天野先生と「焼き肉に行きましょう」と焼き肉を食べました。
 家に帰ったらうちの娘が、「おとうちゃん、とんかつ食べたでしょ。焼き肉食べたでしょ。」どうして分かるのかと聞くと、スタッフの人たちが「滝元先生は今日はとんかつを食べました。」「滝元先生は焼き肉を食べました」と、日本中の人たちが見ている所に載せたからです。
 こんなことならば良いですが、時々、フェイスブックとかを使って、人の悪いことを載せる人がいます。「あの人はクリスチャンのくせに、こんな悪いことをやっていますよ!」なんて出すような人がいるでしょう。あれはいけません。だから十六節には、『人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない』とあります。
 人の悪口を言って傷つけてはいけません。人の悪をかばってあげることが大切です。
 そして十七節にこう書いてあります。

『心の中であなたの身内の者を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。そうすれば、彼のために罪を負うことはない。』

 みなさんこの中に『身内の者を憎んではならない』とあります。聖書の中に『あなたの憎む者、敵のために祈りなさい』とありますが、敵というのは案外遠いところではないのです。みなさんの敵の中で、誰が敵ですか?「中国です。北朝鮮です。」という人もあるかもしれませんが、あまり多くはないと思います。「うちの父、おもしろくない」「うちの兄弟、おもしろくない」とか、身近な人を敵と思うのです。しかし聖書には『身内の者を憎んではならない』とあります。
 それから十八節に、

『復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主です。』

 「どんな悪いことをされても、復讐をしてはいけない。そして、あなたの国の人々を恨んではいけません。隣人を愛しなさい。わたしは主だ。」と語られています。
 私たちが聖書をよく受け止めることができたら幸せになれます。一般では「赦せない!」という人が大勢です。「赦せん!憎らしい!」しかし、みなさん。憎んでも解決はつきません。イエス様の御言葉とは「赦しなさい。敵を愛しなさい」です。
 また、同じような御言葉が、ルカの福音書六章二十七節〜二十八節にあります。

『しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。』

 もし人生を幸せに生きようと思ったら、敵があっても敵を愛することができたら幸せです。イエス様が十字架につけられた時、何を叫んだかというと、一番最初に「父よ。彼らに罪を負わせないでください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです。」と叫ばれました。これは神の愛です。
 『あなたの敵を愛し、あなたを憎む者に善を行いなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。』
 あなたをのろう人。侮辱する人。その人のために祈ってあげなさい。もしそうしたら幸せになることができます。
 またローマ人への手紙十二章十七〜二十一節にこう書いてあります。

『だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』

 これが幸せになる道です。ここに書いてあるように、私たちは復讐してはいけないのです。
 実は今年は甲子園で集会があってから、二十年になったわけですが、あの時からこの教会に霊的戦いやいろいろな事が起きました。私自身にとって甲子園で何を一番得たのか。甲子園は非常に大きな戦いでした。
 先週の水曜日に水曜主日礼拝がありました。その時に、ここにいらっしゃいます四元雅也先生がメッセージをしました。良いメッセージをなさいました。どんなメッセージかというと、甲子園の集会の時、本当に忙しくて、プレイズ出版の夏目兄弟もほとんど自分の家で寝たことがなく、仕事場で寝るような忙しさでした。雅也先生も一緒にある日のこと、甲子園の事務所に荷物を持って行って帰る途中、小牧の近所で、前にのろのろ運転する自動車がありました。それを追い越そうとした途端、後ろから物凄い勢いで走って来るトラックがいたので「これは危ない!」と思って避けたそうです。
 そうしたら後ろからぶつけられて、クッションドラムを飛び越えて止まった所がバス停だったそうです。しかし、雅也先生も夏目兄弟も無事だったそうです。
 私も初めて聞きました。甲子園の働きの中でそんなことがあったのかと。雅也先生は今まで言わなかったのですが、先週話したのです。あの時、二人が死んでいたら、ここにはいないですね。結婚もできなかったと思います。甲子園ミッションもできなかったかもしれません。
 いろいろな戦いがありましたが、一番大きな戦いは予期しない問題でした。聖霊が注がれ、霊的戦いが起こったら、ある人たちが「新城教会に悪霊が来た。順と望は悪霊に憑かれた。」といろいろと言って、ある教団の人たちはあちらこちらの教会を廻って「甲子園ミッションに協力しないでください。新城教会は駄目です。」と言って廻りました。私も有名な先生に呼ばれて「君!甲子園ミッションなんか辞めなさい!自分の教会に分裂があるのに、やる資格はない。よく集まっても五千人しか集まらない!」と随分悪口を言われました。それで、大勢の人たちが教会から出て行ったりしました。
 あの時に「どうするか・・。」しかし主は「赦しなさい」と言われました。一番大きな収穫は、赦したことだと思います。

