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『ここは天の門だ!パート3』

2016年11月27(日)
新城教会主任牧師 滝元順
創世記28章16節〜22節

『ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」』

 ハレルヤ!おはようございます。今日は十一月最後の日曜日です。今週から十二月になります。本当に、あっという間の一年ですが、十二月になりますと、クリスマスの季節です。クリスマスには多くのクリスマス集会がありまして、すばらしい伝道の機会となります。是非とも多くの方にご案内をいただきたいと、願っています。

 毎日曜日、教会で学んでいることは、イスラエルのことばかりです。遠く離れたイスラエルのことを、日本で学んでいるわけですね。
 しかし、イスラエルの文化、習慣とか、あまり深く知られていません。やはり、イスラエルについて、よく知ってから、聖書のみ言葉も学ぶべきです。百聞は一見にという言葉もありますが、現地を見ますと、今まで気づかなかったことに多く気づかされます。ざわめきイスラエル賛美ツアーの報告を、よろしくお願いしたいと思います。

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<<滝元開師>>

 ハレルヤ!感謝します。みなさんのお祈りに支えられて、イスラエルざわめきツアー、無事に終えることが出来ました事を、心から感謝します。賛美で巡るイスラエルツアーということで、今回は、「イエス様の帰られる道を備えるように」ということを示してくださって、賛美でイスラエルを回ってきました。イスラエルの地図、ご存じだと思いますが、ベングリオン空港に降りたって、そこから一周したツアーでした。大きな恵みの中で行われたことを感謝します。
 行く先々で賛美し、バスの中でも賛美し、賛美の中にある祝福を信じて、イエス様が帰られる道が備えられる!と信じて、歌い続けて参りました。写真をご覧いただきたいと思います。

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 これは、カイザリアです。ここから始まりました。今回、総勢二十九名で行きました。
 六年前のザワメキツアーは十一名だったのですが、今回は二十九名で、ツアーが行われ喜び溢れたツアーでした。

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 これはガリラヤ湖にあるアルメル山という所で、本当に綺麗な所で力いっぱい賛美しました。いろんな教会から来られていたのですが、壁なく賛美できて、すごく感謝でした。ずっとザワメキばかり歌うものですから、みなさん大丈夫かなと、ちょっとだけ心配したのですが、みなさん喜んでくださって感謝でした。

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 上は七十四歳、下は十八歳という、かなり年齢層が幅広い中だったのですが、教団教派の壁もなく、年齢の壁もなく、ある時は、こうして躍って叫んで、賛美の中で、「この国が変えられるように!」と、その事しか言ってなかったですが、どこに行っても賛美しました。

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 これはゲラサです。ゲラサの山に登って、みんなで賛美し、「この地から追い出さないでください!」と言った、イエス様を受け入れさせないサタンの力が砕かれるように祈りました。

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 日曜日の礼拝を、ガリラヤ湖の湖畔で行いました。大きな恵みの中で、イエス様が来てくださった、そんな礼拝でした。

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 いろんな教団・教派から初めてお会いする方ばかりで、フェルナンド先生夫妻も行ってくださったので、いろんな方がいらっしゃる中だったのですが、みなさん、ご覧のように手を挙げて、一つとなって賛美できたことを心から感謝します。

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 これはハロデの泉ですが、「角笛を吹き鳴らせ」を歌いました。一人の牧師先生が、角笛を買って来られ、高らかに吹き鳴らし、勇士であることを宣言して大きな恵みでした。

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 これは死海で真水が出ていて、魚がいるという所なのですが、そこで賛美しました。一緒にイスラエルの人たちも参加できて良かったです。

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 これは、エンゲディのダビデの滝という所ですが、今回、不思議と、イスラエルの子どもたちと多く出会いました。いろんな所で、子どもたちがいっぱい写っているのですが、行く先々で、こういった交わりが与えられて、一緒に歌うと、みんな躍るのです。「ダンシング!ダンシング!」と、イスラエルの子どもたちから、あといろんな国々の人たちも、賛美の輪に加わって、国境、国、言葉を超えて、一つになることを見ました。この中にも主の大きな計画があると思いました。

