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『眠りからさめるべき時刻が
もう来ています

2014年8月31日 (日)
新城教会牧師 上條実
ローマ13章11節~14節

『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』

  ハレルヤ!本当に感謝します。みなさんにお祈り頂いております、環・関西リバイバルミッションの尼崎大会と堺大会を無事終えることができ感謝します。今回の集会では音響、映像、会場係、受付も新城教会の兄姉が中心的に奉仕して下さいました。金曜日の早朝五時に出かけて行き、一日たっぷり奉仕をし、土曜日も一日奉仕をして片付けをしてまた新城に夜中の十二時少し過ぎに帰るというハードな奉仕ですが、皆喜んで奉仕をして下さいました。兄姉がいなかったら、今回の集会は開催できません。皆さんのお祈りとご奉仕を心から感謝します。
 尼崎大会も、堺大会も人数的には多くありませんでしたが、大変祝福されました。集会は聖霊さまの満たしがあり、とても恵まれ、多くの方々がイエス様を信じる集会となっています。本当に感謝をしています。今週の金曜日と土曜日、「環・関西リバイバルミッション」の最後の大会、八尾大会が開催されます。今度のホールは千二百人入る会場です。またぜひお祈りいただければ幸いです。先々週全日本リバイバルミッションのニュースを皆さまに配布させて頂きました。そのニュースに今度の八尾大会のプログラムが掲載させれています。是非それをご覧になって頂き、時を同じくしてお祈り頂ければと思います。大会中なかなか更新できませんがフェイスブックにて、ご報告させて頂いています。ぜひご覧下されば幸いです。

 堺大会の写真がありますのでご覧頂ければと思います。この大会からロン・ブラウンさんとティム・ケプラーさんがご奉仕をしてくださっています。

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 それから井草聖二さんも素晴らしい演奏を聴かせて下さっています。

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 この写真は決心の祈りの時です。毎回多くの方が決心をしてお祈りして下さっています。
先週の月曜日から水曜日まで中澤啓介先生を迎えて、本当に恵まれた公開講座を持つことができました。今回の講座をDVDにて収録し販売致します。当日出席できなかった方、またもう一度講義の内容を復習したい方はぜひご利用頂ければと思います。

 それから、先週の聖日の午後にネパール報告会が開かれました。二十四名の方々の賛美と踊り、そして証しがとてもすばらしく感動しました。またネパールの映像も見せていただき本当に感謝しました。皆さんもネパール宣教の為に真剣にお祈り下さいましたが、毎週月曜日の夜行われています、祈祷会でネパール宣教の為に祈っている時、私は心の中で「箴言三章十七節」と語られました。そしてそのみことばを開いて見ると、

『その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。』

 とありました。ネパールでは山登りが大変だし、食べ物や飲み物でお腹を壊す事がないようにと、真剣に祈っていました。私も祈りながら、とても大変な宣教旅行になるだろうと思っていましたが、このみことばが与えられたので、このみことば通りになるように、お祈りしていました。そんな中ネパール宣教旅行のお証しを聞いて見ると「楽しかった。」「また行きたい」という証しばかりであり、だれもお腹を壊したりすることなく、霊的拠点で賛美し祈り、踊って来たという報告を映像、画像、お証しを通して見聞きする事ができ、まさしく『その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。』というみことばのごとく祝福された時であり、ヒンズー教・密教・仏教の悪しき要塞がうち砕かれた時であったと感謝しました。

 さて今日は、先ほど読んでいただきましたローマ人への手紙の十三章十一節~十四節より「眠りからさめるべき時刻がもう来ています」というタイトルで、語らせていただきたいと思います。
 私は先月の初めに五十七才になりました。この頃年になってきたせいか、朝早く目が覚めてしまうことがあります。皆さんの中で朝が苦手で、目覚まし時計をセットしても、なかなか起きれず、朝が苦手な方はいらっしゃいますか?私は以前東京の友達の家に泊まらせてもらったことがあります。その人はとても朝が苦手らしく、見た事もないような大きなベルの付いた目覚まし時計をセットして就寝していました。朝その目覚まし時計の大きなベルが鳴り、私は心臓が止まるかと思ったほどの大音量で、すぐに飛び起きました。彼はなかなか起きず、近所迷惑になるんじゃないかと思う程の出来事がありました。皆さんは目覚まし時計を使っておられますか?朝が苦手な方にはこんな目覚まし時計はどうでしょうか?

