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主の夢を叶えるために!パート6
~国の平和のために祈ろう!~

2015年5月31日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
イザヤ書2章1節〜4節

『アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて示された先見のことば。終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。』

 ハレルヤ!暑くなってきましたが、みなさんと共に熱い礼拝を捧げることができ、心から感謝します。今のヘブンリーキングダムの賛美、すごかったですね!本当に恵まれました。「賛美は力!」と、力強く歌ってくれました。また、彼らの服装が良かったです。先日タイに行きましたら、同じような人がたくさんいましたが、あれとは違います。イエス様を信じる者たちが、色も取り戻して主を賛美しているわけです。主を誉め称えるのは、私たちの特権です。

 教会は、夏に向かい、様々なプログラムが用意されています。是非とも、今から予定に入れていただきたいと思います。
 今週も様々な働きがあります。今も祈られましたように、沖縄リバイバルミッションが継続中です。それで私は、今日も、沖縄ファッションで、みなさんの前に立たせていただいております。沖縄のために、是非、続けてお祈りをいただきたいと願っています。
 今年も、ネパール宣教があります。ネパールは先日、大地震があって大変な状況です。今回私たちができることを、させていただきたいと願い、祈っています。また、体も鍛えています。一番鍛えていないのが私なので、ちょっと心配です。毎週土曜日にみんな集まって、山に登って、体力をつけています。今日は礼拝後、ネパールツアーのTシャツが販売されます。協力してあげて下さい。

 先日、私は、食品の中にも、様々な仕掛けがあるので、「毒を飲んでも決して害を受けず」というみ言葉とともに、祈りながら食べるようにと、お話しさせていただきました。
 現代の食品には添加物や、保存剤とか、体に必要のないものが多く入っているのです。私は、インターネット情報などを基に、みなさんに話しました。しかし情報が真実かどうか、自分で確かめないといけないと思いました。それで実験してみました。近くのコンビニからおにぎりを買って来て、教会バスはいつも暑い所に駐車しているので、そのダッシュボードの中に入れて、一ヶ月経ちました。先週、ちょっと楽しみにしておにぎりをあけてみました。「うわっ!臭い!どろどろ!」と思ったのですが、見てください。「さぁ、お食べ。」と言ってもいいくらいです。これが一ヵ月後の、コンビニおにぎりの姿です。

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 黒いのは海苔です。一ヶ月経ってこの状態。これいかに、ということです。なかなか強いおにぎりですね。来週は、そんな領域のとりなしを含めて、映画会があります。是非、予定に入れて下さい。

 近頃、日本列島、これからどこに向かうのか、不安があります。先週も、火山の爆発がありました。

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 口之永良部島の写真です。原爆とあまり変わらないような、大きな爆発です。

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 そして昨日は、マグニチュード八・一という大地震が、日本の南の海上で起きました。この図は、この百日間、昨日までに、日本列島で起こった地震です。日本列島の至る所で地震が起こっています。昨日の地震、もっと近くで起こっていたら、今頃どうなっていたかと思います。東京のほうは、震度五強だったそうです。息子の家に電話をしましたら、「金魚鉢の水がこぼれた」と言いました。うちの孫に聞いたら、「金魚じゃない。メダカだよ。」と言いましたが、水がこぼれるくらい強い揺れだったそうです。
 様々な不穏な空気が漂っています。日本は戦争に向かうような気運もあって、今までにないほど、日本に危機が迫っている気がして心配です。
 しかし、こんな時こそ、私たちクリスチャンは、手をこまねいているのではなく、管理人としての役割を果たさなければならないわけです。

 今日、私たちが読んだ聖書箇所は、イザヤ書二章一節から四節です。これと全く同じことをミカという預言者が預言しました。ミカ書四章一節〜五節はイザヤ書二章と、同じ内容です。
 ある聖書学者たちは、「イザヤとミカは、同時代に生きた預言者だから、どこかで接点があり、互いに情報を共有した。」と言いますが、私は、それだけではないと思います。同じ時代に、神が、二人の預言者に同じことを語られたと信じます。ミカ書を読んでみますと、このようになっています。四章一節〜五節、

『終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。多くの異邦の民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅かす者はいない。まことに、万軍の主の御口が告げられる。まことに、すべての国々の民は、おのおの自分の神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩もう。』

 こんな時代が来たら、いいと思いませんか?国は国に向かって、決して剣をあげないというのです。「二度と戦いのことを習わない」というのです。

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 今、世界の国々は、戦争の準備のために、莫大なお金をかけています。軍事費を一番使っている国は、他でもないアメリカです。アメリカは他の国々とは桁違いです。他の国々の十倍以上、国防費をかけております。しかし、日本も世界五位、六位に毎年、入っています。
 この頃の政治情勢を見るならば、日米安保条約が改正され、日本の自衛隊が世界に出て行って戦う準備が整いつつあります。
 もしも第三次世界大戦が起こったら、どうなってしまうのでしょうか。生き残ることができる人は、本当に少ないかもしれません。
 かつてアインシュタインに、「第三次世界大戦が起こったら、どんな戦いになるんですか?」と聞いた人がいるのですが、彼はこんなふうに答えました。

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 「第三次世界大戦がどんな戦いになるかは分からないが、第四次世界大戦なら分かる。人々は石を投げあって戦うだろう。」
 文明は地球に残らないと言っているわけです。そんな方向に向かって、私たちは暮らしているのです。
 案外、自分の足下の幸せについては、一生懸命考えるのですが、国の未来とか、世界の未来に関しては、考えが欠如しているものです。しかし、国の未来を祈らないと、幸せは保証されません。

 今年は、戦後七十年と言われます。七十という数字は、聖書の中で「解放」を意味する数字です。聖書の数字を、現代社会に直接的に適応するのは、慎重な態度が必要です。しかし日本の近年の歴史で、今後七十という数字を当てはめるのは、いつ巡ってくるのか分かりません。
 また日本の歴史は、徳川家康という人物によって、大きく方向が変わりました。教会前の設楽原で起こった設楽原の戦いで、徳川家康が生き延びたことにより、歴史は大きく変わりました。東郷中学校の横に、徳川家康の本陣跡があるのですが、あの辺で彼が戦死していたら、私たちの人生も、違っているかもしれません。一人の人物によって、歴史は、大きく変わるものです。
 今年は、彼が死んで四百年が経った記念の年だそうです。四百というのも、聖書を見るならば、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民に対して、「四百年経ったら解放してあげます。」という神からの約束の年月です。七十と四百が重なった二〇一五年、私たちは日本の未来と解放のために、心を尽くして祈る必要があると思います。

 マタイの福音書五章九節に、こんな言葉があります。みなさんもよく知っている御言葉です。イエス様が語られた言葉です。

『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。』

 先日も、『私たちは神の子どもです。』という御言葉をいただきましたが、神の子らは、何をしなければいけないのか。平和は、待っていても来ないのです。作り出さなければいけないのです。平和はつくりだすものだと、イエス様は語られました。
 誰が平和をつくりだすのかというと、政治家でも、経済界でもないのです。平和は、クリスチャンが、すなわち、神の子たちがつくるものなのです。

 今から七十年以上前、日本に住んでいた人たちは、大きな試練の中にありました。私にも孫たちがいますが、子どもたち、孫たちが戦争に取られ、特攻隊に入隊し敵艦に突っ込む訓練を受け、散っていったとしたら、家族は、どんな気持ちだったでしょうか。昔も今も、親たちの気持ちは決して変わりませんから、本当に辛かっただろうと思います。
 しかし、歴史はくり返すと言われます。昔と同じような道に、日本が戻っていると近頃言われます。ならば、やがて同じような時代が来ることは、たやすく予想できます。クリスチャンは、平和をつくる者として、主に祈らなければいけないのです。

 しかし、ゴールはどこにあるのかといったら、今読んだように「終わりの日に」あるのです。終わりの日に何が起こるのか。すべての戦争がなくなると約束されています。終わりの日とは、イエス様が、肉体を持って地に足を置かれる日を言います。それが終わりの日です。それは人間の歴史が終わり、真の、神による直接支配の歴史が始まる日です。その時、本物の平和が来るわけです。その日が早められるように、真剣に祈らなければいけないのです。