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 一瞬だけ、ほぼ全員、死海に浮かびました。みなさんすごいパワーがあって、結構お歳の方が多かったのですが、ちゃんと水着を持って来られて、「浮くときは浮く!」と言って浮いて喜んでおられました。

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 「やっぱ祈りやねん!」を着て来てくださった、二人の熊本からの方々です。これは、ツィンの荒野という、イスラエルの民が荒野を旅した時の場所に行ったのですが、絶景でした。そんな所でも賛美できて、イスラエルの民が歌った場所で賛美する事ができ、本当に感謝でした。

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 ここにはベングリオンの墓があって、現代の土台が据えられた場所でもあるので、そのためにも祈って賛美しました。この方はドライバーさんですが、熱いコーヒーを自分でたてて振る舞ってくれました。イサクさんという方ですが、すごく気さくな方で、「ダンシング」も、「ダビデの子にホザナ」もおぼえて、自分でマイクを取って、「ダンシング!ダンシング!」と歌いながら、ハンドルを取っておりました。すごく楽しい方でした。

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 これは向こうの軍隊です。軍隊の研修中だったと思うのですが、ダンシングに入って来て、一緒に躍りました。でも、上官からちょっと怒られて、連れて行かれておりました。

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 そしてまた歌っていると、違う国の方々が入って来るのです。そして我が物顔で、真ん中で躍っている。普通、なかなかありえない光景ですが、賛美の祝福でした。

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 そしてその後に行ったのが、アブラハムが住んでいたベェル・シェバでの賛美。これはイスラエルの土台となった人たちが住んでいた場所での賛美でした。二つの土台に対する賛美ができて、よかったです。

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 これはエラの谷です。ダビデとゴリアテの戦いの場所ですが、よく見ると、みんな石を持っています。石が投げられたりしていますが、自分たちはダビデだ!と、みんなで、ゴリアテを打ちのめせ!と力いっぱい賛美をしました。

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 そして、エルサレムに上りました。今回は、金のドームがある神殿の丘にも入ることができました。何年か前から、ここには入られなかったのですが、この上に立って、祈って、とりなしをすることができて、以前は神殿があったわけですが、再び主が帰って来られるように賛美しました。

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 嘆きの壁の前の記念撮影だったのですが、どういうわけかインド人のおっちゃんが入って来て、「僕も一緒に撮ってくれ」となりました。これはダビデの街での写真の一枚です。

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 こういった修学旅行みたいな少年たちがたくさんいるのです。これも、勉強中なのですが、勉強そっちのけで、一緒に楽しい交わりをさせていただいたりして、こういった地元のユダヤ人の子たちとの交わりが、今回多く与えられたのは、不思議だなと思いながら、これも主の計画であったと信じております。

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 これはイスラエルの旧市街の中、一週間前、順先生たちのツアーも行った場所で、順先生から聞いた場所です。ヴィア・ドロローサの第四ステージの所にある場所です。なかなか普通、旧市街では歌えないのですが、ホテルの上で、「ここなら歌える!」と教えていただいて、賛美することができて、本当によかったです。なかなか歌えない場所で歌うことができて、よく見ると、日本人じゃない方々も後ろで手を挙げたりしているのですが、いつしか、賛美の中に入ってくださって、すばらしい恵みでした。エルサレムの真ん中で賛美できたことを、本当に心から感謝します。

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 これはベテスダの池です。池の水が回ったという所ですが、主の癒やしの御業がここから流れるようにと、賛美し感謝な時でした。

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 ところどころ、こういった方々がおられます。本物の銃を持って、緊張感はやはりあるのですが、この人たちが黄金の門、普通、なかなか入れないのですが、そこに入っていいよと言われて、入りました。

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 アラブ人の方々の墓地がある所だったのですが、ここでも祈ることができて、イエス様が帰られる時に、この門が開かれて、通られるという場所ですが、この場所での祈りもすごく良かったです。

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 そして、オリーブ山からエルサレムを見ながらの賛美の時、本当に大きな喜びの賛美でした。

