「彼らに主の名をほめたたえさせよ!パート7
 〜そのとおりです。それを実行しなさい。〜」

2018年4月8(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ルカによる福音書 10章27節〜28節

『すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」』

 ハレルヤ!おはようございます。みなさんにお祈りしていただき、無事に、ネパールから帰ることができ、心から感謝します。
 今回、ネパールに二十五名の方々が行かれたのですが、皆、元気に帰ってまいりました。背後からの熱いとりなしの祈りがあり、守られたことを心から感謝します。
 「私のために、是非、祈ってください」とお願いしたのですが、私はたいへん元気でした。ネパールに行く直前はたいへん忙しく、全てをこなせるかなというスケジュールでした。ネパールに行く前々日まで、沖縄にいまして、帰ってから準備して、翌朝、朝五時半集合で、ネパールに飛んで行きました。どうなるかなぁと、ちょっと不安でしたが、意外に元気で、家にいるのとあまり変わらないくらい、リラックスしていました。慣れれば、慣れるものだなぁ・・・と思いましたが。
 今回、ネパールでは、ホームステイ・プログラムもありまして、現地のお宅にお邪魔させていただいたのですが、私はぐっすり寝て、「あれ!ここはネパールか!」と思うくらい馴染んでいました。やはり、祈りがあってのことだと思います。みなさんの熱い祈りを、心から感謝します。

 メッセージを語る前に、どんな活動であったかを、ご紹介させていただきます。ネパールに同行した、滝川充彦スタッフが、一眼レフの良いカメラで現地を撮ってくれましたので、しばらくご覧頂きます。私がお送りした写真は、iPhoneの適当な画像でしたが、彼はちゃんとした写真を撮りました。

==
 ハレルヤ。皆様に生きてお会いできることを感謝します。お祈りで支えてくださったことを感謝します。
 早速、スライドを見ていきたいと思いますが、午後にも報告会がありますので、そちらで、たっぷりお分かちします。礼拝では、駆け足になるかと思いますが、よろしくお願いします。

 二十五名で朝五時半、ネパールに出発していきました。今回はリバイバルミッションの働きとしても参加者を募集しましたので、九名の外部の方々も加わりました。
 ネパールで有名なのはヒマラヤです。飛行機から、ヒマラヤが見えました。とても綺麗でした。

 飛行機が降り立つのはカトマンズという首都です。だいたい、海抜千四百メートルくらいの場所にあるのですが、私たちの宣教地チトワンへは、千メートルくらい下って行きます。
 この道路をネパールでは、高速道路と呼びます。トラックとトラックがすれ違うのが大変な道です。右隅に小さい四角いものが見えますね。あれは、なんだと思いますか?トラックです。崖下に落ちています。行く時もトラックが横倒しになっていたり、川に落ちていたり、こんな崖がむき出しの所を走って行きます。この高速道路で、今年になって、すでに七十名以上が亡くなったと聞きました。本当に、危険な道ですが、皆様の祈りに支えられて、守られました。
 アスファルト舗装がない、ガタガタ道を揺られながら六、七時間走って行きました。距離はたったの百キロです。日本で百キロだったら、あっという間に着いてしまうと思うのですが、ネパールでは、六〜七時間くらいかかりました。
 海抜四百メートルくらいの街がチトワンです。ここはインドの国境付近で、熱帯気候です。お米も年に三回とれるそうです。

 その夜は、チトワンのクリスチャンの方々が、この宣教の働きのために祈祷会を開催してくださいました。聖霊様が働かれた素晴らしい、祈りの時となりました。日本人とネパール人が一つとなって、祈りをささげ、備えました。

 翌朝早速、私たちの宣教地であるチトワンのパレワコット村に登って行きました。歩いて、約四時間〜五時間かかる場所です。海抜千メートルくらいはあるのではないかと思います。しかし今回、感謝なことに、こんな綺麗な道路が出来ていました。この道が完成したのは、二週間前だそうです。主が備えてくださったことを思います。こんな高い所に上って行きます。

 お昼に村に着いたのですが、午後からの働きに備えて、ランチをいただきました。それがこれです。のびきったインスタントラーメンでした。とても美味しかったです。山の上で食べるインスタントラーメン、最高でした。

 山の上に小学校があります。二百名くらい子ども達がいるのですが、貧しい村なので、家の仕事などで学校に行けない子どもたちが多く、百名くらいしか学校には通っていません。その日は、教会に子どもたちを招待し、「ワンデースクール」という、子どもたちの集会を持ちました。
 和歌山から参加してくださった姉妹が、クラシックバレエを踊ってくれました。山の上の子たちに、「クラシックバレエって、見た事ありますか?知っていますか?」と聞くと、誰もいませんでした。山の上で、「主の愛が今」に合わせて踊りました。
 そして、青年達が賛美と踊りをもって主をほめたたえて、子どもたちに踊りを教えて、楽しいひとときとなりました。
 また、滝元典子さんの、「主の御名に力がある」という、素晴らしいメッセージが語られて、本当に良かったです。やはり典子さんはネパールに行っても、「私は何歳だと思う?」と聞いていました。「十七歳」と言っておりました。ネパールでも皆、喜んでおりました。

