「彼らに主の名をほめたたえさせよ! パート5 
 〜全世界に造られたものに/Preach the good news to all creation.〜」

2018年3月04(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マルコによる福音書 16章15節 (口語訳)

『そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

 ハレルヤ!おはようございます。ついに三月になりました。週報も春色になりました。三月、四月は、日本におきましては年度末、新年度ということで、いろいろと変化する時です。このような時に、もう一度主の前に出て、新しい力をいただき、満たされて進んでいきたいと願っています。

 今週は神学校があるのですが、リバイバル聖書神学校、ついに二十数年の幕を閉じます。ちょっと寂しいです。感慨ひとしおというところもあるのですが、長い間教室制を続けてきたのですが、ご時世もありまして、なかなか一ヶ月に一度集まって学ぶのが、困難な時代になりました。これからは形式を変えたいと思っています。
 それに伴い、山崎ランサム先生も退任されて、他の神学校で教えられることになり、ちょっと寂しいです。今日は午後からサンデースクールがありますから、是非とも出席して頂きたいと思います。また来週は山崎先生、新城教会で最後のメッセージです。これからもまた来ていただきたいと思いますが、みなさんにお願いしたいのですが、先生方の働きのために少し支援したいと思います。

 三月、四月は、新しいことが起こるわけですが、ついにネパール宣教が行われます。今年私は六十七歳ですが、がんばってネパールに行きます。ですから、ぜひ私のために集中的に祈っていただきたいです。
 先日、あるお店に入りましたら、「十八歳と八十一歳の違い」というのが置いてあって、自分のことを言われているような気になりました。うまいこと考えたなと思うのですが、十八歳と八十一歳の方、気を悪くしないでくださいね。若者と私との違いというふうに思って聞いていただければいいのですが、

・恋に溺れるのが十八歳、風呂で溺れるのが八十一歳。
・道路を爆走するのが十八歳、道路を逆走するのが八十一歳。
・心が脆いのが十八歳、骨が脆いのが八十一歳。
・偏差値が気になる十八歳、血圧・血糖値が気になる八十一歳。
・まだ何も知らない十八歳、もう何も覚えていない八十一歳。
・東京オリンピックに出たい!と思うのが十八歳。東京オリンピックまで生きたい!と思うのが八十一歳。
・自分探しをしている十八歳、皆が自分を探している八十一歳。

 いや〜うまいこと考えたなと思いますが、人生終盤に近づきますと、こうなっていきますが、私たちには天の御国があります。それは、他の宇宙ではなくて、やがてこの地上に現されるという希望です。
 さて、ネパールのことも意識しないといけないのですが、また山を上るのかと思うと、ちょっと気が重くなりますが、ここに住んで、日常生活をしている人たちがいるのです。こういう所に行きますと、日頃私たちが持っている価値観が変えられます。それは、たいへん重要です。
 それと共に、ネパール宣教は、今日掲げましたみ言葉とも関係のある、重要な働きです。聖書箇所を口語訳で読んでいただきました。これは新制リバイバルミッションの標語として掲げているみ言葉でもあります。
 「そして彼らに言われた。『全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」。英語では、”Preach the good news to all creation.”となっています。
 みなさんがお持ちの新改訳聖書では、「もの」が、「者」となっています。口語訳では「もの」と平仮名になっています。新改訳以外の訳では平仮名になっています。なぜかというと、原語におきましては、英語訳のように、「all creation」となっているからです。
 「すべての造られたもの」が、人間だけなのか。すべての被造物なのかで、福音宣教の対象は、全く変わります。ここをしっかりと世界中の教会はおさえなければいけないのです。

 現代の教会が宣べ伝えている福音と、初代教会が理解していた福音には、大きな差があると指摘されています。
 「聖書が語っている救いとは、人間の幸福や安らぎのみの事柄ではない。神の救いの御業は、すべての被造物、自然にまで及ぶ。」と、ある神学者が述べていましたが、案外、私たちは人間中心的に福音を理解しています。イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んでくださり、人類を救ってくださった!という理解は間違いではないのですが、そこにとどまっていてはいけないのです。「神の救いの御業は、すべての被造物、自然にまで及ぶ」のです。
 しかし人類の救いは、そんな中、ものすごく重要です。そのことも、今まで、何度もお話しさせていただきましたが、神が被造物を創造された時、人を特殊な存在として造られました。それは、人を被造物の管理人として造られたのです。「すべての生き物を支配しなさい!土地を管理しなさい!」と仰せられたからです。

