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『復活。それは事実です!!』

2016年3月27日(日)
新城教会 主任牧師 滝元順
第一コリント人への手紙15章20節(リビング・バイブル)

『しかし、事実、キリスト様は死人の中から復活しました。そして、復活が約束されている何千万何百万もの人の、復活第一号となられたのです。』

 ハレルヤ!復活祭、おめでとうございます。Overcomersの演奏、新しい息吹を感じました。毎月、ミュージックスクールが開かれていますが、若者たちが練習して、なかなかうまくなりましたよね。本当にすばらしいと思います。
 さらに時代が進めば、もっと新しいバンドが出て来るのではないかと思います。新城教会、六十年以上の歴史がありますが、世代を越えて主が導いてくださっていることを感謝しています。

 今朝は礼拝に先立ち、「召天者記念会」が行われました。召天者記念会には、毎年、出席人数が増えていきます。また、記念会で投影される写真の人数も多くなっています。六十年以上の歴史がありますから、すでに百名以上の方々が主の元にお帰りになったでしょうか。かつて共に礼拝を守っていた兄弟姉妹が、今では主の元で、主のみ顔をあおぎながら、礼拝をしている事でしょう。私たちはその光景を想像しながら、今年も召天者記念会をもたせて頂きました。しかし、ちょっぴり切ないというか、寂しさも覚えます。
 去年は、私の父も主の元に召されました。「そういえば去年、父は記念会に出席していたのになぁ・・・。今年はいないのか。」と思い出しました。父も主の元に帰って、早、七ヶ月、八ヶ月経ちました。人っていなくなると、初めは記憶によく残っていますが、だんだんと薄れるものですね。この頃は親父がいなくても、あんまり気にならなくなりました。二年、三年もすれば、「そんな人物がいたなぁ」となってしまうのではないかなと思います。私とても、同じではないかと思います。

 人生とは、楽しいことより、悲しいこと、苦しいことのほうが多いのではないかと思われます。今までの人生を天秤にかけるなら、どちらが多かったでしょうか。やはり、大変なことのほうが、多かったかもしれません。
 しかしやがて主の元に行くことができる、天国に行くことができるというのは、本当に大きな希望です。クリスチャンは、死後どうなるかが、はっきり解決しています。しばしの別れの寂しさはあっても、やがて再会できる希望があるわけです。

 しかし一方では、疑問もあります。なぜ神様は、こんな苦しい人の住まい、地球を造ったんだということです。死後の世界があり、そこが天国ならば、こんな中間的な地球なんか造らなくても良かったんじゃないか!と思いませんか?この地上で人を苦しめておいて、その後、自分の元に引き寄せて、「地球は苦しかっただろう。でも、ここはいいだろう?ははっ!」と、私たちが苦しんでいるのを神は楽しんでいるのかなぁ?と、いろんな疑問が湧いてきます。でも、そうではないのです。
 永遠のいのちとは何か、それは死後のいのちではなくて、死後、もう一度この地上に復活するのが、永遠のいのちです。
 聖書の中で、「あなたは救われます!」と述べられていますが、「救い」とは、死後の世界でみんな集合するのが救いではありません。それももちろん救いの一部ですが、本物ではないのです。
 天国はどこにできるのかと言えば、この地上にできるのです。地球は、元々、神様が、ご自分の国を造るために創造されたのです。
 私たちはやがてこの地上から出ていくかもしれませんが、もう一度、この地に戻ってくるのです。そして、この地上でイエス様が王となって、永遠に過ごす、それが永遠のいのちです。
 それならば、分かります。なぜ、神がこの地球を造られたのか、意味が分かります。私たちは、たとえ死んでも、もう一度、この地に戻ってくる者たちです。
 復活祭はイエス様がよみがえってくださった記念日ですが、やがてあなたもよみがえって、この地上で生きるようになるんですよ!ということを覚える日なのです。それを証明するために、イエスさまは死を打ち破り、地上によみがえってくださったのです。

