HOME > メッセージバックナンバー > 2013年バックナンバー > 11月 > 11月24日

『心優しく、最も強いお方
 ~それはイエスさま』

2013.11.24 (日)
新城教会 主任牧師 滝元順
マタイの福音書 11章25節~30節

『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」』

『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」』

 ハレルヤ!おはようございます。ヘブンリーキングダムのすばらしい賛美を聴かせていただき、本当に感謝します。十二月八日はたっぷり、歌声を聴かせてくださいますので、是非とも多くの方をお誘いの上、お越しになっていただきたいと思います。
 今年の八月、彼らは、豊橋市でコンサートを開き、大好評でした。私も本当に感動しました。それに参加した一人の男性が、イエス・キリストを信じました。今度、洗礼を受けられることになりました。心から感謝します。十二月八日のコンサートでも、救われる方が起こされるように祈っています。

 昨晩、私はある歌手のコンサートに行きました。AIっていう歌手を知ってますか?彼女のコンサートに行きました。なぜ行ったかというと、息子が今、AIのツアーバンドで、ベーシストをやっています。それで、うちのじいさんの事をAIに話したらしいのです。「うちのじいちゃんは牧師で、八十五歳だけど元気だ」と話したら、『是非、会いたい』と言って私たちを招待してくれました。
 父が彼女に本もあげまして、「新城教会来てください」と誘ったら、『行きたいです』と言っていました。「あなたはゴスペル歌ったらうまいでしょうね」と言ったら『歌いたいです』と言っていました。こういう人がイエス様を信じたら、いいなと思います。昨日は千七百人くらいのホールだったのですが、会場は満員でした。みんな立ち上がって一緒に歌っていました。私は一人だけ隅っこに座ってました。横を見たら、じいさんも立っていました。

 元気に盛り上っていこうというコンサートでした。それもいいかもしれませんが、私たちは唯一の神を信じて、その方をほめたたえるのです。讃える対象がはっきりしているのは素晴らしいです。クリスマスは最高に力強い、優しいお方、イエス様を紹介できる一番いい機会だと思います。

 さて今、読んだ聖書の箇所に、

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』

 『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。』とは、イエス様が語られた言葉です。これは、普通の人間じゃ絶対に語ることができないです。試しに今日、帰る時に、駅前とか繁華街に立って、この言葉を叫んでみてください。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます!』と叫んだら、「あんたが一番疲れているんじゃないの」と言われます。これは、神様か、疲れた人か、二人に一人です。イエス様は、全世界の人たちに語っているわけです。これは信じるに値すべき言葉です。

 先週は下田先生が来てくださり、大変すばらしいメッセージを語ってくださいました。彼のメッセージは「群衆か、弟子か」という、鋭いメッセージでした。やはり、命がけでペルーの最前線で働いている先生だけあって、説得力がありました。「私たちは群衆であってはいけない!弟子にならなければいけない」と痛切に感じ、主の弟子として生きる決断が与えられたと思います。
 弟子として決断された方は、ヘブンリーキングダムのコンサートを始め、クリスマスのイベントに、イエス様を知らない方々をお誘いいただきたいと思います。午後からはチラシ配布があります。「寒いから、元気な人に任せておこう」と言わないでくださいね。弟子ならば、出て行って一枚でもチラシを配って下さい。お忙しい方は、チラシを少し持って行って、家の周りにポストインするだけでもいいと思います。毎年のように、教会に新しい方が来られ、イエス様と出会っています。今日の午後は、イエス様の弟子として行動しましょう。

 下田先生が、私との交わりの中で、おもしろい話をしました。二年前にペルーに行った時に、私はキューバ人の宣教師夫妻に出会いました。キューバという国は、アメリカのフロリダ沖にある島です。
 ところで、みなさんの中で「キューバ危機」を知っている人はスイッチオン!知っている人は、年を取った方たちです。あのとき、アメリカとソ連が核戦争になる寸前でした。私は小学生だったのですが、たいへん緊張しました。ソ連の輸送船が核ミサイルを積んできて、アメリカの喉元、キューバに来ました。そこに、ミサイル基地を作るということで入って来ました。船が入ったらアメリカは必ず攻撃するということで、世界がたいへん緊張しました。なんとか危機が回避され、核戦争は免れました。みんなほっとしました。小学生の私でもそう思いました。

