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『主の帰られる道を準備しょう!』

2014年1月26日 (日)
新城教会 主任牧師 滝元順

マルコの福音書 1章1節〜4節

『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。』



 ハレルヤ!みなさんおはようございます。今日はこうして共に、礼拝を守ることができますことを、心から感謝します。
 風邪が流行っていたり、ノロウィルスがはびこっているみたいです。「のろ」と言いますが、結構早いみたいです。すぐに感染するみたいですが、私たちクリスチャンには「地を這う生き物を支配する」権威があります。ばい菌類も主の御名によって制する事が出来るはずだと私は思うのですが、どうでしょう。今週も一同が健康であるよう、祈り続けたいと思っています。

 先週の日曜日、私は、岡崎のブラジル人教会で奉仕をしました。新城教会から伝道に出た武藤先生、みんな「ムッチョ」と呼んでいるのですが、彼の教会で久しぶりに奉仕させていただきました。ブラジル人の方々や、日本人の方々が多く集まっておられました。百人くらいはおられましたか。本当に恵まれた礼拝を持つことができました。
 そこで、以前はこの教会に来ていて、しばらくしたら教会に来なくなった一人の女性に出会いました。彼女がここにいた頃は、あまり熱心ではありませんでした。しかし今回びっくりしたのは、彼女がその教会で、本当に熱心に主を賛美し、奉仕していたからです。いや〜、人って変わりゃ変わるものだなと、すごく感動しました。「信仰が回復しました!」と喜んでおられました。
 時に、私たちの働きは、水の上にパンを投げるような、どこに行っちゃったのかな?と思うような時もありますが、必ず主は実を実らせてくださる方であると感謝をしました。

 また先週は、火曜日から昨日まで、タイに行って参りました。チェンマイに行ったのですが、チェンマイというよりも、山岳地帯のホートとメートムに行って奉仕をしました。
 先週、雅也先生が語っていました。「まっすぐに前をみつめましょう」と。私たちは、目で見ているようですが、意思で見ているのです。私もタイのリバイバルミッションが始まって、いろいろ関わらせていただいているのですが、一度もタイに行ったことはありませんでした。見たことがなかったから、重荷を持ちようにも難しいところがあったのですが、今回、奉仕をさせていただき、はっきりと重荷を持って帰ることが出来ました。

 タイの働きに出向く前、一体、何をしたらいいのかな?事前にどんな祈りをしたらいいかな?と考えていた時、主が一つのアイディアをくださいました。それは何かというと、豊川にタイ料理レストランがあります。そこではタイ人の方々が働いています。それでタイレストランにランチに行きました。ランチを注文する時、「タイの辛さにしてくれますか?」と頼みました。日本に来ると、韓国料理もそうですが、日本人に合わせて作っていますから、辛さがどっかに行っちゃうのです。私はよく韓国に行くのですが、日本で韓国料理を食べると、「これ、本当に韓国料理なの?」と思うくらい甘いのです。みなさんは辛いというかもしれませんが、タイ料理もそうです。
 だから、「本物の辛さにしてくれますか?」と頼みました。本物に耐えることができなければ、向こうで奉仕できません。オーナーの方に「タイであなたが食べていたのと同じ辛さにしてください」と頼んだら、「本当にいいんですか?本当にいいんですか?」と何回も聞かれるのです。「明日からタイに行くのですから、食べられなくちゃ奉仕できません」と言うと、「本当にいいですか?」と言いながら作ってくれました。そして「いいのかな、いいのかな…」と、私たちにランチを出してくれました。やはり、それだけ言うだけあって、激辛でした。日本人が食べている数倍じゃないかと思うくらい辛かったです。口から火が出るくらいの辛さでした。そういう体験も事前にしながら、タイレストランでお祈りしました。オーナーの方はクリスチャンですから、一緒にお祈りして、備えて行きました。それで大変、祝福された集会を持つことができました。そして、背後からみなさんがお祈りしてくださったゆえに、短い滞在でしたが、精一杯の働きをすることができて感謝します。二月に本大会が開かれます。そのためにも、続けてお祈りしていただきたいです。

