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サマリヤを通って行かれたイエスさま

2015年1月25日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ヨハネの福音書 4章1節〜9節

『イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、──イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが──主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。共に礼拝が守れますことを感謝をします。お祈りに支えられ、先週はイスラエルとローマに行ったのですが、すばらしい経験をすることができ、心から感謝します。
 明日、明後日と、「霊的戦い専門課程」があります。毎月そこで教えているのですが、近頃、イスラエルとローマの事をいろいろ勉強しまして、現地に行って情報収集と、とりなしをしたいと願っていました。また将来、イスラエル・ツアーができたらいいなと思い、下見も兼ねて行ったのですが、祈りに支えられ、無事に帰ることが出来ました。
 今年はイスラエル・ツアーを計画したいと願っています。是非とも、お金と暇を貯めておいて下さい。

 教会で語られているほとんどは、イスラエルについての話しです。自分の国のことではなく、イスラエルのことを語っているわけです。イスラエルは不思議な国です。
 現在、イスラエルには、クリスチャンは少ないのです。ユダヤ教徒から改宗したメシアニック・ジューという人たちはいるのですが、それも一握りです。世界で宣教が最も困難な国、それがイスラエルです。
 しかしながら全世界の教会は、毎週、イスラエルについて話しています。また皆さんは毎日、聖書を読んでいますから毎日のように、イスラエルから学んでいるのです。そこから恵みを受けているのです。それが神の計画なのです。ローマ人への手紙十一章二十五節〜二十九節を読むと、こんな言葉があります。

『兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません。』

 現在、イスラエルは、神に敵対しています。福音に敵対している、世界で最も宣教が困難な国の一つです。しかしその国から救いが出たのです。イエス様がお生まれになり、全世界が、救いについて知るようになったのです。それはなぜでしょうか。
 救いはイスラエルから始まったのですが、ユダヤ人がこの尊い救いを、「こんなものいらねー!」と、外に放り投げてしまったからです。放り出された福音は、異邦人と呼ばれる我々の所に転がって来たのです。それにより、私たちは救われたのです。
 イスラエルには、国と民族に与えられた賜物があるのです。それが「世界の国々に救いをもたらす賜物」でした。現在、本元のイスラエルは救われていないけれど、救いをもたらす賜物があるゆえに、最終的には、自分たちも救われる日が来るというのです。それは異邦人たちに十分、福音が伝えられそれから救われるのです。
 「神の賜物と召命とは変わることがありません。」とあります。これは、イスラエルに与えらた賜物と使命についての言葉です。イエス様が帰って来られるその日まで、その賜物は決して変わらないのです。

 今、世界に様々な出来事が起こっています。その中心がイスラエルです。先週も、ショッキングなニュースが世界に発信されました。中東地域で、二人の日本人が人質となり、死刑宣告を受け、「身代金を支払わなかったら殺す!」と脅されました。今朝のニュースでは、一人は殺されたみたいです。国際社会で、日本も微妙な立場に置かれています。
 今、日本も戦争に向かう雰囲気と、法整備がなされています。戦いに加われば、このような状況は、避けられないわけです。
 しかしそのような緊張関係の中に、イスラエルが関係しています。これから世界はさらに、混乱を深めるでしょう。最終的には、「こりゃだめだ。本物の神を求めるしかない。」と追い込まれていくのです。誰が王になっても、指導者になっても、うまくいかない事に気づくのです。天地を造られた神、イエス様が帰って来られ、世界の王となってくださらなければ解決はないのです。特に、教会が気づき、「主よ、来てください。マラナタ!」と叫ぶ必要があります。
 イスラエルは、世界の救い、究極的な救いである、「主の再臨」に関わりがある国なのです。主が帰って来られ、世界を治めるという究極的救いの鍵を持った国です。ですから、良きにつけ、悪しきにつけ、イスラエルが世界の中心となり、世界が動くことは間違いないのです。
 ゆえに、私たちも、イスラエルの為にとりなし、祈らなければならないのです。なぜなら、自分たちの救いと関わりがあるからです。世界の救いと関わりがあるからです。
 民数記に、こんな御言葉があります。民数記六章二十二節〜二十七節、