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 皆さんに躍っていただきました。よく教会で、「おどリーダー」というのを立てて賛美しますが、七十四歳のおじいちゃんも出た途端、「へい!へい!」と叫んで踊っていました。みなさん喜びに溢れて、これは次の日ですが、また違う国の方々が突然入って来て、一緒に躍ることが随所でありました。主の御業でした。

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 園の墓では、聖餐式もすることができて、大きなイエス様の愛をもう一度、じんわりと感じることができる恵みの時でした。

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 そして、帰りの日ですが、エマオです。イエス様がよみがえられた後、エマオに行く途上で二人の弟子たちに現れたという所で、後からその弟子たちが、「私たちの心は内に燃えていたではないか!」と言った場所です。そこでみんなで最後に「油のそそぎを」を叫んで、燃え続けてリバイバルのために戦いましょう!と一緒に歌って祈ることができて感謝でした。

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 最後の終着地がヤッファという所で、海沿いです。ヤッファに来たので、「やっぱ祈りやねん!」を歌いましょう!と言って、「ヤッファ祈りやねん!」と歌いましたが、歌っていたら、最後のダンシングを歌った後に、ユダヤ人の警察官の人たちが入って来ました。普通ではありえないのですが、ユダヤ人の警察官の女性たちが一緒に躍ったという、そんなことがあって、これは神様のなにか大きなご計画が賛美の中で行われたんだなということを、最後の最後に確認した時でした。

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 これは空港ですが、ガイドの邦子さんという方と、石堂先生というイスラエル在住の記者ですが、その方も一緒に同行してくださって、大きな恵みのツアーとなったことを、心から感謝します。みなさんのお祈りに支えられて、賛美のツアーが祝福されたことを、心から感謝します。主に栄光をお返しします!ハレルヤ!

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 実は、今日、読ませていただいた聖書の箇所とタイトルは、「ここは天の門だ!」付けさせていただいたのですが、「パート三」です。「えっ?パート一と二はどこにあったの?」と言うかもしれませんが、二〇一二年、四月と五月に、パート一と、二をお話ししました。

創世記二十八章十六節〜二十節、

『ヤコブは眠りからさめて、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。』

 聖書の舞台は、ほとんど砂漠の真ん中です。イスラエルの原点は、アブラハムという人物ですが、アブラハムに、約束の子、イサクが生まれて、イサクはリベカと結婚して、双子が生まれました。それがヤコブとエサウという二人の息子でした。
 どこの家でもそうですが、お父さんとうまが合う子と、お母さんと合う子に分かれます。イサクの家も同じで、ヤコブは家の中で過ごすことが好きで、母派でしたが、エサウは野山に出て行って獣を捕ったりする、元気のいい少年で父派でした。
 イスラエルにおいては、長男が土地、財産を受け継ぐ、日本もそういう傾向がありますが習慣がありました。双子でもエサウが長男でした。ですから、本来はエサウが祝福を受け継ぐ権利を持っていたのですが、ヤコブが横取りしてしまったわけです。その結果、兄弟でもめて、エサウはヤコブを殺そうとしたのです。
 当時イサク一家は、ベエル・シェバという場所、ザワメキチームが行った場所ですが、に住んでいたのですが、お母さんのリベカは、子どもたちが殺し合いになったらたいへんだと、ヤコブを自分の兄が住んでいるハランにこっそり逃がすわけです。お母さんが良かれと思ってやったことがおかしくなって、ヤコブは見たこともない場所に移住しなければならなくなりました。それでヤコブは傷心の旅をしていくわけです。荒野を旅して行ったわけです。
 ハランは、先ほどの地図のずっと北です。ですから、旅は何日もかかったはずです。当時はホテルもないし、水もないし、食べ物屋もない中、旅するのは命がけでした。
 ある日のこと、ルズという場所に来て、一夜を明かすことになりました。なんと、枕は石だったのです。石を枕にして、ヤコブは眠ったというのです。すると、その晩、夢を見たのです。

