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主の夢をかなえる為に。パート5
~あなたに与えられている使命と権利~

2015年3月29日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マルコの福音書十六章十五節〜十七節

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今日は、二〇一四年度最後の日曜日です。いよいよ、今週から二〇一五年度が始まります。新しい領域に踏み出す方々もおられると思います。お互い、キリストのからだの中で支え合い、祈り合って、新しい年度を迎えたいと願っています。

 皆様にお祈りいただき、先週は教会におきましては、たいへん忙しい週ではありましたが、すべて祝福され、終えることができました。本当に感謝します。
 月・火は、「霊的戦い専門課程」があったのですが、なんだか遠い昔にあったような気がします。しかし、たいへん祝福されました。
 水曜日は中村裕二先生夫妻が来てくださり、すばらしいコンサートとメッセージを語って下さいました。

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 木曜日のマミータイムも、多くの子ども連れのお母さん方が来てくださり、良い時でした。

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木曜日の夕方から昨晩までは、福島から子どもたちを含めて二十数名が来られ、たいへん良き交わりでした。東北のために祈ることができ、本当に感謝します。

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 そして昨晩は、ザ・コールというコンサート集会がありました。

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若者たちが大勢来て、安武さん、西田さんのコンサートもたいへん素晴らしかったです。昨晩はスイーツ食べ放題ということで、みんな食べるのに夢中で、「コンサートタイムですよ!」と言っても、誰も席を立たないで食べていました。今日のお昼、カレーはありませんが、昨日のにおいが残っています。隣の教育館で、セッティングもそのままです。

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スイーツが残っているそうです。カフェでコーヒーを買って来て、良い雰囲気の中でお交わりして下さい。本当にすばらしい一週間でした。祈りの力をひしひし感じる、そんな週でした。ありがとうございました。

 また先週は、他の部署もたいへん忙しかったです。特にプレイズ出版は、今週から新規オープンの「雲の柱」と「ノブズ」のプレ・オープンがありました。今週は、イタリアンレストランと、信先生レシピの餃子屋が同時オープンします。
 先週はトライアルで、関係者たちにお客さんになってもらい、いろいろとクレームをつける週でした。なかなかスタッフたちは試練の週であったと思いますが、私は毎日、お店に行き、クレーマーという名がついてしまいました。今週からはクレームがないように頑張りました。良くするために、みんなでがんばりました。それを見て、本当に感動しました。

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 老人ホームも、今や工事中です。

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 玄関は、なかなかいいですね。「雲の柱」と「ノブズ」の表札です。普通じゃありえない取り合わせです。新城教会ならではと思うのですが。

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 店内もこんな感じで、すごくいいです。みなさん、期待してくださいね。そして、なによりも美味しいです。「雲の柱」は、かつて豊橋で、ちょっと名を馳せた名店でした。しかし、ある日消えてしまったのです。しかし、雲の柱とは、こういうものなのです。時には現れ、時には消えるのです。でも今回は消えては困りますから、定着していただきたいと思ってます。この柱。雲の柱のような柱です。うまくイメージしてくれたもんだなと感心しました。新城の町にくい込んでいる感じがしました。
 新城のレストランは、戦々恐々としているという噂をちらほら聞くのですが、そちらも祝福され、我々も祝福されたらいいなと思っています。他は潰れてしまえ!なんて言ってはいけないのです。向こうも祝福され、私たちも祝福されますようにと祈りましょう。ノブズ餃子のすぐ近くに、○ん餃子があるのですが、そこも祝福されるよう、先週、家内はわざわざそこに行って、餃子を買って来ました。食べ比べてみたと言っていました。共存しなくてはいけないわけです。新城は、なぜ、こんなに祝福されているのだろう?と言われるのが、神の国の現れの証拠です。
 私たちは「主の夢をかなえるため」に、この場所に集っているわけです。自分の夢ではないのです。信先生の夢でもないのです。主の夢をかなえるためです。スパゲッティー屋さんも、餃子屋も、主の夢をかなえるためです。主がこの町の王となってくださるために、私たちは働いているのです。その為の使命を果たしていかなければなりません。
 やがて見える形でイエス様が帰って来られ、私たちを治めてくださるのです。それまでに、私たちは準備しなければならないのです。主のお帰りが近くなると、天国が下りて来ますから、街に、その雰囲気が現れるはずです。新城も、こうして教会が関わるお店ができたのは、イエス様が帰られる日が近いのもしれません。私たちには、与えられた使命と権利があるのです。それは、主の夢をかなえるためです。
 主の夢をかなえるために、私たちには使命があるのです。そして、使命を果たす人たちには、権利も備わっています。