 一九九三年十一月五、六、七日と甲子園球場で集会があったので、十一月三日に甲子園に行こうと思いました。その時、甲子園に来た方はご覧になったと思いますが、グランドに大きな十字架型ステージが作られました。縦百メートル、横五十一メートル、幅が二十七メートル、鉄骨で組まれました。あれだけでも三千万円以上かけました。下には祈りの部屋があって、みんなが一生懸命祈ってくれました。
 「十一月三日から甲子園球場に行こう!と考えていました。その時に聖霊様が私におっしゃったことは「行くな」でした。私は甲子園ミッションの直前に、十日間断食しました。水だけは飲みました。県民の森の山上に登って「リバイバルが来ますように。大勢集まるように」と真剣に祈りました。
 けれども、十一月三日の日に「行くな。もう一回山に登れ」と聖霊様はおっしゃいました。それで山に登りました。そして真剣にお祈りしました。「力をください!メッセージをください。なんでもあなたの言うことを聞きます。私に悪いところがあったら悔い改めます!」
 するとその時、聖霊様がはっきりと私に声をかけられました。「あなたを悪く言った人、中傷した人、妨害した人たちを、全て赦してあげなさい。」とおっしゃいました。そして、その次に「赦すだけじゃなく、その人たちを祝福しなさい」とおっしゃいました。
 あの日、私は心の底から、いろいろと中傷した人、悪口言った人たち一人ひとりの名前をあげて、「あの人を赦します。祝福してください。災いにあったりしないように。」と、ずっと祈りました。いろいろな牧師も反対しましたから「あの牧師も赦します。祝福してください。」と、みんなのために祈りました。

 思い出す限り祈りました。「あの方も赦します。祝福します。」こう祈り終わった時、上から私に大きな力が注がれました。主が私に御声をかけてくださいました。「立ちなさい!さぁ行くのです。」と、おっしゃいました。その言葉を聞いて私は「イエス様、これから私は甲子園に行きます!」と泣きながら、山を下りました。

 甲子園ミッションの最も大きな収穫は「赦し、祝福する」。これが一番大きな祝福だったと思います。だから甲子園ミッションは祝福されました。あの時に五千人しか集まらないと言った人がいましたが、三日間で延べ十二万四千人集まりました。甲子園ミッションへの献金も、六億円近く集まりました。神様は、すばらしいことをしてくださいました。
 聖書には敵を愛し、敵のために祈れとあります。しかし私は考えました。今まで一緒にいた人たちが悪魔呼ばわりをして、この教会を出て行き反対をした。しかし「赦します。祝福します」と祈りましたが、その後、「本当に愛してるかな?」と思った時、やはり愛が足らないと思いました。だからもう一度、「悪くした人たちを愛します!」と祈りました。私たちが心から愛し、赦したら幸せになるのです。

