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『何事にも定まった時期がある

2013.9.29 (日)
新城教会牧師 上條実
伝道者の書3章1節~2節

『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。』

伝道者の書3章11節

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日皆さんとともにみことばを学ぶことができますことを感謝します。
 この頃朝の気温が低くなり、肌寒くなりました。朝と昼との寒暖の差があり、風邪をひきやすい時期ですので体調には気を付けて過ごしていきたいと思います。
さて、先ほど読んでいただきました伝道者の書三章の所から「何事にも定まった時期がある」というタイトルで学んでいきたいと思います。実は、当初この礼拝のメッセージを準備していた聖書箇所は、こことは全く違う箇所でした。イエス様は私「ひとり」を愛して下さる。いつも主は「一人」に注目して下さるというみことばから話そうと考えていました。しかし、準備の中で今日のみことばを与えて下さいました。神のなさることは、すべて時にかなって美しい事を信じてお話しさせていただきたいと思います。

 人生は、様々な出来事があります。山あり谷ありです。何でこんな事が起きるのだろうと心騒ぐことがあります。皆さんもご存じのように、私は今年の2月に自転車に乗って教会から家に帰る途中、全く予想もしていなかったのですが、自転車にぶつかって、転倒し鎖骨を骨折してしまいました。そこを通るのがあと一秒遅かったら、いや一秒早ければ、ぶつからなかったのにと思います。しかし、先ほど読んだ伝道者の書三章には『何事にも定まった時期があり』とあります。何事にも神さまの定まった時期があるとあります。エペソ人への手紙六章十節~十一節には有名なみ言葉があります。

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

とあります。みなさんよくご存じのみ言葉です。ここでは悪魔の策略に対して立ち向かうために、守りのために神の武具をつけなさいと教えています。また、その後には戦いの武器であるみことばの剣を持って悪魔に立ち向かって行かなければならないことが書かれてあります。悪魔は様々な手法を持って私たちに対して策略を巡らせ戦いを挑んできます。私は

『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

と十一節の方を注意して学んでいましたが、今回主は私に十節をよく読み返しなさいと言われたような気がしました。

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。』

大能の力によって強められなさい。大能の力によって強められた後に「武具をつけなさい。剣を取りなさい」と教えて下さいました。自分はいつも「武具をつけさせてください。みことばの剣を与えて下さい」と意識して祈っておりました。今日守って頂くために、また今日戦うために武具とみことばの剣を下さいと祈っていました。しかし今日、その武具と剣を頂くために、大能の力によって強められて武具と剣を持たなくてはいけないと言うことが大切だと教えて頂きました。私がよく引用しますリビングバイブルには、

『最後に、覚えておいてほしいことがあります。 あなたがたは、自分のうちにある主の超自然的な力によって強められるべきだということです。』

 と書かれています。超自然的な力によって強められるべきだ。その超自然的な力で戦わなければいけない。自分の力だけでは戦うことができない。主の超自然的な力によって強められて、神の武具と剣を持たなければいけないと教えられました。聖霊の力を与えてください。聖霊に満たしてください。超自然的な力、人間にはできない超自然的な力を、主から頂きましょう。大能の力で強めて下さい、その後神の武具をつけ、みことばの剣を持たせて下さいと祈らなくてはいけません。

 先週遅い夏休みを頂いて、家内の実家がある東京に行きました。東京に行って感じることは、新城と東京の人たちのスピードが違うという事でした。歩く速度も、電車なども全てスピードが違うんです。本当に忙しく見えます。帰って来るとなぜかホッとします。田舎のテンポが私にはちょうど良いと感じました。

 しかし今の時代はスピードがどんどん加速しています。新しいiPhoneがでましたと宣伝され、既に購入された方もいらっしゃるかもしれません。メールや画像も早く送ることもできますし、インターネットもすぐに繋がるなど素晴らしい機能が満載で、とにかくスピードアップしています。また今回東京へ行く時電車で行きました。初めは何時のひかり号で行こうかと家内と話していましたが、結局各駅停車のこだまで行きました。ひかりはあっという間に東京駅に着きますが、こだま号はゆっくりとしています。「五分間停車です」と飯田線に乗っているような感じで、なぜか肌に合うような気持ちがしました。昭和三十九年、一九六四年、東京オリンピックが開催されました。その時に合わせて東海道新幹線は開業しました。当時は東京大阪間が列車で6時間程度かかるところを、3時間に短縮され、「夢の超特急」と表現されました。その時の新幹線の最高速度は二百十キロでした。しかし今一番早いのはなんと三百二十キロだそうです。東北新幹線のE5系が三百二十キロを出すというのです。そして最近報道していましたがリニア中央新幹線では、なんと時速五百キロだそうです。なぜそんなに急がなくてはいけないのかと思うのですが、電車も車も、性能が良くなりスピードが優先される時代です。