 キューバは、カストロ政権が長いこと続いて、共産主義の国です。私たちは、日本に生まれて、いろんな問題はありますけれど、感謝しなければなりません。誰一人として、生まれる場所を選ぶことはできません。気がついたら、ある国に生まれていたのです。
 みなさん今、給料いくらもらってますか?「俺の給料、少なくて大変だよ」と言っているかもしれませんが、キューバの給料は一ヶ月、「十五ドル」だそうです。千五百円くらいでしょうか。子どもの小遣いにもならない額しかもらえないのです。本当に貧しいのです。

 キューバから、ペルーに来て伝道している宣教師夫妻に出会いました。彼らは私の集会に来て、「キューバの貧しさは、主義主張とか、イデオロギーの問題だと思っていたけど、根本的には霊的問題だ!」と気づいたそうです。
 それで私に、キューバに来て、「霊的戦いセミナーをやってくれ!」と言うのです。「わかりました」と言うものの、なんとなく先延ばししたいような気持ちもありました。しかし下田先生は勇気があります。「僕がキューバに行って、様子を見てきます」と言ってくれました。
 そして今年の五月、彼らがキューバに下見に行って来たのです。
 キューバに伝道目的で入国するのはなかなか難しいのですが、いろいろと手を使えば入れるそうです。しかし彼らは観光という名目で入ったそうです。

 キューバは日本に対して、すごく良い感情を持っているというのです。キューバ人は、なんと、日本人が大好きだそうです。私は一歩外へ出たら、日本は世界中から嫌われていると思ったら、そうでもないようです。キューバは日本のことが大好きだというのです。なぜかというと、「日本はあんなに小さな島国にも関わらず、大国アメリカに喧嘩をふっかけた。すごい!」と尊敬しているそうです。なぜなら自分たちも同じような、アメリカに対する状況があるからです。それで日本に憧れを抱いているようです。「日本人ってすごい!侍!」とかいって、また、野球も盛んということで日本人は、キューバに行くと歓迎されるそうです。結構簡単に入国できるそうですよ。

 下田先生はヨシヤ君と一緒にキューバに行ったそうです。キューバ人宣教師夫妻は先にキューバに帰っていて、ペルーから、いろんな物を持ってきてくださいと頼んだそうです。下田先生は、彼ら夫婦のためにいろいろな物を買って、キューバに持って行ったそうです。貧しいですから。
 特に、奥さんの物をいっぱい頼まれたそうです。「日本人の荷物は、全然見ないから大丈夫だよ!」と言われていたそうです。しかしもしも、キューバの税関で荷物を開けられた場合、「自分の物」と言わない限り、全て没収だそうです。
 「これはだれの物?」『おみやげです。』「そうか。じゃぁ、俺へのおみやげだな。」と言って、全て税関職員が取ってしまうそうです。

 だから、何がなんでも「俺のものだ!」と言い切らなければいけないというのです。みなさんもキューバに行ったら、「あげる」とか「売る」とか、絶対言っちゃいけません。いくらおみやげでも、相手に渡すまでは「俺の物」ですから、嘘ではありません。
 彼らは頼まれた物を持って、キューバに入ったそうです。日本人の物なんて見るはずはないと思っていたら、「あっ!日本人だ!こっちにおいで!」と歓迎されてしまったそうです。「日本ってすごいね!」という話で盛り上がって、しばらく話に花が咲いたそうです。それで通してくれるのかなと思ったら、「形だけでも、荷物のチャックを開けて」と言われてトランクを開けたそうです。
 すると中から出て来た物は、女性用の服、下着など、いろんな物が出て来たそうです。「これは、誰のものだ?」と聞かれたそうです。『お、お、おっ、俺の物だ・・』と彼は答えたそうです。
 「嘘を言うな!こんな女物がおまえの物であるわけない!」と突っ込まれても、『あ、あ、あっ、俺の物だ…』
 そうしたら、奥さんから頼まれた、女性用のかつらがあったそうです。中から金髪のかつらが出て来たそうです。「これは誰の物だ?」と聞かれたので、彼は、『俺の頭を見れば分かるだろう』と答えたそうです。
 次にヨシヤ君の鞄を開けると、ハイヒールが出て来たそうです。「誰の物だ?」『俺の物だ…』と答えたそうです。そうしたら税関の人たちが、「わっはっは!!わっはっは!!」と笑い始めて、「おい!みんな見に来い!みんな来い!日本人は勇敢な民族だと思っていたけれど、とんでもねぇ、オカマ野郎たちがキューバに来たぞ!」と、空港の職員がどんどん集まってきて、持ち物を見ながら笑ったそうです。腹を抱えて笑いながら「行け」と通してくれたそうです。