 しかし人は神からの言いつけを、悪魔のいざないによって破り、悪魔と同じように堕落してしまったのが、人類の歴史です。人類が被造物を管理するなら、被造物は正しい方向に向かって行きますが、人類がこけたら、親亀こけたら子亀もこけます。人類の上に乗っていた、被造物全体が、人の罪により堕落してしまったわけです。人間以外の被造物は、自分たちも分からないうちに堕落してしまったわけです。
 しかし、人類が救われる意味がどこにあるのかと言うと、親亀が立ち上がったら、子亀も立ち上がるのです。人間の救いは、神が造られた被造物全体に及ぶのです。そのことをしっかりと抑えておくべきです。

 昨年私は、「二〇一七年、あなたは良いもので満たされます!」というテーマで語らせていただいたのですが、掲げたみ言葉は、詩篇百三篇一節から五節です。それをもう一度確認し、読んでみたいと思います。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』

 すばらしいですね。五節、『あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』
 いいですね。八十一歳、希望がないと言っちゃいけませんね。
 鷲は、一年間羽を使うと劣化して、ぼろぼろになり、抜けたりするらしいですが、高い岩の陰でじっとしていると、古い羽は抜け落ちて、新しい羽が生えるらしいです。人間はどうして生えないのかなと思うのですが、鷲は新しくなっちゃうらしいです。
 でも、私たちが主をほめたたえ、主に従っていくと、『あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』と預言されていますから、これを信じたいと思います。
 最近私は、百三篇一節に興味を持ちました。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。』

 この箇所、ヘブル語でも、英語の聖書でも、『わがたましいよ。主をほめたたえよ。』の後に、「and」が入っています。日本語だとそれが抜け落ちているから、『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。』は、心のどん底から主をほめたたえましょう!という理解になります。聖書翻訳って、しっかりやってほしいものだと思いますが、共同訳では、百三篇一節(共同訳)、

『わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。』

 「わたしの内にあるものはこぞって主の名をほめたたえよ!」なっています。私の友人の牧師が、この一節を詳しく解説した資料を送ってくれたのですが、「内なるもの」とはどういう意味かというと、

 「私の内なるもの」とは、動物の内臓を意味する、アッカド語を起源に持っている。内蔵は、誰からも、自分自身にさえ隠されていて、見えない部分であり、古代人にとってはミステリーであった。ダビデが「私の内にあるすべて」と言った時に、賛美が、彼の肝臓、肺、心臓、脾臓などと共に考えていたのかもしれない。

と解説されていました。
 「私の内にあるすべて」とは、「内臓」を指しているというのです。内臓の機能が分かって来たのは近年のことで、昔は内臓はミステリーだったのです。人間は自分の内蔵を見ることができないけれど、動物を捕まえて腹を切ると内蔵があるわけです。「これはなんじゃ」と思ったらしいです。しかし古代も、現代人も、脳の重さは同じですから、価値観しか違わないです。ゆえに、神秘の内臓中に命があると分かっていたはずです。

 そして「主を賛美する」とは、魂だけで賛美するのが賛美ではなく、内蔵も一緒になって賛美しなければいけないという理解を持っていたのです。ダビデは詩篇を読んだ時、内側にある肝臓、肺、心臓、脾臓など、すべての内蔵を含んで、主を賛美しろ!と語っているのです。
 これから賛美する時、ただ魂だけではなくて、「内なるものはこぞって」、内臓も一緒に賛美する概念を持たないといけないです。

