HOME > メッセージバックナンバー > 2015年 > 8月 > 8月30日

世代を超えて、神のプロジェクトに参加しよう!パート2

2015年8月30日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ヨシュア記1章1節〜5節

『さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日は八月最後の日曜日です。これで夏休みも終わり、これから秋になります。みなさんにとってこの夏は、どんな夏でしたか。
 私にとって、この夏は、人生において最もストレスの多い、不確定な夏でした。私はストレスは人を成長させると思っていますので、きっと今年は、少しは成長できたかと思っています。この七月、八月を振り返ってみて、神が御手を延ばし、すべてを支えてくださったことを強く感じます。
 私は七月、八月に、三つの国に行きました。七月にジャマイカに行きました。新城教会には、キャリアンさんとゼモラちゃんという、ジャマイカから来られている方々がおられますが、彼女らの母国に行き、一緒に、ジャマイカのためにとりなしの祈りをすることができました。
 七月七日に父が病気だと分かり、いろいろと大変な時期でしたが、行くことができました。

image-14.jpg

 これはジャマイカの空です。熱帯の島です。

image-21.jpg

 山のほうはジャングルです。

image-28.jpg

 キャリアンさんの右にいるのはお父さんです。ジャングルに入って、いろいろな場所で祈ったり、奉仕させていただきました。

image-35.jpg

 このおじさん、なかなかかっこいい帽子をかぶっていますが、本物のバナナです。ジャングルに入ると、バナナもいっぱいあって、知らないフルーツもたくさん食べました。本当にすばらしい体験でした。また、この島のために仕えることができて、大変感謝でした。

 そして、ネパールにも行きました。

image-42.jpg

 ネパールはヒマラヤ山脈のふもとにあって、本当に綺麗な所です。けれども今年は大きな地震が起こって、大変な中にありました。新城教会から二十六名の方々が行ってくれました。私もその一員として、地震の爪痕が様々な所に残る、道なき道を進んで、山岳少数民族の所で奉仕をさせていただいたことを、先日もお話しさせていただきました。何一つ予定を変更することなく、実行させていただきました。
 山に登る直前、父が天に帰って行ったのですが、それも、FacetimeというiPhoneのソフトでネパールから父が天に帰るのを、見届けることができました。あのタイミングは、「神様タイミング」だと思います。一般の人から言えば、「きっとお父さんが待ってたんだよ!」と言うでしょうが、待てるくらいなら死なないはずです。あの状況で待てるわけがありません。あのタイミングを与えて下さったのは、主です。本当に感謝でした。

image-64.jpg

 この街は地震で完全に潰れた街です。そこにも行って、集会をしたり、奉仕をさせていただきました。それも大変貴重な体験でした。このネパールでの働きも、主が計画された働きだったと強く思わされます。

 また先週は、韓国に行って奉仕しました。私にとって韓国での奉仕は、久しぶりでした。今年は、是非来てくださいということで、八月の末に、以前から決まっていたのですが、韓国に行くことができるかどうか不安でした。しかし、予定を変更することなく、韓国で奉仕することが出来ました。本当に感謝です。
 韓国は教会が多いです。

image-85.jpg

 大勢集っている教会も、小規模な教会もあります。
image-78.jpg
image-92.jpg

 今回も一緒に奉仕をしてくれたのは、チェ先生です。共に様々な場所に行って、奉仕をさせていただきました。

image-106.jpg

 ネパールで私たちを受け入れてくださったパク先生一家が、十四日に行われた凱旋式にも来て下さったのですが、韓国でも会うことができました。

 先週の日曜日、私は三箇所で奉仕をしました。朝六時に、宿舎を出て、春川という、リバイバルミッションが行われた街で、二回の礼拝奉仕をさせていただきました。

image-113.jpg

 春川リバイバルミッションの時に、奉仕をしてくださった李先生の教会で、二回の礼拝奉仕をさせていただきました。その後、ソウルに戻って、パジュという街に行きました。

image-121.jpg

 韓半島は北と南に、三十八度線で分かれているわけですが、パジュは分断されたラインのちょうど南にある街です。
 みなさんもご存じのように、先週、先々週と、南北関係が大変こじれて、戦争に発展するほどの緊張感があったのですが、よりによって、先週の日曜日は韓国で最も北朝鮮に近いパジュで、奉仕することになっていました。大変緊張感のある場所にもかかわらず、クリスチャンたちは、熱心に主を求めていました。