 そして今回、ヒーローも一緒に行ってくれました。心強かったです。ヒーローショーは大人気で、同じショーを二回続けてやりました。子どもたちは本当に喜んでいました。
 また、一緒に祈り、賛美する時を持ちました。ジャンプしているの誰だと思いますか?開先生です。すごく飛んでますね。やはり聖霊の力によって、高く飛べるのでしょうか。この写真だけ見ても、恵みが伝わると思います。
 夜も、働きが続いて、子どもたちに日本の紹介をしたり、新城教会の礼拝の模様を写真で見せました。また、順先生のショートメッセージもありました。
 もうあたりは真っ暗です。山の上は電気がないので、みんなで懐中電灯で照らしています。

 次の日の朝ですが、四月一日は復活祭ということで、山の上では三十日金曜日、イエス様が十字架にかかられた日でしたが、聖餐式を持つことを順先生が示されて、皆で、聖餐式の時を持ちました。人類のための十字架の贖い、そして、被造物との和解というテーマで、被造物に対しても十字架の勝利を宣言しようということで、山の上は被造物が溢れていますので、聖餐の時を持ちました。
 ネパール人も日本人も一緒になって、チェパン族の方々も一緒に、聖餐を受けました。
 そうしたら、雲行きがだんだん怪しくなって、空からこんなものが降って来ました。この白いもの、なんだと思いますか。日本から持ってきた白い飴ではなくて、雹です。雹が降って来ました。僕は初めての体験でした。詩篇百四十八篇にあるように、雹までも主を賛美していると思って、すごく感動しました。
 これは全て雹です。たくさん降って来ました。被造物も共に主をほめたたえる恵みの時でした。

 その後、ミッションの働きが始まりました。これは、「とりなし賛美ミッション」で、チェパン族の村を賛美をしながら、回りました。このような家に住んでおられるのですが、賛美の恵みが溢れました。
 ここは霊能者の家です。奥さんだけがいて、奧さんの前で主を賛美したのですが、ちょっと見えづらいですが、たいへん堅い顔をしていました。いや〜、戦いを感じるなぁと思ったのですが、賛美には力があって、賛美をし終わった後、この方、どんな顔になったかというと、こんなに笑顔になりました。
 他の場所でも賛美すると、笑顔の花が開くような、チェパン族の大地はすごく渇ききった土地ですが、大地に花が咲くような素晴らしい主の御業が現されました。

 そして、「医療ミッション」です。今回も、星野先生、岩井先生が共に行ってくださって、医療の働きをすることができました。山の上は病院がないので、この働きは、たいへん重要な働きだと思います。
 これが病院です。素晴らしい病院ですね。これが薬局です。
 この子は、前日に骨折してしまったそうです。多くの必要がありました。

 また、現実的な医療サポートと共に、霊的サポートもすることができました。「解放の祈りミッション」で、医療ミッションに来られた患者さん、一人一人の為に、先生方が癒やしを宣言する祈りをしてくださいました。
 また個人的なインタビューもして、解放の祈りの時を持つことができました。続いて、山の上全体の集会ですが、この時も本当に恵まれました。
 この地は主のものと、「被造物よ、主をほめたたえよ!」と宣言しました。幼子からお年寄りまで、主を賛美して、喜び躍る一時でした。

 そして「フードミッション」です。村人にカレーを提供しました。今回は、リバイバルミッションの働きということで、外部からも加わられて、シアトルから、この教会にもよく来てくださる、竹内先生と共に牧会されている佐藤先生が参加されました。この方は、ずっとアメリカでシェフをされていました。ですから、山の上でも洗練されたカレーを提供することができました。今までの食事とは、全く別物でした。感謝でした。
 ゆで卵は貴重な栄養源で、あまり山の上の人たちは食べることができません。皆に、ゆで卵を提供しました。
 子どもたちは、本当にたくさん食べます。いつものカレー皿二杯分くらいは、ペロッと食べてしまいます。

 そして「ホームステイミッション」。日本から、煎餅とインスタントコーヒーを持って行って、交わりの時を持ちました。とても楽しいひとときでした。
 私が行った家では、これを提供してくれました。山羊ジャーキーです。とっても美味しかったです。臭みもなく、たくさんいただきました。

 ちょっと見えづらいのですが、土間でみんなで寝たのですが、隣に生き物がいました。鶏です。鶏と一緒に寝ました。朝の三時四十分に、コケコッコー!という鳴き声で起こされました。他のホームステイの方々は、山羊に起こされたとか、いろんな経験をしました。楽しい一時でした。

