「-2017年- あなたは良いもので満たされます!
パート5 ~福音とは何でしょう~」

2017年2月25(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇103篇1節〜5節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。
 賛美、本当によかったですね。さわやかで、まっすぐな信仰が表れていました。しかし今のベース、ウクレレですか?聞いたことのないサウンドでした。神はいろいろな能力を人に与え、楽器も与えて、歌声も与えて、主をほめたたえるようにして下さっています。

 「日本縦断リバイバルミッション」、お祈りに支えられ、大変祝福されています。
 先々週から始まり、東海地方を皮切りに回って来たのですが、今は平岡先生がバトンタッチして新潟を巡っています。前半は私とチェ先生が、共に奉仕させていただきました。チェ先生は韓国人ですが、日本を愛しています。大変日本語がうまくて、韓国語ができるのかな?と思うくらいです。どこに行っても人気があって良い集会でした。
 全日本リバイバルミッションは日本リバイバルクルセードという団体から始まりました。父と田中政男先生の二人が巡回伝道者として立ち上がったことにより、現在はリバイバルミッションとなって、このような働きを全国で展開させていただいています。

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 今年になってから、彼ら二人が伝道者として召し出された原点を振り返っています。背後に不思議な神の物語があったと、お話しさせていただいています。
 私の両親が六十数年前、この地に伝道に入って来たのですが、初めは、豊橋の麻工場で働きながら伝道していました。そんなただ中で、神の声を聞き、豊川に来ていたスウェーデン人宣教師たちと出会って、やがて巡回伝道者として用いられるようになりました。
 六十数年前のことで、その頃の写真は手元に、ほとんど残っていなかったのですが、この時代の写真を大切に持っておられた方がいて、その方から写真を提供していただきました。そこから、新しい事も分かったのですが、これがオーケ・レナンデル先生夫妻です。

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 アルネ・リンデン先生の写真もありました。ご覧の通り、この先生方、五十代に見えますよね。中国で十年以上伝道して後、共産革命で追い出され、それでも日本に来て、宣教活動をされていたのは、すごいと思います。この年になったら、普通なら、国に帰ると思います。
 彼らが日本に来て、宣教活動を始めたことによって、現在のリバイバルミッションもありますし、新城教会もあるのです。先人たちが残した良いものを、感謝し、受け継がないといけないと思います。

 今回提供していただいた写真の中に、不思議な写真が混じっていました。誰か分りますか?

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 時代は、どんどん進んで行きます。時代、時代で、主が働いてくださり、次の世代を準備してくださっています。

 今年になって私は、「あなたは良いもので満たされます!」というタイトルで連続して語っています。今回は、「パート五」になるのですが、毎回読ませていただいているみ言葉が、詩篇百三篇です。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』

 「主の良くしてくださったことを、何一つ忘れるな。」とあります。たまには歴史を振り返って、主が私たちに良くしてくださったことを、思い出す必要があります。忘れてしまってはいけません。「主よ!感謝します!」と、感謝する時、「あなたの一生を良いもので満たされる」のです。

 「良いもの」とは何かについても、お話しさせていただいています。前回、「それは聖霊である」と話しました。聖霊様は良き方です。
 先週の上條先生のメッセージでも、この教会に聖霊様が訪れてくださったことを、私のメッセージを受け継いで語られていました。過去を振り返るなら、それぞれの場面において、主が聖霊を注いで私たちを励ましてくださり、ここまで導いてくださった事が分かります。
 主が良くしてくださった事を、何一つ、忘れないでください。人生を振り返り、「あの時、主が私を助けて下さった!」と記念し、記録を残しておかなければいけないですね。その時、あなたの一生は良いもので満たされます。

 イザヤ書六十一章、大変な有名な箇所です。イザヤ書六十一章一節〜三節、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』

