「-2017年- あなたは良いもので満たされます!
パート3 聖霊に満たされて歩もう!」

2017年1月29(日)
新城教会主任牧師 滝元 順
詩篇103篇1節〜5節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

 みなさん、おはようございます。ハレルヤ!
 今日も共に、礼拝を守ることができますことを感謝します。インフルエンザが流行っていて、お休みされている方も多くおられるみたいです。学校が閉鎖になったり、クラスが閉鎖になったり、なかなか大変な状況があるようですが、お一人お一人、健康で過ごすことができますよう、心合わせて祈りたいと願っています。

 今年、主から与えられたと信じているみ言葉は、毎週のように紹介させていただいていますが、詩篇百三篇一節〜五節です。今も読んでいただきましたが、特に五節、『あなたの一生を良いもので満たされる。』とありますが、二〇一七年、主が良いもので満たしてくださるように、そんな一年になりますように、心から願っています。
 一年を振り返って、「本当に二〇一七年は良い年だった!」と言い切ることができたら最高です。年の初めに、み言葉に耳を傾け、準備していきたいと願っています。

 そのために必要なことは第一に、「主をほめたたえなさい」あります。主をほめたたえるとは、主を賛美することです。今日も、主を賛美しましたが、主を賛美することが、良いものに満たされる秘訣です。

 次に、「主の良くしてくださったことを、何一つ忘れてはいけない」というのです。前にも話しましたが、人は、悪いことは覚えているのですが、良いことは忘れやすいです。そのような性格が人にはあるのかもしれません。しかし、そんな中で、主がどんなに良くしてくださったのかを忘れないで、感謝することが、良いもので満たされる秘訣だというのです。
 目の前で奇蹟が起こることも、時には体験しますが、多くの場合、「振り返ると奇蹟が見える」のです。人生を振り返ると、「主が介入して下さり、助けて下さった。」と知るのです。振り返って感謝するのが、良いもので満たされる秘訣です。
 今まで生きてきた中で、主が良くしてくださったことを、決して忘れないで、感謝する時、「良いもので満たされます!」と教えているわけです。

 先週もお話ししましたが、「良いもの」とは、それぞれ定義が違いますから、難しいです。しかし人にとって究極的な、良きものはなんだろうか?と考えると、なかなか難しいです。今も、開先生たちの賛美、前半だけの歌詞なら、人を落ち込ませる歌詞でした。「世界は無茶苦茶。家庭も無茶苦茶。大変だ~。」と歌っていました。それだけなら、みんな暗くなりますが、最期に、「ただ一つだけ希望がある」と歌っていました。それは、「イエス・キリストだ」と歌いました。
 闇は、なぜ認識されるのかというと、光と闇の区別があるからです。光があるから闇が分かり、闇があるから光も分かるのです。明るい時には光は分かりません。暗くなればなるほど、灯りが大切だと分かります。
 今、世界は、本当に暗くなっています。このような時こそ、光なる主イエス様が、どんな方か、よく分かるわけです。

 先週、こんなニュースが流れていました。「世界の終末が近づいている!終末時計二年半ぶりに動く。世界滅亡が接近!」というニュースでした。これはアメリカの科学誌が、いろんな条件を加味して、毎年発表しているものらしいですが、世界の滅亡まで、昨年はあと三分だったらしいですが、トランプが大統領になって、三十秒進んで、二分三十秒になったというのです。
 あと二分三十秒で世界は滅亡するそうです。本当に大変です。私たちは、そのような世界に住んでいるらしいです。

 新城教会では、三十年くらい前から、「新城教会ニュース」を発行しています。以前は毎月出していましたが、一回出すのに何十万もかかかりますから、費用対効果の問題で、今は二ヶ月に一回出しています。今年、初めての新城教会ニュースがまもなく発行されます。私はいつも、巻頭言を書かせていただいているのですが、今回は、こんな風に書かせていただきました。ちょっと読んでみますので、お聞き下さい。タイトルは、「世界の不安。日本の不安・・・。」です。

「世界の不安、日本の不安・・・」

 「新城教会ニュース」をご愛読下さり、心から感謝申し上げます。今年も宜しく、お願いいたします。
 ニュース発刊以来、30年以上の歳月が流れました。振り返れば、時代は大きく変化し、今後世界はどこに向かうのか、たいへん不安な時代となりました。

