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『神さまの思いを知ろう

2015年11月29日(日)
新城教会 牧師 岡本信弘
マルコの福音書6章33~44節

『イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」イエスは、みなを、それぞれ組にして青草の上にすわらせるよう、弟子たちにお命じになった。そこで人々は、百人、五十人と固まって席に着いた。するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。パンを食べたのは、男が五千人であった。』

ハレルヤ! 主の御名を心から賛美いたします。
今日、健康でここに立たせていただき、御言葉を取り次げることを感謝します。前回、私が講壇に立ったのは、明先生が召された翌日の八月二日でした。あの時を振り返りますと、前の日に明先生が召されて、本当に悲しく寂しかったという思いがあります。
冒頭で、「昨日さんざん泣いたので、今日は泣きません」と言って、ある意味自分に言い聞かせるようにメッセージを始めたのですが、皆さんがご存じのように、途中で言葉に詰まり、このまま続けられるかなと本当に思いましたが、何とかメッセージを終えることができました。後で何人かの方から「よく最後までもちましたね」と言われました(笑)。
明先生が召されてからしばらくは、プレイズ出版に来られた業者の方々などに明先生の召された経緯などを証しする機会が何度かありましたが、話しながら、自分でも気がつかないうちに何度も涙が流れてしまうような状態でした。明先生は、私の人生最大の師匠であり、救いに導いてくださった心から尊敬する先生でした。
明先生の事だけでなく、この一年は、私とっても新城教会にとっても忘れられない、大きな意味のある年となりました。今年も残り少なくなりましたが、十年後、二十年後、歴史を振り返った時には、この二〇一五年のことが話題に挙げられる年になるように思います。
先程は、ヘブンリーキングダムの、主はいつも共におられますという力強い賛美に励まされ、これからも主と共に歩み、リバイバルのために働いていきたいと決意を新たにさせられました。

さて、皆さんは、今、幸せを感じていますか? 私は日々忙しいので、時々、「そんな忙しく働いて楽しいですか?」と聞かれることがあります。でも、これが結構充実していて楽しいのです。
皆さん誰もが幸せな人生を送りたいと望んでいると思います。
ある人は、金持ちになったら幸せになると考え、またある人は、欲しいものが手に入ったら、この夢が達成できたら幸せになれる等、人それぞれに幸せの基準は違うことでしょう。
明先生は、願っていたようなリバイバルの姿を見ることはできなかったかもしれませんが、六十数年の間リバイバルのために伝道者として働き、イエス様だけを見上げて走り続けてこられました。その人生は、幸せそのものだったのではないかと思います。
必ずしも成功した人が幸せとは限りませんが、幸せな人生を送れたなら、その人は成功した人と言えるのではないでしょうか。そういう意味では、明先生は大成功を収めたと言えると思います。

今日のテーマは、「神さまの思いを知ろう」とさせていただきました。私たちにとって神様の思い(御心)を知ることは、クリスチャン人生にとって最も重要であり、幸せに生きる近道だと思います。
私たちが手にしている『聖書』は、人生の指南書であり目的地を教えてくれるカーナビのようなものです。とくに『四つの福音書』に記されたイエスさまの行動の中に、人生の成功の秘訣を数多く学ぶことができます。
現代は世界的にテロや戦争などで情勢は不安定ですし、身近でも、少子高齢化が進んでいる状況や地震や津波などの自然災害、思い悩んだらきりがないような不安な時代を私たちは生きています。そんな今を生き抜くために、先ほど読んでいただいたマルコ六章三十四~四十四節の「五つのパンと二匹の魚」の出来事から学んでみたいと思います。