 なかなか大変ですね。宣教には、いろいろ戦いもあるわけです。福音宣教には、疲れることもたくさんあるわけです。
 しかし、イエス様は何と語られたかというと、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます』と語られました。
 今日、もしかしたら「私はいろんな事で疲れています…」という人がおられるかもしれません。しかしイエス様の所に来たら、休ませて下さるのです。私たちがこの言葉をしっかりとキャッチしたら、悩みや苦しい事があっても、休ませて下さいます。

 話はがらっと変わるのですが、先週、おもしろい事がありました。ある学校から、「お祓いしてください」という依頼が来ました。
 この教会に属している一人の女性の方が、今、介護関係の学校に通っています。そうしたら、近頃、学校に「出た」そうなのです。何が出かというと、「お化け」が出たというのです。その学校は、古い校舎ですが、教室の上の階段からお化けが眺めていたというのです。そして見た人は、お化けに引っ張られたというのです。クラスの一人が見たそうです。校長先生に、「今日、お化けが出た!」と話したそうです。そうしたら、校長先生が「ひぇー!前にも同じことがあったのよ!」と言って、学校中が騒ぎになったそうです。
 学校職員たちにも聞いたら、「私も何回か霊を感じている…」という話になって、「お祓いしてもらわなきゃいけない」と話が盛り上がったそうです。

 結構、世の中には科学にもならない、また、学問にもならない目に見えない世界があるものです。
 それで、どっかの神主さんか、霊能者を連れて来て、お祓いをしてもらおうとしている時、クリスチャンの女性が、「私はお祓いに、最高の人を知ってます!その人がここに来て祈ったら大丈夫ですよ!」と話したそうです。
 『それは誰ですか?』「見かけは牧師には見えないけど、牧師です。私が通っている教会の牧師です」と話したのかどうか知りませんが、私を紹介したそうです。

 それでその学校から「お祓いに来てください」と頼まれました。聖書には「お祓い」という言葉はありませんが、祈りに来てくださいということになったのです。
 私は時間を取って行ってみました。玄関を入るなり、丁重に迎えてくれて、校長先生が「よろしくお願いします」と言って迎えてくれました。「三階に出るんです。すぐに三階に行ってください」と言われました。しかし私は「ちょっと待ってください」と言って、主要な方々を集め、どうしたらお化けに勝つことができるかという話しをしました。

 「目に見えない世界があるんですよ」という話をして、「天地宇宙を造られた唯一の神様がおられるんですよ。また、悪魔や悪霊もいます」という話をしました。そして、「世界で一番強い神様を信じ、頼らないからそういうものが出るのですよ」とお話させていただきました。
 どうせ信じるなら、弱い神様ではなくて、強い神様を信じなさい、と話しました。

