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「『あなたは地球の管理人!パート5』
~人の役割、土地の目的~」

2014年6月29日 (日)
新城教会主任牧師 滝元順 
創世記 2章7~15節

『神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れる。そこには金があった。その地の金は、良質で、また、そこにはベドラハとしまめのうもあった。第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れる。第三の川の名はティグリス。それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。ひさしぶりに新城教会で奉仕できますことを感謝します。一ヶ月ぶりくらいかもしれません。みなさんのお祈りに支えられ、関西リバイバルミッションの準備が進められています。大変忙しい中にありますけれど、支えられていますことを、本当に感謝します。
 また、先々週まで、私はアメリカで奉仕をさせていただいたのですが、どの場所においても、主の臨在の中、祝福されたことを感謝します。

 また先々週は、滝元明ミニストリーがありました。父とロンさんとイボンヌさんが、この地域の街や村を巡って、コンサートと集会を行いました。そこにも来ていただき、協力していただき心から感謝します。豊橋のプラットでも行われ、大勢の方が来てくださり、恵まれた一時でした。そこでイボンヌさんの指導で、一曲みんなで賛美しました。ここに一枚の写真があります。

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 それは「Jesus Loves Me」という有名な賛美歌でした。「イエス様が私たちを愛して下さっています」という歌だったのですが、本当によかったです。
 全世界の人たちが「イエス様が愛してくださっている」と知ったら、どんなに幸せでしょうか。今日、私たち一人一人を、イエス様は愛してくださっているのです。「私は誰にも愛されていない」なんて言わないでください。天地宇宙を造られた神、イエス様が、あなたを愛してくださっているのです。なぜなら、聖書がそう約束しているからです。
 お互いに「イエス様はあなたを愛しています!」と、お隣近所の方に声をかけてあげてください。

 人間は、神の愛の対象として造られました。しかし聖書を見ますと、人は愛の対象として造られているのですが、さらに深い存在目的があるのです。そのことを知ると、人生の根本的な意味が変わります。人生の目的が、大きく変わるのではないかと思います。
 私はこの頃、シリーズで、「あなたは地球の管理人!」というお話をさせていただいています。今日はその「パート5」ということで、「人の役割、土地の目的」という、ちょっとお堅いタイトルでの話です。しかし中身はたいへん重要だと思いますので、ご一緒に考えていきたいと思います。
 先ほど読んでいただきました創世記二章七節に、こんな言葉がありました。

『神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。』

 聖書の書き始めに、『はじめに神が天と地を創造した。』と宣言されています。人間よりも先に、天と地が創造されたわけです。そしてある日、神が、土地のちりをとって、人を造ったのです。
 私たち人間は、どういう存在かというと、「土地のちり」によって造られた存在です。しかしそれは聖書を知らなくても分かります。
 なぜなら、人間の食べ物は、ほとんど土からとれるからです。野菜も果物も、土から出て来ます。動物だって、みな土を食べているのです。野菜は元々は土だったのが葉っぱになって、それを食べて人は生きるわけです。
 人は両親から生まれるのですが、お父さん、お母さんは出身地で土を食べ、成長し、結婚した結果として、土の子が生まれるわけです。さらに、人は死んだら、土に返ります。
 聖書が告げている通り、私たちは、土地のちりで造られたのです。

 科学的に言っても、「土」は、地球上のすべての元素を含んでいるそうです。人間は、たった四つの塩基、A,G,C,Tという物質でできていますから、それらもすべて土の中に含まれる物質です。人は土から造られたのです。

 しかしそこには創造された目的があるわけです。今読んだ所には、こうなっていました。七節〜八節。

『神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。』

 神様が土地のちりで人を造り、エデンの園に人を置かれたのです。二章十五節には、

『神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。』

と記されています。神が人を造った目的が、この一節にすべて現わされています。神様が、エデンの園を造り、その土地のちりから人を造り、エデンの園に置かれたのです。
 何の為かというと、「そこを耕させ、そこを守るため」でした。

 さて、ここでみなさんに質問です。この限られた情報の中で、人と土地と、神様はどっちを大事にされているのでしょうか?
 人と土地、どちらが大事ですか?と聞かれたら、我々人間は、「人間に決まってる!」と答えます。しかし神は先に土地を造り、その土地のちりから人を造り、土地を守るために人を送り込み、そこを耕させ、守らせたのです。さて、人間と土地と、どちらが大事でしょうか。
 「あれ?もしかしたら神様は、人より土地のほうを大切に考えているかも・・・」となりませんか?