 私は一九五七年七月五日生まれで、五十六才になります。つい最近こんな事を調べました。自分は五十六才ですが「何日間生きたのかな?」と思い、計算してみました。もし私が一九五七年七月五日十二時に産まれたとして、今日十二時ということで計算しましたら、

生年月日 一九五七年七月五日 十二時に生まれたとして
二〇一三年九月二九日 十二時で
経過日数 二万五百四十日
経過時間 四十九万二千九百六十時間
経過分 二千九百五十七万七千六百分
経過秒 十七億七千四百六十五万六千秒

 生きた日数が二万五百四十日。そして何と生きた秒数は十七億以上でした。一秒一秒の積み重ねで何と十七億秒も経過してしまっています。つい最近この近くの小学校へ入学したのにと思っていたのに、今は四人目の孫が産まれるという年になってしまいました。あと何年生きられるのかなと考えてしまいました。先ほど読んでいただきました。伝道者の書三章十一節に、

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。』

自分で生きているようでも生かされており、私たちには『神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。』ということです。私たちは神さまによって、人の心に永遠への思いを与えて頂き、死について、また死後どこに行くのかについて考えるというのです。私たちクリスチャンはイエス・キリストを信じる信仰によって、永遠の御国、天国に入ることができるという約束をいただいているのです。私は葬儀を担当させていただいていますので、何度か、兄姉の最期を見守る時があります。クリスチャンの死には希望があります。天国に行くことができる。そしてまた再会できるというすばらしい望みがあります。しかしまだイエスキリストを信じていない人のことを考えると、どうにかしてイエスキリストをお伝えしたいと思わされます。しかしクリスチャンである私たちに主は警告しています。ヤコブの手紙四章十四節

『あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。』

 厳しいことばです。私たちはまだ若いからとか、まだ大丈夫だとか、明日はどうしよう?など考えますが、聖書は、あなたの命は、しばらくの間現れて消えてしまう霧にすぎないと言っています。箴言二十七章一節には、

『あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。』

 とあります。何が起こるか、あなたは知らないというのは本当です。私も自転車で事故に遭った時、寸前まで事故になるなんて思っていませんでした。一秒後は全く分かりません。伝道者の書十二章一節に、

『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。』

とあります。私たちは準備できているでしょうか?マタイの福音書三章十節、

『斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、 みな切り倒されて、火に投げ込まれます。』

とあります。『良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。』そして「木の根元に斧が置かれている」とあります。

 私たちクリスチャンは、ぶどうの木のたとえのように良い実を結ぶ器になる必要があります。あなたは良い実を結んでいるでしょうか?神様を軽く考えないようにしましょう。いつもみことばで、神様は語ってくださっています。しかし、あなたはそのみことばを無視していませんか?毎週のメッセージは牧師たちが語っていますが、語るにも神の時があります。各々その牧師に主が語り、主から語られたことを皆さんに伝えています。みことばを軽く考えないで下さい。神の声に従うクリスチャン、良い実を結ぶクリスチャンでなければいけません。良い話ではありませんが、クリスチャンが悪魔の策略に引っかかり、まんまと淫乱、不品行の罪に悪い実を結んでしまっています。また、お金や偶像礼拝など、様々な罪によって失敗しています。悪魔は策略をかけ、どうにかしてクリスチャンを苦しみの場所に連れて行きたいと必死になっています。せっかくイエスキリストを恵みによって信じる事ができたにも関わらず、私たちは神を軽く考えてしまって信仰から離れさせられてしまっているのです。仕事がうまくいったりすると、私たちは高ぶってしまいます。自分が成功を勝ち取ったかのように錯覚してしまうのです。今の時代は携帯や、コンピューターで簡単に汚い画像を取ることができます。インターネットは便利になりましたが、悪魔は便利になったものを使って悪魔は私たちに誘惑してきます。特に男性は気をつけなければいけません。簡単に汚いエロ画像などを入手することができ、出会い系の掲示板にアクセスして、不品行に陥り、家庭が壊れてしまいます。今、多くのクリスチャンの中で失敗していく人たちがいます。原因は救いを軽く考えさせられてしまうのです。特に今の時代は性的な罪に対して気をつけなくてはいけません。子どもでも簡単に見えてしまいます。怖い時代です。便利になっていくのは良いけど、その反面、ものすごく、怖い時代になっています。恐ろしい時代です。神の斧が私たちの根元に置かれています。ヘブル人への手紙十三章四節、