 現在、信弘先生の娘さんの泉ちゃんが、チェンマイにいます。何をしているのかと言えば、今度のミッションの準備をしています。そのために彼女はタイ語を勉強していて、だいぶできましたよ。びっくりしました。
 「こんにちわ」というのは「サワディカップ」と言います。タイ語というのは、自分が男か女かをしっかり区別します。女性は「サワディーカー」と言うのです。男なら、「サワディ・カップ」と「プ」をちゃんと言わなければいけません。男でも「サワディーカー」と言うと、こっち系になります。向こうは…系の人が多いのです。だから言葉を聞いて、男なのか女なのかを見極めるのです。だから、一緒に行ったみつに言いました。「ちゃんとプを言えよ!」と。はっきり言わないといけないです。「ありがとう」とは、「コップン・カップ」と言うわけです。「コップンカー」というと、危ないです。だから、私もいつも「プ」を意識しながら、がんばりました。

 所変われば品変わるで、いろんな文化があるわけです。
さて、今日みなさんと一緒に学びたいのは、マルコの一章一節〜四節です。

『神の子イエス・キリストの福音のはじめ。預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。』

 今日のメッセージタイトルは、「主の帰られる道を準備しょう!」と付けさせていただきました。泉ちゃんがチェンマイに滞在している目的は、二月に行われますミッションの「準備」という、目的があって滞在しています。
 今、私たちは地上に生きているのですが、この地上に生きている、滞在している目的は何でしょうか。
 結論から申しますと、私たちの存在目的は、「主の帰られる道を準備する」という、大きな使命があることを知らなければいけません。様々な目的を持って人生を歩んでいますけれど、主イエス・キリストを信じた者たちは、「主の帰られる道を準備する者」として、この地におかれているのです。

 ここに「バプテスマのヨハネ」という人物が登場します。彼はどのような存在として描かれているのかというと、『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』という、目的で遣わされていることが分かります。
 聖書を「準備」というテーマで見ていくと、旧約聖書から新約聖書、イエス様が再臨されるまで、「準備」というテーマがちりばめられています。
 マルコの一章は、「イザヤの書にこう書いてある」とありますが、マルコという記者は、旧約聖書に大変長けていました。旧約聖書全体を知りながら、バプテスマのヨハネの働きを位置づけています。バプテスマのヨハネは、主の道を指し示すための働きであったのです。「わたしは水であなた方にバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。」すなわち、イエス様を指し示すために、彼は遣わされたのです。

 マルコは、イザヤという預言者について述べていますが、さらにさかのぼる所、出エジプト記に、「使いをあなたの前に遣わします」という言葉が記されています。
 出エジプト記二十三章二十節を見ますと、

『見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。』

 ご存じのように、イスラエルの民は四百三十年間、エジプトで奴隷となっていたのですが、モーセによってカナンの地まで連れて行かれました。その時も、モーセが道を整え、人々はエジプトから引き出されました。神は、モーセのためには天使を遣わし、道を整えたのです。それで、イスラエルの民は、自分の国に帰ることができました。
 その時、大きな奇跡を体験しました。紅海が真っ二つに分かれ、民はそこを通ることができたのです。主の道を整える人物がすでに遣わされていたのです。

 イザヤに至っては、バプテスマのヨハネがやがて生まれると預言しました。

『預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。』

 これはイザヤ書四十章三節〜五節からの引用です。

『荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の御口が語られたからだ。」』

 イエス様がお生まれになる七百年も前に、預言者イザヤの口で預言がなされていました。バプテスマのヨハネが、イエス様がお生まれになる前に現れ、道を整えるという預言でした。

 同時に、イザヤの預言は、バビロンからの解放の道を備えたのです。彼の預言があって後、ユダヤ人はバビロンから解放されることになったのです。彼は道を備える者であったのです。

 旧約聖書最後の書、マラキ書に、こんな預言があります。マラキ書三章一節、

『「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の主は仰せられる。』

 マラキは、主の道を備えるというテーマで預言しました。それから、新約聖書へと移っていくわけです。ここにも、『彼はわたしの前に道を整える。』と語られています。
 やがて生まれるイエス様の前に、バプテスマのヨハネが生まれ、イエス様のための道を整えるという預言です。

 旧約聖書から新約聖書全体を見る時、一つの事が起こる前に、神は人を遣わし、主の道を用意させることがわかります。聖書の基本的原則は、昔も今も変わりません。今、私たちが地上におかれている目的は、同じように、「主の道を整える」働きです。
 その道は、どのような道かというと、「再びイエス様が帰って来られる道」を準備するのです。私たちが道を整えないと、主は帰って来ることができないのです。