 この記事によれば、イエス様は祈りによって、わずか「五つのパンと二匹の魚」で素晴らしい奇跡を行われたことがわかります。群衆を満腹させると同時に、余るほどであったとあります。
 群衆の数は、成人男子だけで五千人でした。当時は、女性や子どもは数に数えられておらず成人男性だけの数が記されていますので、実際には二万人近くはいたと思われます。ガリラヤ湖畔に人がゾロゾロ集まってきて、いっこうに帰ろうとしない状況。自分がその場所にいたらどうしただろうと考えながら、話を聞いていただければと思います。
このことが起きたのは、夕暮れ時でした。
だんだんと陽が傾いてきたとき、弟子たちはいろいろなことを心配し始めました。こんなに人がいてどうなるだろう。そこでイエス様に、「みんなを解散させてください。何か食べるものを、めいめいで買うようにさせてください」と言ったのです。この弟子たちの言ったことは、きわめて常識的ですね。私がこの場所にいたなら、真っ先に弟子たちと同じことを言ったと思います。私は、いつもリバイバルミッションで運営を任せられていますので、天候やスタッフの食事をどうするか、会場を借りると門限もありますので、時間に間に合うようにと、とにかくいろいろなことを心配しながら先々を読んで指示を出していますので、そういったことには敏感です。
この時、弟子たちも皆のことを心配したわけですが、イエス様の考えはそれとは別のものでした。イエス様は、「羊飼いのいない羊」のようにさまよっている群衆は、イエス様の教えに熱心に耳を傾けていました。ここでみんなを解散させてしまうことは得策ではないと考えられたのだと思います。そこで弟子たちに、「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物をあげなさい」と言われました。これは弟子たちにとっては、思いもよらない言葉だったと思います。
この奇跡を通して、イエス様は今の私たちに何を教えようとされているのでしょうか。ここにはイエス様の思いと一人ひとりの繁栄と幸せの秘訣が隠されています。

イエス様の思いの第一番目は、「誰かのために時間と労を費やす」ということです。
皆さん、クリスチャンになって一番変わったことは何ですか? 
ここにはクリスチャン歴の長い人も短い人もいますが、クリスチャンになってから、いろいろと変化があったと思います。それほど大きな変化のない人もいるでしょうし、大酒飲みから一滴も飲まない人生に変えられるほど劇的に変えられた人もいるでしょう。しかし、皆さんに共通する変化があると思います。その一つは、人のために祈るようになったことではないでしょうか。
以前は自分の幸せ、家族の幸せを第一に考えてきた者が、友人・知人のことを考え、隣人のために祈り、さらには日本の祝福、国のために祈る。また、行ったこともない見知らぬ国のために心を合わせて祈る者とされた。これが、まず変えられたところではないかと思います。そして、そのために行動する。人々の救いのために手を差し伸べ、助けを与える。人々の問題や不便を解消し、人々の必要に応えることが、イエス様の教えの基本的な原則なのです。

あるクリスチャンのビジネス書にこんなことが掲載されていました。 
『もしあなたが人生に繁栄を生み出したいなら、金儲けだけを目的とするのでなく人類のために仕えるというサービス精神を持たなければなりません。自分のためということより、人のために何ができるかを先に考えるのです。このサービス精神こそ、成功のタネであり、そこからやがて豊かな実をならせることができるのです。』
 イエス様の発想と同じです。しかし、そうは言ってもそれを実行できるかといったらなかなかそうはいかないのが私たち人間であり、弱さを感じるところです。
世の中の人は、「金が儲かる」というとすぐに飛びつきます。しかし、自分のための事業は、いつか廃れつぶれてしまいます。大切なことは、どんなに物質的に豊かになったとしても、精神的、霊的な部分で、人々が、世の中が必要としていることを求めていかなければならないということです。