 そしてこの頃よく語っている、腸に住んでいる腸内細菌も賛美するのです。実は人間って、自分で生きているように思うけれど、そうではないというのが、ここ数年で分かってきた事実です。腹の中には腹の虫というか、腸内細菌が、百兆から一千兆個くらい、千種類以上住んでいて、その腸内細菌が、すべての領域に関わっていると言われます。腸内細菌がいなかったら、人間は、食べ物を消化することもできないし、生きるための物質を、自ら作ることもできないということが、分かったのです。ぜひ、腸内細菌を大事にしてあげてください。
 この頃私も、食事をする時、考え方が変わりました。食事は、「腸内細菌に餌をやる時間」とさせていただきました。そう考えたら、自分を生かしてくれている腸の中の細菌類にも、良い餌をあげないと自分も生きることができませんから、そういう気持ちで毎日過ごしたら、健康も変わってくると思います。また、私たちの生き方も変わってくるのではないでしょうか。
 これらがいないと人間は生きることができないなら、救いが人間だけの為なら困ります。

 聖書の究極的な救いは、よみがえりです。ラザロは死んで四日後に、墓から出て来たと聖書にあります。みがえりの記録が聖書にはいくつもあるわけです。
 人が死ぬ時、腸内細菌も全て死ぬわけです。人の死は、体内に宿っている被造物の死でもあります。それが、よみがえるとはどうでしょうか。人間だけよみがえっても生きることはできないわけです。体の中の腸内細菌も一緒に救われないと、人間は生きることはできないです。

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 となると、福音が、人間だけの為なら、人間にとっても困るわけです。生態系全体の救いという、大きな枠組みの中で人が救われ、人が他の被造物に対しても、良い知らせを宣言していくという視点は重要です。
 今まで聖書の真理が、悪魔によって覆われていたような気がします。初代教会の信じていた福音と、現代の教会の福音理解には、大きな差があると言われます。その原点に、宗教改革があるとも言われます。悪魔は徐々に視点をずらして、「救いは人間だけ!」と限定すれば、地球は神の手に戻りませんから、悪魔は引き続き、この地の王として支配できます。イエス様の再臨を阻止する為に、そういう手口を使っていたのだろうと思います。私たちは人だけではなく、被造物全体に対して責任を持って、福音を宣言しなければいけないです。

 以前にもお話ししましたように、魂の救いは、被造世界全体の救いのスタートラインです。私たちが救われたのは、神が造られた被造世界全体の救いに関わる、スタートラインについた事を意味します。スタートラインに着いたら、スタートを切らなければならないわけですね。
 まずは人間がイエス様の十字架の血潮によって救われ、管理人のポジションを回復したら、今度は出て行って、神が造られた被造物に対して、救いを宣言するのです。福音とは宣言ですから、彼らに主の名をほめたたえさせる、「主を賛美しなさい!」と宣言することが、彼らに対する福音宣教となるわけです。
 最近、それを実践していますよね。先週はどうでしたか?どんな所に出て行って、主をほめたたえろ!と、宣言されましたか?
 周りの自然は春の命にあふれていて、新しい芽が出ています。そこに行って、主をほめたたえなさい!と宣言することは、福音宣教そのものです。
 同時に、私たちと同じ人類に対しては、イエス様の十字架の愛を伝えて、その人が救われ、スタートラインに着くように導くのです。これも福音宣教です。しかし救われた仲間たちが、スタートラインについて、被造世界に出て行って、「主をほめたたえろ!」と宣言する、これも重要な、福音宣教そのものであるわけです。
 ですからイエス様は言われました。
「全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
”Go into all the world and preach the good news to all creation.”
 すべての造られたもの、被造物に対して、福音を宣言する、宣教師になるのです。

 何か今まで、イエス様を信じていない友達に福音を伝えるだけが宣教のように考えていたので、ある人は、どんどん友達にイエス様のことを話したり、教会に連れて来たりしますが、ある人は得意じゃなくて、「私は長いこと教会に来ていても、友達を導けなくて肩身が狭いんです。」という人がおられたら、その考え捨ててくださいね。
 福音宣教の対象は、人だけでなくて、すべての被造物です。すべての被造物の所に行って、「主を賛美しなさい!」と宣言することが、福音宣教そのものですから、福音宣教は、クリスチャン全員ができるのです。できない人は誰一人いないです。赤ちゃんからお年寄りまで、八十歳を越えたって、十分可能です。この地上から出る寸前まで、私たちは主の名をほめたたえさせる宣言ができるわけです。

