「―2017年―あなたは良いもので満たされます!パート8
 ~全世界で福音を宣言しよう!~」

2017年3月26(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マルコの福音書 16章15節

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。子どもたちの素晴らしい賛美でした。良かったですね。あの歌は、私が作った歌です。でも歌詞が意味深でしたよね。「イエス様と一緒なら旅も辛くない。約束の天国に足どりも軽い。」ネパール宣教の歌を歌ってくれて、心から子どもたちに感謝しています。

今週は四月になります。新しい年度になるということで、大変慌ただしい毎日が続いていますが、皆で主を礼拝して新年度を始めることができる事を感謝します。

 待ちに待ち、準備してまいりましたネパール宣教ツアー、新城教会の年間一大イベントですが今日出発です。昨年は八月に行かせていただきましたが、今年は三月に変更させていただきました。
 夏は雨季で大変です。崖崩れがあったり、天候の急変で、本当に大変ですが、今は乾季で雨が降りません。しかし情報によりますと、気温が三十度くらいでかなり暑いみたいです。
 昨日、ツアーに先立ち、近くのネパール人のカレー屋さんがありますので行きまして、いろいろと情報を仕入れました。「来週から行くよ!」と言ったら、いろんな話をしてくれました。「私たちの国を助けに行ってくれて嬉しい!」と、すごく喜んで下さいました。「でも暑いよ。」と言われました。ちょっと大変だなぁ~と思いますが、みなさんの祈りに支えられて旅立つことになりました。

 今回、四チームに分かれてネパールまでいかなければなりません。なぜなら、同じ飛行機が取れなかったからです。この礼拝が終わったら十二時半に三チームが出発します。中国経由です。皆、何を心配しているのかといったら、ネパールよりも中国のほうを心配しています。途中で乗り継ぎが二回くらいあり、一泊しなければならないからです。あるチームは空港で一泊する過酷な旅です。しかし、すべて主の導きの中で意味のある旅だと信じます。
 ネパールツアーに参加される人たちに、ネパールで披露する賛美と踊りをお願いしたいと思います。是非、祈りつつ励ましていただきたいと思います。ではネパールのダンスチーム、よろしくお願いします!

 とりあえずネパールがどこにあるのか知らないといけないので、地図をお見せします。

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 日本から見れば西のほうになります。インドの北にあたります。では、大きな拍手でお迎えしましょう!

♪ホザナ!♪

 今回は総勢三十名の方々が共に行ってくださるのですが、日本からは二十七名、アメリカから現地に来てくださる方々が2名、韓国から一名が合流してくれます。いろいろな国と協力してネパール宣教がなされます。
しかし、新城教会が中心でやらなければならないので知恵がいります。今回関わってくださる国々は、日本、韓国、アメリカ、そしてネパール、インド、中国の方も現地で加わってチームで働きます。

 今回もチトワン郡パレワコ村におじゃまします。そこから見える景色はこんな景色です。
 夏はヒマラヤ連峰も綺麗に見えます。そこはチェパン族の人たちが住んでいます。

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 ネパールは六十くらいの少数民族の集まりで成り立っています。特にチェパン族の方々は、その中でも最も古くからネパールに住んでいる原住民の方々です。いつも紹介していますが、彼らが住んでいる所まで到達するには、こんなジャングルのような所や岩場を約、五時間登ります。

 この村は子どもたちが大勢います。

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 ここの人たちはこの場所で生まれて、ここで死んで行きます。平均寿命は四十歳以下です。なぜなら、幼児死亡率が大変高いからです。ここは医者もいません。食べるものもほとんど自給自足です。

 今回、どんな働きをするのかというと、お手元にスケジュールがあると思いますので、ぜひよく読んでいただいて、とりなしていただきたいと思います。
 まずは向こうに着きましたら、次の日の早朝、チトワンまで、七時間くらいかけてバスで移動します。危ない川沿いの道を進んでいきます。チトワンに着いたら、その日のうちにチームは山に登ります。夕方にはパレワコ村に着くでしょう。
 そして翌日の準備をします。今回は新城教会のお医者さんが二人、山に行ってくださいます。山の上で医療ミッションがもたれます。同時進行で、子どもたちの集会をしたり、とりなしに行ったり、今回はその村のことをもっとよく知りたいので、アンケート調査もします。「毎日何を食べているのですか?」とか、「何を拝んでいますか?」とか、いろいろ細かい調査もして、「家族は何人ですか?」とか、将来に向けて、より深い働きをさせていただきたいと考えています。