 例えば、あなたがハワイにすばらしい別荘を持っているとします。これは架空の話ですから、どんな別荘でもいいのです。こんな別荘があったとします。

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 これは今、ハワイで売り出されている別荘です。こんな所に別荘を持てたら、どんな気分でしょうか。

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 これがあなたの別荘です。これは空想の世界です。しかし、別荘には年間、一ヶ月しか滞在できないのです。あと十一ヶ月は、日本に仕事があって行けないのです。家とか土地は、管理しないとだめになってしまいます。十一ヶ月間も放っておけば、荒れ放題になります。
 「そうだ。この別荘を管理してもらおう!」ということで、管理人を頼んで、別荘を管理してもらうとしたら、どうでしょう?あなたにとって、別荘と、管理人の、どちらが大切ですか?「そりゃぁ、別荘に決まってる!」となります。
 もちろん、人間の命という論議ならば別ですが、目的から言うならどうでしょう。「別荘を管理してほしい」という話なら、管理人さんよりも、別荘のほうが大切になります。
 そういう視点で人の創造を見ていきますと、案外、人は、勘違いしているのかもしれません。十五節、『神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。』とあるように、神が、エデンの園を造り、土地のちりから人を造り、そこに送られたのです。目的は土地を耕し、守る為でした。その役割を人に与えたとしたら、エデンの園は、相当、神にとって、重要な場所であったに違いありません。
 『はじめに神が天と地を造られた』とありますが、私たちの目の前に広がっている土地、何気なく過ごしていますが、実は、大変重要な意味と目的を持っているのではないでしょうか。

 現代人は土地について、どのように考えているのでしょぅか。日本人は、土地に強い関心があります。特に、田舎の人たちは強い関心があります。それは、「先祖から受け継いだ土地は、絶対に手放してはならない」という考えです。
 ですから新城市は、田舎なのに、土地の値段が結構高いのです。なんで高いのかといったら、土地を手放さないからです。先祖から受け継いだ土地は、重要だと考えています。
 でも、突き詰めれば、現代人にとって土地は、経済的な理由で大きな価値があるからです。

 私は二週間前、アメリカに行きました。今回は、タコマの竹内先生の教会で奉仕をしたのと、もう一つは、ヤキマのジョー先生の教会でも奉仕をさせていただきました。
 アメリカに行きますと、本当に土地が広いです。日本は、地境一センチで訴訟問題になったりしますけれど、ジョー先生が住んでいるヤキマ付近は、信じられないほどの広さです。地平線しか見えないような場所もあります。
 こういう広い土地にぽつんと住んでいる人と、うさぎ小屋のような住まいに住んでいる日本人とでは、相当頭の中の構造も違うだろうなと思いました。
 ジョー先生が私に「飛行機のキットを作っている会社に行こう」と言われました。なんのために行くのかと聞いたら、「その会社のマネージャーが、解放の祈りを必要としているから行ってくれ」と言われました。飛行機のキットを作っていると言ったので、きっと、飛行機のプラモデルを製作する会社だと思いました。飛行機のキットならば、日本ではプラモデルです。
 そうしたら、そうではないのです。本物の飛行機のキットでした。飛行機を全て組み立てないで、部品を箱に入れて売っているのです。信じられないです。その会社に行きましたら、三十六時間に一台の割で、軽飛行機を作っていると言われました。その工程も見せてくれました。
 マネージャーの方のためにお祈りさせていただきました。すると、マネージャーが喜んで、「うちの製品に乗せてあげる」というのです。私はその会社の飛行機に乗せてもらったのですが、どんな場所を飛んだか、ちょっと見せましょうか。
 今からの映像、何に乗っていると思いますか?すでに飛行機と言いましたから分かりますが、ちょっと見てみてください。



 付近の木よりも低い所を飛んでいるのです。川の水面ぎりぎりを飛んでいるのです。「おもしろい飛行をするから、怖がらないでね」と言われて水面まで降りていきました。怖がらないでと言われても、木よりも低い水辺を飛ぶのはちょっと怖かったです。
 こういう広い場所に住んでいる人たちと、日本人とでは、やはり土地に対する感覚も違うと思いました。「なぜ、川の水面まで降りるんですか?」と聞いたら、魚釣りのためだというのです。飛行機で川を見に行って、魚がいそうな川辺の草原に着陸して、魚を釣るというのです。日本でやったら、すぐに電柱にぶつかって墜落です。こういう広い場所に住んでいる人もいるのです。
 だからアメリカ人は、土地のことはほとんど気にしません。嫌になったら、他の場所に移っていくわけです。日本人が地境一センチで争っているのは不思議です。