 「交わりミッション」と、私が勝手に名づけたのですが、ツアーに参加した、子どもたちや若者たちが、現地の子ども達と、とっても上手に遊んでくれました。やっぱり、若さゆえのエネルギーと賜物があって出来ることです。おじさんの私では出来ません。私は写真を撮るだけでした。本当の家族のような、兄弟姉妹の交わりを持つことができました。

 翌朝、山を下りて、「ネパール・日本合同聖会」を持ちました。この時も、和歌山の姉妹がクラシックバレエを躍ってくださいました。また日本の若者が躍って賛美をしました。ヒーローショーもありました。ヒーローショーになったら、ネパール人の方々の携帯の数がだいぶ増えて、みんな動画を撮っていました。ネパールではヒーローがめずらしいみたいで、大人気でした。この日も、アンコールで、続けて二回同じショーをやりました。

 そして今回、リバイバルミッションの働きで、ザワメキ、開先生ご夫妻の賛美がありました。賛美の中で聖霊様が激しく臨んでくださり、聖霊様にふれられて、賛美し、祈っている姿を多くみかけました。この方、涙しておられます。素晴らしい聖会の時でした。そして順先生からの、力強いメッセージも語られました。
 最後は、みんな輪になって、喜び躍りました。真ん中に居るのは、伊藤信君ですが、どう見ても、ネパール人の方かと思うのですが、日本人もなく、ネパール人もなく、本当に、神の国籍を持った神の民として、一つとされた時でした。感謝します。
 青いシャツを着ているのが、パク宣教師です。今回、私たちの働きを受け取ってくださって、ツアーのアレンジをしてくださいました。韓国からネパールに遣わされて十年以上のパク先生です。パク先生、現実的なサポート、霊的サポート、本当にいつも背後で祈っておられて、集会中も一番後ろで、とりなし祈っておられる姿に感動しました。それを常に見て、支えられているなぁと感謝しました。
 この宣教ツアーを通して、誰一人倒れることもなく、皆様の祈りに支えられ、多くの祈りの手が日本からもあげられていることを、強く感じました。リバイバルミッションの働きとしても開かれましたので、そこから参加された諸教会の兄弟姉妹や先生方も祈ってくださって、宣教の働きを続けることができました。本当に感謝します。
 これはただ、ネパールに宣教に行ったチームだけの働きではなくて、全体の働きであり、アジア、日本、世界に、新しいリバイバルの扉が開かれた時であったなことを感じます。本当にお祈りを感謝します。

 以上で、スライドのほうは終わりにします。また午後からは、個人的な証しをしてくださいますので、是非、ご参加ください。お祈り本当にありがとうございました。

==
 どうも、ありがとうございます。午後から「ネパール宣教報告会」があります。今のスライド以上の写真もお見せします。また共に行ってくださった方々の証しもあります。
 私はすでに、ツアーメンバーの証しを聞かせていただきました。皆、成長しました。子どもたちも、いろんなことを感じて、主が触れてくださっているのを見ることができて感動しました。是非とも、彼らの生の声をお聞き下さい。

 今回、ネパールに行って、私の心に響いていたみ言葉は、先ほど読んでいただきました、「ルカの福音書十章二十七節、二十八節」でした。
 これは大変有名なところで、今までも何度も学んだことがありますので、ご存じだと思うのですが、聖書一冊をまとめると、この二節に集約されるのではないかと思われます。もう一度読んでみたいと思います。
 これはある律法の専門家が、イエス様を試そうとして、「永遠のいのちをもらうためには、どうしたらいい?」と質問した時、逆にイエス様が律法の専門家に質問をし返したのです。すると専門家の回答は、見事でした。それに対して、イエス様は、「そのとおりだ!それを実行しなさい!そうすればいのちを得ます!」と、イエス様からお墨付きをもらった、すばらしいまとめでした。二十七節を読みますと、

『すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」』

 永遠のいのちを得るためにはどうしたらいいですか?という答えが、二十七節に凝縮されています。聖書という分厚い書物をまとめれば、二つになるのです。それは「神を愛する」ことと、「隣人を愛すること」の二つに集約されるのです。
 コインは裏と表があって一枚のコインを形成します。それは切り離すことができない関係です。「神を愛する」ことと、「隣人を愛すること」の二つは、ちょうどコインの裏・表みたいです。神を愛すると言うならば、裏返せば、隣人を愛するという事です。
 人を愛することについては日頃、感じているのですが、神を愛するとなると、天地宇宙を造られた方を、どうやって愛していいのか、なかなか分からない部分もあります。
 しかし、神を愛するとは、隣人を愛することで実現されるのです。

 イエス様は、「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と言われました。私たちにとって、いのちは最も大切なものです。しかしそれは、神を愛する事と、隣人を愛することで実現するのです。
 誰でも一秒でも長く生きたいという気持ちで、生きています。その為にはいろんな手段を取るのですが、最も重要な、いのちと関わる行動は何か。それは、神を愛することと、隣人を愛することに集約されるのです。すでにみなさんは、それを実行されていると思います。

