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『あなたは神の「完全な」作品です!

2013.8.25 (日)
新城教会主任牧師 滝元順
エペソ人への手紙 2章10節

『私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。』


 ハレルヤ!みなさんおはようございます。昨晩まで和歌山市で「和歌山リバイバルミッション」が開かれておりました。私も、スタッフたちも、結構夜遅く新城に戻って来たので、今朝は少しぼけているかもしれません。ぼけているのは、いつものことかもしれませんが、「今日まで守られ来たりし我が身」という賛美が今もありましたが、守られていることを、心から感謝いたします。

 和歌山まで駆けつけてくださり、応援してくださった方々、こちらに残ってとりなし、祈ってくださった方々によって、すばらしいミッションを開くことができました。本当に感謝します。二日間で延べ二千人近くの方々が来られたと思います。会場はいつも人で溢れていました。素晴らしい雰囲気で集会が持てたことを心から感謝します。
 和歌山での写真を、少しお見せしたいと思いますが、会場の前には和歌山城がそびえていました。

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 ところでみなさんに質問ですが、和歌山城は誰が作ったかご存知ですか?歴史的な人物です。誰でしょうか?分かりますか?答えは「大工さん」です。これは昨日使ったジョークですが、もちろん大工さんではありますけれど、豊臣秀吉が命じて作らせた城です。この城は徳川御三家の「紀州徳川家」が治めました。歴史的にも、大変重要な場所でした。和歌山城の下の和歌山市民会館で、二日間に渡ってのミッションが行われました。

 このミッションは、すでに六月から始まっておりまして、和歌山は北から南まで大変広範囲で、南から北まで四時間くらいかかります。南の地域の方々は、和歌山市まで来たくてもなかなか来られないだろうということで、各教会を廻って六月から集会を開催しました。今回はそれらの総決算ということで、和歌山市において開催されました。大変すばらしい集会となりました。

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 私が撮った写真なのであまり良くないですが、主の臨在溢れる集会となりました。準備の時間もそんなにありませんでしたが、内容、クオリティー共に高い集会でした。アメリカからロン・ブラウンさん、イボンヌ・ウィリアムスさんが来てくださって、すばらしい賛美をしてくださいました。

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 こちら側のスタッフも、各持ち場で、きびきびと動いて集会を支えてくれました。本当にみなさんのお祈りを、心から感謝したいと思います。
 二〇一〇年に東北でリバイバルミッションを行いましたが、国内のリバイバルミッションはそれ以来でした。その後は韓国とか、台湾とかをやっていましたから、ひさしぶりの国内ミッションでした。多くのなつかしい方々が来てくださり、こういう集会を日本でもやらなくちゃと感じました。近い将来、関西地方で、もう少し大きめの集会ができたらいい、と考えています。是非、その為に祈っていただきたいと思います。

 いずれにしても、みなさんのお祈りと支えがあって、このような働きができていることを、心から感謝します。
 来年の二月はタイのチェンマイという街で、リバイバルミッションが開かれることになっています。これからその働きが進んでいきます。チェンマイの教会とは、何度も打ち合わせがなされていますので、これから具体的に進んで行くと思われます。みなさんの中で、タイに行きタイ方はお金を貯め、暇を作って、来年の二月には来ていただきたいと思います。
 今回のタイのミッションは、山地にも行って集会をする予定です。タイには多くの少数山岳民族の方々がおられます。そのような人たちに福音を伝える目的で行われます。それは結構、新しい体験かもしれません。日本の教会が、隣人を愛する視点の中、もっと海外でも行動しなくてはいけないと思います。先週も、そのようなテーマを少し扱わせていただきました。

 今日はみなさんと一緒に、大変有名な聖書の箇所、エペソ人への手紙二章十節からお話をさせていただきます。今までもエペソ二章十節から、何度もお話ししたことがありますが、今日はちょっと今までとは、視点が違うかもしれません。