 土地は、そこから作物が出るし、経済活動のためには重要です。また、土の上で遊んでいると、手や足が汚くなります。お母さんは子どもたちが外で遊んで帰って来たら、必ず言うのです。「手を洗いなさい。」

 しかし、創世記を見ますと、現代人があまり深く考えていない土地が、もしかしたら、神様にとって、人間以上に重要であり、土地を管理させるために、神は人を造られた事がわかります。
 土地の管理人、アダムとエバは、正しく土地を管理することができなかったのです。なんと、「取って食べちゃだめ」と言われた善悪を知る知識の木から、実を取って食べてしまったのです。
 オーナーから「これ取っちゃだめ」とか、「ここは開けちゃだめ」と言われたら、理由はともかく、管理人は、絶対にオーナーの言いつけに従わなければならないわけです。
 しかし「この木から実を取って食べちゃいけない」と言われたのにも関わらず、守れなかったのです。それでオーナーに対して罪を犯してしまったのです。
 創世記三章十七~十八節を見ると、こんな風になっています。

『また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。』

 なんと、人が土地の上で罪を犯したら、罪のゆえに、「土地が呪われて」しまったのです。人と土地に、関連性があることをここでも教えています。

 さらに、アダムとエバがエデンの園から追い出された後、カインとアベルという子どもたちの間に問題が起きました。カインが神に対する捧げ物のことで、弟に怒りを燃やし、カインがアベルを野原に引き出し、そこで殺してしまったのです。それは人類最初の殺人事件でした。
 その時、何が起こったのか、創世記四章八~十二節に記されています。

『しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」』

 十一節だけ、もう一度読むとこうなっています。

『今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。』

 カインがアベルを殺したのです。土地に血が飛び散ったのです。その時に何が起こったのかというと、人が土地を呪うばかりでなく、今度は、「土地から人が呪われる」ようなことが起こったのです。
 新改訳聖書は、『今や、あなたはその土地にのろわれている。』と訳しています。しかし口語訳聖書、新共同訳、他の訳を見ると、ちょっとニュアンスが違った訳になっています。しかし、原語から見ると、『今や、あなたはその土地にのろわれている。』という訳が正しい翻訳です。他訳では、翻訳者がこの事を理解できずに、直訳できなかったのだと思うのです。
 口語訳では、『今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。』と訳しています。新共同訳では、『口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。』と訳しています。
 英語のToday’s English Versionでは、『あなたは呪いの下に置かれ、もはや土を耕作することができません。(You are placed under a curse and can no longer farm the soil.)』と訳しています。
 しかし、New King James Versionでは、『あなたは土地から呪われている。(you are cursed from the earth)』となっています。七十人訳ギリシャ語聖書も同じ訳です。

 土地に血が流れると、何が起こるのかというと、「土地から呪われる」のです。我々は、土地の上に住んでいて、土地のことなんか、ほとんど無関心の場合が多いのですが、人が土地の上で罪を犯すと、「土地に呪い」を置いてしまい、また土地に血が流されると、住んでいる人たちが、「土地から呪われる」ようなことが起こり、作物が取れなくなったり、生活が大変になるのです。
 ということは、我々が考える以上に、土地には、霊的な意味があることが分かります。

 ところで、新城教会はどういう場所にあるのかご存じですか?歴史をよく知っている方ならば、誰でも知っていると思います。先々週の信弘先生のメッセージでも語られていましたが、ここは、日本で最も多く血が流された場所です。
 一五七五年七月九日です。この季節です。織田信長と徳川家康の連合軍と、武田勝頼の軍隊が衝突して、数時間の戦闘で、一万六千人もの血が流された場所です。この近所も相当なものだったと思われます。
 ここは、愛知県新城市富沢字市神という地番なのですが、市神とは、ここにはかつて、市場があったことを表しています。今は市場なんかありません。私の両親がこの場所を買った時、一坪五百円でした。「ばかに安いな?」と思ったらしいです。桑畑だったのですが、みんなこの場所を嫌っていたのです。血が多く流された為に、「新城」という新しい城を作り、村人はそちらへ移って行ったのです。地番には古いものが残ります。「市神」とはその頃の名残です。
 血が流されると何が起こるのでしょうか。そこに住んでいるだけで、なんらかの影響を土地から受けるということです。