 使命の意味は、「与えられた重大な務め、責任を持って果たさなければならない任務」となっていました。
 では、果たさなければならない任務とは、何でしょうか。今、読んでいただいた箇所に記されています。

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』

 これです。全世界に出て行って、福音を伝えるのが、使命の一つです。それは重大な使命であり、責任を持って果たさなければならない任務です。教会の任務は、全世界に出て行って、福音を伝えることです。
 なぜかと言いますと、マタイ二十四章十四節、「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられ、それから終わりの日が来ます。」と預言されているからです。
 「終わりの日」とは、主の統治の始まりの日です。その為には、私たちが全世界に出て行って福音を伝えなければならないのです。

 リバイバルミッションにおきましては、「環太平洋リバイバルミッション」をやっています。その一環として、今年は、沖縄とナガランドでミッションを開くことにしています。ぜひ祈っていただきたいと思います。新城教会独自としては、今年もネパール宣教があります。今日も説明会があるそうですが、先日、ネパール宣教のチラシがあったので見たのですが、「今年のツアーは、昨年に増して過酷なものになります」とありました。そして、「団長・滝元順」とあって、なんじゃこれは思いました。私は山のふもとで待っていようかなと思っています。テントでも持って行って、ふもとに張ろうかなと思っているのですが、でも、今から足腰を鍛えておかなくてはと思っています。全世界に出て行って、福音を伝えるとは、イエス様が帰って来られる道を用意するためです。それは重要な使命です。
 そして、ここに述べられているように、『信じてバプテスマを受ける者は、救われます。』とあります。私たちはイエス様を信じるだけで救われるのですが、バプテスマを受けるのは重要です。教会に来ても、バプテスマにさしかかると、やはり躊躇するのです。私はいつも言うのですが、バプテスマを受けても、別に、外見は変わりません。額に十字架が浮き上がるなんてことはありませんから心配するなと、言います。けれども、なかなか躊躇するのです。
 しかし、感謝です。お二人の方が今日はバプテスマを受けられます。一人はAさんというおばあちゃん。そして、Yさんという若い方です。お二人とも新城人です。本当に嬉しいです。Aさん、普通ではなかなか、クリスチャンになれるような環境ではないのです。でも、「わしは水に入る。」と言って、決断されました。
 そしてもう一人の方も、小さい頃から、教会によく来ていたというのです。私は覚えはないのですが、レッツプレイズという、中高生の集会に毎回来ていたというのです。やはり種が蒔かれていたのですね。『信じてバプテスマを受ける者は、救われます。』と。嬉しいです。
 今日は一時半からバプテスマ式をやりますから、是非、出席して下さい。私たちは、使命は、果たしていかなければなりません。使命を果たさないと、権利を使うこともできないのです。

 また「権利」とは、どういう意味か辞書で調べてみたら、「法によって保護された意志と力」と見る説と、「法によって保護された利益」と見る説とが対立しているとありました。でも、近頃では、「権利とは、この両面を備えている」と理解されているというのです。
 この定義を、聖書に当てはめるなら、法とは、神の約束です。ということは、「神の約束によって保護された意志の力と、神の約束によって保護された利益」と言うことができるのではないかと思います。
 やはり神の約束に忠実でないと、利益も、使うことができないのではないでしょうか。私たちが使命を果たす中で、神様からの権利も、使うことができると思うのです。
 使命を果たす者に対する利益が、十六章十七節と十八節です。

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』

 これらの権利を使用する為には、使命を果たすことが重要です。その使命は、「主の夢をかなえる」ためです。
 そしてその手法としては、「全世界に出て行って、すべての造られた者たちに福音を伝える」ことです。それを実行すると、悪霊を追い出すことができます。新しい言葉を語ります。蛇も掴みます。毒を飲んでも害を受けません。そして、病人に手を置いたら病人は癒されます。これらの権利を使うことができるわけです。