 みなさん、敵とは一体だれでしょうか?実は二〇〇七年の十一月十九日〜二十一日、ハワイでリバイバルミッションをやりました。
 今年の十一月、ハワイで滝元明ミニストリーをやります。是非覚えて祈ってください。ツアーでも組めたらいいと思いますが、行きたい方は一緒にハワイへ行きましょう。私が連れて行ってあげます。けれどもお金は出せませんので、自分で出していただきたいと思いますが。一緒にハワイへ行きたいと思います。

 実はハワイのミッションの時、私は初めて入院しました。クリスチャンになって六十五年になりますが、感謝な事に病気らしい病気をしたことがありません。
 しかしハワイ・リバイバルミッションの決起集会に行き、ハワイの空港で税関を通りました。すると係員が「ちょっと部屋に来てください」と、隅の方に連れて行かれました。なんだろうと思ったら、その人がこう言うのです。「あんたの下の方、膨らんでいるけど、それはなんですか?」

 私は一九七〇年からリバイバルクルセードをやっていました。今でも忘れることはできませんが、田中政男先生と宇都宮で集会をしていた時、説教で「みなさん!信じましょう!」と力を込めて叫んだ時、下っ腹がびりっと破れたことがありました。それ以来、脱腸になりました。でも手術するのが嫌なので、そのままにしておいたら、脱腸は礼儀しらずなやつで、どんどん大きく出て来ました。メッセージする時はダブルのスーツで見えないようにしていました。税関の人が「下腹部の膨れはどういうこと?」と聞くのです。
 昔、勝新太郎という人がパンツの中に麻薬を入れていたことがあったので、麻薬でも入れているのかと疑われたのだと思います。「実は私は脱腸なんです。」と言うと、税関が「すいません。許してください」と言いました。
 しかし私は「これではいかん。しっかり直そう」と思って、すぐに豊橋の病院に入院しました。大勢の方が見舞いに来てくださいました。一週間くらい入院しましたが、今は元気になりました。

 その時、四人部屋に入りました。私と同じくらいの歳の人で、脱腸の人が多いのです。良い経験をしました。
 ある日のこと、一人の老人が入って来ましたが、その人はエホバの証人の伝道者でした。エホバの証人というと、ある意味、我々クリスチャンの敵です。彼らは「キリストは神の子じゃない」とか言って伝道しています。
 私は「嫌な奴が入って来たな…」と思いました。私よりも、ちょっと若かったけど、同じ部屋に入りました。

 しかしその時に私は考えました。「あっ、これは間違いだ。彼はエホバの証人の伝道者だけど、一人の人間だ。」それで、彼が入院している間、私もだいぶ元気になったので、布団が落ちていたら行ってかけてあげたり、私の所に大勢見舞いに来られたので、見舞いに下さった物を分けて、「お食べください」と一生懸命、親切にしました。
 そうしたらその人がすごく心を開いて、「先生。どうしてクリスチャンになったんですか。どうして牧師になったのですか」と聞いてきました。そこに人たちがみんな、「良かったね。滝元さんと一緒になったおかげで、幸せになった」と喜んでくださいました。

 敵はどこにいるのでしょうか。キリスト教会はエホバの証人は敵と考えるけれど、「敵を愛する」とは、エホバの証人の人たちが救われるように、祈らなければいけないのです。みなさん祈りましょう。
 ここにもかつて、エホバの証人に入っていた人たちが何人かいらっしゃると思います。皆、良い人たちです。人間は悪くないのです。だから、彼らが救われるように祈らなければいけません。

 去年の十月、私は山形県の坂田の教会に奉仕に行きました。その前にその教会の先生が私に電話をかけてきました。「もしもし。滝元先生ですか?」「そうですよ」「滝元先生。最近聞いたのですが、創価学会の池田大作が滝元先生の伝道でクリスチャンになったそうですが本当ですか?」と言うのです。
 良い知らせじゃないですか。しかしこれは嘘です。私は伝道していません。「僕じゃないよ。」と答えました。東京集会では元創価学会の上の方が救われています。彼がクリスチャンになったらいいなと思いました。

