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『主の恵みの年を告げ知らせよう!』

2016年4月24日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書4章14節~21節

『イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。共に礼拝を守ることができますことを感謝します。今日はいい天気になり、さわやかな日です。今もOne way boysの、さわやかな歌声を聞くことができました。しかし、ボーカルのさんと君も、大学生になりました。「いつでもイエスがいるから、悪魔にも勝つことができる」と、すばらしい歌でしたね。

 この頃、孫ネタが多いのですが、先週、孫のえりぃの話をして、彼のことを五歳と言いました。すると後から彼が来て、「じいじ、俺、四歳。」と言いました。彼はまだ四歳みたいです。彼も一生懸命、「イエスさま、僕を助けてください!」と祈ったようです。けれども先週、子ども園に行って、また、泣いちゃったらしいのです。私は彼に聞きました。「ちゃんと祈らなかったのか?」と。すると『祈ったけど駄目だった。』と言うのです。「どうして?」と聞いたら、彼は『イエスさまが、今は忙しいって言われた。』と答えました。彼は変な言い訳をしておりましたが、イエス様は、いつでも私たちを助けてくださるお方です。

 少し、お知らせとお願いがあります。今日はギデオン協会の聖書献金があります。是非とも協力してください。ギデオン協会は、世界的な組織です。今日は、日本本部の全国会計をされている近藤さんが来てくださいました。今回はいつもよりもがんばって献金してくださいね。祝福されますから。

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 そして、今週は教会の遠足があり、地引き網です。これ、絶対に楽しいですから参加してくださいね。この頃やっていないので、お願いしたらできることになりました。

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 そして、五月の連休のPPHは、なんと、「まぐろの解体ショー」があります!今回、地引き網で、そのためのマグロを取ってこないといけないのです。というのは冗談ですが。

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 韓国からも先生方が来て下さり、すばらしいメッセージを取り次いでくださいます。期待してください。

 そして今日の午後から、新しい企画が始まります。毎年、山崎ランサム先生から、聖書の深い学びをさせていただいていますが、学びというと、あんまり好きじゃないという人も、中にはおられるかも知れないので、学びを少しカジュアルにしまして「神学カフェ」という名称にしました。神学とつくと、さらに堅くなったかもしれませんが、でも神学って、すごく大事なのです。「俺は、神学なんか嫌いだ!」という人がいたら、それがあなたの神学です。実は、誰でも神学を持っているのです。ですから、ちゃんとした聖書の枠組みを知らないと、変な方向に行く危険性があります。最新の神学をカジュアルに、世界的な神学者、山崎ランサム先生から聞けるのは、すごいですよ。彼は、世界的にも優れた神学者ですから、是非、お聞きになっていただきたいと思います。

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 山崎ランサム先生が、この度、DVDを出しました。「なるほど!聖書」というタイトルです。これで聖書のことがよく分かります。それに、ちょっとあやかって、私も霊的戦いのDVDを作らせていただきました。よろしければ、ご覧ください。

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 熊本で地震があり、なかなか大変みたいです。先週は、新城教会から、少し物資を届けさせていただきました。

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 いつも被災地に一番乗りする人物がいるのですが、その人たちに行ってもらいました。
 高森の菅原先生の所に届けさせていただきました。
 近くの人たちが教会に来て、キャンプしているみたいです。

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 阿蘇山も噴火ぎみです。日本の守りのために、真剣に祈らなければいけない時です。明日は我が身かもしれません。

 昨日、NHKスペシャルを見ましたら、日本の地下は今まで考えられていた以上に、プレートが複雑な事が分かったというのです。GPSで大地の動きを詳細に測定して、地下の構造が新しく判明したというのです。
 細分化されたプレートを見て、結構安全に見えたのが新城市でした。「なんだ!今まで言われて来た事とはちがうぞ。」と思いました。実際にはそれも分かりませんが、人間ではどうにもならないことって多くあります。