 先週は、朝起きた時に流れる賛美を受け取って、賛美してください!とオススメしたのですが、どうでしたか?先週、いろんな賛美が流れていたでしょう。
 私は話した手前、気にしないといけないと思って、注意していたら、よく流れていた賛美が、ザワメキの「全世界に出て行き♪」という賛美でした。「すべての造られたものに〜♪」

 そんな中でも、特に、どういう人たちがスタートラインにつく必要があるのかを、考えないといけないです。もちろん、人類のすべてですが、その中でも、「この人達がスタートラインにつかないと、主の再臨につながらない!」という、鍵を持った人たちがいるはずです。その人たちに福音を伝えることが、重要です。
 去年もお話しさせていただきましたが、その人たちのことを聖書は、「残りの者」と呼んでいます。そのような、特別鍵を持った人たちがおられるはずです。旧約聖書ミカ書五章七節〜九節、

『そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。』

 このみ言葉、すばらしいです。私たちも、「残りの者」になりたいですね。主から何らかの鍵を託された「残りの者」になりたいです。
 「残りの者」とは、どういう者か、「森の獣の中の獅子」と記されています。獅子、ライオンは、百獣の王と呼ばれ、多くの動物の中で、最も強い存在です。そして、「羊の群れの中の若い獅子」とも表現されています。羊の群れの中に若い獅子が入ったら、羊食べ放題です。もう敵はありません。残りの者とは、特別、神から権限が与えられ、森の獣の中の獅子のような、羊の群れの中の若い獅子のような、すごい権威ある存在です。
 『あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。』って、すごいです。敵に対して手を上げるだけで、敵が倒れるわけです。すごい権威ですね。

 実は、クリスチャンは、そもそも、そのような権威、権限が与えられているのです。今年は、コロサイ人への手紙二章から学んでいるのですが、イエス・キリストを信じる者たちは、権威が与えられているのです。教会に属するのは重要です。なぜなら、神から権威の制服をもらうようなものだからです。
 婦人警官の方々がおられますが、この頃、婦人警官は、かわいい子がなっていたり、美人が警官になって話題になっています。一般の女の子と何も違わないようですが、彼女たちが制服を着て、通りで手を上げたら、ダンプカーだろうが、やんちゃな兄ちゃんのスポーツカーだろうが、やくざのベンツだろうが、手を上げただけで停まらなければならないのです。すごいです。
 でも、その娘たちが、非番の時、制服を脱いで通りで手を上げても、停まるのはタクシーだけです。
 同じです。私たちクリスチャンもイエス様を信じて、「教会」という最強の霊的組織に属する事は重要です。手を上げるだけで、悪魔・悪霊どもはストップしなければならない、権威権限が与えられるのです。
 最近、「教会なんか行くのめんどくせぇな」とかいって、一人でいいわ!と、都会に行きますと、価値観が多様化して、クリスチャンでも、あまり教会に行かない若者が増えているのが、キリスト教会の中で問題になっています。これは駄目です。
 キリストを頭とする、「キリストのからだ」という最強の組織に属していく事は大変重要です。その媒体となる一つ一つの教会に、しっかりと属していくのは、制服を着るようなものです。残りの者として、私たちが手を上げる時に重要な条件です。そうしたら、敵は動きを止めなければならない!森の中の獅子になることができる!のです。

 そのような中で、「この人たちの魂をまず勝ち取って、『森の中の獅子』にすべきだ!」と言うのが、誰も気にしない、森の中の人たちではないかと思われます。
 特に、私たちがこの頃遣わされている、ネパールのチェパン族の人たちは、実にそのような人たちではないかと思われます。
 「ネパール先住民連合は、周辺化の度合いより先住民族を幾つかのグループに分けているが、チェパン族は極度に周辺化された民族の一つとして分類されている」となっていました。「周辺化されている」とは、「最も遅れている」という意味です。何が遅れて、何が進んでいるかは分かりませんが、そのように定義されています。
 また、ある資料では、「チェパン族は、ネパールに現存する六十以上の部族の中で、一九六〇年頃まで完全な自給自足生活を行い、世界最古の生活様式を保って来た人々。」となっていました。
それが、今回私たちがお邪魔する人たちです。