 2017年1月20日、ドナルド・トランプ氏がアメリカ45代大統領に就任しました。アメリカ第一主義を掲げるトランプ政権により、日本が今後、どのような影響を受けるのか、今のところ予測がつきません。
 世界が、超富裕層の手中にある事は、都市伝説や陰謀論を越えて、事実である事が、今や世界中に知られる時代となりました。2016年、世界の下位36億人が所有する資産と、世界の超富裕層62人が所有する資産が同じであると言われましたが、2017年1月15日、さらなるショッキングなレポートが、国際非営利団体、オックスファム(Oxfam)から発表されました。それによると、「世界の超富裕層8人が、世界中の貧困層の50%に値する資産を所有している」という事実です。オックスファムは、ビル・ゲイツ氏を含む、超富裕層8人の総資産が4260億ドル(約48兆2999億円)に達し、「36億人の総資産と同等」である点を指摘し、「大企業や超富裕層による税金逃れや政治への影響力」によって、格差社会がさらに加速していると伝えました。

 オバマ政権が主導していたTPPを、安倍政権は12カ国に先駆けて承認しましたが、トランプ大統領は、いとも簡単にTPPからの離脱を宣言したのです。その理由は、TPPは超富裕層と深い関係にあるグローバル企業には益しても、アメリカ国内には益しないからです。
 フランスの経済学者ピケティは、資本主義の行く末を、過去の膨大なデータに基づいて予測しました。その結果、資本主義の発展は、人類の未来に寄与しない事が判明したのです。今後、世界の経済格差は開くばかりです。一人の人物によって、奴隷のように支配される日が近づいているのです。

 それらに加え、日本には他の国々とは比較にならない、自然災害に対する恐怖があります。2016年は、地震活動がさらに活性化し、震度5弱以上の地震が、全国で33回も発生しました。熊本で起こった大地震は、今までの地震学の常識をくつがえし、今後の地震予測に暗い影を落とす事になりました。今年は、いつ、どこで、どんな規模の地震が起こるのか、たいへん心配です。
 さらに、日本は世界で最も健康不安が強い国です。日本の人口は、世界人口のたった2%にしか過ぎませんが、世界で生産される薬の「約四割」が日本で消費されていると言われます。実際、ガンで亡くなる人の割合は世界一で、今や、国民の二人に一人がガンになり、四人に一人がガンで亡くなっています。

 アメリカ大統領選挙がマスコミの予測に反し、ヒラリーではなく、トランプが勝利した背景に、アメリカ国民のメディアに対する不信感が挙げられています。これはアメリカに限った事ではなく、日本でも同様である事を、日本人は意識すべきです。
 主要メディアへの信頼率は、両国では大きく異っています。日本では7割の人達が、主要メディアに対して「信頼できる」と答えていますが、アメリカでは「2割」しか、信頼していないのです。アメリカでは、実に国民の8割近くが、「新聞・雑誌、テレビの報道は信頼出来ない」としているのです。
 日本人は世界でもまれに見る、世論誘導されやすい、言い換えれば、騙されやすい国民であるというのです。

 「福島第一原子力発電所」で起きた事故の後処理は、実際、どうなっているのでしょうか。政府や東京電力の発表は、事実を国民に伝えているのでしょうか。2016年12月27日に公表された、最新の福島県民調査報告書によると、福島県の小児甲状腺がん及び、疑いのある子供達は183人になりました。これは4年の間に、通常の100倍以上の罹患率であると言われます。
 人類が経験したことのない原発事故を、「現在進行形」で抱えている国、それが日本であることを忘れてはならないのです。

 世界で最も出口のない国、それが日本かも知れません。私たちは何に、誰に、信頼し、生きていけば良いのでしょうか。
 聖書は次のように告げています。

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

 創造主なる神から離れた世界は、取り返しのつかない混乱を生み出します。人類は今こそ、イエス・キリストに目を向け、助けを祈らなければなりません。あなたも教会に来られて、共に、世界と日本の未来の為に祈りましょう。真の神への祈りこそ、問題解決のカギなのです。


 今、世界を見るならば、どこにも出口がない状況です。特に日本が、世界で最も大変な国の一つになってしまったようです。誰に信頼したら良いのか、分からない状況です。しかし、今こそ、イエス・キリストに信頼すべきです。
 この二〇一七年、イエス・キリストに信頼したら、あなたの人生は、良いもので満たされるのです。そのように約束されていることは、私たちにとって大きな希望です。