 ここで、『貧しい者に良い知らせを伝え』とあります。主が私たちに与えてくださる事柄は、「良いものである」というのが聖書の主張です。私たちが仕えている神は、良いお方です。
 日本の神々は、どうですか?一生懸命拝んだら、良いことをしてくれる時もあるみたいですが、放っておくと鬼になり悪さをします。神にもなれば、鬼にもなる神。それは、神ではなく、はじめから鬼だということです。何か代償を求めるような神々は、神ではありません。
 しかし、私たちが仕えている主は、とことん良いお方です。
 「良いもの」に関して、『主はわたしに油をそそぎ、』とあります。油そそぎ、聖霊に満たされることが良いことです。
 次に、『貧しい者に良い知らせを伝え、』とありますが、この「良い知らせ」が、詩篇百三篇の「良いもの」につながり、「良い知らせ」を、「福音」と呼びます。

 教会に来ますと、普段ではあまり聞き慣れない言葉が飛び交います。ハレルヤ!とか、アーメン!また、「感謝します!」という言葉が多くあります。教会は感謝が多い所なのです。初めは不平・不満ばかりでも、教会に来て、イエス様に出会うと感謝できるようになります。これらはみな、福音の中でもたらされているのです。

 「福音」を英語では「ゴスペル」といいます。この頃、ゴスペル・クワイヤーが盛んです。この教会にも「ヘブンリー・キングダム」があります。ゴスペルとは、「福音」という意味です。
 普段でも、「福音」という言葉を、ときどき聞きます。どういうふうに聞くかというと、「癌患者に福音!」とか、「目の見えない方々に福音!」というように使います。それは普段では無理なことが、ある薬が開発されたことによって、機械が発明されたことによって、可能になったというのが「福音」であると紹介されるわけです。教会で福音が語られるということは、普段では無理なことが、人生をイエス・キリストに向けることによって、可能になります!ということです。良い知らせ、それが福音です。

 悪い知らせが多い今日この頃、教会に来て、良い知らせを聞きたいですね。『貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』とあります。教会に来ていると、知らないうちに心の傷が癒やされます。別に礼拝が終わった後に、心の癒やしの薬を配るわけではないですが、賛美をしたり、祈ったり、主に目を向けて祈り始める時、だんだんと心の傷が癒やされていくのです。これは良い知らせです。
 この福音を一人でも多くの方々に、伝えなければならないのです。それで今、「全国縦断リバイバルミッション」が開かれているわけです。

 ヨハネ三章十六節、これは大変有名なみ言葉です。みなさんもご存じだと思いますが、聖書の中の聖書とも言われる箇所です。ご一緒に、読んでみましょう。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 すばらしいですね。イエス・キリストを信じるなら、死んでも生きる、永遠のいのちが与えられるのです。やがて、この地上から出て行かなければならない日が来ます。しかしクリスチャンには、希望があります。神と共に永遠に生きる世界が用意されているからです。みなさんとお知り合いになりましたけれど、これは永遠のおつきあいです。だからお互いに、仲良くしなければなりません。お隣に座っている方とは、永遠のおつきあいです。ちょっとお隣の方を見てください。「この人と永遠か・・。たまらんなぁ。」とは言わないで下さいね。お隣の方に、「永遠によろしくお願いします。」と、ご挨拶して下さいますか。「永遠によろしくお願いします。」

 永遠のいのちを受け取るためには、どうしたらいいのか?最も大切な事柄が、第一コリント十五章三節〜五節に記されています。これも、声に出して読んでみましょう。

『私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。』

 この所に、最も大切な事柄が、簡潔に示されています。良きものは、最も大切な事柄とリンクしているわけです。私たちが信仰を持って、歩んでいくためには、聖書の中で、最も大切なことがなんであるかをしっかり、理解する必要があるわけです。
 第一に『キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと』とあります。人間は罪多い者でありますが、イエス様が、十字架で私たちの罪の身代わりとなって死んで下さったのです。この事をみなさん、信じますか?アーメンですか?これを信じないと、始まりません。