今日は、「主の恵みの年を告げ知らせよう!」というタイトルで学んでいきたいと願います。今、読んでいただきました聖書の箇所は、大変有名な箇所です。イエス様がご自分が育ったナザレという村に行き、『いつものように安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。』とあります。
『いつもの通り、会堂に入った。』私たちも、教会に来ることが「いつも通り」と言えたら素晴らしいです。イエス様も、会堂に入る事が習慣化していたように、私たちもそうなりたいですね。
 その時、預言者イザヤの書が手渡されたのです。今日は、ギデオン協会の方々が聖書配布のアピールをしてくださいますが、聖書は今は本ですが、昔は、巻物でした。
 私が聞いた所によると、イザヤ書の巻物は七メートルくらいあったそうです。今は章とか節がついていますが、昔はついていませんでした。イザヤ書六十一章一節から三節はかなり後半です。この箇所を見つけて『「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」』と宣言されたのです。

 私たちは、今、聖書を簡単に開くことが出来ます。この頃では、聖書は、iPhoneでも開けます。私も目が悪くなって、iPhoneのほうがずっと読みやすいです。iPhoneでポイントを上げて、大きくして読むことがよくあるのですが、昔は巻物で重かったと思います。巻物の後半の「この箇所が実現しましたよ!」と言われたのは、相当、重要な箇所だということですね。

 イザヤ書六十一章を開いて読んでみたいと思います。しかし今は開かなくても、ここに出ます。聖書の世界も技術革新が起こっています。イザヤ書六十一章一節~三節、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』

 イザヤは、イエス様が生まれる七百年も前の人物です。その人物が語った預言が、イエス様によって実現したのです。
 イザヤ書六十一章と、ルカの四章は、私たちにとってもたいへん重要です。

 『貧しい人々に福音を伝えるように』が、イザヤ書においては、『貧しい者に良い知らせを伝え』となっています。福音とは何か、それは「良い知らせ」です。
 この頃、日本で聞く知らせは、良い知らせはほとんどないですね。悪い知らせばかりです。しかし、教会で告げられる知らせは、良い知らせです。毎週、教会に来て、良い知らせを聞いて、一週間を始めることができたら、どんなに幸せでしょうか。
 最初の良い知らせは、『心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』と告げられています。イザヤが語った「わたし」とは、イエス様の事でした。イエス様がこの世に来て、伝えたい知らせは、「あなたの心の傷を癒してあげますよ!」ということです。
 心の傷って、レントゲンにも写りません。見ることもできません。しかし、実際に存在します。「あなたの心の傷は?」と言われたら、心が痛くなります。「私には傷がある。」ってね。心の傷って、そう簡単には治らないみたいです。精神学者や心理学者たちを養成して、なんとか心の傷を癒そうと研究していますが、どうも人間の手の届くような所になくて、深い所にあるみたいです。
 
以前にもお話ししたことがあるのですが、ある精神医学者によると、人間には、心にブレーカーのようなものがあるというのです。電気を使い過ぎたらブレーカーが飛んで、電化製品が全く使い物にならなくなるのと同じように、自分では、どうにもできない事件に遭遇すると、心のブレーカーが落ちて、優れた神の作品が、全く使い物にならなくなってしまうのです。
 しかし、ブレーカーは、人の手に届くような場所になくて、深い所にあるのです。しかし、イエス様は地の最も深い所に下ってくださったお方ですから、私たちの心の傷を癒してくださるのです。