『私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。』

 私たちは神の作品であり、良いものだと述べられています。今日ここにおられます、お一人一人、もれなく、神の優れた、完全な、良い作品です。
 いつもお話ししますが、みなさんが座っている椅子は、作品ではなくて製品ですから、左の椅子も、右の椅子も同じです。しかし作品は作者が心を込めて一点一点作りますから、全て違うわけです。みなさんの左と右に座っている方をご覧になれば違いますよね。ちょっとお互い、神の作品として、まじまじと見て上げてください。よくぞこれだけ違った顔、違った性格、バラエティに富んだ作品を神様は作ったもんだと感動します。
 時にいろんな作品展に行って、作品の前で、はたと立ち止まって、意味が分からないことがあります。しかし、そんな意味の分からない作品が、結構値段としては高かったりするのです。有名な作家の作品は結構、意味の分からん作品が多いですよね。
 時々、全く意味不明の人に出会います。そういう人は神の作品価値としては、結構高いのではないでしょうか。自分の心を覗いて、訳が分からん人。あなたは神の作品として、大変高価です。

 聖書は、全世界の人たちに対して『私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださった』と語っています。
 教会に来ますと、幸せの価値観が変わります。幸せとは、追い求めるものだと一般的には思っているのですが、そうではなく、すでに神が造ってくださったものを受け取ればいい、という視点に変わります。
 私たちを創造してくださった神様の所に来れば、あらかじめ私たちのために造ってくださった良い物が手渡されるのです。

 聖書は、創造の原点から、世の終わりまで、いや、永遠の世界まで網羅する壮大なストーリーです。『初めに神が天と地を創造された』と記され、続いて人を造られた場面が出て来ます。それが創世記一章二十六節〜二十七節で述べられています。

『神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』

 創世記の一章二十六節は『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて』と書かれています。ここには、『われわれ』と複数の主語が出て来ます。神様って一人なのに、なぜ複数なのだろうかと思うかもしれません。ヘブル語では、主語は複数でも、動詞は単数だというのです。神様とは、そもそも数の概念を越えた方です。どんなに大きい方か分かりません。それはただ一人として、私たちは表現するしかないですけれど、一人の神様が、人類を造ることを天で計画してくださったのです。そして、その計画通りに、この地上に人類を創造してくださったのです。

 さてみなさん、神様が人類を造った時の様子を想像したことはありますか。初めの人間、アダムとエバを造られた時、どのようにして造られたのでしょうか。
 この会堂も今年で、三十三年が経過します。三十三年も経っているのに「新会堂」と呼んでいるのは、これいかにという感じです。新会堂でもなんでもないじゃないかと思いますが、三十三年も前に出来たにしては、うまくできているでしょう。
 なぜなら、最初にプランを立てた、新城教会の建築委員会のプランが良かったからです。そのメンバーの一人が、私だったのですが、新城教会には建築関係に明るい人が何人もおられ、本当に良いプランを練りました。韓国の有名な教会を視察に行ったり、国内の教会を視察したりして、設計図ができました。設計図ができた後、今度は業者さんに発注して、このような会堂ができたわけです。
 やはり最初の設計図がいいか悪いかで、現物がどうなるかが変わるわけです。人は神様の泥んこ遊びで造られたように考えますけれど、そうではないのです。神様は、まず、天で設計図を書いてくださったのです。それが創世記一章二十六節でした。それが地上に具体的に作品として、現れたわけです。
 最初の天における設計図は、天地宇宙をデザインした方の設計ですから、完璧なはずです。今日のタイトルは、『あなたは神の「完全な」作品です!』と付けさせていただきましたが、天のプランは完璧であったに違いありません。

 さて、みなさん。神様が私たちのために天で書いた設計図が、実は近ごろ見つかったのです。本当です。それは巻物です。こんなことを言うと、「あんた何を言うの。ちょっとおかしくなったんじゃない・・・」と言われるかもしれませんが、本当です。
 神が天で描いた人間の設計図を、今からお見せします。せいの、どん!