 先週は、雲の柱のクーポン券をもらいました。なぜもらったかと言ったら、私は新城教会で働いているからです。働いているという立場があったから、信弘先生が券をくれました。あんまりくれませんでしたが。クーポン券を使うためには、やはり、それに見合うことをやらなければいけないのです。
 同じように、私たちも、神から与えられた使命を果たしていく時、権利を使う事が出来るのです。

 この箇所から、すでに何度もお話をしたので、今日は、この権利の中で、一点に絞ってお話させていただきたいと思います。それは、十八節の、『たとい毒を飲んでも決して害を受けず』です。
 この権利を使うことは、現代社会ではたいへん重要です。『毒を飲んでも決して害を受けず』です。「毒」という字は、おもしろい字です。「母」の上に「主」がいます。どのような理由で、毒という漢字が出来たのか分かりませんが。
 
 先週は、福島から子どもたちが来てくれました。本当にかわいい子たちでした。五歳児から、上は中学生まで来られました。福島市の旭町キリスト教会からです。震災から、四年が経ちました。この子たちは、震災のただ中にいた子どもたちです。五歳の子は、当時一歳でした。ほとんどの子どもたちが、震災のことを生々しく覚えていました。
 そして、今もなお、彼らが戦っている姿を見て、本当に感動したというか、祈らなくてはっていけないと思わされました。
 昨日は、子どもたちと一日付き合いました。教会も忙しかったので、私がやるしかないなと思い、県民の森に連れて行ってあげました。そうしたら、彼らは本当に喜びました。県民の森の祈祷会をやる広場がありますが、そこに芝生が生えています。芝生の所に行ったら、みんな突然、寝転んで転がっているのです。なんでやるのかなと思ったら、福島では、絶対に草の上に転がることはできないというのです。なぜなら、草は今でも放射線量が高いからです。「道も、真ん中を歩け」と言われているというのです。今もなお、放射線の影響は強いです。

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 これは福島第一原子力発電所が壊れた時の写真です。日本では精密な写真が、あまり発表されていないというのです。日本では、爆発した時もすぐに動画を配信しなかったというのです。写真だけだったというのです。政府は今は危なくないようなことを言っていますが、現実は大変です。

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 今朝の福島県の放射能濃度分布です。私たちの地域とは、比べものにならないくらい、放射線量は今でも高いのです。彼らが話していましたが、地震が終わって、一日、二日は、原発が壊れたという情報が入らなかったというのです。その頃は、無茶苦茶に放射線量が高かった時期です。でも、状況が分からなかったので、普通に出歩いていたというのです。しばらくして、やっと状況が分かったというのです。今後、子どもたちに、どのような健康被害が出るのか分からないというのです。
 それは福島の子どもたちに限った事ではありません。日本全体に言えることです。健康被害を受けたくなかったら、日本には住めないと思います。

 最近、甲状腺に異常がある子どもたちが、結構増えているというのです。今回、子どもたちに「甲状腺の検査した?」と聞いたら、「したよ。」と言いました。「どうだった」と聞くと、「異常があると言われた」と答えた子どもたちが何人かいました。異常があっても、手当てするほどではないと言われたそうです。「一クラスで、どのくらい、そういう子たちがいるの?」と聞くと、「一割くらいかな…。」と、中学生の子が言いました。異常があると、先生から一人一人呼ばれるらしいです。今後、追跡調査をしないと、何も言えないですが、まさしく、『毒を飲んでも害を受けず、』と、このみ言葉を握るしかありません。
 これは本気で祈らなくてはいけない!と思いました。子どもたちのために、真剣に、「毒を飲んでも決して害を受けることはない!」と宣言して祈りました。昨日は、県民の森に行って、みんなで原発のためにも祈りました。恵まれました。彼らは、そこで霊の目が開かれ、剣をもらいました。「剣が見える!」と言っていました。「じゃぁ、みんなで原発に向けて剣を投げようか!」と言ったら、「イエス様の御名により、剣を投げます!」「あっ、剣が飛んで行った!原発に刺さった!」と言っていました。
 おもしろ半分ではなく、本気で、毒を飲んでも決して害を受けないようにと、祈りました。日本は毒だらけです。