一つの証しをお分かちしたいと思います。
 キリスト教精神に基づいて聖隷福祉事業団を創設した、長谷川保先生のことです。皆さんも名前は聞いたことがあるかと思います。長谷川先生はクリスチャンで、人の役に立つことをしたいと願い、事業をおこしました。結核患者のための医療施設をつくり、看護婦の養成所をつくり、日本で最初のホスピスをつくった人です。
 実際、それらの事業は成功したからこそ皆さんにも知られているわけですが、先生がこの働きを始めた頃には、大変な困難がたくさんあったはずです。今では介護ビジネスとして成り立っていますが、当時は、福祉や介護についての法律も整っていませんでしたから、経済的にも絶対に成り立たないと言われていたそうです。しかし、「世の中が必要としているのに、誰も手を出さないなら自分がやるしかない。人々が本当に必要としているものは必ず実現する」と信念を持って決断して突き進んでいったとき、後から法律が作られ、福祉・介護事業として整備されていったそうです。 
 マタイの福音書七章十二節には、『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』という言葉がありますが、長谷川先生の心には、この御言葉が深くとどまっていて、キリストの教えに従って始めた事業であるなら、必ず祝福があり、成功に導かれると強く信じていたと思います。
 日本の諺にも「情けは人のためならず」という言葉があります。「情けは人のためだけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にしなさい」という意味であり、人を思いやり、親切にすることを勧める諺です。しかし最近は、「情けをかけることは結局その人のためにならないから、情けはかけないほうがいい」というように意味を取り違えている人が増えているそうです。悲しいことです。
私たちクリスチャンは、自分の損得で物事を考えるのではなく、人のために生きるという神さまの祝福の原則を受け取って、日々生活していきたいと願います。あなたの周りには、あなたを必要としている人が多くいることを忘れてはなりません。

次に、「あなたに与えられているものを、ささげる」ということです。教会では、「あなたの賜物をささげましょう」とよく言われます。
 イエス様は、無から有を生じさせる力があります。石をパンに変えることもできるお方ですから、全く何もないところからでも食物を造りだして二万人に食べさせることも、いとも簡単にできたはずです。しかし、イエス様はあえて無から造り出すことはせず、「あなたがたで、あの人たちに何か食べるものをあげなさい」。「パンはどのくらいありますか。行って見てきなさい」と弟子たちに委ねました。誰かが持っているもの、今あるもので用意するようにおっしゃったのです。そして弟子たちが持ってきた「五つのパンと二匹の魚」を増やして、二万人の人々に供給されたのです。
人は、金持ちになればなるほどもっと欲しくなって不正をしたりするものです(私はたくさん持ったことがないのでわかりませんが…)。しかし主は、私たちに与えられたものを神様のために差し出すことを求めておられます。
皆さんの中には、私は何も持っていないから何もささげられないと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、すでに私たちには、「五つのパンと二匹の魚」に値するものが、あらかじめ神から用意されていることを覚えてください。
この場所には、二万人近い人がいました。私はすぐに計算してしまうのですが、二万人を養うためにはどのくらいの量が必要なのかと考えました。一人百グラムで計算すると(百グラムでは足らないとは思いますが)、二トンの食糧が必要です。「五つのパンと二匹の魚」は、一家族五人が分けてやっと一食分になるくらいの量でしょうか。そうすると、この二万人がいる状況では無きに等しいものです。

 皆さんは、詩人の水野源三さんという方をご存知でしょうか。彼は重い病気のために手足の自由がまったくなく、歩くこと、書くこと、声を出すことさえもできませんでした。唯一彼が自由に動かせたのは、目だけでした。それにもかかわらず、クリスチャンになってからは、彼は美しい詩を数多く残しました。
 五十音のひらがなの表を彼の前に置き、友人が一文字一文字指でさしていき、彼が思っている文字のところに来たときだけまばたきをして、その文字を友人が書き取っていくという方法で詩を作成していったそうです。その詩は、多くの人々に感動を与えています。
 彼は自分に与えられていた、わずかな「五つのパンと二匹の魚」を、忠実に用いた人でした。あなたに与えられた「五つのパンと二匹の魚」は何ですか? 「私はこれだ!」とわかっている方もいるでしょうし、まだそれに気づいておられない方もいると思いますが、ぜひそれを見いだし、主にささげていただきたいと思います。