 何回も話したことがありますが、私は牧師になる前、土木技術者をやっていました。高校も土木科だったし、大学も土木工学科だったので、その道を歩んでいました。道路の設計とか施工に携わったことが何度かあります。今でも、私が設計した道路が近くにも残っていて、時々、なつかしくてそこを通ってみるのですが、「まだ道が残っているな。良かった」という感じです。田んぼの真ん中に新しい道路を作ったことがあります。その道を人々が通っている光景を見る時、うれしく思います。
 「あの時、いろいろ苦労したな。でも、道路ができあがって良かったな」と思います。新しい道ができて、一つの部落から別の部落へ、短期間に移動ができるようになったこともありました。

 私たちの霊的な働きも同じです。主が帰られる道を用意する役割を、いつも心に留めながら人生を送っていく事が重要です。今週も一週間、様々な働きがあるかもしれませんが、みなさんの人生そのものは、イエス様が帰って来られる道を用意する働きです。そして、主イエス様が帰って来られる時期を、早めなければならないのです。

 今年、「マラナタ!主よ来てください!」という言葉を主からいただいています。主が帰って来てくださることが、人類にとっての究極的な問題解決です。そのことを、私たちが、どのように真剣に捉えるかです。
 やがてイエス様は帰って来られます。そして、この地を千年間に渡って、自らが王となり支配してくださるのです。その前後についての神学的論議はいろいろあるのですが、それは横においても、主が帰って来られ、地を支配されるという預言は動かす事が出来ません。それは、ゆるがすことのできない事実です。
 その時、どのような世界ができるのかについて、イザヤは六十五章で預言しています。こんな地球になったら本当にいいなと思います。イザヤ書六十五章十七節〜二十五節、

『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と主は仰せられる。』

 どうですか?今の地球にイザヤ書六十五章十七節〜二十五節のみ言葉が完全適用されたら、どんなに素晴らしいでしょうか。聖書はそのことを預言しています。
 やがて主が戻って来られる時には、このみ言葉が実現します。地球はこんなにもすばらしい星になるのです。

 その鍵を握っているのが誰かというと、クリスチャンであり、教会です。ということは、私たちクリスチャンが、教会が、それを遠い未来かのように考えないで、その日を近づけるために、ビジョンを持って働かなければならないのです。

 今読んだ六十五章の二十五節に『狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と主は仰せられる。』となっています。
 普通、狼と子羊を同じ檻に入れたらどうですか。狼は子羊をすぐに食べてしまいます。獅子と牛を同じ場所においても、同じことが起きます。しかし、狼とかライオンじゃなくても、国と国というレベルで考えても、強い国は弱い国を支配し、権力者は弱い者たちをいじめます。その構図は、創世の始め、人が罪を犯して以来、ずっと継続しています。
 しかし、やがてイエス様が戻って来られる時には、こんな事が起きるのです。ここでは、『蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えない』というのです。

 ところで、蛇は好きですか?「蛇が好きな人?」と聞いて手をあげる人はいないかな…。時々、蛇をペットとして飼っている人もいます。普通は蛇って、あまり好きじゃないですよね。
 今回私たちはタイの山岳民族の所にお邪魔しました。リバイバルミッションの準備のために行ったのですが、後からもちょっとご紹介したいと思います。そこは人が自然と共存しています。蛇なんかもいっぱいいます。
 「蛇いますか?」と聞くと、「いますよ。」と言うのです。どんな蛇がいるのかと聞くと、「コブラ」と言っていました。サソリもいっぱいいるらしいです。家に時々、蛇が入ってくるというのです。さてみなさん、家の中に蛇が入って来たらどう対処されますか?きっと悲鳴をあげて一一〇番するかもしれません。
 しかし、山岳民族の方々はそう言わないというのです。蛇が家の中に入って来たら「やったー!わざわざ食料を取りに行かなくても、食べものが自分で家に来てくれた」と喜ぶと言っていました。
 人間って、見た目で「こいつはまずそうだな…」と思うものは食べないのですが、案外、まずく見えるものを食べるとうまいというのです。
 やがて、コブラと戯れても害を受けない日が来るのです。
 そんな日が来たらすばらしいじゃないですか。時に、一生懸命祈って、やっと祈りが聞かれたという体験をするわけですが、二十四節には、

『彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。』

とあります。すごいですね。私たちが「さぁ祈ってみようかな…」と思っているうちに答えが来るのです。「ピザが食べたいな…」と思っていたら、「あっ!ピザが来た!」という感じでしょうか。あっという間に祈りが聞かれる時代が来るのです。それは主が再び帰って来られ、人の支配を一掃し、主が世界の王となられる時、実現するのです。