 ちょっと話は変わるのですが、今日、みなさんのお手元に、「Nepal Dancing&Praise 2017 Spring」という案内が届いていると思います。「先日、ネパールが終わったと思ったらまたかよ!」というかもしれませんが、二〇一七年は、たった六日間という、短期決戦でネパール宣教をやることになりました。なぜ四月にしたかというと、八月は雨季で、天候との戦いです。しかし四月は乾季で、雨は一滴も降りません。だから、移動もスムーズで危険も少ないからです。今までとは違って、韓国経由で大韓航空で移動します。短い時間で到達でき、しっかり活動して帰ることが出来ます。チェパン族の所でも奉仕をさせていただきます。ネパールの山に行きますと、ヤコブが石を枕にして眠った心境を、ちょっぴり体験出来ます。

 日本人は快適な所に暮らしていますから、砂漠の民とか、山の民が毎晩、どのように夜を明かしているのか、あまり分かっていません。ヤコブは砂漠で石を枕にして寝ていたというのです。枕は石だし、将来も全く見えない。向かう先は、ハランという、波瀾万丈の人生の幕開けみたいな気分であったと思われます。なんの希望もなく、夜を過ごしたと思うのですが、そんな時に不思議な夢を見たのです。
 それが、創世記二十八章に記されているのですが、創世記二十八章十節〜十二節、

『ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。』

 時々、夢って見ますよね。だいたい夢って、支離滅裂というか、関係のない事柄がいっぱいつながって出て終わることが多いのですが、夢って、本当に不思議な現象だと思います。夢の中は非現実ですが、自分では現実そのものです。別に夢の中に肉体があるわけではないし、何もないはずですが、夢は現実の世界と同じ感覚で存在します。
 そして、夢の世界は、過去も現在も未来も、全て一緒に存在します。時には、過去の人も共に活動します。死んだ人と一緒になったりするわけです。「あれ?うちのじいさん、生きてるじゃん!」なんてね。夢って不思議です。夢は時間も、空間も超えます。
 聖書を見ますと、ある意味、夢は霊的な世界との、つなぎ役みたいに記されています。聖書が成立する以前、神は夢を通して語られた部分もあります。

 「この夢は絶対に覚えているぞ!」と思っていても、昼くらいになると、「あれ?なんだっけ?」と、忘れることが多いのですが、忘れられない、心に重くのしかかる夢は、祈りでカバーする必要があるのではないかと思います。
 なぜなら、夢の中は神様も働くし、悪霊どもも働くからです。偽預言者の夢に注意せよとか、彼らの夢に騙されるな!という記述もありますから、夢ってある意味で、霊的戦いの領域ではないかと思われます。
 しかし今の時代、夢判断に頼ったら、おかしな方向に行きますから、気をつけなければいけません。

 ヤコブは不思議な夢を見たわけです。天から地に、はしごが伸びて、そこを天使たちが上り下りしているような夢でした。
 そして、なによりも素晴らしいのは、創世記二十八章十三節を見ると、

『そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。』

 主が彼のかたわらに立っていたというのです。なんと、天地宇宙の創造者が悩みのどん底で、ヤコブの横に立っておられたのです。そして仰せられたのです。創世記二十八章十五節、

『そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」』

 神との出会いは、すべてが整った環境の中で起こるわけではないのです。時には人生の中、これからどうしていいのか、途方に暮れるような荒野で出会うのです。結構、そういう時が、神が触れてくださるチャンスではないかと思います。
 新城教会の歴史を振り返っても、私自身の人生を振り返ってみても、やはり主との出会いは、町の真ん中というよりも、荒野で石を枕にしているような中で、主が傍らに立たれたことが多かったのではないかと思います。
 今日、みなさんの中で、「私はヤコブと同じように、石の枕の状況で、毎晩過ごしている。」という方が、もしもおられたら、その横に主が立ってくださる!と信じましょう。
 まさしくヤコブは、将来が全く見えない中で、主が傍らに立ち、おじいちゃんのアブラハムに語られたのと同じ、祝福の約束を語って下さったのです。

 ヤコブは眠りから覚めて、「主がこの場所におられた!私はそれを知らなかった!」と感動の告白をしています。
 時々、主はどこにおられるんですか!という時がありますが、どんな時でも、主は共におられます!
 彼は恐れおののいて、「なんと恐れおおいことだろう。こここそ、神の家にほかならない。ここは天の門だ!」と語っています。
 「神の家」という言葉が最初に使われたのが、荒野の真ん中、ルズ、後にベテルと改名された場所です。

