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『準備をしなさい』

2014年2月23日 (日)
新城教会牧師 上條実

ルカの福音書 22章7節~13節

『さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」イエスは言われた。「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家までついて行きなさい。そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。』


 ハレルヤ!今日こうしてみなさんの前でお話ができることを、心から感謝しております。
祈っていただいております、タイ・チェンマイリバイバルミッションも二日間とても祝福されているとの報告をもらっています。日本からツアーの方々とご自分で行ってくださった方々も含め、五十名くらいの方々が出かけて行きました。
 金曜日はタイのチェンマイ市内にあるチェンマイ灯教会を会場として行われました。午前中にセミナーが行われましたが二百名くらい、そして夜は四百名くらい集まったそうです。そして昨日土曜日は、ホートという所に場所を移して行われて、午前中のセミナーは二百五十名くらい、夜は四百名くらい集ったとのことです。皆さんがお祈りによって、すばらしい集会がもたれていることを感謝します。今日は最終日となります。メートムという所山岳地区で行われます。朝滝元順先生がまず始めにご奉仕をし、その後有賀先生がご奉仕下さいます。ぜひ覚えて祈っていただきたいと思います。
今日はまずタイ・チェンマイリバイバルミッションの模様を短く映像をまとめましたので、ご覧下さい。

<映像>

本当にすばらしい集会がタイと日本が一つとなって開催できる事を感謝します。最後の集会の為にお祈り下されば幸いです。

 では今日は、「準備をしなさい」というタイトルで、みことばを学んでいきたいと思います。現在私の家内は次男のところに第二子がまもなく生まれるため、東京の実家に出かけて行き、孫を預かっています。ですからこの頃、我が家は私と三男と四男の三人暮らしです。男ばかりですので仕事分担を決めて、三男が食事を作り、四男はお風呂掃除などしてくれています。我が家は孫では四人目の出産の準備をしています。またお祈り頂いている四男も、この四月で中学生になります。声変わりをし始め、顔はにきびが出て来ました。制服や体操服の注文をしました。彼も我が家も準備しています。先ほど読んで頂いたルカの福音書二十二章七節~十三節から「準備をしなさい」というタイトルで今日学びます。
ルカ二十二章七節からのみことばはイエス様がまもなく十字架にかかる前の出来事です。過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づき、「過越の祭をするために食事を整えなさい」とイエス様はペテロとヨハネを遣わせました。この聖書箇所は有名な「最後の晩餐」のとこでもあります。かつてイスラエルの民がエジプトから脱出した出来事の記念としての祭りでした。出エジプトをした時モーセは八十歳になって、エジプトからイスラエルの民を連れ出しました。その時十の災いがありました。その最後の災いで起きた出来事です。出エジプト記十二章二十九節に、

『真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。』

とあります。子羊をほふりイスラエルの民は、門とかもいに血を塗りました。その血が塗られた所は過ぎ越し、殺されませんでした。しかし血が塗られていない所は、

『真夜中になって、主はエジプトの地のすべての初子を、王座に着くパロの初子から、地下牢にいる捕虜の初子に至るまで、また、すべての家畜の初子をも打たれた。』

とあります。このことを通して出エジプト記十二章四十節~四十一節、

『イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四百三十年であった。四百三十年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た。』

出エジプトができました。四百三十年間、奴隷生活を強いられていたイスラエルの民は、解放されたのです。そのことを覚えるため過越の祭を行っていました。その食事の準備をしなさいと、ペテロとヨハネに命令しました。先ほど読みましたルカの福音書二十二章十節~十二節、

『イエスは言われた。「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家までついて行きなさい。そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」』

 イエスは不思議な事を弟子たちに伝えました。そして「準備をしなさい」と言うのです。
今回、私はこのみことばを通して「あなたは準備をしているか?」、「新城の教会は準備をしているか?準備できているか?」ということを、語られたような気がします。
 