第三番目に、「信仰によりまだ見ていない事柄を受け取る」ということです。それは、あなたが将来成功したときの姿を、具体的に「心のスクリーン」に描くことです。
 イエス様は五つのパンと二匹の魚を前に、二万人の群衆をそれぞれ組にして、青草の上にすわらせるように弟子たちに命じました。弟子たちには、この時のイエス様の言われた意味が理解できていなかったと思います。「イエス様は、これから何をなさるんだろう」と思ったでしょう。しかし、イエス様の心のスクリーンには、すでに人々がパンと魚を手にとり、幸せそうに食べている姿が見えていたのです。だから、混乱のないよう人々を五十人、百人、組にしてすわらせるようにされたのです。
 信仰とは、思いの中に、心の中に「まだ見ていないもの」を描くことです。見てしまったならそれは信仰ではありません。
聖書には、『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』(へブル書十一章一節)とあります。 

明先生が郷里に伝道に入られ、金も仕事もないなかで主に祈った時、イエス様が明先生に、「あなたを将来、日本全土、世界各国を巡って伝道者として働かせる」と言われ、どこの国に行くのかも具体的に語られたそうです。
 今から六十年以上も前のことでで、海外に行くことすら容易でない時代でした。明先生の、何も持っていない状況からすれば、到底信じることのできないような、夢のような話であったと思いますが、先生は、そのことを心にとどめ、主が必ずそのことを実現してくださるという信仰をもって心のスクリーンに描き続けておられたと思います。
それから数十年の月日が流れて、幻がすべて成就したことを、私たちは聞いています。
 「皆さんのビジョンは何ですか?」と聞かれたら皆さんは何と答えますか。聖書には、『幻のない民は滅びる』とあります。私たちも神様のために何ができるのかを考え、心のスクリーンに将来の姿をはっきり描いて、このようにさせていただきたいという願いを持っていくとき、神様はその思いに応えてくださいます。
特に若い人にはぜひ大きなビジョンを持っていただきたいのです。政治家であったり、実業家であったり、この日本が変えられるような力を持った人が出てきてほしいのです。しかし、どんな年齢になっても、今生かされているあなたには神様に託された働きがあるのですから、心のスクリーンにしっかりと焼きつけて進んで行っていただきたいと思います。
 
皆さんにいつも祈っていただているプレイズ出版の働きですが、なかなか皆さんにお話しする機会がなくて申し訳なく思っています。少し報告させていただきます。
奇しくも明先生が召された八月一日に、老人ホームであるアークホームが始まって、現在八名の方が入居されています。また、九月よりデイサービスが始まり、曜日によって人数は違いますが、日に七、八人の方が利用されています。就労支援B型のシャロームには、五名ほどの方が通ってこられています。今までの印刷出版、ヘブンズカフェ、レストランを合わせると七部門が動いている状況です。
先日は、入居者の一人が突然意識不明となり、救急車で運ばれました。幸い大事には至らず、しばらくの入院の後、再びアークホームに戻って元気に生活されています。そのほかの方も、それぞれ体の痛みや病を負っておられる方がほとんどですので、ぜひ入居者のためにもお祈りください。
レストランや餃子店も忙しい時・暇な時と波があり大変ですが、来店してくださった方々の「美味しかった」という言葉を聞くと、幸いだなぁと思います。
現在、雲の柱は昼間にしか営業していないので、遠くから来られている方や、仕事に出掛けておられる方に、「行きたいけどなかなか行かれない」と言われます。十二月には週末限定の毎週一回、ディナータイムにオープンしますので、お出かけいただければと思います。