 また、この頃は、「ストレス社会」だと言われます。

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 これは国内の鬱病などの、精神的病を患っている人達の数のグラフです。その数は毎年うなぎのぼりです。そのくらい、ストレスが多いというのです。これは毒です。これからどうなってしまうのか、国民全員が病気になってしまうのではないかと、心配になります。
 でもみなさん、『毒を飲んでも決して害を受けず』という聖書のみ言葉があるのは、すばらしいじゃないですか。

 さてみなさんに、ここで質問です。「私はこの頃、結構ストレスを感じている」という人は、どのくらおられますか?ちらほら、おられますね。
 そしてもう一つの質問。「ストレスは、病気と強いつながりがあり、体に良くないと思っている方は、どのくらいおられますか?」はい。半分以上ですね。
 「では、ストレスは、健康にはまったく関係ないと思っている人は、どのくらいいますか?」「あれ?私しか手を上げてないじゃん?」という感じですね。
 一般には、「ストレスは、健康に本当に悪い」と聞かされているでしょ。でも、情報には、必ず、対抗意見があるので、両方を知ることは重要だと思います。

 私は先日、一人の女性の講演を、ユーチューブで見ました。アメリカの健康心理学者のケリー・マクゴニガルという人の講演ですが、この人は、人々が健康になるように仕事をしている人で、特に、ストレスが、どのように健康に影響を与えるのかを調査をする、委員の一人でした。彼女は次のように語っていました。

 「まずは私のストレスに対する考えを変えた研究についてお話します。この研究はアメリカ成人三万人を八年間に及び追跡し、健康とストレスの関係について調査しました。」というのです。三万人が毎年、どのくらい生存しているのか、死亡したかを調査したというのです。この研究によって、ある事が分かったと話していました。

 「まずは悪いお知らせから話しましょう。前年、重度のストレスを感じた人々が、翌年亡くなる確率は、四十三パーセント高かった。」
 「私は強いストレスを感じている」と手を挙げた人は、気をつけて下さい。翌年に死ぬ確率が、四十三パーセントも高かったというのです。
 でも、続いてこう話しました。
 「しかし、それはストレスが健康に悪いと信じていた人だけに適用される数字でした。つまり、重度のストレスを感じていても、ストレスは健康に悪いと信じていない人々が死亡する確率は、非常に低かった。」
 「面白いことに、重度のストレスを感じながらも『ストレスは健康に何も関係ない』と考える人々の死亡率が、一番低かったのです。」
 研究者達は、八年間で、調査対象にされた人達で死亡した人の数を十八万二千人と推定したそうですが、「彼らの死亡原因はストレスそれ自体ではない、ストレスが体に悪いと信じていたことが死亡原因となったのだ、と結論付けました。」と話していました。
 案外、私たちは、「ストレスは体に悪い。悪い。」というキャンペーンにはまっているのかも知れません。ストレスは健康に悪いと信じたことにより、死んで行ったというのです。「ストレスは健康とは関係ない!それはむしろ、バネになる!」と考えている人は、死亡率が一番低かったというのです。