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これはアメリカでは作られている商品で、実際に売っているそうです。ダイナマイトが爆発するわけではありませんか、ユニークな目覚まし時計です。他にもあります。

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 これはアラームが鳴り、アラームを止めるには、的に当てないとアラームが止まらないという商品だそうです。これがなかなか寝起きにはうまく当たらないようです。次に

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 これは寝起きに体を鍛えなければアラームが止まらない商品だそうです。三十回あげないと止まらないものだそうです。

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 これは代わりばえのない普通の目覚まし時計のように見えますが、アラーム音が百三十デシベルになっているそうです。商品の説明書きを読むと、真横で乗用車がクラクションを鳴らす程の音量らしいです。そして最後に極めつけはこれです。

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どうしても起きられない方は、この目覚まし時計を購入し、一万円札を挟んでいただいたらどうでしょうか?アラームがなり始めて数秒後、シュレッターがかかり始めるそうです。一万円が粉々になってしまいます。これをセットして寝たとしたら、私は絶対に寝られないと思います。
本日のタイトルは『あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。』です。あなたは霊的に起きていますか?あなたが霊的に眠っていたならば、霊的目覚まし時計で起こして頂ければなりません。十一節に

『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。』

眠りから今はさめるべき時刻が来ています。弟子たちの時代でもまもなく主は帰ってこられると、危機感を持っていました。今の時代私たちはどのぐらいの思いで、主が帰って来られるかを期待し、待ち望んでいるでしょうか?十二節には、

『夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』

 先週も、礼拝の最後に「マラナタ」という曲が賛美されました。とても恵まれた時を持ちました。弟子の時代よりももっと、夜はふけて、昼が近づいてきています。いつ帰って来られても良い時期ではないでしょうか?いつ帰ってこられるかは、神さまにしかわかりません。時々「何月何日に主は帰って来る」ということを予言される人もいます。しかしこれは絶対に異端です。聖書には、いつ帰って来るか分からないとあります。だから聖書は「昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。」と言っています。私たち新城教会の新年礼拝や主日礼拝で何度も「マラナタ。主よ来てください!」というみことばが語られました。そして私たち教会が、「主よ来てください!」という祈りが足らなかったこと、身の回りの事ばかり気にしていることを悔い改め、主のお帰りを待ち望んで行く事の大切さを教えられました。マタイ二十四章三節~八節には

『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」』

 私たちは主が帰って来られることをいつも理解し、心にいつも留めていかなければなりません。「盗人がいつ帰って来るか分かっていたら私たちはおめおめと寝ていないでしょう」とあります。思いがけない時、油断している時に帰って来られるかもしれません。だから眠りこんでしまわないように気をつけていなくてはなりません。世の終わりにはどんな前兆があるかということが書かれています。まず先ほど読んだみことばには

『わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。』

とあります。「にせキリスト」と見て、すぐ思い出すのはエホバの証人の方々です。また他にも、多くの偽キリストが今現れています。以前韓国のとある教会が「いついつに主が帰って来られる」と言って、テレビで放映された事があります。その教会にみんなが集い、待ち続けていました。しかし時は過てしまいました。このようなことは,今世の終わりの前兆だと分かります。