 最も強力な悪魔・悪霊どもの軍団は、現在、どこで働いているのかというと、「経済の領域」だとお話しさせていただいていますが、近代諸国と言われるような国々の人々は、経済を無視して生きることはできません。
 ダニエル書にもありますように、終わりの時代は、鉄と粘土が混ざったような、強い国と弱い国が団結する時代が来ると預言されています。この部分はある意味、悪魔の帝国の弱点です。金の頭から始まって、強力な金属で形成された巨像が、足首を見たら、鉄と粘土が混ざっている弱さを持っていたというのです。そこに、山の中から人の手に寄らずに、小石が切り出されて、足首に当たったのです。すると巨像は粉々に砕け散って、その小さな石が、地球全体に広がったという夢をネブカデネザル王が見て、ダニエルが解き明かしたのです。この足首とは、まさに「現代社会」そのものです。

 歴史を見るなら、ローマ帝国以後、一大帝国によって世界が支配されるというような状況が徐々に薄れて、強い国と弱い国が混在しながら、世界が構成されるようになりました。それぞれの国々は主権国家として、それぞれの場所を支配していました。それが今、さらに形を変えようとしているわけです。

 何度もお話しさせていただいていますが、この頃話題となっているTPPなんかを見れば、強い国も、弱い国も、辿って来た歴史も、宗教さえ違っても、すべての違いを乗り越えて、経済的な利益で一致しましょう!ということです。
 アメリカは、トランプ政権になって、「TPPから抜ける」と言ったけれども、「条件さえ良ければ加わるぞ!」とか言って、ちょっと怖いです。みなさん是非とも祈ってください。「TPPって何それ?私に関係あるのはPTAだ。」と考えているお母さん方もおられるかもしれませんが、PTAよりもTPPのほうが本当に大変です。
 日本は皆保険制度があって、病院に行くのが簡単です。すぐに診てもらえるのです。しかしそのシステムがなくなります。徐々になくなります。本当です。そして、薬の値段なんか、すごく上がるのです。すでにアメリカはそうです。日本は薬は安いです。アメリカなんか、無茶苦茶に高いです。保険がなかったら、薬なんか買えません。
 私は何年か前、アメリカに家内と行って、家内が湿疹ができて、病院に行きました。それで、湿疹を止める薬を出してもらいました。いくらと言われたと思いますか?保険なしでしたから、二十万円です。えー!二十万円?冗談じゃない!薬いらない!と言いました。でも、そこはクリスチャンのお医者さんで、私の知り合いだったので、「心配しないで下さい。薬のサンプルがありますから。」と言って、サンプルをくれました。それでも、二十ドルくらい払ったかなぁ。普通で、保険なしで買ったら、二十万円!日本では、うっそー!という感じです。
 今日も、アメリカから来られた方がおられますが、一回、病院に行って、CTスキャンを撮ったら、百万円です。二回撮ったら二百万円。TPPが実行されると、そうなります。他にもいっぱい、不具合が出るのです。すべての国境なんか取っ払って、強い国も、弱い国も、経済的なメリットがあれば一致しましょう!とね。今まで千円の薬が二十万円で売れたら、二十万円で売れたほうがいいじゃないか!という考え方です。そのような世界に、私たちは身を置いています。

 このような中に悪魔が強力に働いているのです。しかし、そこで恩恵と影響を受けながら、なかなか敵と戦うことはできないと思います。でも、こういう状況の中、戦う権限を持っている人たちは、どういう人たちかというと、チェパン族のような人たちだと思うのです。
 なぜなら、彼らは自給自足ですから。そんなの全く関係ないのです。貨幣経済はありません。山にはお金の流通はないですから。鶏を持って行って、とうもろこしと交換してもらうとかするわけです。
 でも最近、山にも一つ店が出来ました。金が使える場所が出来ました。その店を経営しているのが誰かというと、村の酋長の霊能者です。去年、私はそこにホームステイさせていただきました。しかし今でも山には貨幣経済はなく、ほとんどが物々交換しているわけですから、TPPなんて関係ないです。近代の資本主義経済の影響を受けていない人たちです。彼らが救われて、世界のためにとりなし、祈り始めたらどうですか?そもそも経済の影響を受けていませんから、それこそ、近代資本主義という森の中の獅子となるはずです。
 私たちは、自分たちの為にも、彼らが救われるために働かなくちゃいけないということです。この三月、苦労してチェパン族の所に行くのは、大きな意味があります。是非とも、祈っていただきたいと思います。

