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「彼らに主の名をほめたたえさせよ! パート4 
 ~最高の賛美と諸刃の剣で国々に報復~」

2018年2月25(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇149篇5節〜9節

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。
彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。
それは国々に復讐し、国民を懲らすため、
また、鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため。
また書きしるされたさばきを彼らの間で行うため。それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今の賛美、さわやかな春の風と共に、イエス様の声が聞こえてくるようでした。主の声を聞きながら、毎日をさわやかに生きたいと思います。
 あっという間ですが、今週は三月に入ります。今朝、この辺を散歩しましたら、木々は芽を吹いて、被造世界には命があふれていました。菜の花は満開でした。命あるものは、春と共に、いのちを全開にするんだと感じました。

 私はあまり自然に興味のないものでしたが、この頃、神が造られたすべての被造物が主を賛美するということに気づき、ちょっと変わってきたかなと思います。

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 これは梅の花でしょうか。まだ桜は咲いてないですね。昔は、「桜咲きましたか?」と聞かれると、「そのうちサクラ〜」なんて答えて、全然気にしていなかったのですが、この頃は、少しずつ気になるようになりました。神はすべてに命を与えて、一つ一つの被造物を愛し、すべてに目を留めてくださっています。
 私たちも被造物の一つです。私たちにも主は目を留めてくださっています。十字架にかかり、人となってくださった神、イエス様が、私たちに配慮してくださらないはずがありません。

 私は三週間ぶりに新城教会でメッセージをさせていただくのですが、過ぐる二週間、みなさんの祈りに支えられて、いろいろな場所で奉仕させていただきました。主がすべてを祝福してくださったことを、心から感謝します。
 二週間前には、この教会にも来て下さった、天野先生の教会で奉仕させていただきました。天野先生の教会は、日本で一番燃えている教会じゃないかなと思います。若い方々からお年寄りまで聖霊に燃え、リバイバルの為に働いています。この教会に行くとたいへん励まされます。すばらしい集会を持たせていただきました。

 そして先週は、金・土・日と、関西地方を回りました。現在、「リバイバルミッション2018」を始めていますが、それは伝道集会です。クリスチャンのために、全国で霊的戦いセミナーをやってほしいという声があり、試しにやってみようということで、関西地方の教会を、四つほど廻って奉仕させていただきました。五回ほどセミナーを持たせていただきました。ひさしぶりの働きだったのですが、どの教会でも祝福されて、これは続けてやらなければいけないかもしれないな、と感じました。主の御心ならば続けたいと願っています。

 最初に神戸に行きました。長い間おつきあいのある、神戸、鈴蘭台にある一麦教会にお邪魔しました。そこで一人の方に出会って、たいへん嬉しかったです。

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 青い服を着ている左側の女性ですが、この方は末期癌でした。
 私は昔から、彼女を知っていて、彼女の救いにも関わらせていただいたり、解放を祈らせていただいていました。三、四年前、彼女はまもなく死んでしまうと聞いて、家内と最期のお別れに行きました。
 彼女は大腸癌から始まって、どんどん転移して、最期には、骨にまで転移して、足が腫れあがってたいへん痛がっていました。その時、皆で心合わせて、彼女が癒やされるように祈りました。どうなったと思いますか?
 なんと、完全に癒やされたのです!いや〜イエス様は、生きておられますね!最後に彼女と出会ったとき、いくらイエス様がいやし主でも、ここまで進行すると、だめだろうと思いました。
 今回、彼女の葬式はすでに終わったかみたいな感じで行ったのですが、なんと、元気になって、あの時は現在の半分くらいの体重だったのですが、太って、すごい迫力で出て来られて驚きました。本当に、主は生きておられます。ですから、いろんなことがあっても、主に期待しましょう。昔も今も、イエス様は変わらず、私たちに目を向けて下さっています。

 本日は、一月の終わりに語ったメッセージの続編です。また、復習みたいなメッセージです。「最高の賛美と両刃の剣で国々に復讐」という、激しいタイトルですが、リビングバイブルで先ほどの箇所を読むとこうなっています。
 詩篇百四十九篇六節〜九節、