 私たちはイエスキリストを神さまとして信じ受け入れました。そしてその神にいつも祈りをささげてきました。でも、どうでしょう?あなたの祈りは百パーセント答えられていますか?なかなか答えられないで、祈り続けているものが沢山あります。またある方は、悪しき支配の中に支配されて、解放されたいと願いながら悪習慣やさまざまなものに支配され解放できず苦しんでいる方もおられるかもしれません。そんな中でイエス様は私たちに「準備をしなさい」と語っています。
 私は、今年二〇一四年に与えられたみことばは、イザヤ書四十四章二十六節~二十八節のみことばです。

『わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる』と言う。淵に向かっては、『干上がれ。わたしはおまえの川々をからす』と言う。わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられるから』と言う。」』

 この二〇一四年に与えられたみことばから「今年は成就してくださる年」だと語らせていただきました。今まで祈ってきたことは、主は絶対に無にしない。聖書を読み、また愛の行動をした事に対し、「成就させ、計画を成し遂げさせる」また「再建される。神殿は、その基が据えられる」と語られました。だからその為準備しなくてはいけないと教えられます。
 私はこのみことばを主から与えられ、主がどんなことを成就させ、再建して下さるか楽しみに祈り、待ち望んでいます。そして私の中に、今まで祈ってきた出来事が、今年に入って成就して下さっていることを体験させて頂いています。
 一九九二年私たちの教会に聖霊さまが訪れて下さいました。さあこれから「リバイバル」が起きるんだと待ち望んでいました。しかしリバイバルではなく、この教会に分裂が起きました。リバイバルを期待していたにも関わらず、大変悲しい思いをしました。