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 これです。分かりますか?DNAの配列です。この頃、遺伝子工学が発達し、人間がなんでこのような体になったのかが分かって来たのです。人間は細胞でできていますが、細胞の総数ははっきり分からないそうです。私もいろいろ調べましたが、六十兆という説もあるし、百兆以上という説もあります。しかしなんと、一つの細胞の中に、一人分のすべての情報が込められていることが、近年の研究ではっきりと分かったのです。

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 これ巻物でしょう。しかし、この巻物を構成している物質は、たったの四つだそうです。A、T、G、Cという頭文字で呼ばれる四つの塩基が、三十億個位、暗号のように並んでいるのです。その情報を基として、人はできているのです。
 巻物を引っ張り出すと、このようならせん状になっているそうです。二十三と二十三がペアになっていて、玉みたいのがありますが、人間は四つの塩基の配列によって、すべてが構成されているというのです。

 旧約聖書が書かれたのは、何千年も前の話ですが、「そんなこと聖書には書いちゃいないよ」と言いますが、DNA情報は、その時から存在していました。ただ、気づかなかっただけです。聖書は今でも人々の手の中にあり、時間も空間も知識も、すべて神から与えられたものですから、今の時代に、神が人類に開示された情報と共に聖書を読むと、神が人を創造したと言うけれど、どろんこ遊びでもなく、地面に描かれたいたずら書きでもないのです。根源に、「情報ありき」なのです。

 日本人って、諸霊とか、霊的世界は認めるのですが、天地宇宙を造った創造者となると「へっ?そんなのいるの?」とか、「人間なんて進化したんじゃない?」と言うのですが、DNAや遺伝子情報が分かって来た時代に、進化なんて絶対にありえないことが分かります。

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 ボールが並んでいる写真は、DNAを模式化したものです。A、G、C、Tという四つの塩基が三十億個位、並んでいて、それが情報源となって、人が造られているのです。
 この頃、そういうことがよくテレビで紹介されるので、みなさんも知っておられるかもしれません。この頃よく使われる「発現」という言葉を知っていますか?
 発現の意味は「遺伝子の情報が細胞における構造および、機能に変換される過程を言う」と解説されています。
 「発現」とは、DNA情報を元として、人間の臓器になったり、人の様々な領域に変わっていく過程として使われる言葉です。
 という事は、最初に情報ありきということです。最初に情報ありきということは、知的な存在が関わっていない限りあり得ないことです。

 みなさんは知的存在です。ですから例えば、今座っている椅子に縛り付けられたらどうしますか?必ず、しばらくしたら情報を発信するようになります。「助けてくれ!ここから私を解いてくれ!」と、情報発信するわけです。それはみなさんが知的存在の証拠です。

 でも、椅子に石を置いたらどうでしょうか。石には意志はありませんから、情報発信はしません。百年でも、二百年でも、三百年でも、ずっと同じ場所に置かれたままです。しかし知的存在は、自ら情報発信をするのです。
 今も見ましたが、A、G、C、Tという四つの塩基が、発現して人が造られるのです。

 じゃぁ、この情報を組んだのは誰なのか、ということです。誰がこのような情報を置いたのか。それは、神以外にあり得ないのです。私たちは百兆くらいの細胞で体ができているのですが、その一つ一つの細胞の中に、すべての情報が入っているというのですから驚きです。それが巻物のように巻かれて、各細胞の中に格納されているのです。
 神の書いた図面が、私たちの体の中に入っています。そこには将来に起こることさえ、含まれているというのです。誰がそのようなことをしたのでしょうか。神以外にありません。この時代、神を信じない人がいるのは不思議です。