 そして二日目は、現地の方々の家にホームステイです。ホームステイと言っても、こちらとはかなり違う家屋です。
 二千年前の縄文人の住宅と、チェパン族の現代の住居とは、ほとんど変わりません。という事は、昔から生活スタイルをほとんど変えていない人たちなのです。一九六〇年代までは、ほとんど知られていなかった人たちです。山で自給自足の生活をずっと続けていた人たちです。
 ある意味で謎の人たちです。ですから、この方々をもっとよく知って仕えさせていただきたいと願っています。

 私は山には一日遅れて登ります。ふもとのチトワンには多くの教会があります。教会の牧師先生方やリーダーの方々と集会を持って、特に今回は霊的戦いセミナーを持たせていただくことにしています。是非とも祈っていただきたいと思います。今回良い通訳の方が見つかりました。日本語からネパール語に通訳してくれます。私が日頃語っているメッセージを送り、聞いてもらって準備してくれています。この地域の牧師先生方やリーダーの方たちが集まって、霊的戦いの学びを持つことにしています。

 一日遅れで山に登りますが、感謝なことに、車で登れるという噂です。あくまでも噂なので、行ってみないとわかりません。乾季なので、登ることができるみたいなのですが、どんなふうにも対応して働きをまっとうしたいと願ってます。
 来週の日曜は、ここに帰って来ているはずです。来週は報告会もさせていただきます。前線に出て行く人たちも、待っている方々も、同じ霊的戦いです。
 前線に出て行きますと、新城で祈ってくれているのが本当に、ひしひしと分かります。祈りの力を毎回感じています。今回も心から期待をしています。
 LINEに登録していただきますと、現地に電波がある時には報告させていただきます。是非とも、世界宣教LINEグループにお入り下さい。お近くの若者に聞けば、どう加入したらいいか分かります。
 でも、時差があるので、情報が夜中に届いたりします。夜間モードにしておけば、着信音は聞こえません。時差は三時間十五分遅れです。そんな中で奉仕をしますので、ぜひ祈っていただきたいと思います。
 強行軍です。山の上でフードミッションも行います。主食はほとんどとうもろこしの粉みたいです。
 ゆで卵を食べられるのが一年に一度か二度という所です。ですから、ゆで卵なんか差し上げたらすごく喜んでくれるのです。
 今回はシェフが行かないので、男たちの手料理になるわけです。去年までは私たちの教会のシェフ、夏目栄子伝道師が行きましたから、みんな喜んで食べたのですが、今回はどうなるか心配です。今回のメニューは「豚汁」です。そういうものが口に合うかどうかも心配です。以前はカレーライスを作りました。インド人にカレーライスを食べさせたら、これはなんだい?と言って食べていました。

 『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。』とあります。イエス様が語られた大宣教命令です。これは、すべてのクリスチャンと教会に語られている言葉です。教会は、この命令に従がわなければいけないですね。ただ地域の伝道だけでなく、「全世界」という視点を持って、福音を伝える時に神の国が近くなります。
 今回、このミッションのテーマとなっているみ言葉が、ミカ書五章七節~九節です。みんなが着ていたパーカーにも、この言葉がプリントされています。ミカ書五章七節~九節、

『そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。』

 なかなか力強いみ言葉です。このみ言葉を受け取って出かけて行きます。

 チェパン族の人たちは、「残りの者」のような存在だと思います。長い間、隠されていた鍵をもった「残りの者」たちではないかと思います。
 終わりの時代に誰が用いられるのか、聖書を読んでいきますと、「残りの者」というキーワードがあります。神から特別選ばれ、保存されていた「残りの者」がいるのです。ある意味、クリスチャンは「残りの者たち」と呼んでもいいと思います。
 しかし、さらに世界の七十億以上の人たちの中で、「残りの者」のような、主がお帰りになる道を用意する特別な使命を持った人たちがいるのではないかと思います。
 誰も目に留めないチェパン族の人たちは、主から見たら残りの者のような大切な存在ではないかと思います。私たちは彼らに福音を伝えて、残りの者として機能できるように、励ましたいのです。