 そして、「良いもの」とは、究極的には何であるかについて、先週お話しさせていただきました。聖書は究極的には、「聖霊に満たされる」ことだと告げています。聖霊に満たされるとは、どういう状況かというと、「神の霊によって支配される人生」です。
 人間は見えない領域から支配されます。本当の自分は見たことがないです。私も本当の自分は見たことがありません。鏡に映る、日々刻々と変化する自分は見ているのですが、本当の自分は、見えない部分に存在しています。人間には魂があり、霊があり、その支配によって体は動きます。
 また、見えない世界には、私たちを造られた神も存在するし、人間を悪いほうに誘う、悪しき霊も存在します。その真ん中に自分が立っています。
 神に従い、支配されれるなら、どんな時代が来ても、間違った道を歩むことはありません。しかし、悪しき霊に支配されたり、自分自身を神とし、自分の思いで生きると、道を誤ります。人間は一秒後に何が起こるのか、全く分かりません。よく、「自分を信じて!」と言います。スポーツ選手に、「競技の前、どんな心境ですか?」と聞くと、「ただ自分を信じて戦うのみです!」と答えます。しかし、あの言葉は使わないほうがいいです。自分を信じてみたって、どうにもならないからです。次の瞬間、分かりませんから。
 私たちは、神の霊に支配されて歩むならば、決して間違うことはないのです。そうしたら、一生を良いもので満たされると告げています。「良いもの」とは「聖霊様」であると、先週もお話しさせていただきました。ルカの福音書十一章五節〜八節に、このような言葉があります。

『また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。』

 ここに、『あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与える』とあります。それに続いて、九節〜十三節、

『わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」』

 五節〜八節で、「必要なもの」が出てきますが、それが「聖霊」という結論になっています。
 神の霊を受け、神の霊によって支配されるなら、その行く末は、どんな時代が来ても、うまく行きます!良いもので満たされます!とイエス様は語られました。
 では、神の霊に支配されるためには、どうしたらいいのか。それは三つのパンの例えにもあるように、必要なもの、聖霊を受けるためには、「あくまで頼み続ける」という姿勢です。
 イエス・キリストを「主である」と口で告白したら、人は救われます。永遠のいのちを得ることができます。しかし依然として、自分がいますから、自分の気持ちで生きることも自由です。
 今朝、礼拝に来る時だって、自分の意志で出席されたと思います。誰かに、「教会に行きませんか?」と誘われても、『どうしようかな。行こうか、行かまいか。じゃぁ、行こうか。』と決断したから、今ここにいるわけです。
 日本語は大変便利な言葉です。「私は教会に…、」まで言って、「行きます。」「行きません。」は最後に決めればいいわけですから。顔色を見ながら、最後に決めればいいのです。英語とか中国語になると、「私、行きます。教会へ。」です。「私、行きません。教会へ。」と、最初に結論を出さなくてはなりません。いずれにしても、自分の意志で、決めるのです。

 クリスチャンでも、自分の意志で生きるのか、神の霊に支配されて生きるのかは、救いとは別次元なわけです。
 神に支配されたかったら、「あくまで頼み続ける」、「求める、探す、叩く」という、神に対する、ひたむきさが必要です。
 今年一年間、ひたむきに主を求める時、神の霊によって支配されて生きることが出来るのです。やがて過去を振り返ると、「あの時、主が良いことをして下さった!あの一点がなかったら、今の自分はない!」と気づくわけです。
 二〇一八年の今頃、一年を振り返って、「まさに神の霊によって支配されていた!」と気づいたら、すばらしいですね。

 先週は、新城教会の歴史を振り返りながら、「神の霊が私たちのただ中に働いて下さった、支配して下さったと分かる」と話しました。
 先週、語ったメッセージは印刷されています。また、インターネットにも掲載されています。
 先週もお話ししましたが、この教会は父が、一九五〇年代に始めました。その頃、お隣の町豊川で、スウェーデンからやってきた宣教師との出会いがありました。それで、教会が大きく動き出した事を語りました。父が、スウェーデンの宣教師と出会わなかったら、今頃、新城教会はどうなっていたのか?私の人生を含めて、想像がつかないです。
 父が、仕事中に不思議な声を聞いたという事も話しました。彼は、「我土方なれど」という本を書いているのですが、あの本はかなり売れて、二十五版も再版されました。しかし私は、それをよく読んでなかったのです。けれども、今年になって、読んでみました。そうしたら、結構いろんな事を発見しました。その中に、こんな言葉がありました。一九七ページ。