最近、嬉しいことがありました。
この事業がある程度形になった時、私の高校の同級生に挨拶と案内を兼ねて、雲の柱のチラシを送り、「いつか来てください」と書きましたら、しばらくしてから何人かの女の子(といっても私と同い年ですからおばさんです(笑))が、モーニングやランチに来てくれました。私に連絡をくれたので会って話をしていると、皆さんから「なぜ今さらリスクを負ってこんな事業をしているの?」と聞かれたのです。相手から質問されたら伝道しやすいです。みんな私が牧師をしていることは知っていますので、この時とばかりに自分の救われた証しや家族の証しをしました。そして最後に、「リスクはもちろんあるけれど、この事業をやっている一番の目的は、自分の信じている神様のために働きたいからだ」と、話すことができました。気が付いたら一時間以上たっていましたが、みんな真剣に聞いてくれました。
一人の人は、「もっと早く話を聞きたかった」と言いました。私は今までも、事あるごとに話をしてきました。しかし、みな年輩になり、自分が介護する立場になり、将来に不安を抱き、いろいろな問題を持つようになって、やっと聞く耳を持ったのかなと思います。これも神様の時だと思って心から感謝しました。
皆さんが福音を語っても相手に響かない時がありますが、必ず届く時がきますから、信じて語り続けていきましょう。
プレイズ出版の経営もなかなか結構大変ですが、神様が志を与え始めてくださった事業ですから、神様が必ず祝福してくださると信じています。私はたくさん儲けて、神様のためにたくさん献げたいと願っていますので、お祈りいただければ感謝です。

第四に、「私たちが働き、主が成し遂げてくださる」ということです。
 「五千人の給食」の奇跡は、イエス様がパンと魚を裂き、弟子たちは、それを配るという行為を通してイエス様の奇跡に用いられたのです。
ここに成功の原則があります。先ほど言ったように、神様は無から有を生み出すことのできるお方です。しかし、この地上においての今の働きは、私たち一人ひとり、弟子たち、クリスチャンにその働きを委ねておられるということを忘れてはなりません。
先日、皆さんもよくご存知のギデオン協会の証しを読みました。この教会でも、西村さんご夫妻が働きに加わっておられ、教会でも毎年献金がなされています。
歴史を見ると、この働きは一八九八年、アメリカ合衆国のある小さなホテルで、見知らぬ青年同士であるジョンとサムエルが相部屋となり、お互いがクリスチャンであることを知り、共に聖書を読み祈ったことから、ギデオン協会発足の計画が生まれたそうです。
翌年の一八九九年五月に発会式をしましたが、参加したのは、ウィルという人を加えた三人だけだったそうです。この三人によって、互いに交流を持つ実業家たちに、個人的にイエス・キリストを証しし、共に主イエスのために働こうと決意が表明され、旧約聖書の士師であるギデオンが、わずかな人数でミデアン人の大軍を破ったということに由来して、ギデオン協会と命名されたそうです。
一九五〇年、日本でも活動が開始され、現在では、世界二〇〇ヵ国においてクリスチャン・ビジネスマンが中心に組織が作られ、相互の交流と神への奉仕のために働く団体となり、全世界で二十億冊を越える聖書を、至る所で贈呈してきたのです。
たった三人の若者が集まって、神様のためにという願いを持って始めたことが、一歩前進した時に主が助けてくださり、いまや全世界に広がる素晴らしい働きへと神様が進めてくださいました。私たちが直接聖書を届けることができない地域、人々がいます。しかし献金することによって一冊一冊の聖書が、神の言葉が、誰かの手に渡ることによって、そこに主の業、救いの業が現れることを私たちは祈っていきたいと思います。
詩篇の三十七篇四~五節には『主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』という、素晴らしい御言葉があります。
私たちは、何事も自分のためにではなく、神様を自分の喜びとし、神様を喜ばせるために私に何ができるかと考え、主に委ねていくなら、主が成し遂げてくださるのです。