 イエス様の弟子たちは、イエス様の顔を実際に見て、一緒に過ごした人たちです。
 聖書は、神話ではありません。聖書は、歴史的な記録です。イエス様は実在された人物です。イエス様の弟子たちも、実在した人物たちです。イエス様の生涯、十字架、復活は、全て、イスラエルにおいて、それもローマ帝国の支配下で起こった歴史的事実を記録したものです。
 でっちあげとか、作り話ではなく、時のローマ帝国の支配下で起こったこと、それが聖書の記録です。ですから、イエス様がよみがえりは、事実なのです。

 以前にもお話ししたことがあるのですが、イギリスのBBCが、イエス様のよみがえりは誰かのマジックなのか、それとも弟子たちの妄想だったのか、弟子たちが身体を盗んでよみがえったと言いふらしたのか、いろいろな方向から、出来事を検証した番組を制作しました。その結論は、「どのような角度から考えてみても、歴史的に起こった事実を記録したとしか、考えようがない!」という結論でした。人類の歴史の中で、本当によみがえりが起きたのです。

 死んでからよみがえるという事実を、案外、私たちは簡単に考えています。誰かの死に遭遇したことがあると思いますが、案外、死んだ人って穏やかな顔をしています。ですから、呼べば戻ってきそうな気がします。
 しかし、死とは、内側ではものすごい破壊が起こっているのです。不可逆的破壊が体内で起こっているのです。二度と元に戻らない破壊、それが死です。人の細胞は、人が死ぬと、どんどん破壊されて行きます。血液も分離します。イエス様が十字架で亡くなった時、ローマ兵がイエス様の脇腹を槍で刺しました。すると「水が出た」と記録されていますが、あれは、確実に死んでいた証拠です。血液がすでに分離していた事を表します。人は死んだら、不可逆的に細胞は破壊されますから、元に戻ることは自然の法則では、決してありえません。
 死後、三日目に墓からよみがえったとは、超・超・超すごいことなのです。それを目撃した弟子たちは超感動して、この事実を全世界に伝えようとしたわけです。
 「全世界に出て行って、すべての造られた者たちに福音を伝えよ。」という「福音」とは、何かと言ったら、「やがて私たちは死んでも、この地上にもう一度復活する!イエス様はその証拠に、復活第一号となってくださった!」という事であり、その事実を世界中に告げ回ったのです。

 案外、今日のキリスト教会は、「永遠のいのち」を間違って理解しています。なぜなら永遠の命とは、死後のいのちくらいにしか考えていないからです。死んだら天国。地上から抜け出したら、新しい天体があるくらいにしか考えていません。それは本当の永遠の命の理解ではありません。
 あなたは、この地上にもう一度復活するんですよ!と。それが福音であり、その記念日が復活祭です。

 今日、読んでいただきました聖書箇所、リビングバイブルで、分かりやすく読まさせていただきましたが、コリント人への手紙第一、十五章二十節(リビング・バイブル)、

『しかし、事実、キリスト様は死人の中から復活しました。 そして、復活が約束されている何千万何百万もの人の、復活第一号となられたのです。』

 イエス様は、復活が約束されている何千万、何百万人もの復活第一号となられたと。
復活が約束されている何千万何百万もの人たちとは、誰のことでしょうか。そうです。それは私のこと、あなたのことです。その第一号がイエス様だ!というのです。イエス様が復活第一号で、それに続く人たちがいるのです。それが、私たちです。
 復活。それは事実です!”He is Risen Indeed.”とありますが、「実に、イエス様は復活されたのです!これは事実です!」弟子たちはこの事実を人々に告げる為に、世界に出て行きました。
使徒の働き四章三十二節~三十三節、

『信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。』

復活を目撃した弟子たちは、自分の財産なんか、名誉なんか、そんなものはどうでも良くなったのです。すべてを共有にして、イエス様の復活を、非常に力強く証ししたのです。
使徒の働き二章三十二節では弟子たちは次のように語っています。