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」』

 この箇所は、祝祷の時によく引用される箇所です。しかし元はといえば、主がモーセに告げられた言葉です。主はモーセを通し、誰に告げろと指示されたかというと、「アロンとその子らに告げて言え。」と語られたのです。
 アロンは、祭司として神と人との間に入り、取りなす役割でした。彼は大祭司でした。「その子ら」は祭司職を受け継いだのです。
 「イスラエル人」とは、どういう人たちかというと、アブラハムという人物から生まれ出た一族です。アブラハム、イサク、ヤコブとつながり、ヤコブに十二人の子どもが生まれました。子どもの一人、ヨセフがエジプトに売られたことにより、一族はエジプトに移住し、部族社会が生まれたわけです。
 四三〇年後、彼らはエジプトを脱出し、カナンの地に再び戻って来たわけです。このようにイスラエルは一人の人物、アブラハムからできた国でした。聖書におけるイスラエルの定義は、「十二部族によって構成される部族国家」を意味します。
 その中のレビ族は、十二部族には含まれないのですが、ヨセフの子どもたち、マナセとエフライムが入り、十二部族となります。
 レビ族で、祭司の役割を担った、アロンとその子どもたちに主が語られた言葉が、

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。

 「彼ら」とは、レビ族の「アロンとその子どもたち」です。イエス様の十字架が完成した今、レビ族、祭司職は、誰に与えられているのかというと、教会であり、クリスチャンたちに与えられているのです。主を信じるすべての人が、神と人との間に入ってとりなすことができる、とりなし手です。レビ族の働きは、今や、私たちに与えられているわけです。
 ということは、この御言葉は私たちに語られている言葉でもあるわけです。「彼ら」、それは「クリスチャンたち、教会」です。「教会が、わたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは教会を祝福しよう。」
 神から祝福を受けるために、何をしたらいいのか。それは、イスラエル人のために祈らなければならないのです。
 今、申しましたように、イスラエル人とは、「十二の部族で成り立った、部族集団」です。「その人たちの祝福を祈りなさい」と、神は命令されたのです。
 イスラエル人の祝福を祈ると、救いの賜物が彼らにありますから、その結果として、私たちも祝福されるのです。そして主が帰って来られる道が整えられ、究極的な救い、すなわち再臨が近づくのです。その重要な役割が、イスラエルにあるのです。私たちは、イスラエルの祝福を祈らなくてはいけないのです。

 今、世界に起こっている出来事も、イスラエルが鍵を握っています。彼らが今後、どのように行動するかによって、世界は変わるのです。しかし、そんな鍵が与えられている国ですから、悪魔も、イスラエルに何重もの覆いをかけ、真実が見えにくくなっています。すでに世界の教会は、イスラエルのために一生懸命祈っています。いろんな団体が祈っています。しかしそれらの働きに参加してみると、ちょっと「これで大丈夫かな…」という気もします。それぞれ意見が違ったりするからです。なかなか真理を判別するのが難しいと感じます。なぜならイスラエルは、そのくらい重要な使命を持った国であるからです。

 イスラエルは、十二部族から始まったのですが、カナンの地に戻って王国となりました。しかし三代目のソロモン王の後、二つの国に分かれてしまいました。北に十部族、南に二部族と、元々、十二部族だったのが、二つに分かれてしまったのです。

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 北イスラエルと南ユダは、元々、一つの国だったのです。しかし主は、「イスラエル人のために祈りなさい」と語られているわけです。祝福を祈らなくてはいけないのは、北イスラエルと南ユダを含む、十二部族の祝福です。