 結構昔になるのですが、アフリカのケニアに行ったことがあります。近藤さんの息子さんは、現在、エチオピアで仕事をされていると聞きましたが、アフリカすごい所です。
 私は小学生の頃、夢がありました。社会科の時に地図帳を開いて、地図帳の真ん中に、「赤道」といういう赤い線があるのを見て、一生のうちに一度は赤道を見てみたい!という夢でした。ケニアにトルカナ地方という場所があり、かつて大飢饉があって、そこに物資を運ぶ仕事がありました。田中政男先生が、私に「おい、順。一緒に行こう。」と誘ってくれたので行きました。まさしく、赤道直下でした。
 トルカナ地方の赤道直下に着き、すぐに車から下りて、空を見上げました。すごかったです!!真っ赤な太い線が、ずーーーーーーっと、果てしなく続いているのかどうか、みなさんも自分の目で確かめてください。そこに行ったら暑いのなんの、極度に乾燥していました。遠くのほうから、砂埃の塊が近づいて来ました。竜巻かなと思ったら、あっという間に砂煙の中に包まれてしまいました。そうしたら、その中に子どもたちが大勢いました。煙が静まると、無数の手が私たちの周りにありました。「なんかくれ!」と言いました。子どもたちの歓迎、ちょっとショッキングだったのですが、私たちは物資を持って行ったので、良い関係にならなくてはいけないと思い、彼らといろいろ話しました。
 「どこに住んでいるの?」と聞いたら、彼らが言うのです。『毎日寝る場所が変わるから!』と言うのです。「えっ!毎日寝る場所が変わるの?」彼らはストリートチルドレンという子どもたちでした。「君たちのお父さんやお母さんは?」と聞くと、『とっくの昔に死んじまったよ。知らねぇ!』とか言って、あっけらかんとしているのです。私は、「すごいな、この子どもたち。俺たちよりずっと強い。」と思いました。
 しかし二、三日その場所に滞在して、わかりました。「こいつらは強いんじゃない。」
どうにもならない飢饉と両親の死に遭遇して、心のブレーカーが落ちているだけである事が分かりました。この子たちが大きくなったら、相当、大変な社会になるだろうなと思いました。
 すでに、いろいろな問題が社会にありました。誰にも、そのような心の傷を癒す事はできません。その日のパンを上げたとしても、心の傷の癒しにはならないです。

 熊本で大きな地震があって、人々の心が傷ついていると言われています。ただのボランティアとして、物資を持って行っても、何もならないです。すぐに忘れてしまいます。私たちが持って行かなければなららいのは、根本的には、良い知らせ「福音」です。イエス様を紹介しないといけないのです。イエス様のみが、心の傷を癒してくださるお方です。
 ここにおられるほとんどの方が、クリスチャンであると思いますが、すでに癒しを体験したと思います。また、体験しつつあると思います。
 教会に来られる以前は、いろんな問題があって、押しつぶされそうで、涙と共に来られるケースが多いですが、みんな元気になります。今日の賛美も元気良かったですが、癒されている証拠です。
 人間って、上を見ればキリがないので、クリスチャンでも「まだ私は癒されていない!」なんて言う人がいますが、誰かに自分について聞いてみてください。必ず、変わっています。なぜなら、イエス様が心の傷の癒し主だからです。これは良い知らせです。
続いて、何と記されているかというと、

『主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。』イザヤは『捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、』と述べています。
 「良い知らせ」とは何かというと、一口でいえば「解放」です。束縛から解放される!ということが良い知らせです。
 「主の恵みの年。我々の神の復讐の日。」とは何でしょうか。福音とは、主の恵み年の宣言なのです。

 『主の恵みの年を告げ知らせるために。』という言葉がでてきます。この原点にどの様な概念があるのでしょうか。聖書は、ユダヤ人の間で書かれた書物ですから、ユダヤ人の生活・文化を知らないと、理解できません。聖書を全て現代風に読むと危険です。自分の人生経験にキリスト教フレーバーをふりかけると、おかしな方向に走りやすいのです。聖書を詳しく学び、真理をしっかりと掴むことが大切です。
「主の恵みの年」とは何か、それはユダヤ人が守っていた、一つの年を意味します。

 神が、天と地を造られた時、六日間で天地を造られ、七日目は休まれたとあります。六日間仕事をして、七日目に休む一週間七日制は、聖書から出ています。日本でも一週間、七日制ですが、人は、このサイクルを崩すとおかしくなるそうです。かつて第一次世界大戦の後に、ヨーロッパで、「七日は区切りが悪いから、十日にしよう!」と十日にしたら、うまくいかなかったらしいです。みんな身体がおかしくなって、元に戻したらしいです。
 日曜日に教会に来て、主を礼拝するのは、全てにおいて重要なことです。モーセの律法の中で、六日間働いて、七日目を聖なる日にするように教えられています。出エジプト記二十章八節~十一節、