『神様の国民よ、神様をあがめなさい。 神様に代わって両刃の剣を取り、国々に報復しなさい。王や指導者を鉄の鎖で縛り上げ、懲らしめてやりなさい。』

 激しい言葉ですよね。国々に報復し、王や指導者を鉄の鎖で縛り上げ、懲らしめてやれ!と言うわけですから。ここだけ読めば、キリスト教は、テロリスト集団のように捉えられるかもしれません。
 しかし聖書の国々とは、究極的には二つしかないのです。それは、「神の国」と、「サタンの国」の二国です。
 見える国には、それぞれの政治形態があるのですが、実際は、国はサタンによって支配されています。
 ですから、復讐だとか報復、縛り上げるという言葉は、実際の国というより、背後に働いている、霊的暗闇の国に対する報復です。

 詩篇百四十九篇九節は、『それは、すべての聖徒の誉れである。』と告げています。私たちにとって最も光栄な、やりがいのある仕事、誉れある仕事は、サタンの王国に報復することであり、その国を打ち破ることです。その働きが、「すべての聖徒の誉れ、ハレルヤ!」と宣言されているわけです。

 私たちは日本に住んでいますが、多くの国際情勢の影響も受けています。しかしその背後に、目に見えない敵の力、悪魔と悪霊どもの勢力があるのです。それに気づかないと、人が敵となったり、表面上の国々が敵となってしまいます。
 私たちは神の国の兵士として、見えない力を行使する悪魔・悪霊どもに挑戦しなければ、幸せに暮らすことはできません。

 以前にも学びましたが、詩篇百四十九篇五節〜六節、

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。』

 「神への称賛」という言葉は、聖書中一回しか使われていない特別な言葉です。
 旧約聖書はヘブル語で記されたのですが、「賛美」という言葉は幾つか使われています。しかし一回しか使われていない特別な言葉が「称賛」です。
 これは「最高の賛美」という意味です。英語のキングジェームスでは、

“Let the high praises of God be in their mouth,”

とあります。「high praises」、「最も高められた賛美を捧げろ!」と命令しているわけです。賛美は、最高の賛美もあれば、中ぐらいの賛美もあれば、最低の賛美があるのかどうか知りませんが、レベルがあるみたいです。
 私たちが主に、最高の賛美をお捧げすると、諸刃の剣が与えられるのです。それはどんな剣か。「諸刃の剣」とは、両側に刃が付いている剣です。日本の剣は一方にしか刃がついていないのですが、ヨーロッパの剣は両方に刃が付いています。最高の賛美を捧げる時に、最強の武器が与えられるのです。
 最高に主がほめたたえられると、もう一方の刃では、「国々に報復する」というのです。それは賛美が、悪魔の帝国を打ち破る剣になるという意味です。これを受け取りたいものですね。
 常に最高の賛美と共に、暗闇の力を打ち破るクリスチャンが増えていったら、世界に、真の平和がやってくるはずです。

 詩篇百四十九篇が実際、具体的に現わされたのが、「使徒の働き十六章」です。そのことについても、以前にお話しさせていただきました。覚えておられると思うのですが、パウロとシラスが、ピリピという街に行った時に起こった事件です。
 その時、パウロとシラスは、占いの霊、「ピュトンの霊」を追い出しました。悪霊を追い出したので良いことがあるのかと思ったら、良いことがあるどころか自分たちが捕まえられて、牢獄に放り込まれてしまったのです。そして明日は殺されるかもしれないという状況下でしたが、奇跡的に、地震が起こって、牢獄が壊れて助け出されました。それだけでなく、牢獄を監視していた監守と、その家族が救われてバプテスマを受けたという、大勝利に結びついたわけです。
 どうしてこんな奇跡が起こったのか、それは、詩篇百四十九篇スイッチがオンにされた!と前回お話しさせていただきました。
 使徒の働き十六章二十五節〜二十七節まで読んでみますと、