 今日、初めて教会に来られた方もおられると思いますが、今から話すことを宗教の悪口として捉えていただきたくないのですが、世界の歴史を見ると悲しいかな、それは戦争の歴史です。しかし戦争の歴史は、国々の戦いのように見えますけれど、根源は「神々の戦い」です。
 かつてバビロニア帝国がありましたが、後にメド・ペルシャ帝国に征服されました。ペルシャはバビロンの神々をやっつけたのです。バビロンの神々の上にペルシャの神々が置かれました。続いてペルシャはギリシャにやっつけられ、ペルシャの神々の上にギリシャ神話の神々が置かれたのです。
 やがてギリシャの神々もやっつけられ、ローマの神々が置かれたのです。
 トーテムポールってを知っているでしょう?トーテムポールとは、いろんな種類の動物が、だんごのようにつながっています。一番上にも動物がいます。それは、部族が戦いで征服した神々の歴史です。そして一番上にいる動物が、現在、地域を牛耳っている部族の神ということです。
 それと同じです。戦争とは、神々の戦いです。日本は帝国主義の時代、伊勢神宮のアマテラスを引っさげ、世界に出て行ったのです。でも、戦争に負けました。ということはどうでしょう。日本の神様は戦争に負けましたから、日本の神様を一生懸命拝んでも、一度負けた神様じゃ、うまくいかないのです。

 「負けた神様の力でお祓いしたって、もっと強い霊がきたら、また他のお化けが出ますよ。だから信じなければいけない神様は、世界でいちばん強い神様です」という話をしました。
 「消去法でいけば、世界に残る神様は二人しかいませんよ」と話しました。それは何かといったら、「イエス・キリストか、イスラムのアラーか」の二つです。
 そうじゃないでしょうか。今、世界はこの二つの勢力に分かれています。イスラム勢力はかなり強いじゃないですか。世界では、かなりの勢力になってきました。それに相対するのは、キリスト教圏です。
 ということは、世界の歴史の中、最後に生き残った神々は、イエス様か、イスラムかのどちらかです。

 「選択するならば、この二つのうちの一つしかないのです」と話しました。そして「イスラムはどうですか?」と聞くと、「あんなのは駄目です」と言うもんだから、「じゃぁ、残るはイエス様しかありませんよ」と言いました。
 世界で一番強い神、それはイエス様です。イエス様は全世界で勝利した神ですから、何があっても、他者をよせつけません。歴史の中でも最高に強い神さまです。イエス様を信じたら安心です。

 しかし強くても悪いやつもいます。昔、私が生まれた頃は、戦争が終わってあまり経っていなかったので、まだ封建的で、地域には番長がいて、番長に支配されたものです。どの番長につくかで変わるわけです。強くても悪い番長のところにつくと、時には守ってもらえますが、後からたかられたり、大変なことになるのです。強くても良い番長など、あまりいませんでしたが、そういうところに付けばいいわけです。
 イスラムは強そうでも、教典・コーランを焼いたり、宗教を変えただけで、殺されてしまいます。これはいい神様じゃないのです。しかしイエス様は違います。
 戦争で勝ち抜いてイエス・キリストがトップになったと話しましたが、キリスト教は不思議な宗教です。戦争に勝ち残ったように見えますけれど、そうではないのです。二千年間、迫害を絶え抜いた宗教です。それがキリスト教です。

 日本の歴史を見てみても、江戸時代、二百数十年、当時はカトリックでしたが、幕府はキリストの「キ」の字が付くものは、徹底的に迫害しました。江戸時代にうまれなくて良かったです。江戸幕府はキリシタンを根絶やしにしようとしたわけです。それでもなお、粘り強く、粘り強く、迫害に絶えて、今があるわけです。
 世界の歴史を見たらキリスト教が政治的に利用され、悪い部分もありますけれど、根本的には、迫害を絶えながら生き抜いて来た者たちによって支えられて来ました。抵抗するわけでもなく、反発するわけでもなく、今や、世界の三分の一以上がイエス・キリストに目を向けています。最高に強い神様イエス様は、ただ強いだけでは、優しい神様です。