 この箇所をある人が注解して、「人に与えられているすべての資質、すなわち意志、感情、知性、肉体的力を総動員して、神と隣人を愛すること」していました。神から与えられた、すべての資質を総動員して、主をほめたたえ、隣人を愛していくのです。肉体的力を総動員してとありましたが、隣人を愛する為には、時には巨大なエネルギーが必要です。
 以前、詩篇百三篇の一節を紹介しましたが、

『わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。』

 「内にあるものはこぞって主をほめたたえよ。」とあるように、与えられているすべてを総動員して、主を愛する、それは現実的には、「隣人を愛する」ことです。

 ルカの十章は、その後に、良きサマリヤ人の話が出て来ます。それはただ単に、お隣の人ではなく、互いに対立し合っていた、サマリヤ人とユダヤ人の関係について語られた箇所です。
 私たちは、愛しやすい人を愛することを、隣人愛に適応したいのですが、そうではなく、愛するのに巨大なエネルギーを必要とするところに愛を向けないと、どうも本物の隣人愛は成立しないようです。しかしそこから、いのちが沸き上がるのです。

 今回、ネパールに行きましたが、新城教会とチェパン族は、普通に考えたら、お互いに、何の共通点も、関係もありません。利害関係も全くありません。彼らは、日本人達が村に来るなんて、全く、予期も、期待もしていなかったはずです。来てほしいとも思っていなかったはずです。全く、関連性のない人々であり、場所です。別に私たちが、チェパン族に関心を持たなくても、誰からも責められることはありません。別に、そんなことしなくてもいいのです。
 しかしあのように、全く私たちと無関係な、利害関係もない人たちに対して、あえてエネルギーを集中する時、それが、本物の隣人愛となり、心は躍り、いのちが溢れる体験をするのです。

 そしてこの働きは、最前線に行く人たちだけの働きではなく、キリストのからだ全体の働きです。出かける前、その点について語らせていただきました。こちらにおられても、最前線のことを思い、共にうめき、とりなしの祈りをしてくださった事と思います。
 先ほどスライドを見ながら、あれだけの仕事量を、よくこなしたものだなぁと驚きました。でも、みんなの力を集結すると、短い時間でも、うまくいくのです。
 私たちは、身近な人々を愛すると共に、対立する民族、さらには、無関係のように見える領域に対しても、愛を向けることが大切だと思います。

 神を愛する、隣人を愛するとは、別に新しい教えではなく、すでに旧約聖書の中に示されていました。それは、律法の中心的な事柄であったわけです。この思想は、新約聖書にも、しっかりと受け継がれています。
 ガラテヤ人への手紙五章十四節、

『律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。』

 イスラエルに行きますと、ユダヤ教の人たちは、十戒を細分化して、それらを一つ一つ守ることによって、永遠のいのちを得ようと努力しています。
 しかしながら、それは大変難しいことです。安息日を守りなさいという規定でも、細かい規定があり、それらを実行するのは、大変なことです。
 ユダヤ人たちが守っているような習慣を、現代人に守れと言ったら、絶対に無理です。日本人はまず無理だと思われます。しかし聖書が提示している一見難しそうな律法を、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一節で、すべて包括してしまうというのですから、この言葉はたいへん重要です。

 使徒パウロは、イエス様から直接聞いたと告げていますが、彼が生涯モットーとしていた事柄について語っています。それが、使徒の働き二十章三十五節、

『「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」』

 パウロが毎日、心に留めていたのは何であったかというと、弱い人たちを助けようという気持ちと、もう一つは、『受けるよりも与えるほうが幸いである』ということをモットーとしていたのです。
 弱い人たちを助けなければならないという心は皆、持っています。しかし、なぜ、弱い者たちを助けなければならないのか。それは、以前もお話ししましたように、神は弱い所に、重要な鍵と賜物を、置かれているからです。弱さの中に、主は働かれるのです。
 現代人は、「強いものに価値がある」という価値観で生きています。その為に、弱く見える部分に置かれた、最も大切な賜物を、踏みにじっています。

 そして、「受けるよりも与えるほうが幸せ」というのです。経済の活動の中では、一円でも多く受けたいという、価値観で活動しているのですが、受けるのではなく、与えるのが、真の幸せを感じさせる秘訣です。そして結果的に、私たちは永遠のいのちにも至ると教えています。
 ネパールで、神を愛するということと、隣人を愛する重要性を実感して帰って来ました。この働きを、さらに発展させていただきたいと願っています。

 今年は、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」という、大きなタイトルを、主からいただきました。人類の目的は、「彼ら」に主の名をほめたたえさせる事です。彼らとは、人だけでなく、神が造られた被造物全体に及んでいます。