『真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。』

 ピリピという街はアポロンという最高神によって支配されていた。しかし、パウロとシラスは、アポロンの子分、ピュトンから戦いを始めたゆえに、アポロンによって捕らえられてしまったのです。しかし彼らが主を賛美した時、牢獄が壊れたとは、まさしくピリピの町を支配していた、最高神アポロンが打ち負かされた事を意味します。使徒の働きの十六章と、詩篇百四十九篇を読みくらべますと、ここで行われた賛美が、最高の賛美であった事が分かります。結果、街を支配していた最も強い力が打ち破られ、街の霊的環境を象徴する、牢獄が壊れ、牢獄を監視していた監守と家族が救われる奇跡に結びついた、とお話しさせていただきました。
 詩篇百四十九篇の中で、最高の賛美を捧げる一つの条件は、床の上での賛美です。

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。』

とあります。床の上で賛美する時、最高の賛美となるのです。牢獄の中のパウロとシラスは、まさしく自分の床の上で賛美しました。
 真夜中に賛美したわけですから、普通なら、他の囚人たちから、「うるさい!黙って早く寝ろ!」と言われるはずです。しかし何も言われなかったのです。なぜなら、他の囚人たちも眠れなかったからと思われます。朝になったら、処刑されるかもしれないという不安で、一睡もできなかったのでしょう。
 しかしパウロとシラスが、同じ状況にもかかわらず、床の上で賛美をはじめたのに、戸惑いながら、耳を傾けていたということではないでしょうか。
 そんな最悪な状況の床の上で、詩篇百四十九篇のスイッチがオンにされ、それが諸刃の剣となって、彼らを助け出したのです。
 最高の賛美は、どこで発生するのか、それは、私たちの床の上であることが分かります。

 時々、人生の中には、心配で夜も眠れないことがあります。みなさんの中で、「私は人生一度も、心配で夜眠れなかったということはない!」という方は、おられますか?誰も居ませんね。
 「明日はどうなるのかな・・。」と、不安で眠れなかったことは、私には何度もあります。
 そのようなとき、床の上で出てくるのは、ため息だけです。しかし一つの秘訣があります。起き上がって、パウロとシラスのように、主を賛美するのです。悩みが最も深い床の上で、涙を流してため息をつくのではなく、主をほめたたえると、主はその賛美を、最高の賛美にしてくださるのです。
 みなさんの中で、「昨晩、心配で眠れなかった・・・。」という方が居られたら、もしも今晩も眠れなかったら、起き上がって、主をほめたたえてください。そうしたら、それは最高の賛美となって、問題の背後に働く悪霊どもを打ち破る剣となるのです。

 以前、教会で、「床の上賛美大会」をやったことがあります。覚えておられますか?本当に恵まれましたね。教育館に布団を敷き詰めて、その上で賛美したというのではなく、時々、「寒いな。あんまり布団から出たくない・・・。」というような時に、自分で歌っているんじゃないけれど、頭の中に賛美が回る時があります。
 今朝はどうでしたか?頭の中に賛美が回った人はいますか。J-popsとかK-popsばかり聞いていると、そちらの曲が回ります。昔、魚の歌がはやったとき、朝起きると、さかな♪さかな♪と廻っていた時期がありましたが、そうではなく、自分が意識していないのに、主を賛美しているというか、天使たちが賛美しているんじゃないかという時があります。それは床の上の賛美じゃないでしょうか。
 それを毎朝キャッチして、一日のテーマとして賛美したら、一日を支配しようとする暗闇の力が打ち破られるのではないでしょうか。
 以前、どんな賛美が頭の中をめぐっているのかをメモって、それを集計して賛美大会をしたら、たいへん祝福されました。今週、どんな賛美がめぐっているのかを、ちょっとチェックしていただきたいと思います。「耳を傾けてごらん」と、先ほどの賛美の中にもありましたが、私たちが、耳を傾けると聞こえるのです。傾けないと、聞こえないです。主は私たちのために、その日のテーマとなるような賛美を必ず、与えて下さいます。
 今朝私にも、歩き始めたら、自然と賛美が巡りました。「ハレルヤ~天において主をほめたたえよ」と、詩篇百四十八篇の賛美が頭の中を回っていました。それは、最高に主が讃えられるのと共に、暗闇の力を打ち破る武器となります。
 今週是非、おオススメしたいのですが、朝起きる時に、どんな賛美がめぐっているかに耳を傾けてください。それをメモっておいて、賛美したら、結構、いろんなトラブルからも守られるし、すばらしい一日を送ることができると信じます。
 必ず主は、賛美を与えてくださいます。それは私たちが、耳を傾けるか否かにかかっています。最高の賛美は、結構、身近なところにあるのです。