『結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。』

とあります。性的な罪の誘惑、策略から守られるように、大能の力に満たされて、超自然的な力によって、武具と武器を持って立ち向かって行く必要があります。「聖霊様、私を満たしてください」と常に祈り、聖霊様に頼って生活して行かなくてはいけません。結婚を控えている方、また将来結婚しようとしている若い兄姉、絶対に悪魔の策略に引っかかってはいけません。永遠の救いをしっかり握り、聖さを持ち続けていく時、必ず祝福をくださいます。最高の伴侶と結婚させて下さいます。周りがどんな時代であろうとも、百人のうちの九十九人がイエスと言っても、それが罪であるならば、私たちは「ノー」と固く立つことが必要です。罪に対して戦っていかなければなりません。命は神さまが握っています。あなたが誘惑されて、その策略に陥った時に、「ストップ。これで終わり。」と神の時が来るかもありません。今日私たちはまじめに心を点検しなくてはいけません。
私たちの教会は毎週聖餐式があります。これはすばらしい神様の恵みと哀れみの時だと信じます。ぜひ今日十字架をあおぎ、イエスキリストがあなたの罪のために死んで、葬られ、三日目に甦って下さった新しい契約を、再度受け入れましょう。イエス様は、罪を告白したらその罪を赦してくださいます。「良い実を結ばせてください!」と、祈りましょう。悔い改めることがあればへりくだって、悔い改めの時を持ってください。神を軽く考えないで、神様を恐れていきましょう。伝道者の書三章二節、

『生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。』

命は神が握っています。生かされています。時代がどうあろうと聖く生きていきましょう。


 そしてもう一つ、今日学びたいことは、『神がなさることはすべて時にかなって美しい』
ということです。先週創世記にあるヨセフの記事を読みました。その中で創世記四十章二十三節、

『ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。』

と言う所に目がとまりました。ヨセフは容姿端麗であり、特別神様に祝福された者でした。父ヤコブはヨセフを愛し、跡継ぎにしたいと願っていました。ところが、そのまま祝福が続くと思いきや、全く違う方向に進みました。兄に妬まれて、策略により穴に落とされ、奴隷商人に売られ、連れて行かれたエジプトの地でポテファルという人の召使いになりました。大切に育てられていたヨセフが、どん底に突き落とされ、他国で召使いになったのです。そんななかでも彼は主を愛して、正しい生活をしました。その結果、主人であるポテファルに「おまえに財産を任せるよ」と言われ、家の全部を管理するようになりました。しかし、そうしてからもポテファルの妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」と言い寄りました。ヨセフはここでも正しい判断をして誘惑を拒み続けたのですが、罠にはめられて、牢屋に拘束されてしまう者となりました。どんな時でもまじめに主を愛してきたヨセフが、何と牢獄に入れられたのでした。そんな中で、創世記四十章二十三節を見ると、二人のパロ王に仕えていた人たちも牢獄に入れられてきました。一人は献酌官長、またもう一人は調理官長でした。いつもパロに酒を注ぐ役割の人と、いつもパロに食事を出す人です。牢屋の中でもその人たちの召使いになって仕えるように言われました。ある日ふたりは同じ夜にそれぞれ夢を見、その夢にはおのおの意味がありました。翌朝、彼らはいらいらしていたので、ヨセフは、
「なぜ、きょうはあなたがたの顔色が悪いのですか。」と聞きました。夢を見たがそれを解き明かす人がいないと言ったので、ヨセフは「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」と言いました。すると献酌官長は言いました。「一本のぶどうの木がに三本のつるがあった。それが芽を出しすぐ花が咲き、ぶどうのふさが熟し、ぶどうになり、私はそのぶどうを摘み、パロの杯の中にしぼって杯をパロの手にささげたという夢であった。」と語ったのです。ヨセフは解き明かしました。「三本のつるというのは三日後のことです。三日後にあなたは釈放されて、また同じ職業に、同じパロの献酌官長に戻ることができますよ。」と語りました。その時ヨセフはまたこうも語りました。創世記四十章十四節~十五節、

『あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から 私が出られるようにしてください。実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです。』

パロに伝えてほしいと語ったのです。調理官長も夢を語り「私の頭の上に枝編みのかごが三つあり一番上のかごには、パロのために調理官が作ったあらゆる食べ物がはいっていた。しかし鳥がかごの中から、それを食べてしまった。」とヨセフに伝えた時、ヨセフは答えて「三つのかごは三日のことで、三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をむしり取って食う。」と伝えたのです。そして、両者ともその通りになりました。しかし創世記四十章二十三節、

『ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。』

のです。そして、創世記四十一章一節には

『それから二年の後、パロは夢を見た。見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。』

 とありますので、それから二年もの間、ヨセフのことは忘れられ、彼は牢獄で生活し続けたのでした。しかし、ヨセフが牢獄から出される時が来ました。パロは夢を見ました。創世記四十一章一節~七節