 第二番目には、「葬られたこと」。誰でも、死んだら葬られますが、イエス様も墓に葬られたわけです。

 第三番目に、『また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられた』というのです。イエス様は死んだだけでなく、なんと、三日目によみがえられたのです。これは信じられますか?アーメンですか?実はこれが、最も大切なことです。イエス様があなたの罪の身代わりとなって死んだだけでなく、よみがえったという事を信じないといけないわけです。

 そして、『ケパに現れ、それから十二弟子に現れた』となっています。これらは「歴史的事実」ということです。聖書はおとぎ話ではないのです。歴史的に起こった事実のレポートです。
 私たちのためにイエス様は、十字架にかかり、死んだだけではなく、なんと、よみがえってくださったのです。これらを信じる事が重要であるわけです。死んだままの神では、何の意味もありません。よみがえってくださった、今も生きておられる主、この方を信じるなら、永遠のいのちが与えられます!これが福音です。すごいじゃないですか。

 日本はクリスチャンが本当に少ないです。人口の一パーセントと言われますが、現実には、プロテスタント教会の礼拝に集っている人たちは、全国八千くらいの教会を合計しても、二十五、六万人です。ということは、総人口のたった〇・二パーセントくらいです。そのくらいしか、生きたクリスチャンがいないのです。本当に悲しいです。
 しかし、そんな少ないクリスチャンの一人として、選ばれたということは、本当に感謝です。
 しかも、世界規模のうねりの中で、ここにいるということを、感謝しなければいけないと思います。自然に救われたような、偶然救われたような感じを持ちますが違います。歴史を振り返る時、歴史を動かしておられる主が、私たちを救ってくださった!のです。

 イエス・キリストを信じる者たちは救われて、地球から逃げて天国に避難できる。しかし、主を信じない者たちは、滅びてしまう。ということを、福音として捉えている場合が多いです。永遠のいのちが与えられているのにもかかわらず、残念なことに、信仰から離れる人も多いのも事実です。
 新城教会も、六十数年を振り返ったら、大勢の方々が、イエス様を信じたのです。洗礼まで受けたのです。しかし、あれ?あの人どこ行っちゃったの?というような人もいるわけです。しかしこれは私たちに限ったことではなく、世界的問題です。

 何年か前、アメリカで、日本で、ある本が大変有名になりました。多くの人に読まれたのですが、それはマクナイトという人が書いた「福音の再発見」という本です。帯にも記されているように、「なぜ多くの若いキリスト者が、今日教会を去ってしまうのか?」となっています。これは世界規模の問題だというわけです。
 著者がいうのには、アメリカにおいては十三歳〜十七歳の六割はクリスチャンになるというのです。やはりキリスト教文化が国全体にありますから、六十パーセント近くがイエスを信じる決心をするというのです。しかし三十五歳になって信仰生活を続けている人は、総人口のわずか六パーセントにしか過ぎないと言うのです。

 また福音派に属する教会では、教会に来ている子どもは、九十パーセントくらい信仰を持つというのですが、残るのは良くて二割だというのです。
 日本でも大勢の人たちが、クリスチャンになるけれど、教会は成長しないのは、どこに原因があるのかというと、多くの人が途中で信仰を失うからです。それで、教会は増えないというのです。
 ある人が研究した結果によると、日本のクリスチャン寿命が平均何年くらいかと言いますと、だいたい三年だと言われます。三年くらいすると、教会に来なくなる人が多いというのです。今日、みなさんの中で、「私は三年以上、教会に来続けている!」という人、スイッチオン!おぉ〜、結構、新城教会は多いですね。素晴らしい。みなさんは鮭のような存在です。卵からかえって、海に下り、生まれた川に上がる途中、食べられるのです。日本ではだいたい三年以内で喰われちゃうみたいです。それでも皆さんは、頑張って上っているのです。しかし、最後に熊が待っていますから、気をつけてくださいね。「熊」の前に「あ」がつくかもしれませんが、クリスチャン生活を長年続けるって、大変です。