『神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。』

 イエス様の復活に遭遇した弟子たちは、「復活」という二文字に取りつかれて、「これこそ救いだ!」と、復活の証人として世界に出て行ったことが分かります。
 ヨハネの手紙第一、一章一節~四節に、こんな言葉があります。

『初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。』

 イエス様の弟子たちは、ここで述べられているように、『私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの』とあります。
 初代の弟子たちは、イエス様のことを噂で聞いただけでなく、目で見たのです。それも、ちらっと見たのではなく、「じっと見た」のです。また、手でさわって確かめてみたというのです。よみがえりのイエス様にもお会いして、じっと見て、手でさわって、確認したのです。
 復活の事実を確認した人たちがいるのです。そしてイエス様のよみがえりは、なんと、それに続く、何千万、何百万という、よみがえりを約束されている人たちがいるのです。その第一号がイエス様です。復活、それがキリスト教の告げる最大の救いです。
 地上に再び、二度と死なないからだでよみがえってくるという、「永遠のいのち」を全員、もらわなければいけないのです。今日ここにおられる方々、誰一人として、この永遠のいのちからもれないで、地上によみがえる特権を受け取りましょう。

 今日も、召天者記念会で、懐かしい兄弟姉妹のお顔を、写真ですけれど、拝見させていただきました。地上で楽しいひとときがあったなぁと、いろんな思い出がよみがえって来ました。でも今となっては、シャボン玉のように大きくなってぷちんっと、壊れて消えてしまったかのように感じました。しかし地上で家族が過ごした、最高の瞬間、それ以上の幸せがこの地上で、再び回復するんですよ!と聖書は告げています。
 なにせ、神が地球を造ったのは、この地球を神の国にしようとして創造されたからです。だから地球を回復されないはずがないのです。死んだ後のいのちだけで満足しないでください。この地上に、もう一度帰って来るという復活を、しっかりと中心に据えなければならないのです。

 イエス様がこの地上に帰って来る日は、いつなのか分かりません。それは、父なる神様だけが知っておられます。ですから「何月何日にイエス様が帰って来ますよ!」という噂を聞いても、絶対に信じてはいけません。
 しかし、いろんな前兆はあるから、前兆は捉えながら、私たちはその日が来るのを早めるために、祈らなければならないのです。

 この地上から出て行く時、人はまず二つのグループに分類されます。
 私は先々週までは、ペルーに行っていたのですが、国を出たり、また他の国に入る時って、かならず関所があります。入出国管理があります。みなさんも、出国審査を受けて海外旅行をした経験があるかもしれません。

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 この写真のようにパスポートを持って、出国審査の列に付くわけです。たぶん人が死んだ時も、これと同じような光景に出会うのではないかと思われます。地球から、死後の世界に出て行く、なんらかの書類を手に持たされて、このように列に並ぶわけです。
 その時、思うでしょう。「いや~、世界では、いっぺんに大勢の人たちが死ぬもんだなぁ~」とね。周りの人たちと、いろいろ話すかもしれません。「何で死んだんですか?」「私は突然の交通事故ですよ。」「あなたは?」「私は癌で死にましたよ。」「あなたは何ですか?」「私は心臓病でした。」と、死因はまちまちかもしれませんが、みんな神の係官の前に、自分が持っている書類を提出しなければならないわけです。
 神の係官は、あなたから受けとった書類を開いて、あなたの国籍を確かめます。その国籍次第で、二つの道が用意されるのです。出国すると、たぶん二人のどちらかが、あなたを出迎えに来ているはずです。こんな感じじゃないかと思います。