 「ユダヤ人」という言葉を私たちはよく耳にします。イスラエル人、ヘブライ人とか、いろいろな言葉があります。現代においては、それらは皆、同じ意味として使われています。ユダヤ人といえば、イスラエル人。ヘブライ人といったら、ユダヤ人。その定義は曖昧です。
 しかし「ユダヤ人」とは、「ユダ王国の人たち」という意味です。ということは地図の黄色い部分、「南ユダの人たち」なのです。
 「ユダヤ人の祝福を祈らなくちゃ。」とよく耳にします。しかし、それは片手落ちです。ユダヤ人は、二部族だけを意味します。北イスラエルの人たちは、入っていないからです。
 なぜそうなったのかというと、「北王国の人たちは消えた。」と言われているからです。皆、そのように考えているからです。「今、残っているのは、南の人たちだけだ。」と理解しているからです。
 しかし実際には、そうではありません。「イスラエルの祝福を祈れ」と言われているわけですから、北も南も一緒に、祝福しなければいけないのです。

 今日、読んだ聖書箇所、「ヨハネの福音書四章」は、先週、山崎先生がこの中から、話しておられました。私は先週、礼拝に出ていなかったように見えますが、ちゃんと新城教会の礼拝に出席していました。どこで出ていたかと言うと、エルサレムで出席させていただきました。夜中の三時頃でした。ホテルの部屋で一緒に賛美し、御言葉も全て聞きました。今は便利な時代です。インターネットで、礼拝が世界中に配信されているからです。
 しかし新城教会のインターネット礼拝は、教会員専用となっています。大変恵まれました。「天の礼拝が、この地でなされるように」とエルサレムで祈ることができました。エルサレムでそのことを祈れて感謝でした。

 ヨハネの四章は、大変重要な情報を含んでいます。イエス様がどこで語られたかというと、サマリヤという街で語られました。
 今日のメッセージタイトルは、「サマリヤを通って行かれたイエスさま。」です。四章九節に、こんな言葉が挿入されています。

「──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──』

 サマリヤは、北イスラエルの首都でした。当時、北イスラエルの地域に住んでいる人達の事を、「サマリヤ人」と呼んでいたわけです。
 そもそも関係が良くて分裂することはありえません。友達関係が決裂する時は喧嘩した時です。関係が悪くなると、分裂するわけです。
 イスラエルも、二つに分かれたのは、関係が悪くなって分かれたのです。イエス様の時代では、「ユダヤ人とサマリヤ人は、付き合いをしていなかった」というのです。ユダヤ人はサマリヤ人のことを、けちょんけちょんに言うし、サマリヤ人もユダヤ人を憎んでいました。イエス様の時代はイスラエルが分断して、かなり時間が経っていましたから、お互いに違った民族のように考えていました。しかし彼らは、同じルーツを持つ民族であったわけです。

 北イスラエルに、何が起こったのかは、第二列王記の十七章を読むと分かります。読んでみると、アッシリアが入って来て、北の人達を捕らえ、連れ去り、消えてしまったような印象を受けます。
 しかし、聖書は、当時の歴史のすべてをそのまま、扱っているわけではありません。一つの結論を導き出すために、歴史の一面を切り出しているということです。それはよく読むと分かるのですが、北の人たちが偶像礼拝に陥ったゆえに、国を失う結果になったと告げているのです。
 まさしく南も同様です。聖書のテーマは、ある民族が偶像礼拝に陥ると、国を失うほどの大変な事態になるという、「偶像礼拝の恐ろしさ」について教えているわけです。

 イエス様の時代、ユダヤ人たちは、サマリヤ人たちと、つきあいをしない状況になっていたわけです。
 しかし、イエス様は、あえて、サマリヤを通って行かれたのです。当時、ユダヤ人たちがガリラヤ地方に行く時には、ヨルダン川をわざわざ渡り、川向こうを北上し、ヨルダン川を再度渡ってガリラヤ地方に行きました。しかしイエス様は、サマリヤにあえて足を踏み込まれたわけです。その結果は、四章を読むと分かります。サマリヤに大きなリバイバルが起こり、サマリヤの人たちが多く救われたのです。町中の人たちがイエスさまに会いに出てきて、人々が救われたという記録につながっているのです。
 イエス様がサマリヤを通って行かねばならなかったという、「どうしても行かねばならなかった」理由が分かります。それは1人の女性を通し、サマリヤの町が救われたという、記録につながっているからです。