私は毎日、早く和解ができるように、一つとなることができるようにと、そして今年は新城教会の土台がもう一度堅く据えられる、再建されるように祈ってきました。そんな中で、向こうの教会に通っておられた私の従兄弟が亡くなりました。そして葬儀に参列することができ、良き交わりができました。まだ完全ではありませんが、祈りの答えが見えた時でした。
 また先々週の礼拝で、滝元明牧師も語っておられましたが、静岡教会の見城良雄先生が亡くなられました。感謝な事に私も亡くなられる前にお見舞いに行かせて頂くことができ、一月二十四日には召天式に滝元明牧師と私の家内とともに参加することができました。そして大変良き交わりができました。二つとも召天式という、ある意味悲しい出来事ではありましたが、そんな中で交わることができたことは大きな祝福であり、成就のはじまりであると思わされます。
 また、家族の救いや親族の救いのために、みなさんもお祈りされていると思いますが、しかし親族や、家族の救いはなかなか難しい事です。でも二月の初旬には伊庭兄姉の息子さんがバプテスマを受けられ、ここでも祈りの成就を見ることができました。
 また私たちの家族である親族の為に祈っている方がいます。それは家内の母親のお姉さん。叔母さん夫婦の為にお祈りしています。そのおばさんは豊川市に住んでいた時には、何度か教会の礼拝に足を運んでくれていました。しかし彼女は「私は、神様仏様でやっていくから。」と言い、クリスチャンになって頂くことができました。現在は浜松市に住んでおられるのですが、そのご主人が脳梗塞になって倒れました。そして病院に入院されてしまいました。私たち夫婦でお見舞いに行きましたが、麻痺が残り、あまり話すことができず、手足もうまく動かない状態でした。そんな中で少し元気になり、まもなく退院できるという時、肺炎になり、再度脳梗塞もあり、今度は本何もしゃべれなくなってしまいました。しかし最悪の状況の中に、不思議なみ業を起こして下さいました。今回叔母さんの方から「私もキリスト教にさせてもらいたい」と話してくれました。今回叔父さんに「お話しできなくても、心の中で後についてお祈りして下さい。」と言い祈らせて頂きました。「イエスキリストを私の神さまとして信じます」と祈ると、手をギュッと握り替えして下さり、敬虔に祈りを受けて下さいました。また叔母さんは家内の父が電話でイエスキリストを受け入れる祈りをして下さり、先週も行きましたが、私と三人で手をつないで、イエス様を受け入れるお祈りと守りのために祈ることができました。祈りが答えられないのかなと思いましたが、事が成就したのです。本当に感謝です。
 また、もう一つ恵みを頂いた事をお証ししたいと思います。今市内に家を建て、四年目になりますが、来年度には、我が家が組長になる順番でした。以前住んでいた所でも組長をしましたが、そちらよりも、現在住んでいる所のほうが、地域の祭りは激しく、花火をあげ、爆竹をならしたり、すごく元気な祭りをしていました。以前この区に四元雅也先生が住んでおられ、行政と氏子とは全く別でなくてはならないと戦って下さり、ある程度理解が深まっていることもあるかも知れませんが、未だに行政と氏子とごっちゃまぜになっています。だから組長が行政の手伝いをすると同時に、氏子の働きも一緒になっていました。組長が「祭りの寄付金」と「氏子会費」を徴収したり、祭りでもお役として出なくてはいけないし、偶像の札を各家に配布したり、多くの氏子関係の働きをしなければならないのです。今度自分が組長になった時にどうやって戦おうと、祈っていました。私たちは十七軒のグループなのですが、今まで、全く一同集まって会合するということが全くありませんでした。だから今度組長になった時には、各家庭に出かけて「私は教会の牧師で、祭り関係はできないので、誰か代わりにして頂けませんか?」とか、どういう風に言ったら良いかと祈っていました。すると不思議なことが起きました。私の住んでいる地域は子どもさんは多いのですが、街灯がなく、夜になると真っ暗になるのです。それで近所のご主人が、組長さんの所に行って、街灯をつけて欲しいということを要請し、行政区に依頼しようということになりました。その為どのように電気料などを集めたりするのかとかを、独断では決めることはできないので、組ができて初めてのことらしいのですが、公民館に各戸のご主人方が集まって話し合いを持つこととなりました。そしてこの一月に話し合いがありました。そして会合の中で、外灯の事などを取り決めた後、私は来年組長になるが、教会の牧師であるし、神社関係の事はやることができないと話しました。するとみなさんが好意的に、怒る人も全くなく、「そうですよね。牧師先生が神社の祭りの寄付金なんて集めませんよね」と言い、好意的な話しあいの中最終的にまとまった事は、満場一致で「今回は特例で・・・・・・」ということで、「上條さん、組長をパスしていいです。」と言うのです。私は飛ばして次の家の方が組長になると言う事でした。だれもが面倒で、やっかいな組長という役をやらなくても良くなった。これもひとつの祈りの成就だと思います。第一コリント人への手紙十章十三節に、

『あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。』

 このみことばを思い出し不思議だなと思いました。今年イザヤ書四十四章、「成就の年だ」「再建される」というみことばが与えられ、この二ヶ月の間に、多くの祝福が与えられていく事を体験し何か恐ろしいような感じがします。
 このことは私だけに与えられるのではなく、新城教会に与えられたみことばです。是非みなさんにも同じ祝福が与えられることを祈っています。しかしサタンは必死になって、私たちに立ち向かって来ます。そして、攻撃を仕掛けてきます。だから今日準備をしなさいと言っています。ヤコブの手紙四章七節~八節にはこのようなみことばがあります。

『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。』

 私たちが悪魔に立ち向かって行くならば、主が事を起こしてくださる。立ち向かわなかったらいけない。また悪魔に背を向けるなと教えています。悪魔に立ち向かわなくてはなりません。
 その為に私たちは準備しなければいけません。準備すると答えが、成就が与えられます。諦めて何の準備もしなければ、成就はありえません。今のままです。しかし立ち向かったならば、主が動き、必ず答えをくださる。今まで祈ったこと、今まで戦ってきたこと、絶対それは無駄ではない、成就されるのです。つい最近いつも読んで知っているみことばエペソ人への手紙六章十一節をもう一度神さまが教えて下さいました。