 人は生まれた場所の文化・習慣から、逃げ出すことはできません。文化・習慣は、神が各民族に独自に与えたと言う人がいますが、それは間違いです。
 「文化」という言葉は、比較するものがなかったら、成立しません。誰かと違うから、比較することにより、文化となるわけです。習慣も、全員、同じことをやっていれば、それが習慣であると気づかないです。誰かと比べると、「あれ?違うぞ!これが独自の習慣か!」と気づくわけです。
 実は、世界にある文化とか習慣は、元々はなかったものです。神は人類を造って、神が人を住まわせたのですから、主が教えたことがすべてであったわけです。そういう世界に住んでみたいと思いますよね。神が教えた価値感が、すべて反映されている世界って、どんな世界でしょう。
 その後、バベルの塔から、人類は全世界に散らされていきました。それ以後に文化・習慣ができたわけです。そのほとんどが、偶像礼拝と罪にまみれた中から生まれ出たものです。各国の文化・習慣は罪によって発生したものがほとんどです。
 私たちがクリスチャンになる時、悪魔にすり込まれた文化や習慣を勝ち取る必要があります。そのような形で主は、私たちに働いてくださることを、聖書の中から知ることができます。

 ヤコブのお父さんイサクは、子どもの頃、あやうく殺されかけました。それはイサクのお父さんアブラハムが、ある時、声を聞いたからです。「ひとり子イサクを生け贄として捧げろ!」という声を聞きました。
 そうしたらアブラハムは、なんの躊躇もなく、すぐにひとり子イサクを連れて、薪を背負わせて山に連れて行きました。そしてイサクを縛って刀で殺し、生け贄として捧げようとしたわけです。
 みなさん、考えられますか?いくら神の声を聞いたとしても、私にはそんな事、絶対に出来ません。しかし聖書を読む限り、アブラハムはなんの躊躇もしていません。なんのためらいもなく、ひとり子イサクを捧げようとしているわけです。
 これは後にアブラハムの信仰とイエス様の十字架を表す預言として、私たちは捉えるわけですが、アブラハムが行動を起こした時点では、なんらかの当時の文化とか習慣の影響が反映されていたと考えられます。

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 実は、アブラハムの時代、一つの悪い習慣がカナンの地にありました。それは何かと言うと、当時の人たちは、自分の子どもを「モレク」という偶像の神に捧げるという、悪しき習慣がありました。
 「おまえの子どもを捧げろ!」と不思議な声を聞いたのなら、躊躇しないで、悲しい顔ひとつしないで、モレクに生け贄として捧げる!という文化が、カナンの地を覆っていたわけです。アブラハムの行動の原理も、その文化・習慣に沿った原理だったと思われます。
 しかし、神は何をされましたか?子羊を用意して、イサクを捧げることをとどめられたのです。代わりが用意されたのです。これは、イエス様の十字架の預言にもつながるのですが、その時点としては、当時のカナンの地を支配していた、悪しき習慣からの解放です。子どもを生け贄にすることはないですよ!天地宇宙を造った神は、子どもを生け贄として要求するような方じゃない!という事を教えるためであったのです。

 実は、ヤコブも、夢と、その後の行動で、当時の文化と習慣の影響を受けていました。

 今回のツアーはかなりアカデミックな、幅の広い学びが出来ました。ガイドさんは、毎日のように変わり、その筋の専門家が来て説明して下さいました。エルサレムに行った時、イスラエル国立博物館に行きました。
 そこに行くと、カナンの地が、アブラハムが住んでいた時代、どんな様子だったかよく分かります。旧約聖書は、偶像礼拝を強く禁止していますが、その様子を見ることができます。
 そこでガイドさんが、「人類の偶像礼拝の原点は、これだと思われます。」というのを教えてくれました。それが、その写真です。

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 これが人類の偶像礼拝の原点だと考えられるというのです。何かといったら、石が立っているのです。