image-128.jpg

 韓国の奉仕もすべて、祝福のうちに終えることができ、心から感謝しました。お祈りを感謝します。

 日本は今年、重要な年を迎えています。それは、戦後七十年という記念の年であるからです。今年の沖縄リバイバルミッションも、「戦後七十年」を意識して、沖縄七十と銘打ってさせていただいたのですが、今回、韓国に行って、もう一つのことに気づかされました。
 韓国に行きましたら、韓国も戦後七十年を、たいへん強調していました。それはどういう意味かといいますと、「日本の帝国主義の支配から解放されて七十年」ということで、韓国の教会あげて、七十年を意識して祈っていました。

 エレミヤ書二十九章のみ言葉、よくご存じだと思いますが、このみ言葉は、かつてユダがバビロニア帝国で捕虜になっていた時、神様が七十年経った時、奴隷の状態から解放してくださるという、預言の言葉です。このみ言葉と、日本、韓国を重ね、今年は、特にアジアのために、霊的解放を祈らなければいけないと、韓国に行って強く感じました。
 かつて日本は帝国主義の衣をまとい、アジアの諸国に出て行きました。どんなイデオロギーと共に出て行ったかというと、日本を中心とする大東亜共栄圏を作り、日本の神々の元で、アジアを治めようという構想でした。東アジアと東南アジアを含んで日本を中心とする国にしよう、という構想であったわけです。しかし、日本が戦争に負けたことによって、東アジア、東南アジアも植民地主義から解放されたのです。
 戦後七十年を迎えた二〇一五年、ただ日本のことだけを祈るのではなくて、アジアの諸国のために祈る必要があると、韓国に行って、強く教えられました。
 やはり人間って、自己中心ですよね。戦後七十年といっても、やはり日本にいたら、日本のことしか考えないのです。しかし国から出たら、違った視点が与えられるわけです。
 私たちの神は世界中の主ですから、世界を解放するために働いておられるはずです。

 人生は、本当に不思議です。偶然が偶然を呼ぶような形で展開しますが、その背後に神の計画があります。
 私は韓国で奉仕させていただいて、一つの話をどこでも話しました。それは、「私は韓国がなかったら、生まれなかった」という話です。
 
 この話は二年くらい前にすでに新城教会では話したのですが、私の両親は戦後、アメリカから来た日系人の宣教師によってクリスチャンになりました。最初、母がクリスチャンになったわけですが、その時母は、宣教師婦人と仲良くなって、二人で焼け野が原になった東京を伝道して回ったというのです。
 ある日のこと、母と、宣教師婦人が、東京の郊外に出かけて行った時、宣教師婦人が電車の窓から外を見ていて、ある所に来たら、「あぁ!」と言って、大声をあげたそうです。最寄りの駅で降りて、車窓から見えた一つの場所に向かって、宣教師婦人は走って行ったそうです。母は何が起こったか分からないけれど、付いて行きました。そこには、牧場がありました。
 その場所に着くと宣教師婦人が、「この光景をアメリカで祈っている時に見たのよ!」と言いました。彼女は、戦争の最中、日系人したから、日本のことを心配して、アメリカの山中で祈っていたそうです。そうしたら、神の声を聞いたというのです。どんな声を聞いたかというと、「まもなく日本は戦争に負けます。」と神が語られたそうです。「日本が負けたら、あなたがたを日本に宣教師として送ります。」と。
 それと共に、目の前に幻が現れたというのです。どんな幻を見たかというと、牧場が出て来て麦の穂が揺れている幻だったそうです。その幻を見ている最中に、主が、「あなたが日本に行ったら、その場所をあなたにあげます。そこを拠点として伝道するのです。」と語られたと言います。

 その婦人は、その光景を、心にとどめておいたそうです。すると、ある日のこと、その光景とそっくりな場所を見つけたのです。それで最寄りの駅で降りて、その場所に走って行ったわけです。その牧場の写真が一枚だけ残っていました。こんな場所でした。

image-71.jpg

 牧場を覗いたら、誰も住んでいなかったというのです。それで、宣教師婦人は、「この場所に住みましょう!」と言って、母を誘い、誰の許可もなく、その牧場の空き屋に荷物を移し、生活を始めてしまったというわけです。いくら戦後のことであっても、人の家に黙って住み着くのはいけないことだと思うのですが、そんな過激な行動を取ったわけです。
 しかし、牧場で集会を始めたら、村の子どもたちが大勢集まって来たというわけです。ある時は五百人くらいの子どもたちが来て、福音を聞いたといいます。宣教師婦人と母は、そこを拠点として、伝道したそうです。