 ということは、私たちクリスチャンが、究極的に、どこを目指して祈らなければいけないのかがよく分かります。「リバイバルを与えてください」と言っても、リバイバルはある意味、限定的なものです。教会が盛んになったら、人はリバイバルというのですが、社会は変わっていないことが多いのです。だから、それは本当の目標ではないのです。
 私たちが目指さなければならないのは、主が王となり、この地に帰って来られ、世界を治めてくださる日です。新しい天と新しい地を創造するという預言が、いち早く実現するように、祈らなくてはいけません。
我々は、主が帰られる道を用意し、主が帰られる時期を早めるために存在しているのです。その事をしっかりと、心にとめなければならないのです。

 そのために、何をしなければいけないか、聖書から学んでいかなければなりません。
 イエス様が天に帰られる前、どのように弟子たちに話されたのかというと、マタイの福音書に、次のように書かれています。二十八章十八節〜二十節、

『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」』

 「世の終わり」とは、イエス様が再び帰って来られ、この地を治める日を意味します。その日まで、地上に残されているクリスチャンと教会が、何をしなければならないのかというと、『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けよ』と告げられたのです。

 イエス様が働きを始める前、バプテスマのヨハネが現れて、『バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた』とありますが、イエス様が天に帰られる直前も、同じ命令を語って帰られたことが分かります。

 またパウロは、こんな風に語っています。テモテへの手紙第二 四章二節、

『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、ま た勧めなさい。』

時が良くても、悪くてもみ言葉を宣べ伝えろと語ったのです。
マタイの福音書でイエス様はこう語られました。マタイの福音書二十四章十四節、

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』

 イエス様が帰って来られる為には、どのような条件が満たされなければならないのでしょうか。ここで述べられているように、『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』
 宣教が地球レベルで展開され、すべての人たちが福音を聞くなら、イエス様は帰られるのです。

 ということは、福音を全世界に宣べ伝える、すべての国民にあかしする事です。それが、主の帰られる道を用意する、大変重要な働きであることが分かります。
 「国民」というのが、日本国とか、韓国とか、中国とか、「国」単位ではなく、「民族」という単位である事に気づいて、今、世界中の教会は活動しています。
 日本人は民族意識があまり強くないかもしれません。それは良い面と悪い面があるのですが、民族とは「一定の文化的特徴を基準として、他と区別される共同体」を言うのですが、土地とか、血縁関係とか、言語を共有していたり、宗教、伝承、社会組織などがその基準となります。民族とは、一口で言えば、「一定の文化的特徴を持っている、他と区別されるPeople’s group」です。

 今回、私たちがお邪魔したのは、まさしく一つの特徴を持った民族グループ、山岳地方に住む少数民族の村にお邪魔させていただきました。
 元々、人類は、一つの地域に一つの言語で住んでいたのです。一つの地域に一つの言語で住んでいたら、人種問題は発生しません。なぜなら、同じ言語で同じ地域に住んでいたら、誰とでも結婚しますから、肌の色は同じになるのです。「人種」という言葉は、主観的なものなのですが、なぜ肌の色が変わってしまったかというと、言葉がお互いに通じなくなって散らされたからです。

 創世記十一章に出て来ますが、人類がバベルの塔を建てたことにより、神の怒りに触れ、多くの言語に分かれてしまったのです。神がそのようにされたというのです。なぜかについては、以前、お話ししたことがあると思います。一番の原因はシャーマニズムです。人が自ら、自分の利益のために、悪霊を呼びつけて交渉したことによって、一つの言語で生きる民が、神により、多種多様な言語に変えられてしまったわけです。
 言語が変わってしまったわけですから、共に住むことができなくて、それぞれ、世界中に散っていったわけです。

 そんな中、一番遠くまで移動した人たちは誰かというと、日本人を含むモンゴロイドたちです。

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 バベルの塔は、たぶん今のイラク付近にあったと思われます。そこから東を見ると、ここにヒマラヤがありますから、この平らな所を歩いて、多くの人たちが移動したはずです。ここはインドシナ半島です。このあたりは温暖で、食料も多かったから、一番多くの人たちが住み付いたと言われます。かつてこの近所は海面が低く、スンダランドという、今は消えてしまった大陸があったと言われます。しかし、この場所に飽き足らずに中国大陸方面に出て、朝鮮半島から日本列島に入って来たのが、今の日本人です。

