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神の愛〜キリストにある新しい人間性への道

2015年7月26日(日)
ヴェヴォ・フェサオ牧師

紹介:滝元順
 今日はナガランドから先生方をお迎えして、共に礼拝できますことを心から感謝いたします。
 また、父のためにお祈りいただき、心から感謝いたします。突然のことで、皆さんびっくりされたかと思いますが、あまり動揺しないで下さい。なぜなら、明牧師は今年の九月で八十六歳になるからです。日本人男性の平均寿命は八十一歳です。しかし、健康寿命と言って、誰かの世話にならずに生活できる寿命はそれより、十歳も低く、七十一歳くらいです。しかし父は八十六歳になるまで、健康で、宣教の第一線で、現役として用いていただきました。ここまで用いられた方が、よっぽど大きな驚きです。一般的には病気になったとしても、老衰の部類です。
 しかしクリスチャンの素晴らしさは、現実を受け入れながらも、どのような状態でも、あきらめずに祈ることができる事です。医学的には回復は不可能だとしても、主に回復を祈れることは恵みです。
 現在皆様が私の父のために祈ってくださっている祈りは、決して無駄ではなく、主の前に大きな記念として、日本のリバイバルにつながると信じています。

 現在、父のために多くの方々が様々な分野で支えて下さっています。八十六歳の老患者の為に、四人のクリスチャン医師たちが、祈りながら、懸命に治療してくださっています。
 昨日の父の様子を映像でお見せします。この教会を始めた人物ですから、祈って支えてあげて下さい。

<ビデオ>

ということで、父はまだ生きております。八月十四日には感謝集会があります。それまでは、生きていて欲しいなと願っています。

 今日は、感謝なことに、ナガランドから七名の先生方が来てくださいました。私はナガランドに二回ほどお邪魔して、十一月に行われるリバイバルミッションの準備をさせていただきました。ナガランドの方々は、日本人と同じお顔をしておられます。なぜなら、ルーツが同じだからです。しかし七十数年前、日本はナガランドの方々を傷つけ、村を焼き払い、大変大きな罪を犯しました。しかし今回、ナガランドと和解をして、地の祝福のために祈りなさいと主が語って下さっています。そのような働きが始まるとは、夢にも思っていませんでした。神様の働きは、本当に不思議です。新しい霊的な扉が開かれると、信じています。
 ナガランドでは、集会のはじめに、「ジェホバセー!」と叫びます。それは、「Praise the Lord!」という意味です。ジェホバセー!ジェホバセー!ジェホバセー!それではよろしくお願いいたします。

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 ナガランドのクリスチャンから温かい挨拶を申し上げます。五十年、六十年前、ナガランドは首狩り族でした。でも今は首狩り族ではなく、魂狩り族になりました。順先生にも感謝を申し上げたいと思います。そして、皆様にも、こんなに温かく受け入れてくださって、本当に感謝します。神様の祝福がこの教会の上にありますように。一人一人の上にありますように。この教会がこの国のための光となるように。イエス・キリストを表す教会となりますように。

 メンバーを紹介したいと思います。ズホチョおじさんです。彼は戦争そのものを知っています。
 私はホケトと言います。「北海道」と言ってくれていいです。私も牧師です。
 ベボさんです。彼は政府の機関で働いています。博物館や芸術文化の州の大臣をやっています。
 ケゾ先生です。牧師です。
 ベボ先生です。彼も主任牧師の一人です。
 モバ先生です。彼も牧師です。
 ルーシーさんです。彼女はコヒマのバプテスト教会の女性協議会の議長です。

 二つの歌をみなさんのために歌いたいと思います。一つ目は、ナガランドの土着の歌です。イエス・キリストの他には、私のための愛はありません。イエスの道以外には、道がありません。イエス様が日本を祝福することが、私たちの歌であり、祈りです。一緒に失われた魂を求めなさい。これが私たちの歌であり、祈りです。
 そして、二つ目の歌は英語です。

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聖書朗読とあいさつ、ルーシーさん

コロサイ人への手紙 3章1節〜11節

『こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです。あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。』