 今回、私が、祈らなくてはいけないと思ったテーマは、ユダヤ人たちだけでなく、「北イスラエル」のために祈らなくてはいけないと感じたからです。
「イスラエル人を祝福しなさい」というのは、南の人だけではなく、北の領域に住む人たちも祝福しなさい、と言う意味だからです。
 それで今回、どこへ行かせていただいかというと、「ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。」とありますが、「スカル」に行きました。この箇所を読むと、私の頭の中には映像が出て来ます。実は今でも、イエス様とサマリヤの女が出会った井戸が残っているのです。
 写真を撮って来たのですが、聖書の記述が正確である事がわかります。

 ちょっと話は変わりますが、私たちは、夜中の二時くらいにテルアビブに着きました。それから乗り合いタクシーで、一時間くらいかけてエルサレムまで行きました。ホテルに着いたのは、真夜中の三時半くらいでした。滞在時間がないから、朝七時半くらいから行動しようと計画していました。部屋に入って明かりを点けようとしたのですが、電気が切れていて暗いのです。私はコンタクトレンズを使用しているのですが、遠近両用のハードレンズです。みなさんの中で、「私はハードコンタクトレンズをやっている」と方はおられますか。その方は分かると思うのですが、レンズを無くすと大変です。
 私は夜中に暗い場所でレンズを外し、ケースに収納しました。翌朝、「さぁ、祈りに行くぞ!」と、レンズをケースから出したら、片方のレンズがないのです。うまく収納されずに、どこかに飛んでしまったようです。その時点で、私はレンズをあきらめました。なぜなら、部屋は広いし、床がタイル張りなのです。まぁ、見つけるのは無理だろうと、あきらめたのです。
 人って、ちょっとしたことで撃沈しますよね。今から、エルサレムのとりなしに出かけようとした直前に、レンズをなくしたのです。
 しかし、今回に限っては予備のコンタクトレンズを持っていました。持っていかなければならない、と思って持っていました。だから、事なきを得たのです。なくしたレンズを見つけるのは、無理だとは思いつつ、主に祈りました。「主よ。コンタクトレンズくらい、出して下さらなければ、とりなしもなにもありませんよ…。」という感じでした。でも、そのように祈っても、祈りが答えられなかったらショックですから、「私の不注意。私の不注意。」と自分に言い聞かせました。
 部屋には日中、クリーニングが入ります。だから、まず、発見するのは無理です。
 夕方、部屋に戻って来ました。すでに部屋は綺麗に掃除してありました。床もワックスがかかっていて、つるつるすべる感じでした。私はレンズの事は、もう気にしませんでした。
 夕食を食べに行こうと、部屋の電気を消しました。私は今回、フラッシュライトを持って行きました。食事に出る前に、フラッシュライトを点灯すると、床にきらりと光るものがあるじゃありませんか。「なんだこれは?あっ、あったーーー!レンズだ!!」と見つけました。
 コンタクトレンズが見つかり、「今回のとりなしは大成功だ!」と、主を賛美しました。あきらめずに祈るべきだなと思わされました。

 レンズが見つかるまでに、いろいろな思いが来ました。コインを一つなくした女が、一生懸命探した箇所がよみがえって来ました。「主よ、私はコインではなく、コンタクトレンズをなくしてしまいました。今、一生懸命探しているんです。」と祈りました。
 しかしなんと、一日目のとりなしが全て終わったその夜、石の床にへばりついているコンタクトレンズが見つかったのです。ハレルヤ!