 お隣の豊川市も、一九四五年八月七日のことです。朝の九時半くらいに、爆撃を受け、ほんの三十分くらいで、二千数百人の若者たちが犠牲になりました。爆弾で、粉みじんになったのです。また一万人くらいの人たちが怪我をして血を流しました。この地域には、土地に血が流されるというテーマが続いています。
 こういう土地に、私たちは何気なく住んでいて、「土地は土地。人は人。関係ない」と考えていますが、実はそうではなく、かなり、この地域は霊的にまずい場所かもしれません。

 人類の歴史は、土地に血を流す連続です。ここに第一次世界大戦、第二次世界大戦などの戦争で、どのくらいの人が死んだのかの死者数が出ています。
 第一次世界大戦では、四千万人以上の人たちが死にました。第二次世界大戦においては、六千六百万人もの血が流れました。土地に血が流れたわけです。
 第三次世界大戦が起こったら、どういうことになりますか?こんな桁とは問題にならないくらい、多くの人たちが死ぬと思われます。今、世界はどうでしょうか。戦争に向かっています。今、日本で論議されている「集団的自衛権」も、未来になれば、必ず、戦争に突入していくでしょう。第三次世界大戦では、どのくらい大勢の血が流されるのでしょうか。
 ある人がアインシュタインに、「博士。第三次世界大戦は、どんな戦争になるのですか?」と聞いたら、彼はこう答えたそうです。『第三次世界大戦がどんなものになるのかは分からないけれど、第四次世界大戦がどういうものになるのかは、分かっている。』と答えたそうです。
 『第四次世界大戦は、お互い、石を拾って投げ合う戦争になる』と博士は答えたそうです。
 それは何を意味するのかと言うと、「文明を維持できる人類は残っていない」ことを意味するわけです。第四次世界大戦は、人は原始に戻り、ギャートルズの戦いのようになるというのです。

 土地に血が流され、時代が進めば進むほど、さらに悪いことが起こります。これから、どれほど悲惨なことが日本に、世界に、起こるのでしょう。聖書は、土地がらみで様々な事件や戦争が起こるというのです。

 実は、聖書を「土地」というテーマで見ていきますと、聖書の歴史は、土地の争奪戦であることが分かります。このアダムとエバは、エデンの園を管理するように送り込まれたのですが、そこから追い出されてしまいました。
 しかし神はあきらめずに、今度は、アブラハムという人物を選びました。そして、さらに広い土地を管理させようとされたのです。それは、「エジプトの川からユーフラテス川まで」という範囲でした。それがカナンの地です。「この土地を管理しなさい」と、アブラハムを任命されたのです。
 しかし、アブラハム、イサク、ヤコブと代が続く内に、またもやカナンの地から追い出されてしまいました。今度は、飢饉によって土地から追い出されました。飢饉があったとは、カインが犯した罪の結果です。土地から食物が取れなくなって、神が管理せよと言われた土地からさえ、出て行かなければなりませんでした。それでやむを得ずイスラエルは、奴隷としてエジプトに住まなければならなくなったのです。四百三十年もの間、エジプトで奴隷生活を強いられたのです。
 しかし神はモーセを立て、もう一度、カナンの地に彼らを戻されたわけです。

 しかし戻ってみたら、土地にはカナン人たちが住んでいて、約束の地は、そう簡単には手に入らなかったのです。激しい戦いの中で、土地を奪還していくわけです。

 一ヶ月前に語らせていただきましたが、ある時、ダビデの街と呼ばれるベツレヘムが、ペリシテ人の手に陥ってしまった事がありました。その時、ダビデ王が三人の勇士と共に、ベツレヘムを奪還したことを学びました。もしもダビデ王と、三人の勇士たちがベツレヘムを奪還しなかったなら、イエス様も生まれることはできなかったと思います。一つの場所をめぐって、激しい戦いが続くのです。
 案外、私たちは、何も考えずに、土地の上に住んでいますが、土地を巡って、なんらかの霊的戦いが起こっていることを、意識しなければならないのです。