「残りの者」とはどういう人たちか。『多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。』とあります。百獣の王、ライオンがいますが、森の中で一番強い動物です。
 イエス・キリストを信じると、多くの獣の中の獅子のような存在としてあげますという約束です。多くの強い獣の中で、ライオンは最も強い存在です。イエス様を信じるなら、あなたはそのようになります。
 そして、さらに一歩進んで、「羊の群れの中の若い獅子のようだ」というのです。もしも羊の群れの中に、若い、腹を空かした獅子が入り込んだらどうなりますか。羊の食い放題です。

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 前にもこの写真をお見せしましたが、イエス・キリストを信じる者たちは、羊になるのではなく、獅子になるのです。周りに多くの敵がいたとしても、そんなの問題ではないのです。羊の群れの中に紛れ込んだ、若い腹を減らした獅子のようになるのです。

『あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。』

 こんな人生を歩んでいきたいですよね。イエス・キリストを信じるのは、私は弱いんです・・・ではなく、今までは弱かったかもしれないけれど、パワフルにしてあげますよ!という約束です。

 一般的に見ると、チェパン族の人たちは弱く見えるような方々です。しかし、神の目から見たら森の中のライオンのような、羊の群れの中のライオンのような存在になれる人たちではないかと、感じています。その方々に仕えるのが、私たちの使命ではないかと思います。

 この近所には虎が住んでいます。でも私たちはライオンとして行くのです。先日メールで、「虎は出ますか?」と質問したら、「近頃は出ていません。」という回答でした。でも先週、「虎はいません。」とメールをもらい、ホッとしました。

 私は十年くらい前に、この場所に何も知らずに連れて行かれました。韓国の宣教師の方が「順先生、ちょっと一緒に宣教地に行ってくれますか?」と言うもんだから、私はカトマンズで集会をするもんだと思っていたら、七時間くらい車で連れて行かれて、山に登るというのです。夕方だったのですが、あなたたちは特別、トラクターに乗せてあげると言われました。トラクターに乗ったのですが、三十分もしないうちに、タイヤがはまり込んで動かなくなりました。みんな下ろされて、先週もちょっと話したのですが真っ暗闇でした。闇というのはこういうものか、と体験しました。家内が一緒で、飛行機の中でチェパンの人たちが住んでいる地域のことを読んだというのです。この辺は、よく虎が出ると言いました。それで、ちょっと怖くなりました。
 そういえば、登る時に「懐中電灯を上ではなく、下に向けて!」と言うのです。深く考えていなかったのですが、虎が来るからだったのです。夜中の十時過ぎだったでしょうか。あたりは真っ暗で、私たちはトラクターが掘り出されるのを待っていたのですが、森でガサガサ音がしました。びっくりしてフラッシュライトで照らしたら、なんと子どもが立っていました。
 あの時ほど、ほっとしたというか、慰められたことはありません。虎が出て来ても絶対に、こっちを食べる!いうことではなくて、真っ暗闇の中、子どもが裸足で立っていたのです。本当に慰められた思い出があります。

 思わぬ所に主は宝を隠されているのではないかと思います。

先週もお話ししましたが、『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』とありますが、「福音」とは、どういう意味かについて、お話しさせていただきました。私は、シリーズで話していますので、分からない所があったら、インターネットとかで先週のメッセージなども読んでいただくと分かりやすいと思います。
一般的にキリスト教会が、「福音とは何か?」という問いかけに、「人類の救い」と信じていたわけです。
 人類の救いは当然のことなのですが、近頃、聖書研究が深くされるようになり、また、紀元一世紀ごろのこともいろいろと分かるようになってきて、当時の福音の意味と、現代の教会が伝えている福音は違っていることが分かってきたのです。イエス様が伝えていた福音、弟子たちが伝えていた福音と、現代の教会が、「これが福音です。」と伝えている内容とでは、結構差があるというのです。それで、聖書全体が伝えようとしている福音に戻らなければならない!と気づき始めました。