 ある日のこと、その牧場の所有者がやってきて、「おい!こら!おまえらは、誰の許しを得て、ここに住み着いているんだ!」と怒られたそうです。当然のことだと思います。みなさんの土地に、留守中、誰かが住みついたら、「なにやってんだ!」というのと同じですから。
 そうしたら、宣教師婦人が土地の所有者に言ったそうです。「私がアメリカで祈っていた時、この牧場の光景を見て、神様がこの場所を私にくれると言ったから住んでいるんです。」と、摩訶不思議なことを言ったわけですね。普通では通るような話しではありません。しかしその話を所有者が聞いて、そこに多くの子どもたちが集まって福音を聞いている光景を見て、感動を受けたというのです。
 宣教師婦人に「本当に、神がこの場所をあなたに与えると言ったのか?」『はい、確かに言いました。』
 すると土地の所有者は、「そうか。それなら、この牧場をおまえにただでやる。」と言って、三千坪をくれたというのです。気前のいい人ですよね。いくら戦後の話と言ったって、三千坪をタダで贈呈してくれる人なんて、普通ではありません。なんと、その宣教師夫人と母は、タダでその土地を手に入れたのです。
 それから本格的に、この牧場を拠点に宣教が始まりました。やがて牧場に教会が建ちました。この場所は久留米村と言ったのですが、久留米村全域に福音が伝えられるようになったのです。

 この牧場から歩いて二十分くらい離れた所に、一人の男が田舎から出稼ぎと、勉強に来ていました。ある時、その男は噂を聞いたそうです。隣の家に住んでいる人から、「あの牧場に教会が出来たのを知っているかい?」と。そして、「私はあの教会に行ってみようと思うけど、どう思うかね?」
 そうしたら、その話を聞いた男は、「教会なんか、絶対に行っては駄目だ!教会なんか行くもんじゃない!あれはアメリカの占領政策の一つだから!」と、男はちょっと共産主義的な考えに染まっていて、教会に行くことを強く反対したというのです。
 しかしそれでも、お隣さんが教会に行ったのを見て、その男も少し教会に興味を持ったそうです。教会ってどんな所か、ちょっと覗いてみたいということになって、田舎から出て来た男は、牧場を覗きに行ったのです。すると宣教師婦人に見つかって、「どうぞ!お入りください!」と接待されたり、個人伝道されたそうです。そして、「イエス様を信じたら、永遠のいのちが与えられますよ。信じないと永遠の滅びですよ。」なんて、ちょっぴり脅されたりして、「あなたもイエス様を信じなさい!」と勧められ、あまりの迫力に負けた男は、「私も信じます!」と、イエス様を信じちゃったというのです。それが誰かというと、実は、私の父だったわけです。

 私の母は東京の女、父は、北設楽郡津具村というど田舎の男ですが、普通でもそういう出会はなかなかないと思うのですが、偶然が偶然を呼ぶような形で、牧場の近くに住んでいた男が、牧場で伝道を手伝っていた女と結婚して、私が生まれたということです。
 ここまでのストーリーでも映画になりそうです。しかし土地をタダでくれた人がどういう人かというと、実は、韓国人だったのです。在日韓国人の方が、「この土地、あんたにただであげる。」とくれたから、教会が建って、私は生まれたわけです。これが、「私は韓国がなかったら生まれなかった存在です。」という理由です。