 人の遺伝子情報が、今、徐々に解析されてきて、人間がただの生物じゃないことが、はっきり分かって来ました。遺伝子の基となるDNA配列は三十億個ほどあるそうですが、どういう風に並んでいるか、三十億もランダムに並んでいるのですから、配列にどういう意味があるのか、すべては分からないそうです。
 一九九一年から二〇〇三年にかけて、十二年かけて、ヒト・ゲノム計画により、先進六ヶ国が、日本も加わって、人の全情報を読み取る作業をしました。なんと十二年もかかって、人間のDNAのA、G、C、Tという、四つの塩基の配列情報を、すべて読み取りました。
 現代において、「人とは何か」と言ったら、「はい。DNAの配列です」と言えます。しかしそこには、神様の知恵が込められているのです。それらは自ら情報発信して、私たちは生きているのです。そこには神の霊が吹き込まれています。

 本当に人とは不思議な存在です。詩篇の記者であったダビデも、そのことを告白しています。詩篇八篇四節、

『人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』

 人とは何者なのでしょう。私たちに現在開示されている科学的な情報と聖書を比べながら、自分自身を見つめ直す時、聖書が記された時代以上に、「人とは、何者なのでしょう。なんと神の知恵は、深遠であろうか」と、言わざるを得ないのです。
 人類は十二年かけて、ヒトゲノム計画によって、六ヶ国分担で、三十億の配列情報を読み取ったのです。しかし、今、その技術は飛躍的に進歩し、人一人の三十億の塩基配列を読み取るのに、どのくらいかかるのか知っていますか?人一人の遺伝子配列を解析する時間です。

 先日、NHKスペシャルを見ましたら、その事をやっていました。こういう情報を人類に開示してくださっているという事は、その情報を知って、しっかりととりなし、祈る必要があるのではないかと、強く教えられました。
 かつては十二年間かかった読み取りが、今では一箇所で、三十億の塩基配列を解読するのに、「たったの一日」で解読できるそうです。

 ということは、どういうことかというと、今や世界中の人々の膨大な遺伝子情報が手に入る時代になったのです。
 人は、一人ひとり、独自の塩基配列を持っているのですが、それを比べると、病が起こる確率が分かるそうです。
 この間、アメリカの有名なアンジェリーナ・ジョリーという女優が、健康なのにも関わらず、遺伝子検査をしたら、乳がんの発生する確率が八十数パーセントあったそうです。その確率は、将来ほとんど、乳がんが発病するそうです。それで先に、健康な乳房を取ってしまったそうです。それが世界中で大きな話題となりました。将来病気になるのが分かるので、先に手術するというのです。手術した結果、発病の確率が四パーセントに下がったそうです。
 遺伝子を解析すると、将来に発生するであろう病気が、かなり高い確率で分かってしまうそうです。日本でもその検査が始まったみたいです。
 アメリカはその検査が進んでいて、百ドルくらい出せば、かなり多くの病気の確率を遺伝子からはじき出してくれるそうです。ということは、私たちの未来さえも、設計図に含まれているということになります。

 今では国民の半分が癌になる時代だと言われますから、たまりません。新城教会には毎日曜日に、三百人から四百人近く来ておられますけれど、考えるのもいやですけれど、半分は癌にかかるわけです。そして三分の一は癌で死ぬというのです。本当にたまらんなと思います。
 でも、そんな情報が手に入ると、一方では疑問も出て来ます。「神様は私たちを、完璧に造ってくれたのではなかったのだろうか。にも関わらず、なんで私たちの将来に不幸が起こる情報が含まれているのだろうか・・・」という事です。重大な病の情報さえ、遺伝子に含まれているのですから、それを考えると矛盾を感じます。

 神は初め人間の設計図を完璧にしてくださったはずなら、どこかで変わってしまったはずです。ではなぜ、変わってしまったのだろうか。それが分かったら、元々、完璧な遺伝子情報を与えて下さっていたら、取り戻すこともできるかもしれません。

 今の時代は、本当に複雑怪奇な時代です。それ故に、神はとりなしの祈りの情報を、私たちに与えてくださっています。それをしっかりと見つめ、ピンポイントでとりなし祈っていく時、今まで動かなかっ状況さえ、変わるかもしれません。