 これは発想の転換ではないでしょうか。私は、この意見に大賛成です。私はストレスって、悪いものではないと信じている者の一人です。みなさんの信じている事とは、少し違うかもしれませんが、まぁ聞いてください。新城教会も、ストレスがあったから、今までやってくることができました。
 私の父は、なぜ、こんなに長生きしているのか?それはストレスがあるからだと思います。甲子園ミッションだ、東京ミッションだ、沖縄ミッションだと、我々に大きなストレスを与え、自らも、その中にいるのです。だから長生き出来ていると思います。政治家の人たちって、案外ボケないで、八十過ぎてもぴんぴんしています。私はいつも、「すげぇな。このじいちゃんたち。」と思います。やはりいつも国のことを考え、良くない考えも多いですが、彼らには、ストレスがいっぱいあると思います。それで、生き抜いていると思います。
 ストレスがある時は、心臓がばくばくしたり、脈が速くなったりします。この人が言うのには、「それは新しい環境に対応するために、心臓が脳に酸素をいっぱい送って準備している」と語っていました。だから、ストレスは、「健康に被害を全く及ぼしていない」というのです。逆に、悪いと信じると死ぬというのです。ちょっと考えさせられました。「今はストレスの時代です。ストレスの時代です。」と、このようなグラフを見せられたりして、「ストレスがないように。ないように。」と行動して、その行動のゆえに死んで行くというのです。
 私、個人としては、ストレスは大好きです。ストレスがあるから、次の領域に入れると思っています。霊的戦い専門課程も、いつも話していますが、ストレスです。しかしそれにより、新しいものが毎回出て来ます。
 考え方を変えるのも、結構重要かもしれません。しかし、例え、ストレスが悪かったとしても、「毒を飲んでも決して害を受けない!」という、このみ言葉を前提としたらどうでしょう。何があったって、へっちゃらです。これが権利の一つとして入っているって、素晴らしいです。
 一度、ストレスに関しても、考え直してみると、問題も解決に向かっていくのかもしれません。

 さて、今回、雲の柱やノブズなどで、食品関係に切り込むことを、主が許してくださいました。これは新城教会の歴史の中で、はじめてのことだと思います。今までは、ヘブンズカフェを内輪でやっていましたが、それが社会に出て行くのです。食べ物と共に、社会に出て行くのは、結構大きな霊的戦いだと思います。食べ物がなかったら、人は生きることができません。真剣に祈って、支えていかなければいけないのです。
 『毒を飲んでも決して害を受けず』とありますが、もしかしたら我々は、知らないうちに、多くの毒を毎日、摂取しているのかもしれません。

 みなさんの中で、「コンビニ大好き!」という人は、スイッチオン!結構いますね。信先生もそうですか。それでは「私は、朝・昼・晩、コンビニで過ごしている」という人はいますか?朝はコンビニのおにぎり。お昼はコンビニの弁当。夜はコンビニのお総菜という人は、どのくらいいますか?それは、いないですね。
 例えば、
朝:コンビニのサンドイッチ
昼:豚キムチ弁当、コーヒー
夜:カップ麺、おにぎり、サラダ
と三回、コンビニで食事を摂った場合、食品の後ろに、何が含まれているか表示されていますから、よく見たほうがいいです。
 まず、ハムサンドイッチ。パン、卵、ハム、マヨネーズ、レタスだけかなと思うけれど、添加物がこんなに入っているのです。

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 お昼。キムチ弁当。私たちが気にするのは、ご飯と豚肉の量くらいです。しかし、添加物がいっぱいです。

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 クリームパウダー、コーヒーのミルクにも、いろんなものが入っているのです。
 夜。カップ麺、おにぎり、サラダ。

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本体以上に、食品添加物が多く加えられています。一日三回、コンビニで食事を済ませた方、一日になんと、合計六十種類以上の食品添加物を摂取している事になります。これらは、化学物質です。あるものは有害だと言われています。人工甘味料とかは、たいへん危ないと言われています。
 このようなただ中で、どうやって生きていこうかという感じです。今朝も、私の目の前にコンビニのおにぎりが一つ置いてありました。見たら、いっぱい添加物が表示されていました。「これは食えない」と言って、家内にあげました。そうしたら家内が、「今日、何んのメッセージをするの?」と言われました。知ると、結構、食べられなくなっちゃいます。
 近頃のベストセラーに、添加物について説明している本なんかがなっています。地球からは逃げられないのです。食べないと生きていけません。断食するわけにはいきませんから。
 でも、私たちには権利があるのです。「例え毒を飲んでも決して害を受けず」という、権利があります。今日こそ、この権利を使わなければいけません。
 コンビニも適度に使いながら、祈りながら食べましょう。食前の祈りって、大事だと思います。「毒を飲んでも、決して害を受けず。」と宣言してから、是非、食事して下さい。
 雲の柱やノブズに、そういうものは入っていますか?気をつけて欲しいと思いますが。
 美味しくするためと、いろいろ加えるわけです。これは、突き詰めればすべて、経済活動のためです。健康より、経済活動が優先されているのです。少しは手間がかかっても、自分の家で作ろうかなという感じですね。野菜も、自分の家で作ろうかなという感じです。