『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──』

六日間仕事をしたら七日目は神を礼拝するサイクルは、本当に、重要なことです。そしてこれが、「主の恵みの年」と関わっています。

 「七」という数字は、神の数字だと言われますが、この数は、ただ単に一週間だけでなく、「七年」というスパンもあります。六年間働いて一年休むという概念も聖書にあります。それが実行されたら素晴らしいなぁと思うのですが。
 しかし、六年間働いたら一年休むのは、農耕、収穫です。田んぼや畑も、作物を作り続けると、だんだん土地が痩せて作物が取れなくなります。
 神様はすごいですね。六年間収穫したら、一年間放っておけというのです。そうすると、ちゃんと作物ができるのです。そして、この七年目を「安息の年」と呼びます。
 今でも、イスラエルに行きますと、安息の年は守られているらしく、七年目は農作物を作らないで、輸入するそうです。街路樹も六年目にカットして七年目は放っておくらしいです。
さらに七年区切りだけでなく、レビ記二十五章八節、

『あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。』

とあります。さらに四十九年経ったら、次の五十年目は特別な年なのです。この五十年目を、「ヨベルの年」と呼びます。それは安息年とは違った事柄が付け加えられています。
 「恵みの年」とは、「ヨベルの年」のことです。ヨベルの年は、今までとは違ったスペシャルな年です。

 一つは、「土地は元の所有者に戻る。」
土地を売買したことがあるかもしれませんが、イスラエルでは、特に農地ですが、最長、四十九年しか保有することはできません。五十年目には元の所有者に戻すのです。所有者がお金に困って、自分の土地を手放しても、五十年目には手元に戻ってくるのです。いいですね。ヨベルの年にはこんな制度が加えられるのです。

 次に「奴隷は自由の身になる。」
当時は、奴隷制度があったのですが、ヨベルの年には、奴隷も自由の身になったわけです。ヨベルとは、角笛を吹くことです。五十年目になると、イスラエルでは角笛が響き渡りました。
 そうすると、経済的に困って土地を失った人は、「やったー!」と叫びます。土地が戻って来ますから。
 奴隷になったら、一生苦しまなければならないけれど、自由の身になるのです。

 そして三番目。もう一つすばらしい特典があります。現代を生きる私たちに、この制度があったらいいと思います。それは、「借金は全て帳消し。」です。
借金がある人はいますか?ヨベルの年になったら、借金は全て帳消しです。こんな制度があったら、最高です。
この「恵みの年」が、イエス様によって「実現しました!」と宣言されたのです。
そこには、どういう意味があるのでしょう。それは、「人生はやり直せる!」ということです。すべてを失っても、人生をリセットしてやり直せますよ!というメッセージです。

 「恵みの年」の意味を知ると、「本当に良い知らせじゃないか!」と分かるわけです。
 人生はやり直せるのです。イエス様と一緒に歩むなら、人生はやり直せます!経済的に大変でも、回復されますよ!と。また、何かの奴隷になって苦しんでいる人も解放されます!霊的な借金もちゃらになるのです。すごい事じゃないですか。

 しかし実際、ヨベルの年が、何のためにあったのかについて調べたのですが、ヨベルの年の中心概念は、「富が少数に集中しないようにするための制度」となっていました。
 実は今、私たちは、狂った世界に生きています。本来、富は分散させなければ世界は幸せになりません。けれども、世界の富はどの様になっているのかというと、

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 二〇一六年、世界はたった一パーセントの人たちが、世界の富の半分を所有するようになるというのです。
 富が極度に一部に集中しているのです。ヨベルの年は、富が一部に集中しないための制度ですが、その逆の現象が起こっています。
 現代社会は、世界人口の一パーセントの超富裕層が握っているというのです。一度、富を持つ魅力に取り憑かれると、その欲望は際限無く広がり、飽くことを知らないのです。なぜならその後ろに悪魔・悪霊どもがいるからです。
 経済の中に悪魔・悪霊どもがいることは理解できますが、具体的にどこで働いているかというと、「富を一部に集中させる」という概念の中に働いています。

 教会に来ると、献金があります。これは、富を集中させるのではなく、ばらまく働きです。献金して損したなぁ!と、思うかもしれない…、そんな人はいないかもしれませんが、これは、集中させるのではなく、逆の作用です。霊的戦いの領域において、献金は、最も激しい戦いの領域です。またそれが同時に、最も強い敵をやっつける方法だと思うのです。
 今日、特に、ギデオンの働きのために献金します。誰が聖書を受け取るのか分からないですよね。しかし知らない人のために、富を神様のために分散し、神の国の働きの為に手渡すのです。
 献金は、考える以上に大きな霊的戦いです。