“それから数日後に麻工場の機械を手にしながら働いているとき、実に不思議なみ声を耳にした。確かに、私の耳元で、神の聖霊が語りかけられた。こんな経験は今までに一度もなかった。「今日、あなたが家に帰ると、スウェーデン宣教師のところから、手伝いをしている三輪町子さんがあなたの家に来ます。そして宣教師はあなたに伝道に来てくれるように依頼するでしょう。するとあなたは伝道に行くようになります。すると、他の宣教師もあなたを伝道に招くでしょう。そしてまた他の宣教師もあなたを招き、ついには日本中を回って伝道するようになるでしょう。」”

 こういう言葉を、工場で働いている最中に聞いたというわけです。内容は、本当に具体的です。
 時々、人生の中で、科学にもならないような、学問にもならないような、不思議なことが起こります。しかし、それが神から来たものなのか、気のせいなのか、精神的に疲れているのか、もしくは、悪魔や悪霊どもが語っているのか、どこで判断するのかと言うと、それが後に実際に起こるか否かにかかるわけです。
 父は、こういう声を仕事中に聞いたわけですから、一般的に言ったら、かなり疲れていたのか、もしくは神の声を聞いたのか、悪魔のいざないだったのか、三つに一つです。
 しかし、家に帰ったら、まさしくこの言葉が実現したのです。すごいじゃないですか。三輪町子さんって、どなたか存じ上げてはおりませんが、個人名が出ています。これを神が語ったならば、神は個人名をご存じだということです。今日、ここにおられる、お一人一人の名字も名前も、全て知っておられるということです。

 父が母に聞いたそうです。「今日、三輪町子さんって来なかったかい?」そうしたら、「はい、来ましたよ!」と。もしも、三輪さんじゃなくて岡本さんが来たとしたら、似ていても非なりです。三輪町子さんが、「スウェーデン宣教師が会いたいから、明日、豊川駅に来てくれ」と告げたというのです。
 翌日、指定された時刻に、豊川駅に行ったら、背の高いスウェーデン人宣教師がいて、「私たちの教会に来て、伝道集会を導いてください。」と頼まれたそうです。人生初の他教会での奉仕の招きだったのです。これが起こったのが、「一九五四年」です。

 先週も話しましたが、お隣の豊川は、「一九四五年」に本当に悲惨なことが起こりました。それは、当時、豊川には海軍工廠があって、この近所の人たちも大勢働いていました。今は企業団地になっていて、ミノルタとか日本車輌があります。そこに、アメリカ軍が、一九四五年八月七日、大爆撃を加えました。それで二千数百人の若者が死に、一万人近くが傷つきました。本当に悲惨な事件が起こったわけです。
 しかし、一九五〇年頃には、スウェーデンからの宣教師たちが豊川に来て、海軍工廠の跡地のすぐ側で、伝道を始めていました。爆撃が終わって五年後に、宣教師が来たのは、すごいと思います。日本人では、なかなか行けないです。
 この宣教師たちは、中国で伝道していた宣教師でした。けれども一九五〇年頃、中国で共産革命が起きて、国外追放されたわけです。それで、「これから何処に行ったらいいですか?」と主に祈っている時、宣教師たちに主がささやいたのでしょう。『日本に行きなさい!』と。
 「日本のどこに行ったらいいですか?」と聞いたら、『豊川に行け!』と言われ、豊川にやってきたわけです。
 戦争で焼け野が原になって、穴ぼこだらけの町に来て、宣教を始めたのです。豊川が爆撃されたのは八月でした。二千人以上の人たちが死にました。八月は暑いですからすぐに遺体が腐敗したわけです。そこで、豊川に千両という所がありますが、今、自衛隊の演習場になっています。そこに穴を掘って、遺体を埋めたのです。
 しかし、埋めて六年後、一九五一年、もう一度掘り起こして、身元特定作業をしたそうです。
 ちょうどその頃、スウェーデンの宣教師たちが豊川に来て、五十四年には、父が宣教師に頼まれて、伝道集会を行ったというのです。そうしたら、すごく祝福されたというのです。十日間野外にテントを張って、伝道集会を開催したら、豊川の人たちが大勢集まって、イエス様を信じたというのです。今、豊川で伝道会をやっても、人は集まらないかもしれないけれど、どうしてそんなに人が多く集まったのかと考えれば、やはり、それだけ豊川の方々は傷ついていたのだと思います。自分の肉親を、子どもを、友人たちを失って、本当に悲しんでいる最中であったと思われます。神様は愛の神ですね。アメリカ人は爆弾を落とした人たちですから、まずいので、スウェーデン人たちを連れて来て、伝道がなされて、大勢の方々が救われたのです。
 新城教会に豊川から大勢の方々が来られていますが、特に、豊川の方々は大きな神の選びがあると思います。他もそうですが、豊川がなかったら、新城教会はないからです。あの街から伝道が始まったのは、悲惨な歴史を体験した所に、主が助けの手を差しのばしたということです。
 父が語ったメッセージに、大勢の人たちが反応したのは、メッセージが良かったというよりも、豊川が体験した歴史が関わっていたと思います。