 実は、人の遺伝子を調べると、どこから来たのかが特定できるのです。人にはハプロタイプといって、父方か母方か、どちらかしか受け継いでいない遺伝子があります。女性なら母方、男性は父方を引きずっています。女性しか持っていないない遺伝子、男性しか持っていない遺伝子があるのです。それを追跡していくと、どこから来たのかが分かるそうです。
 ハプロタイプ遺伝子を追跡すると、全人類は一人の女性に到達するというのです。聖書が「エバ」という一人の女性について語っています。アダムとエバが結婚して、子どもたちが生まれ出たと書かれています。まさにそれを証明するかのように、ハプロタイプ遺伝子を追求していくと、たった一人の女性に行き着くというのです。

 そして、日本に入って来た人たちは、世界でもまれに見る雑種だというのです。いろんな方向から入って来て、それらが混ざっているというのです。日本人って単一民族だと思っていますが、そうではなく、他の国以上に混ざっているのです。
 日本人のハプロタイプ遺伝子を追跡調査すると、日本人は、たった九人の母親から生まれ出た国民だというのです。一億二千万もいますが、母親はたった九人だそうです。もっと人類を追求していけば、全世界は三十五人の母親の子孫だというのです。そして、最終的には一人につながるのです。日本人は案外、みんな親戚です。
 一万円くらい出すと、自分がどこのハプログループに属するのかを検査してくれるらしいです。どこを通って来たかが、だいたい分かるそうです。おもしろいから、今度やってみようと思っているのですが、結果が出ましたらお伝えします。一番多く日本に来た人たちは、東アジアグループが三十五%くらいだそうです。
 タイの近所です。その辺から来た人たちが最大のグループだそうです。
 また、海を渡って来た人たちもいるわけです。それが十%から二十%くらいいるそうです。ここにもよく見ると、「この人は縄文人の子孫じゃないかな…」というような、お顔もちらほら見受けられます。

 この間、ある人に出会いました。その方は子どもを産んで、高齢出産だったので、遺伝子の検査をしたというのです。そうしたら、ある特殊な因子が入っていたというのです。その因子は、海洋民族しか持っていない因子だというのです。一般の日本人では持っていない因子だそうです。南の島々にしかない病気の因子が発見されました。「どうりで!」って顔を見て分かりました。
 日本人って、混じり合ってできた国民です。インドシナ半島近所から縄文人も始まりましたし、弥生人と呼ばれる大陸系の人たちも生まれたわけです。両方のルーツです。

 タイの山岳民族の方々の所に行って、ここで福音宣教をすることは、イエス様が帰られる道を用意するために、大変重要な働きかもしれないと思いました。
 今回、山岳民族の方々の教会で奉仕をさせていただいたのですが、彼らと話したら、「私たち山岳民族の者たちは、タイ人から差別されていて、私たちがタイの人たちに伝道してもなかなか聞いてくれない。それでも昔よりは良くなりましたけどね…」と、寂しそうに話をされていました。
 しかし、そのような方々が最も重要な方々であり、主の愛に触れられたら、主が帰られる道が整えられるのです。私たちがその人たちに愛の目を向けて祈ることが、主が帰られる道を用意するために、大変重要な働きではないかと感じました。

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 今回、私たちが行ったのは、チェンマイから奥の方に入った所です。

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 自然豊かな所です。

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 なんとなく雰囲気がいいでしょ。

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 これは何か分かりますか?よく見ると、足があります。かえるです。これ、おいしいらしいですよ。

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 これはご存じですか?炒って食べるとおいしいと言っていましたが、蟻の卵です。こんな物ばっかり食べているわけじゃないけれど、川にはナマズ系の魚もたくさんいます。

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 唐辛子も本当に辛いです。

 タイの人たちは日本に対して、ちょっとしたあこがれも持っています。日本の製品って、横文字が書いてあるじゃないですか。横文字があると、何かいい物のように思います。それが、タイになると日本語が書いてあればいい物のように感じるようです。