 人類の起源は、メソポタミアにあると思われます。最も古い文明は、メソポタミア文明です。次に、エジプト文明、インダス文明と続きます。聖書によると人類はバベルの塔によって散らされたわけです。

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 西に向かった人々がエジプト文明を発展させ、東に向かった人々はインダス川方面に向かったわけです。人は川がある所でしか、生きることはできないです。
 インダスに来た人たちの中で、山に入り込んで、あたかも冷凍保存されたような人がいました。それが、チェパンの人たちではないかと思われます。その証拠に、一九六〇年くらいまで、彼らは竪穴式の住居に住まい、完全な自給自足と、最古の生活様式を保持していたからです。縄文人とほとんど変わらない生活様式の人たちが、他でもなく、チェパンの人たちです。
 ということは、彼らは、世の終わりに際して、主が隠しておかれた人たちではないかと思います。この人たちの村には、貨幣経済はありません。ゆえに、経済の領域で働いている、悪しき力を打ち破る権限が与えられているのではないかと思います。

 彼らは自然破壊をしていません。自然とうまく調和して生きています。前にもお話ししましたが、私はこの場所に行く時に、近くの百円ショップから飴玉を買って行きます。山の子どもたちに、少しでも人気者になろうと飴玉を配ります。子ども達は喜んであめ玉を食べます。
 でも、彼らは包み紙をその辺にポイポイ捨てて、汚くするのです。だから私は、「ちょっと!包み紙を捨てちゃ駄目だよ!ゴミはちゃんと処分しないといけないよ!」と教育してあげました。私はいいことしたかなぁと思ったけれど、あとから考えたら、これは良いことじゃないと思いました。
 日頃彼らは、ポイ捨てしても全く環境に影響のないものしか食べていません。木の実とか、バナナとか、自然に帰るものだけを食べていますから、ポイ捨てしても全然いいのです。
 でも私たちが持ち込むものは、プラスチック製品ですから、その場に残るわけです。今回山に行ったら、掃除をしたいと考えています。なぜならこの頃、プラスチック製品の袋なんかが、山に結構増えたからです。見ると、「あれ?何これ?日本語だ…。うちの関係者だな。」なんていう感じです。

 ということは、私たちが被造物に対して、「主をほめたたえろ!」とか宣言しても、自然界と対立関係がありますから、「主をほめたたえろ!」と宣言しても、被造世界はムッとするのではないでしょうか。「おまえら俺たちに今まで何をしてきたんだ・・・」というところがあるかも知れません。でも、チェパンの人たちは、今でも被造物と仲がよいですから、彼らが主を信じて、福音を宣言する側に回ったら、すごいと思いませんか。彼らが「主をほめたたえなさい!」と被造物に宣言したらどうでしょう。自然界も喜んで、福音を受け入れ、主をほめたたえるようになるはずです。
 ネパール宣教は、世界宣教戦略の中で、たいへん重要な場所だと思われます。

 すごいでしょう。このように、私たちは世界をくまなく調査して、「ここが森の中の獅子の民族だ!宣教に行こう!」と、そこまで考えてやっているのです、というのは嘘で、行ったら偶然そういう人たちがいたというだけです。後から調べたら、「えっ〜!」という感じです。結構、主の働きって、そういうものだと思います。

 いつも私たちを世話してくれる、パク先生方のために、是非とも祈っていただきたいです。私たちは一週間もすれば、帰るのですが、先生方は現地にとどまり、逃げ場はありません。私たちは山に上ったら、「もう幾つ寝ると〜♪」という感じです。ネパールに着いた途端、家に帰れるのが楽しみになるのですが、彼らは、そこにどどまって伝道を続けています。すごいなぁと思います。彼らに主からの報いは大きいと思います。