 私たちは隣人を案外、人だけに限定してしまうのですが、神が造られた被造物と共に生きているわけで、隣人愛の概念を、被造物全体へと拡大すべきです。
 人とは不思議な存在です。自然の一部に組み込まれているのですが、ただ組み込まれているだけでなく、自然界の外に出て、神が造られた被造物に働きかける能力を与えられている存在です。
 しかし人類は神が造られた被造物と、良い付き合いをしていません。しばしば、敵対関係にあります。
 しかし、チェパン族のところに行きますと、彼らは被造物と良い付き合い方をしています。神が造られた自然をうまく利用して、共存しているのです。山に行きますと、隣人を愛することが、ただ単に、人だけでなく、神が造られた被造物に対しても適用しなければいけないと、強く感じさせられます。

 今回私、出かける前に、荷物をパックしている時に、主から、ふっと語られた言葉がありました。今回何をすればいいのかなって、考えながら、パッキングをしている時に、ふっと、「山に上ったら、山のみんなと一緒に、聖餐式を行いなさい」と語られた気がしました。
 今日も聖餐式がありますが、聖餐式ってたいへん重要です。
 聖書中の神秘は、「二つ」だと私は考えています。それは何かと言ったら、「バプテスマと聖餐式」です。これこそ、現代の神秘だと思います。バプテスマは、水の中に入って出て来るだけで、イエス様の十字架の死と、復活を瞬間的にたどるからです。どう説明したって、説明できないです。水の中に入って、出て来るだけで、十字架の死と、復活を瞬間的にたどるなんて、神秘としか言えないです。

 また聖餐式は、パンとぶどうのジュースを、聖書のみことばを基本として、聖霊によって導かれて行う時、なんと、これらがイエス様の十字架上で裂かれた、肉と血となり、イエス様と一体となるというのです。これも神秘じゃないですか。毎回、用意される、パンとぶどうのジュースは、マルイチで買ったり、時にはコストコで買ったり、コンビニで買ったものです。しかし、み言葉と聖霊によって行われる時、イエス様と一つになる体験なんて、神秘としか説明できないです。これこそ、神秘の領域です。

 ちょっと話は変わりますが、来週は新城教会では復活祭です。世界的には、先週、復活祭だったのですが、新城教会の復活祭は来週になります。次週は是非、新しい方々をお連れいただきたいと思います。みなさんと一緒に、復活の主を礼拝したいと願っています。
 復活とはすごいことじゃないですか。死を打ち破ったのは、イエス様以外にありません。そして、私たち人類は、神の子どもとして、また、主と共に地を相続する者として、やがて復活できるのです。多くの被造物の中で、復活の恵みに預かれるのは「人類だけ」です。他の被造物は、回復されるかもしれないけれど、復活することはできません。
 しかし私たちは、復活できるのです。この大きな恵みを、受け取ることができるわけです。

 先週は火曜日に帰国したのですが、水曜日は水曜主日礼拝がありました。その時に、二人の方々がバプテスマを受け、群れに加えられました。Sさんと、Yさんという方でした。本当に感謝です。大きな祝福でした。
 次週はイエス様のよみがえり、復活を表す、復活祭礼拝が行われます。
 九時半からは召天者記念会があります。先に、主の元に帰られた方々を記念して、主を礼拝する一時です。

 私はネパールに行く時、本当に、かなしく思うことがあります。それは、あちらの人たちは、輪廻を真剣に信じています。日本人もよく言うでしょう。「死んだら輪廻する」と。
 しかし日本人は、輪廻を、本気では信じていません。本気で信じていたら、墓も造らないはずですし、先祖の霊も拝まないはずだからです。輪廻思想によれば、霊はリサイクルして戻って来るから、先祖の霊はいないことになります。
 しかしネパール人達は輪廻を信じていて、先ほども、気持ち悪い写真が出ましたが、もう一枚、気持ち悪い写真を紹介します。これはガンジス川の支流で、パシュパティナートという場所です。黄色い布で包まれているのは、遺体です。

0002.jpg

 これは火葬を目前にして、最後の儀式をやっているところです。ここで体に火をつけて燃やして、残った灰や骨などは、全てこの川に捨てるのです。お金持ちは、たっぷり薪を買うことができるので、すべてを焼き切ること出来ますが、お金がない人たちは、焼き切ることができずに残骸が残ります。それらは川の下に落とすわけです。しかしうまくできていて、下に犬がいて、ちゃんと食べてくれる。それで地上に輪廻できるという考え方です。そんな人生、いやです。よみがえりと輪廻は全く別物です。