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 左のほうは、光の天使のお迎えです。もう一方は悪魔の使い、悪霊のお迎えです。どちらかがあなたを出迎えに来るのです。
 さてみなさんの、お迎えはどちらでしょう。光の天使に迎えられたら、復活予定組です。
 しかし、右側のしっぽが尖ったほう、本当にこんな格好かどうかは知りませんが、こちらが迎えに来ていたら、やばいです。復活できない組です。なぜなら悪魔の奴隷ですから。悪魔と一緒に、永遠に過ごさなければいけないのです。
 復活予定者は、神の元で復活を待っている人たちです。今日、召天者記念会で拝見した写真の方々、全員、復活予定組です。主の側で、復活の日を待っているのです。右側の存在がお出迎えに来た人たちは悲惨です。永遠に、この地上に戻ることができないからです。それは、本当の意味で地獄です。
 地獄って、どんなものかよく分からないけれど、二度と地上に戻ることができないのが地獄です。みなさん、どっちがいいですか。宗教とか関係なく、必ず、誰でも出国の列に付きますから、これは現実問題です。
 私はみなさんに預言します。百年以内に、必ず、あなたはこの列につきます。その時、私のメッセージを思い出してくださいね。その時、あなたのお迎えが、右側の赤いのが来ちゃいけません。神からの使いが「あなたをお待ちしてましたよ。」と出迎えてくれたら最高です。そうでなかったら、大変です。
 そのためにはどうしたらいいのか、「イエス・キリストを自分の救い主として信じ、受け入れること」です。使徒の働き四章十二節に、こんな言葉があります。

『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」』

 イエス様によらないでは、復活予定組に入れてもらえないのです。
 イエス・キリストが救い主であり、復活予定組に入れて下さる唯一の名前だと信じたら、お迎えは、必ず、光の天使が来ます。しかしあなたがイエス様を自分の救い主として認めなかったら、お迎えは、右側の角が生え、しっぽが尖ったのが来るかもしれないです。
 これが事実だとしたら、絶対に、復活予定組に入れてほしいです。
 そのための必要は何かといったら、救い主はただ一人。死を打ち破ったイエス・キリストだけだ!と信じる事です。「心で信じて義と認められ、口で告白して救われる!」とありますから、「イエス様が私たちの救い主です!」と告白したら、あなたは救われるのです。すごいですね。一生懸命努力しなさいとか、修業しなさいとか、そういうのではないのです。ただ信じたらいいのです。イエス様意外に救いはない!と。

 みなさんで告白してみましょう。「イエス様が私の救い主です!」と。先ほども「I am free!」と叫びましたが、イエス様が救い主と分かったら、私たちはfree(自由)です。
 では、みなさんで、「イエス様は私の救い主です!」と、大きな声で告白してみましょう!「イエス様は私の救い主です!」もう一度、大きな声で。「イエス様は私の救い主です!」隣の人に宣言してあげてください。「イエス様があなたの救い主です!」、「アーメン!」と、答えてくださいね。

 今日は、ここにおられる方々、良かったですね。お迎えは、必ず、天使が来ます。
 復活予定組ですから、天使があなたを迎えに来ます。ですから、死んだ時、楽しみにしていてくださいね。

 しかし一番いいのは、生きているうちにイエス様が帰って来てくださり、死者たちが復活するのを地上で見ることです。その日を早めるために教会はあり、クリスチャンはその為に祈らなくてはいけないのです。
しかし、復活がうそならば、私たちの信仰は本当にむなしいです。

 使徒パウロは、十二弟子の中には入っていなかったけれど、こんな事を語っています。彼もイエス様と同じ時代に生きた人物です。コリント人への手紙第一、十五章十三節~十九節(リビングバイブル)、

『もし死人の復活がないなら、キリスト様は、今も死んだままのはずです。もしそれが事実なら、私たちが宣べ伝えていることはすべてむだであり、神様に対するあなたがたの信頼もむなしく、価値のない、絶望的なものとなるのです。そして、使徒はみな、うそつきということになります。 なぜなら、「神様はキリスト様を、墓から復活させられた」という私たちの主張は、もし死人の復活がないのなら、当然、うそになるからです。もし死人が復活しないのなら、キリスト様は、今なお死んだまま、ということになります。そして、神様が救ってくださると信じ続けることは、全くばかげており、あなたがたは、今なお有罪宣告を受けたまま、ということになります。また、すでに死んだクリスチャンは、みな、滅んでしまったことになります。もしクリスチャンであることが、この世の生活でしか価値がないのなら、私たちほどみじめな者はありません。』