 私はパク先生に、「先生、すごいですね。チェパン族の人たちをターゲットに伝道に入ったなんて、すごいですよ!」と言ったら、「いや、全然そんなことは知らなかった!」というのです。なぜそこに来たのかと聞いてみると、チェパン族が住んでいる場所に、韓国人のビジネスマンが、リゾートホテルを建てようと道だけ作ったというのです。しかし道だけ作って、あきらめたというのです。それで、「あの土地を自由に使え」と言われて、「山に登ったら人がいた。」というのです。
 私がチェパン族を調べて、「この人たちって、すっごい人だよ!」とパク先生に話しました。彼はちょうど、山での宣教に疲れて、「もう宣教をやめて帰ろう・・・」と思っていた時、私がこの情報を伝えて、彼は再び奮い立ったというのです。「自分が遣わされた場所は、聖霊によって遣わされた大切な場所だ!」と気づいて、「山にとどまる決意をしました」と話されました。それで、今でも彼ら家族は山で働いています。毎月、山に登って働いています。私たちは、このような方々をサポートしなければならないです。
 これは去年の写真ですね。

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 子どもたちがこのように集まります。後ろにある教会は、二年くらい前に新城チームがペンキを塗って、今でも剥げずにあります。

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 チェパン族の現代の住居と二千年前の縄文人の住居、ほとんど何も変わっていません。

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 左にパネルが付いているのは、ソーラー発電のパネルです。ちょっと近代的なものも入っています。韓国の先生方がパネルを村に贈呈しています。今年もホームステイすることになっています。山で店を始めたのが、この霊能者のおっさんです。この太鼓で悪霊を呼びます。鶏も一緒に住んでいますが、これは悪霊への生け贄用です。首を切って、悪霊に捧げるのです。こういう場所に私たちは宣教に行きます。

 今回も二人のお医者さんが行って、医療活動をしてくれます。薬も、現地のことをよく考えて出しています。生態系を壊さないよう配慮して、先生方、がんばってくれています。

 この人達はネパール教会のリーダーや牧師達です。牧師達が来て、聖会も行います。今年は、牧師たちだけではなく、一般信徒の方々の為にも、聖会があります。新城教会を中心として、今年はリバイバルミッションと一緒になって、働きを進めていきます。チェパン族の救いは、本当に重要だと思います。みなさん是非とも、是非とも、祈っていただきたいです。

 この方々は、世界経済には全く組み入れられていません。完全に外れています。自給自足で、金の流通もないです。しかし世界経済の中に働く悪霊どもに、絶大なパワーを送っている人たちです。以前にお話しさせていただきましたが、ネパールに行きますと、ヒマラヤ山脈に、「マチャプチャレ」という、標高7000メート近くの入山禁止の山があります。絶対に人は入っちゃいけません。入ったら死ぬぞ、という霊山です。

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 この山の山頂は三角形です。この三角形は、世界中で使われています。ドル札の後ろに三角形が描かれてますが、このモチーフはどこかというと、エジプトのピラミッドではないのです。エジプトのピラミッドも、どこかをモチーフにしています。それはマチャプチャレをモチーフにしています。

 世界で最も高い所から、世界中を見渡している!という考えです。この考え方の者たちがドル札を発行する権限も持っていて、世界経済をがっちり掴んでいます。
 この山のほぼ真南に住んでいて、これらの山々を拝んでいる者達がいます。その人たちがどこに住んでいるかというとここです。

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 うまく段々畑にして、水も一滴も無駄にしないようにして生活しています。それが私たちが毎年訪れているチェパンの村です。精霊の山と呼ばれるマナスルとマチャプチャレが見える場所に住んでいます。
 よく晴れた日にはヒマラヤ山脈が見えて、三角形の山を拝んでいるのです。彼らはなぜ、山から下りないかと言ったら、霊的な意味があって、自分たちの使命は、ここの山に住み続けて、山の神、悪霊を拝むことだと考えているわけです。
 悪魔の策略は巧みです。経済の恩恵を受けていない人たちに霊山を拝ませたら、最強のパワーが経済の領域に流れ込むはずです。その結果、悪魔は経済を通して、世界を支配することが可能になります。