0003.jpg

 先ほどサドゥーというおじさんたちが出て来ましたが、これを見てください。この姿が、救いを得るための修業だったら、まっぴらごめんです。ここには、絶対に救いはありません。彼らは赤い顔をしていますが、何で色付けているか知っていますか?人を焼いた灰に顔料を加えて、人の焼きカスを体中に塗っているのです。
 派手派手しい人たちですが、開先生はいつも、彼らの所に行って、「イエス様」と告白させています。一緒に祈ったり、賛美したりしました。
 ここに行くとクリスチャンで良かった思います。こんな修業をしなくても、永遠のいのちを受けることができるからです。こんな素晴らしい特権はまたとない、これは聖書以外にはありません。「イエス・キリスト以外に救いはない!」のです。

 今回、私は幾つか、嬉しいことがありました。今回、私はネパール七回目です。よくぞ来たものだと思っています。毎回、山を下りる時、「俺はこれで最後だ・・・。」と自分に言い聞かせながら下るのですが、また次の年、行かされてしまう。これは自分の意志というよりも、主が行け、と言われるからだと信じています。そうならば、行こうと考えています。
 今回、山に通じる、素晴らしい道路ができたのです。誰でも行けます。私は歩きませんでした。ジープみたいなのに乗せてもらって、山の上まで登りました。めちゃくちゃ楽ちんです。ジープの荷台に乗って行ったのですが、食糧をいっぱい積んで、チキンも買い込んで行きました。チキンと言っても、処理されているものではなく、生きている鶏たちと一緒に山まで登ります。結構揺れるので、コッコー!と、袋から逃げだしそうになるわけです。彼らを抑えながら上がりました。

 いろんなミッションがありまして、キリストのからだが一つとなって、みんなで奉仕しました。「せーの、どん!」で、医療ミッションから、とりなしから、フードミッションから何から何まで、一日でやり抜きました。一つでも、歯車が狂ったら、うまくいかないですが、よくできたと思います。
 私は、医療を受けるために来られた方々に、いろいろとインタビューしました。やはり村のことをよく知らないと、村を乱してしまう事もあります。やはり向こうの方とよくお話をして、文化、習慣、歴史を教えてもらわないといけないです。それらも、しっかりと調査しながら、慎重にやっています。
 向こうの方々に、「日本人が毎年来るけど、うざくないですか?」と聞いたら、「来てくれるのはたいへん嬉しい。」と言われました。

0005.jpg0004.jpg

 今回、いろんな方とお話をさせていただいたのですが、一番お話をさせていただいたのは、真ん中の、チャンドラ・タマンというおじいさんです。この方は、ちょっと前まで、村全体、だいたい二千人くらい住んでいると言われますが、酋長でした。この方が医療ミッションを受けに来られたので、いろいろインタビューさせていただきました。
 今回、右側の方が、日本語からネパール語に通訳して下さいました。アシシュさんです。どこで彼を見つけたかと言ったら、山のふもとで見つけました。この方は、日本でクリスチャンになって、日本語ぺらぺらです。また彼は、物理学者です。すごく頭の良い人です。私は彼を、チトワンの街中で見つけました。去年も少し手伝ってくれたのですが、今年は、一緒に山まで登って通訳して下さいました。それで、今までより、格段に情報量が多くなりました。今までは英語からやりましたから、私は英語があまりうまくないし、現地の方々も、英語は第二外国語です。やっぱり、直接言葉があるのは大きかったです。

 いろいろと聞き取り調査をさせていただいたのですが、このおじいさんに伝道しないといけないと思って、宗教を聞いたら、「俺は仏教だ。」と答えました。
 『あなたもクリスチャンになりませんか?』と言うと、「クリスチャンにはなりたくない。」と言いました。しかし彼は、「若い世代はクリスチャンになったほうがいいかも。」とも言っていました。
 「俺は、この村を代表する男だから、絶対に、クリスチャンなんかにはならない。」と言うわけです。
 しかし私は、『おじいちゃん。イエス様を信じるといいことあるよ。」といろいろと話したら、「俺は、けがをして医療を受けに来ただけだ。キリスト教の話なんか、聞きたくない!」と怒り出して、立ち上がって帰ろうとしたので、『ちょっと待って。』となだめて、いろんな角度から、イエス様のことを伝えました。

 この村の人たちは、主に、仏教とヒンズーだと言うのです。しかし実際は、この方々は、世界最古の生活様式を保っている人たちで、心の中は違います。仏教とかヒンズーは、かつての権力者が持ち込んだ、支配者の宗教です。けれども、彼らは、原始的な宗教、アニミズムの世界です。山に神々が住んでいるとか、太い木には神が住んでいるとか、大きな岩には神が宿っているとか、土地には神が宿っている、すべてに命があるという考え方です。どこかの国とよく似ているなぁ、「あっ!日本か!」という感じです。チェパン族は、アニミズムの原点みたいな人たちです。
 このおじさんに、『森に入る時にはどうしてから入るんですか?』と聞いたら、「そりゃぁ、森の精に許可をもらわないと、むやみに入ると大変なことになる。」と言うのです。『どんなことをして入るのですか?』と聞くと、鶏の首を切って血を流して、犠牲を捧げる、というのです。森の精が「今日は鶏、二匹持って来い。」と言ったら、二匹捧げないといけないわけです。時には、「山羊を捧げろ。」と言われたら、山羊を連れていかないといけないというのです。
 『イエス様はいいよ。山羊をくれとか、鶏くれとか言わないから。逆に、鶏をくれるよ。』なんて話したら、「そうか。それはいいね。」と言います。『だからクリスチャンになったらどう?』「いやいや、俺はクリスチャンにはならない。」と、すごく抵抗しました。