『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

私はこのみことばが与えられた時、「武具というのは聖さ」と思いました。聖さをもって、戦う時、勝利することができる。私たちではなく神ご自身が戦ってくださる。私たちが逃げていたら戦えない。だから私たちは、神のきよさを求め、きよきみことばをもって、戦う時必ずそれが勝利していくことを信じましょう。滝元順先生が「マラナタ!主よ来てください!」と語られています。しかしもし今日、イエス様が帰って来られたら、どうでしょうか?主が来て下されば最高の喜びですが、今まで祈ってきた課題が、答えられないままで良いのだろうか?と思いました。ローマ人への手紙十三章十一節~十二節。

『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。』

とあります。今がどのような時か知っているのですから・・・・・・とあります。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。この教会に神さまが語っておられるのは、今眠っていないで下さい。眼を覚まして下さい。やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けよう!とあります。私たちが聖さを持って立ち向かう時、業が動きはじまる。成就、再建が始まるのです。私は今回、聖さのことで、ヘブル十三章一節~八節がすごく神様から示されました。ヘブル人への手紙十三章一節(リビングバイブル)、

『真実の兄弟愛をもって、愛し合いなさい。』

とあります。また第一コリント人への手紙一章十節の所には、

『さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。』

とあります。
 私たちは、あまり意識していないかもわかりませんが、聖くなる一つ目は、これは一致することです。私たちは人に対しては、簡単に指を指すことはできます。「あの人がこう言った。」「あの人はこうだ。」とそれも特に近い人、夫婦。親。子に対して怒りを覚え、一致できないのです。マタイの福音書十八章十九節には

『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。』

夫婦など二人が一致して祈り始めたらどんなことが起こるか、悪魔は知っています。だから分裂、さばき、怒り、諦めなどを与えて来ます。『真実の兄弟愛をもって、愛し合いなさい。』同じ心でひとつになりなさいとあります。今日教会の兄姉も、夫婦もひとつ心になって、同じ志を持って進もうではありませんか?教会全体で「今年は成就の年」として同じ心、仲間割れすることなく、ひとつになって生活していくことを主が望んでいることを覚えてください。今日誰かと一つ心になっていないならば、悔い改めましょう。

 そして二つ目は、ヘブル人への手紙十三章二節(リビングバイブル)、

『よそから来た人を、親切にもてなしなさい。中にはそうして、気づかないうちに御使いをもてなした人もいます。』

とあります。お互いに親切にもてなしあっていくということが、すごく大事なことです。あなたは親切にもてなす人となりましょう。そして、三つ目は、ヘブル人への手紙十三章三節(リビングバイブル)、

『獄中にある人たちのことを忘れてはいけません。その境遇を思って、同じ気持ちになり、苦しみを共に分け合いなさい。また、しいたげられている人たちの悲しみを、思いやりなさい。あなたがたは、その苦しみがどんなものか経験ずみなのですから。』

とあります。隣人を、聖書は何と書いてありますか。「自分自身のように愛しなさい」とあります。今日、まず自分のことはおいて、私たちの周りの人のために愛を持って祈り、愛の行いをして行きましょう。みなさんは礼拝に参加される時、だいたい座る席が決まっていると思います。今日周りを見て下さい。いつも来ていらっしゃる方々が、お休みしているなら、その人のために一週間の間お祈りして下さい。もしかしたら用事があって礼拝をお休みされているかも知れません。しかしもしかしたら病気で苦しんでいるかも分りません。インフルエンザ?胃腸風邪?もしくは何か問題があるかも分かりません。来れない時に、私たちが何の祈りもせずに過ごしていても良いのでしょうか?家族である人が高熱を出し、苦しんでいる時あなたはどうしますか?心配し、いつも心をかけているでしょう?教会はイエスキリストが頭で、私たちは各器官です。兄姉、家族です。
 また特に獄中にいる人たちを忘れてはいけないとありますが、特に教会の中で、またあなたの周り、知人で苦しんでいる方があれば祈り、愛を持って行動しなくてはならないと思います。思いやりなさいともあります。主は苦しみ、獄中にいるような大変な苦しみの中にあるような人たちに対して、それを忘れてはいけないと神さまは言っています。