 では、みなさんの中で、家庭菜園とかが好きな人はおられますか?おられますね。若い方々には、いないみたいですね。自分の家で野菜を作って、新鮮な野菜を食べるのが一番いいと思われます。種を買って来て、農薬とか使わないで、それが一番いいと思います。種を買う場合には、家内の実家にお申し出くださいませ。そうしたら、少しはお安く提供してくれるかどうか知りませんが、家内の実家は種屋です。
 でも私は、この間、ショックなことを知りました。今からの話は、種屋の悪口ではありません。種屋は、種子のメーカーから仕入れて売るわけですから。種とは、何の問題もない、純粋なものだと信じていました。そう思いませんか?しかし種って、このように表示されています。

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 「美味しい春大根・一代交配」と書いてあります。みなさんの中で、「一代交配」という言葉を知っている人は、どのくらいいますか?現在、販売されている種は、すべて一代交配です。私はそんな事、全然興味なかったのですが、先日、ある本を読みました。それから、これは、とりなして祈らなくてはいけない領域だと教えられました。食べ物の原点、種子について知って祈る必要があります。
 聖書って、すごい本だなと感動します。創世記一章に、こんな記述があります。創世記一章十一節〜十二節、これは、神様が植物を造られた時の記録です。

『神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。』

 ここには、『種類にしたがって』という言葉が、三回出ています。それが強調されています。これはどういう意味でしょうか。神様は、「種類にしたがって」植物を造られたのです。
 聖書の中で、一番読みたくない箇所は、どこですか?全部?そんなこと、言ってはいけません。やはりレビ記です。レビ記を見ると、スルーしたくなります。牧師からそんなことを言ってはいけませんね。みなさん、レビ記も読んでくださいね。
 レビ記十九章十九節に、こんな言葉があります。

『あなたがたは、わたしのおきてを守らなければならない。あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。』

 畑に二種類の種を蒔くなというのです。また、申命記二十二章九節には、こんな言葉があります。

『ぶどう畑に二種類の種を蒔いてはならない。あなたが蒔いた種、ぶどう畑の収穫が、みな汚れたものとならないために。』

 二種類の種を一緒に蒔くと、良くないと聖書は告げています。これはどういう意味でしょうか。

 実は、レビ記十九章は、イスラエルの共同体について、特に、身体にハンディキャップのある人たちの存在を前提として、記されている箇所です。
 実は今回、プレイズの新規事業で、心身に少し障害のある方々をサポートする「シャローム」という働きが始まるのです。MさんとKさんが中心となり、この働きをしてくれます。
 イスラエルの共同体は、「神の民」ですが、そこにも心身に障害を持っている、弱さを持っている人達がいたということです。
 神様は、強い人たちの集まりを望んではおられません。主は、共同体の中に、身体的にハンディキャップを持っていたり、精神的にハンディキャップを持っていたり、弱さを持っている方々を認めておられるからです。やがてイエス様が帰って来られた日には、そういう問題は解消されます。しかしそれまでは、共同体の中に、弱さを持っている方々が含まれ、そのような人たちと共存し、配慮しなくてはいけないことを教えているのです。
 今回、シャロームの働きが、そのための良き働きになるよう、是非とも、祈っていただきたいのです。この教会にも、様々なハンディキャップを持っておられる方々がおられますが、神様から見たら、大きな役割を持っておられる方々なのです。だからその方々のために、祈って、とりなして、支えていく必要があるのです。

 しかし二種類の種を同時に蒔くのが、「弱さ」というテーマの中で述べられているのです。ということは、二種類の種が同時に蒔かれることが、収穫に関して、何らかの弱さや害を与えることを示唆しているのです。
 実は先ほど、「一代交配」の話をしたのですが、今、売られている種子はすべて一代交配です。メンデルの法則を知っていますか?