 今まで、よくやってきたなぁと、山あり坂あり、様々なクリスチャン生活が展開されてきたと思うのです。この傾向は、日本だけではなくて、世界中の問題です。
 マクナイトは、どこに原因があるのか?をいろいろと研究したのです。様々な要素があるけれど、彼の結論はこうです。

 伝えるべき福音が、小さくまとめられてしまっている。本来、伝えられるべき福音が伝えられていないところに原因があるのではないか、というのです。「福音の矮小化」という言葉を使っていました。こじんまりするという意味です。

 さて、みなさん、福音とは、どういうものか?先ほども語ったように、私たちがイエス様を信じたら、永遠のいのちが与えられ、やがて天国に行くことができる、信じなかったら滅びてしまう。これは本当です。しかし、それだけではないのです。福音の全容がしっかりと把握されていないがゆえに、問題が起こっているのかも知れないと言うのです。伝えるべき福音が矮小化され、本当に大事なものが伝えられてなく、信仰生活三年くらいで失ってしまうような事が起こるのではないかというのです。

 では福音とは、実際、どういうものだろうか?ということで、福音の再発見なのです。聖書が提示している福音の全体像は何でしょうか。ただ、個人的な救いだけを救いと捉える傾向が強いですが、聖書全体から捉えると、そうではないのです。
 何年か前に、「リバイバルジャパン」という雑誌に、「福音とは何か?」というシリーズが連載されていました。私も書かせていただいたのですが、この間、バックナンバーをちょっと読んだら、一人の先生の「福音とは何か?」の記事がすごく良かったのです。その先生は、私も若い頃お世話になった、神田先生の記事でした。福音とは何かの全容を、なかなかうまくまとめておられました。ちょっと読ませていただきます。

http://www.revival.co.jp/rj/2011/07/post-176.php

 先生は聖書全体から、福音とは何か?を捉えておられます。多くの人は、福音とは、人類のためだけにあると考えています。教会は救命ボートだ!世の中は、どんどん悪くなるから、こんな世には未練はない!やがて天国に行くんだから!という福音観しか持っていないのです。私の父とか、田中先生もそれを福音として語っていました。
 でも、聖書全体から見ると、そうではないというのです。福音とは、「全宇宙、地球、自然、すべての生物、社会制度、被造物全体の回復!」なのです。その中に、人類の救いも含まれているわけです。
 案外、私たちは、人類の救いだけにフォーカスを当てています。しかし、全宇宙、被造物全体の回復ということに関しては、意識しないのです。ゆえに福音が小さくまとめられ、一部だけが福音の全体かのように捉えられるがゆえに、問題が起こるというのです。なぜなら、クリスチャンが役割を果たす事が出来ないからです。その結果、糸が切れた凧のように、信仰を失う事が多いのではないでしょうか。神は被造物全体を回復しようとされており、新しい天と新しい地を創造し、回復しようとされています。そのために人間は創造されたのです。

 ノアの箱船のストーリーは、それをよく現しているとありました。創世記九章九節〜十一節で、神が洪水後、ノアと子どもたちに契約を結ばれましたが、人類だけとの契約ではないというのです。
 「あなたたちと共にいる、鳥や獣や地のすべての獣など、箱舟から出て来たすべてのもののみならず、地のすべての生き物と契約を立てる。」とあります。神は、獣とも契約を結んだというのです。案外、私たちは、「福音と獣は関係ない!」と考えるわけですが、神の目から見たら、動物たちも愛する創造物なわけです。
 実際、ノアの箱船の時、人類を助けるだけでなく、動物たちも助けられたのです。植物や種など全て助けたのです。
 人間は特別だ!と、いばっているのですが、神の視点は、ただ人間だけに注がれているのではなく、もっと幅広いものであることが分かります。