 日本人って、徳川家によって、性格が変えられてしまいました。二年くらい前に話したことがあるのですが、日本人はあまり隣近所の人と親しく話をしません。教会に来れば、壁はだんだん取れるのですが、普通じゃ、あまり話さないですよね。
 私は先週、東京だったのですが、山手線なんかに乗りますと、全員がスマホを見ています。気がつくと自分もやっているのですが。スマホを出している人に横から、「何やってんですか?」と話しかけたらどうでしょうか?「何この人!?」とビックリされます。絶対に隣の人に干渉したり、話しかけたりすることはありません。
 しかし昔からそうではなかったのです。日本人って、もっと物見高い、何か新しい物があったら「なんだ、なんだ…」と寄って来て、良くしゃべる明るい国民だったそうです。
 しかし江戸幕府によって五人組が作られたのです。五人組とは、五人で一チームです。そして互いに監視させるのです。キリシタンになっていないか、お互いに監視させるシステムでした。昔、日本は氏族社会で、近所の住んでいる親戚や友人たちとわきあいあいとしていたのが、解体され、知らない人たち五人でチームが作られたのです。そしてお互いに監視です。何か悪い行動をしたら、すぐに御上に告げ口するシステムが、二百数十年間ずっと続きました。それで日本人の心の中に、強烈な恐れが生じたわけです。それが情報として遺伝子の中に入ったのだと思います。だから日本人の中には、何か知らないけれど、とてつもない恐れがあるじゃないですか。そして、「あまり人と話さない」「向こう三軒、両隣」と言って、五人組くらいの範囲でしか交際しなくなったのです。これも敵の策略ですね。

 日本からちょっと外に出ると、みんな結構、お互いに話すものです。アメリカなんかに行くと、人気のレストランなんか、列が出来ています。私はあの列につくのが嫌です。なぜなら、必ず、しゃべりかけられるからです。「どこから来たの?」とかいろいろ聞かれます。
 韓国はあんまり列は作らないのですが、お互いよく話します。前にも話したことがありますが、ある時、地下鉄に乗って「南大門」に買い物に行きました。そうしたら途中、一人のおじちゃんが、私に話しかけてきました。
 『おまえたちは日本人か?』と。「はい。そうです。」『どこに行くんだ?』「南大門に買い物に行きます」と言ったら、『なんで韓国にまで来て、買い物なんかに行くんだ?日本になんでもあるだろ』と言うのです。余計なお世話だなと思ったので、ちょっと切り返して、「南大門に行くと、韓国の文化が分かります」と、ちょっとかっこつけて答えたら、『文化を知りたければ、博物館に行け』と言うのです。そして、あげくの果て、『おまえの職業は何だ?』と言うのです。
 そう聞かれたので、しょうがないので、「日本から来た牧師です」と答えたら、その時ジーパン履いて、よれよれのシャツを着ていたら、『韓国では牧師はおまえみたいな格好はしていない。ちゃんとネクタイして、きちっとしているもんだ。牧師として認めることはできない』なんて言われました。これ、初対面の地下鉄の中での会話です。
 私も聞きました。「おじさんはクリスチャンですか?」すると、深刻な顔をして、『まぁ、俺はクリスチャンと言われればクリスチャンだけど、いわば、迷える子やぎだな…』と言ったもんだから、おっ!これはいい!と思って、「子やぎじゃなくて、子羊でしょ」と切り返すと、彼は深刻な顔をして、『俺は先日、最愛の友を亡くしたんだ。親友が死ぬ間際に「俺は死んだらどこに行くんだ。どこに行くんだ。」と泣きながら俺に聞いた。しかし俺は答えることができなかった…』と言いました。
 こんなことを深刻な顔をして話してくれました。これはすべて、地下鉄の中、初対面の人との会話です。普通、日本じゃこういうことないですよね。

 「おじさん、イエス様を信じたら、永遠のいのちがもらえるんですよ。イエス様を心に受け入れ、告白するだけで、永遠のいのちが与えられると聖書に書いてありますよ。だから一緒に祈りましょう。」と言うと、『そうか。俺のために祈ってくれ』と言ったので、私はおじさんの肩に手を置いて、一緒にお祈りしました。
 おじちゃんは、満員の地下鉄の中で、一生懸命祈っていました。「アーメン」と言ったら、『アーメン!』と大きな声で言いました。日本では絶対にできません。しかし韓国では出来るのです。
 南大門に着いたので、お別れを言って下りたら、なんとおじちゃんも一緒について来ました。
 「おじちゃん、どうして付いて来たの?」『あんたたちと一緒に祈ってたもんだから、乗り越しちゃったよ…』と、いそいそと乗りかえていかれました。日本人も、もう少し心を開いて、お互いにコミュニケーションできるといいなと思います。