 最後に彼はこう話しました。「俺はもうじき死ぬから、別に宗教を変える必要はない。」『死んだら、どうなるの?』と聞いたら、「死んだら、今まで所有していた土地を、自分の子どもたち、孫たちに受け継がせるのが俺の使命だ。」と言うのです。あれ?どっかと似ているな、これも日本と同じじゃないですか。
 おじいさんにこう聞きました。『おじいちゃん、土地は生き物だということ、分かりますか?』と聞くと、「当たり前だ。」と言うのです。
 また、『土地に霊が住んでいるのが分かりますか?』と話しました。多少、アニミズム的な話し方をしたのですが、向こうの人たちに合わせないといけないので、そのような表現を使いました。
 『土地に霊が住んでいるの分かる?』と聞くと、「そりゃぁ、土地には霊が住んでいる。その霊とうまく付き合わないと、人生うまくいかないんだ。」と言うわけです。
 私はこう話しました。『おじいちゃん、死ぬと、土地を家族に受け継がせるかもしれないけれど、土地に住んでいる悪霊も一緒に、家族にプレゼントすることになるよ』と言うと、「それはよく分かる。」と言うのです。「土地には代々、同じ霊が住みついているから、それとうまく付き合っていくのが、俺たちの仕事だ。」と言うわけです。
 『イエス・キリストを信じると、土地から悪い霊を取り除いて、真っさらな、生きた土地を次の世代にプレゼントできるよ。』と話をした時、おじいちゃんの目が、きらっと輝きました。
 「おまえが話していることは本当か?」と私に聞くのです。「本当にイエスを信じるなら、土地から悪霊を除いて、綺麗な土地を新しい世代にプレゼントできるのか?」と言うのです。
 私は、『嘘じゃないですよ!本当ですよ!だから私たちは、毎年、自由に森にも入るし、みなさんの所にまで来ているじゃないですか。イエス様を信じたら、悪霊を除いた土地を、新しい世代に受け継がせることができるんですよ!』と語ったら、今まで抵抗していたのが、突然、目が輝いて、「それが本当なら、俺はイエスを信じる!」と言って、彼は、私たちと一緒にお祈りして、イエス様を信じる決断をしました。
 そしてみんなの前で、「俺は今日からクリスチャンだ!」と言うわけです。「俺がクリスチャンになったら、村中をクリスチャンにできる!」と豪語していました。イエス様を信じる祈りをしたら、彼は本当に喜んで、その後の集会では、一緒に躍って賛美していました。
 その時、村人がいっぱい集まっていましたから、私は、「チャンスだ!」と思いました。このおじいちゃんに、『ちょっとこっち来て!』と呼び出して、真ん中に立ってもらいました。そして、『村人のみなさん。このおじいちゃん知っていますか?このおじいちゃんから、重大発表があります。』と言って、みんなの前に引き出しました。
 おじいさん、怒るかと思ったら、自分で、「みんな、聞いてくれ。今日から俺は、クリスチャンになった。クリスチャンと呼んでくれ。」と、みんなの前で宣言しました。もうびっくりでした。やった!という感じでした。

 その後、村人たちと一緒に、すべての被造物に対して、主の名をほめたたえなさい!という、詩篇百四十八篇を実行する一時を持ちました。
 彼らは被造物と共存していますから、よく分かるのです。アニミズム的な世界観ではあるのですが、木々が歌うとか、山が歌うとか、そういう感覚が、よく分かるのです。
 イエス様を信じたら、私たちは、彼らに主の名をほめたたえさせる役割だと語りました。太い木を見たら、「イエス様を賛美しなさい!と宣言したらいいんだよ!」と言いました。子どもたちに、何を指さして主をほめたたえろと宣言しますか?と聞くと、いろんな所を指して、「主を賛美しなさい!イエス様を賛美しなさい!」と宣言しました。
 それで、先ほど、イエス様を信じると宣言したおじいちゃんです。主を信じて、ほんの三十分くらいしか経っていないのです。そういうことは、理解が難しいかと思ったけれど、じいちゃんに聞いてみました。『じいちゃん。どこに向かってイエス様をほめたたえるように宣言しますか?』と聞いたら、じいちゃん何と言ったと思います?