 詩篇百四十九篇のみ言葉が、「使徒の働き十六章」で現実となって現れたわけです。
 最近、インターネットでは多くのリンクが貼ってあります。リンクをクリックすると、次の箇所に飛ぶのです。
 聖書にも、結構リンクがあります。詩篇百四十九篇の五節のリンクは、使徒の働きの十六章にリンクされている気がします。

 同時に、詩篇百四十九篇は、「ハレルヤ詩篇」と呼ばれて、連続性があります。「最高の賛美」とは何かと言うと、詩篇百四十九篇は、百四十八篇を受けていますから、先ほど説明した賛美も最高の賛美ですけれど、主が最も喜んでくださる賛美は、詩篇百四十八篇を受けて、そのリンクが百四十九篇ですから、「被造物全体が主をほめたたえる」のが、最高の賛美なはずです。

 実は、国々に復讐し、暗闇の力を打ち破るためには、被造物全体の賛美を必要としているのです。

 最近主は、「被造物全体が主をほめたたえる」ということを語りかけて下さっています。被造物全体を味方につけて賛美すると、そこから諸刃の剣が生まれ、国々にインパクトを与える働きとなるのです。国々を影で支配している暗闇の力が打ち破られるのです。それは、ランクが上の敵を打ち破る剣に変えてくださるのです。
 被造物全体の賛美は、国々を勝ち取る重要なカギです。

 最近、詩篇百四十八篇をよく引用させていただいていますが、最高の賛美とは、究極的には、「被造物全体の賛美」です。
 最高の賛美は、優れた賛美リーダーや、多くの優れた演奏者によってもたらされるものではないのです。人間だけでなく、他の被造物たちも、創られたすべてが主を賛美するのが、最高の賛美であり、そこから両刃の剣が引き出されるのです。

 詩篇百四十八篇は、天の最も高い所から、地のどん底まで、人を含めて、「主をほめたたえろ!」と命じています。何度も読んでいますが、もう一度、みなさんで読んでみたいと思います。

『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。
山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
主は、その民の角を上げられた。主のすべての聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。』

 百四十八篇の賛美って、被造物全体の賛美ですから、これ以上の賛美はないはずです。人類だけでなく、他の被造物も全て、仲間に入れて主を賛美する時、国々に対する報復が始まるのです。すなわち、悪魔の帝国は打ち破られるのです。そしてすべての被造物に対して、「主の名をほめたたえなさい!」と命令を下すのが、人の役割です。
 五節と十三節に、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」とありますが、この春、多くの被造物が息吹いている時にこそ、私たちは外に出て、「主をほめたたえなさい!」と宣言するのは、重要な働きです。

 特に、ある方々にとって、百四十八篇の九節は、すごく重要だと思います。

『山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。』

 これ、お好きですか。

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 この写真を見ただけで、鼻がむずむずするという方がおられると思うのですが、「私は花粉症!」という方、スイッチオン!・・・結構おられますね〜。四分の一くらいでしょうか。
 今年は、「すべての杉よ。主をほめたたえろ!」と、世界中にあるすべての杉に対して、主の名をほめたたえろ!と宣言したら、花粉は敵対しなくなるのではないでしょうか。