 ある時、弟子たちがイエス様に質問しました。終わりの日に関して、質問しました。それがマタイの福音書二十四章三節〜七節にあります。

『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。』

 「終わりの日にどんな前兆が起こるのですか?」という質問に対して、イエス様は、『民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。』と、語られました。
 また、「偽キリスト」が多く現れ、「私こそキリストだ!」と主張するというのです。「キリスト」の意味は、「預言者、祭司、王など」を表します。それは「救い主」という意味です。どうでしょうか。今、日本、九十九パーセント以上が、偽キリストに付いて行っているわけです。イエスをキリストではなく、他の神々をキリストとし、頼っているからです。日本の宗教人口は、人口の二倍ほどいます。

 そして『民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。』とイエス様は語られましたが、今の時代と照らし合わせると、まさしく当てはまります。終わりの日は、誰にも分からないことです。神しか知らないのです。終わりは近いと思っても、今後時代が、千年延びるかもしれないし、二千年延びるかもしれません。
 しかし、イエス様の時代の人たちは、常に緊迫感を持って祈り備えていました。私たちも、弟子たちや、当時のクリスチャンたちと同じように、緊迫感を持って、終わりの日に備えて、平和のために祈る態度が必要ではないかと思われます。その時、神の国が早められると信じます。

 特にこの二〇一五年は、七十と、四百という数字が、日本に適用されるチャンスの年です。この先、日本に七十と四百がダブルで適用される年は、ないのかもしれません。歴史的な条件が整う年は今後、ほとんどないと思われます。ということは、今年は、私たちクリスチャンが、真剣に日本のために、祈らなくてはいけないと思います。

 人類は、神様に創造されてからすぐに喧嘩を始めています。悲しいことに、初めの人間、アダムとエバの息子、カインがアベルを殺して、世界で最初の殺人事件が起きています。それにより、土地に血が流され、土地は呪われ、土地は汚されたのです。
 血が流されるような暴力的な事件が起きると、それだけでは済まされないことがわかります。カインは弟のアベルを殺したのですが、勝手なもので、「自分の命が狙われるのではないか。」と恐れ、神に「私を守ってください。」と、保護を求めています。神様も、罪を犯したカインを守っています。創世記四章十四節と十五節を見ますと、次のような言葉があります。

『主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。』

 「しるし」とは、どういうものか。聖書学者たちが、この事に関して説明していますが、それは、「彼には凄みがついたのではないか」と言うのです。ヤクザや不良のような、喧嘩ばかりしている人たちって、悪い事をすればするほど、凄みがつきます。近寄りたくないです。
 この教会にも、約数名、元そのような人たちがいて、昔は「うわ!怖い!」という人たちでした。しかし、クリスチャンになってからは、凄みがなくなりました。暴力的な事柄に関わったりすると、人には凄みがつきます。
 カインがアベルを殺した時に、しるしをもらったというのは、良いしるしではなく、他の人から見たら、「カインは怖い」という雰囲気になったのでしょう。

 そういう事柄が家系の中に入ると、受け継がれるものです。カインから数えて六代目、レメクという男が出るのですが、その男の代にはどうなっていたかが、創世記四章二十三節〜二十四節に記されています。

『さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」』

 最初の殺人者、カインが凄みをもらってから六代目には、「カインに七倍の復讐があれば、俺は七十七倍にして返してやる」と、十倍以上の凄みに増大しているのです。誰も近寄ることができない、超恐ろしい人物になっていたのです。
 人類には、血で血を洗うような歴史が続いていますから、世界に大事件が起こるのは当然かもしれません。一度傷を受けると、そう簡単には治りません。どんどん増大していきます。

 しかしレメクという男は、人類においては重要な男でした。創世記四章十九節〜二十二節を見ますと、彼から、四人の子どもたちが生まれたからです。

『レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。』

 彼から生まれ出た子どもたちによって、人類の三つの祖が生まれたのです。一つは、農業と牧畜の原点となった男でした。もう一つは、鍛冶屋です。工業の元祖が出て来ました。しかし、農業と工業の真ん中に、もう一つの職業がありました。それが音楽家でした。それを表にすると、こんなふうになります。あるホームページから見つけました。