 実はこの事に、私自身、気付かされたのは、以前にもお話ししましたように、東京都東久留米市にある、三千坪の土地が神のために用いられた事により、両親が救われ、私が生まれたという事に気づかされたからです。ちょっとでも、ボタンの掛け違いがあったり、時代が他のほうに向いていったら、私は生まれていなかったのです。ということは、新城教会もありません。ここに教会は建っていません。
 そうしてみると、あの東久留米の三千坪の土地が勝ち取られたのが、後に神の国の拡大と大きな関わりがあったのです。その事から考えても、ある特定の場所が、神のために用いられるか否かは、重要なテーマです。我々はもっと、土地に関心を持たなければいけないことを教えられました。

 さて、神がなぜ、これほどまでに土地を重要視されているのでしょうか。ここには深い真理が隠されているのです。
 聖書は、人類の救いを現している書物ですが、同時に、もう一つ重要なテーマと真理を伝えています。それが何かといったら、神はやがて、この地球を現実的に支配されるということです。
 黙示録は、預言の書ですが、黙示録二十章一~三節にこんな言葉があります。

『また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。』

 人類の歴史は、これから、どんどん悪くなって行きます。遺伝子レベルで見ても、人間の遺伝子は、初めの人間アダムとエバからコピーの連続で、もう回復不能なレベルに達しているのかも知れません。罪が満ち、血を流すことが頻繁に行われ、今や、人類は最終章に差し掛かっていると思われます。
 やがて人類を創造された神が、「人類の歴史、これまでおしまい!」と、終止符を打たれる日が来るのです。
 その日何が起こるのでしょうか。イエス様がこの地球を治める王となられるのです。黙示録の記事からも分かるように、千年の間、イエス様が地球の王となり、全地を治められるのです。

 旧約聖書を、「主が千年に渡ってこの地を治める」という視点で読むとよく理解できるというのです。みなさんも「千年王国」という言葉を聞いたことがあると思います。「王国」という言葉は、エホバの証人の王国会館と同じで、あまり使いたくないのですが、千年の間、主が統治されるのです。その事をキーワードに、旧約聖書の預言を読むとよく分かるというのです。先日もその事について、個人的に学んだのですが、本当にそうだと思います。
 やがてこの地球は、イエス・キリストによって治められる日が来るのです。首都はどこになるのかというと、エルサレムです。
 その時、どんな世界になるのかが、聖書には多く預言されているのですが、一番分かりやすい預言が、イザヤ書六十五章十七節~二十五節だと思われます。

『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と主は仰せられる。』

 この記述は、やがてイエス様が王となられ、世界を治める時の様子を表しています。私たちの人生の延長線に、主が地球を治める日が来るのです。みなさん、それを信じますか?
 千年に渡る神の支配は、どのように来るのかというと、それは現在の天と地の修復によって起こるというのです。イザヤは「新しい創造」という言葉を使いました。これは古いものに加え、神の奇跡的な創造も加えられる事を意味します。千年の統治世界では、古い時代のものと、新しい創造が共存し、エルサレムが首都となり、神の統治は世界に及ぶのです。そのような時代が来るのです。
 そんなすごい事が起こる直前に、私たちは生きているのかもしれないのです。パウロが語りました。第一コリント二章九節、

『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』

 この言葉は究極的には、主が千年に渡り、この地を治められる日を意識しています。その日、私たちはどのような立場になるのでしょうか。
 主を信じる者たちは、イエス様が王で、イエス様と共に「地を受け継ぐ」のです。みなさんがイエス様と共に、この地を統治するのです。なんと、すごいことじゃないですか。
 その時、古いものと新しいものが共存します。ゆえに、主を信じない人たちには、まだ死があるのです。しかし主を信じている者たちにとって、死は全く意味をなさないのです。その時代に生まれる人たちは、最低でも、百年は生きるそうです。百年でもまだ早死にだと言われるそうです。幼児死亡率はゼロになります。そんな時代が迫っているのです。

 聖書が、土地を重要だと位置づけている理由が分かります。私たちの目の前に広がっている土地は、やがて神の国が現実的に形作られる、「神の国建設予定地」なのです。
 今、みなさんが住んでいる地域は、やがてイエス様が統治され、その時は、神の計画に従い、土地の形状は変更されます。その準備のために、みなさんはある地域に、管理人として送り込まれているのです。
 私たちクリスチャンは、定められた土地に住み、その土地がやがて神の国になることを夢みながら、霊的に管理しなければならないのです。
 なぜ、こんなに因習の深い場所から救われたのだろう、なぜこんな困難な地域に住まなければならないのかと、いろいろ疑問があるのかもしれません。しかしその場所から選ばれたということは、やがて、神の統治が現れた日、あなたは神から任命された支配者となり、主と共に、その地を受け継ぐのです。その為にあなたは選ばれたのです!!