 多くの人たちがイエス様を信じる光景を見て、次から次へと、宣教師たちが父を招いて、巡回伝道者になって、日本中を回って伝道するようになり、一九七〇年には日本リバイバルクルセードという宣教団体ができ、一九九二年には全日本リバイバルミッションに発展して、今があるわけです。
 あの時、スウェーデンの宣教師が父を招いてくれなかったら、今頃、新城教会は消えているかもしれません。
 父を招いて下さった、オーケ・レナンデル先生の写真を探してみたら、一枚だけありました。

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 もう一人、リンデン先生も来て、豊川のために、町の癒やしのために、人々が救われるために働き始めたのです。

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 特に、リンデン先生は、人は神の霊によってしか変わらない、聖霊によってしか変わらないということを体験していた人でした。彼は体に入れ墨があるような人でした。スウェーデンはバイキングの子孫ですが、先生は暴れ者で、ヤクザみたいな人だったらしいです。しかし、ある時、仕事中に突然神の霊が下り、過去に行った罪が走馬燈のように思い出され、「このままでは、俺は駄目だ!滅びてしまう!」と強烈に迫ってきたというのです。突然自分が犯してきた罪を示されたというのです。それで、涙が止まらなくなって、村の教会に祈りにいったら、なんと同じような人たちが教会に満ちていたというのです。町全体に、聖霊が注がれて、悔い改めるために人々は教会に来ていたというのです。
 彼は、人は神の霊が下る時変わる!と体験していたのです。この先生は豊川の教会で、聖霊様を迎えるための聖会を始めました。その結果として、私たちの教会も、神の霊の注ぎを体験しました。

 先週もお話しさせていただきましたが、新城教会は、過去、三度に渡って、神が強く働いてくださった歴史があります。第一回目は一九六〇年です。第二回目は一九七〇年。そして、三回目が、一九九二年です。
 一九六〇年、第一回目に聖霊が注がれたのが、この場所でした。当時は、こんな小さな教会でした。

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 当時の教会員の方々が、一生懸命捧げて、教会を造って下さいました。そして、この小さな教会が出来ました。その後、増築されたわけです。
 実はこの近所は製材業が盛んで、周りには、丸太がいっぱい積んである材木置き場でした。

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 新城教会で最初にクリスチャンになった方の1人が、見城しずゑさんという、おばちゃんでした。もう亡くなられてかなり経ちますが、すごくいい方でした。この方が岡本キヨさんを連れて来ました。その結果、キヨさんの親戚が持っているこの土地を手に入れる事が出来て、教会が建った歴史があります。本当に、主の霊が働いたと思います。

 見城しずゑさんは、祈りの人でした。製材所を経営していたご主人も、職工さんたちも、クリスチャンではありませんでした。しかし、このおばちゃんが、丸太の影に身を潜めて夜な夜な、主に祈っていました。「主人を救ってください!工場に働いている、若い衆が救われますように!」と真剣に祈っていました。
 私の母も加わって、二人で、丸太の影で祈っていた時、激しく聖霊様が訪れられたのです。すると、製材所に働いていた若い衆たちが、皆救われたのです。
 ご主人は、大反対していたのですが、ご主人も救われて、働いている人たちみなが、クリスチャンになるようなことが、この場所で起こったのです。
 製材所では、十時と三時に休憩があったのですが、若い職工さんたちは、休憩時間になると、教会に入り込んで祈り始めたのです。まさにこの場所です。教会には半地下があって、よく水が浸かったものですが、真剣に祈っていたのです。何を祈っていたかというと、多くの人が救われるように、地域の人たちがイエス様を知るように、リバイバルが起きるように!と真剣に祈っていました。一九六〇年頃の話しです。