0009.jpg

 彼は、「まず最初に、土地だな。」と言うのです。「まず最初に土地だな。」と、土地を指さして、「チェパンの土地よ。イエス様を賛美せよ!」と宣言しました。これって、本当にすごいことだと思って、感動しました。
 私たちが、やらせでそう言えと指示したのではありません。『どこに宣言しますか?』と聞いたら、自ら、「まず最初に土地だな。」と言ったのです。今回は、日本語通訳がありましたから、正確です。本当に感動的な一瞬でした。

 私もいろんな所で主をほめたたえなさい!と宣言して、被造物と和解して帰ってまいりました。近くに、私とよく似た被造物がいたので、和解して参りました。

0010.jpg

 今回、村の有力者のおじいちゃんを勝ち取ることができたのは、これこそ、主が与えてくださった、大きな勝利です。祈りの結晶だと信じています。意外な、感謝な時でした。

 私たちは、何年も、この村に通っていますので、村がいろいろな面で変わっていくのを見ることができます。村の子どもたちも成長するし、彼らがイエス様を信じて変えられていく姿も目にすることができるのです。
 前にもお話ししましたが、この村に、本当にやんちゃな少年がいます。スァーガと言う少年です。今まで、この村に行ったことがある人ならば、よく知っていると思います。

0011.jpg

本当に、山から下ろしちゃいけない少年という感じで、大きくなったら、危険な男になりそうでした。暴れ者で、毎回、我々の働きを邪魔するのです。人なつこいところもありますが、うざいやつでした。「あっちにいけ!」と言うと、「へへへ!」とか言って、つついてきたり、石投げたり、悪さばっかりするのです。しょうがないやつだなぁ、といつも思っていたのですが、今回の彼、身長はあんまり成長していなかったけれど、だいぶ大人になっていました。今年会った瞬間、ちょっと変化があったかなと感じました。
 実は昨年、私たちが山から降りる朝、彼が何かいたずらしようと、早朝五時半くらいに教会に来ていました。だから彼を教会堂に閉じ込めて、みんなで彼のために、「こいつは破壊的な男だけれど、イエス様によって、聖霊様によって変えられて、やがて、この村の牧師となりますように!」と手を置いて祈りました。
 そして一年後、なんとなく、彼の雰囲気が変わっていました。私は、ある食事の時に、彼に食前の感謝を祈ってもらいました。祈りなんかできるかなと思ったのですが、彼に、「食前の感謝の祈りをしてくれ。」と頼んだ様子を、動画で見ていただきたいと思います。

0013.jpg

 食前の感謝なのに、三分間くらい祈っていました。それはリバイバルのための力強い祈りでした。「今日は日本人が素晴らしい食事を用意してくれて感謝します。しかしこの村の人たちは、飢えて死んでいきます。主よ。どうか食糧を与えたまえ。聖霊様、来てください。この村を祝福してください。」と、無茶苦茶、力強い祈りでした。それを聞いて涙が出ました。
 いや〜人って変えられるものだなってね。本当に、ここまで来て良かったなって、思いました。今年行かなかったら、この祝福を見ることはできませんでした。何気なく、彼に祈りをふり、「食事の感謝の祈りをしてくれ。」と頼んだら、すごい祈りでした。「祈りは無理だ」と言うかと思ったら、素晴らしい祈りでした。
 後に、パク宣教師に聞いたら、「彼は今、教会の破壊者じゃなくて、教会を守るために真剣に働き、祈るものとなり、協力者になった」というのです。
 本当に隣人を愛することは、大きな結果をもたらします。これはただ一人の働きではなく、キリストのからだ全体の働きです。ネパールのために祈った祈りの結晶です。
 これからも是非とも、祈り続けていただきたいです。こうなると、来年も、ちょっと行かなきゃいけないかなぁ、という気にもなります。ここに神の国が訪れて、ここから世界が変わっていくことも、夢ではなく、起こりえるのではないかと感じました。

 午後からは、ホットな証しを、お聞きになることができます。また来週は、復活祭礼拝もありますから、期待していただきたいと思います。

 今週も、様々な働きがあります。韓国から、とりなしの方々が来てくださいます。私たちをいろいろと世話してくださった、パク先生の義理のお母さんが来てくれます。一緒に、この地域をとりなしに行こうと考えているのですが、興味のある方は教会にお問い合わせいただきたいと思います。
 最後に一言お祈りして、聖餐式に移らせていただきます。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。今回のネパール旅行を祝福してくださり、心から感謝します。あなたの恵みによって、終えることができました。様々な奇跡を、山の上で見ることができて感謝します。それらはすべて、イエス様が十字架にかかり、死んで葬られ、三日目によみがえり、今も生きておられる証拠ですから感謝します。
 今、私たちに与えてくださった神秘である、聖餐式を行います。山の上の聖餐式は臨在あふれるものでしたが、今日も、同じように祝福してください。
ハレルヤ、感謝します。お一人一人が、神を愛し、隣人を愛する勇士として用いられますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。