 おはようございます。聖書朗読と簡単な挨拶の前に、一言お祈りします。
 愛する天のお父様、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、あなたの永遠に続く忠実な民に感謝します。あなたの聖なる御名をほめたたえます。あなたが私たちのために持っておられる人生の計画について、ほんの少ししか知りません。しかし、私たちが信仰によって、あなたが私たち一人一人のために完璧な計画を持っておられることを信じます。何が私たちの所にやってこようとも、私たちが完全にあなたに信頼することができるように助けてください。
 この美しい平和な日本に私たち七人を無事に連れて来てくださったことを感謝します。日本を祝福します。そして、日本のために祈ります。聖霊によって、この日本をリバイバルさせ、力づけて、他の国々のために祝福となることができるようにしてください。
 この新城教会のためにも祈ります。今、病の中にある明先生のために祈ります。どうか彼に力を与えてください。彼をあなたの癒やしの御手で触れてくださいますように。完全に、そして速やかに癒されますように祈ります。
 順先生のためにも祈ります。そして他の献身者のためにも、そしてここに来ているすべての信者のためにも、あなたを礼拝する者のためにも祈ります。全日本リバイバルミッションの働き人も、また協力者も祝福してください。全世界に福音を広げるために、あなたご自身が助けてくださいますように。
 今朝の礼拝のためにも祈ります。説教を語る先生の上にもあなたの祝福がありますように。御霊によって油を注いでください。そして、ここに集っている一人一人を祝福してください。一緒にすばらしい祝福された時間を過ごすことができますように。イエス・キリストの尊い御名によってお祈りします。アーメン。

 私の夫も主に仕え、そして大人になっている三人の娘もいます。このように私たちのために祈ってくださるみなさんと共に、ここにいることができる恵みを心から感謝します。私たちのチームは二十二日、名古屋に着きました。日本についてから、皆様が私たちにしてくださっているもてなしを、本当に感謝します。ナガランドを代表として、この教会の牧師たち、そして信者たちに、心から愛と恵みの挨拶を申し上げたいと思います。そして、特に、日本全国のクリスチャンのために、その信仰生活を忠実に送り、そして自分を犠牲としてでも仕えているクリスチャンに、本当に感謝します。そして、祝福します。
 私たちナガランドの人々も、また日本の人々も、信仰生活を送るのに、とても大きなチャレンジを見ています。私たちの生活は、他の人が見て、キリストを魅力に感じるような生活です。私たちがそのように生き、そのように示し、そしてそのように語らなければならないのです。神道であろうが、仏教であろうが、どんな宗教を信じているにしても、イエス・キリストがあなたのために死んでくださったということを、忠実に伝えなければなりません。キリストの愛と平和があってこそ、私たちはここにいるのです。ローマの八章三十一節に書いてあるように、私たちをキリストの愛から引き話すいかなる障害物も何一つないのです。
 日本のクリスチャンに、特にこの新城教会を通して、すべての日本のキリストのからだに神様の豊かな祝福があるように、私は挨拶を申し上げたいです。この教会が御霊によって、力を受け、そして全世界にキリストの証人となることができるように。神様の祝福がありますように。ありがとうございました。

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ヴェヴォ・フェサオ牧師のメッセージ

 ジェホバセ!Praise the Lord!
 ジェホバセというのは、「主をほめたたえます」という意味です。皆様のような方々のために、神様に感謝を捧げることから始めたいと思います。みなさんを見るだけで、聖霊の力によって、リバイバルのために、私たちが一緒に働くことができる何かがここにあることを見ることができます。
 ですから最初に、みなさんとご一緒に、日本のリバイバル、そしてナガランド、そして世界中のリバイバルのために、お祈りすることから始めたいと思います。そのために神様は私たちをこの時に送ってくださったと信じます。
 今朝、創立牧師の明先生と共に、とても意味のある時間を過ごすことができました。病床にありながら、明先生は、私たちに手を差し伸べて、「日本の罪を赦してください」と言われました。その事に私たちは本当に感動しましたし、私たちからも、みなさんに赦しを求めたいと思います。もう一度、先生は、「日本を赦してくださるように」と言われました。私たちも、「私たちを赦してください」と申し上げます。