 「その日に向かってあなたがたは、その土地を管理し、準備しなさい。」と主は語られています。その役割が、クリスチャンであり、教会です。
 神の統治が現れる日、見たことも、聞いたことも、思いにも描いたことのない光景が、我々の目の前に現れるのです。それは誰にも予測できない出来事です。

 ここに一枚の写真があります。

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 さて、みなさん、ここに今、どんな建物が建っているのか知っていますか?なんか寂れた場所ですね。しかし、現在は、こうなっています。

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 スカイツリーです。この場所にスカイツリーが出来ると、かつて誰が考えたでしょうか。誰も考えなかったと思います。でもある日、東部鉄道が、「あの地域に電波塔を建て、地域を開発しよう!」と計画したのです。ここに連続写真があります。このように土地の景観が変えられ、一つのシンボル・タワーが建て上げられました。

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 昔の時代に、誰も予想していなかった事がこの地域に起こったのです。東京が空襲で焼け野が原になっていた頃、誰が今の景観を予測したでしょうか。
 私たちは今この土地に住んで、「この土地は偶像が多いね。罪の場所が多いね。ひどいね・・・」と思っているのかもしれません。しかしやがて、この地域が、神の統治を受け、全く新しい創造が起こるのです。
 悪魔はそのことをよく知っています。だから、前もって、神の国が建たないように、土地の上に住む人に罪を犯させ、土地を呪わせ、血を流させ、土地から人を呪わせ、人を狂わせ、罪の施設をいっぱい作って、神の国が現れることができないように、強力な予防線を張っているのです。

 この地球という星は、神がご自分の国を建てようとして計画された星なのです。その為に創造された人類は、準備しなければならないのです。それが人類の役割であり、使命です。
 そのために必要なのが、とりなしの祈りであり、霊的戦いです。土地を神のものとして勝ち取るとは、霊的に勝ち取ることです。
 今日、家に帰ったら、みなさんが住んでいる家、土地、地域のために祈っていただきたいのです。「この場所は、神の国建設予定地だ!」と。「悪魔はここに入ることはできない!」「やがて、この場所に、神の国の施設が建てられるのだ!」と。
 その時、私たちは、神と共に、この地を受け継ぐ者になるのです。そのことを堅く信じ、宣言して歩んでいく必要があるのです。
 ゆえに、神が人よりも土地を重要視した理由が分かると思います。神様にとっては、「ご自分の国を建てること」が、最優先の働きです。そのために、私たちが使われるなんて、なんと幸せではないでしょうか。神の国建設計画に関わることができる、こんなすばらしい人生はありません。
 そのためにみなさんは選ばれ、土地に配備されているのです。今日はそのことを理解し、私たちは地球の管理人であり、人には役割があり、土地には目的があることを学ばせていただきました。この究極的な使命に生きていきたいと願っています。

 もしかしたら、私たちが生きている間に、イエス様は帰って来られ、それが始まるのかもしれません。もしもそれを地上で体験できたらすごいですね!その日を夢見て前進したいと思います。最後に祈り、このメッセージを終わります。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめ、心から賛美します。あなたが私たちを選んでくださり、神の国建設予定地に送り込んでくださっていることを、心から感謝します。神の国を迎えるにふさわしい働きをすることができますよう、助けて下さい。今、私たちが住んでいる地域には、多くの悪魔の砦があります。それらを霊的に一掃し、地を勝ち取るために用いて下さい。今日ここにおられる一人一人の上に、その使命をお与え下さい。
 私たちは、何気なく土地に住んでいますけれども、この土地には多くの血が流され、呪いがあるような土地です。しかし、イエス様、あなたの十字架の血潮によって勝利できますことを感謝します。
 今から聖餐式を行います。どうか、土地にちりで造られた私たちのからだを、勝ち取ってください。決して、土地からの呪いにより、苦しむ人はいませんように。すべてをお委ねし、主イエスの御名によって聖餐式を始めます。アーメン。