 復活が嘘ならば、クリスチャンなんかやっている価値は、全くありません。本当にばからしいです。復活が嘘なら、新城教会、今日から解散したほうがいいです。全てやめたほうがいいです。
 でもそれが本当なら、命をかける価値は十分にあるのです。みなさん、イエス様の復活は、それほど重要なことです。イエス様の復活を、案外私たちは軽く捉えてすぎているのかもしれないです。身の回りの生活のことに信仰の中心が向きやすいですが、それではいけないです。イエス様の復活、それは何千万、何百万という、復活予備軍の第一号です。我々はそれに続く者たちだ!この事実をしっかりと捉えなければいけないです。

 コリント人への手紙第一、十五章二十節~二十六節(リビング・バイブル)には、このように記されています。

『しかし、事実、キリスト様は死人の中から復活しました。 そして、復活が約束されている何千万何百万もの人の、復活第一号となられたのです。一人の人〔アダム〕の行為によって、死がこの世に入って来ました。 そして、このもう一人の人〔キリスト〕の行為によって、今や、死人の復活は事実となったのです。人はみな、罪深いアダムの子孫として、その血縁のために、死ななければなりません。 罪のあるところには、その結果として、死もあるのです。 しかし、キリスト様と血縁関係にある者はみな、やがて復活します。ただし、順番があります。 最初にキリスト様が復活なさいました。 次に、キリスト様が帰って来られる時に、彼に属する全員が復活します。そのあとで、終わりが来ます。 その時、キリスト様はあらゆる敵を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。王としてキリスト様が支配なさるのは、敵を全滅させる時までだからです。その敵の中には、最終の敵である死も入っています。 死もまた、打ち破られ、とどめを刺されなければならないのです。』

 パウロは「復活」の二文字がなかったら、信仰はむなしいと語っています。しかし、それが事実ならばすごいことだ!と述べています。私たちは、イエス様の復活という事実の上に、空想ではなく事実の上に、信仰の土台を置いているのです。
 そして復活には順序があると告げています。まず、イエス様が復活。続いて、先に神の元に帰った聖徒たち、その後、その時地上に残っているなら、私たちは栄光のからだに変えられ復活するんだ!と告げています。
 聖書には、必ず、ひな形となるような事柄が最初に出てきます。ひな形という言葉は嫌いだけど、予表となるような事が起きて、その後、本物が出て来るのです。イエス様の復活、聖徒の復活、そして私たちの復活、それはイエス様の十字架の時に、あらかじめ現されたのです。以前にもお話ししたのですが、マタイの福音書二十七章五十節~五十三節(リビング・バイブル)、

『その時、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られました。するとどうでしょう。 神殿の至聖所を仕切っていた幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです。 大地は揺れ動き、岩はくずれました。さらに墓が開いて、生前神を敬う生活を送った人たちが、大ぜい生き返りました。彼らはイエスが復活されたあと、墓を出てエルサレムに入り、多くの人の前に姿を現わしたのです。』

 これが歴史的事実の記録なら、すごいことじゃないですか。
 イエス様が十字架で息を引き取られた時、この事が起こったというのです。神殿の幕が上から下に破れて裂けたのです。

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 その瞬間、何が起こったのか。かつて主を信じていた、敬虔な聖徒たちが、よみがえったというのです。
 しかし、イエス様が墓から復活するまでは、墓にとどまっていたみたいです。イエス様が復活した後、ぞろぞろと敬虔な聖徒たちがよみがえって、エルサレムに入って来たのを目撃した人たちがいるのです。
 これは何を意味するのかと言えば、やがて私たちもそのようになりますよ。幕が破れたとは、誰でも神の所に出入りできるという意味もありますが、前にもお話ししましたように、上から下とは、天と地がくっついたと言うことです。神の国が、この地上に降りて来て、地上を占領する日が来るのです。幕が破れるのです。すると幕の後ろにいる死人たちが、よみがえってくるのです。
 死とは、本当に神秘的だと思います。今まで目の前にいた人が、瞬間的に消えるからです。私は父が死ぬ瞬間を、ネパールからfacetimeの映像で見ました。それまでは確かに息をしていました。呼びかけたら答えていました。「じいちゃん!じいちゃん!」というと、かすかに答えていました。それが、ある瞬間を境に、全く答えなくなりました。幕の後ろに、回転ドアのように去って行った感じがしました。本当に人の死は、神秘的だなぁと思いました。