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 レメクという男に、アダ、ツィラという二人の妻がいたのですが、ここからヤバルという家畜を飼う者と、ユバルという音楽家、トバル・カインという鍛冶屋が出ました。職業の祖が出た根源に、レメクという恐ろしい男が関わっていたのです。
 私たちは様々な職業についていますが、職業の根底に破壊的な男が関わっていたわけです。農業に関しても、工業に関しても、音楽に関しても、背後に破壊の力が関わっていたのです。
 現在、農業関係を見てみても、工業関係を見ても、音楽関係を見ても、悪魔に乗っ取られている感じがします。

 昨晩、ザワメキ新城大会が行われました。「音楽を悪魔の手から勝ち取れ!」というテーマで、賛美大会が開かれました。そんなテーマで私はメッセージを語らせていただきました。今回のザワメキ12はどういうコンセプトで作られたかというと、「サタンの手から音楽を奪い返す!」というコンセプトです。
 なぜかというと、元々、音楽は神のものであり、神のみ前で行われている礼拝と賛美に用いられる、最高のものでした。しかし、それがルシファーと呼ばれるサタンに奪われ、地に落とされ、やがて、レメクの子であるユバルから音楽が始まっているところを見れば、音楽も悪魔の手に渡っているに違いありません。しかし音楽は、元々は神のものですから、取り戻さなければなりません。
 また、農業でも、工業でも、みなさんが関わっているすべての職業は、本来は神から発しているはずです。途中で奪われているのです。ということは、取り戻さなければならないのです。

 サタンの手に職業が渡った背景に「血が流される」という、戦争の種が蒔かれていることが分かります。
 カインにより、レメクにより、血が流され、戦争の種が蒔かれたのです。創世記をずっと読み進みますと、その後、ネフェリムという凶暴な人類が発生しています。それで神様は「これでは駄目だ!」と洪水を通し、一度、人類をリセットされたことが記されています。
 しかし、一度リセットされたのにも関わらず、まだまだ敵の力は温存されていました。その後、また一人の破壊的な男が現れるのです。それが「ニムロデ」という男です。創世記十章八節〜九節、

『クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。』

 今、世界には多くの国々がありますが、どの国にも権力者がいます。権力者によって、国民は支配されるわけです。世界で最初の権力者が誰であったかというと、「ニムロデ」という男でした。彼によって国々の基ができたといっても、過言ではありません。
 ニムロデが権力者になった背景に、様々な戦いがあったと思われます。当時は小国が乱立していたと思うのですが、彼がその小国を滅ぼし、国々を統一して、統一国家を創ったのです。それが古代バビロニア帝国です。
 彼がつくったバビロンには、バベルの塔という塔がありました。

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 先週私は、バベルの塔で起こった事件についてお話をさせていただきました。最初の権力者ニムロデは、神をあがめるために街を創ったのではなく、自分の名をあげるために、霊的存在と取り引きするために、この町をつくったのです。世界の国々の根源に、このような土台があることは、見逃せません。

 聖書を見ますと、様々な戦争が出て来ます。しかし、本来、神様は、戦争を肯定しているわけではありません。人類に平和を与えたいと願っているのです。そのために必要なのが、神の子らの働きです。世界の根源について知り、国の土台について知り、とりなし、祈っていくことが重要です。
 戦争は、いったい、どこから始まったのか。実は、最初に戦争の火ぶたを切られたのは、人ではなく、神なのです。実は聖書に、神が宣戦布告をされている記述が出て来ます。それはどこかと言いますと、創世記三章十五節です。

『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」』

 人類は罪を犯した後、園から追い出されました。その後、神が、宣戦布告をされているのです。誰に対してかというと、「わたし」というのは神です。「おまえと女との間に」という「おまえ」とは、人類に罪を犯させた蛇、すなわち「サタン」です。そして女、ここではエバとなります。『おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』と宣戦布告をされているのです。
 これはイエス様の十字架を最初に預言した箇所ではないかと言われます。最初の宣戦布告は、神が悪魔に対してなされたものです。
 それも、「蛇と女との間に」と書かれています。実は、蛇と女との戦いは、創世記から黙示録まで、ずっと続いています。
黙示録十二章十七節〜十八節、

『すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。そして、彼は海べの砂の上に立った。』

 エデンの園において、蛇と呼ばれていた存在が、黙示録では、「竜」にまで成長しています。竜と女との戦い、蛇と女との戦いが、世の終わりまで激しく継続されることが見て取れます。『おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。』と、創世記で言われましたが、黙示録においても続いています。
 『竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。』とありますが、この「女」とは、誰のことでしょうか。
 創世記において女は、罪を犯したエバでしたが、黙示録におきましては、「イエスのあかしを保っている者たち」となっています。「イエスのあかしを保っている者」は、キリストによって罪赦された、クリスチャンのことです。私もイエスのあかしを保っているつもりです。みなさんも、イエスのあかしを保っているはずです。そして「者たち」と複数形になっています。それは何を意味するのでしょうか。それはキリストの花嫁である「教会」です。

 実に神は、創世記において、サタンに宣戦布告されたのです、蛇と教会との戦いとして、サタンに宣戦布告をされたのです。そして教会は、竜との戦いのただ中にあるのです。教会は世界の平和を乱す竜に対して、戦いを挑んでいかなければならないことを教えられます。
 黙示録十六章にこんな預言があります。ヨハネの黙示録十六章十二節〜十六節、

『第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。彼らはしるしを行う悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。』

 黙示録十六章が何を指しているのかについては、様々な考え方があり、断定できないと思いますが、一つ言えることは、戦争は国と国との争い、権力者同士のぶつかり合いだけから生ずるように考えるのですが、後ろに、汚れた霊どもが関わっていることが分かります。悪霊どもが全世界の権力者や王たちの所に出て行き、「万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集める」と言うのです。
 今、戦争に向かって動きがあるのは、各国の様々な意見の違いや利権だけではなく、根本的には、終わりの日に向かい、悪霊どもが活発に働いていることを意味します。
 ゆえに私たちクリスチャンは「目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにしなければならない」のです。最終的な悪魔の計画に立ち向かい、女と蛇の戦い、教会と竜の戦いを、雄々しく戦っていかなければいけないのです。

 近頃の国会の中継などを見ると、日本が様々な戦争に関する法整備をして、世界戦争に参加出来る準備が整えられています。そのような状況が目の前に起こっていますが、これをただ見ているのではなく、竜と教会との戦いとして、見る必要があるのです。神の子たちが、平和をつくる者として、とりなし、祈らなければいけないのです。

 大規模な戦争という枠組みで始まったバビロンの戦いは、バビロンで終結することがわかります。黙示録十八章一節〜二節を見ると、このようになっています。

『この後、私は、もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。』

 バビロンが倒れた!と、あの悪魔の巣窟が倒れた!と、叫ばれています。
 さらに黙示録十八章二十一節、二十二節には、こんな事が語られています。

『また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声は、もうおまえのうちに聞かれなくなる。あらゆる技術を持った職人たちも、もうおまえのうちに見られなくなる。ひき臼の音も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。』

 バビロンとの戦いに勝利した時に、バビロンの立琴をひく者とか、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声が途絶えるというのです。そして、あらゆる技術を持った職人たちも、見ることができなくなるというのです。

 先ほど、すべての職業が、レメクの子らから発祥したことを話しました。レメクから発した様々な技術は、そっくりそのままバビロンに受け継がれたのだと思われます。それが今や世界中に広がっているわけです。しかしやがて神は、それらすべてを消し去ると言われているわけです。

 音楽も、どうでしょうか。多くの音楽評論家たちが指摘していますが、この頃は、世代を超えて長く歌い継がれるような歌が、なくなってしまったというのです。
 昔は長いこと歌われ続ける、人々の心を潤すような歌が多くあったけれども、今はいくらCDが売れても、二百万枚、三百万枚、ヒットしても、しばらくしたら、皆、忘れるのです。音楽が、人の心に豊かな潤いを与えることが出来なくなったのです。
 さらには音楽家のレベルがどんどん下がって、音楽もすべてコンピューターでつくられる時代になってしまいました。今日のヘブンリーキングダムのカラオケも、きっとコンピューターでつくったのではないでしょうか。今、音楽も、どんどん命がなくなってしまいました。それに引きずられ、賛美も、この世の音楽に引きずられ、レベルが下がるわけです。
 これは何を意味するのかと言えば、サタンが自分の時が少なくなっているのを知って、天の音楽に近づかないように、クオリティーを下げているのです。
 しかし今回、ザワメキにおいては、世界のトップクラスの人たちが、音楽をサタンの手から取り戻すことを意識して制作されたことは、音楽の質を高めて、天の賛美に近づけよう!という、バビロン音楽に対する挑戦なのです。
 家畜を飼う者、鍛冶屋という職人たちにも戦いが及んでいるのは、どういうことでしょうか。