 NHKスペシャルの中で、一人のアメリカの九歳の子どものことをレポートしていました。それがこの子です。

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この子は、二歳の時に病気にかかりました。食事をすると腸に穴が開く病だそうです。二歳から九歳までの間に、何度も何度も手術をしたというのです。みなさんの中にも、今まで手術をした人がいるかと思いますが、手術って大変です。したくないです。でもこの子は、幼いながら、今までに百三十回も手術したというのです。

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 そして、全く治療の方法がないというのです。医者はさじを投げて、「どうにもなりません。助けることはできません。死ぬしかありません」ということだったそうです。
 しかしこの頃、世界中の人々の遺伝子が解析される時代になって、彼の三十億の遺伝子情報を解析し、健康な子どもたちと比較し、一体どのDNA配列が違うのかを、徹底的に、三ヶ月かけて調べたそうです。
 そうして絞り込んで行ったら、腸に穴を開ける原因となっている異常な配列が分かったというのです。それは何か。これはNHKスペシャルの情報ですけれど、

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 本来は、ある場所の塩基配列がGでなければならないのが、Aだったというのです。その結果、彼はこんな大きな病で苦しんでいたのです。
 この事が分かって、AをGに書き換える治療をしたというのです。すると百三十回も手術していた子どもが、なんでも食べられるようになり、完全に治ってしまったというのです。

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 私たちは神様に守られているとよく言いますが、私たちは本当に守られていると思います。三十億ものDNAの情報の一つ、AがGだったり、Gの所がAだったりするだけで、生きることができないほどの問題を引き起こすのです。こうして生きていること自体不思議ではないでしょうか。一つが変わってしまうだけで、人間は幸せから不幸のどん底に落ちるなら、生きていること自体、守られているということです。

 なぜ変わるのかということに関しても、真剣にとりなして祈っていかなければいけません。三十億のDNA情報が、何一つおかしい所がないように、祈ろうではありませんか。そうしたら今まで長いこと不治の病気で苦しんでいる人も、もしかしたら癒やされるかもしれません。

 では聖書の中に、「この時点で、DNAが変わってしまったかも」と思われる情報はあるのでしょうか。聖書が書かれたのは、何千年も前ですから、DNAとか、遺伝子という情報は全くありませんでした。それを読み取るのは不可能かもしれません。
 しかし、現代科学と合わせて、聖書を読んでいく時、「もしかしたら、この時点ではないか?」というような箇所を見つけることができます。

 人類は最初、永遠に生きる存在として造られました。エデンの園には、いのちの木の実があって、それさえ食べれば人類は永遠に生きる存在として造られたのです。
 ということはどうでしょうか。神が最初に書いたDNA情報は、人は劣化しないで永遠に生きる設計図を書かれたと思われます。
 しかし、人が死ぬようになったのは、エデンの園で善悪の知識の木の実を、蛇と出会って食べてからです。蛇にそそのかされて、善悪の知識の木から実をもぎって食べてから、人は死ぬようになったのです。
 しかし、創世記を見ると死ぬとはいっても、みんな長生きだったです。
 創世記の登場人物の寿命は九百歳以上でした。アダムもエバも、あの辺の登場人物は、九百歳以上生きた人たちばかりです。
 もしも仮に、九百年間生きることができるとしたら、あとどのくらい人生が残っているのでしょうか。ここにいる私の母親は、現在、九十歳ですけれど、まだ人生の十分の一しか生きていません。これからまだまだです。私は八月で六十二歳になりましたけれど、これから気の遠くなるような人生を送らなければならないのです。「死ねるようになって良かったな…」と思うところもあるのですが、最初の人類は、九百歳くらいまで生きることができたのです。

 しかし創世記六章で、突然、神様が九百歳くらいまで生かしていた人類を、「百二十歳にする」と言われました。以来、人の寿命が百二十歳まで落とされたのです。最終的には七十歳、八十歳という記述もあるくらい、寿命が下がって行きます。
 初めは永遠に生きる存在が、蛇と出会って、九百歳くらいになって、その後、百二十歳にまで落ちたのです。
 ある人が、聖書に登場する人たちの年齢をグラフにしたのが、インターネットに出ていました。