 前にも話しましたが、最近の科学は、宇宙は目に見える世界だけではなく、さらなる高次元の幕があることを発見しました。また、時に幕が破れる現象も起きることが分かっています。ブラックホールはその一つです。幕が、上から下に向かって破れるとは、まさにそのことではないでしょうか。死者の世界と、生ける者の世界を隔てていた幕が破れて、死者たちが飛び出して来て、イエス様と一緒に都に入って来たのです。
 やがてイエス様が帰って来られるその日のことを、預言的に表しているのです。あなた方はその日を目指し、希望を持って生きていきなさい!ということです。

 まもなくイエス様が帰って来られることを、信じますか?イエス様は、やがて帰って来られるのです。できることなら、私たちが生きている間に、帰って来てほしいなぁと思います。
 親父が、死ぬ前にこう言っていました。まだ病気も、はっきり分からない前に、「俺はたぶん、ばあちゃんよりも早く死ぬと思う。」と。それで、「俺は先に天国で、ばあちゃんが来る準備をして、準備が整ったら天国の門でばあちゃんを迎えるんだ。」と言っていました。
 本当にその通りになってしまいました。まさか、ばあちゃんよりも先に親父が死ぬとは思っていませんでしたから、親父がそんなことを言っても、「何を言ってるんだ!ばあちゃんのほうが早く死ぬぞ!」と思っていましたが、親父のほうが先に死んで行きました。本当にびっくりしました。
 「先に死んで、俺はばあちゃんの歓迎式典を準備する。」とか言っていました。滅多なことは言わんほうがいいと思うのですが、私は近頃、その言葉を思い出して、これじゃいかんと思うのです。
 ばあちゃんは今、九十三歳で、多少ぼけておりますが、逆に、ばあさんが、じいさんが帰って来る歓迎式典をこの地上で準備して、迎えることができたら、そんなすごいことはありませいん。
 死後の世界に入って、天使に迎えられる光景を見るのもいいのかもしれませんが、それ以上に、右側の悪霊をやっつけて、この地上で歓迎式典を用意し、先に天に帰って行った兄弟姉妹を迎えることができたら、そんな素晴らしいことはありません。
 その日を早めなければいけません。それを最も楽しみにしないといけないと思います。
 私は近頃、親父が語った言葉の裏をかけたらすごいな、と思っています。でも、現実には、ばあさん、あんまり長くなさそうなので、なかなか難しそうですが。
主が帰って来られる日は、いつか分からないけれど、今日帰って来られてもいいように、百年後でもいいように、準備し、臨場感を持って待ち望んでいかなければいけないと思います。

 実は、イエス様が帰って来られる前には、前兆があるのです。先ほども、再臨の様子が、十字架の時、幕が破れたりして見せられたのと同じように、イエス様が帰る前にも、いろんな変化が訪れるのです。テモテへの手紙第二、三章一節~五節、

『終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。』

 どうですか?今の社会って、まさにこういう社会じゃないですか。どんどん愛が冷えて、おかしな状況が起きています。時代が、終わりの日に向かっている証拠です。

 ある時、弟子たちが、イエス様の所に来て、終わりの日の前兆について質問しました。それが、マタイの福音書二十四章三節~七節に記されています。

『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。』

 今から二千年前にイエス様が語られた言葉です。終わりの日に起こることは、偽キリストが現れるというのです。キリストとは、救い主という意味ですから、今、どうでしょうか。日本は宗教だらけです。八百万くらい神々がいるそうです。ネパールなんか行きますと、ヒンズー神、一億くらいいますよ。これらの神々、「わしが神だ。わしが救い主だ。わしがキリストだ。」と言っているのと同じです。年々、宗教は増えていて、どれが本物か分からない状況になっています。これは、世の終わりの前兆です。
 「俺がキリストだぞ!」だなんて大言壮語している変な人物も、世界には多くいます。