先程皆さんで祈ったように、今、インドへの宣教がなされています。
リバイバルミッションでは、環太平洋のリバイバルを掲げ、様々な国に出かけていってミッションが開催されてきました。旅行の好きな人にはなじみのあるところかもしれませんが、ほとんどの方にとっては、関心のない場所であるかもしれません。
ミッションの開催地がどうやって決められたかというと、初め、実行員会で先生方が思いつくままに色々な国の名前を挙げます。私は実行委員ではありませんが、運営の者としてその会に参加していますので、先生方の言われることを聞いています。挙げられる国の名前を聞いて、「その国でやっても採算が合わないだろう」と思うことがよくありますが…(笑)。そのようななかで、いろいろな意見が出され、そして先生方が真剣に主の導きを求めて祈りがなされ、一致した見解が与えられた時、開催が決まっていきます。
大丈夫かなぁ、神様は何故そこでやりなさいと言われたのか、何故そこを選ばれたのかと思ってスタートしたところであっても、とりなし、準備していくなかで、こんなに重要な所だったのだと、後からわかることが多々あります。皆さんも、意味がわからないことがたくさんあると思いますが、ぜひ祈っていただきたいのです。
今回は三十名ほどの方々が、和解とリバイバルを求めて最前線に送られています。これは国を超えたリバイバルのプロジェクトです。今は、ラインで登録すると現地の情報が送られてきます。順先生は本当にまめだなぁと思うのですが、よく画像を送ってくださいます。ラインに登録されている方だけでも百三十名を超えていますし、ここにおられる方々や日本中で多くの方々が祈ってくださっています。出かけている人は少ないですが、日本全土でこの働きに対してとりなし祈っているこの戦いに、主が勝利を与えてくださる、主の業が現されると信じています。
今日も昼に現地の様子を上映したり、来週は報告会が開かれたりしますが、皆さんが行ったことのない国であっても心に留め、祈ることによって、リバイバルの前進があることをぜひ覚えてください。

最後に、「どこまでの主に従っていきなさい」ということです。
この奇跡の裏には、もう一つ重要なポイントがあります。
ここで、イエス様はいろいろな命令を弟子に下したわけですが、それを聞いた弟子たちがパンを探しに行かなかったら、そして見つけた五つのパンと二匹の魚を持ってこなかったら、イエス様が言われたように群衆を組にして草の上にすわらせなかったら、裂かれたパンと魚を忠実に群衆に配らなかったら、この奇跡を見ることはできなかったでしょう。イエス様が言われたら、行うのは当たり前ではないかと皆さん思われるかもしれません。しかし、何もない状況の中で、群衆が二万人もいるなかで、「食べ物をみんなにあげなさい」と言われて、「はい」と従えるのかと考えてしまうと思います。
皆さんも、時には自分の思いとは違う方向に導かれることもあるかもしれません。しかし、私たちは、いつも御言葉に従順に従い、行っていきたいと願います。

ルカの福音書には『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。』(十六章十節)とあります。
 小さな事に不忠実であったら、神様が大きな事をあなたに任すことはされません。皆さん一人ひとりが与えられている小さな事に忠実に働くことによって、イエス様はあなたにこの働きを任せたいと、大きな事を任せてくださるのです。私たちは、神に選ばれた者として、この地上に今生かされている者として、神様の働きに参加し、それ遂行する義務があります。
 あなたが小さな事でも約束を守り、忠実に働き信頼される人になるなら、主が用いて下さいます。
 私たちは自分のことではなく、まず人のことを思いやり、人の立場になって考える者になりたいと思います。そのために、知識を積み重ねることも大切です。人生はいくつになっても勉強です。少しでも神様の役に立ちたいと願い、忠実に行うなら、主はその人を使ってくださいます。

 あなたの将来には、これからも多くの困難や誘惑がやってくるかもしれません。しかし、どんな時もイエス様を見上げていくならば、神様の備えられた道があり、その道を喜んで走っていくならば、必ず素晴らしい未来が備えられています。その向こうには、主が用意してくださる天国があることも覚えてください。

今日、この「五つのパンと二匹の魚」の奇跡を通していくつかのことを学びましたが、あなたは何を受け取りましたか。あなた自身を顧み、自分の持っているものを確認し、それをささげ、自分の方向をしっかり主に向け、神様があなたに託された、日本における、世界における、リバイバルにおけるプロジェクトに参加していただきたいと思います。
私たちの働きを通して、イエス・キリストの御名があがめられることをいつも心に留め、祈り、主に従っていきましょう。