 さて今回、スカルという町に行ったのですが、スカルという町は、旧約聖書では「シェケム」という名で出て来ます。シェケムは、大変重要な場所です。イスラエルは、シェケムから始まったといっても過言ではありません。今はナブロスという名前で呼ばれています。アレキサンダーに占領され、シェケムがナブロスに変えられて今日に至っています。ナブロスとは、ニュー・ナポリと言う意味です。「新しいナポリ」と名前が変えられています。そこに、今もイエス様と女が出会った井戸が残っているのです。
 この箇所を読むと、「この井戸は深い」と書いてありますが、本当に井戸は深いのです。三十二メートルもあります。そして、「この水を飲むものは誰でもまた渇く」とイエス様は言われました。私は本当かなと思って、水を汲んで飲んでみました。本当に渇きました。「本当だな。いのちの水が必要だ」と思いました。そんな場所が今でも残っています。私はそこに行き、「この町に起こったリバイバルが、日本にも起こりますように!」と祈りました。

 「使徒の働き」八章を見ますと、サマリヤの町に、もう一度リバイバルが起こっています。その町はイエス様の時代、誰も近づかない北イスラエルの領域でした。しかしイエス様は、あえて、そこに入って行かれ、大きなリバイバルを起こされたのです。
 私たちも時々、「あの領域には入って行きたくないな…・」という場所があります。そのような場所に、イエス様のように使命感を持って入って行く時、大きな鍵が落ちているわけです。しかしそれはすべて、父なる神の計画の中で、「そこに行きなさい!」と言われる時に、主の業が現れるということではないでしょうか。

 北イスラエルと南ユダは、民族意識問題と共に、宗教の違いもありました。民族問題に加え、宗教の問題がある時、物事はさらに複雑化します。
 ユダヤ人たち、南ユダの人たちは、どういう宗教だったかと言うと、みなさんがよくご存じの「ユダヤ教」です。
 そして、北イスラエル人たちの宗教は「サマリヤ教」でした。しかしこれら二つの宗教は、元々、モーセ五書を基本としています。ルーツは同じですが、サマリヤ人たちは、アブラハムがイサクを捧げた場所は「ゲリジム山」であると信じていました。しかしユダヤ人たちは、エルサレムの山と信じていました。その辺の理解が違っていました。そんな礼拝場所問題を抱えていたのです。

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 現在のパレスチナ自治区は、かつての北イスラエルの地域です。今でもイスラエルは民族問題を抱えています。パレスチナ自治区には、アラブ人が住んでいます。その地域はイスラエルの占領下にはありますが、自治区には、大統領が立てられています。先週、安倍首相がイスラエルと、パレスチナ自治区に行きました。パレスチナ自治区は、イスラエルの傀儡政権のようです。自治権はあるものの、基本的にはイスラエルの支配下にあります。

 今回、私はナブロス、かつてのスカルの町に行ったのですが、行くためには、パレスチナ自治区に入らないと行けません。そこに行きますと、イスラエルとは違う文化があります。

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 実際にもイスラエルと自治区を隔てる壁が造られています。パレスチナ自治区側の人が、無断で壁を越えようとすれば撃たれます。ユダヤ人は、当然、入って行きません。しかしアラブ人でも、両方に入る権利を持っている人たちもいます。
 自治区はユダヤ人に頼んでも、連れて行ってくれないのですが、両方の地域に出入りできるアラブ人に頼むと、連れて行ってもらえます。
 私はアラブ人の旅行会社に頼み、連れて行ってもらいました。壁の向こう側、北イスラエルに行きました。

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 今回、私たちを連れて行ってくれた人はイスラム教徒でした。案外私たちは、「イスラム?ちょっと…恐ろしい。」と思うじゃないですか。しかし宗教は違いますが、人間としては悪い人たちばかりではないのです。今、テロとかを起こしている人たちとは、違うわけです。みんなテロを悲しんでいます。
 イスラムの人たちも、ユダヤ教の人たちも、すべて主が愛しておられます。彼らの為に祈ってあげなくてはいけないと思いました。今回私たちは、イスラムのおじさんと友達になり、いろいろ話しが出来ました。彼は結構、キリスト教にも理解があったので、良い関係で過ごせました。