 土地をくれた人は、パクさんという方だったそうです。韓国に行きますと、パクさんだらけですので、どこのパクさんにカムサハムニダ!と言っていいのか分かりませんが、私は韓国中のパクさんに「ありがとう!」と言いたいです。しかしなぜ、土地をくれたかというと、それも日本と韓国の悲しい歴史が関わっているのです。
 戦争が終わった時、韓国から日本に働きに来たり、強制的に連れて来られていた人たちが、日本国内に二百万人いたというのです。日本は一九一〇年から、一九四五年まで、朝鮮半島を植民地支配しました。それで行き来が盛んだったのです。当時、朝鮮半島に住む人たちは、日本人として扱われていました。しかし、戦争が終わった時、アメリカが、その人たちを日本国籍から切り離し、二百万人の人たちの国籍を「朝鮮籍」としたわけです。その後、その人たちに、朝鮮籍のまま日本にとどまるか、日本に帰化するか、もう一つは自分の国に帰るかという、三つのオプションを与えました。多くの人たちが、自分の故郷に帰る選択をしたわけです。
 日本は朝鮮半島を併合して、長い時間が経っていましたから、半島から来た人たちも、日本で働いて不動産を得たり、日本国内に財産を得た人たちも多くいました。しかし、「もしも故郷に帰りたかったら、日本で得た不動産は全て権利を放棄しなければならない。」という条件がつけられたのです。「もしも国に帰りたかったら、身の回りの百キロ足らずの荷物と共に帰れ。」ということだったそうです。
 それでも、多くの人たちが財産を放棄して、ちょっぴりの荷物と共に、故郷の朝鮮半島に帰って行きました。
 実は、この牧場をくれたパクさんは、自分の国に帰る決断をしていた人だったのです。政府に土地を取られるくらいならば、神様のために使ってもらいたいと思ったのでしょう。その牧場を贈呈してくれたわけです。それで教会が建って、私は生まれたわけです。

 私たちが、韓国リバイバルミッションなどを通して、韓国で奉仕させていただいているのも偶然ではないなと思います。悲しい歴史を含めて、主は回復を願っておられると思います。そのために、私たちを遣わしてくださっていると感じます。主は、歴史の中で起こった悪いことも、回復に結びつけてくださるお方です。
 「神様の計画は、災いではなくて、平安を与える計画であり、将来と希望を与えるものだ。」と語られていますが、時々人生の中で、将来も、希望も、あったもんじゃない!と、落胆する事があるかもしれません。しかし神様の計画は、私たちを解放し、将来と希望をあたえます。
 特に二〇一五年、アジア全体に、解放というテーマがあります。この年、私たちは将来と希望の計画がアジア全体に実現するよう、祈る必要があります。

 八月の初めの礼拝にも語らせていただいたのですが、父が天に帰った時、主は、私の心に一つのみ言葉を語ってくれました。それが、ヨシュア記一章一節〜五節のみ言葉でした。

『さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。』

 かつてイスラエルは、エジプトという超大国の奴隷として、四百三十年過ごしました。奴隷として他国の支配を受けるとは、どれほど辛いことでしょうか。
 実は、日本にもかつて奴隷制度がありました。国民が世界に奴隷として売られた悲しい歴史もあります。しかし、全体が奴隷のようになって、他国に支配された歴史は印象強く残っていませんから、あまり分かりません。
 今回、私はジャマイカに行かせていただいて、奴隷制度について深く考えさせられました。この島は、かつてはアメリカ・インディアン系の人たちが住んでいたのですが、その人たちは全員死んで、アフリカから連れて来られた黒人奴隷の人たちに、完全に置き換えられた島なのです。
 スペインとイギリスが、アフリカから大勢の奴隷を連れて来て、プランテーションで奴隷をこき使ったわけです。やがてそこで作物が取れなくなったり、時代が変わってしまて、奴隷を連れて来た白人たちは、自国に帰り、奴隷たちが置き去りにされて国ができたのがジャマイカです。この国の祖先たちは、どのくらい苦労されたのか、それを肌身で感じて帰って来たのですが、イスラエルはエジプトで四百三十年の間、奴隷であったというのです。
 しかし、そんな中から、人々が主に叫び求めた時、神は一人のリーダー、モーセを立てて二百万人にも及ぶ奴隷たちを、エジプトから解放して、カナンの地まで連れて来たストーリーは、聖書の中で、最も強調されているストーリーです。神が数々の奇跡を起こして、ヘブル民族を解放して、四十年かけて、カナンの地まで連れて来たわけです。
 これは歴史の中で実際に起こったストーリーです。それは、何を表しているかというと、イエス様がこの地上に来て十字架にかかり、三日目によみがえって、人類を救ってくださる人類解放のストーリーにつながっているわけです。
 私たちが救われるとは、悪魔の奴隷状態の中から、数々の奇跡と共に救われるのです。そのことを歴史的ストーリーを通して語っているわけですが、出エジプトのストーリーは、同時に、聖書全体のテーマを包括する重要なストーリーです。