 また二十四章六節には、

『また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。』

とあります。今イスラエルとガザでの紛争があります。またロシアとかウクライナでも戦いがなされています。私も理解が乏しいのですが、ソ連崩壊後、ロシアとウクライナ両国間で継続して生じている天然ガスをめぐる争いだということです。2014年ウクライナ騒乱によってウクライナの親ロシア政権が崩壊したことから、代金未払いが続けば供給を打ち切ると言っています。今ではロシア対アメリカとEU連合の代理戦いのようになっています。また内戦が続くシリアは、国外に逃れた難民と、国内避難民の数が計九百万人。内戦で国連は死者が十九万人を超えたと報道しています。つい最近はイスラム過激派組織に日本人が拘束されたと報道されています。またシリヤの隣の国であるイラクは、アメリカ軍がイラク北部でイスラム過激派「イスラム国」を空爆しました。先ほどのマタイ二十四章を見ながら、すごく緊張する日々です。
 また、七節には、『方々にききんと地震が起こります。』とあります。地震は言うまでもなく多く起きており、この日本でも多くの地震があります。先週の金曜日には、震度四の地震が宮崎県の日向灘と茨城県の北部において起きました。東日本大震災以降、非常に多くなっています。またアメリカのサンフランシスコ近郊でも地震があり、地震を見ただけでも、まもなく主が帰って来られる言うことが理解できます。

 また 今年は異常気象が続いています。多くのところで考えたこともない土砂降りの雨が降り、農作物が駄目になり、世界では至る所で干ばつが進んでいます。アメリカは二〇一三年は観測史上最も乾燥した一年だったそうです。みなさんに、一つの画像を見てほしいと思います。

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これは砂漠地帯を表しています。国連による二〇〇六年の報告によると、世界の砂漠の面積は、およそ十九から三十四億haとされています。陸地の四十一%を占め、そこに世界人口の三分の一にあたる二十億人が暮らしているそうです。乾燥地に住む人々の大半は生活が厳しく、将来の見通しも安定しない所だそうです。

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この地図では、極乾燥地域をのぞく乾燥地において土壌劣化がみられる地域の分布をあらわしているそうです。上の図と比較すると、砂漠以外の土地でも砂漠化が生じていることがわかります。干ばつが世界に広がっています。先日インターネットでアメリカのとある農場の写真を見ました。広大な土地であり、普段は豊かな土地であるにも関わらず、そこが全部ひび割れていました。とうもろこし畑で、とうもろこしが全くできないのです。牛などの肥料用に作られていたそうですが、作物ができない為、肥料が高騰し、そのため精肉の値段も上がってしまっています。牛でも豚でも鶏でも、今までなかった病原菌が現れ、伝染してしまっています。この教会がある新城市でも、鳥インフルエンザが発生し、飼育していた鶏を全部殺さないといけないということがありました。また「狂牛病」や「豚流行性下痢」など家畜に伝染病が発生しています。またデング熱とかエボラ出血熱とか、いろいろな病気が現れて来、生態系が狂い始めています。これからどんなことが起きるだろうと思います。
  今、マタイの所から、地震だとか、干ばつだとか、いろんな事を見て来ましたが、聖書に照らし合わせると世の終わりが近づいたということが分かります。だから私たちはこの世の終わりが近づいた時、ますます光の武具をつけ、神に近づいて行かなくてはいけないことが理解できます。神が帰って来られる事を知る悪魔、悪霊は、私たちが聖書から目を離し、眠りこけさせるように策略を仕掛けてきます。聖書にあるように、まもなく主が帰って来られる時であるにも関わらず、霊的に眠り込ませ、目覚まし時計がものすごい音でなっているのにも関わらず、自分中心の生活をさせ、神さまから目を離させて来ます。そして罪を軽く考えさせています。マタイ二十四章四十二節~四十四節に、こういうみことばがあります。

『だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。』

 知らない間に、悪魔の策略にまんまとはまってしまっています。軽く考えてしまい、眠り込んでしまい、自分や家族、教会に、泥棒である悪魔、悪霊が進入されてしまっています。ガラテヤ六章七節には、