 先週も、「福音とは何か?」を図にしてお話ししましたので、覚えておられると思いますが、「イエス様を信じたら救われる。」これは本当です。そして、「イエス様を信じる者は、地球から天国に避難できる。」そして、信じない者は地獄の火で燃やされる。
 しかし、福音を聖書全体から見るならば、「全宇宙、地球、自然、全ての生物、社会制度、被造物全体の回復。」これが聖書が語っている「福音」の全容だというのです。
 では、人間はどうして特別な存在なのか?聖書は人にフォーカスが当たっていますから、当然、そう理解します。しかし、聖書をよく研究してみますと、人とは被造物の管理人として造られたことがわかります。最初に人が救われないと、被造物の管理人となれないのです。神は人間を造り、被造物全体を管理させたいと願っています。ゆえに福音とは、神が造られた被造物全体に与えられたものだというわけです。
 私たちが、「救われて天国に行く」で止まっていてはいけないとお話をしました。人類の救いは、スタートラインであり、そこから始まるわけです。

 先週も紹介した、詩篇八篇にはその事が書かれています。ダビデはここで「人とは何者なんだろう。」と、二度もつぶやいています。詩篇八篇三節~四節、

『あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』

 なぜ、神は人を心に留められるのか、顧みてくださるのか・・・。この、人とは何者かという問いに対して、詩篇八篇五節から、神は答えを与えています。

『あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。』

神は人間を神に次ぐ存在として、栄光と誉れの冠をかぶらせたのです。そして、詩篇八篇六節、

『あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。』

なんと、牙もない毛皮もない、弱く見える人間の足下に、被造物の全てがおかれているというわけです。人類に最初、神が目を留めたのは、神が造られた被造物全体を管理する者として、また、神の代理人として、造られたからです。

 私たちがなぜ生まれたのか・・・、神は天の高い所から、地のどん底まで、数え切れないほどの創造をなさいました。それらを管理するために私たちは造られたのです。すごいですね。あなたは神から権限を委託された、管理人であるということです。

 福音とは、神が造られた被造物、すべての回復につながるものです。その偉大な働きのために、私たちは歩まなければならないのです。福音の意味をしっかりと理解しないと、福音は伝わらないとパウロは語っています。
これもちょっと復習になりますが、コロサイ人への手紙一章六節、

『この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。』

 日本になかなか福音が伝わらないのは、どうしてか?日本の教会が、またクリスチャンたちが、福音の意味を本当に理解していないのではないのかというのです。
世界中でリバイバルが起こって、多くの人たちがクリスチャンになるけれども、永遠のいのちをもらったはずが、皆、教会から離れて信仰を失ってしまうというのです。
 どこに原因があるのだろうか?その原因が、福音を正確に理解していなのではないかと指摘されています。
 今まではただ単に人類だけの救いの理解で、人類が滅びないで天国に行けばそれで終わり。それが福音のすべてのように考えていたのは、間違いであったと教会が気づき始めたのです。
 私たちが福音の全容を理解すると、福音は自動的に広がっていくというわけです。

 先週も「福音の再発見」という本の中からお話しさせていただきましたが、一九四ページにこのように書かれていました。

“人間の責任は、神、自分自身、他者との間に関係を持つことであり、また神と共に支配するものとして、神の宇宙的神殿における、神の臨在の仲介者として、世界と関わることである。”

 なんか気が遠くなるような文章ですが、「えっ!そんな存在なわけ?」とびっくりします。人間とは、宇宙規模の広がりの中で、神が造られた被造物を管理する権限が委託されている存在です。この計画から漏れている人は誰一人いないのです。生まれて何の意味があるんだろう?と、時々思いますが、こんな大きな意味があるわけです。

 先週も話しました。「福音とは宣言である!」というのです。福音は宣言しなければいけない!のです。「高い山に登って宣言しろ!」とあります。元々福音ということばは、良い知らせをより多くの人に宣言することだったのです。ただ人だけに対する福音ではないですから、被造物全体に対しての宣言です。被造物全体に良い知らせを宣言する係のために、人間は造られたのです。

 ローマ人への手紙八章十八節~二十二節にこんな言葉があります。ここも先週読んだところですが、

『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。』

 八章二十二節をリビングバイブルで読みますと、

『動物や植物のような自然界のものでさえ、このすばらしい日を待ち望みながら、病気や死の苦しみにうめいていることを、私たちは知っています。』

 福音の究極的な実現は、イエス様がこの地上に帰って来られる「その日」です。
なんと被造物全体にはうめきがあると言うのです。このうめきは、どこに向かっているうめきかと言ったら、イエス様が帰ってくださる「その日」に向かってのうめきだというのです。
動物や植物のような存在でさえ、「この日」を待ち望みながら、病気や死の苦しみにうめいているというのです。