 そんな中、モーセという人物は、最も重要な人物として用いられました。しかしモーセは、「あなたが人々をカナンの地まで連れて行くのですよ!」と、神様に語られたのにもかかわらず、なんと、カナンの地を目の前にして、カナンの地を見ながら百二十歳で死んでいくわけです。
 しかし、モーセが死んだことによって、神の計画は駄目になってしまったかというと、そうではなく、ヌンの子ヨシュアがリーダーとなって、新しい世代に受け継がれ、人々はカナン入国を果たし、やがてイスラエル王国の建国にまで繋がったのです。この箇所が、私の心に響いてきました。

 私の父と母がクリスチャンになり、新城教会ができて、リバイバルミッションの働きなども見ているわけですが、様々な人々の思いや計画によって歴史は形成されているように思いがちですが、実はそうではないのです。背後に、神の計画があって、神様の計画に私たちが参加させられているだけなのです。
 クリスチャンになるとは、どういうことか。それは「神のプロジェクトの一員となること。」と、お話しさせていただきましたが、イエス・キリストを信じる意味は、神様が持っておられる壮大なプロジェクトの一員となることなのです。
 先週も上條先生が、私が語ったメッセージを引用していました。この頃、注目されている神学者の一人、N.T.ライトが、「クリスチャンであるとは」という本を書き話題になっていますが、その本でクリスチャンの定義を述べていました。

 彼自身の言葉を引用すると、「バプテスマを受けてクリスチャンとなり、教会につながる意味は、神の創造から新創造という神が脚色し、演出する、壮大な劇の役者として加わることである。」としています。
 クリスチャンになるとはどういうことか。時々、クリスチャンになるきっかけは、問題があったりして、問題解決のために「神様!助けてください!」ということがきっかけで、クリスチャンになることが多いかもしれません。様々な要素が組み合わさってクリスチャンになるのですが、クリスチャンになるとは、神が脚色し、演出する、壮大な劇の役者として選ばれ、加わることだというわけです。

 聖書の研究が今もなお、世界中でなされていますが、聖書の最新の研究成果は、「神様は愛ですよ。」「神様は義ですよ。」というような、聖書を人生のマニュアルのようにとらえるのではなく、どの本にも、始まりがあったら終わりがあり、序論があったら結論があるように、近年、聖書全体で神は人類に何を伝えたいのかという研究が、詳しくなされるようになりました。そんな中、聖書のテーマは、天地創造から始まるのですが、結論は、新天新地の創造にあるというのです。
 クリスチャンは、やがて死んだら天国に行きます!と信じています。父も天国に行ったと思いますが、それが結論ではないのです。これはまだ途中の状態です。聖書って、すごいです。人がよみがえることまで告げているからです。イエス様も死んで、三日目によみがえられたのです。同じように主を信じる者たちは、やがてよみがえるのです。
 そしてなんと、私たちが見ているこの地球が、神様によって、新しい創造が加えられ、全く新しい状態になるというのです。その時、一度死んだ者たちは、よみがえって、この地上で永遠のいのちを受け過ごすという、壮大な物語が聖書であることが、この頃の研究ではっきりしてきたのです。
 クリスチャンになるとは、天地創造から、新天新地創造という、神の壮大なプロジェクトの一員になることです。ライトの言葉を借りれば、神様が書いた壮大なシナリオの役者の一人になることだ!と言うわけです。
 自分の夢を追いかけて生きている人もいるかもしれませんが、クリスチャンになったということは、神様の壮大なプロジェクトを、神によって演出させられる役者の一人として加えられたということです。

 誰かが一生を終えて死ぬと、その人の人生は評価されます。日本においては、良い所が顕彰される場合が多いですが、神様のプロジェクトの役者の一人、という視点を持って人生を見ると、また違った評価が生まれるのではないかと思います。
 出エジプトでも、重要な役者として、モーセが四十年間に渡って荒野をひっぱるわけですが、それだけで終わりではなかったのです。モーセの場面の幕が引かれた後、今度はヨシュアと新しい世代が出て来て、カナンの地を勝ち取るプロジェクトが始まったのです。