 イエス様の時代、ユダヤ教とサマリヤ教は対立していました。イエス様とサマリヤの女との会話の中にも、それが如実に表れています。先ほど読んだ四章九節の所に、

「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」

と告げています。「あなたはユダヤ人なのに」とは、イエス様はユダヤ教徒であると、サマリヤの女は認識していました。「私はサマリヤ人」とは、「私はサマリヤ教徒です。」という意味です。会話の中にも、宗教の違いが反映されています。

 エルサレムは紀元七〇年にローマによって滅ぼされ、世界中に散らされたと言われます。しかし一九四八年に再び戻って来て、国を造っているのです。二千年くらい離散した為に、ユダヤ人の血統を見つけようとしても、そう簡単ではありません。
 日本人は、縄文人の血筋と、弥生人の血筋が合わさっていますが、「私の縄文先祖を見つけたい」と言っても、DNAレベルでは見つけることはできても、現実に特定するのは難しいです。ユダヤ人も同じです。二千年近く世界中に散らされたのですから。
 現代のユダヤ人の定義は、イスラエル帰還法に規定されています。それは、「ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し、他の宗教を一切信じない者」となっています。父方がユダヤ人でも、ユダヤ人にはなれません。ユダヤ人の証明は、母方がユダヤ人か否かです。もしくは、ユダヤ教徒ならユダヤ人になれるという事です。母親がユダヤ人というのが、「ユダヤ人」としての条件です。二千年もの歴史ですから、様々なことが起こっているのです。ユダヤ人じゃない人たちが、ユダヤ教になった時代もあるわけです。それでも、ユダヤ教徒ならユダヤ人です。親がユダヤ教の儀式をやっていたから、自分もユダヤ教徒になったという人もいるわけです。ユダヤ人の定義は、血統ではなく、突き詰めれば「ユダヤ教徒であるか否か」です。ですから、ユダヤ人と呼ばれる人達の中には、様々な人がいます。

 しかし今回、私は何に興味があったかと言うと、「サマリヤ人」に興味があったわけです。北イスラエルの人達は、消えてしまったように見えますが、消えてはいないのです。第二列王記の十七章を見ると、彼らは完全に消えてしまったような印象を持つのですが、他の資料を突き合わせると、アッシリアに連れて行かれた人たちは、二万数千人であったことが分かります。そして当時の北イスラエルの人口は、八十万弱だといわれます。そうすると、連れて行かれたのは、たった「数パーセント」という事です。猫の子を一匹まで、他国に連れて行くのは、どう考えても不可能です。当時のアッシリアの政策は、国の主要な人たち、政治的、軍事的、経済的権力を持っている人たちを、自国に捕虜として連れ去ったのです。しかし九十パーセント以上が、北イスラエルに残されたのです。
 アッシリアが、五つの町から人々を連れて来て、サマリヤに住まわせた記録もあります。他国の人たちが入って来て、混血していったのも事実です。しかしすべての国民が混血となったわけではありません。
 しかしユダヤ人たちは、北イスラエルの人たちは、他国の人たちと血が混ざって純粋じゃない!と、悪口を言っていたわけです。しかし、実際はそうではなかったのです。北イスラエルのほとんどの人たちは、残されたのです。

 そんな事実をいくつかの書物から知り、サマリヤ人に興味を持ちました。それで私も、サマリヤ人についていろいろと調査してみました。そうしたら、おもしろい事が分かりました。イエス様の時代には、ユダヤ人とサマリヤ人がいて、それぞれ唯一の神に礼拝を献げていたと言う事です。それは、ヨハネの福音書四章からもわかります。サマリヤの女の疑問は「礼拝の対象ではなく、どちらの山が本当の礼拝場所なのか」でした。この女性は、ユダヤ教ではなく、サマリヤ教に属していた人なのです。
 それは、北イスラエルの人たちが、ユダヤ教と同じように、唯一の神を礼拝していたことを表しています。
 私は今回、ゲリジム山に行って来ました。