『思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。』

 私たちは汚れた種を蒔いてしまい、その刈り取りをして苦しんでいるのです。今眠りから覚める時がきています。霊的目覚まし時計である「聖書」を理解し、目を覚まし、戦って行かなくてはなりません。マタイ六章三十三節には

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

とあります。このみことばを理解しながら、神を第一にしていかなかったらいけません。永遠のいのちを頂いているのに、目をつぶらされてしまっています。今は眠りからさめる時が来ています。私は召天式の担当をさせて頂いております。先日も敬愛するY兄の召天式をさせて頂きました。少し前のシオンタイムで、「検査をしてもらったら肝臓に癌があると言われたんです。」とお証しされていました。それから約一ヶ月ほどたって、亡くなられました。私は召天式の準備をさせて頂く時、いずれ自分も亡くなる。備えなくてはといつも思わされます。マタイ二十四章のように、いつ泥棒が来ると分かっていたら、私たちはしっかりと起きて、絶対に入れさせません。しかしのんきに寝てしまっている私たちです。出エジプト記二十章三節~六節、

『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、 下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。』

 このみことばはモーセの十戒のみことばです。『私以外に他の神はあってはならない。』。『偶像を作ってはならない。拝んではならない。仕えてはならない』そして『主の御名を、みだりに唱えてはならない。』という有名な箇所です。ある人は自分の信仰と神さまを天秤にかけ、今は大丈夫だ!とか、ある時は罪が示されて、やばい!悔い改めなければ!と心の天秤で計り、毎日を生活している人がいるかもしれません。マタイ六章三十三節、

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

とあります。今日あなたは神様が第一であるか点検して頂きたいと思います。あなたの神さまはだれですか?と質問するとあなたは「イエスキリストです」と答えると思います。しかし良く心を探って下さい。本当にイエスキリストが神です?有名なマタイ六章十九節にこういう御言葉があります。

『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあります。ある方の心はイエスキリストではなく、金ではありませんか?毎日の生活にとってとても大事な、なくてはならないものです。しかし神よりも金が第一になっていませんか?リーマンショックの後、増税があったりして生活は苦しくなるばかりです。家のローンを返さなくてはとか、子どもにお金がかかるとかで、日曜日クリスチャンで、礼拝には守っていても、第一がお金。祈ることもお金が与えられるように。お金が第一であれば、「私以外に他の神はあってはならない。」「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。」「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」とあるようにお金が神になっていませんか?
またある方は異性ではありませんか?ある方は子ども。またある方は受験。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」あなたの宝は何ですか?イエスキリストでなくてはなりません。我が家でも東京でミュージシャンをしている子どもがいます。有名な方と共演したとか、テレビに出たとかで、みなさんが褒めてくださるんですが、第一が有名になる事ではありません。イエスキリストです。有名な方と共演したら証しにはなります。しかし第一のものがブレてしまったら何にもなりません。夢をかなえたい為に、イエスキリストをないがしろにしたら何にもなりません。ミュージシャンを目指している方がおられますが、第一のものを第一にしなくては何にもなりません。夢を追っていく中で、悪魔の策略にはまらないように気をつけなくてはいけません。夢が叶うことだったら何でもやっていく、たとえイエスキリストを犠牲にしてでも夢を叶えたいと思う様になると危険です。夢があるというのは素晴らしい事です。しかし気をつけないとイエスキリストが第一でなくなってしまいます。出エジプト記二十章を読みましたが、神様を信じたら救われ、千代に至る祝福、永遠の祝福を頂けます。しかし偶像礼拝をしたら三代、四代、呪われるとあります。とにかく何をするにもイエスキリスト第一。いつもイエスキリストを中心に考えましょう。夢が叶わなくても、お金や仕事、異性などなど自分の欲だけに身を置くのではなく、イエスキリストをとにかく第一にしなくてはいけません。千代の祝福と三代四代ののろい、私たちは祝福を頂きましょう。また『主の御名をみだりに唱えてはならない』と読みました。今日も恵まれた賛美がなされました。しかし口では賛美しているが、心の中では、問題や心配。また何も考えずにボーッとしながら賛美をしていませんか?私は、主の御名をみだりに唱えてはならないという事になるのではないかと思います。みだりということばを辞書で調べると、
1秩序を無視するさま。自分勝手であるさま。
2軽率に、また、度を過ごして物事をするさま。
とあります。軽率にとは、物事を深く考えずに軽々しく行うことだそうです。あなたの賛美が軽率になっていたら怖いことです。また