 今日も病気の方が、おられるかもしれません。しかし、病気は人だけに限ったものではないのです。動物にも病気があります。植物にもあります。自分の病気とか、人類の病気に関しては強い関心がありますが、動物とか植物になると、レベルは下がって行きます。
 でも、動物も植物も神によって造られた被造物です。病気を共有しているのです。どうしてかと言えば、人類が神に背いた時に、人類の足下の被造物も呪われたのです。神の被造物は人の足元にありましたから、人が呪いを受けたら、自然界も全て呪いを受けてしまったのです。ゆえに、人間と同様に、動物、植物も病気にかかるのです。同じ苦しみがあるのです。
 人間の苦しみは、ただ人だけでなく、被造物全体の苦しみ、うめきに、リンクしているのです。パウロは本当に深い理解をしています。ローマ人への手紙八章二十六節から続けて読んでみますと、ローマ人への手紙八章二十六節~二十八節、

『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』

八章二十八節は、有名な言葉です。 いろんな事があって、主は、必ず良くしてくださる!益としてくださる!という、クリスチャンの信仰告白の言葉です。でも、これを全体から読み解いていきますと、すべてが益にされるには一つの条件があるのです。
 そのキーワードが、「うめき」です。「人のうめき」、「被造物全体のうめき」、そしてもう一つは、「聖霊のうめき」です。「うめき」というキーワードでチェーンのように、つながっていることが分かります。
 ということは、「すべてが益」に導かれるためには、方程式があると思われます。

「人の苦しみとうめき+被造物全体のうめき+聖霊の深いうめき=すべてが益となる」

という方程式です。
 今まで私たちは、人の苦しみとうめきは理解していました。もう一つは、聖霊のうめき、がとりなしてくださる、イエス様がとりなして下さる事も分かっていました。しかしパウロは、それだけではなくて、「被造物全体がうめいている」というのです。全てつながっているのです。私たちが、人のうめき+被造物全体のうめき、聖霊のうめきの輪の中に入ったら、「すべてがあい働いて益となる」のではないでしょうか。

悪魔も被造物全体に対する福音の真理、奥義を、隠していたのではないかと思います。
 実に、私たちは、このようなすごい役割を委託されて生きているのです。

今回私たちは、人のうめき、被造物のうめき、聖霊のうめきと、とりなしという視点と共に、チェパンの人たちの所に行きたいと願っています。

 去年まで、私はチェパン族のところに行っても、あんまりピンと来ていませんでした。この人たちは文明から取り残された人たちだと思っていたのですが、昨年、主が、「そうじゃない!この人たちは残りの者として重要な人たちだ。この人たちが立ち上がり、管理人となるように協力しなさい!」と語られた気がしました。

 以前にもお話ししたかもしれませんが、山に行く時は、ちょっとお土産を持って行きます。ペロペロキャンディーとか、百円ショップから飴玉を買って持って行くと、この頃では喜んで受け取ってくれるようになりました。
 最初はちょっと警戒していました。あげても、なかなか食べないのです。最初に私が食べて「うまいぞ!」と言ったら、食べるようになりました。でも彼ら、食べた後、包み紙とか、ペロペロキャンディーのカバーを、そこらにポイポイ捨てるわけです。だから私は、「あのね、ゴミは捨ててはいけないよ。集めないといけないの!」と教育してあげました。
 そこらにポイポイと捨てちゃ駄目だよ。ゴミはちゃんと処分しないといけないよと、教育して、ちょっといいことしたかも思ったのですが、後から考えて「いや、もしかしたら、私たちのほうが間違っているのではないか?」と考えるようになりました。
 なぜなら、彼らが日頃食べているものは、バナナとか、木の実とか、捨てても、自然に帰るものばかりです。彼らの食べ物は、捨てても、全然問題にならないのです。
 しかし、私たちはどうでしょうか。捨てたら分解されずに残るような石油製品ばかりです。ということは、どちらが正しいことをしているのかと言ったら、山の子たちのほうが正しいのです。
 人間が自然界の管理人として造られているとしたならば、神はどちらの人間を用いるでしょうか。自然破壊をしているような日本人を使うのか、山の子どもたちを使うのか。
絶対に、この山の人たちを使うはずですよね。この人たちって、残りの者として隠された存在です。現代社会は混乱していますが、山の中で神が冷凍保存していたような方々で、この人たちを使って、壊れた自然界を管理されるのではないかと思います。
 この方々が自分たちが造られた目的を理解して、自分たちは遅れているのではなく、神によって取っておかれた「残りの者たちだ!」ということに気づくように、励まして支える働きをさせていただきたいです。また、彼らから学んでいかなくてはいけないです。