 実は花粉症第一号の患者は、一九六六年だったそうです。ちょっと情報が正確でないかもしれませんが、何しろ、一九六〇年代です。それ以前は、花粉症はなかったそうです。最近発生した病いだそうです。
 先週、ある人の講演をYouTubeで聞いたら、それは、ちょうど公立学校で生徒たちに虫下し薬を配り、寄生虫を駆除した時期と重なるというのです。寄生虫を持っている人で、花粉症は一人もいないというのです。
 昔は、蛔虫とか蟯虫の検査がありました。私が小学生の頃、必ずありました。高校時代までありました。
 私は男子高校だったので、みんな検便を嫌がっていました。しかしクラスには検便請負人がいて、いくらか金を出すと検便を請け負ってくれました。彼に頼むと、自分のうんこを小分けして袋詰めにして提出してくれるのです。便利のいいやつがおりました。ある時、クラスのみんなに寄生虫がいました。それで、彼に理由を聞いたら、「注文が多く、うんこが足らなくなって犬の糞を使った」と言っていました。
 本当は寄生虫はいたほうがいいらしいです。寄生虫って、人間の腹でしか生きることができない虫で、人と持ちつ持たれつの関係だというのです。ネパールで、寄生虫駆除薬を配っているのですが、ちょっと悪かったと思っています。
 しかし、「すべての杉よ。主をほめたたえろ!」と宣言したらどうでしょうか。山にも宣言し、丘にも、日本中に杉はありますから、宣言してみてください。今年は楽になるかもしれません。以前私はそれをやって治りました。

 私は花粉症ではありませんでしたが、ある時鼻水が止まらなくなり、近くの皮膚科に行ったら、「立派な花粉症です。」と言われて、花粉症に立派もくそもあるかと思って、雁峰山に突っ込んで行って、朝、祈りました。「イエス様の名によって、杉花粉よ!出て行け!」と祈ったら、治っちゃいました。
 本来は杉も、敵ではなくて味方なはずなのです。神が創造されたものに、悪いものはないはずです。ですから、出て行けではなく、「主を賛美しろ!」と宣言すべきでした。

 人間って人間中心主義というか、神が造られた被造物を傷つけ、目的から外してしまうことが結構多いです。
 そのことによって、多くの不具合が生態系に生じているのではないかと思います。
 先日、ある本に、金子みすゞという昭和初期の詩人の詩が出ていました。彼女はあまりにも感受性が強くて、若くして自死してしまった詩人ですが、こんなふうに書いていました。
“子どもが子雀を捕まえた。その子の母さん笑っていた。雀の母さん、それ見てた。お屋根で鳴かずにそれ見てた。”

なんかじーんと来るものがあります。
 人の子どもが子雀を捕まえても、人の母親は笑っています。しかしその光景を見ている雀のお母さんは涙しているのです。
 案外こういうのって、結構、多いのではないかと思います。私たちは神が造られた被造物全体の中で、人間の居場所をしっかり理解しないといけないと思います。神が創造された信じられないほど多くの被造物の中で、人類に与えられている、「彼らに主の名をほめたたえさせる」役割を知って、被造物と良い関係になるなら、世界は変わるはずです。

 今日は午後から、霊的戦いセミナーを開催させていただきたいと思うのですが、今日は、二つのテーマがあります。第一に、「腸内フローラ解明!驚異の最近パワー!」という二〇一五年にNHKスペシャルで放映されたビデオをお見せします。五十分くらいの番組です。なかなか説得力ある番組です。
 腸内には、百兆から一千兆個くらいの腸内細菌が住んでいて、肥満も、腸内細菌のせいだというのです。肥満の人の腸内細菌を取り出して、ねずみに移植し、痩せている人の腸内細菌をねずみに移植し、同じ条件で育てると太り方が違うというわけです。

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 こういう領域が分かったのは、番組の中で東大教授が語っているのですが、ほんの数年以内だというのです。人間は腸内細菌は下等生物だと考えて、馬鹿にしていたのです。しかしそこにはすごい世界と役割があったのです。