 七十年前、私たちは運命のいたずらによって、日本とナガランドは、とても悪い関係にありました。私たちは、神の御前に、日本兵たちが来た時に、米を出してもてなすことをしなかったことを赦していただきたいと思います。兵士たちを、食糧と住む所がないまま放置したことを赦していただきたいと思います。今年、共に和解の働きをして、新しいキリストにある人間性を獲得する時が来ました。
 ナガランドの人々は、いままで他の国々のクリスチャンたちと、プログラムを持つ機会が多く与えられて来ました。けれども、日本のような遠い所から来てくださり、お互いに赦し合ってリバイバルを求めましょう!と言ってくださった国は、この新城教会、リバイバルミッションが初めてだと思います。
 ナガランドの人たちは、長年リバイバルのために祈ってきたわけですが、十一月に、平和と和解のための集会をコヒマで行います。全日本リバイバルミッションの先生方が来てくださって、コヒマでワークショップを開いてくださいます。夜の礼拝では、コヒマと周辺の町々から人々をお招きして、神様のみ言葉を開いて、礼拝の時を持ちたいと思います。その夜の礼拝には、おそらく四千人くらいの方々が六十、七十の教会から集まって来ると思います。日本の教会の方々が来て、和解と平和の働きをしてくださるということを、私たちは本当に歓迎したいと思います。
 日本の方々が来てくださって、七十年前に起こった悲惨な出来事の回復のために、お互いに赦し合う時となるように願っています。
 私たちは、神様が私たちをお互いに友として、また兄弟姉妹としてくださり、私たちの一致が、他の国々のモデルになると信じます。
 イザヤ書六十章三節では、「国々があなたの光の元に来る」とありますが、そのような事が私たちを通してなされることを信じます。
 今日、神様の平和と、そして赦しの中で、和解が実現する時が来ていると信じます。私たちは過去に起こった過ちから来る憎しみや敵意という、あらゆる否定的な感情の元に生き続けるべきではありません。私たちの世代から方向転換して、新しい道に進んで行く必要があるのです。
 けれども、この事は、神様の愛によって、そして真剣にお互いの赦しを求めるところ以外から、来ることはありません。

 ナガランドは、戦略的な場所に位置しています。ブータンの仏教徒とネパールのヒンズー教徒が北にいます。ミャンマー、ビルマ、中国が東にあります。バングラディッシュのイスラム教徒が南にいます。インドの本土にはシーク教徒や、ヒンズー教徒や、あらゆる宗教の人々がいます。ですから、私たちは周りにいる人たちに影響を与えることができる場所に位置しているのです。
 ですから私たちが共に協力し、リバイバルのために働くことは、とても重要なのです。ですから、みなさんにお祈りをお願いします。霊的な支援をお願いします。そしてまた、参加してくださるようにお願いします。皆様をナガランドに歓迎します。これがイベントで終わるのではなく、これから長い関係を築き上げていくことを願っています。
 日本の方々は、勇敢な心を持っていることで知られています。いろいろな所に出かけて行って冒険をされる方々だと。皆様は、本当に堅い意志を持って、そして勇敢に物事をされる方です。そのことは、第二次大戦で証明されました。

 けれども、この事は、七十年後の今、霊的な戦いのために用いられると思います。そしてこの霊的な戦場において、戦士、そして勝利者になっていくことができると思います。
 ですから、日本のクリスチャン、特にこの新城教会の皆様は、霊的な世界における、オアシスのような、そんな存在になると思います。

 聖書の中を見ていきますと、時々、いろいろな違いというのが際立つことがあります。七十年前には、明らかな理由から、私たちはお互いに離ればなれになり、バラバラに分裂してしまいました。

 二つの聖書の話をさせていただきたいと思います。最初はヨセフの物語です。
 ヨセフは、兄たちに、ねたまれ、憎まれて、見殺しにされ、奴隷に売られてしまいました。彼は、外国であるエジプトに売られていった事を知っています。そして本当に様々な悪い経験をしました。けれども彼は、父祖たちの信仰に堅く立っていたのです。兄弟たちはヨセフを憎み、苦々しい思いでいっぱいだったのですが、ヨセフはその試練に耐えました。そして、その何年も後に、神様はヨセフを立て上げてくださって、エジプトの国の総理大臣にまでしてくださったことを知っています。
 そしてとても不思議な状況の中で、兄弟たちはヨセフの元にやってきました。兄弟たちが会って、お互いが誰であるか分かった時に、そこには喜びと共に、大きな涙もあり、ヨセフが大きな声で泣いたので、パロの宮廷の人たちがそれを聞いたと書いてあります。これは、分裂していた家族が一つになって新しい生活に足を踏み入れるようになったという古典的な例です。
 ヨセフは、私たちすべてにとって、模範となるような存在です。彼はもはや、憎しみや、否定的な思いに捕らわれてはいませんでした。彼は、人生の失敗者のように見えました。兄弟や、世の中の人たちからはそのように見えたのです。けれども、彼の信仰のゆえに、ヤーウェイなる神様の信仰のゆえに、負け組だったかのような彼が、勝利者となったのです。彼を通して、イスラエルの新しい時代が始まっていきました。私たちはヨセフのように赦し合う用意があるでしょうか?