 現代人は、「昔の人たちは頭が悪い。現代人が最も優れた人類だ。」と考えますが、これは間違った考えで、進化論的な考え方です。神は完成品を造られていますから、アダムとエバと、私たちを比べたら、なんの変わりもないどころか、私たちのほうが劣っていると思われます。
 何が違うのかと言えば、神から与えられた能力を、どこに使うのか?という価値観の違いだけだと思うのです。
 昔の人たちは、何を価値観の中心に置いていたのか。現代人とどこが違うかというと、現代人は、幸せに、便利に生きるためには、「科学技術を発展させたらよい」と考えます。
 しかし昔の人たちはそうではありませんでした。目に見えない世界の存在と、いかに結び合うかが、幸せを決定づけると考えていました。ということは、霊的領域の科学というか、霊的領域に関して、彼らは最も関心を持っていたのです。
 しかし時代が進むにつれて、その価値観がだんだん変わって、霊的領域の価値観が小さくなり、現実の領域が大きくなったのです。
 しかし、全体的に見れば、昔の人たちの価値観のほうが、ずっと合理的だと思われます。
 例えば、病気になったら、現代ではどうしますか?病院に行って、最新設備の中で治療してもらいます。医学の最先端を使い、最新の薬を使い、手術で悪いところを切り取ったりします。それで癒やされる人も多くいるわけですが、昔はそんなことはしませんでした。目に見えない世界とアクセスして、その世界の存在とうまく交渉したら、病気だって簡単に治るぞ!と考え、実際、それで治っていたわけです。
 アクセス先の霊が、どういうものであれ、目に見えない世界に生物がいて、それらの協力を得るならば、病気も治るし、問題も解決するという価値観を優先していたわけです。そのほうが、巨大な病院を作るよりも合理的です。ちょいと石を立てるだけで、霊が降りて来て、病気を治してくれたら、そのほうがずっと手軽で合理的です。昔の人たちは、そういう価値観を持っていたのです。

 それで、古代の人類は、目に見えない生物と、アクセスするに有効な方法を多く編み出したわけです。

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 その一つが「石を立てる」というものでした。石を立てると霊が寄ってくると誰かが発見したわけです。だから、みんなやっていたわけです。
 ヤコブも、石を枕にして寝たら、不思議な夢を見たわけです。はしごが下りて来て、天使が上り下りして、主が立ったというわけですから、翌朝、何をしたかといったら、自分が枕として使っていた石を「立てた」と言うのです。
 これはイスラエル国立博物館の専門家が教えてくれた情報です。ということは、石を立てるという行為も、悪霊を呼んで、偶像礼拝のために用いられていたわけです。しかし、ヤコブは、それを勝ち取りました。そこに油を注いで、神の家としたのです。まさに、私たちが今までどっぷりと浸かっていた、悪しき文化や習慣を勝ち取り、敵の門を勝ち取る形で、主は、私たちに訪れてくださるのです。

 実は、石を立てるという方法、今でも使われています。日本人は同じ文化・習慣を持っています。
 世界中を見ますと、石を立てる偶像礼拝が多くあります。
 神の世界と人間の世界って、普通はかけ離れています。それがなんらかの形で結び合わされるのが、聖書の世界であると以前にお話しさせていただきました。

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 神の世界と人の世界が接する場所、その一つが教会です。教会に来ることによって、普段では分離している神の世界につながります。礼拝に来ると、主の臨在を感じるのは、はしごがかかるからです。神の世界が接するわけです。

 でも、家に帰ると、神様の事を忘れて、また離れるわけです。24時間接しているのは、なかなか難しいです。しかし、家で祈ると、また結び目ができ、神の世界が下りて来ます。
 また会社に行ったりすると、離れることが多いです。しかし会社で休憩時間に聖書を読んだり、祈ったりすると、また結びつくのです。

 イエス・キリストを信じなければ、創造主とのつながりはありませんから、悪魔の世界とつながってしまうわけです。それが石を立てることから始まっています。しかし主は、この原点を勝ち取り、神の家としてくださったのです。人生の中、悪魔に結びつくはしごを一つも作らないようにしなければいけません。