 さらには、肌のシワとか、糖尿病とか、癌とか、性格とか、肥満とか、アレルギーだとか、更年期障害とか、鬱とか、なんと腸内細菌と関係があるというのです。いや〜、こういう情報を知ると、私たちはちょっと考えを新たにしないといけません。
 詩篇百四十八篇が記された時点では、全く知られていなかった世界です。ここ数年で分かった事柄です。それは現代を生きるクリスチャンに与えられた使命です。微生物によって生かされているから、彼らにも「主の名をほめたたえろ」と宣言しなさい、と語られているんじゃないかと思います。
 ある意味で、現代のクリスチャンの満たさなければならない、重要な条件かもしれません。腸は、脳と深い関係があって、腸は第二の脳だそうです。どっちが第一で第二か分からないというのです。そこには一億本くらいの回線がつながっていて、「腹を決める」とか言いますが、決断って、もしかしたら腸でなされているかもしれないというわけです。いや〜本当に人間の体って、神秘だなぁと思います。こんなのが、自然に進化したなんて、絶対にありえません。
 私たちの体の中で生きるものすべてに対して、「主の名をほめたたえなさい!」と宣言することは、最も重要であり、詩篇百四十八篇の条件が満たされると、百四十九篇の「諸刃の剣」につながり、その賛美と共に、国や世界にインパクトがもたらされるのです。それが、「クリスチャンの誉れ」で、この働きにより、世界は変わるのです。

 日本において、クリスチャンは少数派です。私たちに何ができるのかなって、時々考えます。しかし、被造物すべてを味方につけて、最高の賛美を捧げ、諸刃の剣と共に国々の背後に働いている暗闇に挑戦する時、それらは打ち破られていくのです。
 リビングバイブルでは、

『神様の国民よ、神様をあがめなさい。 神様に代わって両刃の剣を取り、国々に報復しなさい。王や指導者を鉄の鎖で縛り上げ、懲らしめてやりなさい。』

 二週間前、天野先生の教会で奉仕したのですが、そこで一つ嬉しいことがありました。天野先生の教会には、何年も前から行かせていただいて、いろんな方のためにお祈りさせていただいているのですが、数年前から、教会員のあるご夫妻のために祈らせていただいていました。
 これは、瀬戸さんご夫妻です。ご主人は草加市の市議会議員、奧さんは埼玉県の県議会議員でした。ご主人がクリスチャンで、県議会議員の奥様を教会に連れて来られて、奥さんがクリスチャンでない時から関わらせていただきました。しかし今では、お二人とも、素晴らしいクリスチャンです。
 二年前に、お二人が来て、こう言われるのです。奥様は、今まで県議会議員でしたが、衆議院選挙に立候補するというのです。「当選するように祈ってください」と言われました。埼玉三区から、今までの民主党の地盤を受け継ぎ、衆議院選に出るとお聞きしました。

 多くの議員が忖度だけで動いている事が多いけれど、霊的戦いの剣を持って、国政に関われるようにと、共に祈らせていただきました。
 それで去年の衆議院選挙に、彼女は立憲民主党から立候補しました。どうなるのか祈っていましたが、当選したのです。今、彼女は衆議院議員となり、ご主人は参謀として働いています。
 今回、「国会に来て祈ってください!」と言われ、初めて、衆議院第一議員会館に入って祈りました。眼下は首相官邸です。
 以前、日本のために祈らないといけないと思い、首相官邸の前を歩いただけで職務質問されました。警察官が来て、「何しに来たんですか?」「何しに来たって、見れば分かるだろう。歩いてんだよ!官邸、見ちゃいけないの?」と聞いたら、「いやいや、そんなことないです。でも、いろいろありますから。」とか言って、本当に腹立たしかったです。
 しかし、今回は、議員さんがいますから真上から祝福を祈りました。
 サポーターの人たちも集まって、記念撮影をしたのですが、後ろに掲げてあるみ言葉は、「平和を造るものは幸いです。その人は神の子どもと呼ばれる。」というイエス様の言葉です。私たちクリスチャンは、どのようにして平和を造るのかというと、それは、武力でも、政治力でもありません。聖書が主張する平和は、「戦いに勝利した結果の平和」ですから、霊的戦いによる勝利を意味します。
 暗闇の力を打ち破らない限り、絶対に、真の平和は訪れません。彼女たちが議員会館の部屋に掲げているみ言葉は、すばらしいです。
 今、国会の中で「私はクリスチャンです!」とはっきりと宣言している議員はいないようです。彼らを祈って支えなくてはいけないです。是非とも、守られるよう祈ってあげてください。