 コロサイ人への手紙一章二十節は、イエス様の十字架について語っています。イエス様の贖いは、もちろん私たちの罪の身代わりであったのですが、パウロはこう語っています。コロサイ一章二十節、

『その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。』

 イエス様の十字架は、人間と神との間の和解だけでなく、天にあるもの地にあるもの、被造物すべての和解と回復のためであったと述べられています。福音とは、全宇宙的なものです。そして、この福音を実現するために、人がどうしても必要なのです。なぜなら人は、被造物の回復のために、重要なポジションとして造られたからです。

 創世記一章二十七節〜二十八節を読んでみましょう。何年か前に、「私たちは地球の管理人」と、シリーズでお話しさせていただきましたが、一章二十七節、二十八節。

『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」』

 人間とは、なんのために創造されたのでしょうか。それは地にある、すべてを支配する存在として、管理人として造られたのです。
 続いて詩篇八篇三節〜九節、

『あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』

 ダビデは一つの疑問を持ちました。人って一体、何者なんだろう?って。なぜ、神は人を創造されたのだろう?と。そうしたら、神が答えを与えて下さったのです。

『あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。』

 人は、神に次ぐ存在なのです。時々、「私のように塵芥のような者を救ってくださって…。」と自分を過小評価しますが、それはやめたほうがいいです。人類は神より「いくらか劣る」存在です。「いくらか」とは、「ちょっぴり」という意味です。神に次ぐ存在として、創造されたのです。じゃぁ人は何をするのかと言ったら、神はご自身の権威、権限を人に委託されたのです。すべての生き物を支配する支配権を、人に委託されたわけです。
 神の計画、「新しい天と新しい地の創造」が、福音によって実現するために、人が必要だったわけです。人が機能しなかったら、神の計画は地に落ちてしまうのです。ゆえに、人類の救いは、スタートラインに過ぎません。私たちは救われたら、おしまいじゃないのです。救われるとは、スタートラインにつくことです。信じて「一丁上がり!完成!」ではないのです。スタートラインです。
 私たちは、神様から与えられた使命、「地にあるすべてのものを支配する」ために働かなければいけないのです。

 福音とは何か?それは、天国に避難するだけではないのです。福音とは、全宇宙、地球、自然、すべての生物、社会制度、すなわち、被造物全体の回復です。その中でカギとして用いられるのが人というわけです。
 しかし、この偉大な福音が実現しないように働いているのが、悪魔です。人はこれらをやっつけて、福音が地に実現するように戦うのです。そのための武器が何かというと、「祈り」です。
 人類に与えられている、最大の武器は何かというと、「祈り」です。「私は生まれてから一度も、祈ったことがない」という人はいないでしょう。祈りは、人間だけに与えられている権利です。猿が祈っているの、見たことないです。日本では正月に八千万人くらいが初詣に出かけます。対象は間違っていますが、祈りたいという本能であり、衝動です。初詣にいったら、隣に猿の軍団が来て手を合わせていたとか、賽銭の代わりにどんぐりを投げていたとか、見たことないです。人間だけに「祈り」が与えられているのです。

 祈りには、二つの方向性があります。一つは、「神への願い」です。私たちには、神に願う心があります。
 しかし祈りには、もう一つの方向性があります。先ほども主の祈りを祈りましたが、「御心が天でなされるように、地でもなりますように。御国が来ますように。」と祈りました。「なりますように。」となっていますが、原文では命令形です。「御心よ、なされよ!御国よ来たれ!」という、権威の行使です。これは敵に対する、神から与えられた権威の行使です。この二つがそろって、初めて祈りなのです。
 