 ということは、ネパールのチェパンの人たちが救われて、彼らが被造物に対して「主の名をほめたたえろ!」と宣言し、霊山を拝むのではなく、山頂の悪しき目に向けて、み言葉の剣を投げつける者達に変えられたら、世界は変わるではないでしょうか。
 期せずして、主は私たちを、このような重要な場所の宣教に導かれました。それは私たちにも、主は、大きな使命を与えて下さっていると信じます。

 『全世界に出て行き、すべての造られたものに、福音を宣べ伝えなさい。』という言葉は、幅が広いですね。

 私たちの願いは、一刻も早く、イエス様がこの地上に帰って来てくださる事です。ダニエル書の二章四十四節〜四十五節を読んでみたいと思います。

『この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』

 「この王たちの時代」すなわち、「鉄と粘土が混ざった国々の時代」に、一つの国が起こるのです。それは人手によらずに、「山から切り出された小石」が出て来て、金の頭、銀の胸、青銅の腹、鉄のすねで構成された巨像の、鉄と粘土の混ざっている足首に当たって、小石は大きくなって世界に満ちるのです。石は山の中から切り出されるのです。チェパンの人たちに対する宣教は、ものすごく重要ではないかと思います。

 前にもお話ししましたが、今から三年前でしょうか。私たちがチェパン族の所に行って、子どもたちに「山に向かってみ言葉の剣を投げよう!」と言いました。いつも私はそのようにします。子どもたちが、「イエス様に与えられた剣を、せーの!投げます!」と山に向かって投げたのです。
 その時、新城教会で不思議なことが起こりました。ヘブンズ・カフェに突然、空間が破れて、小石が出たのです。ヘブンズ・カフェで働いているお姉さん方、教会で一、二を争う恐がり屋さんですが、石が突然出て来たから、びっくり仰天して逃げ出しました。なにもない空間から、石が飛び出すなんて、普通では絶対にありえないです。

『あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』

とダニエル書二章にありますが、ヒマラヤの山をめがけて、剣を投げたとき、石が飛び出て来たのは、預言的な気がします。今年は何が起きるのか、ちょっと、どきどきです。今年は被造物全体に対して、「主をほめたたえなさい!」というメッセージと共に出かけていきます。何が起こるのか。世界を揺り動かす働きになるよう、是非とも祈っていただきたいと思います。この働きの重要性について、すでに理解してくださっていると思いますが、「全世界に出て行き、すべての造られたものに、福音を宣べ伝えよ!」という大宣教命令と共に、イエス様がもう一度帰ってこられる道を作るための、重要な働きであると、是非とも、理解していただきたいと思います。一丸となって、このネパールの宣教を成功させましょう。

 福音宣教は誰にでもできます。ある人は、人に福音を伝えます。人に福音を語るのは苦手な方は、外に出て行って、自然界に、「主を賛美しなさい!」と宣言して下さい。
 私たちの内なる、内蔵も腸内細菌も何もかも、一緒になって、主をほめたたえたら、イエス様は地上に帰らざるを得ないと思います。こんなエキサイティングな働きのために、私たちは召されているなんて、本当に感謝ですね。

 今から聖餐式を行います。聖餐式はイエス様の十字架を表します。私たちの罪の身代わりとなったイエス様。死んで葬られ、三日目によみがえてくださったイエス様を覚えます。しかしイエス様の十字架の血は、すべての被造物との和解であったとパウロは語りました。被造物がうめいている領域に、イエス様の勝利を宣言する者になりたいと思います。一言お祈りします。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて、心から感謝します。「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」語ってくださっていることを、心から感謝をいたします。
 三月になりました。ネパールの働きも始まります。私たちは無駄な働きは何もしたくありません。あなたが帰られる道を用意することができますように。今日もイエス様が十字架の上で流してくださった、血潮をいただきます。このパンとぶどうのジュースを、聖霊によって、み言葉によって、主と一つになる機会であると宣言し、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。