『それから二年の後、パロは夢を見た。見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立った。そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。そのとき、パロは目がさめた。それから、彼はまた眠って、再び夢を見た。見ると、肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来た。すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。』

パロは心が騒ぐので、その夢に対して誰か説き明かすように命令しましたが、エジプトのすべての呪法師と、すべての知恵のある者たちにはそれをパロに解き明かすことができませんでした。その時、献酌官長はヨセフのことを二年ぶりに思い出したのです。ヨセフはパロの所に召し出され、夢を説き明かしました。創世記四十一章二十五節~三十七節

『ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。』

とあります。そして、神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。ということとなり、ヨセフはエジプト全土で第二位の位に就いたのです。礼拝でもよく賛美される「驚くばかりの恵みなりき」という歌の意味を、有賀喜一先生が「びっくり仰天したような恵み!」と言っていますが、超自然的な力で、ちょうど良い時にヨセフを立たせて下さいました。ついに祝福をヨセフは手に入れました。私たちは様々のことを祈っています。求めています。期待しています。また信仰告白をします。しかし、答えられずにあきらめてしまう時があります。しかし、みことばは『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。』と言っています。時があるのです。ヨセフは二年間待ち続けました。神様の約束というのは、今かも分からないし、ヨセフのように二年後かも分からないし、もしかしたら、私が命を失った後かも分からない。主は時にかなって美しいことをしてくださる方です。
 あなたに質問をしたいと思います。

『あなたの信じているイエス様はどんな神様ですか?』

「救い主です。」と答えると思います。また「全能なる神様」「必ず祝福してくださる神」等答えると思います。しかし自分の問題となると、まんまと悪魔の策略にやられてしまいます。不信仰の塊のようになってしまいます。しかしあなたが驚くべき、驚いて仰天するほどの事を主は備えていて下さいます。十分満たして、溢れ流れて、主の祝福、最高の祝福を私たちはいただくことができます。
 子どもに「クリスマスの時にこのプレゼントをあげる」と、子どもがほしくてたまらない物を約束したら、ただ約束しただけで、友だちに「今度クリスマスにこれを買ってもらえるんだって!」と自慢し、喜び続けます。しかし、私たちはどうでしょうか。信仰を失ってしまうのです。悪魔の策略に対して立ち向かっていかなければいけません。そのために大いなる聖霊の力によって私たちは燃やされて、神の武具とみことばの剣を持って戦わなくてはなりません。神のことばをしっかりと握り、忍耐をもって走り続けて行く必要があります。時々、子ども会で「リバイバルが起きたらどんなになると思う?」と話したりします。すると子どもたちは夢を膨らませて、いろいろな事を語ってくれます。ある子どもは、「飯田線の茶臼山の駅に新幹線が止まる」と言いました。なぜかと聞くと「遠くの人たちも、新幹線に乗って大勢礼拝に来れるように」と言いました。ドでかい教会ができる。とか学校の必修科目として聖書を学ぶ。多くの人が癒される。など多くの夢を語ってくれます。子どもですから教会の隣に遊園地ができて、「クリスチャンはタダ」とか「プールができる」とか、楽しい夢を語ってくれます。あなたは神さまにどんなビジョンを持っていますか?あなたの問題に対して、夢を持っていますか?大能の力によって満たされなさい。そして、今日、神の武具と御言葉の剣を持たせていただいて、時にかなって絶対に美しいことをしてくださるのが、私たちの神です。最後にお祈りして終わりにしたいと思いますが、今日、初めに語りましたが罪に対して、軽く考えないでしっかり悔いあらためて下さい。私たちは自分で生きているのではなく、主に生かされています。だから今日、徹底的に聖さを求めて祈りましょう。過去、犯してしまった罪、人に言えないような罪があったとしても、主に告白したら、赦されない罪はありません。そして聖さを持って、神に従っていく時、ちょうど良い時に、神の時に美しいこと。驚くことを主がして下さいます。将来と希望を与えて下さいます。お祈りします。

 愛する父なる神さま。今まで私たちは、あなたの前に不信仰であったことをお赦してください。私は悪魔の策略にはまり、罪を持ち続けていたことをここに悔い改めます。今日神さまの主権を認めます。イエスキリストの新しい契約によって、私の全ての罪をお赦しください。
 また私を大能の力によって強めて下さい。聖さとともに、聖霊の力を与えて下さい。超自然的な神の力を与えて下さい。
そして神の武具とみことばの剣をしっかり握り、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対して、圧倒的な勝利を与えて下さい。
 何事にも定まった時期がある事を信じます。あなたの時が来た時には、驚くべき恵みで私たちを満たして下さい。祝福して下さい。イエスキリストの聖名によってお祈りします。アーメン。