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 ノアの大洪水の前まで、平均寿命が九百二十九歳でした。創世記六章でノアの洪水の記述があるのですが、神が「百二十歳にする」と言われてから、がたがたと寿命が落ちて、平均寿命が四百四十五歳、二百三十六歳、百五十九歳と落ち込んで、エジプトに渡ったヨセフの時代になったら百十歳。今じゃどうでしょうか。七十、八十、九十です。神様が言われた通りに、寿命が短く変わって行ったのです。聖書は歴史の書ですから、変化がはっきりしています。聖書はすごいと思います。

 これは何が言えるのでしょうか。九百歳ぐらいまで生きていた人類が、百二十歳にまでになったということは、明らかに、神が人のDNA情報に手を加られた事ではないでしょうか。神ご自身が「百二十にする」と言われ、情報に手を加えられたので、寿命が下がったと思われます。
 現代の科学の視点から言えば、何らかの遺伝子操作があった痕跡をここから見いだすことが出来るわけです。

 ではなぜ、そういうことが起こったのかということです。やはり寿命を短くしなければならない、理由があったということです。その事が書かれているのが、創世記六章一節〜三節です。

『さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。』

 ここで、神が人の寿命を、九百年くらいから百二十年にまで縮められたのです。これは一つの事件が関わっています。

『さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。』

 この箇所は聖書の中でも、理解が難しい箇所です。神の子らが人の娘と性的関係を結んで、子どもが産まれたというのですから。ゆえに、「神の子ら」とは誰だろうかということについて、いろいろな説があります。
 私もいろいろな説を検証してみましたが、一番受け入れられている説は、「神の子ら」とは旧約聖書では「天使たち」のことを言うのです。ゆえに、これは霊的存在、御使いたちが、自分の領域を捨て、女性と性的関係を結んで子どもが生まれたということになります。その時、神が寿命を百二十歳にしたと言うことになります。
 この「神の子ら」とは、神に仕えている御使いではなく、「堕落した御使い、悪霊ども」という理解が、一般的な説として受け入れられています。そのように理解している聖書学者が多いようです。

 「神の子ら」を堕落した天使、「悪霊ども」だとするとどうでしょうか。永遠に生きる者が、蛇、悪魔と出会ったことによって、永遠から九百歳にまで寿命が縮められ、さらに六章に来て、またもや悪霊と人との出会いによって、百二十歳にまで縮められたことになります。
 現実には、どういう事が起こったのかは横においても、人が悪霊と関わることが、命に大きく影響を与えることが、ここから理解できます。

 教会に、霊的戦いの剣を与えて下さったことは、本当に感謝しなければならないのではないでしょうか。悪霊が人と関わるということが、人の生命に関わる重大問題であるからです。
 ここでは、悪霊が人の娘と性的関係を結んだことにより、生まれてはいけない人類が生まれたみたいです。その生物の名は、「ネフィリム」という存在です。六章四節に記されていますが、ネフィリムとは「巨人」とも訳されますし、「天から落ちて来た者」という訳もあります。

 しかし一方では、悪霊が人と関わって子どもが生まれるような事は、果たしてありえるのだろうか。霊的存在と、肉体を持っている者と、そもそも性的関係が結べるだろうかという疑問です。
 けれども現代科学では、今やIPS細胞の時代です。子どもが生まれるのに必ずしも、両親は必要ないのです。男女がいて生まれるという必要がない時代です。今では髪の毛一本でも、そこから命を作り出すことができる事が実証されています。髪の毛一本も落とせません。私は、落とせなくて良かったと思いますけれど、気を付けてくださいね。
 我が家で掃除の時、「絶対に俺じゃない」というゴミが髪の毛ですが、いずれにしても、髪の毛一本で命を作り出しす事が可能な時代です。そう考えたら、悪霊どもが人と関わって、生まれてはいけない破壊的人類が生まれることも可能なはずです。