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 タイのジュースですが、「味」と書かれていて、「おいしい」というタイトルがついた「はちみつレモン味・おいしい」というジュースが売っていました。タイは自然豊かで、飢え死にする人はいないというのです。
 タイの人と話をしたら、日本で時々飢え死にしたというニュースを聞くけれど、信じられないと言っていました。なぜかと聞くと、「裏山に行けば、何でも食べ物がある」というのです。蛇、かえる、蟻、マンゴー、バナナ、何でもあるから、飢え死にする人は一人もいないよ、というのです。日本でホームレスをやるよりも、向こうに行ったらいいですよね。着る物も薄い物でいいです。
 しかし、今回はむっちゃ寒かったです。何十年ぶりという寒波で、タイで六十数人が凍え死んだというのです。私たちはホートという所に泊まったのですが、寒くて、日本を出る時にはジャンパーを着ていったのですが、邪魔でトランクに入れていたのですが、寒くて全部出して着て、毛布にくるまって寝ました。ちょっと風邪を引いたのですが、良くなりましたが。普通は大変温暖で、気持ちの良い所です。
今回、そんな所で集会をさせていただきましたが、これを見てください。

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 山岳民族の子どもたちが賛美をしていますが、本当に真剣に賛美をしています。

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 これはカレン族の人たちの家ですが、家庭集会みたいのをやりました。雰囲気があるでしょ。

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 一人のおばちゃんが病気だから祈ってください、ということで真剣にお祈りさせていただきました。

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 子どもたち、かわいいですよね。

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 あれ?同じ顔じゃん!よく似てます。孫が一足先にタイに来ていたのかと思ったくらい似ていました。

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 この子たちもかわいいです。

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 住んでいる所はこんな場所です。高床式の家に住んでいるわけです。寒いからみんな庭で火を炊いていました。夜の集会もみんな防寒具を持って来ました。

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 純粋な信仰を持っている方々です。ここで奉仕をさせていただいて楽しかったです。

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 メッセージですが、三次元通訳です。今回、日本語通訳が難しくて、急遽、英語でメッセージをすることなりました。でも、英語のメッセージは簡単です。中学校一年生レベルの英語力があればできます。なぜなら、自分の知っていることしか語りませんから。アメリカ人とか、英語が第一言語の人たちの前で語るわけではありませんし、下手な英語でもうまく通訳してくれますから、大丈夫です。今回、ナロン先生が通訳してくれました。彼は英語もうまいし、メッセージもうまいですから、良かったです。私が下手な英語でメッセージをして、ナロン先生がきれいなタイ語に通訳をして、メートムの牧師がカレン語に通訳しました。私の英語が分からん時は、適当にやってくださいと頼みました。でも三位一体のようで、すごい良かったですよ。楽しかったです。
 山岳民族の人たちは、簡単に話さないと分かりません。この山の人たちと出会って、一緒に祈ったり、賛美をしたり、本当に心が温かくなりました。
 主が帰られる道を用意することが、どういう意味なのか、日本だけで伝道するだけでなく、世界に出て行って、散らされた人々の通り道を勝ち取る事が重要だと思いました。

 今回、私たちはある山に、とりなしの祈りに行きました。

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 今回一緒に動いたメンバーです。左が小長光先生。リバイバル聖書神学校を卒業して、今、タイで宣教師をしておられます。一生懸命がんばって下さいました。そして泉ちゃんと、小長光先生と一緒に伝道しているタイ人の先生。ナロン先生と私と瀧川君。山の高い所まで登って行きました。

 小長光先生が近頃、夢を見たというのです。夢の中で「そこに行って祈って来い」と言われたというのです。

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 「是非とも行ってください!」と言われたので、気軽に行ったのですが、相当、高い所にまで上がって、とりなしの祈りをしました。ここは石器時代に、最初に入った人々がシャーマニズムを行い、悪霊を呼んで、人をいけにえとして捧げた祭祀場です。

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 この形式は日本でも同じです。そこでイエスの御名の勝利を宣言する祈りができました。
 火曜日から、タイに行ったのですが、月曜日の夜に愛知県民の森の祈祷会がありました。そこで祈っている時、主が私に語ってくださいました。「主が帰る道に立ちはだかっている、悪魔・悪霊どもをやっつける祈りをしなさい」と。そして「道を開けろ!と命じなさい」と私の心に語られました。

 それで「道を開けろ!」というテーマで、今回、タイに行きました。予期もしなかった山に登り、バベルの塔から散らされていった人たちの通り道を塞いでいる、敵に立ち向かいました。主が帰られる道をブロックする、何か大きなとりでがあるような気がしました。
 山岳民族の人たちと一緒に祈ったり、霊的戦いをする時、道が開けられ、主が帰られる道が用意されるのではないかと思いました。