 聖書は、「神に近づき、悪魔に立ち向かえ!」と勧めています。私たちは主に近づいて情報を頂き、悪魔に立ち向かう使命を忘れてはなりません。
 福音とは何か、一言で表現するならば被造物全体が悪魔の支配から解放されることです。
 イザヤ書六十一章で良い知らせが、「捕らわれ人が解放され、囚人が釈放される」ことが良い知らせであると述べています。それが「主の恵みの年」、すなわち、ヨベルの年につながっていることから、人だけではなく、自然界を含むすべての被造物の解放を意味しているのです。この福音を実現するために用いられるのが、人です。
 「救われて天国に行けます!」は福音の全貌ではないのです。目的を受け取ることが出来なければ、クリスチャンになっても、結局、虚しくなるのでしょう。「クリスチャンのクは、苦しいのクだ」と教会を去ってしまう人が多いのかも知れません。「被造物全体が悪魔の支配から解放されることが福音!」という理解を受け取り、その為に用いられるのが人類であることを理解したら、人生は変わるはずです。

 人類が創造される前、神と天使族しか存在しませんでした。しかしあるとき、天使長、ルシファーが神に反逆し、地に落とされたのです。その時に神は何をされたのでしょう。人類を創造して、「地をはう生き物を支配せよ」と仰せになりました。本来、アダムとエバが人としての機能を果たしていたら、すべてが回復されたはずです。
 しかし彼らは蛇にそそのかされて罪を犯し、神の前から追放されたのです。その結果、人類と悪魔の序列が逆転し、悪魔・悪霊どもが人を支配するようになったのです。

 神は悪魔に敗北したのでしょうか。そうではありません。神は神の子イエス様を地上に送り、十字架により、人類の罪を赦し、悪魔の権威を人類に取り戻したのです。主を信じる者たちが、もう一度、正しいポジションに戻されたのです。

 魂の救いは大切ですが、それで終わりではありません。救われた者たちがスタートラインに着くことが、さらに大切です。いくら救われても、管理人としてのスタートラインにつかなければ、機能を果たしていない事になります。福音のごく一部しか実現していない事になります。
 人類は元々、天も地も含めて、すべての管理者として造られたのです。
 これは東京リバイバルミッションの時の写真です。決心者がこんなにも与えられました。

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 すごいでしょう。過去の栄光にすがっていてはいけないのですが、一般的に伝道者は、これだけ大勢の決心者が与えられた!成功だ!と言います。しかし、これはスタートにしか過ぎないのです。救われた者たちには、使命が与えられるのです。福音は、宇宙規模の回復ですから、その為に、それぞれに能力が与えられているはずです。それを実現するために、主はみなさんを用いられるのです。

 神はすべてを造られました。しかし時々創造の意味がわからない時もあります。

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 これは何でしょう。インフルエンザ・ウイルスです。今日もインフルエンザで礼拝に来られなかった方が何人もおられます。先週は家内がインフルエンザになりました。ほとんど治ったのですが、今日はインターネットで礼拝させていただいています。インフルエンザのウイルスは好きですか?嫌いですか?絶対、好きではありません。嫌いです。でもこれ、誰が造ったのでしょうか?悪魔が造ったのではないはずです。なぜなら、悪魔は被造物であり、創造者ではないからです。新しいものを造ることができるのは、神しかいません。神がインフルエンザのウイルスを造ったのです。「え〜!」

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 しかし、嫌われるバイキンマンのように、バイキンマンとアンパンマンの関係はウイルスやばい菌、そして、人との関係に似ています。

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 人の体重の約一キロはウイルスとかバイ菌だそうです。あなたも私もバイキンマンです。人の細胞の百倍くらいの細菌が人の体に存在しているらしいです。人と体内の細菌は共生しています。それが人生です。あなたも私もバイキンマン!細菌やウイルスを嫌いますが、人間が生きるために彼らは必要らしいです。それらがいなくなると、人は、生きることができないらしいのです。どういう目的かは知りませんが、神が造られたわけです。
 でも、インフルエンザのウイルスさん、かわいそうだと思います。人間から嫌われています。彼らにも、本来は、なんらかの目的があるはずです。しかしそれが果たされずに、人を攻撃する存在になっています。