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 丸いえんどうと、しわのあるえんどうを掛け合わせて蒔くと、一代目は丸・丸と優性が出るのです。しかし二代目は、しわがあるのも出ます。
 お百姓さんが、種を蒔いて収穫して、作物を売りに出す場合、例えば、しわがある収穫物が半分出た、丸いのが半分だったとしたらどうでしょうか。しわがあるのは売れないです。確実に売れる、優性だけの作物だけを育てたいと思いますよね。

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 赤のメダカと白のメダカが結婚すると、一代目には赤いメダカが優性なので、赤だけが出るのです。次の代には白いのが混じります。
 赤が商品になるとしたら、赤だけを取り出したいと、誰だって、思うでしょう。一代目をF1と呼ぶのですが、F1は優性だけがでる種子です。私はF1種子が、どのように作られているのかを調べて見て、びっくりしました。
 今日は礼拝なので、詳しいことは話しませんが、いつかセミナーでもやらせていただきたいと思うのですが、今回の「霊的戦い専門課程」では、この事柄を学びました。

 みなさんの中で、「雄性不稔」という言葉を知っている人はいますか?今回、専門課程に参加された方で知っている人が一人いました。すごいなと思いました。
 それは、花粉が出ない障害を持った植物のことを言います。それを雄性不稔と呼びます。動物に例えれば、「男性原因の不妊症」です。それは一九二五年、アメリカのたまねぎ畑で初めて見つかりました。雄しべがないのです。だから、そのままでは受粉しないわけです。しかし、人が望む花粉を持って来て受粉させれば、実を結びます。
 この頃、雄性不稔の原因が分かって来ました。それは、ミトコンドリアの異常です。人間の細胞の中には遺伝子があります。動物も、植物も、遺伝子は構造は全く同じです。

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 人間の細胞の構造と、植物の中の細胞の構造が同じと言う事は、制作者が同じということに他ならないのです。
 細胞の中には二種類あって、核となる部分と、ミトコンドリアという細胞があるらしいのです。ミトコンドリアは独自の遺伝子を持っている細胞で、あたかも、細胞に寄生する生物のようです。そしてこれは、母方のタイムカプセルのようです。
 私は以前、母方が日本へどこから来たかを調べてもらいました。何を調べたかというと、ミトコンドリアを調べました。そうしたら、私の母の祖先は、「縄文人」でした。これはミトコンドリアを見れば分かるらしいです。
 実は雄性不稔とは、どういうものかというと、写真はたまねぎですが、左が雄性不稔です。右が正常です。

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 雄性不稔には雄しべがないのです。花が咲いても、ちんけな花になるのです。左が雄性不稔です。普通なら、育っていかないのです。自然界なら、淘汰されていくのです。しかし、F1種子は、詳しいことは話しませんが、この雄性不稔という、ミトコンドリア遺伝子異常の種子から、ほとんど造られているのです。
 ということは、私たちが食べているたべものは、種から操作されているということです。ミトコンドリアが異常な食品を食べると、様々な異常が起こるとも言われます。雄性不稔は花粉が出ないので、人間の好みにあった花粉を受粉できるのです。しかしそこから種を取っても、実は実らないのです。ゆえに、同じ会社から種子を買い続けなければ農家は成り立ちません。近頃、世界中で起きているミツバチの大量失踪も、それに関係しているかも知れないと言われます。

 雄性不稔の種子から出来た野菜ばかり食べさせられていると、いろんな障害が出るのではと懸念されています。玉ねぎの重さの一割は、ミトコンドリアの重量だと言われます。ということは結構な量、毎日、私たちは異常なミトコンドリアを食べていることになります。近頃、アレルギーがあったり、子どもたちに障害があったり、なんでこんなに増えているのかなと、思いますが、食べ物の基本から崩れているからかもしれません。
 なんでこんな種子が作られたのかといったら、結局、経済のためです。種類に従って神は植物を創造されたのですが、その植物は売れないのです。しかし本来は種類の体系を崩してはいけないのです。「種を混ぜてはいけない」と神は言われました。しかし現実は、普通では絶対に掛け合わせ不能な植物が掛け合わされ、種子が造られています。人により、強制的に品種改良がなされた食べ物を、毎日、食べさせられているわけです。
 大根はいつも大きさが揃っていると現代人は思っています。でも、普通、自然界では、こういうことはありえないのです。太いのから、細いのから、長いのから、短いのから、いろんなのがあるのです。
 「サラダ・ゴボウ」って、知ってますか?あれはどうやって作られたかというと、元々は「コバルト・ゴボウ」と言われていました。ゴボウの種子に、コバルトという放射線を当てたら、ゴボウが短くなったというのです。その結果、早く収穫できるようになったそうです。でも、「コバルト・ゴボウ」という名称はイメージが悪く、あまり売れなかったというのです。それで残った種に、もう一度コバルトを当ててみたたら、ゴボウはもっと短くなったというのです。そしてアクが抜けたというのです。それで、名称を「コバルトゴボウ」から、「サラダゴボウ」に変えて売ったら、爆発的に売れたというのです。