 彼らの夢は、製材所で修業して、やがては東京の深川に材木問屋を造って、一旗揚げて金儲けをしよう!というものでした。けれども、彼らが聖霊に触れられたら、金儲けではなく、神のために働きたい!という思いに変えられてしまったわけです。そして、ここから宣教師として、福音を伝えるようになりました。
 宣教師というと、海外に出て行くイメージがありますが、四人の若者たちが新城よりもさらに山奥の、設楽町、東栄町、今は新城市に合併されましたが、鳳来町、さらに静岡県の浦川に、宣教のために出て行きました。それで山の中に教会ができたのです。
 彼らの思いとは、全く逆方向に導かれました。製材所に働いていた人たちは、やがては名古屋の堀川か東京の深川に材木問屋を持つ!という金儲けの夢に満ちた人たちでした。しかし聖霊に触れられたら、山の中に入って伝道するように、押しやられたのです。その事がなかったら、今の私たちもないのです。

 その中に、静岡県佐久間町浦川に伝道に入った、田中政男という青年がいました。後に彼は、大変有名な牧師になり、リバイバル・ミッションの実行委員も務めました。しかし十年前に、天に帰られました。彼はなぜ浦川に伝道に行ったかというと、祈っている時、神の声を聞いたというのです。どんな声を聞いたかというと、「政男!浦川に伝道に行け!」という声であったそうです。
 「浦川に伝道に行け!」彼は浦川という場所があることすら、知らなかったそうです。しかし、飯田線沿線に浦川という駅があることを知りました。
 みなさん、浦川に行ったことありますか?こんな山深い場所です。

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 佐久間ダムの近くで、佐久間ダムを造っていた頃は栄えた町でしたが、ダム建設が終わってからは衰退している町でした。大千瀬川が流れていて、しょっちゅう川が氾濫して、水浸しになるような所でした。
 しかし田中先生は、神からの声を聞きました。「政男!浦川に伝道に行け!」
 なんと、彼は結婚式の翌日に、浦川に行ったのです。普通なら結婚式の翌日、山の中に宣教に行くなんてありえません。しかし彼は、神の声を聞いて、心燃やされて、このど田舎に入って行ってしまいました。
 ここで伝道し、教会を建て、最後に浦川で亡くなられました。まさに神の声を聞いたと思います。
 ありし日の、田中家の写真が出て来ました。

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 子どもが六人生まれました。ある意味、家族って寂しいもんですよね。未来はどうなるのか、誰にも分からないですから。
 六人の子どもたちが生まれて、この町で宣教が活発に行われた時代がありました。しかし、限界集落ですから、拠点は浜北という所に移っていますが、この町での宣教は今も継続中です。

 この町に行け!という声は、まさしく神の声であり、働きであったと思います。なぜなら、田中先生が浦川、父が新城に住んでいましたから、その真ん中に位置する「愛知県民の森」で聖会が一九七〇年から開かれるようになったからです。田中先生が豊橋とかに行っていたら、日本リバイバルクルセード、全日本リバイバルミッションの元となった祈りの運動は始まらなかったと思います。やがて、クリスチャン達が山の中に入りこんで、ひたむきに祈る中、聖霊様が訪れてくださったのです。
 伝道の効率から考えて、山の中は不利です。しかし神の声を聞いて行動する時に、振り返ると奇蹟が見えるのです。

 設楽町田口に、河合さんという青年が入って行きました。鳳来町大野には見城寬治さんという方が伝道を始めました。中村一夫さんという方にも聖霊が注がれ、東栄町本郷に行って伝道を始めました。
 いずれも愛知県の山深い限界集落ばかりです。そんな所で教会を始めるのは、普通はありえないことですが、神の価値感は、人の価値感とは違います。そこでひたむきに、主を求める働きをさせたのです。