 ヤコブも、こんなすごい体験をしたのですが、その後、お母さんの兄が住んでいるハランに行って嫁さんをもらったわけです。ラケルという娘が好きになって、ラケルを嫁にもらったと思ったら、朝起きたら姉さんのレアだったという、本当にレアな話が出ています。結果的に二人の嫁さんをもらったわけですが、嫁さんをもらったらすぐに帰るつもりが、ハランという異教の地に住むことになってしまったのです。
 ヤコブも異文化の中に、どっぷり浸かっていましたら、また、偶像礼拝に戻ったわけです。是非、家に帰ってから、創世記二十八章から読んでいただきたいと思いますが、三十五章近辺に来ると、ヤコブは大きな問題を抱えることになります。「こりゃもう駄目だ!」という問題が起こるわけです。その時、主が語られた事が、創世記三十五章一節〜五節にあります。

『神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。』

 前後は、家に帰ってから読んでいただきたいと思いますが、ヤコブも、家族も、偶像礼拝の文化のただ中にあった事が分かります。
 しかし、問題解決の為に、偶像を取り除いたというのです。耳飾りまで取ったと言います。昔は、耳飾りは、魔除けだったのです。それらを全て外し、旧約時代は、偶像は全て壊さなければいけなかったのですが、樫の木の下に隠したのです。他の訳では「埋めた」となっています。ちょっと怖かったのでしょうか。
 どの町に偶像を隠したかと言ったら、『それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。』とあります。
 今回、私と一緒にシェケムに行った人は、これを読んだら、びんびん分かるでしょう。あそこだな!とね。今でもその古代の町は残っています。
 偶像を取り除いて、もう一度、ベテルに戻った時、祝福は回復したのです。

 イエス・キリストを信じる時、天に続くはしごができるのです。そこを天使が上り下りし、主が横に立っておられる。こういう構図さえできれば、祝福です。神の世界と、人間の世界の情報を共有する天使たちが、頻繁に往復していて、主が傍らに立っておられるベテルの構図を作ったら、絶対に幸せに生きることができるはずです。
 逆に、偶像礼拝や様々な罪があると、そこにはサタンとのはしごができてしまいます。

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 かつて、人類は、手軽に悪霊を呼ぶことができる、石を立てるという方法で、サタンとのはしごを作ってしまったのです。しかし神はヤコブを、「神の家」に変えてくれたのです。

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 この絵は、二、三年前、孫が子ども礼拝の先生と描いたものです。教会の上に、自宅の上に、公園の上に、どこにでも、天の門とはしごがあって、天使たちが上り下りしています。こんな町となり、家となり、会社になったら、問題は起こらないはずです。
 今回、シェケムに行く途中、ベテルを通りながら、「ここが教会の原点だ!」と思い祈りました。すべての兄弟姉妹に、天使たちが上り下りし、主が傍らに立っておられる教会になりたいと思います。個人の生活においても、同じ構図ができたら、しめたもんですね。

 最後にみなさんと一緒に聖餐式を持って、終わりたいと思います。イエス様がはじめで最後の生け贄となってくださいました。ですから、私たちには動物の生け贄とか、必要ありません。現代の生け贄は、ただ賛美です。賛美を捧げる、祈りを捧げることで十分なのです。悪しき文化・習慣から解放されて、神の文化の中、生きる者となることを宣言する、聖餐式なしたいと思います。一言お祈りします。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめ、心から感謝します。今日も素晴らしい礼拝を持たせていただいて、感謝します。イスラエルという国を旅して、主がいろんな事を教えてくださったことを感謝します。今日、ここに、はしごを下ろしてくださっていると信じます。
 ここにおられるすべての兄弟姉妹の上に、はしごを下ろしてください。それは、天に続くはしごであり、天使たちが上り下りし、その脇に主よ、あなたが立っておられます。イエス様の血潮によって、聖められることを心から感謝します。
 石を立てて、悪霊を招く偶像礼拝を赦してください。一切の悪魔のはしごが打ち破られて、イエス様だけにつながりますように。尊いイエス様の御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。