 今日、最初にお話をしましたが、今、農業の世界にも、様々な策略がしみこんでいます。金を儲けるためならば、人の健康なんかどうでもいいみたいです。一ヶ月、放っておいても腐らないようなものを無防備で食べていて、健康になれるとは思えません。この頃の若者たちは、死んでも体が腐らないと聞きますが、もしかしたら本当だろうなと思います。本当に怖いですね。
 農業の中にある悪魔の策略を見破り、取り戻すのは、クリスチャンの役割です。様々な工業関係、科学技術の分野にも勝ち取らなければならない領域が多くあります。
 それらの根源に、戦争が関わっています。

 今から七十年前、日本は世界に出て行って、特に、アジアの多くの人たちに迷惑をかけた事実があります。先々週、私は、インパールとコヒマに行き、その現実を見て来ました。よくも、こんな山奥まで入って来て、多くの人を殺し、自らも命を落としたものだと驚きました。その現実を見て、「本当に戦争って悲惨だ。二度と起こらないように、神の子たちが祈る必要がある。」と強く感じました。

 また、帰ってすぐ、私は広島に行きました。広島は、世界で初めて原爆を落とされた街です。広島の教会で奉仕をし、いろいろな方のためにお祈りさせていただいたのですが、「私の父が…、私のおじいちゃんは…、原爆で亡くなりました。」「私の家は爆心地からから五キロ離れていたので、かろうじて助かりました。しかしみんなを助けるために中心に入って行って被爆しました。」など、結構大勢の人たちが話されました。今の原爆は、昔とは比べものにならないほど強力です。
 日本は七十年間、かろうじて、戦争に足を踏み入れることなく過ごして来ました。それは本当に感謝なことです。明治、大正、昭和と、ずっと戦争が続いていましたが、この七十年、戦争がなかったのは、不思議なくらいです。
 しかし、今、テレビや新聞等で見ている現実は、日本は再度、戦争を選択しているように見えます。
 この現実を踏まえ、先日、日本の未来のために祈る為には、枠組みをもっと広げて、祈らなければいけないことを知りました。

 日本は、一九四五年、ポツダム宣言を受け入れて、戦争に負けた国なのです。敗戦国なのです。日本は敗戦と言わずに「終戦」と言っています。日本は戦後、主権を回復し、主権国家のように見えるのですが、実は、本当の意味では、主権のない国なのです。
 私たちは、そのことにあまり気づいていないのです。ここには、いろいろな国の方々もおられます。アメリカ国籍の方もおられます。今からの話を、国対国という枠組みで聞いてほしくないのですが、現実を知り、神の国の国籍を持つものとして、日本の未来のために祈るという立場でお聞き下さい。

 私はよく飛行機に乗るのですが、飛行機が羽田空港に離着陸する時、いつも疑問に感じていた事がありました。それは、「なぜ飛行機は、こんな変な動きをして着陸するのだろうか、もっと直線的に着陸してくれたらいいのに」と思っていました。
 同じようなことを、沖縄でも感じていました。沖縄から帰る時に、飛行機はすぐに急上昇しないのです。低空を海に沿って飛ぶのです。結構気持ち悪いです。「早く上がってくれ。海に落ちてしまいそうだ・・・」と感じていました。
 これから飛行機に乗ったら、飛行機がどういうコースで離着陸するのか意識すると興味深いです。特に、羽田空港に着陸するとき、飛行機は不可解な動きをします。その理由について、私は分かっていなかったのですが、先日、一つのことを知りました。それは、日本は、主権国家のように見えますが、空には主権がないのです。

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 実はこの黄色い、立体的な空域は、「横田空域」と呼ばれて、日本に管制権がない空域です。この空域はアメリカが、すべて支配しています。日本の飛行機は、この空域を自由に通過することができないのです。通過するためには、毎回、アメリカ軍からの許可がいるのです。一般的には、許可を取るより、迂回するそうです。
 北陸のほうから飛んで来たら、図のように、急降下、急旋回をして、羽田空港に着陸しなければなりません。