 もう一つの話は、ヤコブの話です。エサウが実の弟であるヤコブを殺すことを誓ったということを知っています。ヤコブはそれに耐えられずに、遠い所に逃げて行きました。
 けれども二十年後になって、彼らは兄弟だったのでたぶんお互いを恋しくなったのだと思うのですが、ある日、お互いに会いたいと思って、ヤコブは兄の元に帰って行く旅に出ました。でもいざ兄に会おうとなった時に、ヤコブは自分の家来や動物を先に送り、自分は最後に行きました。兄に対して恐れを持っていたからです。
 聖書は言います。顔と顔とを合わせて彼らがついに会った時に、ヤコブは兄にこう言いました。「私にとって、あなたの顔を見ることは、まるで神様の御顔を見るようです!」
 この七十年の間、私たちは離ればなれになっていました。今、私たちがお互いに顔と顔とを見る時に、神様の御顔を見ることができますように。私たちのナガ族の人々が、みなさんの顔を見る時に、神様の御顔を見ることができますように。私たちはへりくだり、皆様が私たちの顔を見る時に、神様の御顔を見ることができるようにと願っています。
 これが主にある真の赦しについて述べている深いお話です。そして私たちはそのことが本当に起こることを願っています。ですから、私たちは、私たちの心を、本当のリバイバルのために整えていかなければなりません。

 神様は、ご自分の時にかなって、リバイバルを送られます。けれども、そのために私たちは自分たちの心を整えなければなりません。祈りと断食によって。罪を告白することによって。そして神様の御顔を求めることによって。古いものは過ぎ去らなければなりません。そして新しいものが来なければなりません。第二コリント五章十七節〜二十一節、

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。』

 神様にあって新しい人となるためには、まず私たちは神様と和解する必要があります。私たちの場所において、また世界のどこにおいても、どうして本当のリバイバルが起こらないのでしょうか。それは、私たちの人々、そして土地が、罪深い束縛から解放されていないですからです。
 順先生がセミナーの中で、土地が解放されなければならないと言われました。この土地がイエス・キリストの血によって洗われて、もう一度あがなわれなければなりません。これはこの国だけでなく、すべての個人がキリストの血によって洗われなければなりません。それによって、リバイバルが起きるのです。家族でも、社会でも。
 ですから私たちの土地が、キリストの血によって、洗われ、あがなわれなければなりません。悪しき礼拝の場所が砕かれなければなりません。高き所が霊的に低められなければなりません。私たちの高慢と偏見も砕かれなければなりません。そして私たちは主の前にへりくだらなければなりません。

 私たちには世代に渡る呪いがあります。それは主のものとして取り戻さなければなりません。コヒマはイエス・キリストの手によって触れられなければなりません。日本でも同じことだと思います。神様は、人々と土地というものを密接な関係を持つ者としてつくられました。土地が呪われ、汚される時に、それは人々にも影響を与えます。ナガランドの土地が流血によって汚されてしまったならば、戦いや憎しみや、お互いに苦々しい思いを持つことによって、そのようになってしまったならば、それはイエス・キリストの血によって聖められなければなりません。
 日本やナガランドの血が、その他の偶像や様々な霊によって汚されているならば、それも聖められなければなりません。ですから、私たちすべてにとって、人々と、また土地が解放される必要があります。

 第二コリント一章二十一節〜二十二節、

『私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。』

 神様が私たちの土地の所有者とならなければなりません。また私たちの人生や、家族の所有者とならなければなりません。聖霊はそのための保証なのです。この保証というのは、やがてやってくるもののために、それを保証するために与えられるものです。
 ナガランドでは、私たちは主に対して様々な誓いや契約を結びました。けれども、私たちはその誓いを果たすことができずにいます。そのことによって、私たちは今日も本当のリバイバルを見ることができないでいます。ナガランドの人々が神様の前に約束したことを果たすことができるように祈ってください。それは、世界の他の地域に宣教師を送るということでした。それは主にあって可能になることです。