 世界では、富が一部に集中する現象が猛烈に加速しています。その背後に悪の力が強く働いています。
 この頃、皆さんの勤めている会社は、どんな感じでしょうか?たぶん合併がくり返されているんじゃないでしょうか?合併とは何かというと、富を集中させる働きです。
会社って、誰のものか考えたことありますか。日本人の多くは「会社は社員のものだ」と考えているかもしれません。しかし、今の世界のスタンダードは、会社は、社員のものでも、社長のものでもないのです。「株主至上主義」と言って、会社は大株主のものです。大株主が背後で会社を操作して、富をかき集めているのです。
 近頃、正規社員が少なくなり、非正規の派遣社員に変わっています。誰からの影響かといったら、一パーセント富裕層からの圧力です。来週は、午後から経済に関する霊的戦いセミナー行います。是非とも、祈っていただきたいと思います。
イエス様がこの地上に来てくださったのは、平等な世界の実現のためでもあります。

良い知らせとは、ヨベルの年です。一部の人が土地を持っていたのが、元に戻され、借金で苦しんでいる人たちの借金がちゃらになり、奴隷を使い不正な利益をあげていた人たちの奴隷が解放されたのです。ヨベルの年は、富が一部に集中することを防ぐ、神の知恵だというのです。
 私たちクリスチャンは、聖書の概念に生きなければなりません。現在、一部の超富裕層に富が集中していますが、ヨベルの年の解放を祈らなければなりません。

 現在のイスラエル、ヨベルの年だけは守っていないらしいです。なぜなら、これを本当に実行したら大変なことになるからです。「ヨベルの年がいつから始まったのか分からないから。」という理由らしいです。一応、ヨベル基金というのはあるらしいです。

 ヨベルの年は、いつから始まったのかといったら、イスラエルがカナンの地に入ってから四十九年後に、ヨベルの年があったはずです。
 ヨベルの年はイエス様によってすでに完成していますが、カナン地にイスラエルが入って、現代はどのくらい時間が経っているのか、私は考えたことがありませんでした。それでちょっと、調べてみました。

 ある年代学者によると、カナン入国はBC一四五六年です。BCはBefore Christ。ユダヤ人はBCは使いませんが、ヨベルの年はBC一三六七年じゃないかという説があります。
 そうすると、七十回目のヨベルの年が「二〇一五年」になります。
 チョット、こじつけという気もしないでもないですが、今の時代近辺にあることは確かのようです。私たちは西暦を使いますが、聖書暦は太陰暦です。
 イスラエルの暦で、二〇一五年は、いつから始まるかというと、二〇一五年の九月からです。そうすると、二〇一六年が始まるのは、二〇一六年九月からです。
 ということは、もしかしたら、今が、七十回目のヨベルの年かも知れません。私たちはすごい時代に生きているのかもしれないのです。
 ヨベルの年は、最終的には、イエス様が帰って来られて実現するものです。土地は主のものになります。真の意味で、奴隷が解放されます。主が王となって、公平に生きることができるようになります。真の意味でのヨベルの年は、イエス様の再臨です。しかし、主の日はいつなのか、誰にもわかりません。
 しかし、イエス様により、ヨベルの年は、すでに成就しているのです。第二コリント六章二節、

『神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。』

 私たちにとって、毎日がヨベルの日です。「イエス様!私を救ってください!」と、主の前に出たら、必ず、救ってくださるのです。私たちは、ヨベルの日の中に、毎日生きています。
 このすばらしい良い知らせを、世界中に伝えましょう。一言お祈りします。

 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて、心から感謝をします。今、私たちは、主の恵みの年を生きていることを感謝します。
 あなたの良い知らせを心から感謝します。
 今日、ここにおられるすべての心の傷が癒され、ヨベルの年が、今日、一人一人に宣言されますように。イエス様の御名を通して、感謝して祈ります。アーメン。