 箴言の中にヤモリは王の宮殿に入り込むとありますが、我々はヤモリみたいなものです。社会的にはなんの権威も権限も、地位も名誉もないですが、王の宮殿にも入り込むのです。

 森友や加計の話だって、ひどいもんです。佐川という当時の理財局長は嘘三昧で、安倍政権を守りました。それで今、彼は国税庁長官に栄転しました。彼は、「資料はすべて破棄しました。」と言ってましたが、近ごろ、彼が破棄したと主張した、すべての資料が出てきました。
 確定申告で税務署は今、大変らしいです。なぜなら、「あなたの資料は?」「廃棄しました。」という人が多くて、国税庁には毎日のようにデモ隊が押し寄せています。自分の税金となると、日本人も立ち上がるみたいです。日本は一部の人たちが利益を受けているような国です。国の未来のために祈る必要があります。

 被造物全体と共に賛美するとき、諸刃の剣が生じるのです。そのとき、最高に主が賛美されるのと共に、国々に対して剣が振り下ろされるのです。

 先ほども、「丘にたてる荒削りの」という賛美を歌いましたが、十字架の勝利は、「その十字架の血によって平和を造り、御子によって万物を御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも、天にあるものもただ御子によって和解させてくださった。」とあるように、イエス様の十字架は、私たちだけでなく、被造物全体、詩篇百四十八篇に出て来る、被造物全体との和解であったのです。
 私たちが、神が造られた被造物全体と和解したら、怖いものはありません。すばらしいことになるはずです。

 以前、「君はひとりぼっちじゃない!」と話しましたが、夜寝る時、ひとりぼっちだなぁなんて、絶対に思わないでください。布団一枚には、三十万匹以上のダニが共に住んでいます。上布団に三十万匹、下布団に三十万匹。そして、中の毛布に三十万匹。計、九十万匹のダニに囲まれながら、私たちは眠っているわけです。
 寂しさなんて絶対にないです。こんなに多くの被造物に囲まれて、幸せです。ダニも神様が造ったものですから、むやみやたらに殺すのはあんまり良くないのかもしれません。この頃私は、ダニに祝福を宣言して、「君たちと一緒にゆっくり休もう!」と告げています。
 これからおもしろいことが起きそうです。詩篇百四十八篇、百四十九篇、そして使徒の働き十六章リンクは、国々を勝ち取る重要な情報を提供していると、私は踏んでいます。
 是非、家に帰ってから、詩編百四十八、九編、そして使徒の働き十六章を、読んでみてください。聖書の中に、すばらしい情報があることを心から感謝し、人として造られたのは、「彼らに主の名をほめたたえさせる」ためですから、その役割を果たす為に働きましょう。

 今から、十字架の血潮をいただきます。被造物全体に対して流してくださったイエス様の十字架の血と肉です。私たち人類は、彼らに主の名をほめたたえさせ、やがて国が勝ち取り、神の国が降りて来る準備の為に働くのです。

 最後に一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。私たちは被造物全体の中で役割を与えられた存在です。あなたは人となって地上に来てくださり、私たちに重要な使命を与えてくださいました。主の名をほめたたえさせる、この特権を心から感謝します。
 今日、私たちは、イエス様の十字架の血潮をいただきます。私たちの役割が、どれほど重要であるか、深く知ることができますように。
 今日皆が集い、被造物を代表して、イエス様の十字架の血潮をいただきます。春は、多くのいのちが芽生える時です。この時にこそ、私たちが役割を果たすことができますように。イエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。