 彼らの社会には、お金の流通がないのです。今、世界中の問題は金銭問題です。しかし、この山にはお金の流通がないのです。彼らこそ、経済の中で起こっている混乱や問題を打ち破る管理者になれるはずです。

 私たちが世界経済の背後に働く暗闇の力に立ち向かって祈っても、「あんたたち。日頃、経済の恩恵を受けているじゃないの!」と言われるかもしれません。しかし、彼らはお金がありませんから、自給自足していますから、彼らに管理権が残されているのではないかと思います。

彼らがまずはイエス様を信じて、自分たちのアイデンティティーに気づいて、彼ら自身が福音を宣言するようになったら、世界は変わっていくのかもしれません。

 日本は大変危険な国だとお話ししました。原発事故でも三号機の爆発なんて報道されているような水蒸気爆発ではないのです。核爆発です。映像に映っているのはきのこ雲ですから。

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 でも、こんなの日本のマスコミには全然流れないのです。日本では爆発音は消したのです。放射性物質がまき散らされているのですが、人間がわざわざ作らなければ、できなかった物質です。放射性物質は微少の弾丸です。それが人に打ち込まれるのです。DNAに当たると切れるというのです。

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 だから癌になったり、いろんな健康問題が起きるのです。だれがこういうものを作っているのですか?現代社会の人たちです。山の人たちは放射能なんて知りません。そういう悪いことはしません。
 現代人は、やっちゃいけないことに手を出しています。二千年くらいの歴史の中で、このような領域に手を染めていない人たちに、現代社会を変える権限が与えられていると思います。

 今日は、十二時半に皆、出ていかないといけないので、早めにメッセージを終えないといけないのですが、午後二時からネパールセミナーをさせていただきます。そしてネパールのためにとりなし、祈る時間を持ちたいと思うのですが、山岳民族の方々、重要だと私は思います。
 世界の管理人として、最も重要な鍵を握っているのが、もしかしたら、チェパンの人たちかもしれないと思います。

また午後からお話しさせていただきますが、「ネパールの先住民連合」の中で、チェパン族は、「極度に周辺化された民族」の一つとして分類されているというのです。
 世界で最古のライフスタイルを現代まで、キープしてきた人たちだと言われるわけです。近代化の波が押し寄せていますが、そうではなく、古代からの生活を保っている人たちなのです。

 最後に、バビロンから人は移動して、初めに造った文明はエジプト文明とインダス文明です。バビロニアは、バベルの塔があったところです。チェパンの人たちは、山の中に押し込められて以来、閉ざされて来た人たちではないでしょうか。
 終わりの日のために残りの者として主が、このような人たちを取っておかれたのではないかと思います。彼らが、主を信じて、自分たちの存在意味に気づいたら、世界は変わっていくのかもしれないです。そのために日本が協力しなきゃいけないし、福音を伝えるのです。

 最後にお祈りして聖餐式を持たせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。私たちは全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を伝えなさいという言葉に従って、全幅の福音を携えて出て行きます。そのために、私たちを用いてください。
 前線で出て行く者も、新城で祈ってくださる方々も同じように御手の中で握られて、この戦いに勝利することができますように。今までにないほどの大きな勝利を受け取って、帰ることができますように。今回は楽しい旅になりますように。主から委託された権限を持って、私たちは出かけて行きます。
 私たちは人の救いだけではなく、あなたが造られた被造物全体の解放のために働きます。導いてください。
 今、パンとぶどうのジュース、み言葉と聖霊によって、イエス様と一つになる時であることを宣言します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。