 この教会においても、一つの時代が終わったのではないかなと、私は思いました。私の父の時代、日本のリバイバル運動を一生懸命やりましたが、ある意味で彼はリバイバルを見ないで一生を終えました。彼の働きについても、いろいろ評価されるところもあったと思いますが、こういう時、私たちがどこに目を留めるかが、結構重要ではないかと思います。
 一般的には、「滝元明先生は、すばらしい人生を送った!あの先生のように、私たちも生きていきたい!」となりがちですが、そこに目を留めてはいけないと思います。

 実は、日本は、帝国主義の時代、どのような戦法を使って人々を戦争にかり出していったかというと、そのための三つの柱があったと言われます。
 一つは、日本の戦争はすべて聖戦、聖なる戦いだ!と言いました。
 そしてもう一つは、この聖戦に参加して、命を落としていった兵隊たちは、神になれる!「英霊」になれると言ったのです。それが靖国神社です。
 そしてもう一つは、聖戦で命を落としていった人たちを顕彰し、「彼らに続け!」と叫びました。この三つの論法を使い人々を戦争に駆り立てていきました。国家神道を調べると、聖戦・英霊・顕彰という、三つの強調点があるというのです。
 日本人には、この三つが染みついています。放っておくと、クリスチャンであっても、この論法の霊性が持ち上がってくるのではないかと思います。
 日本のリバイバルの戦いは聖戦だ!と、神様の戦いですから聖なる戦いであることには違いないのですが、そのために一生懸命働いた人は、英霊とは言いませんが、英雄視されたり、顕彰され、彼に続き、彼の意志を受け継いでがんばりましょう!となりがちです。しかし、これは正しい考え方ではない、と私はこの頃感じています。

 私たちクリスチャンは、どういうものかと言いますと、神が用意された壮大なプロジェクトの一員であり、神の壮大な劇の役者の一人です。滝元明も、その役者の一人であったということです。案外、彼は目立つ配役をもらったのかもしれません。しかし劇は、通行人から主役まで、みんなが一つとなって演じる時、感動的なストーリーとなるのです。誰一人として欠かすことのできない、役割があるということです。今を生きる私たち一人一人が、神が演出されている、創造から新天新地という、劇の配役の一人として、自分に与えられた役割を、忠実に果たしていくことが大切です。ある時、主役が去っていくように見えても、そのストーリーは、確実に神様によって目的に向かって進んで行くのです。

 新城教会ができる元になったのも、先ほど話しましたように、土地をタダでもらってしまうという、信じられない出来事から始まりました。日本が帝国主義で朝鮮半島を植民地化しなければ、新城教会は生まれなかったのです。そんな悲しい歴史さえも使って、教会を建ててくださったのですが、そこまでして、教会を建てたのは、神様の大きな目的があるからです。それはやがて、この地に、新天新地を創造し、永遠のいのちと共にこの地で、イエス・キリストを王として過ごす日が来るのです。
 もしかしたらそれは間近かもしれません。いや、百年、二百年、千年後かもしれません。いつイエス様が帰って来られるかは分からないけれども、各時代に生きる者たちは、確実に、神の書いたストーリーを側面から応援する役者の一人でなかったらいけないのです。

 実は、モーセが荒野を旅している時に、荒野を生きていた人たちは、神を強く意識しながら、毎日を送っていました。それは、神様がご自分の姿を現しておられたからです。どんな姿で現していたかというと、昼は雲の柱、夜は火の柱で、ご自分を現していたのです。出エジプト記十三章二十節〜二十二節、

『こうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。』

 二百万人もの人々の目の前に、昼は雲の柱、夜は火の柱があったというのです。そこに神がおられたのです。だから雲の柱を見れば、「神様がおられる!」と昼間は感じるし、火の柱があれば、「あっ!神が共におられる!」と意識したのです。
 だから彼らは、荒野を旅して、カナンの地に行くまで、いつも神様の臨在を感じていたわけです。
 新城市にも雲の柱があります。それを見たら、主がおられるのを意識して欲しいですね。夜は火の柱じゃなくて、餃子のノブズがあります。ノブズを見たならば、「主がおられる!」と意識していただきたいと思うわけです。「雲の柱!火の柱!主が共におられる!」と、イスラエルの民は四十年間に渡って体験したわけです。

 しかしながら、モーセの時代が終わって、ヨシュアの時代になって、何が起こったかというと、今まで見えていた雲の柱が消えたのです。火の柱も消えてしまったのです。毎日、マナが降っていたのですが、それも止まってしまったのです。
 ある時、ヨシュアの目の前に一人の男が現れました。それは完全武装し、剣をもった男が現れました。ヨシュアはびっくりしました。敵か味方かも分からなくて恐れました。その事が、ヨシュア記五章十三節〜十四節に書かれています。

『さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って、言った。「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」』

 実はこの軍の将として、完全武装して現れたのが、ヨシュアの世代の主の姿だったのです。時代が切り替わった時、ご自身を現す姿が、全く変わっていたのです。ヨシュアも四十年間、雲の中に、火の中におられる主を知っていたのです。「私の神様はこういう神様だ。」と、一つの固定概念があったと思います。しかし、新しい時代が来た時、ヨシュアは自分の目の前に現れた主を、敵なのか味方なのかも分からなかったのです。しかしそれが、主の姿だったのです。新しい時代が来ると、神様の現れも変わるのです。
 ヨシュアの時代は、戦いの時代でした。ゆえに主は、自ら、軍の将の恰好をして、ヨシュアの目の前に現れたのです。その時、ヨシュアが、主になんと申し上げているかというと、『ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」』と、「私は何をしたらいいのですか。」と語っているのです。役者として、神のプロジェクトに参加する者として、「何をしたらいいんですか。」と、私たちも主に聞かなければならないのではないでしょうか。

 私は一九九二年に、新城教会はヨシュアの世代に入ったのではないかと感じています。なぜなら、一九九二年の二月と七月に、激しく聖霊が注がれて、霊的戦いが始まったからです。それまで、「主は、賛美や礼拝の中に臨在を現してくださる、優しい方だ。」と私は感じていました。
 しかしあの日から、主は、万軍の将として目の前に現れました。あの当時、この教会に属していた方は分かると思います。私たちの前に現れた主が、敵なのか味方なのか、分からなかったのです。当時、この教会に属していた者たちの半数は味方だと認識できたけれど、多くの人たちが敵かもしれないと思ってしまいました。しかし、それが主の姿であったわけです。
 私たちはこれから何をしなければいけないのか。主が告げられることを聞いて、主のプロジェクトの一員となり、主が私たちに与えてくださっている配役を忠実に演じる、ヨシュア世代の一員にならなければいけないと思います。
 お一人一人、重要な役割を持っておられます。ある人は、モーセのように、ヨシュアのように、目立つ配役をもらうのかもしれません。しかしある人は、目立たない配役なのかもしれません。しかし、そこに神からの重要な役割があるということです。私は今回、様々なことを考えさせられましたが、主が持っておられる壮大な計画を実現するための一員として、新城教会がさらに前進していく気がします。

 今回、韓国からも凱旋式に来てくださいましたが、その方々が、「今回、新城教会に行って、もう日本にリバイバルが起こっていると感じた!」というのです。何を感じたのですか?と聞くと、凱旋式の後に、ザ・コールがあったり、新城教会には、毎日のようにいろんなプログラムがあり、忙しい毎日だったけれど、若い世代の人たちが、嫌な顔一つせずに、涼しい顔で、大きな働きをこなしている様子を見て、これは韓国の教会にはないことだと思ったというのです。
 誰から指示されるわけでもなく、若い世代が自主的に主に仕えている姿を見て、本当に感動しました!と言ってくれました。もうすでに、私のような年寄りではなく、若い方々に役割がゆだねられているのではないかと思います。
 しかし年寄りから赤ちゃんまで、誰一人として、無駄な人はいません。神様の配役の一人として、目立つ部分も目立たない部分も、忠実に仕えていきたいと思います。そのためにイエス様が十字架にかかって、命を捨ててくださいました。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。父なる神様、感謝いたします。今、このような新しい時代の中に、私たちが生かされていることを感謝します。私たちは、あなたが立てられている大きなプロジェクトの一員として、加えられたことを心から感謝します。その配役の一人として、忠実にその役割を果たすことができるように。やがて、あなたがこの地に帰って来られ、王となって世界を治めてくださる日が来ることを堅く信じます。それを早めてくださいますように。また、それを早めていただくために、私たちが何をしたらいいのか教えて下さい。
 今日の聖餐式を特別祝福してください。私たちが救われたことは、役割の一人であることを堅く信じ、また宣言する時となりますように。今からの時をすべて主にゆだねて、尊いイエス様の御名によって、祈りを御前におささげいたします。アーメン。