 今回、私は山岳民族の人たちの所でメッセージを語ったのですが、山の人たちは、悪霊と交わりながら生きています。特に、先祖の霊のふりをした悪霊を真剣に呼んでいます。霊を恐れ、それらを祭ることが彼らの生活そのものです。
 大きな木には精霊が住んでいるとか、大きな岩にも霊が住んでいると考えています。村は霊によって支配されています。どこに行っても庭先に、地の神のようなピーという霊を祀る祭壇があります。
 タイは仏教国ですから、仏教の寺院も大きいです。偶像礼拝が盛んです。霊的戦いが必要です。
 私は彼らに話しました。偶像礼拝や、悪霊を呼ぶ行為は、悪霊と結ばれる「契約」だから、それが村の発展をとどめ、いろんな問題が起こる原因となる。それを悔い改め、契約を断ち切る祈りをしましょうと、話しました。
 みんな真剣に祈っていました。「契約が打ち破られますように!!」と真剣に祈っている姿に大変感動しました。

 日本のリバイバルのために、このような場所での働きが、大きな意味を持っていると思いました。
 一昨日、最後の集会は、ラワン族の人たちの所で集会をしました。その人たちはビルマの山奥の人たちらしいけれど、戦争で追われ、今、チェンマイに住んでいました。
 メッセージをタイ語とラワン語に通訳しなければいけません。だから牧師は民族の言葉を五、六カ国語も話すのです。一人で二カ国語同時通訳するのです。私がメッセージすると、文章がむちゃくちゃ長くなるのです。なぜかというと、二ついっぺんに通訳するからです。もう待ちきれないというか、何を話していたのか忘れてしまいそうでした。
 日本人はどこから来たのか。この近所から中国の方に入って、朝鮮半島から日本に入ったに違いない、そして、私たちは米を食べていますが、稲作の原点は、インドシナ半島です。稲の遺伝子検査をすると、それが分かるわけです。
 日本人が米を食べているのは、日本のものではないのです。これはタイの方から、入って来たものを食べているわけです。だから、最初の人たちが、米の種とか苗を持って移動したわけです。だから、日本人の原点は、この山の中にあるのではないでしょうかと、話をしました。
 この村の人たちは、たいへん重要な人たちだ、顔も、本当に日本人によく似てる、と話しました。一人の人を見たら、本当に日本人にそっくりだったのです。だから、その人を呼び、「この人見てください。私と同じじゃないですか」と言ったら、その人は感動して、別れ際に私に「今日は本当に良かったです」と言って、握手して、お金を握らせてくれました。中に千バーツ入っていました。千バーツというと、日本円で三千円くらいですが、向こうでは一ヶ月の給料の三分の一くらいでしょうか。「先生の働きのために祈りたいです」と、千バーツも下さいました。その心が、本当に嬉しかったです。

 私たち日本人は、東に散らされた終着駅の民族です。ここから福音を伝えることは、大きな意味があることを今回知らされて帰って来ました。「主が帰られる道を用意する」働きは、一言で言えば、「福音を伝える」働きです。
 福音を伝える働きは、ただクリスチャンを多くし、教会を盛んにしましょうというものではなく、「主が帰られる道を用意する」重要な働きなのです。

 今週も、私たちは様々な所に出て行って働きます。それらはすべて、イエス様が帰られる道を整える働きです。イエス様のことを誰かに伝えることによって、イエス様が帰られる日が早められるのです。
 みなさんの周りにも福音を伝えなければなりません。この街にも福音を伝えなければなりません。日本全体に福音を伝えなければいけない、さらに視点を大きくし、日本人のルーツにも福音を伝えることが重要であると知らされました。

 みなさんの祈りに支えられ、このような働きを進めることができて感謝します。
主の御前に出て、聖餐式を持っていきたいと思います。十字架の血潮によって聖められ、主が帰られる道を用意するため、献身の心を持って、聖餐式にあずかりたいと思います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて心から感謝をいたします。あなたが帰る道を整えるために、この地上に置いてくださっていることを、心から感謝します。どうか私たちを整えてください。今日もあなたの御前に出て、聖餐式を守ることができることを感謝します。私たちは、あなたの十字架の血潮をあおぎ、聖くしていただき、福音宣教のために働くことができますように。この時を心から感謝します。イエス様の御名によって、聖餐をいただきます。アーメン。