 『また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。』

 毎日テレビで流されているニュースは、悲しい戦争の噂とか、民族紛争とか、テロだとか、戦いのニュースばかりです。
 人類は、どれだけ殺し合ったら、悲惨さに気づくのでしょうか。戦いをとどめることが出来ません。先週もベルギーで悲惨なテロが起きて、これからどこでテロが起きるのか、分からない状況です。戦争の形態も大きく変わっています。
 国と国はいがみ合い、戦争の背後に、必ず、民族紛争があります。神様は、各民族を作りたいとは思っていないのです。一つに集めたいのです。だから、私たちは民族意識を強く持ってはいけません。神の国に属する者にならなければなりません。いろんな背景があっても、自分は神の国に属する者だ!と、これが救われるために重要な条件です。
 「私はこういう民族だから、誇りがあって。」と、それを第一にしてはいけないのです。あくまでも、神の国に属する民であることを喜ばなければいけないのです。日本人だ!とかいって、変な誇りを持ってはいけません。
 それぞれの国は、それぞれ自分の国を誇りますが、これではいけないです。

 方々にききんだ、地震が起きるとあります。今、どうでしょうか。日本は地震の危機に毎日のようにさらされています。
 「ききん」って、これはちょっと信じられないです。食べ物は、豊富にありますから。ききんが起きるというのは、信じられないな~と思いますが、去年、私が一つのショッキングな話をしまして、それから多くの方の食生活が変わったと聞きます。
この頃の食品には何が入っているのか、食品添加物について知ってしまうと、食べるものがなくなります。現代は、実は「ききん」です。

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 この写真、お見せしたでしょう。すぐ近くの某コンビニから買って来たおにぎりですが、美味しそうでしょう。どうぞ、お食べください。しかし一ヶ月経っております。一ヶ月後のおにぎりの姿です。おにぎりは、腐らないです。私は二ヶ月、放っておきましたが、黒くはなりましたが、溶けることはありませんでした。
 食べ物には、変なものいっぱい入っているらしいです。これを見て、大勢の人たちが、「私はもうコンビニでおにぎりを買って食べるのをやめました。」と言われました。でも、おにぎりだけやめてもしょうがないのです。他のものも、買った時に後ろをよく見て、どんな毒が入っているか確かめて下さい。本当に、ききんです。もう食べるものがありません。今は農薬が多く使われたりして、野菜も変になっています。こんな写真がありました。
こんな大根。

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また、こんな大根。

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こんなイチゴ。

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こんな大根。

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こんな人参。

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 これはちょっと冗談っぽいですが、どうして変形したのか分からないですが、信用できないです。私たちは危機的な世界に住んでいます。ただ気づかない、おめでたい人種みたいなところがあります。この頃、問題になっているのが、これです。

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 マーガリン。アメリカでは二〇一八年までに、全て禁止になります。マーガリンが好きな人、毎日食べている人?
マーガリンにはトランス脂肪酸が入っていて、これは本当に悪いものです。動脈硬化、心臓病、免疫機能がおかしくなったり、認知症になったり、不妊になったり、アレルギーになったり、アトピーになったり、悪影響だらけです。これが今まで野放しになっていたわけです。すでにヨーロッパでは禁止です。
 この頃では、日本でも危ないぞ、と言われています。今まで、うまいうまいと食べて来ました。私の小学校の時代は、給食の時には必ず、マーガリンがついていました。私なんかパンを食べないで、マーガリンだけなめていました。大丈夫かなと思ってしまいます。
 しかし聖書は、『毒を飲んでも決して害を受けず。』とありますから、はっきり言って、このみ言葉を信じて祈るしかないです。
でも一方では、これらは、世の終わりの印みたいなものです。