 四つ目、ヘブル人への手紙十三章四節(リビングバイブル)、

『結婚とその誓約を尊びなさい。純潔を保ちなさい。神様は不品行な者、姦淫する者を、まちがいなく、さばかれるからです。』

 今結婚前に肉体的関係を持ってもおかしくない、当たり前のことになってしまっています。純潔を保ちなさい。神様は不品行な者、姦淫する者を、まちがいなく、さばかれるとあります。性的な罪を憎み、きよい器にならなくては行けません。結婚を尊ばなくてはいけません。今は汚れた雑誌を簡単に手に入れたり、携帯やコンピューターなどで、簡単に映像を見ることができます。悪魔はいろんな策略を巡らせて来ます。隠していれば分からない。でも聖書は絶対に「隠れているものは絶対に明らかにされる」とあります。結婚前の方々も忍耐をもって、しっかりときよさを持って守っていただきたいと思います。

 最後に、ヘブル人への手紙十三章五節(リビングバイブル)、

『お金を愛する心を捨て、現在、与えられているもので満足しなさい。』

とあります。お金の問題で失敗している人がたくさんいます。マモンの力、策略にやられています。眼の先だけに捕らわれて、ギャンブルにはまっている人もいます。サラリーマン金融などで苦しんでいる人もいます。金を愛する心を捨て、現在与えられているもので満足する人とならなくてはいけません。

主は、「準備しなさい。」と語っています。何を準備するのですか?それはイエス・キリストを第一にすることです。神の国と神の義を第一にしてください。今の問題を必死に、解決しようと思って、自分で判断しないで下さい。私たちが主の前に近づき、近づいて聖らかさをいただき、悪魔に立ち向かっていくのです。立ち向かっていく時に、勝利し、成就していくのです。思い考えている以上に、主は不思議なことをしてくださいます。私の本当に好きな好きなみことば、Ⅰコリント人への手紙二章九節

『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』

とあります。神はあなたに言っています。「準備しなさい。聖くなりなさい。みことばの剣を抜いて立ち向かって祈りなさい。」と、そうすれば驚くばかりの祝福を備えていて下さる。そしてそれを手に入れることができる。今まで祈ってきたことが成就し、再建されるのです。それも最高の祝福は顔と顔とを合わせて主と会うことができる。「マラナタ!主よ来てください!」と叫んだ主と会うことができる。こんな祝福はないと思います。
あなたは準備ができていますか?今年は成就の年です。
しかしまだ準備ができていなかったら、準備をして下さい。主はいつ来るか分からないのです。イエス様が今日、来られるかも分かりません。今三連動の地震が来るという確率が七十パーセントだと言われています。私たちはその備えをします。避難訓練をし、建築物は補強し、食料は備蓄します。しかし永遠のいのちに対しては、あまりにも軽く考えてしまうのです。自分の楽しみを優先してしまいます。準備をしてください。



最後にイザヤ書四十四章二十六節、最後にみ言葉を出してもらいたいと思いますが、

『わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる。』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる。』と言う。』

 今日、準備をしてください。目の先ではなくて、私たちの信じているイエス様に目を向けて歩んでいただきたいと思います。だいぶ時間が長くなりましたが、最後にお祈りして終わりにしたいと思います。今日聖餐式という素晴らしい祝福の時があります。この聖餐式で

「ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。」とあります。今日イエス様の前にへりくだって、自分を点検し悔い改めましょう。そしてイザヤ書イザヤ書四十四章二十六節みことばを剣としてしっかりと握り立ち上がって行きましょう。今年は成就と再建の年です。お祈りします。

 愛する主よ。今日、私たちは「準備しなさい」というタイトルから、み言葉をいただきました。私たちの中に罪があるなら赦してください。罪を赦していただけるのはイエスキリストの十字架と、流された血潮以外にありません。きよめて下さい。聖さをいただき、準備します。今年は成就し、再建される年でありますように。主イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。