 そして近頃は、雄性不稔どころか、遺伝子組み換えで種子を造っています。それは本当に怖いです。遺伝子組み換えのとうもろこしを食べさせたネズミに、癌ができたという報告もあります。現代社会は逃げ場がありません。

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 でもみなさん、安心してください。クリスチャンには、『毒を飲んでも決して害を受けず』という権利があります。これを信じましょう。

 そしてさらに、毒を消して、イエス様と一つになる方法があります。それが聖餐式です。聖餐式って大事です。第一コリント人への手紙十章十四節〜十六節、

『ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。私は賢い人たちに話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。』

 私たちが聖霊によって、み言葉を基本にして聖餐式を行う時、なんと、イエス様と一つになれるのです。第一コリント十章、十一章は、結論的に「偶像に捧げた食べ物」の危険性について語られています。それは悪霊との交わりになるのです。
 偶像に捧げた食べ物が加わると。食品はトリプルパンチ悪になります。食品添加物、種子の異常、偶像に捧げ、悪霊との交わりが、日本の食品にはありますから、恐ろしいです。大変な環境の中に、私たちは住んでいるのかもしれないのです。

 しかし私たちが、使命を掴んで働く時、「あなたは権利を使う事が出来ます」と言われます。その中に、『毒を飲んでも決して害を受けず』という権利が含まれているのです。今日の話を聞いても、恐れないで下さい。大丈夫です。
 私たちは管理者ですから、毒さえも管理する権限があるはずです。今回、主が、食物の領域に踏み出させたのは、食物の領域をしっかりと管理しなさい!と語られているからだと思います。どういう物を食べさせられているのかをよく知った上で、毒を飲んでも決して害を受けない!と、宣言することを望んでおられると信じます。そして、主の聖餐に、感謝してあずかるなら、恐れる事はありません。どのくらい私たちは祝福されているかを、意識するように、主は語られているのではないかと感じます。

 今日、私たちは、このみ言葉を、しっかりと受け取ろうじゃありませんか。「メッセージで何が語られたかを忘れちゃった…」というのが、多いかもしれませんが、今日は、絶対に受け取ったほうがいいと思います。これは、今日の昼食から関係しますから。いや、聖餐式から関係します。ここにあるパンも、ぶどうジュースも、多分F1だと思われます。そもそも、種が悪いのです。それを、み言葉と聖霊によっていただく時、イエス様と一つとなり、主の力を体験でき、主から与えられた権利を使うことができると信じます。
 最後にご一緒に祈りたいと思います。私たちが食べる全てに勝利が与えられるように、祈ろうじゃありませんか。イエス様の御名により、『毒を飲んでも決して害を受けず、』というみ言葉を宣言しましょう。私が今、祈りますから、私の後について祈ってください。教会全体の祈りは重要ですから、声を合わせて祈っていただきたいと思います。

 父なる神様。今、イエス様の御名によって、祈りを捧げます。私たちは、あなたの夢をかなえるために働きます。あなたの持っておられる夢を実現させてください。与えられた使命に生きることを宣言します。私たちに与えられた権利を心から感謝します。今日は、「毒を飲んでも決して害を受けない」という、み言葉を信じます。受け取ります。過去も、現在も、未来も、すべての食物の中にある、悪魔の策略と毒を、御名によって消し去ります。
 食物の領域を勝ち取らせてください。全員が健康で、主のために働くことができますように。使命を果たさせてください。イエス・キリストの御名によって祈りを捧げます。アーメン。