 東栄町の中村先生を助けるために、一九六〇年代に、父と田中政男先生が協力して伝道会を行いました。夜は町のための伝道会、昼間は川に行って遊ぶというような、適当な集会でしたが、結構楽しかったです。私の青春時代の思い出です。私と田中政男先生のツーショット写真です。

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 これは東栄町で撮った写真です。この時、チームで伝道集会をやりたいというアイディアが生まれました。
 日本の宣教の歴史の中、最も多くの人に福音を語ったというのは、「本田弘慈」という先生です。ご存じの方も、おられるかもしれません。本田弘慈先生と一緒に働いていたのが、有賀喜一先生です。本田先生と有賀先生のコンビは、一時は、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いで、日本全国でクルセード伝道を行っていました。
 それに刺激されてか、父と田中先生が、日本リバイバルクルセードという宣教団体を旗揚げしたのは、山深い、東栄町での伝道会がきっかけでした。その後、愛知県民の森で発足聖会があった時の写真です。

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 懐かしい写真です。全員、亡くなられましたが、一番右が本田先生です。左が、私の父を導いた穐近先生です。この時代は、ある意味黄金時代でした。このチームは、当時、最強チームでした。日本の伝道を担う、最強チームが、なんと山の中から生まれたのです。日本のリバイバル!を求めて、真剣に祈りの手を上げ始めたのが、山の中からでした。
 しかし、今は時代が変わって、あの働きは一体、なんであったのかなぁと、時々思ってしまいます。けれども、神の霊で始まったことは、必ず結果を生み出します。途中で消えることは決してありません。聖霊で始まったことは、聖霊によって完結するのです。

 私、時々、スペインに行きます。今年も五月に、スペインから招かれていて、集会をやることにしています。スペインに行くと、エンラセというテレビ局がよく、私を招いてくれます。フェルナンド先生と一緒に出演します。エンラセというテレビ局は、ヨーロッパ全土にネットワークを持っています。私はここで霊的戦いについて話します。メッセージが終わったら、テレビ局に電話がじゃんじゃんかかって来ます。活発なクリスチャン・テレビ局ですが、今年はザワメキを連れて行きたいと願っています。ヨーロッパに彼らを紹介したいと考えているので祈っていただきたいと思います。
 スペインにまで行くようになって、大したもんだ!なんて、威張ってはいけないのです。なぜ、行くようになったのかというと、実はホルヘ先生が私たちを招いてくれるようになったからです。私たちが有名だからでも、何でもないのです。

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 ホルヘ先生はかつて、東栄町で働いていた人です。東栄チキンという会社で、ブロイラーを処理していた人でした。あるとき、中村先生の教会に行ったそうです。「この教会に来たいです…。」『ここはスペイン語はないよ!新城教会に行きなさい!』ということで、彼は新城教会に来て、クリスチャンになって、後に、スペインに行って、牧師になって、今では、活発な教会をマドリードで牧会しています。彼が私たちを招いてくださいました。
 東栄町がなかったら、スペインでの働きはありません。聖霊の働きは、やがて人を宣教に押し出します。

 田中先生が山深い町で伝道を始めたら、すごい事が起こりました。町の名士、学校の校長先生で、同時に、神社の神主さん一家が救われたのです。それは町にとって、大きなニュースとなりました。
 なぜ、神主さんが救われたのかというと、彼は日本神話をよく知っている人でした。しかし、ある日、聖書を読んだというのです。『はじめに神が天と地を創造した。』というのを読んで、「あっ!こんなすごい神様がいるのか!」
 日本神話の神々は、天地の造られし後から出てくる神々です。天地を造られた神がおられるのなら、私も信じたい!それでクリスチャンになりました。田舎町では大きなセンセーションを巻き起こしました。それで大きく宣教が進みました。しかし今では、過疎のために、教会はほとんど活動していません。