「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか」

とあります。あなたはどうでしょうか?あなたの信仰は昼間ですか?夜の部分があれば悔い改めて祈る時を持たなくてはなりません。遊興。遊ぶ事は悪いことではありませんが、何をして遊ぶかが問題です。また酩酊。ここでよく話されますが酒で失敗すること、酒で家庭が崩壊することが多くあります。また淫乱。性の問題に対して主の前に聖く正しくして行かなくてはなりません。隠れて汚い本やネット。DVDをのぞき込んでいませんか?また好色。そして争いとあります。全ての人と平和を持って生活して行かなくてはなりません。またねたみの生活とあります。他の方に嫉妬していませんか?今日遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。その為に主イエス・キリストを着なさい。とあります。今日幸いにも聖餐式があります。罪を悔い改め、眠りから覚めるように祈りましょう。私たちは主の管理者です。主の管理権を持って悪魔と戦い、聖さを頂き、祝福を頂きましょう。今まで開かなかった扉が、眼を覚まして戦う時、開かれて、この世の終わりの時、著しい神の業が開かれる時になると信じます。私たちは、やみのわざを打ち捨て、光の武具を着けなくてはなりません。黙示録二十二章十二節~十七節を見ると、

『「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。』

とあります。「見よ。わたしはすぐに来る。」そして神は私たちに、わたしはそれぞれのしわざに応じて報いると語っています。しわざに応じて報いる神を軽く考えないで下さい。私たちは点検し、悔い改める事が必要です。そして『いのちの木の実を食べられる権威を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。』とあります。都とは天の都です。しわざに応じて報いる神ですから罪に対して、絶対に軽く考えないで下さい。
しかしイエス様の救いは完全です。イエス様が十字架にかかり、葬られて、三日目によみがえってくださった事を信じる時、もう救いを完成してくださっています。そして神様の子どもとなる特権、神の管理者として下さいます。すばらしいその管理権をいただいたにも関わらず、自分から神から離れている時があります。ローマ書十章九節~十節

『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』

 今日隠し、悔い改めていない罪があったら、あなたの口でイエスを主と告白してください。あなたの口で罪を告白し祈って下さい。イエス様は、『二度と罪を思い出さない』とあります。そんなすばらしい主です。主に聖さを頂き、主に認められる器になりたいと願います。眠りから覚める時刻が来ています。今この礼拝で主の目覚まし時計が鳴っていま
す。主に応答していきましょう。ローマ13章11節~14節をもう一度お読みします。

『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』

眠りからさめるべき時刻が来ています。私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けましょう。そして主イエス・キリストを着ましょう。最後にお祈りします。


 愛する天のお父様。あなたはひとり子であるイエス・キリストをこの地上にお与えてくださり、十字架に架かって下さった事を感謝致します。しかしこの救いを知りながら、まだ眠りこけていたならば、今日眠りからさめるべき時刻がもう来ています。主にあって目を覚まさせて下さい。そして光の武具を着け、主イエス・キリストを着る事ができますように。「マラナタ」「主よ来てください!」主が帰られる事を心から祈り、働く者とさせて下さい。イエス・キリストの御名によって、この聖餐式を祝福して祈ります。アーメン。