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 イエス様の時代、北イスラエルの人たちは、サマリヤ教としてゲリジム山で礼拝を継続していたのです。それは南のユダと、対等に張り合うほどの勢力として残っていたのです。
 先週もちょっと語られていましたが、BC一二八年に、ヨハネ・ヒルカノスが、「ユダヤ教で北も統一する」ということで、ゲリジム山を襲いました。そしてサマリヤ人の神殿をめちゃめちゃに壊し、北の人たちを殺しました。一つの宗教で統一しようと、武力でやっても、うまくいった試しはないのです。サマリヤ人たちは神殿は壊されたけれど、壊された神殿の廃墟の上で礼拝を続けていたのです。イエスさまの時代、両者の関係は、さらに冷え切り、「ユダヤ人とサマリヤ人はつきあいをしていなかった」という記述につながっているのです。そのような背景と理由があるわけです。

 ユダヤ人の歴史も悲惨ですが、サマリヤ人も、悲惨な歴史を辿ってきた事が、調べてみると分かります。
 北イスラエルがアッシリアに連れて行かれた頃、ある資料によると、北イスラエルは八十万人くらいの人口であったと語りましたが、ヨハネ・ヒルカノスによって激減し、その後も、東ローマ帝国がゲリジム山を襲い山上に、教会を建てたのです。

 東ローマ帝国は武力によって、サマリヤ人をキリスト教に改心させようとしたわけです。やはり武力でやっても駄目です。武力でやったら、あとに残るのは憎しみと傷だけです。彼らはキリスト教に改宗しないサマリヤ人たちを、徹底的に殺しました。
 様々な事件が、ゲリジム山周辺で起こりました。以来、サマリヤ人のことは、徐々に歴史から忘れ去られて行きました。

 しかし二十世紀になって、イギリスがパレスチナに入り、ゲリジム山で儀式を継続するサマリヤ人を見つけました。「この人たちは誰?」と言う事で調べてみたら、サマリヤ人だったのです。
 その時見つかったサマリヤ人は、たったの百二十六人だったそうです。百二十六人が残って、ゲリジム山で礼拝を続けていたわけです。
 現在、イスラエル政府は、この絶滅危惧種のようなサマリヤ人たちを手厚く保護しています。今日は、何人になったかというと、今回、私はサマリヤ教の人から直接聞いたのですが、七百数十人に増えたと言っていました。
 これがサマリヤ教団の人たちなのです。

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 彼らは白い衣を着て礼拝しています。

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 ユダヤ教徒は黒い服を着ているのですが、サマリヤ教団は白い服を着ています。
 私がゲリジム山に行ったのは先々週の土曜日でした。私はイスラムの人に頼んだので、土曜日は関係ないと思っていましたが、サマリヤ教は土曜日が安息日なのです。ちょっと私は勘違いをしました。相手がサマリヤ教徒だったから、土曜日が安息日だったのです。それで、山頂には入ることが出来ませんでした。廃墟の神殿には行けなかったのですが、それがまた良かったのです。土曜日は、全員民族衣装で過ごしていました。これはサマリヤ人の子どもたちです。

 土曜日だけは、自分たちの民族衣装を着るそうです。
 そして、シナゴーグに行き、礼拝するのです。これはサマリヤ人の車です。

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 ナンバープレートが黄色いでしょう。黄色いナンバープレートは特別で、エルサレムにも自由に出入りでき、パレスチナ自治区にも出入りできるライセンスを持った車です。サマリヤ人には、イスラエル政府から特権が与えられています。
 これは彼らが使っている聖書です。ヘブル語よりも古い象形文字で記されています。サマリヤ五書と呼ばれる彼らの聖書は、ヘブル語の前身となった言葉で記されています。