 この創世記六章と関連して、新約聖書のユダの手紙の六節に、こんな記述があります。ユダ一章六節、

『また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。』

 この箇所は聖書が成立するまでに、外典と呼ばれる資料があったわけですが、外典の「エノク書」と関連して引用されていると言われます。この箇所は、ノアの洪水前に、悪霊どもが自分の領域を捨てて、人の娘と性的関係を結び、子どもを産ませた事を示唆しています。この天使たち、すなわち、悪霊どもを、神は捕らえて、永遠に封じ込められたと理解されています。それは創世記六章との関連があるのではないか、と言われています。

 「ノアの洪水」はなぜ起こったのかというと、ネフィリムとの関係があるのではないかと言われます。
 創世記六章五節〜八節を見ると、

『主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」しかし、ノアは、主の心にかなっていた。』

 人類を全て滅ぼさなければならなかった程の事件は何でしょうか。私たちは簡単に「人が何か悪いことしたんじゃないの?神様が気分を悪くしたんじゃないの?」と簡単に考えますが、六章一節から読むと悪霊が人の娘と関係して、ネフィリムという巨大な破壊的人類が生まれたことと関連していると思われます。洪水はネフィリムを一掃するためであったと言われます。

 悪霊的な力を持って生まれた子孫が、どのような存在であったのか、どう理解していいのか分かりませんが、一つ言えるのは、それが「性的罪と関連している」と言うことです。現代は、性的罪が蔓延している時代ですが、これは本当に深刻な問題であると言うことです。

 聖書は夫婦間の性関係は祝福として捉えているのですが、それ以外の、結婚前の性的関係、結婚してからの浮気、不倫は「罪」としています。
 「罪」とは何でしょうか。「罪の後ろには、確実に悪霊がいる」のです。

 ということは、ちょうど創世記六章で、悪霊どもが人と関わって子どもを生ませたメカニズムは、はっきり分からないとしても、悪霊が関わって子どもが生まれることによって、悲惨な人類が誕生し、寿命が恐ろしく削られた現実は見逃せません。性関係の後ろに悪霊がいるなら「気を付けろ!」と警告しているのです。

 性的罪の誘惑が多い時代ですけれども、自分のためにも、新しい世代の守りのためにも、十分に気を付けなければいけないのです。
 ネフィリムは、悪霊的な力に満たされた男と女が関係して生まれた、という説もあります。いずれにしても、性的関係の背後に、悪霊どもが関わっていたのです。
 その結果、大きく寿命が削られ、神が人類を一掃しなければならないほどの、大事件にまで発展したのです。

 性的罪が世界にはびこっていますが、悪魔はネフィリム事件をよく知っています。これこそ、人に関わる最も効果的な、神の書いたDNA情報を書き換える可能性が生ずる罪なのです。性的罪は、現代においても、「様々な問題を持ち込むきっかけとなる」のです。

 もしかしたら、人類は性的罪の連続の中で、三十億のDNA情報をちょっとずつ変えられ、今のような病気だらけ、問題だらけという、悲惨な世界に仕立て上げられたのかもしれません。

 悪魔・悪霊どもはすごいパワーがある、と私たちは考えますが、もしかしたら、あんまりパワーはないのかも知れません。パワーはなくても十分に働けるのです。四つの塩基情報の内、A情報をGに置き換えたり、G情報をAに置き換える、たった一つの操作で人をどん底にまで落とすことが出来るからです。
 それは現代科学と聖書を突き合わせる時、浮かび上がってくる事実です。

 今の時代、罪が多くなって来ました。しかし、神は私たちに新しい情報を与え、「よく考えてください。幸せに生きるためには、何を選択したらいいのか考えてください!」と、神が私たちに、自己責任を問われている時代かもしれません。