 実は池田大作と私は、かつて同じ学校でした。私が日本農園研究所という所に入って、夜は政治経済の短大に通いました。その時の同級生なのです。私は電車の中で「君の顔は牧師に似合いそうな顔をしている」と言われたので、牧師になりました。あの時、「君の顔は創価学会の伝道者になったらすばらしい」なんて言われたら、行っちゃったかもしれません。
 私は考えました。池田大作・・。私は一度も彼の為に祈ったことはありませんでした。それで、「彼の為に祈らなきゃいかん。」と示され、それから時々祈ります。「大作さんを救ってください」と。

 戦争が終わった後、一番キリスト教に敵対したのは創価学会でした。「キリスト教は邪教だ!」と。しかし創価学会に入っている人たちは悪い人じゃありません。その教えに入り込んだだけですから。「あなたの敵を愛しなさい」ということは、創価学会のために祈ってください。日本にまもなくリバイバルが来ると思いますが、その人たちがイエス様のことを信じるように、創価学会のために祈りましょう。立正佼成会の人たちのためにも、天理教の人たちのためにも祈らなければなりません。

 日本において福音の一番の敵は何かというと「仏教」です。寺の坊さん。敵を愛するということは、僧侶の人たちは真面目な人も多いのです。一生懸命に人のために真理を求めている人もいます。
 私たちは本物を捕まえたのですから、これから僧侶が救われるように覚えて祈りましょう。リバイバルが起きて、新城中の坊さんが教会に来て、一緒に礼拝するようになったらすばらしいじゃないですか。神主が救われるようにも祈りましょう。みなさん、その人たちが救われるように、あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

 聖書には『あなたの隣人を愛しなさい』とあります。聖書のルカの福音書の中に有名な「良きサマリヤ人」という例え話がありますね。エルサレムから下っていく途中、強盗に襲われた人のことが書いてありますが、まず祭司が通りかかったけれども助けなかった。その次はレビ人が来たけれども助けなかった。しかし最期に通りかかってその人を助けたのはサマリヤ人でした。
 サマリヤ人というのは聖書を見ると、ヨハネの福音書四章で、イエス様がサマリヤの街に行った時、女性に「水を飲ませてください」と言われました。彼女が言ったことは「あなたはユダヤ人じゃないですか。どうしてサマリヤ人の私に水を飲ませてくださいと言うのですか?」と質問をしています。そこに、かっこ書きで「ユダヤ人とサマリヤ人とは交わりをしなかったからだ」とあります。ある意味でユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係だったのです。
 しかし、サマリヤ人というのはユダヤ人から馬鹿にされていたけれど、そういう人が助けたと、聖書には書いてあります。それでイエス様が最後に言われたことは『あなたも行って同じようにしなさい』でした。

 私たちも心から、隣人を愛さなければなりません。一番の隣人は誰だと思いますか?ご主人にとって一番の隣人は自分の奥さんです。子どもです。親戚の人が一番の隣人です。自分の家族を愛せない人は信仰を捨てたと同じだと書いてありますが、特に、自分の家族を愛することが大切なことです。

 何回も聞いている話だと思いますが、新しい人のために話をしますが、私の人生の中で忘れることができないことは何かというと、私は鉱山の生活からここに来て元ダンスホールを買って集会を始めました。四軒長屋で新城中学校の前です。
 ある日のこと、一人のみすぼらしい婦人が来て、泣きながら「先生。私を救ってください」と言うのです。初めから泣いていました。どうしたのかと聞くと、彼女はこう言いました。「私は川崎に住んでいて、川崎で結婚しました。結婚したらまもなく、主人に嫌われて追い出されました。自殺しようと思ってどこで自殺しようかと街を歩いていたら、美しい賛美歌が聞こえて来ました。近づいたら『イエス様を信じなさい。救われる』ということで、自殺するよりも教会に行こうと思って教会に行き始め、自殺を止めました。」
しかし、その教会に行っている間に、一人の男性に出会ったそうです。その男性がその婦人を見初めて「おい。俺と結婚してくれ」と言ったそうです。その男性はクリスチャンじゃありませんでした。でも彼女は結婚しました。なぜかというと、彼女は考えたそうです。「結婚するべきか。もしも結婚したら、教会に行けなくなる。教会を選ぶか。男を選ぶか…。」その時に彼女は、「まぁ信仰は年を取ってからでもやり直せる。しかし男はそう簡単に現れない」ということで、男を選んだのです。
 それから二人は三島、豊橋、最後に新城に住むようになりました。その方の名前は三国さんと言います。すでに二十年以上前にお二人とも、亡くなられました。