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 安息日には、写真も撮っちゃいけないのです。彼らにとっては写真に撮られることが労働と見なされるようです。
 ある一軒の家の前に行ったら、祈りの声が聞こえました。私はちょっと覗いて見ました。そうしたらサマリヤ教のおじいさんが、聖書を開いて、祈りを捧げていました。私が覗いたら、目と目が合いました。すると「君たちは誰だい?中に入っておいで。」と家の中に招いてくれました。
 そして、いろんな話を聞かせてくれました。彼らは「私たちこそ、真のイスラエル人だ。純粋な残りだ。」と熱く語っていました。そして、「私たちは厳格に、父方を継いで来た」というのです。
 それで、「私たちは殺されて少なくなったけれど、今は七百数十人に回復した。」と言い、「戦いはこりごりだ。平和を求めています」と言いました。
 彼らの周囲はアラブ人ですが、彼らはその中に住んでいて、仲良くやっているのです。へりくだった人たちです。いろいろと話をすることができました。
 「おじさん、写真を撮らせて。」と言ったら、「駄目だ!駄目だ!今日は安息日だから、写真は絶対に駄目だ!」と言いましたが、聖書だけは撮らせてくれました。
 「イスラエル人を祝福したら、祝福される」とあります。しかし、イスラエル人という定義が曖昧なのです。しかしサマリヤ教の人たちは、もしかしたら、純粋な血統を受け継いでいる、残りの民かもしれないと思いました。
 今回、そこに行き、彼らの祝福を祈ることができ、心から感謝しました。

 かつてイエスさまも、この町にあえて入って来られ、「この山でもないですよ。あの山でもないですよ。」と、「場所の問題は関係ないです。」と語られたのです。そして、「霊とまことにより、イエスさまを中心として礼拝したら、それが真の礼拝」と告げられたのです。
 私は、サマリヤ人に福音を伝えたら、救われるかもしれないと思いました。私はサマリヤ人のおじいさんに、イエス様のことを話しました。すると、おじいちゃんが言いました。「イエス様は、私たちのことを『良い人』と言ってくれたんだ。知っているか?」と言いました。私は「もちろんですよ。」と答えました。「イエス様はサマリヤ人に関心があったんだ。」と彼は言いました。
 イエス様はユダヤ人でありながら、サマリヤ寄りでした。ある時は、「おまえはサマリヤ人じゃないか。」と言われたくらい、サマリヤ寄りの方でした。
 人々からのけ者にされているような、誰の目にもとまらないような人たちを、イエスさまは祝福されました。彼らの為に祈ったら、主が帰られる道が用意されるんじゃないかと思いました。
 私はもう一度、ここに行きたいと思います。今回、コネクションを作りましたから。『おじいちゃん、また来るからね。』「おぉ、また来てくれ!」と言っていました。みなさんの祈りに支えられ、大変すばらしい旅となりました。
 これがサマリヤの女の井戸です。

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 左の人が、私たちを連れて行ってくれたガイドさんです。今でも井戸があります。

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 これはナブロスの町です。アラブ人の町です。
 ここには難民キャンプもありました。来週、午後から、イスラエルセミナーをやらせていただきます。その時はふるって、ご出席していただきたいと思います。

 「イスラエルの祝福を祈りなさい」とありますが、ユダヤ人だけでなく、サマリヤ人たちをも含んで、祝福を祈る時、祝福されると信じます。御言葉にそって、ご一緒にお祈りしましょう。
 先ほど読んだ民数記六章二十二節〜二十七節、

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

 白い服を着たサマリヤ人のためにも、祝福を祈ってください。ナブロスという町にリバイバルが起こるように、その街の人たちが救われるように祈りましょう。主がお帰りになる道を備える祈りではないかと思います。
 私たちは毎日のように、イスラエルの文化を学び御言葉を学んでいます。救いの賜物を持っている民族のために祈り、これからも関心を持っていきたいと願っています。
 最後に一言お祈りして、聖餐式を持ちたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。「イスラエル人のために祈りなさい」と、主が語ってくださっていることを、心から感謝をします。スカルの町の人たちを救われたように、私たちの町にもリバイバルを起こして下さい。
 今日は、サマリヤ人も含めて、イスラエルの祝福の為に祈ります。救いをもたらす国として、変えられますように。イエス様が帰って来る道が用意されますように。
 あなたが流してくださった十字架の血潮と復活を、心から感謝し聖餐式を持ちます。今からの時を祝福してください。イエス様の御名を通して祈ります。アーメン。