 ある人がブログに書いていましたが、日本人は世界で最もバイ菌を虐待し、虐殺している国民だというのです。なぜなら、日本人が一番、除菌好きで清潔好きだからです。動物を虐待したら大きな問題になります。しかしウイルスやばい菌を殺しても、問題になりません。しかしこれらも神の被造物です。

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 私たちは細菌をむげに扱っていますが、神が自然界に必要として造られたのならば、正しく管理しないといけないはずです。彼らが人に攻撃をしかけるのではなく、本来の目的に戻るように、祈らなければいけないのです。
 先週、このメッセージが与えられたら、家内がインフルエンザになりました。私もインフルエンザになったら、メッセージを語ることが出来ません。絶対に管理しないといけないと思って、「インフルエンザのウイルスよ、よく聞け!おまえは創造された場所に戻れ!俺の所に来るんじゃない!」と命じました。すると、見てください。我が家はウイルスが蔓延していると思われますが、守られました。しかし、明日は我が身かもしれませんので、なんとも言えませんが。

 人って、見えるものはリスペクトするのですが、見えない領域はあまり考えないです。しかし目に見えない世界が広がっているわけです。天の高い所から、最も低い所まで貫いているわけです。一人一人、神から、それぞれ興味と賜物が与えられています。その領域のために、祈る器にならなかったらいけないです。
 ある人は、宇宙に興味があるかも知れません。その人は、宇宙が悪用されることなく、全宇宙が回復されるように祈ってください。環境問題に興味がある人は、自然界の回復を祈らないといけないです。日本は地震大国です。地震が起こらないように祈らないといけません。
 今、大きな問題は福島第一原子力発電所です。この頃、ロボット・カメラが入って、炉内の状態が分かって来ました。メルトダウンとかメルトスルーを超えて、メルトアウトかも知れないと言われます。放射性燃料は、コンクリート基礎をつき破り、地面にまで達しているかも知れないとも言われます。地下水と接触したら爆発するそうです。
 私たちは、大変危ない国に住んでいます。正しい情報が出て来ていません。しかし、誰かが重荷を持って、管理の祈りが必要です。不必要な放射能が消えるように、祈りが必要です。興味を持っている方は、使命があるわけです。

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 この写真は好きですか?見ただけでくしゃみが出る人もいるでしょう。これからの季節、新城教会の前の雁峰山、杉花粉の山と言っても過言ではありません。花粉も、神が造られました。でも、花粉が多すぎます。なぜなら戦後、木を植えたら儲かるということで、杉の木を必要以上に植えたからです。人は杉の木を管理する必要があります。
 また、花粉が人の体に悪さしないように、祈る人がいてもいいです。すべての生態系に関しても、祈らなければいけないと思います。
 みなさんの中で、動物好きな方は動物たちの回復を、祈る必要があります。
 動物たちも回復され、本来の位置に戻って、神の栄光が現されるように祈る必要があります。私たちは、全宇宙の回復、新しい天と新しい地が造られるために祈るのです。

 福音とは何か?ただ私たちが救われて天国に行っておしまいではありません。福音とは、全宇宙の回復であり、神が造られた被造物全体の回復です。それをとどめるのが悪魔です。人が暗闇と戦っていく時、暗闇の力は打ち破られ、福音がこの地を覆うのです。
 みなさんには、祈りという武器があります。祈りはただ単に、神に対しての願いの領域だけではなく、敵に対して、主から与えられた権威を行使する領域があります。これこそ人類に与えられた使命です。
 この地を福音で満たす為に祈りましょう。

 この偉大な福音を実現するために、イエス様は十字架にかかって血を流してくださったのです。全宇宙に対する福音を意識して、今日は聖餐式にあずかりたいと願っています。最後に一言、お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて感謝します。被造物全体に及ぶ福音について学びました。今日、私たちにスタートを切らせて下さい。イエス様が十字架にかかって罪の身代わりとなって死んでくださったことを、心から感謝します。同時に、被造物全体の和解のためであったことを感謝します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。