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 羽田から伊丹とか、関空に行くのに、飛行機で約一時間かかるのですが、この空域さえなければ、三十分で行けるそうです。ここは、日本でありながら、アメリカが完全に支配している空域なのです。
 アメリカの軍関係者たちは、この空域をどのように利用しているのかというと、この真ん中に、在日アメリカ軍の本部である横田基地があって、海外から直接、横田基地に着陸できるのです。普通、他国に入国する場合、その国の入国審査を受けなければ、入国できないのですが、アメリカ軍の場合、日本の入国審査はありません。
 日米合同委員会と呼ばれる、日米安保と地位協定などに関する会議が開かれるのは、東京都心にある「東京ニュー山王米軍センター」で非公開に行われます。

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 米軍関係者は、横田に着陸し、入国審査なしで日本に入国します。そして米軍は、都心の六本木にもヘリポートを持っているのです。

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 ですから、横田に着陸したら、入国管理はなく、ヘリコプターで直接、六本木まで移動し、日米合同会議が開かれるのです。日本の入国システムは、全く関係なしです。どのくらいのCIAの関係者や、アメリカ政府の関係者が、日本に来ているのか、全く日本政府はつかんでいないのです。日本の土地は、主権が回復しているように見えますが、実は、空はほとんど、アメリカの支配下にあるということです。

 こういう中で、日本の未来はどうなるのでしょうか。アメリカの戦争に追従させられることは、容易に推測できます。日本の未来のためには、アメリカのために祈らなくてはいけない事になります。日本のためだけ祈っていても、片手落ちです。
 この教会には、日本人もアメリカ人も、他国の方々もおられます。しかし私たちは神の国の国籍を持つものとして、心を一つにして、未来のために祈ることは重要です。それも、世界が戦争に向かうのではなく、互いに剣を上げない国が実現するように、祈らなければいけないことを教えられます。
 一人一人が、遣わされた場所において、平和をつくりだす者として、働きたいと願います。

 平和をつくりだすといっても、実際に、具体的に、どうやったら良いのかわかりません。しかし、マタイの福音書五章九節に、『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。』とありますが、マタイ五章全体の文脈を見ますと、具体的に何をしたら良いのかがわかります。
 マタイの福音書五章四十三節〜四十五節、

『『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。』

 神の子たちが、平和をつくり出すために必要な条件が語られています。それは、「自分の敵を愛し迫害する者のために祈れ!」と言うことです。敵を愛し、迫害する者のために祈るのは、ただ祈るだけでなく、一歩進んだ行動です。
 自由諸国に住んでいると、イスラムや、ある国々を敵視し、憎んだりします。しかし、そうではなく、敵を愛し、祝福を祈らなければいけないのです。また、迫害する者のためにも祈らなければならないのです。
 個人的な領域においても、敵を愛し、迫害する者のために祈ることは、平和をつくりだすための基本的条件です。
 もしも敵だと感じている人物がいたら、その人を愛し、迫害する人のために祈るのです。それを国々にまで拡張して宣言するのです。「あの国は滅びてしまえ!」ではなく、祝福を祈るのです。やがてイエス様が帰って来られた時に、すべての戦争が終結します。一日も早く、イエス様が帰って来てくださるように、とりなし祈り続ける者にならなければならないと教えられます。

 最後に、みなさんと一緒に、日本の未来のために祈りたいと思います。「敵を愛し迫害する者のために祈りなさい」とありますから、平和をつくりだす者として歩むことができるように、神の子としての働きができるように、祈りましょう。
 一言祈ります。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめ、心から感謝します。未来を思う時、心が暗くなりますが、私たちは神の国の国籍を持つ者として、神の子として、平和をつくりたいと願っています。今、戦争の音が再び聞こえるような時代に生きていますが、決して敵の策略に負ける者ではなく、敵を愛し、迫害する者たちのために祈る者とならせて下さい。
 一日も早く、地上に主が帰って来てくださり、戦いが終結することを心から願います。平和のシンボルである十字架を記念し、聖餐式を行います。祝福してください。すべてをおゆだねして、イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。