 しかしみなさん、イエス・キリストを信じる時に何が起こりますか?「永遠のいのち」が与えられます。これは、どういうことでしょうか。最初、人間は永遠に生きる者でした。しかし悪魔と出会って、どんどん命が削られました。けれども、イエス様と出会って、永遠のいのちをもらうというのは、「元々の良き物の回復」です。

 イエス様を信じて、永遠のいのちが与えられるとは、神が天で、私たちのために書いてくださったオリジナルの設計図を、受け取る事に他なりません。

 歴史中、神が人の寿命を「百二十歳する」と決めましたから、地上ではそれ以上は生きることができません。しかし、人類に与えられた寿命の中で、病気になったり、問題が起きて苦しむ人生ではなく、幸せに生きる人生を回復できるのではないかと思います。
 そうです!「あなたは神の完全な作品」だからです。

 今日は、現代科学の情報と合わせ、人間とは何者かを、みなさんと共に考えましたけれど、今日、神の前には、私たち一人ひとりの三十億の塩基配列があるはずです。私たちは家族を代表し、家系を代表し、塩基配列が罪により変えられたところがあったら、元に戻していただけるよう、祈ろうじゃありませんか。

 その時、問題が根源的に変えられるかもしれません。今や家系の呪いは科学的に証明されています。それはDNA情報の中で受け継がれる悪い情報です。ゆえに高確率で同じ問題が繰り返すわけです。しかし私たちはイエス様の勝利に立って、それを書き換えることができるはずです。家系の呪いからの解放は、科学的に言えば、DNA配列の変化に他ならないのではないのでしょうか。病が癒やされる体験があったら、遺伝子レベルで神が何らかの操作をしてくれたはずです。
 今や、ほとんどの病が、遺伝子と関わりがあることが分かっている時代です。将来は、多くの病が克服されるという希望もあります。しかし一方では、人間がネフィリムと関連する、汚れた罪を犯し続けていけば、更に新しい破れ口を作ってしまうのです。

 今日、私たちは、神の前に聖く生きることを決断しなければなりません。特に、性的な罪は、命を削り、子孫を壊していく恐ろしい罪であることをしっかりと理解し、心に刻まなければいけないのです。そのような罪を犯すならば、DNAが組み替えられる危険性があります。
 もしも、はっきりと悪い性的関係が、DNAに重大な欠陥をもたらすという事が科学的に実証されたらどうでしょうか。誰も罪を犯さなくなるはずです。「そんな怖いことやりたくない!」と。

 しかし、聖書の情報から照らし合わせると、それ以外に考えられません。聖書は私たちにとって、すばらしい情報源です。神が与えた情報と共に聖く歩み、奪われたものを取り戻すことができるのです。
 このすばらしい主に従って行けることを、心から感謝し、今から聖餐式を行いたいと思います。

 今日の聖餐式において、遺伝子レベルで勝利を受け取りましょう。神のオリジナルのDNA情報を回復し、悪魔に渡してしまっている領域を書き換えてくださいと祈りましょう。今日はみなさんの将来に関する、悪い情報が一掃されるように祈ろうじゃありませんか。
 イエス様の十字架の血潮は、そこまで勝利を与えるものであると信じます。
 今日は、全てが新しくされる時となりますように。まず一言お祈りさせていただきます。


 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて心から感謝をいたします。今の時代、あなたが多くの情報を私たちに与えてくださっていることを、心から感謝します。
 しかし人類が長いこと神から離れ、罪を犯続けたゆえに、あなたがせっかく与えて下さった素晴らしい情報が大きく変わってしまっているかもしれません。どうか、私たちを今、十字架の血潮によって聖めてください。
 私たちの遺伝子やDNAの情報さえも、あなたは目の前で見ておられます。今日は光の天使たちを遣わし、情報を元に戻してください。あなたの十字架の血潮によって、教会に集う兄弟姉妹は、将来、病で支配されることはないと宣言します!
 悪い情報が一掃され、常にイエス様の十字架の血潮の中で、聖い歩みをする者とならせてください。イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。