 しかし、去年の暮れから先週にかけて、主が、田中先生に「浦川に行け!」と言われた言葉は、今でも有効であることを体験させていただきました。

 去年の暮れでした。東京にお嫁に行かれたNさんという方がおられますが、「おばあちゃんが意識不明で重体で、いつなくなるか分からないから、病院に行って祈って下さい」と言われました。それで豊川市民病院に行きました。おばあちゃんは九十歳で、いつ亡くなるのかわかりませんから、すぐに祈りに行きました。
 家族の方々に、「おばあちゃんは、どこで生まれて育ったの?」と聞いたら、なんとこの浦川でした。私は浦川の事、よく知っていますから、耳元で、「おばあちゃん!私は滝元と言います。おばあちゃんが生まれた浦川のこと、よく知っていますよ。浦川に木村さんという人で、クリスチャンになった人、知っていますか?」と、話しかけたら、なんと今まで意識不明だったおばあちゃんが、ぱっと目を開けました。みんなびっくりしました。そして、「イエス様を信じたら、天国に行けますよ!」という話に、目で答えて下さり、一緒に祈ることができました。
 あの時、浦川のことを語らなかったら、おばあちゃんは意識不明のまま、亡くなったかもしれません。「浦川に行け!」と語られた神の言葉は、今も働いていると感動しました。

 そして、先週のことでした。Kさんのお父さんが九十歳で、この方も意識不明で入院していて、いつ召されるか分からない状態であると聞きました。是非、病院に来てくださいと言われました。意識がないから話しても分からないかと思ったのですが、ご家族に、「お父さんは、どこで育ったのですか?」と聞いたら、なんとこのお父さんも、「浦川、生まれ、浦川育ち」でした。意識もはっきりしない状況だったのですが、また、耳元で話しました。「私は新城教会の牧師ですよ!浦川、よく知っていますよ。!ところで、浦川に木村さんという人がいて、神主だったけれど、イエス様を信じて天国に行かれましたよ!ご存じですか?」と聞いたら、意識不明みたいなお父さんが、手を挙げて答え、意識がはっきり回復したのです。お話しもできるようになりました。
 田中先生のことを話したら、よく理解して、手の指で丸というサインをして、最後には、ちゃんと声を出して、「イエス様、私を天国に入れてください。」とはっきりと告白して祈ったのです。「アーメン!」と言ったら、お父さん、私たちは何もしていないのに、一人で、パチパチパチと拍手されました。
 田中先生に、かつて、「浦川に行け!」言われた言葉は、今でも有効です。先週の出来事も、すでに、「浦川に行け!」という言葉の中に含まれていたんだなぁ、と感動しました。
 聖霊様に導かれる人生は、大きな結果をもたらします。

 三つのパンのたとえも、「パンを貸してくれ!友人が旅の途中、私の所に来たのだが、出してやるものがない。」というところから始まります。夜、訪ねて来た友人が、「腹が減った!」と言ったわけです。その人を食べさせるために、お隣に行って、ひたむきに「パンを貸してくれ!」と頼んだストーリーから、聖霊を体験する秘訣が述べられています。
 「あくまで頼み続ける」とは、別訳するなら、新改訳聖書は、「厚かましさのゆえに」となっています。厚かましく、なんとか聖霊をください!と真剣に求める。それも自分のためではなく、周りの困っている方々のために、聖霊を求める時、聖霊様は来てくださるのです。
 私たちも、厚かましく、真剣に、あくまでも頼み続け、聖霊様を求めないといけないのです。将来が良いほうに変わるか、悪いほうに変わるのか・・・、良いほうに変わりたければ、あくまでも、聖霊様を求めなければなりません。
 やがて振り向いたら、「うわー!すごいぞ!あの時にあくまで頼み込んで、聖霊様をいただいたゆえに、こんなにすごいことが起こった!」という、歴史を見るのです。

 二〇一七年が始まりました。私たちは今のまま、安住していてはいけません。聖霊様を真剣に求めるのです。探しても見つからなかったら、たたき、ひたむきに聖霊を求める時、主が来られ、新しい事をしてくださるのです。
 先人たちの、ひたむきさのゆえに、今私たちがあるということを、心から感謝しなければなりません。そして私たちも、さらに、ひたむきに、主を求めることを、主は願っておられます。
 今日も午後から、県民の森で祈祷会があります。是非とも行って、ひたむきに聖霊様を求めてください。その中に、良きものはすべて含まれます。
 どんな時代が来ても、聖霊の支配があったら、あなたは森の獣の中のライオンになることができます。羊の群れの中の若い獅子になることができます。そして、あなたの人生は良いもので満たされます!最後に一言お祈りして、聖餐式を受けたいと思います。


 父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。私たちは今日、ひたむきに聖霊様を求めます。先人たちがひたむきに聖霊様を求めてくださった結果として、今、私たちがあることを、心から感謝します。我らも、さらにひたむきに聖霊を求めます。
 二〇一七年、良きもので満たされますように。イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。