 彼女は再び教会に来られるようになりましたが、いつも泣いて祈っていました。何を祈っていたのか。あまりにもご主人が悪いからでした。そのご主人は、私の知っている限り、本当に最悪の男でした。一日に一回は喧嘩しなければ寝られない。酒は飲む、タバコは吸う、人の奥さんにも手を出す、本当に悪い人でした。
 奥さんは「主よ。主人を救ってください」と祈っていたのですが、ある日のこと、私の所に来てこう言いました。「先生。私、このままでは幸せになれないと思うから、離婚したいと思います」と言うのです。「離婚したいの?」と話していると「はい。そうです。離婚したいんです。でも、先生、私が離婚したら三国はきっと地獄に行くでしょう。だから三国が救われるように、祈ることにしました」と言うのです。私は「良い所に気がついた。祈りなさい」ということで、彼女はいつも教会に来て、ご主人のために泣いて祈っていました。うちの長男や子どもたちは三国姉妹のことを「泣き女」と呼んでいました。いつでも泣いて「イエス様。三国を救ってください。地獄にやらないで救って」と。私から見たら、あんな悪い奴は救われることはないと思うくらいでした。

 しかし、ある日の祈りを私は今でも忘れません。彼女が腹の底から絞り出すような声で「イエス様。三国が救われるために、私を殺してください」と祈っていたのです。「交通事故でもいい。病気でもいい。私が死んだらきっと、三国も目が覚めると思うので私を殺してください。救ってください。」と、おいおい泣いているのです。私はその祈りを聞いて、「この祈りは聞かれる」と思いました。
 みなさん、『涙と共に蒔く者は喜びと共に刈り取る』とありますが、この祈りは聞かれたと思いますか。

 祈りが聞かれる日が来ました。ある日、新城の臼子という場所で集会をしました。ここにあるピアノは三国さんの近くに住んでいた、河合重久さんの奥さんの「としさん」が豚飼いで得た収入で教会に献げてくれました。もう亡くなりましたが。その河合さんの家で伝道集会をしました。
 その日、三国には小さな畑があって、耕作をしていました。そうしたら誰だか知らないけれど、声をかけたそうです。「三国。今晩キリスト教の集会に行け。」こう言ったそうです。彼はびっくりして見回し「誰だ!誰が言ったんだ!」誰もいない。なんだ。気のせいか。おかしな声を聞いたなと、それからまた仕事をしていたら、もう一度「三国。今晩キリスト教の集会に行け。」
 「誰だ!誰だ!出てこい!」彼は怖くなりました。みなさん誰だと思いますか?私も分かりません。イエス様か、聖霊様か、天使か・・・。