 あれもこれも、キリシタン迫害で、五人組を作られ、精神がおかしくされてしまいました。だから、日本人だけに「対人恐怖症」があります。「対人恐怖症」を英語の辞書で引くと、Taijin kyofushoです。歴史の中で、日本人のキャラクターが作り上げられたわけです。
 ある意味、日本人は一番疲れているというか、束縛を受けて苦しんでいる国民なのかもしれません。日本国内にもいろいろ問題があって、様々な事で疲れ果てています。

 しかしイエス様は言われます。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』
 そればかりでなく、

『わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。』

 イエス様は、心の優しい方だというのです。へりくだった方だというのです。普通は、教祖とか、社長とか、高いポジションにある人たちは高ぶっています。「俺はこういう者だ!一般人とは違うんだ」と。しかしイエス様は、天地宇宙を創造した方が、人間の姿をとって、この地上に来てくださったお方です。しかしへりくだった方だというのです。そして、私たちと共に歩んでくださるのです。

 『私のくびきは負いやすい』とあります。「くびき」とはどういうものかといいますと、二頭の牛とか馬をつなぐ木です。この頃はあまり見かけないのですが、昔はこの近所も、馬車が通っていました。だから私は、小学校に行く時にこっそりと馬車に飛び乗って、学校の近くで飛び降ていました。途中で馬がうんこをするのです。毎朝、白橋の近所で爆弾を落としました。しかし誰も片付ける人はいないのです。そんな時代もあったわけです。時には、二頭立ての馬が来ました。くびきで二頭をつなぐわけです。
 車のエンジンを馬力と言います。馬力とは、「馬の力」と書きますが、くびきで馬を繋ぐと、二馬力になるのではなく、力が何倍にも増すそうです。普通なら二頭だから二倍と思うけれど、四倍にも、六倍にも、十倍にもなるというのです。くびきがないと、力強い仕事ができないのです。私たちも、誰とつないでもらうかが重要です。
 いにしえから、宗教がなかったら人は生きることができません。宗教というより、神に頼る性格、霊に頼る気持ちは途絶えていないのです。人間とは、本能的に霊的存在を求めています。ということは、どこかに本物の神がいるはずだと、探しているのです。そして何か霊的な手応えを感じたら、その霊とくびきを共にするのです。世界中の人たちが、何らかの霊的存在と、くびきを共にしているわけです。

 でも、その霊的存在、相手が誰かというのが重要です。本当の神、心優しい神とくびきを共にしたら、くびきは軽いのです。しかし悪魔・悪霊どもとくびきを共にしたら、そのくびきは重いのです。

 だから、悪霊の領域に属するお祓いを受けたら、助けてくれる側と、悪いことをする側がグルですから、解決にはなりません。右のポケットの物を左に移したり、左の物を右に移したりするのと同じです。何の解決にもなりません。
 本当に心優しい、最も強いイエス様とくびきを共にしなければならないです。私はそのように、始めに話した学校の方々にお話させていただきました。みんな神妙な顔をして聞いていました。
 「私たち教会には、お祓いという言葉はありません。払うのではなく、敵をやっつけるのです。みなさんもイエス様の側について、イエス様の名前によって祈ってください」と言うと、「分かりました」と言っておられました。
 「暗くなる前に、三階に上って祈ってください」と言われ、三階に上ったら、気持ち悪い所でした。一番上に上ったら、みんな上がって来ませんでした。「上がって来てください。今日は一番強い神様に祈るんですから。大丈夫です」と言って、「イエス様を信じます!悪霊をやっつけます!」と祈りました。

 初めてイエス様の名前で敵に立ち向かっている方々の姿を見て、私はたいへん嬉しかったです。最後は、「みんな手を出してください。これからお化けが出ても、イエス様が与えて下さる御言葉の剣で、やっつけるんですよ。いいですか!」と言ったら、「わかりました」と言って、全員手を出して剣を受け取る祈りをしました。県民の森祈祷会状態でした。「みんなに剣をあげます!」と宣言して祈りました。これから学校に変化が起こると信じます。その方々は、十二月八日のコンサートに来てくれるそうです。一番強いイエス様とくびきを共にしたら、人生は変わるのです。これを日本中の人たちに知らせたいです。
 私たちはすでに、そのことを知っています。