 最初にコロサイ書よりお読みしましたが、私たちは上にあるものに注意を向けていきます。なぜなら私たちの命は、キリストのうちに隠されているからです。ナガランドは、民族が主権を持って独立することを夢見て来ました。この第二次世界大戦の時に、その事のために、政治的なイデオロギーによってそれを成し遂げようとしました。その他にもいろいろな方法を試してみましたが、どれもうまくいきませんでした。
 でも近頃分かって来たのは、私たちは神の国とその義とをまず求めなければならない。そうすればそれに加えてすべてのものが与えられるということです。ナガランドのために、お祈りください。ナガランドでは、何千人ものクリスチャンが、みなさんのためにお祈りしています。リバイバルの時が来ようとしています。けれども、それは、私たちが神様にあって、何を信じるかにかかっているのです。

 今、みなさんとご一緒にお祈りしたいと思います。この世代にリバイバルを起こることを願っている、そのことを祈りたい方は、立ち上がってください。日本のリバイバルのために祈りたい方は、立ち上がってください。ナガランドのリバイバルのために祈ってくださることも立ち上がってください。世界に、この世代において、リバイバルが起こるように。パウロが言っているように、この福音を恥としないような人々が起こされるように。その人々が主のために立ち上がることができるように。そして私たちの人生を主に捧げましょう。主の御名を呼び求めましょう。主の前にへりくだりましょう。主の御顔を求めましょう。悪の道から立ち返りましょう。主が、皆様の土地を癒されます。世界を癒されます。そして、皆様、個人的にも癒されます。もう一度、神様にみなさんの人生を、今までなかったほど、捧げることができるでしょうか。そして、皆様の人生を主の前に差し出してください。そしてこのリバイバルの祝福と共に出て行きましょう。神様から祝福と繁栄が来ます。神様から喜びと幸せが来ます。皆様がそれを今朝受け取ることができます。神様が皆様を必要としていることを知ってください。どうか、主の元に来て、献身をいたしましょう。皆様と一緒にお祈りしたいと思います。ご一緒にお祈りしましょう。

 永遠の父なる神様。日本の地のために、とりなし祈ります。あなたが時にかなって、完璧なリバイバルを起こしてください。私たちが生きている間に、そのリバイバルが見たいです。この世代の間に。この地が、他の国々のための灯台となりますように。日本の人々が霊的な征服者となりますように。この世代の中に霊的な勝利を与えてください。あなたの栄光のために、この日本のために祈ります。この土地を祝福します。この地の癒やしのために祈ります。この地の繁栄のために祈ります。この地の一致のために祈ります。この地の喜びと幸せのために祈ります。そこに住むすべての人々のために祈ります。この新城教会のみなさんのために、お一人一人が光となりますように。この地の塩となりますように。一人一人を油を注いでください。今日、癒しを必要としている人がいれば、父なる神様、イエス様の御名によって祈ります。イエス様の血潮のゆえに、祝福を祈り、いやしを祈ります。この人生に、喜びと幸せを求めている人がいるならば、その人々に喜びと幸せを与えてくださいますように祈ります。救いを必要としている人がいるならば、その方々に救いの賜物を与えてくださいますように祈ります。赦しを必要としている人がいるならば、どうぞ彼らを赦してください。主よ、私たちの祈りを聞きとげてくださることを感謝します。私たちがお互いを赦し合う中で、主が私たち一人一人を赦してくださることを信じます。
 また、ナガランドのために、この祈りに答えてください。私たちの違いを癒してください。私たちの傷ついたところを癒してください。私たちの憎しみや苦々しい思いを取り除いてください。私たちの堕落、また汚い部分を取り除いてください。私たちは新しい社会が欲しいです。私たちはあなたを必要としています。私たちは他の国々と手を携えてあなたに仕えたいのです。そして日本の国は最大のパートナーとなるでしょう。その事が私たちの生きている間になされますように。
 この多くの方々を感謝します。もう一度、人生をあなたに捧げようとしています。私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵み、アバ父なる神様の愛、それがすべての方々ともにありますように。これからいつまでも。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。