 とうとう彼はその夜の集会に来ました。私はその集会を今でも忘れることができません。河合さんの家に臼子の人たちがいっぱい集まりました。
 そこに三国がやってきました。一番後ろにどかんと座って、彼は人相の悪い男で、彼の一方の目が潰れていて義眼で、ガラス玉を目の中に入れていました。彼が来て最初にやったことは、目の玉をぽろっと出して口の中に入れてべろべろなめて、それから目に戻しました。私に対する威嚇かもしれませんが、その日私は、かまうことなく熱烈な説教をしました。
 「聞きなさい!死ぬことと、死んだ後に裁きを受けることは決まっている!人の女に手を出したり、暴力をふるったり、でたらめな生活をして、でたらめなやつは必ず地獄に行く!」と、一時間くらい、私は熱烈に地獄の説教をしました。「地獄は底しれない所。入ったら出ることは出来ない!火が燃えている所。悪い奴は地獄に入る!」と説教をしました。私も熱烈に話したけど、聖霊様も働いてくださって、三国は怖くなって、がたがた震えていました。そして、入れ歯を出したり入れたりしてオロオロしていました。

 しかし私は最後に、優しい声で「でもみなさん。心配しないでください。イエス様を信じたら、どんな悪い人の罪も赦されます。イエス様は身代わりになって死んでくださいました。信じたら救われます。信じたい人は手をあげなさい」と言ったら、彼は「お〜!頼んだ!」と手を挙げて言いました。「やった!」と思いました。あの最悪男が救われたのです。

 それから彼は奥さんと一緒に教会来るようになって、礼拝に来るようになりました。しかし彼は品性の悪い男で、教会に来てもタバコを吸って、酒も飲んでいました。だから奥さんが「あんたクリスチャンになったでしょ。酒やめなさい。タバコやめなさい。」『なに言っとる。イエス様だってちょっとくらいのタバコなんて文句言わんだろ。俺は教会に行ってやるのに偉そうに言うな』と言っていました。ある時は教会に来て、みんなの前で「みなさん!今日からタバコを止めます」と宣言した時がありました。
 次の日曜日、子どもと三国が表で喧嘩をしていました。そしたら彼がその子をぶん殴っていました。誰かなと思ったら、うちの長男でした。「三国!先週タバコやめるって言ったじゃないの!まだやってるじゃないか!」と言うと「偉そう言うな!」とぶん殴ったと言うのです。

 しかし神様という方は愛の神様です。彼がある晩寝ている時、夢を見たそうです。彼が鼻歌を歌って歩いていたら、地震が起きて、土地ががばっと裂けたそうです。すると一本の手が地獄からにゅーっと出て来て、三国の足を捕まえて「おまえみたいな悪い奴は地獄に連れて行く!」と言って足を捕まれたそうです。
 彼は恐ろしくて「助けてー!もう酒も止める!タバコも止めるから赦してくれー!」と、叫んで祈ったそうです。これは有名な話です。布団の中で「助けて!俺は地獄に行きたくない!助けてくれ!」と叫んでいるので、奥さんが「あんたどうしたの?」と言ったら、彼が脂汗をかきながら目を覚まして「あぁ夢か。地獄でなくて良かった。」その日から彼は酒・タバコから聖められました。

 それから彼は太鼓を叩いて「イエス様を信じてください」と伝道するような、良いクリスチャンになりました。そして天国に帰りました。三国姉妹の祈りが聞かれたのです。
 三国姉妹が「先生。私もう天国に行きたいよ。」「まぁそんなこと言わんでゆっくりしていけ」と私は言いましたが、奥さんもやがて天国に帰りました。

 あなたの敵を愛し、あなたの隣人を愛しなさい。もし親族、両親、救われてなかったら祈ってください。愛しましょう。これから、先ほど話したように、創価学会の人も、エホバの証人、反対している人たちも救われて、神の元に帰るように祈りましょう。今週の御言葉は『あなたの敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈りなさい。のろう者を祝福しなさい。』これが今日のメッセージです。
 一緒にお祈りしましょう。今日、もし誰か身内の人で愛せない人がいたら、今日は悔い改めてください。「赦します。愛します。祝福します。」みなさんに敵がいたら、敵のために祈りましょう。どういう人が敵か知りませんが、具体的に小さい声でいいから「イエス様。私の今嫌いな人、あの人を祝してください」と一緒にお祈りしましょう。ではご一緒にお祈りしましょう。