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 先週、ちょつと話したかな・・・?近々、TPPが批准されますが、すでに日本は署名までしましたが、これ、超やばいです。本当に、祈らないといけないです。国会が批准さえしなければ流れます。今、アメリカの大統領選挙でも、TPPは反対です。みなさんも、絶対に反対してください。これは、どこかの国の利益ではなく、グローバル企業が関わっていて、今日は時間がないから話しませんが、明日からの「霊的戦い専門課程」で、私は何をテーマにするかといったら、「TPP」です。私はそれを勉強してみて、怖くなりました。

 今、日本では、国民皆保険といって、国民全員に健康保険証があって、どこの病院でも自由に医療を受けることが出来ます。日本の国民皆保険制度は、世界最高のものらしいです。しかしやがて、TPPにより、それがなくなるというのです。
 すでに、アメリカは国の医療が民間保険会社によって、乗っ取られています。盲腸を手術するだけでも最低、二百万円、最高では、七百万円くらいかかるそうです。そして保険の免責は六十万円くらいだそうです。日本でもそうなるのです。これは、隠されているのです。
 世界は金を背景に、悪魔、悪霊どもの支配下です。また機会があったら、セミナーでも持たせていただきたいと思いますが、祈らないと大変です。遺伝子組み換え食品は、無表示でどんどん入って来るわ、おかしなものがいっぱい入って来て、国はがんじがらめになります。本当にききんです。
 経済的にも、何もかも、ききんです。世界はこれ以上、生きることができないくらいまで、追い詰められています。知らないのが、おめでたいだけの話です。

 しかしやがてイエス様が帰って来られたら、そういう問題も、全てクリアにされて、主が王となられ、この地を治めて下さるのです。その日が来ることを信じ、期待出来るのはすばらしいです。
 悪魔は汚したいだけ、壊したいだけ、地球を荒らして、地球が神の国にならないように真剣に働いています。しかし、主を信じる者たち、よみがえり予備軍に入っている者たちが、地上で主のお帰りを待ち望み、復活信仰を持つならば、主が、その日を早めてくださるのです。
復活祭というすばらしい日、それは、やがて私たちも復活できる事を示すためにあります。イエス様が復活第一号となってくださったのです。

 最後に、最初に読んでくださった聖書の言葉をお読みして、終わりにしたいと思います。コリント人への手紙第一、十五章二十節(リビング・バイブル)、

『しかし、事実、キリスト様は死人の中から復活しました。 そして、復活が約束されている何千万何百万もの人の、復活第一号となられたのです。』

 次に続くのは、あなたであり、私です!その希望を持って、今日、復活祭を祝いたいと思います。今から聖餐式を持ちますが、これは主が来られるその日までやりなさい!と言われました。今日は、「主よ、帰って来てください!マラナタ!」これを心に刻みながら、「イエス様が復活第一号なら、私を復活第二号にしてください!」と、「もしも御心ならば、地上であなたの歓迎式典を準備することができますように!」と祈って、この聖餐に預かりたいと思います。一言祈ります。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめ、心から感謝します。主が帰って来られる日まで、聖餐を続けなさいと言われましたから、私たちは今日も行います。
 主よ、私たちは、あなたが帰って来られる歓迎式典を、この地上で準備したいです。先に、主の元に召されていった兄弟姉妹の歓迎式典を、私たちはこの地上で準備したいです。その準備をさせてください。
 復活第一号となったイエス様、私たちを第二号としてくださり、それに続く者とされていますから、心から感謝をいたします。
 今日は、イエス様が帰って来る日を早めていただきたいという、強い願いを持って、また主の歓迎式典の一環として、聖餐式を持ちます。備えられたパンとぶどうのジュースを祝福してください。よみがえりのイエス様と一つとなる、そのような時とならせてください。この時を心から感謝して、イエス様の御名によって、祝福して祈ります。アーメン。