 今日読んでいただきました、『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい』という箇所は、マタイ十一章二十八節ですが、マタイ十一章二十五節~二十七節、

『そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。』

その後に、マタイ十一章二十八節~三十一節、

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」』

と続いています。
 聖書は、それぞれの書が、お互いに補完し合っています。補完し合い、一つのメッセージを告げています。マタイ十一章二十五節から二十七節と同じ内容が、ルカの福音書にも出ています。
 ルカ十章二十一節~二十二節、

『ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」』

 マタイ十一章とルカ十章の内容は同じです。ということは、マタイの視点とルカの視点を合わせると、全体像が見えるのです。著者は同じものを見ても、違う情報をピックアップしています。しかしまとめると、全体が見えます。ルカの福音書十章十七~二十節~マタイ十一章二十五~二十九節、

『ルカ10:17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
10:18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。
10:19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。
10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
マタイ11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。
11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
11:27 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 となるわけです。マタイ十一章とルカ十章をつなげると、全体像が分かるわけです。
 『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。』という言葉は誰に語られたかというと、「七十人の弟子たち」に語られたのです。七十人の弟子たちはびくびくしながら、宣教に出て行きました。しかし結果は大きな勝利でした。
 その時にイエス様は言われました。『あなた方に蛇やさそりを踏みつけ、あらゆる力に打ち勝つ権威が授けられている。…あなた方に害を加えるものは何ひとつない』と。

 私たちがイエス様の弟子として、現場に出て行く時、大きな勝利があります。けれども、同時に、疲れもあるのです。弟子たちは「イエス様の弟子として行動し、戦っていくのは、勝利もあるけど、疲れるな…」という心境も一方ではあったと思います。大きな勝利もあるけれど、現実には疲れもあります。

 しかし、イエス様はその疲れを見過ごしにされなかったのです。「疲れたら、わたしのところに来なさい。あなたを休ませてあげますよ。わたしは心優しくへりくだっているから、わたしから学びなさい」と語って、弟子たちをいやし、励ましたことがここから分かります。

 ここからイエス様がどのようなお方であるかが分かります。それは、すべての敵を打ち砕く、「最も強い神様」、そして、「心優しく、へりくだった神」という、今日、タイトルに相当するお方なのです。
 「心優しく、最も強いお方 ~それはイエスさま」というのが、マタイとルカの福音書をつなげる時、浮き彫りにされるのです。

 今日も、私たちは、最も強い神と共にいます。しかし、ただ強いだけではなく、心優しいお方です。私たちは、イエス様の両面を理解して、弟子として遣わされる事が重要です。
 イエス様は『わたしから学びなさい。』と言われます。聖書から、イエス様について学ぶことができます。
 今年のクリスマス、「心優しく、最も強いお方、イエスさま」をより多くの方々に紹介しましょう。一番良い時期ですから、みなさんもイエス様の弟子として働いていただきたいと思います。

 ヘブンリーキングダムのコンサート、きっとすばらしい、神の栄光が現されると信じます。午後からは、チラシ配布もありますので、皆で福音を伝えていきたいと思います。最後にお祈りして、聖餐式に移っていきたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。あなたが私たちにすばらしいプレゼントを与えてくださっていることを、心から感謝します。心優しく、最も強いお方であるイエス様を受け入れることができ、心から感謝します。
 私たちは、あなたと共にくびきを一つにして働いていきたいと願っています。私たちの人生の中に入って、重荷を負ってください。共に戦ってください。今日のこの時を心から感謝します。
 今から聖餐式を行います。このひとときを祝福してください。心優しくへりくだった方として、あなたは十字架にかかってくださいました。私たちの罪の身代わりとなってくださいました。そればかりか、よみがえってくださいました。心から感謝します。
 今からの聖餐式に祝福を与え、疲れている方がおられたら、休みを与えてください。すべてをお委ねし、尊いイエス様の御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。